Glory of battery   作:グレイスターリング

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第四十四話 vs帝王実業(後編)勝利と同じくらい大切なモノ

 

 −–−–−約9年前。

 一ノ瀬の世代がまた8歳の小学2年生だった頃、神奈川県に新しい野球少年が生まれようとしていた。

 

「へっ、蛇島桐人です! よろしくお願いしひゃす!」

「はっはっ。そんなに緊張するな蛇島。 野球はな、楽しくのびのびやらない損だぞ」

「はっ、はい……」

 

 蛇島が野球を始めたキッカケは父親の存在が大きかった。

 父親は元高校球児で、昔は甲子園にも出場した経験を持つエリートだった。そんな野球好きの父親は蛇島が2年生に上がったタイミングで近くの軟式野球チームに入れさせ、蛇島の意思関係なく野球を始めさせてしまったのだった。

 

「よろしくな蛇島! あんま緊張しなくて良いんだぜ」

「そーそー。俺たちのチームって結構弱いけど皆楽しくやってるんだからさ」

「楽しく……ですか」

 

 蛇島が初めて所属していたチームは大会に出ても万年一回戦敗退の弱小チーム。しかし周りの仲間は腐らず、皆がのびのびと野球に打ち込み、誰の目から見ても楽しく協力し合いながら日々取り組んでいた。

 当の蛇島は現在より口数も少なく、かなり弱気な性格をしていたが、このチームで過ごした日々が彼を良き方向に進ませてくれた。

 

「蛇島ー。前の練習試合、大活躍だったな! お陰で久々に勝てたぜ!」

「いえいえ、僕なんて全然です。先輩のヒットがあってこそのサヨナラでしたから」

「でもさ、最近試合で勝てるようになってきたのもお前が入ってからなんだよな。野球も今までよりずっと楽しいし、やっぱ勝てるようになるとこんなにも面白くなるんだな、野球ってさ」

「−–−–−そうですね」

 

 蛇島が所属してからというもの、少しずつチームは強くなっていった。

 まだ10歳にも満たない小さな少年であったが、チームの明るい雰囲気が彼にはとてもよく合い、父親が聞かなくても自ら努力を重ね、上達していったのは勿論だが、どんどん野球が好きになっていったのだ。

 

「お父さん。僕、野球を始めて良かったよ!」

「そうか。お父さんもお前が野球を好きになってくれて嬉しいぞ。それにお前は俺よりも才能がある。もしかしたらもっと強いチームで活躍して、あわよくばプロにだって−–−–−」

「ぷろ?」

「ああいや、こっちの話だ」

 

 何もかもが順調に見えた1人の野球少年。

 そう、彼が10歳を迎えるまでは−–−–−。

 

 

 

「そっか……気持ちは変わんないんだな」

「うん。ほんとごめん……けど−–−–−」

「気にすんなよ! お前はどの実力ならここにいる方がもったいないさ。それに天下の帝王リトルに行くんだろ? すげぇじゃんか!」

 

 蛇島が10歳を迎えた頃。

 彼は父親からの提案で、県内でも随一の強豪『帝王リトル』に行くことを決めたのだ。

 自分の実力がどこまで通用するのか。そして父親が憧れ目指し、夢破れた『プロ野球』という舞台。そこへ行ってみたいという彼の想いが帝王リトル移籍の決断をさせてくれた。

 

「蛇島−–−–−頑張れよ。もっともっと上手くなって、いつかまた一緒にキャッチボールでもしようぜ」

「もちろん! 僕、頑張るよ!!」

 

 

 しかし、帝王リトルはこれまで在籍していたチームと雰囲気も考え方も大きくかけ離れていたのだった。

 

 意気揚々と入団するも、同期には山口や久遠、猛田、米倉、そして遅れて友沢という真の天才が在籍し、上の先輩たちも自分より遥かに優れている選手ばかりだった。

 それでも最初は必死に努力し、少しでも彼らに追いつこうと足掻いた。たが足掻けば足掻くほど、蛇島は感じ取ってしまうのだ。

 

 

 −–−–−自分は皆より野球の才能がない、と。

 

 

 それに周りは全員野球を楽しむというより、勝つだけを目的に練習していた。スポーツなのだから最終的な目標が試合に勝利することなので寧ろ大正解なのだが、これまでの和気藹々としたムードから一変して、殺伐とした重苦しい雰囲気は更に彼を苦しめてしまったのだ。

 

