Glory of battery   作:グレイスターリング

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第四十六話 vs海堂学園(前編)

 

 いよいよ海堂学園との試合を前日と控えた夜。

 それぞれが明日の試合に対してどう考え、どう挑むのか。既にそれぞれの思惑が交錯していると言っても過言ではない。

 

「いよいよ明日か……」

 

 その1人、聖タチバナのエース・川瀬涼子もそうだった。

 時刻はもうすぐ23時を回るところ。いつもなら20時過ぎには意識はなくなっているのだが、今日は緊張のせいか中々寝付けなかった。

 

「そろそろ寝ないといけないのに……ってうわぁ?!」

 

 こんな夜遅くに突如として鳴り響く携帯の着信音。

 ビックリしながら恐る恐るスマホの画面をつけると、着信の相手は『八木沼 愛美』と書かれていた。

 

「愛美ちゃん?」

 

 こんな時間に彼女からの電話は初めてだった。

 何かあったのか、と少しだけ心配になりながらも涼子は電話に出た。

 

「もしもし?」

「あ、もしもし先輩。すみません、大事な試合前のしかもこんな夜遅くに……」

「ううん、いいよいいよ。私も緊張して今も全然寝れてなかったから。で、何かあったの?」

「いえ、私は特にこれといってなんですが……明日先輩達が試合なんで一言応援がしたくてつい……」

「あ、そっか。明日愛美ちゃんは平日だから通常通り授業があるもんね」

「はい。それで、先輩に元気付けられた身でこんな事を言うのも厚かましいですが……」

 

 一呼吸置き、こう続けた。

 

「ここまできたらあとはなるようになれですよ! 先輩谷繁なら海堂にだって必ず勝てます。いつも通りの負けず嫌いさを忘れずに最後まで投げ切って下さいね!」

 

 言葉を少し詰まりながらも、自分なりの熱い激励を涼子へと送る。

 さっきまで強張り気味だった顔が少し緩み、気持ちがスッと軽くなった気がする。

 

 負けず嫌いさ−–−–−。

 うん、そうだ。

 

「ありがと愛美ちゃん。明日勝って、来年甲子園の土を必ず踏んでみせるわ」

「その意気です! 私も来年……先輩達と一緒に頑張りますから!」

「ん? 一緒に……?」

「あ、いや、なんでもないですっ! じゃあ明日、頑張ってください!! では失礼します!!」

 

 最後少しだけ引っかかるフレーズがあった気がするが、向こうから通話を切られ、結局分からずじまいとなってしまった。

 

「……なるようになれ、だもんね」

 

 勝って甲子園に行き、優勝したい。

 あの日に大地と誓った約束の一歩がようやく叶いそうな位置にまで来ている。

 いろんな思惑がさっきまで自分の脳内を駆け巡っていたが、彼女からの激励で目が覚めた。

 

 私にできることはピッチングでチームに貢献すること。

 そして勝つか負けるかなんてやってみないと分からない。明日はこれまで自分が積み重ねてきたモノが良い方向で出しきれれば自然と勝利は近づいてくるのだから。

 

(−–−–−うん。とりあえず寝よう)

 

 心も落ち着き、眠りへとつく。

 次に目が覚める時は−–−–−運命の朝だ。

 

 

 

 

 

 

 神奈川県の秋季大会もいよいよ佳境を迎え、今日は準決勝が午前と午後に2試合行われる。

 1試合目のパワフル高校対久里山高校の試合はついさっき終わり、結果は9対1でパワフル高校が大差をつけて決勝へと先に進んだ。

 

「しかしすごい試合でしたね。投打ともに夏とはまた一段と強くなってましたよ」

 

 今日は夕方まで時間が取れ、木佐貫君と大会のチェックがてら観戦に来ていた。

 前評判は帝王有利との見方が多かった一昨日の準々決勝。それを結果で逆転させた聖タチバナの成長度は私自身も大いに驚いた。

 

「影山さんの今日の予想は?」

「うむ……正直予想は難しいな。強いて言うなら海堂がやや有利な気がするが、タチバナも全員野球で勢いは凄まじい。それでいて友沢君と一ノ瀬君の他に大島君が新たにクリーンナップの一角を担っているのが大きい。後は今日の両先発がとこまで粘れるかになってくるだろう」

