真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第六十一話 絆

「……またこの部屋か」

 李岳は肘掛けなど何もない、ただの丸椅子に腰掛けながら頭をかいた。目の前には寝台に横たわった男が上半身をだけ起こしてこちらを見ている。頬はこけ、肌が真っ赤に荒れていた。ただその瞳は穏やかである。寝台や布団と同じく白い服を着ていた。

「嫌かい? ……嫌そうだね。部屋が、じゃなくて」

「あんたに会うのが、嫌だ」

「そう、邪険にしないでもらいたいものだけど」

 とはいえ難しい要求をしているな、と男は李岳と同じように頭をかいた――その仕草は九分九厘同一であった。

 時折見る、夢。真っ白い部屋に腰掛け、ただ一定の問答を繰り返し時間が来れば終わる、それだけの夢。ただ現実には決して持ち帰ることのできない、ここだけの記憶。

 今まで幾度も見てきた夢だが、今回はどうも様子が違うようだった。

「なんだ、これは……」

 李岳の体から、黒い粘質の何かがデロデロと溢れ出ていた。それは李岳の体にまとわりつき、ねばついて容易に離れない。まるで口をあけた獣のよだれであった。

 李岳は座ったまま前かがみになった。黒いものを、押しのけようという気力が湧いてこない。そして途轍もなく重量がある。

「どうしたんだい」

 男が言う。李岳は喘ぐようにして答えた。

「重いんだ……」

「立てないかい?」

「わからない」

 李岳は首を振った。ねばつく黒いものは、その揺れに耐えかねてボトボトと顎先から床に落ちていった。どこから出てくるのかもわからないくせに無尽蔵に溢れてくる。そして李岳を包もうとする。いずれは窒息するか押し潰されるかだろう。

「その黒いものはね、罪の意識さ」

「罪……」

「重いだろう、と思う」

 黒いものはとうとう李岳の背中の全部を覆った。李岳の体の全てを押し潰そうするほどに、それは重く、李岳から抵抗の気力を奪う。

「お前には……この重さがわからない」

「けど君は、俺のことを何一つ羨ましく思ってなんかない。この白い、軽い体を羨ましいとは決して思わない」

 寝台に腰掛けた男は、痩せこけた笑顔を見せた。

「今を生きているものにしか、その重みは感じ取れないんだよ」

 生きる? ――李岳は自分に問うてみた。この黒いものに耐えるということが生きるということなのだろうか。みんな耐えているのか? そんなわけはない、これに耐えられる人間などそうはいない……

「生きているね、懸命に。いつも見てるよ、ご活躍だね。恋も、元気そうだった」

 全く、単刀直入にも程がある――李岳は罪に溺れそうになりながらも思わず笑った。取り繕うような間柄でもないし隠し事をしたところで茶番だった。李岳もまた率直に聞いた。

「……恋の顔、見たか」

「まぁね」

 苦笑いは同時であった。

「どうしてあの場にいたんだ?」

「んなの決まってる。君に会いに来たんだよ、君に」

 わかっている。呂布はただ素朴な思いに突き動かされてここまで来たのだろう。匈奴との戦を前にして、立ち止まり李岳を一人送り込んでしまったことを悪いと思ったのか。それとも一発文句でも言おうと思ったのか。趙雲の姿もあの場にあった、ならば彼女が手引きしたに違いない。ということは公孫賛のところに厄介になってたか……

 ふと、李岳の中に弱い心が鎌首をもたげて現れた。それははっきりとした形にならず、表現するにもあまりに未熟な代物だったが、今の自分が抱えるにはひどくおぞましいものだということは理解できた。その気持ちはまだ名前さえ付けられないくらい曖昧な強度しか持たなかったけれど、最も近いものを当てはめるなら、きっと八つ当たりである。

「だめだ、俺は。会えない……あいつの目の前で仲間を犠牲にしようとした。霞、沙羅、藍苺に廖化、そして兵たち……劉備と曹操の命を奪うためなら安くはないと、死なせようとした!」