「しっかし今年は豊作だな。山口に久遠、猛田、米倉。特に友沢。アイツは間違いなくリトルのレベルじゃないぜ」

「ほんとな。それに引き換え蛇島の奴、見たかよ」

「ああ。せっかく監督がチャンスを与えて試合に出させてくれたって何守備は3エラー、全打席で三振ってほんと笑えるよな」

「軟式では活躍してたって話だけど、所詮は弱小チームの中での話たがらな。アレはダメだな」

「っ!!」

 

 練習後、偶然にも聞いてしまった先輩達の会話。

 なんで……どうしてそこまで酷い事を言えるんだ。結果は悪くたって楽しくやれたらそれで良いじゃないか……。

 

 こんな辛いのは−–−–−野球なんかじゃない。

 

 やがて活力を失っていった蛇島はチームでも浮き始め、誰も近寄らなくなってしまった。

 

「悔しかったら結果で見返せ。リトルやシニアは甘えた気持ちで野球できない環境なんだぞ。お前が強くなって周りから認められたその時、楽しいと思えるようになるんじゃないのか」

 

 これは父親へ相談した時に返ってきた答えだ。

 誰よりも強くなって認められなければ生き残れない。まだ小学4年生の少年には厳しい考え方にも思えたが、蛇島は−–−–−

 

(−–−–−そうか。強くなって認められなければ意味がないんだ。所詮野球を楽しみながらやること自体が甘えだったんだな)

 

 この日を境に−–−–−彼の心境は大きく変わってしまったのだった。

 

 

 

「…………」

 

 アイツは……僕に野球を楽しめと言っているのか。

 ふざけるな。楽しんでやれるなら僕はここまで苦しまずに済んだんだ。僕には君のような天性の才能は無く、努力と邪魔な人間を排除してここまで成り上がったんだ。誰も楽しんで野球をやってなんか−–−–−

 

 

 もっと皆が野球を楽しくやれたらいいのにな−–−–−。

 

 

「黙れ……」

 

 

 俺よりもショートは蛇島の方が絶対合っているはずです! だから俺は−–−–−。

 

 

「黙れっ!!」

「……蛇島?」

「……チッ。悪い、何でもない」

 

 今更野球を楽しむなんて……もう僕には−–−–−。

 

 

 

 

 危うく暴力沙汰になりかけたが、試合はそのまま再開する。

 六回表・ワンナウト・ランナー2塁。一打勝ち越しの場面でネクストバッターは4番の唐沢だ。

 みずきちゃんがまた動揺していなきゃいいが、ここを抑えればまた流れはウチに来る。

 

「みずきちゃん。今日の試合勝ったらパワ堂のプリン好きなだけ奢るよ」

「……約束、守ってね。あと気遣ってくれてありがと。安心して、その役目は友沢のバカに押し付けるからいいわよ」

 

 向こうのベンチ前では香取が猫神とキャッチボールをし始めていた。

 おそらく次の山口の打席で代打を送り、終盤は香取へシフトチェンジしてくると予想される。

 

(頼むぜバッテリー。ここで一点取られた厳しいぜ)

 

 頬の汗を拭い、気を取り直して唐沢へ投じる。

 聖ちゃんのミットはインローに構えられている。が、セットアップからの唐沢への最初のボールは俺たちの予想だにしない場所へと飛んでいった。

 

(何っ!?)

 

 懸命にジャンプをしながら手を伸ばすも、ボールは聖ちゃんの頭上を大きく逸れる大暴投。蛇島は余裕そうにサードまで到達する。

 

「なんかよく分かんないけどランナー進んだぜ!」

「唐沢ーっ! デカいの狙わなくてもいい! とにかく一点取れー!!」

 

 最悪だな……。

 これで単打一本でも出れば向こうの勝ち越しになっちまう。くそっ……せっかく勢いづいてたってのにあのプレーがキッカケでまたリズムを崩されちまったか……!

 

『ボーッ! ボールスリー!』

 

 はぁ、はぁ、と呼吸の乱れが一塁からでも見て取れる。

 カウント的にもう敬遠した方が得策かもしれないが、次のバッターはチャンスにめっぽう強い猛田と、どのみちまた強打者と当たるハメになる。勝負を避けたところでまた勝負をしなければならないのだ。

 

(……ここまでか)

 

 みずきちゃんは十分よくやってくれた。

 あとは東出と宇津の2人に託し、一度気持ちをリセットして−–−–−–−

 

 

 

「頑張れー!!! みずきさーんっ!!!!」

 

 

 

 帝王実業の応援歌越しでも聞こえた女子の大きな声援。

 声の主はバックネット裏の冗談から聴こえ、俺たちナインは声のする方へと視線を向けた。

 

「勝って甲子園に行くんでしょー!! 諦めちゃダメですー!!」

「ま、愛美ちゃん声が大きいッスよ!!」

「こういうのは気にしちゃ負けなの! ほら、ほむらちゃんも応援するよ!!

