真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第二十四話 洛陽にて

 ――闇から光へと出た。

 

 曹操は思わず呟いていた。ささやきは人々の喧騒に飲み込まれ、誰にも聞こえなかったようだ。

 官僚がうろうろする狭く広い府から出ると、多くの人々がひしめき合う広く狭い洛陽の大通りに出る。手勢も少なく徒歩である。付き従う配下が遅れまいと追随する。明暗の変化に慣れてないことをおくびにも出さず、曹操は先頭を歩いた。

 ほとんどの者は気にもとめなかったが、時折はっと顔色を変えて道を譲るものがいた。北部尉を務めていた時、この周辺の取り締まりは曹操直々に行なっていた。容赦も情状酌量も与えず、法を法として厳守することを求め、身分を問わずに罰を与えた。今でもその頃を覚えているものは畏怖を以って曹操に相対する。

「よかったですね、華琳様!」

 右に並んでいる夏侯惇が大きな口を開けて哄笑した。

 姓は夏侯、名は惇。字は元譲。

 黒く美しい絹のような髪を腰まで伸ばした快活な女性であるが、腰に指した刀剣『七星餓狼』を扱わせれば並ぶもののいない武人である。猪突猛進のきらいが見えるが、最も信任する武将の筆頭であると断ずるにいささかの躊躇もない。

「事はそう単純でもなさそうだ、姉者」

 答えたのは姓は同じく夏侯、名は淵。字は妙才。

 夏侯惇の双子の妹であり、青味がかった短髪に隠れた瞳の奥には思慮と智謀を湛えている。姉と同じく武芸に優れ、特に『餓狼爪』と名付けた弓矢を扱わせれば余人の追随を許さない技倆を魅せつける。思慮深く、武一辺倒である姉・夏侯惇の補佐役としてこれ以上の適任は思いつかない。

 二人に兵を任せて打ち破れなかった敵は今まで一度たりともなかった。曹操にとって最も信頼篤き股肱の臣と呼べる姉妹であった。

「なにを言っている、もっと喜べ秋蘭! 華琳様が御出世されたのだぞ! これを喜ばないでどうするというのだ!」

 嬉しそうに飛び跳ねる夏侯惇を無視して曹操は進んだ。

 

 ――曹孟徳殿、貴殿を『西園軍』が八校尉の一人、典軍校尉に任ずる。

 

 今上皇帝自ら『無上将軍』と名乗りを上げて直卒の軍勢を組織、その名も『西園軍』と号した。

 歴代の漢皇帝が喉から手が出るほど欲した勅撰武力である。大将軍何進の勧めに従って八人の将軍がその補佐に選ばれたが、いずれも黄巾賊討伐において名を上げた新進気鋭の武将であった。実働部隊を率いる隊長の一人として先程曹操自身も宮中で拝命を受けた。位は典軍校尉。第四位である。他には虎賁中郎将の位を与っている名門袁家の嫡子、袁紹が中軍校尉、下軍校尉に鮑鴻(ホウコウ)、助軍左校尉に趙融(チョウユウ)、同右校尉に馮芳(フウホウ)、左校尉に夏牟(カボウ)、右校尉には淳于瓊(ジュンウケイ)、そしてそれらを束ねるは宮中における権力を欲しいままにしている宦官、その頂点の一角である中常侍の位の中でもさらに皇帝の信任厚き男。上軍校尉、蹇碩(ケンセキ)――

 傍から見れば夏侯惇の喜びようの方が正しく、出世を喜ばない曹操の方が異端であろうが、夏侯淵の言うように事態を額面通り受け取ることはできない。

「これで喜んでいるようでは、ダメね」

「え、う! そ、そうなのですか華琳様?」

「少し自分で考えてごらんなさい、春蘭。秋蘭に聞いてはだめよ」

 艶やかで腰まで届く黒い髪が、うんうんと呻く度に左右に揺れた。兵を指揮させ戦場に投じれば、どのような敵でさえ粉砕する猛将に腹芸は期待できない。だがそのままの力量で甘んじてもらおうという気が曹操には一切なかった、試練を与え、育てなければならない。覇道の成就には麾下武将の成長が不可欠だからである。答えは宿舎にたどり着くまでおあずけにしておこうと曹操は思った。

