Glory of battery   作:グレイスターリング

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第三十九話 秋季大会へ、それぞれの想い

 

 蒸し暑かった夏も過ぎ、涼しさが少しずつ顔を出してきた9月末のとある晴日和。

 今日は10月の2週目から行われる秋季県大会の抽選会だった。

 と言っても夏の大会ほどの人数は来ておらず、大体どの学校も顧問の先生に主将と副主将の計3人で訪れている。

 それは俺たち聖タチバナも同様で、今日は俺と八木沼、そして聖名子先生の3人でしか来ていなかった。

 

「よいしょっと」

 

 事前に指定されたホールの座席に腰をかける。

 まだ開始まで15分ほど時間がある。まぁ丁度いい時間っちゃ時間だな。

 

「やはり夏から秋の間ってのはあっという間だな」

「……ああ」

 

 仮に夏の予選の一回戦で敗退したとしても、そこから秋季大会までの期間は僅か三ヶ月ほど。やはり秋の大会は夏とは違って意味での難しさがそこにはある。

 しかも夏の大会後には3年生が引退し、今度は2年生を中心とした新チームでの体制となる。そこで世代交代が上手くいけば前年よりも良い成績が残せる一方で、逆に失敗してしまうと暗黒時代に突入……と、こんな事態にだって起こりうる。

 

 けれどウチはまだ新設一年半程の野球部だから世代交代もないわけだから今年は安心だが、来年はそうはいかない。

 来年の秋からは最上級生は大島と東出の2人のみ。アイツらの為にも俺らの代で成績を残し、新入部員の数を増すしか道はない。

 

「あ、そういえばお二人は今年のドラフト指名選手、知ってますか?」

「……ええ、もちろん耳に入ってますよ」

 

 そういやもう10月に入るし、聖名子先生の言うドラフト会議ももうすぐだったな。

 自分達の代がここ近年どころか長い高校野球史の中でもトップクラスに群雄割拠の世代だから忘れてたが、一つ上の先輩達の代もこれがかなりエグい。

 

「1番の目玉は帝王実業で4番を張ってた真島さんだろうな。高校通算70本塁打、打率7割越え、守備に関しても高水準にサードをこなしてますし、スカウト陣の評価もかなり高いらしい」

 

 真島さんの凄さは俺と涼子が試合中に身をもって知らされたからな。

 ウチのエースのボールを簡単にスタンドインさせられた衝撃は今でも忘れられないぜ。

 ちなみに週間パワスポのドラフト特集によれば、パワフルズ・やんきーズ・バルカンズの3球団が既に一位指名を公言しているほどの注目を集めている。

 

「他には海堂からエースの榎本直樹、4番の千石正人も指名確実らしいな。榎本は投手王国のバスターズ、千石は次世代のスラッガー候補としてカイザーズが取るらしい」

「あとは名門あかつき大附属から正捕手の二宮瑞穂君と猪狩君とのダブルエースで有名な一ノ瀬塔哉君も上位候補に上がってましたね。あかつきの黄金時代を築き上げた張本人達とも言われてますし」

 

 おいおい、挙げてみれば高校生だけでも身近にヤバい選手がゴロゴロいるのか……。

 しかもそこから大卒と社会人組も加われば争奪戦は更に激化するのが目に見えているな。

 

「しかし聖名子先生も詳しくなりましたね」

「最初の頃はルールを覚えるだけでも精一杯でしたけど今じゃそこらの野球通よりオタクですよ」

「ふふっ。一応これでも野球部の顧問ですから」

 

 っと、照明が暗くなったか。

 さーて。いよいよ運命の抽選会が始まるな。

 ちなみに聖タチバナは夏に帝王に敗れたわけだが、ベスト8まで残っていた恩恵もあり、今回は1回戦が免除のシード枠に入っている。

 よって初っ端から海堂や帝王と当たるような事はないが油断はできない。夏の大会後から他校の偵察もチラホラあったし、前回ほど安易にゲームメイクさせてはもらえないだろうからな。

 

「えー続きまして、秋季大会組合せ抽選へと移ります。呼ばれた学校は代表者一名、前へご登壇くださいまずは海堂学園−–−–−」

 

 連盟のお偉いさんの話が終わり、本命のくじ引きへと移った。

 まずは夏同様に第一シードの海堂学園から。

 

(−–−–−!?)