「あーもうヤケクソッス!! 頑張れタチバナー!!ファイトッスよー!!」

 

 初めて見る顔だがあの制服は俺と涼子と八木沼がかつて在籍していた三船南中のセーラ服だ。

 俺は見覚えのない顔だから涼子か八木沼の知り合いなのか……?

 

「……ふふっ」

 

 ん? 今微かにみずきちゃんが笑った気が……?

 

「そうやみずきさん! 後ろにはワイらがついてるで!」

「まだ僕の出番には早すぎますよ! いつもの負けん気はどこ行ったんですか!」

「みずきさんなら絶対抑えられます! 弱気になったらダメですよー!」

 

 元生徒会コンビの3人もかつての上司、今では同じチームメイトへ熱い声援を送っていた。

 そうだぜみずきちゃん、仮に打たれたっていい。ただ中途半端なまま打たれるくらいなら全力でやった結果の負けの方がまだ諦めがつくだろ? いや勝つ気ではいるけどさ、そのくらいの気持ちでやった方が気もだいぶ楽になるぜ。

 

「全くもう……なんでこんなにやかましい連中しかいないのよ」

 

 でも気分は悪くない。

 打たれるのが怖くて体と心が萎縮し、また自分を見失いかけたけど、仲間が私を助けてくれた。

 

(…………)

 

 聖ちゃんは何も語らず座っていた。

 今更言葉をかける必要もないだろう。今度は他の仲間がみずきちゃんを支えてくれている。それは俺たちも同じだがな−–−–−!

 

 

「絶対抑えるぞ!! 声出してけー!!!」

『オーッ!!!!』

 

 キャプテンとして俺が一度空気を締め直す。

 交代はしない。その理由はみずきちゃんの顔付きを見れば一目瞭然だからだ。

 

(この場面で笑う……か。どこまでも面白いチームだ)

 

 唐沢もバットを握り直して迎え撃つ。

 疲れは出始め、緊張だってしてるはず。なのに本人の表情はこの緊迫した場面を楽しんでいるさえ感じてしまうくらいに口元を緩ませていたのだ。

 

(プリン……アイツに絶対奢らせてやるんだから!)

 

 息を吹き返し、力の限り己の左腕を振るうサイドハンドの少女。

 球速は試合中盤でこの日最速となる127キロをマークし、会場が少しどよめく。

 

(!、コイツは……!)

(ふ、ふふ……これだ、このボールだみずき!!)

 

 「ナイスボール!」と聖ちゃんがとても嬉しそうに返球する。

 今のボール、これまでとは回転量もノビも段違いに見えたぞ……? 尻上がりに調子を上げるタイプなピッチャーじゃないし……どうなってるんだ?

 

「っらあっ!!」

「ぐっ!!」

 

 2球目はインハイのストレート。

 唐沢はストレートに対して強いバッターのはずなのに、120キロ後半のストレートに振り遅れていた。

 

(あー……野球ってやっぱり楽しいわ)

 

 3球目はスクリューをカット、4球目も違うコースのスクリューをなんとかカットするも次第に追い込まれていったのは唐沢の方だ。

 

「ふぅ……ふふっ……♪」

「ぐっ……!」

 

 それでも、唐沢にも譲れないプライドがあった。

 帝王実業を束ねる主将として、蛇島が作った千載一遇のチャンスをモノにしなければならない。

 目の前に立つサイドスローの女性投手の実力を認めた上で、絶対に−–−–−

 

「打つ!!!」

「抑える!!」

 

 運命の5球目。

 ボールは唐沢の手元で急激に入れ込みながら落ちていく。想定以上の変化量に体が開いてしまうが、バットの根本でなんとか当てた。

 

「レフトっ!!」

 

 打球はレフト線の大島と原の間をフラフラと飛んでいく。

 

「大島どけぇ!! ワイが捕る!!」

 

 原が声を荒げて前へ突っ込む。

 打球が飛んでからの初動は速かったが落下地点にたどり着けるか微妙なところだ……。

 

(落ちるなっ、絶対落ちるなぁ!!!)