 蹇碩――曹操は内心でその名を呟いた。軍を率いて前線に立つことは未だかつてないが、諸国放浪して修めた剣の技は達人として名高く、見事な体躯と精悍な顔付きには軍を統率する十分な迫力がある。過酷な訓練を課されるであろう『西園軍』の大将としてはこれ以上ない人物だと噂されていた。無上将軍を頂点に戴き、八人の将軍を合わせて『西園八校尉』と呼び天下に号する、皇帝の意欲並々ならぬということが嫌という程伝わってくる。

(嫌な男を持ってきたものね)

 蹇碩と曹操には因縁があった。過去、法を犯したとして曹操は蹇碩の親類の一人を処断している。その際、蹇碩からは問責も糾弾も一切なかったのだが、それゆえに貸しが一つあるような振る舞いを求められる可能性もある。全てを無視して突き進むには彼我の力量差がまだまだ大きい。堂々と相対してくるならばこちらの正当性を押せば済むというのに、沈黙を決め込まれると立ち位置が途端に際どくなる――だが、それで頭を抑えつけられると思っているのであれば、朝廷の見積もりは生ぬるいとしか言いようがない。

(皇帝を頂点に大将軍何進を控えさせ、西園軍の筆頭に宦官の蹇碩、指揮下に反宦官主義を明確に押し出している清流派の袁紹や私を組み込んだ……挙国一致の色を出したかったのでしょうけど)

 甘い、と曹操は断じた。皇室保守のため武力を備えようという天子の思惑は悪くない。だが筋も詰めも悪い。

 皇帝は自ら直卒する軍勢の力量が備わらない内から最強戦力として整えようとしている。それは外戚や地方豪族の力に根付かない純粋な武力を持つという目論見の点では慧眼ともいえたが、性急過ぎた。宦官をはっきりと拒んでいる大将軍何進の勧めで設立した皇帝軍であるというのに、最上位に蹇碩を位置づけたのだ。皇后の兄であり宮中でその権力を謳歌している何進は、軍事的頂点であったはずの大将軍という自らの地位に疵がついたと思い面白くないだろう。

(戯れにおもちゃを欲しがったと据え置ける度量が何進にあるのなら成り立ったでしょうけど)

 だが期待はできないだろう。洛陽の中心街を進みながら曹操は考えた。

 さらに人員の選出もお粗末だ。皇甫嵩(コウホスウ)朱儁(シュシュン)盧植(ロショク)、董卓といった黄巾の乱において最も功の篤い者たちを避けての登用である。軍閥の強大化を抑えつけようという目論見があるのだろうが、新興勢力の将軍たちなど蹇碩に手綱を握らせておけば済むと侮っている。乱世が収束していくのならそれでも構わなかったろうが、皇帝自らが外戚と宦官との権力闘争を煽っているのだ。『西園軍』がまともに機能するかどうかは疑わしい。

(ま、その中の一人に選ばれているのだから私もひとのこと言えた義理じゃないわね。まだまだ力が足りないか……この中華の頂点である皇帝でさえこの苦境。やはり借り物の力ではいけないというわけね。受け継いだ血だけに依拠した力など所詮、虚の力。私は実の力を身につけなくてはいけない……)

 自らがまだ飼い慣らすことの出来る弱小勢力の一将軍にしか見られていない、ということを曹操は身にしみて感じた。まだまだ警戒には値しない手駒として見られている。

 曹操の祖父は曹騰という名の宦官で、大長秋という宦官における最高位に着いていた。その養子となった曹嵩は一億銭という大金でもって三公の一つ、大尉の地位を奪取している。現在の曹家の地位はそのように、成した財によって宮中の汚泥の中を泳ぎ切った結果ではあるが――『覇道』を掲げる曹操、その財に依拠して宮中での栄達を望んでいるわけではない。実家からの援助も最小限に留め、実力でもってのし上がろうと、この乱れる乱世に覇を唱えるのだと心に決めていた。