「おい一ノ瀬、アイツって……」

「……マジかよ」

 

 海堂学園が代表として登壇したのは俺と猪狩、葛西のかつての後輩だった進だ。

 まさかアイツ、一年生でもう海堂の主将クラスにまで上り詰めたのか……?

 

「海堂学園、79番」

 

 俺と八木沼が驚いている間に、進は淡々とくじを引いた。

 確かに進の実力なら1年生でレギュラーを取ってもおかしくはないが、センバツ行きがかかったくじ引きを神奈川随一の強豪校が1年生に引かせるとは……それは予想ができなかったぜ。

 

「帝王実業、80番」

 

 帝王は海堂とは反対側をのトーナメントを取った。

 この時点で2校での潰し合いがなくなり、俺がどこを引いたとしても準決勝までにどちらかと当たることが確定した。

 実は秋季大会は夏の大会とは少し異なり、優勝できなくても甲子園には行ける。正確には優勝校と準優勝校の計2校、つまりこの2校が準決勝か準々決勝で潰し合いを行うと、反対側のトーナメントは準優勝までが格段と狙いやすくなるって寸法だ。

 

(……ま、どのみちこの2校に勝てなきゃ甲子園に行ったってすぐ負けるのがオチだけどな)

 

 そして次の次の次に、聖タチバナの番が回ってくる。

 学校名を呼ばれ、俺が代表として前へと出る。

 

(ふぅ……)

 

 覚悟を決め、抽選箱の中に腕を入れた。

 最初で最後の秋季大会。俺が引いた番号は−–−–−

 

 

 

 

 

 

 

 同日。

 聖タチバナ学園・野球部グラウンド−–−–−。

 今日の練習は休みであるにもかかわらず、そこには3人の男が早朝から猛特訓を繰り広げていた。

 

 −–−–−ブンッ!

 

「っ!、くそっ!!」

「もっとボールを手元まで引きつけろ! それでは一回戦校レベルの変化球すら打てないぞ!」

「くっ……っす!」

 

 滝のような汗を流しながらバットを振り続けていたのは1年生の大島だ。バックネット裏からは先輩の友沢が徹底的に大島へバッティングの指導を行っている。

 

「他校の奴等はお前が変化球に弱い事は既に知ってるはずだ! ならお前すべきことはただ一つ! その弱点を練習で補え!!」

「はぁっ、はあっ……っす!!!」

 

 この日、大島がピッチングマシーンに対して振ったバットの回数は既に500回以上。朝の6時から始まり、時刻はもうすぐ15時を回ろうとしていた。

 使用しているピッチングマシンは『球超グレイト・変化球タイプver.2』。これは夏季の大会で好成績を残した学園側のご厚意で特注で用意してもらった高レベルのマシンで、スライダー・カーブ・フォーク・チェンジアップの3種類をかなりの落差で投じてくる。そして驚くべきはこのマシン、ストレートは一切投げないため、大島からすればまさに地獄とも呼べる恐ろしい代物であった。

 

(前の大会、俺が変化球に対応さえできてれば先輩達の負担ももっと楽になってたはずだ! それに……東出の野郎だけにカッコいい姿はさせたくねぇ!!)

 

 パワフル高校戦で大活躍をした東出とは対照的に、大島は直近の試合は三振の数が多く目立ち、クリーンナップとしての仕事を果たしているとは言い難い成績が続いていた。

 そして秋からは変化球による徹底的なリードが襲いかかるのは明々白々。そこでチーム1の打撃センスを誇る友沢の力を借り、休日返上で変化球打ちの特訓を続けていたのだ。

 

(っふっ……っふっ……!)

 

 一方の東出はハンドグリップをしながら走り込み、そして9×9の的を使った投げ込みと、ピッチング周りの練習に精を出していた。これは最近の練習が野手中心であったことも考慮しての取り組みだ。

 

(まだ俺のナックルはすっぽ抜けることがある……その為にはもっと強い握力とコントロールが必要不可欠だっ……)

 

 東出はエースでも無ければ先発投手でもない。

 それでも、キャプテンである一ノ瀬は自分を投手としても戦力として見てくれている。そんな期待に応える為にも……そして、

 

(大島は馬鹿だが野球に関しては単細胞じゃない……必ず変化球にも対応してくるはずだ!)