 

 懸命に自身の左腕を伸ばしてダイビングする原。

 どんなに笑われ、どんなにカッコ悪くたっていい。ただ1つ−–−–−この打球だけは捕球させてくれと、その一心だけが彼を突き動かした。

 

 

『あ……アウトアウトォ!!』

 

 ボールは地面スレスレで原のミットに収まると、場内は大歓声に包まれた。

 あのライン側を取りやがった……。

 は、はは……すげぇ。マジですげぇよ。あの位置ならポテンになったって不思議じゃねぇのに……。

 

「!、原っ! バックホームだ!!」

「えっ!?」

 

 友沢の声に俺たちが現実へと引き戻される。

 なんの浅い位置で捕球したにもかかわらず、蛇島がタッチアップしていたのだ。

 

「アレなら間に合う! 原! ホームにな、げ……」

 

 蛇島がホームベースを踏んでも、原は左手首を押さえながら倒れ込んだままだ。

 まさかアイツ……あのダイビングキャッチの瞬間に左手首を−–−–−!?

 

「つっ……いったた……」

「大丈夫か原!!」

「原先輩っ!」

「っ〜、すまん皆……手首捻って投げれんかった……」

 

 痛々しく手首を抑えながら立ち上がる原。

 多分骨は折れていないが痛めている箇所が少し赤くなっており、捻挫している可能性が高い。

 

「原、岩本と交代するけどいいか?」

「しゃーないん。 点は取られたけど1つアウトが取れただけ良かったわ」

「ったくよ、あんま無茶すんなよ。ナイスプレーだったけど折れてたら大騒ぎだったぜ?」

「今宮に説教されるとはおもんかったわ。みずきさんのピッチング見てたら……体がつい動いてもうてな」

「原、くん……」

「なんや、そんな辛気臭い顔すんなやみずきさん! その代わり後は必ず抑えてや! ワイは裏方で応援に徹するやから」

「言われなくてもやってやるわよ。ほら、怪我人は早くベンチに戻った戻った!」

「たくも〜、手厳しいんやからみずきさん……」

 

 大丈夫。

 原君の体を張ったプレー、私は絶対無駄にしないから。勝ち越しはされたけどまだ1点差だ。諦めなければ勝機は残ってるよ。

 

「皆、原の為にも絶対逆転するぞ、いいな!?」

「おう!」

「っす!!」

「うむ!」

「ああ!」

「ええ!!」

 

 その後、後続の猛田と海野はバッテリーが完全にシャットアウトし、波乱の6回表がようやく終わった。

 そろそろこちらも点を取りたい頃合いだが、帝王側もこの回からは香取がマウンドへ上がり、逃げ切り体制に入ろうとしていた。

 

 ま、ここまできたら高速スライダーをどう攻略するかのかはもう関係ねぇ。

 どんなボールを投げてこようが残された道は最低2点以上取って逆転するしかないんだからよ。

 

「……大京、代打でいくぞ。準備しておいてくれ」

「!、は、はいっ!」

 

 さて、ここからは総力戦だ。

 持てる全ての力を出して勝利をもぎ取ってやるさ!

 

 

 

 

 タチバナのベンチは勝ち越しを許して落ち込んでいるどころか、より団結を強めていた。

 

 −–−–−聞きたい。なぜ君たちはそこまで仲間と純粋に野球に打ち込めるんだ?

 

 僕だって昔はそうだった。勝敗も大事だったけど、目の前のプレー一つ一つに全力を出して、仲間と一喜一憂していた時間が正直1番楽しかった。

 

 でもそれだけじゃ結果は残せない。

 試合にも勝てない。

 誰も認めてくれない。

 

 リトル、シニアと経験し、僕はどんな手を使ってでも自分さえ生き残ればそれで良い、それが野球への回答だと結論づけた。

 実際、特にシニアからは友沢を退部させてからは僕がショートになれ、キャプテンだって務められたんだ。

 その考え方を改めたくない……改めてしまえば今ま僕が積み上げてきた

物全てを否定することになるから。

 

 

 −–−–−楽しそう、だ。

 

 

 本当は分かっている。

 友沢は誰よりも僕の実力を認めてくれ、本気で僕をショートに推薦してくれたこと。

 チーム内で浮き、1番下手くそだった僕を彼だけが対等に接してくれたこと。

 彼らが才能だけで野球をやってるわけじゃないこと。

 

 

 そして−–−–−僕が心のどこかで友沢へずっと罪悪感を抱いていたことも。

 

 