「海堂は三交代制のローテを組んでますからね。予想では今日、"彼"が投げるらしいですよ」

「−–−–−眉村君か」

 

 観客席のあちこちに他球団のスカウトやら他校の生徒がちらほら座っているのは彼も理由の一つだろう。

 我がキャットハンズも猪狩君と並んで早くも来年のドラフト最有力の1人に挙げられており、その実力は折り紙つきだ。

 

「彼が投げるのも当然気になるがあとはマスクを被る2人−–−–−」

 

 かつては先輩後輩としてあかつきを引っ張り、今はこうして主将として対峙する2人の正捕手。

 彼らが互いの相棒をどこまで導けるか、もしかしたら今日の試合のポイントは捕手にあるのかもしれない−–−–−。

 

 

 

 

 秋風が心地よく吹く晴れ日和の下、13時ピッタリに試合が始まった。

 先行は俺たち聖タチバナで、後攻が海堂だ。

 

 

 先行 聖タチバナ学園 スターティングオーダー

 

 1番センター 八木沼

 2番ファースト 六道

 3番キャッチャー 一ノ瀬

 4番ショート 友沢

 5番サード 大島

 6番セカンド 今宮

 7番ライト 東出

 8番レフト 原

 9番ピッチャー 川瀬

 

 

 後攻 海堂学園 スターティングオーダー

 

 1番センター 草野

 2番セカンド 渡嘉敷

 3番キャッチャー 猪狩

 4番サード 薬師寺

 5番ファースト 大場

 6番レフト 石松

 7番ライト 矢尾板

 8番ショート 泉

 9番ピッチャー 眉村

 

 

 相手の先発は予想通りの眉村だ。

 よりにもよって1番相手にしたくないピッチャーだが、向こうからすれば本当は対帝王戦にぶつけるつもりなのが本音だったのだろう。

 試合開始直前にこんな弱気なセリフは吐くもんじゃないが、眉村相手に大量得点はおそらく目込めない。取れても3点……もしかしたら1点や0点だってあり得る相手だ。

 

 となると勝つには点もそうだが、あの相手に対してどこまで失点を抑えられるかが勝敗を左右する。

 

「絶対に勝とう−–−–−大地」

「ん。無論だ」

 

 こちらも満を持して涼子を先発に登板させた。

 彼女もこの日の為にずっと準備をしてきたんだ。

 

 あの日胸に誓った約束を忘れずに−–−–−今日までな。

 

 

『プレイボール!』

 

 審判の合図とともに準決勝第二試合が始まった。

 オーダーは通常通りに戻り、1番の八木沼から始まる。

 

「−–−–−ふっ!」

 

 表情を一切崩さず、豪快なワインドアップから強烈な一球が八木沼の胸元を抉る勢いで投げ込まれた。

 

「うわっ……」

「すげぇな……これがあの眉村か……」

 

 みずきちゃんと今宮がたまらず声を漏らしたが、他のメンツもこの一球を見てで表情が変わった。

 球速は初球から148キロを計測。しかもあのノビと回転軸……やはり映像で見るより遥かに迫力が段違いだ。

 

 そう、これが噂に聞く眉村のジャイロボールだ。

 

 結局八木沼は4球目にインローのジャイロを振らされ、空振り三振で倒れた。

 

 

「……別格だ。山口や香取も良いピッチャーだが、眉村はさらに一段も二段も上だ。まるで当たる気がしなかった」

 

 あの八木沼がここまで弱気になる程のピッチングを披露。

 続く聖ちゃんはジャイロをなんとか当てるもバットの先で、弱々しいファーストフライに倒れる。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 さて。

 2人の打席を見る限り、いきなりデカいの一発ってのは難しい。

 まずはジャイロと変化球のタイミングを測るところからスタートだ。

 

「……一ノ瀬先輩」

「ん、なんだ?」

「どんな結果になっても恨まないで下さいね」

「−–−–−そうかい」

 

 望むところだ。

 お前が海堂に入学してどれだけ変わったのか、見せてもらうぜ。

 注目の初球は−–−–−

 

