真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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幕間 ゆきゆきて、雪の蓮

 陸戦部隊が八万、水軍が五万。それだけの数を即戦力として濡須口に並べた。

 舳先(へさき)を揃えた数百隻の楼船、さらに数千隻の蒙衝が所狭しとひしめき合っている様を孫権はゆっくりと見て回った。演習だが緊張感は高く緩みはどこにもない。今すぐ戦うことになったとしても躊躇いなく全力を発揮できるだろう。孫権が戯れにでも号令をかければ、ただちに北上して合肥を急襲する決死の軍団である。

 戦う機会があれば、だが。

「蓮華様!」

 周泰が傘を持って走ってくる。朝は小雨だったが先ほどから雨足が強まり始めている。孫権は差し出された傘を拒んだ。まるで文人のような印象を兵に与えたくなかった。孫家は武門である。だから自分に気づいた兵たちも嬉しそうに声をあげ、信頼の目を寄せてくれるのだと思いたかった。雨ごときで身を隠したくはない。

「いいの。ありがとう明命」

 小さな嘘。こんな愚かで他愛もないものでも無数に積み上げれば虚飾の楼閣くらいは築き上げることが出来る。孫権は全身を濡らしながら自嘲し、喝采に応えて屋根付きの楼船へと入った。

 そのまま半刻ほどの時間をかけてゆっくりと閲兵すると、夕暮れを前に建業まで下った。今夜は重要な予定がおる、遅れるわけにはいかない。

 戻ると、案の定陸遜が青い顔をして待ち受けていた。

「待たせたかしら?」

「いえ、はい……ですが、その」

「雷火がお怒りなわけね」

「は、はい……」

 内政を担当している張昭はいい加減な魯粛の分まで殊更厳しく当たろうとしている節があり、その対象は主君である孫権も含まれているらしい。

 孫権は肩をすくめて自室に戻ると着替えに取り掛かった。

 三十五歳になった。

 先に逝った姉の歳はとうに追い越し、母の(よわい)に近づいている。遠くなるのは夢ばかりだ。

 二十年前には大混乱に陥っていたこの国も、今はこの揚州を除いてほとんど安定してしまった。河北の黄巾賊も、涼州の馬騰も、益州も、そして一時期は大漢帝国の喉元に刃を突きつけた曹操までもおしなべて帰順した。そうしなかった者は全員死んだ、一人の男の手によって。

 そして最後に残ったのがこの孫呉だった。山越族を屈服させ、最後まで漢に付き従うことを拒む全土の残兵を糾合して兵力は十五万を突破した。

 最後の抵抗戦力と称賛するものもいるが、事実は張り子の虎だ。誰も戦など望んでいない。乱世は終わった。それを認められない時代遅れの亡者たちが、貪るための屍肉を求めて日々長江を渡ってきている。ひどい腐臭である。夢や野心も腐ることがあるのだ。

 張昭が怒鳴り込んでくる前に孫権は議場へと向かった。

 まるで王族のような豪奢な服をまとい、孫権は雅楽に導かれるように入場した。まるでではなく王を迎える全てがここには揃っていた。主に魯粛が中心となってこの儀礼をまとめ上げたのだ。長江以南は別の国であるということを、まず儀礼から作りあげようという思惑なのだろう。

 孫権の着席とともに他の臣下も座った。呼び出しが大声を上げる。かねてから打診のあった、洛陽からの使者が来ているのだ。使者の到着はかなりの外交的努力を相互に用したと思う。孫権自身、待ち焦がれてさえいた。

「使者殿のご入場」

 声とともに扉が開き、顔を伏せたまま使者がゆっくりと歩いていた。孫権は弾けるように席を蹴ると、たちどころに声を上げた。

「司馬懿殿……」

 長身を器用に折り曲げ、司馬懿は一礼してから言い放った。

「お久しぶりです孫権殿。まずはお伝えすべきことより……妹君である孫尚香殿は洛陽でお元気に過ごしてらっしゃいますのでご心配なく」

 ほんの一呼吸の間を置いて、議場は怒号で埋め尽くされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨秋、合肥と濡須口の間で戦が起きた。どちらが攻め込んだわけでもなくきっかけは偶発的なものだったが、緊張はただちに限界を超えて両軍の本格的な戦闘となった。