「っ〜!!、皆っ!! あと3回で終わりだ!! 何がなんでもこの一点を守り抜くぞ!!」

「蛇島……?」

「へ〜、珍しいじゃねぇか。アイツが自分から声出すなんてよ」

「ふふっ。男の子らしい顔になったじゃないの」

「先に言われちまったが確かにその通りだ。 香取っ!、出し惜しみ無し全力投球だ! 他の奴らも死に物狂いで守れ! 行くぞ!!!」

 

『オーッ!!!!!』

 

 柄にもなくなんでこんなに熱くなってんだ……。

 自分が結果を残せさえすれば良いはずなのに−–−–−

 

 

 

 −–−–−今は純粋に、このチームを負けにさせたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 気づけば試合は8回裏まで進んでいた。

 が、みずきちゃんと同じサイドスローながら140キロ越えのストレートと、それに迫る速さの高速スライダーを巧みに操る香取の前に上手く抑え込まれていた。

 

「よし。大京、代打いくぞ。みずきちゃん−–−–−」

「はぁ、はぁ……ええっ、分かってるわ」

 

 前の回に2つのフォアボールを出しながらも何とかピンチを切り抜けたが、体力は限界だった。

 それでも俺からしたらみずきちゃんはよく頑張ってくれた。あの帝王相手に8回を投げて4失点、奪三振は11個。なによりここまで長いイニングを引っ張ってくれた事が大きすぎる。

 

「大京、もう後がなくなって来てるが気にすんな。今のお前の全力を香取にぶつければいい」

「一ノ瀬くんねー、あとアウト4つで負けなんだから気にしないとダメでしょ? いい!?、私の代打なんだから死んでも塁に出なさい! もし倒れでもしたら命はないと思いなさいよ!」

「……ぷっ。ふふっ、はははっ! 分かりましたよ、みずきさん!」

「−–−–−うん、大丈夫だよ。 大京君なら必ずやれるから」

 

 結局みずきちゃんはみずきちゃんだな。

 確かにやるからには打ってもらわんと困るわな。いつも通りのみずき節の激励に緊張で顔が強張っていた大京もだいぶリラックスでき、ウグイス嬢のコールを受けて打席に入る。

 

(どんな形でもいいから塁に出るんだ! そうすれば次は友沢さん達に回る!)

 

 大京は影に隠れがちだが、ボールを遠くまで運ぶパワーはチーム内でもトップクラスだ。あとは当てれさえすればヒットにすることも可能だと俺は信じている。

 

 既に笠原が三振に倒れており、ワンナウトからのスタートだ。

 みずきちゃんとはまた一味違う独特なサイドスローで香取が投げ込む。

 初球はアウトコース低めいっぱいにストレートが決まった。

 

「ナイボッ!!」

「んふ、当然よ!」

「油断するなよ! 打たせて取っても俺たちがついてるからな!」

 

 向こうの雰囲気もガラリと変わっている。

 なんつーか、もっと明るくなったというか、とにかくチームの一体感みたいなのがより強固になって、元々強かったのが更に強く感じるようになったのだ。

 

「っぱ厄介だな……あの高速スライダーは……!」

 

 まず並の高校球児じゃまず当てれん。

 単純に変化球にしては球速も速いし、それでいて打者の目の前から消える錯覚に陥るほど曲がる。

 伊達に1年時から山口とダブルエースを張っていただけのことはあるぜ。

 

 しかしこのクラスのピッチャーから、俺たちだってさっき点を取れたんだ。フォークが今度はスライダーに変わったと考えればまだ−–−–−

 

「きばれや大京!! ワイやみずきさんの努力を無駄にする気かい!!」

「原っ、いつの間に……」

 

 医務室で足の具合を見てもらってたはずじゃ……まぁ今はそんなことはどうでもいいな。

 

(僕だって今まで適当に野球をやってたわけじゃない……こういう試合で勝つために努力してきたんだ!)

 

 カウント1-2まで進んだ4球目。

 唐沢・香取バッテリーが選んだのは決め球の高速スライダーだ。

 分かっていても打てないと評される程の魔球だが、大京は持ち前のパワーで外角のボールを強引にレフト方向へ引っ張った。

 

 打球はサード早瀬の頭上を破る長打コースになった。

 

「よしよしよしっ!! やればできるやんけ大京!」

「まさか本当に打っちゃうとはね……さっすが私が選んだ僕−–−–−もとい部下ね!」

 

 なんか今みずきちゃんがオモロいこと言った気がするけど……ま、いいか。

 今のは鍛え抜かれた大京の怪力かあっての打ち方だな。あんな強引なプルヒットは大島くらいしかできんな。

 