 

「っおっ!?」

 

 ボールはストライクゾーンを遥かに外れ、なんと俺の顔付近を通過した。

 たまらず俺は体勢を崩し、大きく後ろへのけぞった。

 

「−–−–−その程度のボールでのけぞるなんて、先輩もずいぶん弱腰になりましたね」

「−–−–−」

 

 ……そうかい。

 これがお前なりの宣戦布告ってなら、俺も本気でやってやるさ。

 

 

(インハイの真っ直ぐ。今度は−–−–−)

 

 2球目も同じインハイの真っ直ぐ。

 が、今度はストライクゾーンギリギリを通過し、審判の手が上がった。

 

(すげぇな……猪狩のストレートとマジで良い勝負だ)

 

 バットをさらに短く握り直し、構える。

 ここまで眉村はジャイロしか投げていないが、想像以上のノビにタイミングがまだ掴めそうにないな……。

 この真っ直ぐにシュートを決め球とする多様な変化球を放られては打者からすればたまったもんじゃない。

 

(ここはできる限り粘って球筋を見極める−–−–−)

 

 進のサインに頷き、眉村が再び振りかぶる。

 ダイナミックなオーバースローから繰り出された3球目はインローの真っ直ぐ。

 粘るつもりであったが、流石に3球続けてインコースの真っ直ぐ甘くて見過ぎだ−–−–−!

 

 ッギンッ!

 

 フルスイングするも、バットの根元にあったボールは鈍い音を奏でて進の真上へ上がった。

 ほぼ定位置の詰まらされた当たりは当然捕球され、アウトに倒れた。

 

「くそっ……」

 

 今のは完全に俺の実力不足だ。

 同じコースに3球続けて真っ直ぐが来るならいくら1打席目と言えども打ち返さなきゃいけなかった。

 しかも向こうは変化球を一度も使用せずにノーヒットピッチング。球種を引き出すという最低限の仕事すら成せなかったのは痛すぎるぜ……。

 

「…………」

 

 ダグアウトへ戻る際、進が一瞬だけこちらへ目を向けた。

 「どうだ、打てるものなら打ってみろと」言わんばかりの眼差しは、かつて苦楽を共に過ごした俺でさえ見たことがない姿だった。

 

 −–−–−俺だけじゃない。進も海堂へ入学して、また一段と逞しくなったんだ。

 

「ふぅ……よし、行こう大地!」

「ああ!」

 

 防具を付け終えるまで待ってくれていた涼子と共に、グラウンドへ向かう。

 それぞれの持ち場へとつき、投球練習へと移る。

 よしよし。真っ直ぐも変化球も悪くない。寧ろ練習の時よりキレが良いくらいだ。

 

「一回裏ーっ!! きっちり0点で抑えるぞ!!」

『オーッ!!!!!』

 

 煩いくらいの、しかし心地いい返事が胸に響く。

 今日も気合いが入っていて何よりだ。俺もとりあえずはリードに専念してまた挽回してやるさ。

 

「お願いします」

 

 1番の草野が左打席に立つ。

 さて。進が進なりの戦い方をするなら、俺は俺なりの戦術で行かせてもらうぜ。

 

(まずはインコース低めへ真っ直ぐ。ギリギリを狙っていこう)

 

 涼子の1番の武器とも言える安定した制球力は今日も健在だ。

 初球からインローの臭い所ギリギリを見事に突いた。

 

『ットーライッ!!』

 

 −–−–−良いボールだ。

 球速こそ130キロと眉村と比べれば大きく劣るが、これだけの厳しいコースに回転の効いた球はそう簡単に打てるもんじゃない。

 

 だが楽観はできない。

 草野はチームでもきってのアベレージヒッターで、打率は進に次ぐ.521だ。

 個人的には一番出塁させたくないバッターだな。例えるなら恋恋高校の矢部君、パワフル高校の奥野のような選手だ。

 

(大丈夫。やれる限りの手は尽くすつもりだ)

 

 2球目は低めにカーブが外れると、3球目に投じられたインコースのムービングファストを草野は強振した。

 

「っと!」

 

