Glory of battery   作:グレイスターリング

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第四十三話 vs帝王実業(中編)一触即発

 

 試合は0対3で帝王リードのまま、3回の裏へと突入する。

 この回は8番の笠原からスタートする。その笠原はピッチャーフライ、続くみずきちゃんは全く手が出す三球三振に終わり、ものの数分でツーアウトだ。

 

「……大地、ごめんなさい」

「え? なんでだ?」

「勝手な判断で東出君と宇津君の肩を作らせちゃって。まだみずきちゃんは諦めてなかったのに……私…」

「気にすんな。お前が心配しちまうはしょうがないぜ。でもよ、俺は唐沢にホームランを打たれて満塁のピンチを迎えたあの場面でも、みずきちゃんを変えるつもりは全然無かったぜ」

「えっ、そうなの?」

「俺は少しでも勝算のあるオーダーしか絶対に組まないし、試合前からみずきちゃんの実力はある程度は帝王にも通用するって分かってたからな」

 

 あの友沢でさえ未だホームランにできていない最強の決め球に右打者からは恐怖でしかないインコースのストレート、それらを多彩なコースに投げ分けられる制球力。

 みずきちゃんにしか持ちえないこの武器は前の帝王戦でも十分に通用してたし、今日があの時と違う状況だとすれば、みずきちゃんが緊張し過ぎているか、気負いすぎているかの2択しかない。

 

「俺が声をかけてみずきちゃんを呼び戻しても良かったけど、1番効果があるのは "自分と似た者"に檄を入れてもらう方だからさ」

「似た者、かぁ……つまり私と大地も似た者同士、なのかな?」

「野球に関しては知らんけど俺はお前みたいに大食でも甘党でもないからな」

「むー、それはどういう意味よ」

「はいはい悪かったよ。ほら、そろそろ試合に集中しようぜ」

 

 これ以上絡んでると今宮みたいに怒られかねないからな。

 

 

『1番ショート、友沢君』

 

 本日2度目の打席に入る。

 ツーアウトで後がないが、繋ぎさえすれば聖ちゃんと大島が控えているから期待は持てるぜ。

 友沢への初球は真ん中低めのカーブ。

 山口があまり普段使わない珍しい変化球だが、それでも良い切れ味のカーブだ。

 

 それを友沢は見逃さず、バットを一閃。

 打球は左中間を真っ二つに破るツーベースとなった。

 

「いよし、また出たな!」

「聖ーっ! 絶対打ちなさいよ〜!!」

 

 目を閉じて、集中力を高める。

 守備ではなんとか挽回できている。あとはバッティングでも貢献しなくては勝てない。好投を始めた相棒の為に、リベンジを果たしてたいというチームの想いのため、何が何でも大島へと繋いでみせる!

 

 カーブを弾かれたのが影響してか、初球からいきなりのフォークだが、これは唐沢の前でワンバウンドしてボールの判定に。

 

(凄い落差だ……こんなのをパワーで長打にするのは私には無理だ)

 

 たとえ長打が打てなくても、大島へ繋げられればそれで良い。

 目を瞑って深く息を吐く。神経を極限まで研ぎ澄ませて集中しろ。相棒のウイニングショットを初めて捕球した時のような、限界を超えた "超集中" を見せる時だ。

 

 ッキインッ!

 

 2球目はストレートをカットしてファール。3球目はカーブが外れてボール、そして4球目は決め球のフォークを投じるも、これを聖ちゃんは冷静にカットして粘る。

 

「………………打つ」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。

 山口から5球目に選んだのは低めのボールゾーンに消えていくフォーク。

 見逃せばボールになるコースだが、聖ちゃんは体制を崩しながらバットを振った。

 

 キィィィンッ!!