 

 すぐ身近にいる最大のライバルに負けたくない−–−–−。

 東出を動かしていたのも大島と同様の対抗心であった。

 

 

「……よし。そろそろ休憩にするか」

 

 友沢の一言でようやく休憩にありつける大島。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、ベンチに置いてあった飲み物を手に取る。

 

「んっ、んっ、ふぱぁ……そういや友沢先輩、足の具合はどうっすか?」

「ああ、もう完治している。医者からのお墨付きももらってるからプレーに支障が出ることもないはずだ」

 

 帝王実業戦で蛇島桐人から受けた悪質なラフプレーによる怪我も癒え、友沢も数日前から本格的な練習を開始していた。

 ブランク明けであるものの、やはり友沢のズバ抜けた野球センスは衰えておらず、逆に気迫が感じ取れるほど練習に励んでいる。

 

「俺の事は気にしなくていい、大島は自分のことだけ考えろ。ただでさえお前は馬鹿なんだからな」

「ちょっ!?」

「ふっ……さて、あと数分したら再開するぞ」

 

 大島との特訓は18時で切り上げるが、その後は軽い夕飯を挟んで自分のトレーニングも22時までは行う予定。

 復帰明けからとんでもないハードスケジュールを組んでいるが、彼からすればそれでも足りないくらいだ。

 

(俺や一ノ瀬だけでは帝王には絶対勝てない。 後輩のコイツらも万全のコンディションで戦えるようにしなければ、タチバナに未来はない−–−–−!)

 

 無論、蛇島に借りは返すつもりだが、それ以上にこのチームを甲子園へ導くことが彼にとっては1番の恩返しであると、そう考えていた。

 肩を壊して潰れていた俺をもう一度野球の世界に戻してくれたアイツらの為にも今度は俺がチームを導く。

 クールな男の表情の奥底に潜む眼は確かに燃えていたのだった。

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「よんひゃくきゅうじゅうはち……よんひゃくきゅうじゅうきゅ……ごひゃくっ!!」

「よし、3分休憩したら次はティーバッティングだ」

「ろっ、六道さん……ちょっと厳しくない……?」

「そうだ、ぜ……」

 

 同日の西満涙寺−–−–−。

 ここでも休日返上で練習に励む3人の選手がいた。

 

「岩本、笠原。大島や東出1年が活躍して、お前達はまだこれと言った活躍をしてないんだ、悔しくないのか?」

「くうっ……それは……」

 

 確かに元々持っている才能も、ここ最近の活躍も、全部後輩たちの方が上回っている。確かにそれはチームの一員としてありがたいのだが、その反面、先輩としてのプライドもあり、悔しさもやはりある。

 

「−–−–−私は悔しいぞ」

「えっ……」

「ここで私が出塁していたら、ここで私がリードを間違えていなかったから、良いプレーがある反面、反省すべきプレーも振り返れば沢山ある。その度に……私はこう思うんだ。優勝以外、悔しさや後悔の念は絶対残ってしまうんだと。そして優勝するためには一部の選手だけでなく、チーム全員が一丸となって戦う、それこそか目指すべき野球の理想像だとな」

 

 初の大会で結果はベスト8。

 これは確かに世間では誇ってもいい結果かもしれない。しかしタチバナが目指しているのは頂点である優勝のみだ。それ以外はどれだけ頑張りが認められても当の本人達に残るのは悔しさの念のみ。

 

「そう……だね」

「さすが六道さんだよ。確かに俺と笠原って途中交代や代打が目立ったりしてるけど、そんな俺達にもできることは少なからずあるはずだもんな」

「おう! 逆にこう考えれば良いかもな、少ないチャンスをモノにすればよりカッコよく見えるってな!」

「……ふふっ」

 

 カッコよく、か。

 あながち間違ってはいないかもしれないと、彼女も少しなから共感した。

 

「カッコよくなりたいならまずは今日のノルマを達成することからだな。練習再開するそ!」

「「ぐぅ〜……」」

 

 苦悶の表情を浮かべながらも、岩本・笠原のコンビも必死に六道のハードメニューをこなすのであった。

 

(……そうだ。アイツも……鈴本だって今度は私達へ対策を立てて挑んでくるはずだ。今まで以上に気を引き締めないと)

 

 次こそは甲子園へ−–−–−彼女の想いもまた一段と熱く強いものである。

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「なんですかね、必ず来いって」

「さぁなぁ? みずきさんってホンマに気分屋だから分からんわ」

「また変な雑用を押し付けてこなきゃいいですけど……」

 