「そして、それを恋に見られた」

「あああ……」

 黒いものが勢いを増して溢れ出し、李岳の足元を沼地のようにしてしまった。李岳は前かがみになったまま、あああ、とうめきを漏らし続ける。

「恋が憎いかい? わざわざ突き放したのに、のこのこと会いに来た彼女が鬱陶しいかい?」

「……わからない」

「そうだね、わからない。でも助けてくれた。彼女が現れなければ、今頃君は罪悪感に圧殺されていただろう」

 李岳は首を振った。黒いものがこぼれて跳ね返り、口や鼻を汚す。李岳は嘘をつけない。この場だけ、李岳は嘘をつけない。

「ただ……助けたかった。残酷な運命から引き離したかった。自分が飛将軍にさえなれば、彼女の無残な最期を避けられると信じた……呂布として、生きれば、辛いだけだ……」

「その辛さを自分がかぶると決めた。洛陽の陰謀に気づいてからは食い止めようと思った。母さんを殺されてからは復讐したいと思った。陛下に忠誠を誓おうと思った。そしてこの世界に平和をもたらしたいと思った」

「何が、何がいけないんだ……」

「何も」

「じゃあ……どうしてこんなに重いんだ……!」

 男は、李岳を軽蔑しているかのような眼差しで見つめた。世界で一番の愚か者を見る目であった。

「わからないのかい? なぜ重いのか」

 李岳は首を振った。男もまた、首を振った。そしてやせ細った、鶏の足のような手を見つめた。

「初めから知らないままで、期待せず、諦めてさえいれば大抵のことは受け流せる……その気持ち、全くもってよくわかる」

 けど、と付け足した。

「違うだろ?」

「何が……」

「この体だった時とはだよ」

 その言葉に、李岳はぐぐっ、と体をわずかだけ持ち上げた。すっかり黒い粘着にまとわりつかれ、ただの汚泥の化け物のようになってしまったその中に一点、光が灯った。李岳の瞳。真っ直ぐ寝台の男に向けて眼差した。

 男は李岳の記憶にない、晴朗な笑顔を浮かべていた。

「期待しようよ」

 男は自らの重さにすら悲鳴を上げるようなか細い腕を、李岳に伝えようと必死に動かす。

「重いって? 馬鹿馬鹿しい。自分から背負っておいて、誰にも預けないまま一人で歩いてれば、そりゃ重いに決まってるさ。人の分まで持ってるんだ、少し手伝ってくれと言って何が悪い? 今の君にはそれが出来るんだ、羨ましい限りだよ。人に期待して、存分に甘えることが出来る」

「甘える……」

「助けてもらいなよ。頼って、泣きすがればいいじゃないか。全知全能じゃないんだ。もしかすると裏切られるかもしれない。困らせるかもしれない。けど、それもまた人生さ」

 李岳の体にのしかかる黒い罪は収まる気配がない。あるいは、一度溢れれば消す術などないのかもしれない。

 だが、その重さはわずかにマシになったように思えた。

「全く、気休めの言葉だな」

「ああ、俺だからね」

「俺だからな」

「ほら、そろそろ目覚めなよ。呼ぶ声が聞えるだろう?」

 聞こえない。だが白い部屋の一点にはいつからか窓があり、そこから光が注いでいるのが見えた。李岳はまともに回りそうにさえなかった首を、懸命に動かしてその窓を見た。眩しかった。その光が道を指し示してくれている。

「どんな顔、したらいいかな」

「自信満々」

「無茶言うよ」

「ああ、そうさ。無茶は承知だ。がんばれ、がんばれ」

「嫌いな言葉だ」

「絶対人からは言われたくない言葉だったね、そういえば。だからその分、俺が言うさ」

 苦笑いを浮かべて、李岳は立ち上がろうとした。膝が笑うが、まとわりつく黒いもの全てを引き連れて何とか立ち上がった。白い男はそれを、少し羨ましそうに眺めている。

「ひどい格好だな」

「もっと気の利いたこと、言ってみればどうだい」

「気を使われるのは得意なんだがな」

「そうだった」

 男は枯れ枝のような腕を李岳に伸ばした。だが二人の体が触れ合うことはない。やはり自らの重さに耐えかねて、男は腕をおろした。残酷な絵面だった。黒いものに巻きつかれた李岳は一人で立ち上がっている。