 

「なっ!?」

 

 右膝をついたあの体制から、ボールは綺麗なライナーを描いてライト前へ落ちていく。

 唐沢が驚いた声を出すのも無理ない。卓越したバットコントロールと柔軟な体、そして天性の選球眼を持ち合わななければ、山口のフォークをあそこまで綺麗に流し打つなんてできないからな。

 

「もうっ、どこまでカッコいい姿を見せれば気が済むのよ……」

 

 俺の隣に座るみずきちゃんは、頼れる相棒の勇姿に見惚れていた。

 大丈夫だぜみずきちゃん。俺も今日の聖ちゃんには惚れそうなくらい興奮してるからな。……勿論変な意味ではなく。

 

『3番サード、大島君』

 

 大島が好きなアフリカンシンフォニーのチャンテをバックに、打席へと赴く。

 ようやく作れたチャンスの場面に、ようやく聖タチバナの応援席も盛り上がりを見せ始めた。

 

(変化球が苦手な情報は嘘なのか? いや、仮に嘘だとしても、山口のフォークは海堂やあかつきレベルでなければまず打てはしない! 山口、ここで流れを断ち切るぞ!!)

 

 今度はストレートを織り交ぜながらの投球で大島を少しでも翻弄しようとする。

 

(見て当てるだけ−–−–−)

 

 

 カウントは気付けば2ボール2ストライクまで進む。一打席目と変わらずの超脱力打法。最初と異なるとすれば−–−–−

 

「っ……!」

 

 顔色を全く変えない大島とは反対に、山口の表情が曇り始めている。

 少しでもボール球を投げれば見送られ、自身の得意球を投げてもファールではあるものの強い当りで返されてしまう。

 

(意味がわからん! なぜ山口のフォークをあんな棒立ちで打てる!? タイミングさえ合わされたら間違いなくヒットだぞ!?)

 

 焦り−–−–−否、これは恐怖かもしれない。

 得体のしれない男に、これまで自信を持って投げていた誇りある決め球を打たれるという不安。

 そして嫌な予感なほど的中するもので、大島はフォークを丁寧にスイングすると、左中間のフェンスをダイレクトにぶつける長打となった。

 

「うおおおおおお!!! アイツ、ついにフォーク攻略しやがったぜ!!」

「センターが処理にもたつている! 大島っ! 三塁狙えるぞ!!」

 

 大島は長身が故に一歩の歩幅が長いから足もまあまあ速い。

 ベンチの八木沼から飛び出たアドバイスを耳にし、大島は2塁に到達しても失速せずに走り抜ける。センターの後藤がようやく返球するも、大島の足が先にベースへ届いた。

 

『セーフ!』

 

 よっしゃ!!

 これで2-3、しかも俺が単打以上を打てば同点に追いつく!

 

「頼むぜキャプテン!!」

「みずきさんのためにも打ってくださいー!」

 

 今宮と大京の声援を糧に、ネクストサークルからバッターボックスに入る。

 山口はフォークを完璧に捉えられ、鉄仮面とも称されるポーカーフェイスからついに歯軋りをする悔しそうな顔を作っていた。

 

『ットーライクッ!!』

 

 それでもストレートの球速は143キロをマークする。

 友沢、聖ちゃん、大島の3人はこんな怪物からヒットを打ったのかよ。

 

(……俺も負けてらんねぇな!)

 

 バットをいつもより短めに持ち直す。

 今の俺の技術ではフォークをホームランにはできない。当てるだけで精一杯なら、その当たりを最低限のヒットゾーンに運べれば今はいいんだ。

 カッコつけはいらない。どんな形でもいいから今はヒットだ。このお化けフォークを絶対に−–−–−

 

 

(−–−–−捉える!!)