 合肥と濡須口はそれぞれ漢と呉の最前線基地である。普段から軍備の整った最精鋭が常駐しており、戦闘はただちに激化した。官軍は張遼を筆頭に徐庶、馬超、馬岱、楽進、于禁と名将揃い。さらに許からは後詰めとして曹操が手勢を率いて援軍に向かうという情勢である。時間の猶予はない中、孫権はただちに全軍に出撃を発令して自らも船馬を乗り継ぎ最前線へ向かった。

 激戦、それを誰もが予見した。魯粛は徐州は下邳までの北上戦略を提示し、陸遜は荊州の伐り取りまでを視野に入れて夏口の攻略を提案する。それほどに対騎馬隊戦術には十分な自信があった。

 それが一蹴された。まさに蹴散らされたとしか言いようのないほど、孫呉軍はあっさりと翻弄、八つ裂きにされた。曹操の援護を待つまでもなく、張遼は孫権の首しか狙ってはいなかった。

 孫権が死ななかったのは、道中愛馬がぬかるみに足を取られて転倒したことが理由だった。それは同時に、孫権の名代として全軍を指揮していた妹の孫尚香が捕虜になった理由でもあった。

 

 司馬懿は実に美味そうに茶を飲んだ。江南の茶は混ぜ物を加えて煮出す河北のものより断然に香りがいい。理屈はよくわからないが、温かい南国の高い山に植わった茶が最上なのだ。孫権の元には常に最高級のものが届く。

「まったく、大騒ぎにしてくれたこと」

 議場での騒動を収めた後、しばらく司馬懿への糾弾のようなものが続いた。無知と無謀をなじり、孫尚香を人質に取り続けている卑劣さを非難する。しかし司馬懿には何一つこたえなかったようで、最後の一人が黙り込むまで冷静に一つずつ論駁していった。再度孫権が幕僚の非礼を詫び、それを司馬懿が受けて場は収まった。孫権は手の者を司馬懿によこし、夜中に自室に呼んだのである。

 孫権に向けて司馬懿が小さく会釈する。

「良いものを拝見できました」

 司馬懿が褒めたのは孫権の一声で幕僚の怒号が収まったことだろう、と察した。それを見たいがために孫尚香の無事を皮肉混じりに口走ったとすれば、とんだ命知らずもあったものだと思う。

「……危うく死ぬかもしれなかった。そうは思わなかったのかしら?」

「まぁ、それも良しかと」

 司馬懿の冷たい瞳。

 帝を除けば漢の頂点に立つ者がわざわざ自らやってきた。身内の贔屓目を除けば、孫尚香との人質交換の材料にするには明らかに分が悪い。

 あるいは死ぬ気だったのか――束の間そう考えもしたが、この状況で司馬懿を切れば洛陽に攻撃の口実を与えることになる。孫権を支持する者は誰もいないだろう、身内からの離反者さえ招きかねない。そこまで見越して司馬懿はやってきている。

 しかし賭けではある。そして自分の命を秤にかけて交渉するその仕草に、孫権は一人の男の面影を彷彿とさせた。

 孫権も茶を口にしながら、司馬懿の再三の挑発に応えるように返した。

「まるであの男のようなことをされる」

 初めて司馬懿の顔に感情が表れた。はにかむような、恥辱にこらえるような、繊細な感情の機微が浮かんでは消えていった。二十年近く前に耳にした、李岳の手柄を奪い彼を殺したという噂は本当なのだろうかと思うが、そこまで踏み込んだことを口に出す気にはならなかった。

 司馬懿は孫権に言い返すことはなく、淡々と告げた。

「……仕事をしましょう」

「仕事、か」

「ええ。孫権殿とて、私などと昔話を続けたいわけではないでしょう」

「いかにも」

 司馬懿の目的はそもそも捕虜返還交渉のためである。事前の折衝では単なる使者が来るという話だったが――洛陽の最上位がわざわざ自ら来たということは通常の条件でないことが予見できた。