 同日の聖タチバナ学園・生徒会室−–−–−。

 今日は土曜日ということもあって生徒会役員の面々は誰もおらず、橘は大京・宇津・原の3人をここへ呼び出したのだ。が、呼び出された3人は橘の思惑が分からず、どこか身構えた様子だった。

 

「さてと……」

「ほな入りますか」

 

 意を決して扉を開ける大京。すると待っていたのは3人が予想もしてなかった光景だった。

 

「おっ、来た来た〜♪」

「え、みずきさん、これは……?」

 

 目の前の長机に並ぶ美味しそうな料理の数々。そして気が利くように飲み物も多数用意されており、まるでこれからパーティーでも始まるかのような振る舞いの数々が並んでいた。

 

「いや〜、最近3人には頼み事を沢山してもらってたし、そのお礼も兼ねてご馳走をね〜」

「「「………………」」」

「……なによ、疑ってるの?」

 

 そりゃ……ね……と、顔にそのセリフを出しながら橘を見つめる3人。

 こうした振る舞いはこれまでもたまにあったのだが、こうしてアメを与え、次の日になると決まって雑務を押し付けるのも橘のテンプレなのだ。3人がまだ警戒するのも無理はなかった。

 

「……まぁさ、お礼ってのもあるけど、1番は少しでも3人の苦労を私自身が労ってあげたいのよ。それに、ここにあるご馳走も全部私の手作りだし、食べてもらわないと困る…のよ……」

(……あれ? いつも小悪魔を通り越して大悪魔なみずきさんが天使に見えるんですが?)

(うん……夢でも見てるのかな?)

(とっ、とにかくみずきさんがせっかく用意してくれたんや。有り難くいただこうや)

 

 3人は恐る恐る席に座り、橘の料理に手を付ける。

 

「おっ、結構うまいな!」

「美味しいですよみずきさん」

「そう、良かったわ♪」

 

 3人が自分の料理に手を付け、橘もホッと胸を撫で下ろす。

 すると宇津が何か勘付いたのか、こんなことを橘へ尋ねた。

 

「みずきさん。まさか僕たちの為に料理の練習をしてくれたんですか……?」

「へっ?、あ、いやっ、これは別に愛情とかそういうものじゃなくて!だから……っ〜!」

 

 どこか恥ずかしそうに下を向く橘。

 そう、橘の手は刃物ので切ったような切り傷、そして絆創膏が目立ち、しかも彼女自身、料理は全くと言っていいほどできなかったはずなのだ。

 

(冷静に考えてみれば最近のみずきさん、六道さんと部室で料理の話とかよくしてましたね)

 

 お寺の都合上、1人でいることが多い六道は殆どの日を自分が代わりに料理しているため、かなりの腕と噂で聞いたことがあった。

 そして今気付いたがここにある料理……肉が全く使われていない和風系が大半を占めている。

 つまり−–−–−

 

(みずきさんはみずきさんなりに、僕たちのために心から苦労を労おうとしてくれたんだな)

 

 苦手な料理を親友の手を借りながらも揃えてくれた。

 今までのアメとはどこか違った温かさがあると、3人は感じとったのだ。

 

「あのね……こうして公式戦に出てるのも、私がここの野球部として活動できてるのも、裏で3人が頑張ってくれてるんだって私が1番分かってるの。本当に感謝してるし、少しでもっ、心から気持ちを伝えたかったのよ」

「みずきさん……何もそこまであらたまらなくてもええのに……」

 

 こうした3人の存在があったから自分は野球部に入れ、公式戦にも出て、最高の仲間と熱い試合を繰り広げられている。

 普段3人に雑用を押し付けがちではあるものの、その一つ一つを橘は決して忘れてはいなかった。

 

「あと私からできることと言ったらこのチームを甲子園に連れてってやるくらいだと思うの。でもそれには私だけじゃなくて3人の力もまた必要なの……だから−–−–−

 

 

3人にはまだまだ一部員として頑張ってほしいの! 勝手なお願いかもしれないけど……私、野球が大好きだから、さ」

 

 

「何言ってんや、みずきさん」

「えっ?」

「僕たちだって好きじゃなきゃ野球なんてやってませんよ」

「そうですね。私も宇津君や原君と同意見です」

 