 

 

 凄まじい金属音と共に打球は蛇島の左を強く襲う。

 蛇島が執念のダイビングキャッチを試みるが、ボールはグラブを掠めて通過、これもヒットとなり、早くも同点に追いついた。

 

 

「やったな一ノ瀬!!」

 

 一塁コーチャーの岩本とハイタッチを交わし、喜びを分かち合う。

 蛇島は凄まじい形相で俺を睨みつけているが、俺は無視してタチバナ側のベンチへ右手を挙げた。

 

(そう易々と勝てると思うなよ。 ウチをあまり甘く見てると足元すくわれるぜ)

 

 続く今宮も良い当たりはするも、ライトフライに倒れてチェンジとなった。

 しかし上位打線の四連打で一挙に同点まで追いついた。

 

「みずき、この3点は絶対無駄にしないぞ」

「大丈夫、もうこれ以上点を与える気はないんだから!」

 

 4回も橘・六道バッテリーの勢いは止まらない。

 今度はたった12球で2三振とショートフライに打ち取り、5回も3人でピシャリと終わらせた。

 山口も打たれて逆に冷静さを取り戻したのかその後は復調、5回裏の友沢、聖ちゃんを三振で抑え、試合は徐々に投手戦へシフトチェンジしていった。

 

 

 

 

 

「どうだ山口、まだ行けそうか?」

「……念の為、香取に準備させてください」

「珍しいな。あのお前が降板も視野に入れているのか?」

「認めているんです。聖タチバナは正真正銘、僕たちの相手に相応しい良いチームなんです。彼らを認めているからこそ、自分の限界をしっかりと見定めたいんです」

「−–−–−そうか。おい香取!」

「なんですか監督?」

「肩を作っておけ。様子次第では登板させる」

「そうですか。うふっ、分かりました」

 

 試合は6回表の中盤にさしかかり、帝王ベンチが慌ただしくなっていく。山口は現時点で5回を投げて3失点と、彼からしたらなんとも言えない成績に見えるも、奪三振数は7と彼らしさは健在であった。

 試合自体もようやく折り返しを過ぎた辺りで3対3の同点。山口をそのまま続投させてもなんら不思議でなかった。

 

(友沢は分かっていたがあの大島という一年……)

 

 脳裏から離れない長身の一年、大島誠也。

 あれだけ全身の力を抜き、ヒッティングの瞬間の踏み込みも浅いのにフォークを眼で見て捉えていた。これまでで己のフォークを完全に攻略できた選手は両手で数えるくらいの選手しかおらず、自分より下の学年にあそこまで運ばれたのは海堂にいる猪狩進しかいなかった。

 

(大島……見ない間に随分成長したじゃないか)

 

 帝王シニアに在籍していた頃を知る者として、こうして新たな好敵手として強くなって対峙でき、山口の胸は昂っていた。

 この回の裏のイニングが−–−–−おそらく今日最後の対決になるだろう。

 自分が今度こそあの好打者を完璧に抑えて、必ず流れを手繰り寄せてみせる。

 

「猫神、蛇島! とにかく一点だ! 何としてでも塁に出て繋げるんだ!」

「!、っす!!」

「……ああ、分かってるよ」

 

 その裏でこの男−–−–−蛇島は苛立っていた。

 

「橘、体は大丈夫か?」

「大丈夫に決まってるでしょ! 私よりも自分の心配をしなさいよ、今度は三振に倒れてるじゃん」

「……黙れ。お前も調子乗ってると打たれるぞ。ただでさえ豆腐メンタルなんだから謙虚にやれ」

「相変わらず嫌味な奴ねー! 少しは褒めてもいいじゃん!!」

 

 橘と友沢の言い合いながら守備につく。

 一見喧嘩をしているようにも見えるが、寧ろタチバナ側からすればこれが正常運転なまであるから安心感さえあった。

 

 しかし蛇島は、そのやりとりに対して同感など抱かず、はらわたが煮えくりかえるほどの怒りが込み上げてきた。

 

(あんな "才能だけ" の奴等に……僕は絶対に負けられないんだよ!!)

