真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第七十二話 未来をたやすく語るなかれ

 その日は朝から会議で既に昼も過ぎた。議題も多岐にわたり参加者の疲労も馬鹿にできないものだったが、皇帝に臨席たまわっている以上あくび一つ許されるものではない。出席者も皆真剣そのものである。

 今は陳宮の発表が行われていた。賈駆は会議全体を見回しながら聞いていた。

「次に、現在展開している屯田制の成果をご報告さし上げるのです!」

「うむ、述べよ」

 皇帝の頷きに、陳宮は意気揚々と答えた。

「洛陽近辺で駐在中の兵たちを部隊ごとにわけ、開墾作業を競わせているのです! 河南の流域沿いに展開し、一町を耕し尽くした日数が最も短い……つまり最も早く耕した部隊が最優なのです。続いて二位が優、三位が良。それぞれ恩賞を用意しているのです」

「開墾した畑はどうするのだ?」

「はい! 冬至殿……李岳将軍が降伏させた白波賊、その家族に随時分け与えているのです。開墾で最も大変なのは最初の一鍬(ひとくわ)なのです。そこを軍が担い、後は都度払い下げていきますです。三年間は無税、四年目より収穫数に応じて税を課していきますです」

「不満は出ないと申すか? 不公平だと思う民もいよう」

「賊がいなくなったことを広く喧伝していますです。李岳将軍が白波賊を降したお陰で多くの商家が行き交いを増やしている、と。民の多くは安堵を覚えていますです。三年後には広く減税することを申し渡せば不満は消え去ることと思われますです。屯田分の納税が増える分、多少減税したところで国庫は潤うのです」

「なるほど、中々考えられている。これは陳公台の案かの?」

「は、はい! 李岳将軍に考えろと命じられまして、えと、その……か、考えましたです!」

「良い出来じゃ。このまま進めよ」

「は、ははーっ! なのです!」

 帝直々の褒め言葉に陳宮はさらに頬を紅潮させた。さて、いよいよ賈駆の発表である。

「次は軍の有り様についてであったな?」

「はっ、畏れ多くも臣が」

「賈文和か。楽しみじゃ」

「ご期待に添えますよう全力を尽くします」

 用意していた書類を配布するよう侍中に命じ、賈駆は前に立った。

「臣は軍制についての改案をご用意仕りました」

「述べよ」

「軍権を統一、集約いたします」

 場にどよめきが起こる。無理もない、と賈駆は内心同意した。自分とて初めに聞いた時は李岳の正気を疑ったものだ。

 そう、これも元は李岳の案なのである。

「現在、兵権は有力諸侯が各自の権限でもって自由気ままに動員しております。ゆえにこの地では動乱が続き一向に平穏が訪れませぬ。また本来軍権が必要なのかどうか懐疑的な役職にまで兵の指揮権が与えられているのは不穏です」

「どうする?」

「軍は政に服し、政は法に服し、法は帝に服す……帝がご裁可頂いた法により世は動き、我ら臣下はそれに則り政に携わります。軍もまた政の下に服すべきことであり、以って濫用を許さぬ旨でございます」

「武に文が長ずるというか?」

「はっ」

 長い沈黙があった。帝も臣下も一言も発さなかった。それほど現実味に欠けた案として受け取られたようだ。

 文官たちからして既に、武官を完全に制御できるのかという不安が滲み出ていた。

 気不味い空気を慮ったように、何人かが当たり障りのない質疑をしたがまるでおべっかであった。

 帝が再び質問を繰り返す。

「賈文和。それもこれも全ては今この地に起きている乱が鎮まってからであろ?」

「はっ。出過ぎた真似を申しあげました」

「意気込みは買う。だが前線で血を流す兵を軽んじることは許さぬ」

「肝に銘じまする」

 どこかホッとしたような空気が流れた。誰も急進的な改革など望んでいないのだ。

「コホッ、コホ」

「陛下……誰か、匙を」

「いや、大事ない。(むせ)ただけじゃ」

「しかし」

「うむ、根を詰めすぎかもしれぬ。だが前線で剣を振るっている者もいる。この程度で休んではおれぬ」

「ですが……」

「よし、なれば今日はこれまでにしよう。朕の身を案じて仕事が手につかぬ忠臣ばかりのようじゃからな? ……笑ってよいぞ? さて、屯田の案はよかった。軍についてはもう少し熟考だな」

「はっ」

「賈文和は残れ」

 二人きりになると、劉弁は威厳に満ちた声音から年相応のものへと戻った。

「さて、どうじゃろう」

「芳しいとは言えませんね」

 軍制改革についても農地改革についても、皇帝との間で既に意思統一は済んでいた。会議は合議を(はか)る場ではなく、それを突きつけられた文官たちの反応を推し量る場なのである。

「弊害も予測されます。武官の不満、文官の増長、地方豪族の反乱……現在の兵権はいい加減なものですが、それゆえに融通も利きます。制限を加えた上で即応できる体制をどう作るかが肝要でしょう」

「そして、軍縮、か……」

 軍を減らし、農に戻す。乱世に逆行したこの考えこそが国を救う唯一の道、と李岳は断言した。軍政改革もその端緒に過ぎない。しかし剣で生きてきた者が当然持つ、自負と既得権益を果たして奪い取れるのか。