「新年の祝賀に、洛陽までお越しください」

 意外な言葉だった。濡須口をあけ渡せ、くらいのことは言ってくるなと思っていた。

「洛陽に? なぜ?」

「帝とお会い頂きたい。それが目的です。お戻りの際には孫尚香殿も共にお連れ頂ける」

「それだけ? 他には?」

「特に、何も」

 孫権は一考したあとに小さく頷いた。

「……検討しよう。今宵は休まれよ。食事は居室まで運ばせる」

 司馬懿はさしたる感謝を述べることなく一礼して去っていった。

 司馬懿が退室していくつか数えた頃、頃合いを見計らっていたように背後のついたてから呂蒙と陸遜、魯粛が飛び出してきた。

「絶対にダメです!」

 呂蒙がずれた眼鏡を直しもせずに叫ぶ。

「これは罠です! 蓮華様を捕えてしまおうという罠に相違ありません!」

「さて、どうかしら」

 孫権の言葉に同調するように魯粛が小さく反論する。

「殺されることはなさそうに思える……ここで司馬懿を無事に返せば、であるが」

「そ! そんなこと、わからないじゃないですか!」

 大声で反論しようとした呂蒙に先んじて孫権が言う。

「洛陽も民心の動向には気を揉んでいるはず。妹を迎えにいった姉を罠にはめて殺したとなれば、これはまたぞろ叛乱の種を蒔くことになる。揚州平定のために全土に戦火を拡げるとなってはそれこそ本末転倒でしょう」

「で、ですが!」

「穏はどう思う?」

 陸遜はまごつきながら、目配せで魯粛に同調していることを示した。

 呂蒙が食い下がる。

「せめて、兵は連れて行くべきです!」

「うむ……確かに、単身というわけにもいきますまい。同行兵力の数や経路、安全確保の手段その他もろもろの段取り含めて、ここからはまずは事務級での交渉ですな」

 今は秋。冬までじっくり交渉する時間はある。洛陽もそれを見越しているのだろう。

 司馬懿は羅憲という若者を随伴していた。ここまで連れて来ているということは、おそらく彼が洛陽側の交渉担当になることだろう。

「誰が適任かしら」

「うちの宿六などいかがでしょうか」

「伊籍か」

 元は荊州劉表の臣下だったが魯粛の引き抜きで揚州へやって来た男で、魯粛の夫でもある。誠実だが線の細いいかにも文官という感じで、あまり他人に警戒感を抱かせることもない。それにしっかりと紐もついている。

 ふと遠い昔のことを思い出した。袁術に抗い、揚州を伐り取ろうとした頃のこと。あのときはまだ周瑜がいて、そして魯粛が夢を語った。天下二分の計。夢は鮮やかな色彩で咲きほころび、寿春から成都まで長江の雄大な流れを埋め尽くすように花開いていた。

 

 ――いい夢だった。醒めた時には、少しさみしくなるほどには。

 

 魯粛のまなじりには既に深いしわがあり、もうしばらくそういった大言壮語を口にすることはなくなっていた。そして周瑜は病で死んだ。揚州の目の前には常にただただ大きな現実があり続けるだけだった。

 現実に戻るように頭を振って、孫権は答えを出した。 

「いいだろう。その人選で進めよう」

 軍師三人が同時に拱手し、同時に嘆息した。

「ですがぁ……ここからが大変ですねぇ……」

 陸遜の言葉に魯粛が大きな仕草で同意を示す。

「うむ、大仕事が残っている」

「颯、大仕事とは?」

「洛陽まで攻め込んでシャオ様を奪還しようと息巻いている皆々様方の説得ですよ……ご老人方は特に骨が折れそうだ。やれやれ」

 激昂する黄蓋たちの顔がありありと浮かんだ。

「……それまで伊籍殿に任せてはいけませんよ?」

 呂蒙の言葉に、わぁっておるわ! と魯粛は手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の蓮が咲いていた。