『1番ショート、友沢』

 

 ここで最も期待を寄せてしまう男の登場だ。

 が、帝王バッテリーは一塁が空いているのを考慮して友沢を敬遠し、勝負しなかった。

 

「まぁ当然の選択だよな……」

「大丈夫よ、次のバッターも聖ちゃんなんだから」

「涼子の言う通りよ! 聖ーっ! 絶対打ちなさーい!!」

「…………」

 

 今の聖ちゃんにはみずきちゃんの声援は聞こえてないだろう。

 あの目を見開き、独特なオーラを漂わせているあの状態は−–−–−聖ちゃんの『超集中モード』なんだからな。

 

(あんな華奢な体で山口君のフォークを打ってるのよね。 んふ、面白わ!!)

 

 香取のボールも球数を重ねるにつれてキレが増していくようだ。

 ストレート、カーブ、カット。「そんなものは全て見切っているぞ」と言わんばかりにスライダー以外の全てをライナー性の当たりでカットしていく。

 

「あくまで狙いはスライダー、ってわけね」

「…………来い」

 

 香取も聖ちゃんの狙いが高速スライダーなのはお見通しだ。

 それでも彼は唐沢のサインに首を横に振り、あえて高速スライダーを選択した。

 

 己が圧倒的な信頼を寄せる切り札を打ち崩すと間接的に言われ、ピッチャーとしてのプライドが黙ってなかったからだ。

 鋭く振るう右腕から投じられた渾身の高速スライダーは−–−–−

 

 

 −–−–−聖ちゃんのバットを通過して、唐沢のミットにズドンと収まった。

 

 

『ットーライク! バッターアウト!!』

「いよしっ!」

 

 うおおおおお!と溢れんばかりの喜びを爆発させる帝王の応援席。

 聖ちゃんは無言のまま悔しそうにベンチへと退いていく。

 

「……っ!!」

 

 その拳は手の甲の血管が浮き出る勢いで力強く握りしめられ、見ているこっちも悔しくなるくらいの表情を浮かばせていた。

 聖ちゃんが打席でここまで感情を露わにするのは珍しかった。それほど今の場面で打ちたかっただろうし、悔しかったのだろう。

 

「聖ちゃん、下を向くのはまだ早いんじゃないか? まだウチには頼れるバッターがいるだろ?」

 

 ヘルメットを被り、ネクストサークルへと入る。

 ネクスト越しから俺はその頼れるバッターへと目を向けた。

 

『3番サード、大島君』

 

 頼むぜ大島。

 ホームランなら逆転、ヒットでも同点の大チャンス。ここで決めなければウチはほぼ負けだ。

 バットをマウンドに立つ香取へと向け、大島が構える。

 球場のボルテージも最高潮に達し、大きな盛り上がりを見せていた。一高校野球の試合でここまで観客も熱くさせられるとはな。これが野球の持つ恐ろしいまでの魅力ってやつなのかもな。

 

 バッテリーも大島とは勝負することを選択し、香取が初球を投じる。

 

 パァンッ−–−–−!と乾いた音と共に、143キロのストレートが低めに決まる。香取は不敵な笑みを浮かべながら、唐沢からの返球を受け取った。

 

(打てるものなら打ってみなさい坊や。 勝つのは私達帝王よ!)

 

 2球目はストライクからボールゾーンへと逃げる高速スライダー。ここは大島が冷静に選んでボールとなった。

 おそらく、今の大島に狙い球や配球読みはないだろう。友沢からの助言を忠実に従い、ただ来たボールに反応して打つだけだからな。

 

 3球目−–−–−。

 タイミングをずらすボール球のカットボールだが、大島がそれを振り抜いた。

 

『ファール!』

 

 ボールはバックネットへと飛んだ。

 たった3球でもうタイミングを合わせてきたのか。ったく、なんつー成長力だよ。

 

(ふぅ…………)

(山口が警戒するのも今なら分かる……この子は−–−–−)

 

 

 −–−–−紛れもない、ホンモノの天才だ。

 

 

 4球目。

 香取が全力で投じたボールは自身最速を更新した142キロの高速スライダー。手元でククンッと急激に曲がるそれはまさに魔球と呼ぶに相応しいボールだ。

 大島はそんなボールに対しても体を一切崩さず、基本に忠実なフォームでスイングし、ボールを捉えた。

 

『?』

 

 帝王ナイン全員がバッと後ろを振り向く。

 俺たちや観客もその視線は打球に注がれていた。ボールは美しいフォームに相応しい綺麗な弾道でグングンとセンター方向へ伸びていく。

 