(許劭は私を治世の能臣、乱世の姦雄と評した。ならば更に乱れゆくこの時流に乗り遅れてはならない……遠からず先、外戚と宦官が食い合うことになるはず。その時こそ、この曹孟徳の飛躍の時なのだから)

 不意に夏侯惇が前に出て曹操の道を遮った。何を、と声をだそうとした瞬間に夏侯淵も自らの姉の隣に並んで道を遮る。二人が油断ならぬと見据える先を曹操も見やった。前方にはこちらに向かって迫ってくるものものしい一団がいた。

 曹操が夏侯姉妹を従えるが如く、二人の武人が自らの主人を守ろうと立ちふさがっていた。その両方共を曹操は見知っていた。

 

 ――『長城の剣』と『長城の盾』

 

 昨今、揃いの異名で名を馳せた二名である。『剣』と呼ばれた張遼はその両の瞳に覇気を漲らせ、自らが鍛え上げた武を隠そうともせずに溢れ出すままにしていた。それに対して『盾』の赫昭は稀代の守将として名を馳せるは流石と思わせる沈着さで佇んでいる――古今東西名将は多かれど、両者とも曹操は自らの幕に迎えたいと掛け値なしで思う逸材であった。そして二人の背後には規律正しいが荒々しい気配を漲らせた兵士たちが付き従っている。

 ここ数カ月、洛陽の治安維持を一手に担い悪党を震え上がらせている実力集団――并州兵である。

(春蘭と秋蘭が警戒を怠れないほどの武将……そしてあの兵団。それらを従えているのが……)

 まるで睨み合うように対峙した曹操麾下の兗州(エンシュウ)兵と并州勢力だったが……張遼と赫昭、体躯も覇気も見事な二人の間から一人の男が姿を現した。

「これは、曹孟徳様」

 曹操が垂涎の思いで欲する程の二人の将――その間から姿を現したのは、肩透かしかと思うほどに見劣りする男であった。小柄であり載せた冠はどこか似合わず、纏う袍には見事な刺繍が施されているがどこか着せられている風情であり、慇懃無礼な程に丁寧な礼を曹操に向けている。曹操は眉をしかめて礼を返した。

(李岳……)

 姓を李、名を岳、字は信達という小柄な男で、以前、戦勝祝いの宴席で会った時と同じようにあやふやな笑顔を浮かべていた。

 

 ――この物騒な一団が洛陽に来訪したのは半年を遡る。

 

 北方騎馬民族の匈奴が二十万の大軍を挙げて漢の天下を侵さんと牙を向いた。その襲来を看破し未然に防いだのが当時并州刺史であった丁原である。対匈奴防衛における牙城・雁門関を巧みに使い、三万に満たない軍勢で敵を撃破し総大将である右賢王於夫羅の首を上げた。並々ならぬ功績であるとしてその多大な労にどのようにして報いるか、諸侯も民も身分を問わず皆の耳目を集めたが、丁原には防衛戦の際に刺史としての兵力を手放し執金吾に就くようにという勅命に逆らった咎があるとして、洛陽に来るや否や獄に落とされてしまった。

 結果、戦の誉れは李岳が独占するという形になり、世の賞賛を一身に浴びることとなった。

 どう考えても不自然な処遇であり、誰もが不審に思ったが、その絵を描いたのが李岳という男ではないかというのが専らの噂となっている。飛将軍李広の子孫であると名乗り、対匈奴防衛戦でも於夫羅を討ち取ったという堂々たる戦果を上げる。だがその戦果に比して功が少ないと不満を持ち、主であった丁原を官僚に売り飛ばしその後席を埋めてしまった――というのが多くの者たちの見解であった。

