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白い月についてすぐ、ショートカットの少女――リンという名前らしい――はお酒を注文した。彼女の「たくさん飲めるやつ!」というよくわからないオーダーにも、マスターは笑顔で頷く。
そんなリンは現在、カウンターに上半身を倒してぐでーっと力を抜いている。
顔は酔いで赤くなっていて、苦しそうなその吐息はどことなく色っぽい。もどかしそうに左右に揺する脚も健康的で、ローブから覗く肢体はほんのりと桜色に染まっている。正直、すごく扇情的だった。宿舎で突っかかってきたときは子供っぽいという印象のほうが強かったが、こうして見ると女なんだな。
そんなある意味場にそぐう感想を抱きつつ、リンがこうしている理由を求めるようにチョコに目をやる。だが、チョコはこちらを見ないでまた目をそらす。やはり話す気はなさそうだ。
俺はため息をついて、リンへと意識を向ける。俺を無理に連れてきたのも、何か話したかったからかもしれない。俺もセイヤに愚痴ったりしていたから、気持ちはすごく良くわかった。答えはなくていい。誰かに聞いてもらうだけで、意外と気持ちは楽になるものだ。
少しの間無言で酒を飲んでいると、リンがゆっくりと話し始めた。自分たちがここに来てからのことを。
気が付いたら記憶もなくグリムガルに来ていて、同時期に来た人たちでそれぞれパーティーを組んだこと。その同期のもう一つのパーティーが解散し、各々がクランに入ったこと。それを知って、自分たちはこのままでいいのかということ。
きっと何かのきっかけがあって、こうした不安が表に出てきてしまったんだろう。
「……むぅ、何も言わないの?」
こうなった原因は話さなかったが、リンは一通り愚痴り終わったのかむすっとした表情でこちらを睨む。俺の反応が薄かったのが気に入らないのかもしれない。
だが――
「何か言って欲しいのか?」
苦笑しつつもそう答える。
たぶん彼女は答えは求めていない。明確に何かを聞かれたわけでもないし、そもそも外野がとやかく言うことじゃないだろう。やはり、誰かに聞いて欲しかっただけみたいだ。
俺の返答を聞いたリンはきょとんとした表情を浮かべ、少し笑みを浮かべる。
「……美少女の株を上げるチャンスだったのにねぇ〜?」
いたずらっぽく笑うリンは、少し魅力的に見えた。
「美少女……? どこにいるんだ?」
だからなのか、なんとなくそんなことを言ってしまっていた。
「あっ、言ったなぁー!」
うん、こっちのほうがリンっぽいな。知り合ったばかりの俺が言うのも変だけど。
子供っぽくポカポカと殴ってくるリンの頭を、俺は落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。どことなく動物っぽく唸るリンは、それでだんだんと静かになっていった。
こうも馴れ馴れしく接してしまうことに自分でも驚いたが、自然とやってしまっていた。よろずちゃんの時といい、俺は撫で癖があるのかもしれない。
撫でているうちに、ふとリンの栗色の髪が目に付いた。少しパサついていて、義勇兵として生活していく過酷さを感じさせる。見たところ彼女やチョコはまだ15、6歳くらい。おしゃれだってしたいだろうし、こんな生活をしていかなきゃならないことに憤りだって覚えたことだろう。でも、彼女はこうして必死に生きている。
そしてそれはたぶん、マイだってそうなのだ。
心に
マイを待っていた日、彼女は俺に何かを聞いて欲しかったんだろう。あの時はかすかにお酒の匂いもしたし、今のリンみたいにお酒を飲んできたのかもしれない。それなのに、俺は知らないふりをした。……最低だな、俺って。
俺は現状、パーティーメンバーとの距離を縮めようとはしていなかった。