 3人だって橘と野球に対する気持ちは同じだ。

 そして、そんな橘だからこそ、3人は多少の理不尽にもついてきてくれた。なら目指すのも同じ−–−–−

 

「秋の大会、今度こそ甲子園に行きましょう!」

「ワイらならやれますぜ!」

「僕達ならきっとやれますよ!」

「皆……うんっ、ありがと!」

 

 秋季大会まであと2週間。

 また1つ、4人の団結が深まった瞬間であった。

 

 

 

 

⭐︎

 

 同時刻・とある豪邸−–−–−。

 

「−–−–−で、ここはこの数式を使いまして、」

「うーん……結構難しいな……」

 

 ここは恋恋高校野球部のマネージャー・七瀬はるかの実家である。

 一応実家なのだが、その規模はもはや一般家庭の家を大きく凌駕したものだった。

 噴水とプール、辺り一面芝の広すぎる庭に方向音痴が入ると高確率で迷ってしまう何十個もの部屋、そして勉強の休憩の合間に出される高級菓子の数々……これには勉強を教わりに来た今宮もただ驚くしかできない。

 キッカケは1年時にタチバナ・恋恋+αで行った合宿での出会いで、今宮はこうしてたまに、七瀬の家を訪れては勉強を教えてもらっていた。

 

「ほんといつもごめんね、俺が一方的に勉強を教わってばっかでさ」

「いいんですよ。私も今宮さんと勉強するの楽しいですから」

「そ、そっか……」

 

 ほんのり顔を赤らめてしまい、たまらず視線を彼女から目の前の教科書へと移す。時折見せる彼女の純粋な笑顔は、思春期の男子高校生にとっては恐るべき破壊力である。

 

「あ、あー、ところさ、恋恋高校は最近どんな感じかな?前に聞いた聞いた話だと茂野が編入してきたらしいけど」

「最近、ですか? そうですね……何と言いますか、新しいチームになってから少しずつ結束力を高めているというか、雰囲気も結構良い感じですよ。私の他にも新しいマネージャーの方が入部してくださり、とても助かってますよ」

「そうなんだ。確かはるかちゃんって生まれつき体が弱いんだっけ?」

「はい。あおいからは『こんなことは矢部君に任せて無理はしないこと!』とよく注意されてますけどね」

 

 ふふっ、と笑いながら七瀬は返す。

 七瀬は生まれつき病弱な面を持っており、昔から激しい運動は医者からも止められていた。本当は自分も運動部に入って活動したいのだが、その意から反するように体は無意識に拒んでしまうのた。

 

「でもあおいは……あおいなりに私の事を心配してくれてるんです。運動ができずにくすぶっていた私を野球部のマネージャーに誘ってくれたり、オフの日にも私とキャッチボールをしてくれたりと、本当に優しい子なんです」

「そう、なんだ−–−–−」

 

 普段、矢部君にグーパンチするイメージしか湧いてこないが、何だかんだで人一倍、友達を大切にする良い子なのかもしれない。

 ……まだ怖い一面は拭いきれないが。

 

「それに、もしかしたら今のチームが1番楽しいかもしれないんです! 新しく入部してくださった方々も面白くて、野球に対しても真剣に取り組んでくれて、そんな何気ない練習風景を裏で見てるだけで、何だか活力を分けてもらえるようで……」

 

 −–−–−マネージャーとして、このチームを支えたい。

 そんなチームが大好きだからこそ、七瀬は自分のできることを果たし、夢を叶えてるお手伝いがしたいのだ

 

「……分かるよ、その気持ち。俺も普段イジられたりすることもあるけど、なんだかんださ、アイツらが好きなんだよな。俺、バカだから言葉で表現するのは難しいけど、好きだから……だからこそこのメンバーで甲子園に行きたいって、嫌でも思っちまうんだよな」

「ふふっ。私達って似た者同士かもしれませんね」

「そうだな」

 

 選手とマネージャー。

 役割は全く違うと言えども、目指すべき目標や志は同じ大切な仲間である。それはこの2人も例外に漏れていなかった。

 

「よしっ、この宿題を終わらせたら素振りでもするか! はるかちゃん、あともう少し頼むよ!」

「−–−–−ええ、もちろんです♪」

 

