真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第三話 春

 三寒四温もどこへやら、ようやく春が右往左往をやめた頃、岳は春の獣を追い、新芽を頼みに種を撒き、薪割り仕事が減ったことに安堵の息をこぼしていた――卒羅宇からの頼りが届いたのは、そんなある日の午後のことだった。

『山を越え、公孫賛の元まで馬を届けて欲しい』

 要約するとそうなる。

 匈奴の馬は河内のものよりたくましく、疲れ知らずで、軍備を整えんと企む太守や将軍からは喉から手が出るほど欲しい代物だったが、匈奴に対する偏見を始め様々なしがらみにより、求めるものはそれほど多くはなかった。

 幽州に基盤を置く公孫賛は珍しくそのような偏見にとらわれない領主のようで、何度か匈奴に対して取引の話を持ちかけていた。公孫賛は特に白馬を指定して求めたが、白備えの部隊を揃えているというのがもっぱらの噂だった。

 だが求めるもの、提供するものが揃った所で、行く先々で難所がいくつもある。まず関所であった。匈奴の者が通行許可の竹簡を持っていた所で、怪しまれれば追い返されることは常である。ましてや公孫賛の待つ幽州までは常山郡を通過して匈奴嫌いの袁紹が収める冀州を通過せねばならない。冀州が豊かであり、警備の締め付けも厳しいことから審査もおざなりではなく、匈奴の者がたとえ出自を隠したとしても言葉遣い一つで露見することもあった。数百頭からなる馬を全て押収されることもあり得る話で、おいそれと試せる話ではなかった。卒羅宇が岳に頼むのは、彼が訛りのない流暢な漢の言葉を話し、外見もそうと言われなければ気づかないからだった。さらに最も重要な理由として以下の一文が挙げられる。

『常山郡は李岳でしか越えられない』

 実は常山を突破する、それこそが余人には頼めず、岳という個人にしか頼めない訳でもあった。実際に予行演習として幾度か道程の突破を図ったことがあるのだが、岳が任された二回以外は全て常山で断念している。冀州にすらたどり着けていないのだ。仮に常山を通らず迂回を行なって幽州を目指すのなら、多くの山脈を越えねばならず、旅程は恐ろしく遠大になり危険もいや増す。岳に頼むことが確実に安全であり信頼も置けた。誰も岳を疑いはしない。

 それも含めて、竹簡を読みながら岳は思惑を練った。

(まぁちょうどいいぐらいか。こっちも準備に随分と時間がかかったけど、なんとか間に合いそうだしな)

 岳には胸に秘めたいくつかの計画があった。それはこの世に生まれ落ち、二度目の生を過酷な時代に生きることをはっきりと自覚してから企てはじめた、まさに岳の生き様を全て決定する類のものだった。今回、この馬の受け渡しが滞りなく済めば計画は飛躍的な進展を見せるだろう。大事な試金石といえた。

 そのためいくつかこなすべき準備を、卒羅宇から依頼が届く前に、必要以上の入念さで準備し始めてしまったため、全く暇が無くなってしまった。何せ春は忙しい。その上夜を徹して秘密工作にかかりきりになったのだ、ろくな休みもなく始終忙しく走り回っていた。そのためいくつか不都合が降って湧いたりしたのだが――最大の誤算は呂布だった。

 力仕事が大半を占めるため、岳は呂布にも助力を頼み込んだ。呂布も嫌がらずその豪腕を思う存分発揮して大いに岳を助けたのであるが、二人で暗黙の了解となっていた『日課』が全くおろそかになってしまった。

 岳はその『日課』をこなさんと二人が初めて出会った泉の前へ、山羊の点を連れて向かっていた。小道を抜けてたどり着いた先に呂布は既に待ち構えていた――まるで仁王の憤怒が如き恐ろしいまでの覇気を余すことなくまき散らしながら。