なぜだかわからない。近付くのが怖かったのかもしれないし、それを失うことも怖かったのかもしれない。だから俺は、基本的にプライベートは不干渉にしたのだ。俺たちはお互いの好きなものさえ知らない、近いけど遠い関係。
目をそらしていたことを突きつけられた気がして、正直しんどかった。でも、それでも、明日からはもう少しだけ距離を縮める努力をしてみるのも良いかもしれない。
なんとなく、そう思えた。
そんなことを考えていたら、いつの間にかリンはカウンターに突っ伏して眠ってしまった。酔いのせいか顔を真っ赤にしていて、うーうーと苦しそうに呻いている。……たぶん、飲みすぎて疲れてしまったんだろう。
ここまで半ば無理やり連れてこられた俺とチョコだけが残され、若干気まずい空気が流れる。
俺はあまり話すことは得意ではない。必要とされるならばまだしも、俺は別段自分から場を盛り上げようとはしないタイプだ。チョコも同様のようで、お互いがちびちびとグラスを傾けるだけの時間が続いた。
「――仲間が」
「……ん?」
チョコが、ぽつりと呟いた。
「……今日、仲間が――」
チョコは、ゆっくりと話し始めた。それは、リンがこんなに酔っ払っている理由。
なんでも今日、ダムローの旧市街で仲間が重傷を負ったらしい。ゴブリンたちに罠に嵌められて、神官の男が矢を受けたとか。なんとかオルタナまで戻ることができて神官は一命を取り留めたみたいだが、本当に危なかったようだ。
彼女たちのパーティーは今日まで順調にきていたようで、仲間が重傷を負ったことなどなかったみたいだ。だからこそ初めてのことに動揺し、こうして深酒をしてしまったのだとか。油断もあった、と彼女は反省しているみたいだ。
……やはり、ダムローが少しおかしい気がする。
彼女たちのパーティーは、油断したとはいえども俺たちよりも場数を踏んでいる。そんなパーティーを罠に嵌め、しかも神官を狙った部分にゴブリンの狡猾さを感じさせた。もし俺たちが遭遇したら、きっと誰かが命を落とすだろう。そう思わずにはいられなかった。
今後、チョコたちのパーティーは神官が回復するまで森でゴブリンを狩るらしい。安全マージンときちんと取って、誰も怪我を負わないように。まあ、それが最善だろう。神官のいないパーティーほど危険なものはない。
俺たちも明日はまず様子を見て、手に負えなさそうだったら撤退しよう。そうしなければ、チョコたちと同じような、いや、下手したらもっと酷いことになるかもしれない。
その後もチョコとダムロー周辺のことなどを少し話しつつ、だいぶ良い時間になってきたので宿舎に帰ることにした。
マスターに言って三人分の会計を済ませると、俺たちは外へ出る。
リンは未だに目を覚まさないので、仕方なく俺が背負って運ぶことに。さも当たり前のようにチョコにそう言われたが、リンが起きたらまた絡まされそうで気は進まない。まあチョコには文字通り荷が重そうだし、選択肢は一つしかなかった。うん、しょうがない。
背中に感じる柔らかい感触を密かに楽しみつつ、俺たちは宿舎へと帰った。
翌日。時刻は午前10時。
いつも通り俺たちは宿舎の前で集合していた。朝食は各々露天で買って食べ、装備もすでに整えている。
昨夜言った通り、俺はシュンとタケシとともに話した内容をマイへと伝える。
「――ていうことなんだけど、マイはどうかな?」
ダムローの危険性を鑑みて、一時的に探索を見合わせる。この提案にマイは肯定的だった。
「私も、そうしたほうがいいと思う。正直、何日かやってみて少し怖かったんだ……」
そう言ったマイは申し訳なさそうに笑う。そんな
シュンとタケシはまだ納得がいっていないようで、不満げな顔を崩していない。厳しく言うべきなのかもしれないが、そうしたところで雰囲気が悪くなるだけだ。それに、この二人も言い分もわかる。まだ何が起こったわけでもなく、あくまで予想での提案。実際に危険を感じてからでないとわかってもらえないのも無理はない。