 それでも男は嬉しそうであった。

「李岳。どうしてその名でもう一度生きることになったのか、きっと誰にもわからないだろう。けど、見ててとても楽しい。がんばれ、俺の分まで。悪くないだろ? 李岳という男には二回分の人生の力が宿っているんだ。拗ねてもいい。投げ出してもいい。けど、もう少しあがいてみないか。全てを失ったなんて幻想だよ。お前にはまだまだたくさんの信頼が降り注いでいる。さぁ、目を覚ませ。そして飛ぼう。何だって出来る。きっとね」

 そう言うと男は、窒息するように喘いだ。これだけの会話を続けることは、すっかり彼の能力を超えていた。白い服を着て、げっそりとこけた頬のまま、息を荒らげて儚げに笑っている。

 そうだな、と李岳は思った。お前の分まで――俺の分まで、頑張らなきゃな。

 李岳は重い足を引きずって、光を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 李岳の覚醒に最初に気付いたのは赫昭だった。う、と呻きを上げて目を瞬かせた李岳に赫昭は詰め寄った。

「冬至様!」

 松明の灯りさえ眩しく、李岳は視界が定まらないままその声に反応した。

「……沙羅、か」

「くっ、うっ……よかった……! もう、目を覚まされないのではと!」

「泣くな」

 しがみついて泣きじゃくる赫昭を、頭を撫でてなだめた。全く心配をかけてばかりだ――岳はゆっくりと体を起こして自分の状態を改めた。記憶があやふやだった、取り返しのつかないことになっていたら不味い。

 不自然な体勢のまま、赫昭は記憶が不明瞭な李岳に事の顛末を説明し始めた。

 

 ――矢を受け、地に落ちた李岳は即座に騎馬隊に包まれた。指揮するは徐晃。取り乱し、訳もわからず号泣しながら李岳に覆いかぶさったという。

 張遼は即応した。雄叫びを上げると張超めがけて真っ直ぐ突っ込んでいった。華雄が続き、異変を察知して追いかけてきた赫昭までもが常軌を逸した怒りのままに突撃を宣言した。

 指揮もなく、怒りのままに突き進んだ李岳軍騎馬隊の突撃力たるや地が震える程であったという。だが同時に捨て身の攻撃は脆さも呼んだ。曹操が指揮する兵団の統率力は李岳のお株を奪う挟撃を見せつけたのである。袁紹軍残党、劉備軍も奮闘した。隘路を巧みに使っての三軍の連携は李岳軍が突っ込めば突っ込む程その進路を渋滞させ、突撃力を殺し、そして包囲によって兵力を削ぎ落していった。

 だが当然、後先考えない張遼の攻撃をその程度の策で抑えきれるものではない。正面から騎馬隊の突撃を支えた曹操軍の損害は李岳軍以上であったという。

 撤退を叫んだのは李岳本人であった。天狼剣をかざし、命に背くものは斬るとまで言って撤退を押し通したという。李岳の意識が再び掻き消えたのは祀水関の門扉をくぐってからであった。徐晃が抱き留めなければ、頭から真っ逆さまに石畳に激突していただろう。

 それから昏睡に至り、二度ほど目を覚ましたが意識と記憶の混濁を見せた。重い、重いと叫んだという。それから二度ほど眠りとわずかな目覚めを繰り返し、今に至る。

 つまり、丸一日寝こけていたということだった。

 

「俺が撤退を指揮したのか……全く覚えてない」

「本当に、お体は大丈夫なんですか?」

 心配そうに見守っている赫昭に李岳は腕をブンブンと回して答えた。

 事実、肩の傷は肉が突っ張る程度で大したことがなかった。匈奴との戦で李岳は肩に矢傷を受けており、それから肩当てには厚めの鉄板を用いていた。そうでなければ鎖骨から首筋まで矢じりが貫き通していたかもしれない。医者の説明では、落馬により頭を打ち、日々積み重なってきた疲労のために昏睡に至ったのではないかという。