 強いゴロを一二塁間が襲うが、今宮の正面。

 難なく捌いてワンナウトだ。

 

「いいぞ、セカン!」

「おうおう、もっと褒めてくれ〜」

 

 少し予想外だったな。

 いくらストライクとはいえ、草野ならあの厳しいコースはカットしてもう少し粘ってくると思ってたんだが。

 まぁこっちからすればどんな形でもアウトが取れればいい。次の打者達も曲者揃いだから息つく暇がない。

 

『2番セカンド、渡嘉敷君」

 

 コイツはパワーこそないが足が早く、バントが非常に上手い選手だ。一応セーフティの可能性も視野に入れ、内野陣にやや前進するようサインを出す。

 

「−–−–−ふっ!」

 

 力のこもったストレート僅かに外角へ外れてボールに。それでも球速は132キロと自己最速タイ出ている。

 カウントは2エンド2まで進んで5球目−–−–−。

 

「ショート!!」

 

 これも良いあたりだが友沢が逆シングルで滑り込みながら捕球すると、鬼のような送球が一塁へと飛ぶ。

 

『−–−–−アウトォ!!』

 

 おぉーっと驚きの声が観客席の一部から出る。

 今のを取っただけでも文句なしなのにその後に魅せたこの強肩だ。敵味方関係なくこれはビックリもするわ。

 

 さて、味方の好守に助けられているが、次の打者は進だ。

 

「…………」

 

 不気味なほど静かなまま、今大会驚異の打率6割超えの進が打席へと入る。

 前日まで進への対策を練ってはみたものの、結局これといった有効な対策は思いつかなかった。ていうかコイツのヒットしているコースの分布図をまとめていたが、全てのコースが打率3割を超えているから苦手な箇所がそもそも見つからなかった。

 でも裏を返せば苦手なコースを突くより、自分達が得意とし、大きな武器としている択で開き直って挑める。

 

(大丈夫だ。お前なら絶対抑えられる)

 

 バンッ、とミットを叩いてどっしりと構える。

 少しでも涼子が投げやすいようにしてやるのが相棒である俺の仕事だ。臆せずいつも通り投げ込んで来い。

 

 サインが決まり、振りかぶる。

 進はピクリとも動かずに見送った。

 

『ットーライッ!!』

 

 手が出なくて振らなかったわけじゃなさそうだ。

 今のは見逃し方的にタイミングを測っていたように見えた。

 次は外角の縦スラを逆らわずに左へカット、一球外ボール球を見逃したあと、低めのムービングを良い当たりでライト線へ引っ張るも切れてファールに。

 

 カウント的にはまだ大丈夫だが、内容がそれほど良くない。

 2球のファールもタイミング自体はバッチリ合っていた。あとはもう少し芯で捉えられれば次こそ長打コースにされる。

 

(……悩んでもしゃーない。ここは涼子のボールを信じるか)

 

 5球目に選んだのは外角低めへ逃げるスライダー。

 進は大きく踏み込むと綺麗にレフト方向へと流し打つ。

 

「レフト!!!」

 

 通常のシフトなら後ろへと抜けるライナー制の当たりだが、事前に外野をやや交代させていたおかげで原がフェンス少し前でギリギリ間に合い、キャッチした。

 

「よしっ!」

「ナイピー涼子!!」

 

 互いに頷き合いながらハイタッチを交わしてベンチへと戻る。

 完璧な当たりだったがシフトが見事に噛み合ってアウトをもぎ取れたぜ。

 安心できる内容じゃないがどんな形でも0点で抑えられたのは非常にデカい。このままの流れで先制点も取っていきたい。

 

 

 

 

 自分でも綺麗に流し打ちできたつもりだった。

 中堅校クラスまでなら間違いなく二塁打コースのあの当たりをレフトライナーに抑えたのは一ノ瀬先輩の的確なシフト指示があっての結果だ。

 

(……流石ですね先輩)

 

 それに一ノ瀬先輩だけじゃない。

 二遊間コンビの守備力にウチと肩を並べる磐石の投手陣。打線も一ノ瀬先輩を抑えはしたものの、次は友沢さん、大島選手と前日の試合で帝王相手に快音を響かせた選手達が並ぶ。