 近寄り膝をついて手に取ってみた。雪を被った布の花。布は糊か何かで固めてあるものだった。雪がこぼれると美しい赤がのぞく。その隣は桃。水色。この無数の白い蓮は本来は色とりどりの花だったのだとわかる。昨夜に降り積もった雪が全てを白く染めてしまったのだ。

「他意はなく、あなたの歓迎のために用意したものだったのよ?」

 曹操。目の前で肩をすくめている。あの黄金色の髪は少し色合いを薄めていても未だ輝かしいが、二つまとめにするのさすがに年に似合わないのか、ひとまとめにして背中に流している。

「華琳」

 しばらく声が出なかった。孫権の真名である蓮華に合わせて花を用意したが、はからずも雪をかぶり姉である孫策の真名になった。蓮は夏に咲く花。冬に咲く蓮も雪の蓮もない。つまりそれはありえない幻、遠く目指すべき夢の意味になる。孫策にぴったりの真名だったな、と今にして孫権は思った。彼女の野心の最終地点とも言えたこの洛陽で、最愛の姉に出迎えられた気がする。

「さあ行きましょうか」

 曹操が出迎えたのは未だ洛陽の城外。孫権は曹操に導かれて城内に踏み込んだ。地に空に咲く蓮の花と舞い散る雪。洛陽の民が静かに孫権の上洛を歓迎している。

「盛大な歓迎ね……」

「最初は城外だけにしておこうと思ったのだけれど、民たちが勝手に作り始めたのよ」

 幾房かを拾い集め、供回りの周泰に預けた。建業に持ち帰りたいと思ったからだった。

 洛陽城内を真っ直ぐ北上し、やがて宮殿の前に辿り着いた。巨大な内門の前で司馬懿が待っていた。

「陛下がお待ちでございます」

 雅楽が鳴り門が開く。建業で奏でさせているものとは比べようもない見事な調べだった。

 導かれるまま進んだ。剣を預けて靴を脱ぐ。百人を超える宦官が左右で拱手する。その中を、孫権は敗北感を誤魔化すように胸を張って進んだ。

 やがて皇帝の控える間に導かれると、孫権は取り決め通り膝を突き叩頭した。

 

 

 

 

 

 

 

 表向きはあくまで新年の祝賀の行事に参加する、という約束を司馬懿は守った。叩頭した孫権はすぐに列席する各州の刺史の元へ導かれた。何の指摘も侮辱もなく、催事は滞りなく終わり帝の健康と天下泰平の永続を願う万歳で締めくくられた。