 その後、荒くれの涼州兵をまとめ上げる豪族の雄・董卓に擦り寄って宮中にも出入りするようになったと聞いている。

 涼州と并州、異民族相手に激戦を重ねる精強な騎馬兵の産地として一二を争う二州がこの洛陽にて合力した。胡服姿の兵士がこんなにも溢れるとは、洛陽の民たちは夢にも思っていなかっただろう。だが市井における風評は悪いものとは言えなかった。飛将軍李広の子孫という名だけでも十二分と言える程の名声、さらには敵の大将首を直々に挙げるという勲はとうに歌となり物語となり中華全土に知れ渡った。

 降って湧いたようなこの男、執金吾の管轄下にあるとされる『中塁校尉』の役職がついているが、元々形骸化していた尉官であり、実質的に執金吾の職務範囲のほとんど全てを統括するための便宜上の名目でしかない。実際、獄中の丁原の代理として洛陽の治安を司り、犯罪や野盗の出没を実力でもって封じ込んでいた。間違いなく、現在洛陽に駐屯する中では最強の実力集団の一つに数えられる并州兵。それを指揮しているのが、目の前で愛想笑いを浮かべている男なのである。決して油断することなど許されない。

「ご丁寧な挨拶ね、李信達」

「曹孟徳様にご挨拶申し上げるのです、過ぎるということはないと思いますが」

 男は困った、という風に苦笑して愛嬌のあるえくぼを見せた。嫌な笑顔だ、と曹操は思った。

 昼行灯のようにヘラヘラと笑っているが、その上辺に騙されて侮った役人、富豪、商人を軒並み摘発し斬刑に処している。『冷血校尉』とあだ名されているのを本人は知っているのだろうか、と曹操は訝しんだ。

 どのような賄賂を積まれても不正を見咎めるや否や断固として処分を科す、その苛烈さは騎都尉であった頃の曹操さえ凌ぐのではないかと思うほどだった。死地をくぐり抜けたであろう并州兵の精強さも目を見張る程で、洛陽近くに出没した賊の群れを騎馬隊を中心とした即応部隊によって、ただの一撃で蹴散らしてしまったという。巷ではこの男の話題で持ちきりであった。

 

 ――李岳という男の素顔が見たい、不意にとてつもない欲求として曹操の内に噴出した。この男の本性とは、一体。

 

(単なる謀略家か、実力を伴った野心家か……虚の力、実の力……)

 出世と金のために媚びへつらう男。そんな不埒な噂は出まわってはいるものの、執金吾の職責を一時であれ全うしていることは間違いない。

 多くの人々の賞賛を一身に浴びているが、それに実は伴っているのか、歓心を買うことに腐心しながら邪な野心を育んでいるだけではないのか……未だ李岳の評価定まらず、曹操は油断成らぬ気持ちで相対した。笑顔も、雰囲気も、功績も、経歴や血筋とて信用には値しない。ここは魔都洛陽也。陰惨な謀略が挨拶がわりに繰り広げられる地獄に最も近き天子のお膝元。迂闊に人を信用しては生き延びることさえ出来なくなる場所。

「ところで、宮中からお出でになられたようにお見受けしますが」

「ええ、今でてきたところよ」

「なるほど、御昇進されましたか」

 全てを見透かしたような言動に曹操は思わず眉をしかめた。

 そう、この男は自らを上段より見下しているのではないかと思わせる不快さを覚えさせる。この曹孟徳を全て見透かしているような、行き先を知っているかのような、あるいは手の平で弄んでいるかのよな。

「なんだ、なぜそのことを既に知っているのだ。誰から聞いた」

 夏侯惇が呆れるほどの直截さで李岳に質問を飛ばしたが、その呆気なさに曹操は内心舌を巻いた。何も考えずに放つ一言というのは、時にどんなに練りこまれた言葉をも凌駕する。