 

 なにより、一番想定外だったのはあのエースナンバーをつけるピッチャー、川瀬選手だ。

 

 確かに眉村先輩に比べれば球速こそ遅いが、それでも130キロ前後は安定して維持し、変化球も特に低めのムービングファストは打たせて取るには最高のボールだ。

 

 例えるなら、市原先輩の球速を遅くしたかわりにコントロールが皿に良くなった、完成度の高い技巧派と言ったところだろう。

 

「猪狩……あのピッチャー−–−–−」

「ええ。思ってたよりも手強いですね」

 

 あの草野先輩でさえも一打席で実力をある程度認める選手。

 一ノ瀬先輩が最も信頼しているだけの実力はある、か。

 

「……やはり攻略するには−–−–−」

 

 勝利への糸口となるのはピッチャーだけでなく、キャッチャーも含めた−–−–−

 

 

 

 円陣を組み終わり、2回の表の攻撃に入る。

 

「一ノ瀬さん。頼まれた通り、書いておきまたよ」

「ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします」

 

 ダグアウトに戻ると、俺は聖名子先生から一冊のノートを受け取った。

 書かれているのはウチの攻撃時と俺の配球が書かれたものだ。と言っても一般的なスコアブックとは異なり、配球を振り返るのに特化した専用のノートだ。

 

(……さすが聖名子先生だ)

 

 惚れるほど字が上手く、俺の指示通り丁寧に書かれていた。

 顧問として入ってきた頃はルールを覚えるところからスタートしたってのに、ここまで成長したのは素直に感動モノだ。

 

『ットーライッ! バッターアウト!!』

 

 トップバッターは友沢からだったが、この天才をもってしても一打席では手も足も出ていないのが眉村と言う男の強さを語っている。

 これはあくまでも俺の勘に過ぎないが、あの眉村を打ち崩すには、単純に来た球を迎え打つ形だけでは難しい。

 

 それプラス、相手がどのコースにどの球種を投げ込むのかを読む力も必要なのだ。

 

 まぁ当たり前だが、全ての配球を読み取るのは不可能な話だ。が、それはバッテリーにも同じ事が言える。

 どこかに必ず崩すための穴がある。問題はその穴がどこなのか。

 

 そして……その穴を上手く隠しながらリードを行えるのなら−–−–−

 

「くっ……!」

 

 今宮・東出の後続も倒れ、この回は僅か5分で交代となった。

 

「涼子!、先制点だけは絶対取らせんじゃないわよ!」

「うん。大丈夫よ、最初から一点も取らせる気なんかないから!」

「さっすかぁ♪ なら頼むわよ!」

 

 みずきちゃんとのやり取りを見ている限り、多少緊張はあっても落ち着いている様子だな。

 

「久しぶりだな、一ノ瀬」

「……ああ。お前らも相変わらずで何よりだよ」

「ふ。さて……あれから一年半。お前らがどれだけ強くなったか見せてもらうぜ」

 

 2回の裏は向こうも主砲の薬師寺から始まる打順。

 唐沢や真島さんのような長距離打者タイプというより、巧打の割合も多い中距離打者タイプに近い。

 

(それでも油断はできないぞ。ランナーがいない4番なら長打を狙っている可能性も高い。甘いコースだけは厳禁で厳しく行くぞ)

 

 外野が少しだけ後ろ気味に下げ、内野は定位置のシフト指示を出す。

 長打を警戒しながら、涼子が振りかぶる。

 

 ところが、薬師寺の構えは俺の予想を大きく裏切った。

 

 −–−–−コキンッ。

 

 横に構えたバットは弱々しい音と共にサード線付近へと転がる。

 

「なっ−–−–−!?」

「っ!、さっ、サード!!!」

 

 薬師寺が選択したのはノーアウトランナー無しからの初球セーフティバント。

 焦りながらもすぐさま大島へと指示を出すが、肝心の大島も全く予想していなかったせいで2歩も3歩もスタートが遅い。

 

 くそっ−–−–−これは間に合わないか……っ!