「……あ、でも、今日1日様子を見てからっていうのには賛成……かな」
マイもそんな二人を見て、気まずそうにそう呟く。本心からではないのかもしれないが、ここは我慢してもらおう。この二人の言い分も聞かないとまずいしな。パーティー内がバラバラだと勝てるものも勝てなくなる。
「――よし、それじゃあ今日はダムロー旧市街で探索をしよう。万が一俺が危険だと判断した場合は、どうか素直に従って欲しい」
マイは頷き、シュンとタケシも渋々といった感じで同意してくれる。
俺はそれを見て、少しだけ不安を抱きつつも歩き始めた。目標はダムロー旧市街。いつも通りのゴブリン狩りだ。
ダムロー旧市街へと辿り着いた俺たちは、予想とは打って変わって順調にゴブリンを狩ることができていた。今日は今までとは違い、個別に行動しているゴブリンが多い。集団になっていたゴブリンが、ごっそりといなくなっていたのだ。ホブゴブリンさえほとんどいなかった。
いや、思えば今までのほうがおかしかったのかもしれないな。俺たちは基本的にダムローへの入り口付近のみでゴブリンと戦っている。そんな外縁の、それも義勇兵と戦う可能性の高いところに頭の良いゴブリンがいつまでも居座っているわけがない。
だからこそ、俺たちはこの外縁部からあまり中に進まないようにしていた。調子に乗って奥まで進むと、そいつらと鉢合わせするかもしれないからだ。
未だに油断だけはしていないが、出発前のピリピリとしたムードは少しだけ弛緩していた。
「ほら、言ったとおりでしょ? 別段危険な戦闘もなかったし、俺らならいけるって!」
シュンは誇らしげにそう言う。ここまでの稼ぎはゴブリン四体を楽して銀貨6枚と多様な石、骨、牙の数々。下手すると、10シルバー近くになるかもしれない。確かにこれは、誇らしくもなるな。
「い、未だに誰も怪我をしてないし、良いことだよね」
タケシは嬉しそうに言った。タケシが人を癒す機会がないというのは、それだけパーティーとしての安定が見えてきたってことだ。
確かにこのまま順調にいけば団章も近いだろう。俄然、やる気が出てきた。
現在俺たちは旧市街の廃屋内で休憩を取っていた。俺が背負ってきたリュックから水筒や軽食だったりを取り出し、周囲に小さく広げる。
周囲の建物より幾分もデカイこの廃屋にはゴブリンたちがいなかった。何度か周辺の警戒を行ったが、それでも特に問題もなかった。まだここで人間族が繁栄していたときは、パーティー会場にでも使われていたのかもしれない。それくらい、ここは大きかった。
入り口は二つあり、一つが市街の奥のほうへと続いていく方面、もう一つがオルタナ方面だ。警戒しておくべきなのは、奥へと続くほうの入り口だ。ここからゴブリンが入ってきた場合は、即逃走することになっている。オルタナ方面の出口は損傷が激しいが、最悪の時はそこを崩せば時間稼ぎにも使えるだろう。
もっとも、他にも出口になりえる隙間はたくさんあるため、あくまでも気休め程度かもしれない。
まあ万が一に備えて、合流ポイントはいくつか作っている。地図は作っていないが、このあたりの道はすでにだいぶ頭に入っている。最悪は各々で逃げてそのポイントのどこかで合流、といった形を取るべきだろう。
水筒に入った果物を絞った水を飲みつつ、この後のことを考える。
ここまで順調だったからこのまま先に進もう、と提案するシュンとタケシ。逆にすでにだいぶ稼げたから一旦戻るのもありじゃないか、というマイ。
正直な話、危険はあるがもう少し稼いでおきたかった。
幸いにも今は単独行動のゴブリンが多いし、チャンスといえるだろう。
……果たして、これも油断なのか?