 

 握っていた金属バットのグリップを壊すかのような勢いで強く握りしめる。

 ……そうだ。また負けそうになれば潰せばいい。僕には野球しか無い……そんな僕を見下して邪魔するような奴は−–−–−

 

 

「友沢……ふふふふ、みていろ−–−–−」

 

 

 

 

 

 この回の先頭バッターは猫神からの好打順から始まる。これまでなら試合中盤辺りで疲れを見せ始めていた橘であったが、今日は顔色を変えずにマウンドを守り抜いていた。

 

「セカンド!」

 

 試合中盤になっても球威とコントロールは衰えることなく、低めの厳しいコースへスクリューを徹底的に投げ込む。猫神もなんとかフルカウントまで粘るが、そこが彼の限界点であった。

 今宮が丁寧に捕球、難なくスローイングしてアウトに。これで一回の途中から橘はパーフェクトピッチングを継続し、良いリズムを継続していた。

 

(今までならもうバテ始める頃合いなのに……やっぱ "アレ"を取り入れたのがデカかったな)

 

 一ノ瀬自身も橘の体力に感心していた。

 アレとは、夏前から密かに取り組んでいた『フォーム改善』と『先発にも対応できる身体作り』のことだ。

 

 橘のフォームはワインドアップから後ろに大きな捻りを加え、横手で投げ込むサイドスロー。橘がこのフォームを選んでいる理由が『この投げ方が1番力が入りやすいから』という理由だ。

 が、通常のサイドスローに比べ、橘のサイドは片足一本で全体重に大きな捻りという負荷をかけて投げ込む。ボールに力を加えられやすい反面、身体への負担が大きくなっていたのだ。

 

「負担を減らしたサイドスロー?」

「そ。みずきちゃんの強みはそのままに、これからは自分の体力にも配慮した投げ方に変えていくべきだと思うんだ」

 

 色々精査した結果、特に気になったのが『投げる際に肩が後ろに引け、リリースが身体より後ろに来てしまっていた点』だ。

 

 投球時の腕にはゼロポジションと呼ばれる、最も身体への負担が少ない

ポジションが存在している。できる限りリリースの瞬間は体より前でリリースした方が膝と腕への負担も少なく、慣れてくれば伝えられる力もより大きなものになれる。

 

「少しずつ改善していけばまだいいさ。まずはリリースポイントと肩が開く癖を治す。そして後は−–−–−」

 

 川瀬にも課している、下半身の強化だ。

 これは試合後半にも安定したボールを投げる目的もあるが、単純にボールの球威を上げる目的もある。

 近年では走り込みよりも科学的に分析し、必要な箇所の筋トレを行なった方が効率が遥かに良い。

 

 しかし川瀬と橘は女性であり、男性よりも筋肉が付きにくい体質だ。当然これだけを行えば体力不足を補えるかと言われればYesと返しにくかったが、

 

「私もやる! 涼子がやってるってのもあるけど、今の私の身体はまだ改善の余地があるって私が1番分かってるからね」

「何度も言うけど、絶対に無理をしない範囲でいい。急に負荷をかけてトレーニングすればそれこそ逆効果だからな。すぐに成果は出ないかもしれないけど、決して無駄にはならないと思うぜ」

「涼子にばっか良い思いさせたくないもん! なんなら私がエースの座を奪うつもりでやってやるわよ!」

 

 夏こそ成果を感じにくかったものの、季節が1つ変わって秋になり、少しずつ自分の努力が実を結んでいく感覚が橘の身体中に流れ込んでいた。プラス、六道聖という最高の女房の存在がより彼女の自信を大きくし、こうして帝王実業と互角以上に戦えていた。

 

『3番セカンド、蛇島君』

(来たわね蛇島。 アンタだけには絶対打たれないんだから!)