 

 誰もが諦めかけた中でただ1人、このボールは素早いフィールディングで捕球した選手がいた。

 

「っあっ!!!」

 

 完璧な反応とスタート、そのまま右手でボールを掴んでノーステップで一塁へ送球。ボールはワンバウンドながらも正確に聖ちゃんのファーストミットへと収まった。

 

「……アウトォ!!」

「なっ−–−–−!?」

 

 転がした張本人、そしてチームメイトの俺たちでさえ驚きすぎて変な声が出た。

 正確無比なバント処理を魅せてくれたのは、涼子だった。

 

「あっぶねぇ……ありがとうございます川瀬先輩っ!」

「素晴らしい集中力だ。私でさえ反応が遅れたと言うのに……」

 

 一・三塁を守る2人から感謝の言葉を貰い、ニコッと嬉しそうに微笑む。

 −–−–−なんつー集中力だアイツ。あの一瞬の構えだけで瞬時にチャージしたってのか……。

 はは……これには味方の俺でも薬師寺に同情せざるを得ないぜ。

 

『5番ファースト、大場君』

 

 ファインプレーの勢いのまま、大場もきっちり抑えるぞ。

 先程の薬師寺よりパワーに特化した選手で、本塁打数は海堂でトップの成績を残している隠れたスラッガーだ。

 ここはボール球も使ってじっくり勝負し、とにかくホームランだけは避けたい相手だ。

 

 ふぅ、と一呼吸挟んでから投げ込む。

 真ん中低め、ボールゾーンへと落ちていく縦のスライダー。大場はバットを動かしそうになるも、寸前で手が止まった。

 

『ボール!』

 

 結果的に見られたがこれで良い。

 並のバッターなら今のボールは手が出てもおかしくないくらいに良いスライダーだからな。

 2球目、3球目共にストレートがストライクとボールになる。

 

『よし。外角低めのムービングファスト』

 

 大場は引っ張り傾向が高いプルヒッターだ。

 最後はムービングで引っかけさせてサードかショートゴロで終わらせる狙いだったが−–−–−

 

(っ、甘いっ!?)

 

 俺の構えていたコースよりボール3個分高く浮いていた。

 それを海堂の5番が見逃すわけもなく、大場がフルスイングで弾き返した。

 打球は痛烈に三遊間を抜け、レフト腹の前でワンバウンドして落ちた。

 

「ごめんなさい。手元が少しだけ狂ったわ」

「いや、大丈夫だ。長打にされなかっただけ御の字だからな。とりあえず盗塁やバンドの小技も警戒していこう。理想は打たせて取ってゲッツー狙いだ」

「そうね。リード、お願いね」

 

 しかしすげぇな海堂の面々。

 確かにやや高めに浮いてしまっていたがコース自体は外角ギリギリで入っていたぞ。

 

『6番レフト、石松君』

 

 ん?

 今、石松が打席に入る前に進が何か耳打ちしてたな。

 ただのバッティングアドバイスだけならいいが、先制点が欲しい2回の裏でそれはないだろう。

 

(……となれば)

 

 −–−–−何か仕掛けてくるつもりか、進。

 

 

 

 

「何を石松に伝えたんだ?」

 

 ベンチに戻ると、眉村さんが珍しく口を開いて僕にこう尋ねてきた。

 

「試しているんですよ。あのバッテリーがどこまで優秀なのか」

「…そうか」

 

 今の言葉だけで眉村さんは納得してベンチへと座った。

 

 僕が石松さんに伝えたのは一ノ瀬先輩のリードについてだ。 

 今日のリードの取り方を見る限り、やはりあかつき中時代から根本は変わっていないように見てとれた。

 

 できる限りそのケースで最適な結果を導き出す為に逆算してコースと球種を決め、かつ、相手のデータも照会した上で最終的に決断して指示を出している。

 勿論これは簡単なリードじゃない。

 莫大な情報量が必要な上に賢くないとできず、更にバッテリーを組むピッチャーが一定以上計算できる投手でないとそもそもリード通りボールが来ない本末転倒になるからだ。

 そして、今日の先輩が出しているシフト指示も、やはり相手の傾向と狙いに合わせて変えている。

 

 先輩。

 これまでの試合はそれを知っている者が味方に居たから事なきをえていましたが、今は違います。

 