「……俺も、シュンたちに賛成かな。先に進むのはまずいと思うけど、この周辺なら万が一のときは逃げ安そうだし」
俺の言葉に、シュンもタケシもうんうんと頷く。マイはまだ不安そうな顔をしているが、俺が賛成したことで諦めてくれたのか何も言わなかった。
「でもさあ〜、なんで今日はこんなに違うんだろう?」
まあシュンの言う通り、昨日までのダムローとはゴブリンの行動の質が違った。
「で、でも、僕たちが楽になるなら、それに越したことはないよね」
タケシは若干
タケシの言葉もわかるが、こうまで露骨にゴブリンの動きが変わると罠なのかとも勘ぐってしまう。調子に乗らせて油断したところを付く。そんな罠だったらだいぶ成功しているかもしれないな。
だが、ゴブリンたちは俺たちを罠にはめようとしているとは思えない。俺たちはまだ新米なんだし、物量で押されればひとたまりもないだろう。こうやって遠回りしてまで俺たちを罠に嵌める価値はない。
だが、万が一の可能性も考えて行動しておくべきだろう。
「あのさ――」
俺が再度みんなに情報を共有しておこうと口を開きかけた時、遠くから怒号のようなものが聞こえた。
「――るぞ! こっちだ!」
「ねえ! まだ来てるよ!」
「――逃げきれない……っ!」
どこかで聞いた事のある声を先頭に、切羽詰まった声が。
精鋭っぽいゴブリンはこのあたりにはいなかった。 それは俺たちを罠に嵌めるわけじゃなく、別の、もっと言えばゴブリンにとって
そして、ダムローの奥へと続く扉が、大きな音を立てて開かれた。そこから見知った顔を先頭に合計五人の人影が駆け込んでくる。
「――みんな、こっちだ! はやく!」
「セイヤ……?」
セイヤを筆頭とした、俺たちと同期のパーティー。
セイヤたちのパーティーのうち、怪我をしていない者はいなかった。全員がどこかしらに怪我を負っていて、戦士であろうショウヘイは右腕がぐっしゃりと潰れてしまっている。だが、彼は武器は持たずに左腕一本で誰かを背負っていた。あの金髪の魔術師はたぶん、派手な女のマイカだ。ぐったりとしていて、意識も朦朧としていそうだ。
激しい戦闘から逃げ出してきたような、焦った表情のセイヤたち。
「――え……イブキ……?」
そしてセイヤは、前方で休んでいた俺たちに気が付く。その顔は驚愕に包まれていて、本当にイレギュラーな遭遇だということがわかった。
セイヤのパーティーがやばいということはわかった。だから、俺はタケシに治療を任せようと声をかける。否、かけようとした。
だがその時、不意にセイヤの目があの時と同じ、取捨選択をするような非情な色に変わり、叫ぶ。
「みんな、このまま直進! 後ろを振り返るな!」
セイヤはそれだけ言うと、有無を言わさずみんなを急かす。自らが
セイヤのパーティーメンバーは何も言わず、ただ前を向いて俺たちの横を通り過ぎていく。セイヤと目があったが、彼は何も言わない。一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、次の瞬間には非常なリーダーの顔になっている。俺と目を合わせることは、なかった。
――きっと、逃げないとまずい。
そう思ったが、俺たちはその様子を唖然として見送るしかなかった。俺を含めて、人伝てでしか聞いたことのなかった死の予感。それをセイヤたちから色濃く感じて、俺たちはあてられてしまったのだ。
そしてそれは、致命的なミスになった。
「みんな先に行け!」
オルタナ方面の入り口。そこでセイヤは一人立ち止まる。……まさかっ!
「セイヤ、やめろ!」
セイヤのしようとしていることを感じて叫ぶ。
だが、俺の制止も空しく、セイヤはその入り口のドアに思い切り錫杖を叩きつけた。何度も、何度も。俺は止めさせるためにセイヤの元へ走ったが、損傷の激しかったそこは数度の衝撃でゆっくりと崩れ落ちていった。
瞬間、セイヤと目が合った。
”――家族が危険に陥ったら、なりふり構わず守るつもりだ。何も犠牲にしても、何度後悔することになっても、きっと……”
その目は、あの時の目と同じだった。きっとセイヤたちは、なにかから逃げている。俺たちよりも数段強い彼らが、逃走の一途をたどる。相当な相手だ。そして、俺たちの手に負える相手でもないだろう。
だが、俺がそう思ったのと同時に、無情にも目の前で入り口が崩れていく。
今日はいつもよりも順調だったかもしれない。それでも、油断だけはしないようにしてきた。オルタナに帰って結構な稼ぎだったと笑い合い、俺から少しみんなに歩み寄ってみようかとも思っていた。
そんな矢先に――
背後から、複数のゴブリンの怒号が聞こえてきた。
俺たちは、セイヤたちに敵をなすり付けられたのだ。