 その後は宴席であったはずだが、案の定孫権は裏道から後宮へと通された。案内された奥の間には帝がただ一人で待っていた。

 平伏しようとした孫権を押しとどめ、帝は言った。

「孫権、朕と大業を成せ」

 迷った末、孫権はやはり膝をついた。震える足を誤魔化すにはそれしか思い浮かばなかった。

「陛下、大業とは」

「この漢から不平不満をなくすことは出来ぬだろう。しかし戦をなくすことはできるはず。それは何よりの大業だと思う」

「ならば、この臣をお手討ちになるおつもりですか」

「孫権は敵ではない。司馬懿は朕にそう言った」

 敵ではない。敵になるほど大きな存在ではないという意味なのか、それとも身内として迎え入れることができるという意味なのか。

「臣にいかにせよと」

「戦をなくしたい。不平不満は許す」

 額に浮かんだ汗を拭い、孫権は答えた。

「それは、反乱分子を御せと仰せか」

 全国から集まる洛陽への不満をあえて揚州に糾合し、暴発させないように操りながら時を過ごして火が消えるのを待つ。大いなる密約、そして卑劣なる裏切りだった。

 帝は続ける。

「繰り返すが、敵をなくすことは出来ない。ならば暴発せぬよう抑えこむことが肝要ではないかと思う。孫揚州ならばそれが出来ると思う。孫揚州しか出来ぬとも思う」

「この孫権に演じろと陛下は仰せなのでしょうか」

「まだ戦い足りぬのか?」

「わかりません。ただ、挑戦したかったのです。勝敗を決したかった……賭けたのなら、その結果を知らずに下りることは出来ないのです」

「勝敗は決したように思うが。感想は?」

「清々しい、とは言えません。苦く口惜しい。そして、虚しい。ですが勝ったとてさほど変わらなかったでしょう」

「それでもまだ朕の座が欲しいのか?」

 孫権はその問いについてはただちに答えることが出来た。

「いいえ、一度も思ったことはありません」

「ならうまくやって欲しい。みな十分戦った。天が乱れたが故だ。誰にしも咎はある。ならば赦しもあっていい。偉大な仕事をやりきらなくてはならない。朕もそれを姉上に誓った。聞けば貴様も姉の遺業を懸命に継いでいると聞く。これは、二人の仕事だと思う」

 皇帝の、劉協の瞳には涙がこぼれていた。先帝である劉弁は五年前に病に倒れ、遺言に従いそれを継いだのが妹の劉協だった。劉弁は泰帝と諡号されている。生涯を通して暗愚でありたいと願った帝は、洛陽の民にこよなく愛されたまま逝った。

 孫権はやはり膝を突き、額を地につけて答えた。

「陛下の御心のままに」

 劉協の口から大きなため息が溢れでた。

 去り際、孫権は一つ質問を投げた。

「一つ伺っても」

「言え」

「李岳はいずこに」

 劉協は迷うことなく言い放った。

「そんな者はおらなんだ。そんな不忠者はな」

 孫権は再び頭を下げ、部屋を辞した。

 李岳。司馬懿との権力争いに負けて粛清されたという噂だったが信じられなかったがようやくわかった。去ったのだ。それも自らこの国を捨てて。

 それに気づいた時、孫権はようやく己の戦いが終わったことを知った。もっと言えば人は戦わなくても良いということを理解した。戦いをやめてもいい。去ってもいい。全てを捨てても構わない。しがみついて固執するのとそれは大差ない選択なのだ、と。

 帝の前を辞去すると司馬懿が待っていた。司馬懿は何も言わないまま孫権を城外の邸宅に案内した。孫権にはなぜか、この屋敷に李岳が住んでいたのだろうとわかった。

 司馬懿が黙って酒をつぎ、それを飲んだ。つぎ返すと司馬懿もそれを飲む。飽きるほど繰り返した。酔いはとうに回ったが、しかしいくら酔っても酔い足りなかった。

 懐に持っていた短刀と、くしゃくしゃにしわの入った蓮の花を取り出した。生きることを選んだ。道化を演じようともう殺し合いに参じることをやめると決めた。

 負けて死ねば愛される伝説になったろう。母の孫堅も、姉の孫策もそうして美しい物語になった。だが自分はそうはならなかった。あの時、周瑜の言葉に従って生存を優先して撤退した。あの判断は賢明だったと今でも思う。

 しかし愚かさこそが必要となる場面もある。姉は愚かさを選んで死に、周瑜は賢く立ち回れるはずが愚かな夢を諦めきれずにやはり死んだ。

 そして残された自分には長い現実が続く。劇的な勝利も敗北もない、苦しい日々の営みが。若い頃は認めることの出来なかった人生も今ならば認められるだろう。時が与えてくれるゆるやかな諦めだけが残る。

「あなたは、寂しくないの?」

 泥酔を自覚しながら孫権は聞いた。

 司馬懿はか細い声で答えた。

「寂しいに決まってる。そんなの、決まってる……」

 司馬懿もまた酔っていた。孫権は酒で濁った声で大きく笑った。夢に破れ、酒に酔った女がくだを巻くには失恋話に限る。

 でないときっと、泣いてしまうだろうから。

 孫権は酔い潰れた司馬懿を前に、手酌を続けた。

 

 

 

 

 

 

 




何度でも甦るさ!

というわけでskebでご依頼頂いた作品をこちらでも公開させて頂きます。
お題は「孫呉の凋落」「落日の孫権」でした。
こうして終わりゆく戦乱の時代もあるのではないかと。

ご依頼ありがとうございました。skebご依頼ページはプロフより……

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