 これらを踏まえた上で石松さんに対して僕がリードをするなら−–−–−

 

 

(追い込まれてから、低めへのスライダーがカーブに的を絞って打ってください)

 

 変化球がやや苦手傾向にある石松さんに対しては大きく曲がる変化球でゲッツーを狙ってくるはずだ。

 追い込まれるまで勘付かれないようにやり過ごし、最後に狙い球を絞って長打を狙う、そう伝えた。

 

『ットーライッツー!』

 

 カウントは2-2の並行カウントまで進む。

 ここまでストレートは見せ球のみでムービングファストでカウントを取ている。

 

 ここまでは予想通りの配球だ。

 さて……先輩。野球は単にセオリー通り遂行していれば勝てる競技ではないですよ。この2年間で果たして成長しているか−–−–−見せてもらいます。

 

 セットアップからの5球目。

 先輩は低めにミットを構えている。これで変化球なら僕の−–−–−

 

 ゴキンッ!!

 

「−–−–−!?」

「っし、ファーストっ!!」

 

 先輩が選んだのは−–−–−131キロのストレートだった。

 変化球狙いだったところに飛んでくる渾身のストレートは当然振り遅れ、打球は平凡なファーストゴロに。

 

『アウトっ!』

「っしゃあ!」

 

 結果は最悪のダブルプレーに終わった。

 普通に石松さんに打たせていたらヒットにできた可能性もあった……。

 

 完全に僕が余計な事を吹き込んでしまったせいだ−–−–−。

 

「おい猪狩っ! 話と違うじゃねぇか! アイツら真っ直ぐ投げてきやがったぞ」

「……すみません」

「ったく! 正直お前の指図なんか受けたくなかったってのに……お前のせいで−–−–−」

「黙れ石松。それでもお前の打席で招いた結果なんだから人のせいにするんじゃねぇ」

「薬師寺っ……くそっ…!」

 

 薬師寺さんが間に割って入り、渋々石松さんも守備へと着いていく。

 

「猪狩、あまり気にするな。結果は最悪だったがこれも野球だ。お前にはお前なりの考えがあったんだろ?」

「−–−–−ありがとうございます、薬師寺さん」

 

 切り替えていけよ、とグローブ越しで僕の頭を軽く叩いてサードへ就く。

 先輩のあの喜び方から察するに、向こうも悩んだ末の選択だったのだろう。

 

(そうか。もしかしたら油断していたのは帝王だけじゃなくて僕も−–−–−)

「猪狩」

「うっ……眉村さん?」

「お前は海堂のキャプテンだ。チームのトップに立つ以上、少なくとも俺はどんな指示であってもお前の言う通り動こう。だが−–−–−

 

 

 

 迷いや後悔だけはするな。絶対的な自信を持ってプレーしろ。相手は正真正銘の−–−–−強敵だ」

 

 

 

 

「ふぅ……」

「ここまでは順調だな」

「うん。ゲッツーのお陰で球数も節約できたしね」

「はぁ〜……にしてもさっきのストレートはくっそ悩んだぜ……」

「ほんとよ! てっきり変化球で行くつもりだったのに、思わず頭を横に振ろうかと思ったわ」

「いやぁ、こればっかりは同じキャッチャー同士の勘ってやつだ」

「キャッチャー同士?」

 

 進がもしかしたら俺の配球を逆手に取ってリードを教えてたんじゃないか、ってな。

 帝王戦で魅せた友沢のバッティングのように、俺と進も付き合いは長い方だから俺のリードの傾向も把握していてもおかしくはない。

 だから敢えて、石松の得意な低めのストレートを投げて確認してみたんだ。結果的に石松が完全に振り遅れてたから俺の予感は的中した、ってわけだ。

 

「涼子。今日の試合はあまり援護点は期待できない。今までで一番辛い試合になるかもしれないが、頼んだぞ」

「……大丈夫。私達ならきっと勝てる」

 

 まだ試合は3回の表だな、俺達が勝つにはあの最強エース、眉村を打ち崩すさなければならない。

 

 大量の援護点には期待できないが−–−–−1点か2点なら、可能性はゼロじゃない。

 


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