「軍兵はすなわち農民です。彼らを戦に動員し続ける限り生産力は衰え、民は飢え、国庫は漸減(ぜんげん)し続けるでしょう」

「悩ましいな。国家の統制を落とすということであろう?」

「国家の質をあげるのです。軍人が多いということそれ自体が不穏なのです。それを減らす。同時に軍の質を上げる。十万、二十万、あるいは三十万の兵を無理やり動員する度に国家は疲弊し弱体化します。それを許してはならないのです」

「じゃがな、より大兵を用いよ、というのは兵法の基本であろう?」

「孫子曰く、兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを賭ざるなり。戦とは矛や剣を持ってぶつかり合う前に既に始まっているのです。兵を集め、物資を整え、移動し、陣地を築く……兵が多ければ多いほど準備に時間がかかりますし、それは全て浪費として計上されます。(いたずら)に大兵を催すことは理に反するのです。もちろん、いざとなれば取るべき手段は全て取りますが」

「戦に勝つことだけではない、ということか?」

「大兵を用いて勝ったとて、それで十年飢えればすなわち負けです……いえ、それよりまず前提があるのです。戦は最後の手段である、回避できるのなら他の手段を用いるべし」

「孫子曰く、百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり、か」

「お見事でございます。兵は国の大事にして、死生の地なり。察せざるべからず、とも」

「……容易く戦争など起こすな、戦争や乱が起きた時の準備に腐心するのではなく、戦争や乱がいかに起きないようにすべきかを考えよと、つまりはそういうわけじゃな? 軍縮もその一環か。大兵がいればその矛が赴く先の者達は慄き、緊張を高まらせる。善きことではないと」

「はっ」

 幼い帝は、歳に不相応に過ぎるしわを、目尻にこさえた。賈駆は痛々しかった。

「……確かに道理ではあるが、難しいことを言う」

「世は帝のご意思一つとはいえ、臣らの粉骨砕身が要るのは明確かと……」

「そのような案、通ると思うか?」

 賈駆は無礼ながらも沈黙でもって返答せざるを得なかった。李岳の考えは確かに筋道の立ったものではあるが、目的地までは余りにも多くの木石が積み上げられた険しい道程であった。一つ一つ丁寧に取り除かなければ、容易く崩落しかねぬ悪路である。

 李岳は果たして、本気で成せると思っているのだろうか?

 賈駆の脳裏に、何度目か数えることさえ出来ない程に頻繁に浮かび上がる疑問が、再び沸き起こった。

 李岳とは、何者?

 矢継ぎ早に発案を続ける李岳だが、彼の生い立ちやそれからの育ちを見てもどこでこのような教育を受けたのか、賈駆には全く見当もつかなかった。いや、教育を受けなかったからこそこれほどに突飛で、誰も思い浮かばなかった案を出せるのかも知れない。

 底知れない男だ、と身震いする思いだった。李岳の面白いところは、案を出してもそれを熟成させるのは他人に任せるところだった。自分にその暇がないことと、改革案はより多くの人の手に触れて育つべきだと考えている思想による。

 李岳は仲間を求めている。決して口に出しはしないし自覚もないかもしれないが、彼は頼りになる仲間を求めているのだ。

「李岳は勝つ」

 同じようなことを皇帝も考えていたのだろうか、賈駆は思わずこぼれた笑いを見えないように隠した。

「袁紹を叩き、孫策を取った。やつは約束は守る」

「あくまで局地戦でございますれば」

「それでも、勝った。一つ目の賭けに勝った。他の者では賭けることさえも出来ぬ勝負であったろう」

 帝は居室の地図を見やり、うむ、と頷いた。

「皇甫嵩の抱える荊州戦線は膠着状態、朱儁は益州兵を誘引し兵糧切れを狙っておる。そして李岳は初戦で袁紹軍を叩きのめした。そして祀水関も未だ健在。順調極まる」

「とりあえずは」

 覇気に欠けた相槌に劉弁は眉をひそめたが、それを無礼とは思わなかったようだ。

「……そちの目にはまだ厳しく映るか?」

「……臣のような非才の身には、いささか」

 肯定的要素が目に付く時は、その倍以上否定的要素が満ち満ちている時である。

 基本、劣勢なのだ。

 袁術に寝返りの気配がある、という知らせも賈駆には届いていたが、ここで告げることは憚られた。それを玩味してもなおまだ戦況は厳しい。兵の余力は底を尽きつつある。

 帝は遠い目をして言った。

「容易くはないの、何事も。この国が抱え込んできた数百年分の怨念が噴き出してきておる、そんな気がする。朕の治世が問われることもないままにこの有り様じゃからな」

「そのような」

「まぁ、見ておれ。李岳は勝つよ。勝ってもらわねば、今のこの苦悩も徒労となる。皇帝に無駄足を踏ませたとなれば、これは重罪ぞ?」

「しかし、あの男は中々に無礼千万です」

「朱儁に殴り飛ばされるなどという約束を取り付ける程じゃからの、確かになうての無礼者ではあるな」

 今度こそ二人は声を合わせて笑った。信じよう、と改めて賈駆も気持ちを新たにして宮を辞した。夕暮れを護衛に囲まれながら帰路に就く。持ち帰った仕事もかなりのものだが手こずる気はしなかった。

 自宅に着いた時、賈駆を待ち受けていたのは永家の者だった。反乱が起きた、と早口で彼は告げた。




いきてる☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
人生で一番忙しい数ヶ月でした……
短縮版でさーせん

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