 騒ぎを耳にして、李岳の居室には続々と幕僚が集ってきた。

 張遼が真っ先に李岳の額を小突いた。

「うちは、なーんも、心配してへんかったで?」

「の割りには目が真っ赤だな」

「嘘っ!?」

「嘘だよ」

 グッ、と目を吊り上げた張遼に、李岳は頭を下げた。

「すまん」

「……頼むでほんま。うちの決闘は止めくさったくせにな」

「ああ。暴れまわったんだって? 霞だって怪我してるだろ、大丈夫なのか?」

「へっちゃらへっちゃら」

「……本当?」

 ぐっ、と覗き込んだ李岳の顔にドギマギして、張遼は顔を赤らめた。

「な、なんやなんや! ちょ、調子狂うやんか! ……そない、心配せんでも大丈夫やって……」

「ほんと?」

「ん。けど、ありがとな」

 てへへ、と笑って張遼は部屋を出て行った。さあ、防衛戦の準備やで! と勇ましい声がここまで届く。

 続いて李儒が朗々と用意してた原稿を読み始めた。

「えー、コホン。主の無事は伏せるべきかと愚考。敵軍はもしや討ち取ったのではないかと淡い期待を寄せてるはず。そして余勢を駆って愚かにも寄せて来たところに、主が高台から月光を背景に外套を翻し高笑いと共に現れ宣言するのです。『この世に乱れをもたらす悪党どもよ、天網恢恢(てんもうかいかい)()にして漏らさず、悪鬼悪霊斬り捨てて、舞い戻りしは不死身の男! 姓は李、名は岳。誰が呼んだか飛将軍! 必殺剣に斬れぬものなし! 死にたいやつから、かかってこい!』そしてすかさず指をさす!」

 びっしぃ! と原稿を抱えたまま格好をキメた李儒。この肩の矢傷が目に入らぬかぁ、も捨てがたい。などと付け加える始末。

「この時に注意すべきなのはですね、自分が見られているということをしっかり意識しておくことなのですよ。『あ、この人自分のこの角度で見たがってるな』『笑顔くださいっていうその感じ、わかります』ということをこちらも積極的に見抜いていくのです。両者の意思疎通があって初めて以心伝心となるのです」

「敵と以心伝心してどうする。ていうか雲母なんの話してんだ……却下ね」

「なぜに!」

「恥ずかしいからに決まってるだろ!」

 諦めがたい、とあたふたと弁解するように李儒。

「は、恥ずかしいのは初めだけ! 照れは段々快感に変わり、やがて本当の自分の姿に気づくことになる……その時はもう後戻りできなくなって衣装も自作してしまうのだから、心配ない……! 大体主殿の甲冑とて、もともと黒衣だし素質は十分! ここにもう少し角を付けたり、流血を予感させる塗りを施してみたりするとさらにいかがわしくて萌え……」

「相変わらず何話してるのか全然わからん。って、お前衣装の自作とかしてるんだな……」

「と、時々……」

 うぅぅ、と顔を真っ赤にしてふさぎ込んだ李儒がボソボソとこぼすように付け足した。

「そ、それに……」

「それに?」

「うっ、うぅ……し、しんぱい、だし……」

「へ」

「なんでもない! 主の馬鹿! 風に泣かれろ!」

 うわー、っと耐えきれなくなり走りだした李儒は扉も締めずに外へと出て行ってしまった。場には再び赫昭一人。他の面々もいずれは来るだろうが、戦後の部隊再編や負傷者の面倒などもあり大体は手が放せない。

「名乗りはさておき、相手を油断させるのはいい手なのではないでしょうか。雲母は多分、無事かどうかを隠蔽している間は冬至様が前線に立つことはないから、ああやって照れ隠しで言ってるんでしょう」