 

 「よしっ」、と呟いて投球操作に入る。

 ボールはアウトローのストライクゾーンをギリギリ通過する最高のボールだ。

 

(塁に出れさえすれば後は−–−–−)

 

 バッテリーが選択した2球目はインコースは落ちるスクリュー。蛇島はそれを無理矢理叩きつけると、ボールはサード方向へ大きくバウンドしていく。

 

「っ、大島っ!!」

 

 蛇島らしくない強引な叩きつけ。

 しかし打球はいやらしいまでに高く跳ね上がってしまい、大島が上手くジャンピングスローをするも、僅差で蛇島の右足が先にベースに着き、一塁塁審は両手を横に振った。

 

「…………」

「気にするなみずき。内容自体は悪くない」

「ん、ありがと。この後を抑えれば問題ないから気にしてないわ。ここからもう一踏ん張り頑張ろ!」

「!……うむ」

 

 1番嫌なバッターを出してしまったが、橘に動揺は全く無かった。焦っても仕方ないし、今は自分にできることを全力でやるしかないと割り切れていたからだ。

 六道もみずきの瞳を見て安堵し、定位置へと戻った。

 

『4番キャッチャー、唐沢君』

 

「……一ノ瀬君。君たちはまた調子に乗りすぎたね」

「…………」

 

 −–−–−嫌な予感がする。

 蛇島はインコースよりアウトコースの球を好んで打つ打者だ。そんな彼があんなインコースの厳しいボールを叩きつけたのが不思議で仕方なかった。

 

(まさか−–−–−)

 

 一ノ瀬が勘付いたその瞬間、蛇島は走り出した。

 意表を突く初球からのスチール。バッテリーもスチールには気づいており、途中でウエストに切り替えて対応する。

 

「甘いっ−–−–−!」

 

 スタートの切り方も八木沼や矢部に比べれば全然だ。

 綺麗な捕球から流れるようなスローイングで二塁へ送球する六道。ベースには友沢が捕球体制を整えてスタンバイしている。

 

 

(今度こそ引導を渡してやる−–−–−友沢ぁ!!)

 

 蛇島の目的はスチールを成功させることじゃない。

 彼の眼中には前の大会で痛めつけた友沢の足しかなかったのだ。

 

「−–−–−−–−」

 

 蛇島はスパイクの歯を意図的に向けながら滑り込む。狙いは前と同じ、友沢の足首だ。

 

(ふっ−–−–−っ!?)

 

 おかしい。

 確かに左足首目掛けてスライディングしたはずだ。なのに、なぜ……なぜ−–−–−

 

 

 

 −–−–−当たった感覚が何もないんだ?

 

 

『セーフ!!』

「!?、なっ……!」

 

 盗塁成功させたにもかかわらず、蛇島は驚愕の表情を見せていた。

 友沢は左足だけを上げて蛇島のスライディングをギリギリのタイミングで回避し、右足一本のみでタッチを試みたのだ。

 

「……間に合わなかったか」

 

 先に避ける事を考えた結果、タッチが遅れてセーフになってしまい、どこか悔しそうな仕草をする友沢。何事もなかったかのように橘へボールを返球しようとするが、マウンドから今にも飛びかかりそうな勢いで橘が迫ってきた。

 

「ふざけんな!!! アンタまた友沢の足を狙ったわね!! 正々堂々と勝負できないの!? 弱虫!!」

「なっ、えっ、ちょっ、みずき!?」

「こ、こらやめなさい!! どうしたのかね!?」

 

 持っていたグラブをマウンドに投げ捨て、タチバナナインでさえ見たこともない本気で怒った橘が蛇島へ詰め寄ってきたのだ。慌てて内野陣と主審、両校の監督が止めに入ろうとするが、橘はお構いなしに続けた。

 

「審判も審判よ!! 今のスライディング、どう見たってコイツが避けてなかったら確実に足へ直撃してたじゃない!! 」

「やめたまえ橘さん。僕だってセーフになりたくて真剣にプレーしているんだ。それに今のは友沢君の足が前に出過ぎていたのも原因なんじゃないのか?」

 

 蛇島の言い訳にプツン−–−–−と何かが切れた音がした。

 

「−–−–−コイツっ!!!」

「まずい!!」

「まてみずき!!」

「みずきちゃんそれはダメだ!!」

「先輩っ!!」

 