 岳は「あ、死んだ」と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹に叩きこまれた一撃に吹き飛ばされ、絶息、痙攣を経た後、ようやく岳は搾り出すように言葉を吐いた。

「死んだ……」

 よだれが糸を引いた。まだ全身が蠕動しており、瀕死の体であることを疑う余地はなかった。

「……死ぬ。これ折れてる。肋がへし折れてる。きっと肺に突き刺さる。そろそろ血が出る……死ぬ……恋、死んだよこれ……」

「死ね」

「そこは……嘘でも否定してほしかった……」

 息も絶え絶え、岳は這いつくばった不自然な姿勢のまま痛みに呻いた。

 久方ぶりの『日課』の成果がこれだ。呂布は李岳に冷たい一瞥を投げかけ、棍を目にも留まらぬ速さで振り回したあと、さっさとセキトとじゃれつき始めた。点が寄ってきて岳の頬を慰めるように舐めるが、痛めつけられた肋間を抑えたまま呻くのが精一杯であった。

 二人の『日課』とはすなわち武術の鍛錬だった。

 岳は母の桂から稽古を受けることが出来なくなって数年、全く成長が止まってしまったことを自覚していた。もちろん我流で鍛錬は欠かさず行なってきたが、それも所詮程度が知れている。母からお墨付きをもらったとは言え、型や動き方の話でしかなく、細身で華奢、膂力に劣る李岳としては何としてももう一皮剥けたいと思っていたところだった。

 呂布にとっても岳との稽古は楽しいものだった。思う存分殴り飛ばすには岳は頼りなく脆いのだが、動きが奇妙で――呂布は武術の動きに慣れていなかった――油断はならない。特にちょこまかと逃げまわり、虚実織り交ぜ紙一重でかわし続ける防御の技は呂布を以って感嘆させ、その倍はいらつかせた。

 天賦の才それだけで戦える呂布ではあるが、岳の動きや剣さばき、そういった技術を見よう見真似ではあれ身につけようと考えていた。力任せに武器を振り回すだけではなく、よりよい体の運用によって威力は何倍にも増える――呂布にはその理が段々と面白く感じてきたのだ。そして何より、対等に付き合える人ができたことが嬉しい。

 呂布が普段住んでいた村はここから五里、田畑を耕し糊口を凌ぐだけの人生を呂布は疑問に思ったことはなかったが、ある日襲ってきた野盗によってその運命はねじ曲げられた。呂布は野盗に立ち向かい襲い来るもの全てを叩き伏せたが、いかんせん敵は数が多かった。村の多くの者が命を失い、家族は散り散りに、集落を守ることも出来ずほとんどの人が離散していった。呂布の家族もみな去っていった。呂布にはただ友だけが残った。セキト、そして他の動物たち。天涯孤独の身の上で、呂布は新たにできた家族の口を糊するため、卒羅宇を持って『虎』に見間違えられるほどの暮らしを過ごしてきたのだった。

 呂布はまだ少女といえる歳で、生まれ育った境遇から自らの心の有り様を上手く表現することが苦手であった。どうして岳と会えなくなってこんなにも腹が立つのか自分でもよくわかっていなかった。理解出来ない、やり場のなさというものがまた呂布を苛立たせ、矛先が岳に向いたという顛末なのだった。

「……さて……」

「次」

「はいはい……」

 悶絶するほどの激痛がじわじわとした鈍い痛みに変わった頃、岳は呂布に引き起こされて続きを急かされた。

 武術の鍛錬といっても取っ組み合いがほぼ全てだった。棍ほどの長さか、あるいは剣に見立てることのできる棒切れを拾ってきてはへし折れるまで振り回し続ける。あるいは徒手の時もあった。その全てで呂布は岳を凌駕し、負けはおろか一撃を見舞われることさえ少なかったが、ただ一つだけ岳に勝てないものがあった。弓矢の扱いであった。