「……さてね。自分の趣味ばっかりで話してんじゃない?」

「自分も、雲母の案に賛成です……と言えば、出過ぎた真似でしょうか」

「いや。悪くない考えだ」

 なら、と言い募ろうとした赫昭を李岳は制した。

「けど、今回はやめておこう。兵の士気にも関わるし、それに」

「それに?」

 李岳はあさっての方を向いて答えた。体もなまるからね、と。

 それが本心からの答えではないということは赫昭でも察することが出来たが、根っから軍人である彼女はそれ以上追及できなかった。

 李岳は寝台に体を預けたまま、今後のことを告げた。

「沙羅、防衛戦の指揮は君に任せる。守将としての才は、君は我が軍では随一だ。その力が頼りだ、頼む」

「……全ての指揮をお任せ願える、と解釈してよろしいでしょうか」

「ああ」

「では、冬至様、一つお願いがあります」

「なんだい」

 束の間俯いて、再び李岳と目を合わせた赫昭の瞳は潤んでいた。

「あ……あ、た……」

 頬を染めて、もじもじと手をこすり合わせている。やがて意を決したように乙女は言葉をこぼした。

「もう一度、その、頭を……撫でて下さい……」

 予想外の願いであった。李岳は初めて赫昭の女性らしい一面を見たと思った。出会った時から武骨な軍人然として彼女だが、最近は表情豊かになりつつある。その中でも今、彼女が見せている表情は不意打ちに近かった。

 しばし考えた後に、李岳は目一杯腕を伸ばしてポン、と赫昭の頭に手をやった。

「あ、う……」

「よく頑張ってる。ありがとう沙羅。こうして戦えているのも君がいたからだ。俺は君に甘えてばかりだ」

「い、いえ……そんな……は、はい……えへへ」

 頬を赤らめた赫昭にニヤリと笑って、李岳は優しく撫でていた髪を唐突にぐしゃぐしゃと力任せにかき混ぜた。

「えっ!? や! っちょ! キャー!」

「勝つぞ! そして生き延びる。いいな!」

 突然の暴挙に、ボサボサの頭のままポカーンとした赫昭は、やがて李岳と同じように不敵な笑みをその口元に浮かべて言った。

「はっ、この赫伯道。全身全霊で貴方をお守り申し上げます!」

 かつっと履物で床を叩き、赫昭はその身を正して駆け出して行く。俺じゃなくて祀水関をだよ、と訂正する間もないくらいの全力疾走だった。

 思えば赫昭とは人として当たり前の、友人としての触れ合いをしてこなかったように思う。張遼は普段は酒飲み仲間だし、李儒はからかってばかり。賈駆に陳宮は洛陽にいるころはほとんど毎日一緒だった。

 その分、赫昭が縁の下の力持ちとして軍の底上げを担ってきたと言っていい。鍛練、軍規の引き締め、行動策定。陰に陽に支えてきてくれた。彼女がいなければ果たしてここまでまともな軍勢を組織できたかどうか。

 

 ――不安なんだろうな、と思った。それをくみ取ることが出来ない俺は、上司としてはかなり不出来だろう。

 

 誰一人いなくなった後で、李岳は再び寝台にもたれかけた。痛みはない。疲れがあるくらいで、それは戦の前から変わらない。戦の準備と、それに前後した改革案の用意のためほとんど寝ずに準備をしてきた数ヶ月だったのだ。その蓄積が昏倒から中々目覚めることが出来なかった原因の一つだろう、と自己分析をする。

(霞、沙羅、雲母……ここにはいないけど華雄にほかのみんな。果ては洛陽の帝や月に詠。俺を信じて付き従う兵たち……それらを全部生贄に捧げ、歴史の主人公に成り上がろうとしてたわけか、最悪だな……しかも最初に自分で立案した作戦まで反故にしようとしたわけだ。曹操と劉備を殺したところで、ここで負ければ一緒だというのにな)

 それを食い止めてくれた少女の姿が思い浮かぶ。悲しそうな、あるいは憐れむような瞳で李岳を見つめる少女――呂布。

 李岳は自己嫌悪にさいなまれそうになった。それをこらえることが出来たのは、既に愚痴も相談も済ませているようなスッキリとした心持ちだったからである。

 まるで、誰よりも自分のことに詳しい無二の親友に、一晩話を聞いてもらったかのようだ。時折こういう時がある。意味もなく心身の調子がいい時。二度目の生を得たということで自らに驕るところを強く戒めてきた李岳であるが、こういう時だけは自分の成長を実感として認めることを許していた。

 がんばろう、と思った。焦らず、仲間を信じて――そして呂布のこと。李岳はもう想いを固めていた。

 ひと眠りし、李岳は文を認め永家の者を呼んだ。それを済ますと全軍の集結を命じ、李岳は楼台へ向かった。

 初戦の勝利と、自らの無事を、高らかに宣言しなくてはならない。


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