 もう我慢の限界だ。

 どこまで汚い手を使ってアイツに苦しい思いをさせるのか。なんでアイツばっか標的にするのか。

 人は理性の2文字が消えると、どんな事をしでかすか分からない生き物だ。そして今の橘は限りなくその状態に近い、危険な存在になっていた。

 一ノ瀬達内野陣が止めに入ろうとするが、距離がある為どう考えても間に合わない。

 

 

 蛇島は心の中でニヤリと笑い、橘から殴られる覚悟で目を瞑る。

 

 

「やめろ橘っ!!!!!」

 

 が、橘が蛇島の元へ辿り着くことはなかった。

 友沢が2人の間に割って入り、体を張って橘を止めたのだ。

 

「なんでっ、なんで邪魔するのよ!! 昔から酷い目に遭わされてきたんでしょ!? どうしてアンタは止めに……とめ、に…っ……!」

「…………」

 

 橘は分からなかった。

 なぜ当の本人が蛇島に対して嫌悪感の態度を1つも示さないのか。普通の思考ならやり返すとまで行かなくても、少なからず敵意の姿勢は見せるはずなのに。

 

「橘。周りを見ろ」

「え……あ…………」

 

 ザワザワと騒ぎ出す観客。

 両校の監督も心配そうにマウンドまで駆け寄り、内野陣だけでなく外野を守る3人も気づけば自分の近くに集まっていた。

 

「あまり騒ぎを大きくしたくないから言っとく。俺が今考えてるのはこのチームをどうすれば勝たせてやれるかだけだ。決して復讐のためなんかじゃない」

「でもそうしたらアンタは……!」

「蛇島。俺も足を前に出しすぎていた。避けるのが遅かったらお前を悪者扱いさせるところだった。すまん」

「!!」

 

 コイツは馬鹿なのか?

 お前だって僕が一方的に狙ったと勘付いているはずなのに……なぜ逆にお前が謝っているのか、全く理解ができない。

 

「……橘監督。ウチの選手が危険なプレーをしてしまい、申し訳ありません」

「いえ。こちらこそ妹……いえ、選手が詰めかかったりしてすみませんでした。ほらみずき、謝りなさい」

「蛇島もだ。2度とこんなプレーをするな、いいな」

「っ……ごめん」

「……すみませんでした」

 

 両者が不本意ながらも謝罪したことでなんとか事態は下火に向かっていったが、審判はこの一連の流れを危惧したのか−–−–−

 

「申し訳ないですが念の為、両校に警告試合を出します。蛇島君、本気でプレーした上での結果なのは分かるが、危険な行為はやめなさい。橘さんも次詰めたりしたら即退場にさせるよ、いいね?」

「はい……」

「分かりました……」

 

 その後審判団からマイクで警告試合の説明をし、試合は盗塁成功後から再開となった。

 

 

「橘」

「…………」

「−–−–−ありがとな、心配してくれて。でもあそこで殴りでもしたらそれこそ蛇島の思う壺だ。もしお前が悔しいくらいに怒ってるなら結果とプレーで見返してやればいいさ」

「……うっさいバカ」

 

 涙が溢れそうになる眼を必死に抑えながら、橘はバッターボックスへ視線を逸らす。

 どこまでお人よしなのよアンタは……。

 もう橘には友沢の考えなど理解できなかった。

 

「…………なぜ嘘をついた」

 

 定位置に戻る友沢へ蛇島が怒りを滲ませながら質問する。

 

「勘違いするな。俺はお前を庇っているつもりで言ったわけじゃない。ここでお前にやり返したって何も残らない。そんなくだらない考えを張り巡らせるならどうすれば自分のチームを勝利に導けるかを思考する方がよっぽど大切じゃないか? それに本来のお前ならそんな奴じゃないって−–−–−俺は今でも信じているからな」

「−–−–−−–−–−」

 

 本来の自分……だと?

 

「お前まさか……!」

 

 蛇島が思い出したのは自分が野球を始めて間もない頃の記憶。

 

 

 そう、自分が純粋な気持ちで心から野球を楽しんでいた頃の、忘れ去りたい過去だった−–−–−。

 

 


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