 

「は、はいっ、た……」

「やりやがった……やりやがったぜええええええ!!!!」

 

 今宮の叫びを皮切りに一気に爆発して喜ぶ聖タチバナベンチ。大島はスタンドに入ったのをしっかりと見届けてから右腕を天へと振り上げた。

 

 両チーム合わせて2本目となるホームランは、俺たちにとって今日の試合を決定づける最高の一打となった。

 

 

 

 

 

「はぁ……やられちゃったわね…」

 

 センターバックスクリーンを静かに見つめながら呟く香取。

 

 コース、球速、変化、キレ。

 どれをとってもあのスライダーは自身にとって今日一番と断言しても良い程のボールだった。

 それをあそこまで遠くに、しかも完璧に見切った上で打たれたとならば、精神的に来るモノがどうしてもあった。

 

「香取」

「…………」

 

 そっと声をかけてきたのは蛇島と唐沢だった。

 

「諦めるな。向こうがホームランを打って逆転するなら、今度はウチがまた逆転弾を打てば良いだけの話だ」

「蛇島……君」

「僕は試合が終わるまで絶対に諦めない。今度は自分…いや、"皆の力"でタチバナに勝って見せるんだからね」

「!……ふ、ふふ…… そうね。私としたことが、危うく諦めそうになっちゃったわ」

「それに、打たれたのはお前だけの責任じゃない。キャッチャーとしてお前の力を引き出しきれてない俺の責任もある。でも安心しろ。蛇島と俺で必ず次のイニングでまた逆転してやるならな」

「……そう。ならもう少しだけ汗を流しますかね!」

 

 仲間の言葉に再び息を吹き返した香取はその後の一ノ瀬・今宮の2人を二者連続で三振に抑え、試合はタチバナが2点リードしたまま最終回へと突入する。

 

 蛇島の眼は−–−–−まだ死んでいなかった。

 

 

「宇津、用意はいいか?」

「うん。この回で確実に終わらせるさ!」

 

 コンッ、と互いの拳を軽く突いて宇津を最終回のマウンドへと送る。

 影に隠れがちだが、宇津も投手としての能力はかなり高い。

 ストレートはチーム最速の146キロを出し、コントロールもそこそこ良い。変化球は横と縦に落ちる2種類のスライダーを駆使し、三振と打たせて取る両方のピッチングが出来る器用さもある。

 欠点を挙げるとすればスタミナが少ない事くらいだな。どれだけ投げても大体5〜60球あたりからバテ始めるから中継ぎとしての起用が最適だ。

 

「お願いね、宇津君」

「!……はい、任せてください!」

 

 みずきちゃんもグッと親指を立てて背中を押す。

 聖ちゃんとサインの確認、投球練習を終えて帝王打線を迎える。

 

『1番ファースト、坂本君』

 

 セットアップから振られた右腕は初球から真ん中低めへ145キロをマークした。帝王のダブルエースに劣らない球威の良さに観客席からは驚きの声が出ていた。

 調子は悪くなさそうだな。みずきちゃんの好投、原と大京の活躍もあってか表情がいつにも増して真剣だ。俺がマスクを被る事も考えたが、ここまで来れば聖ちゃんに任せてしまって良いだろう。

 

 2球目も力の入った真っ直ぐ。

 坂本はフルスイングするが打球はサード側観客席へ弱々しく上がるファールフライに。

 怖いくらい簡単に追い込むバッテリー。聖ちゃんは外角のストライクゾーンギリギリに構えた。

 

(3球勝負か−–−–−)

 

 147キロ。

 あの山口や香取の自己最速を、なんなら猪狩に迫る勢いのストレートは山口のバットの上を通過し、華麗に切って落としてみせた。

 

「っし!!」

 

 普段はおとなしい宇津も抑え気味にガッツポーズをして喜びを表わにした。

 三振は最高の結果だが、まだ残り2つのアウトが残っている。本気で喜ぶにはあと2人……あと2人を抑えてからだからな−–−–−。

 

 

 

 

 

 

 ドクン、ドクンと、自分の心臓の鼓動が段々と大きくなっていく。

 

 おかしいな。

 僕たち帝王がこんな新参チーム相手に負けそうだってのに……諦めや怒りといった負の感情ではなく、なぜ楽しさを感じているのだろうか。

 

「猫神ーっ!死んでも繋げー! 唐沢や俺に繋げば全然可能性はある!!」

「気持ちで負けるな!! あの練習量を耐え抜いてきたお前だ!! 必ず勝てる!!」

 