 前半は取っ組み合い、続いて弓矢を競い合うというのが『日課』の大まかな流れである。

 いそいそと弓と矢を取り出しては準備を始める呂布を見て、岳は深呼吸しながら考えた。

(史実じゃ、呂布って弓矢も天才的だったよな、確か。何里も先の鎧を正確に射ぬいたんだっけか? ……ま、今だけだな)

 岳は自らの懸念が一時の杞憂であることを誰よりも――呂布本人よりも――よく理解していた。二部制の『日課』を一勝一敗で持ちこたえているからといって、それは一日の長に過ぎない。いつか追い抜かれる日が来るだろう。夢中になって弦を弾き続ける呂布を見つめながら、岳は師の風情を味わうのもあとどれくらいだろうなあ、と考えおかしくて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっと」

「はい」

「……ん」

 どんぶりを受け取る呂布の笑顔を見ながら、岳はこれは一体何度目かのおかわりだろう、と思ったが数えるのも面倒くさくなるほどの回数なのは間違いないと結論づけて、少し呆れたようにふうと息を吐いた。

 よく食べる――決して楽な生活を送っているわけではない李岳にとって、呂布の飲食は結構な負担となっていたが、目の前の大食らいが口いっぱいに頬張るのをどうも嫌いになれないらしく、そんな自分自身にも李岳は半ば呆れてしまっていた。誰かに喜んで食べてもらうというのは、掛け値なしの喜びをもたらすのである。

(けど、どっかで食料補填せんとなあ。きついよな)

 蓄えに余裕はある年だったが、いかんせん呂布一人だけが食料を腹の中に詰め込んでいるわけではない。呂布の後ろには兎、犬、鳥、狸に狐たちがもそもそと群れて食料を口にしている。自分で獲物を取れないかわいそうな子たち、というのは呂布の弁である。確かに皆体が小さく幼く見え、痩せている。自然の中でたくましく生きている動物とも交流しているようだが、弱っている仔を見ると見兼ねて餌を上げたくてたまらないらしい。

 呂布が幼い仔を抱きかかえて懇願するように李岳をじっと見つめてくるのも一度や二度ではない。だが瞳を潤ませて見上げてくる彼女に抵抗する術を李岳は持ち得なかった。

(ま、なんとかなるよな。馬さえ無事に届ければ色々とまとまった手段が増えることだし)

 内心の企みを呂布に伝えるつもりは李岳にはなかった。汚い、暗い――そういった印象を呂布に抱かれたくなかった。清流のように純粋で、汚れていない呂布の瞳を哀しみや落胆で濁らせたくなかった。どうしてそこまで呂布に嫌われたくないのか、李岳は未だ深く考えずに日々を過ごしており、その度に無理して笑うようにしていた。

 食事も済み、のんびりと芝生に寝転がって風に身を任せていた。二人でこうした時間を過ごすことを李岳はとても気に入っていた。隣を見れば呂布はうとうとと舟を漕いでいる。李岳にばかり頼ってはいけないと野山を駆けまわって木の実を採ったり魚を獲ったりしているようだった。

 安心して全てを任せろ、と李岳は何度その言葉を喉の奥でつっかえさせただろう。そんな簡単に人の人生を請け負えることなど出来るはずもないし、したら不義理の愚か者だ。ましてや相手は歴史に燦然と輝く英雄なのである。思いつきで呟いた一言が歴史の流れを狂わせ呂布の人生を狂わせることにもなるのである。

(けど……史実じゃ十分に狂っているともいえる人生なんだ……それを変えて、いったいなにが悪いというのだろう……)

 正しい行いとは、自分がすべきこととは一体――鬱々とその場で回転するばかりで一向に前に進まない悩みを抱えたまま、岳はその場で何度も寝返りを打っては静かにもがいた。隣で寝ている少女がいつまでも穏やかな寝息で休んでいられることだけを願っているというのに、それの何と難しいことか、と。




後半ちょい増やし。

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