 たったいま内示を受けたばかりの役職をどうして知り得ているのか、耳が早いというにも限界がある。特殊な伝手を既に築いてしまったのかと疑わせるには十分である。

 夏侯惇の真っ直ぐすぎる言葉に、李岳はやはり困ったように首をかしげた。

「まぁ、昇進にまつわる話というものはよく回るものでございますから。天子様直々に選抜される西園軍の陣容ともあらば皆躍起になって探るというものです」

 西園軍のことまで耳に入っている、伊達に宴会ばかり開いているわけではないということなのだろう。

「それにしても耳ざといのね。人付き合いをしっかりとこなしているように見受けるわ」

「いえそのような」

「盛大に遊んでいるようじゃないの」

 李岳の悪評が収束することもなく出回り続けた原因が、常日頃のこの男の振る舞いであった。国土防衛の功あり、執金吾代理としての職務にも忠実。李広の子孫ということで注目を集める血筋でもある。屋敷に訪いを入れる者は後を断たなかった。皆、話題の渦中にあるこの男の素性、為人を試そうと思っていたのだ。善人か否か、驕慢なるや否や。

 だがそこでこの男は皆が期待した清廉さの欠片すら見せることはなく、人が来る度に酒盛りを開いては盛大に遊び、人に媚び、気に入られようと部下に武芸を披露させ、誰も彼もを褒め称え、賄賂紛いの金銭でさえも断らずに全て懐に収めているという。私欲のために上官を売ったという風評を補強するかのような振る舞いであった。

 露骨な厭味にも反論せず、今もこうしてへらへら笑いながら悪びれもせずに頭をかいている。

「田舎生まれのおのぼりですから。皆々様のご指導を賜らなくてはにっちもさっちも行かないのです。そして困ったことに、洛陽の酒は美味い。誘われれば断れないのがつらいところです」

 ねえ? と後ろに控える并州兵に話を振ると、全員が豪快に笑い始めた。并州最大の都市である晋陽も中々の規模ではあるが、この洛陽に比べればただの地方都市の一つに成り下がる。中華の中心で咲き誇る栄華に酔いしれたとしてもおかしいものはないだろうが――張遼も肩の羽織りを翻して笑っており、赫昭だけが憮然と表情を崩さない。

「なるほど。この曹孟徳さえも宴会の席では単なる酒の肴として味わった、というわけね」

「そうおっしゃられますと立つ瀬がありませんが」

「他にどのような噂話をしているのかしら?」

「さて、お耳に入れる程のものは……とはいえ洛陽の噂というのも存外馬鹿にできないものですね。事実、陳留刺史様の栄達を当てた」

 陳留刺史。

 その呼ばれ方を曹操は黙認していたが、目の前の男から言われるとあまり心地のよいものではなかった。

 (エン)州陳留郡の太守、それが曹操の正式な役職である。地をよく治め順当に武力を付け、汚職を許さず税を調え、野盗の出没を許さず農工を改めた。その影響力は一郡に留まらず州全域にまで及ぶ。(エン)州刺史・劉岱(リュウタイ)さえも凌ぐものとして、世の人はみな陳留軍太守ではなく『陳留刺史』という呼び名で曹操の功績を讃えた。

 李岳は媚びへつらうような声と笑顔……そして相変わらずどこか自分を見透かしたような視線が、とうとう曹操の我慢の限界を超えた。

「……行くわよ春蘭、秋蘭」

 曹操は道を譲る并州兵と交錯し、真っ直ぐに朱雀門へ向かった。そして夏侯姉妹の問いにも応えず馬上に身を翻し、単騎で疾駆し始めた。慌てたように追走してくる配下の者たちを振り返ることなく、曹操は胸のつかえを解き放たんと駆けに駆けた

 有能だった。一廉の人物とも言える。一軍を任せれば容易く操り敵を撃破するだろう。一州を任せたとしても上手く経営するに違いない。

 臣下に欲しい、と曹操は思った。だが同時にこの男は始末しなければならない、とも思った。覇王へ至る道程にて、決して避けては通れぬ障壁がこの男なのではないかと。

 いずれ激突する。それは確信だった。天へと至る道は狭く、一人が歩くに精一杯の狭さなのだから。

 李岳。その名前は曹操の口内を苦い味で汚した。服従か死か、いずれわかるだろう。敵に回るのであれば確実に殺さなくてはならない――予感めいた覚悟が曹操の中に根を下ろしていた。


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