 ベンチから山口と猛田が大声を上げて猫神を鼓舞する。

 いいや、この2人だけじゃない。このベンチに座る全員が、まだ試合を諦めずに声を張って応援し続けている。

 

 懐かしいな……この感覚。

 初めて野球を始めた頃の仲間と純粋な気持ちで楽しんでいたあの頃とほぼ一緒だ。

 

「……そうか」

 

 僕と友沢の差はここだったんだな。

 肩を壊し、一時は再起さえ困難だと思われた彼がまた野球を始めたのは、こうした仲間にまた出会えたからだったからだ。

 だからアイツはこんなに強く、僕より一歩も2歩も先に−–−–−

 

 

 カキィィィンッ!!

 

 

 耳に飛び込んできた快音ではっと我に帰ると、猫神が一塁に立っていた。

 ベンチと応援席の熱気が更に高まる。ホームランが出ればまた試合は振り出しに戻せる展開だ。

 

『3番セカンド、蛇島君』

 

「皆−–−–−絶対打ってみせる!」

「……ああ。俺とお前で試合を決めるぞ!」

「頼みますよキャプテン!! 」

「蛇島君なら大丈夫よ、私を勝ち投手にしてちょうだいね!」

 

 柄にもなくへんな予告をしてしまったが……まぁ悪い気持ちじゃないな。

 

 友沢−–−–−今は間違いなく君の方が僕よりも上だ。だけど……

 

「ここで打って今度こそ君を……君たちを超えて見せる!!」

 

 

 

 

 

 ……やっと戻ったか、蛇島。

 俺は知ってたさ。本来のお前は一ノ瀬と同等の野球馬鹿で、チームのことを誰よりも考えられる奴だってな。

 

 でも面白くなってきた所悪いが、ウチも負けられないんでな。ここで−–−–−終わらせる!!

 

「宇津!! 後ろには俺たちが付いている! お前はいつも通りのピッチングをすればいい!!」

「そうだぜ!! 俺と友沢の二遊間なら取れない打球なんぞねぇ!」

「俺も忘れないで下さいよ!! 仮に打たれてもまた俺がホームラン打ちますから!! 先輩は何も考えずただ全力で投げて下さい!!」

「お前にもタチバナという最高の仲間がいるんだ。 聖ちゃんのリードを信じてあとは練習通りに行けば大丈夫だぜ!」

「皆……ああっ!」

 

「ワンナウトランナー一塁! 気を緩めずゲッツー狙いで締めるぞー!」

 

『オーッ!!!!』

 

 

 内野陣の掛け声で一呼吸整えられたな。

 さて蛇島……今度こそ本当の意味での勝負だ。

 

 

 

 

 帝王実業の先制から始まった緊迫のシーソーゲームは前評判を打ち破り、聖タチバナが6-5で見事リベンジを果たした。

 最終回に蛇島のタイムリースリーベースで一点差まで迫るも、宇津の気迫が僅かに上回り、後続二者を三振に抑えた。

 

 勝利が決まった瞬間、タチバナベンチは先発の橘みずきを筆頭に大はしゃぎ、対称的に帝王ベンチでは涙を流す選手もいたが、観客席からは両校の健闘を讃える拍手に包まれ、3時間半の激闘はこうして幕を閉じた。

 

「友、沢……」

「−–−–−良い試合だった。次の試合もお前たちの分まで含めて必ず勝つ」

「そう、か……。またキミたちと戦える日を楽しみに待ってる。あと……この前は−–−–−」

「謝らなくていい。今日のお前を見ていたらあれは事故だって確信したさ。次は来年の夏に会おう」

「っ……ああっ……必ずっ、今度は僕たちが勝つからな……っ!!」

 

 1人の男が涙を必死に堪えながらベンチへと戻る。

 負けはしたが、内容は紙一重。そしてこの悔しさと今日の試合で蘇った彼の闘志は来年の夏、タチバナを脅かす存在になっているだろう。

 

「果たせたな、リベンジ」

「ああ。しかし一難去ってまた一難だ。次の相手は……」

 

 帝王実業と対をなすもう一つの神奈川強豪校・海堂学園。

 しかもキャンプテンは猪狩の弟、進だ。

 

「それでも負けらんねぇよ。あと少しで甲子園に手が届く位置まで来たんだからよ」

 

 3日後。

 今度は甲子園行きをかけた秋季大会準決勝が始まる−–−–−。

 

 


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