 これは余談になるが秋の大会が終わった後、今宮は勉強を教えてもらったお礼として、奢りで一緒に遊園地へ行ったそうだ。当の本人達は大いに楽しんだのだが、その事を七瀬が上機嫌で早川に話してしまい、今宮の元へ嵐の数の鬼電が来たのはもう暫く後の話であった。

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「走ってくるから先に晩御飯食べてていいよ」

「それはいいけど、あんまり根詰めすぎないようにね」

「分かってるわ」

 

 時刻は19時を回ろうとしているが、少女はランニングシューズに履き替えて家を飛び出る。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 

 休日に決まって行う3〜5kmの走り込み。それはリトルリーグ時代からほぼ毎日行ってきた川瀬の日課であった。シニアまでは7回の短いイニングで切り抜けられるが、高校からはそうはいかない。

 自分よりも体と体力が一回りも二回りも大きい男子に対して最低でも9回の長丁場を投げ込むのだから。例え後ろにリリーフが控えていたとしても、それがエースナンバーを付ける自分の絶対的な使命であると、川瀬は誰よりもそう考えていた。

 その為にも強靭なスタミナと足腰を作るのは必須条件だ。

 

(もっと強くならないと……真島さんのような真のスラッガーには絶対勝てない!!)

 

 相棒の大地が困惑するほどの負けず嫌いさを放ちながら、黙々と走る。気が付けば川瀬がいつも通る近くの河川敷に来ていた。

 

(………ん?)

 

 前方にある河川敷の街灯の下で、少女が体育座りで蹲っていた。

 たまらず足を止め、川瀬はその少女の元へゆっくりと向かう。

 

「もしかして愛美……ちゃん?」

「えっ、その声って……川瀬先輩っ!?」

 

 特徴的なショートボブの髪型にかつて自分と八木沼が通っていた中学の制服、そして座り込む少女の横に置かれた年季のあるエナメルバッグ。

 それだけでこの少女が誰なのか、川瀬からしたらお釣りが貰えるだけの情報量だ。

 

 −–−–−八木沼愛美。

 聖タチバナ学園野球部・副キャプテン、八木沼隼人の妹で、学年は一ノ瀬達の2つ下で、三船南に通う中学3年生だ。

 ポジションは外野を任され、とにかく走力がウリの選手である。

 シニアで野球をしていた兄とは異なり、こちらは中学の軟式野球部に所属していた野球少女で、川瀬がまだ横浜シニアに所属していた頃に八木沼を通じて知り合い、関係もかなり良好であった。

 

「うわ〜、久しぶりね! 元気にしてた!?」

「あ、はい……何とかって感じですかね……」

 

 どこか覇気のない後輩の様子に、川瀬は一瞬首をかしげる。

 

「もしかして、何か悩み事でも?」

「ふえっ? そそっ、そんなんじゃないですよ!! ちょっと休んでただけですって!」

「−–−–−嘘。愛美ちゃんって昔から嘘つくと目がすっごく泳ぐもん。バレバレだよ」

「うぐっ……」

 

 そっと微笑みながら、彼女の隣に川瀬も座る。

 そんな仕草を見て観念したのか、八木沼愛美はゆっくりと語り出した。

 

「私……野球を辞めようか考えてるんです」

「…………」

「元々、野球を始めたのだってお兄ちゃんに憧れたのがスタートでした。自分もあんな風になりたくって……でも私は川瀬先輩みたいな強さも、六道さんみたいな技術も、橘さんみたいな変化球も投げれないんです。ただ足だけが速いだけでバッティングはからっきし、守備だって外野を任されているのに肩はそれほど強くない、それに……最後の夏の県大会だってレギュラーで私だけ一度もヒットを打てなかった……!」

 

 次第に少女の肩が震え始める。

 

「前はあんなに楽しかったのにっ、辛いんです!! 大好きな野球なのに……自分なんか高校野球に行ってもどうせ通用しないんじゃないかって…っ…ううっ……」

 

 ポロポロと溢れる涙。

 それは野球が好きでも自分には他の女性選手のような才能がないと、自分が1番痛感していたからこその悔し涙だった。

 ヒットは全く打てない、肩も弱い、投手に転向できるほどの力も無い、唯一あるのは足の速さだけ。しかし足の速さなら兄である隼人にも備わっており、その上で彼は守備やバッティングも上手い。

 

 憧れの存在だった兄が、いつしか己と比較して苦しめる存在になっていたのかもしれない−–−–−

 

「そっか……でも愛美ちゃんは野球そのものは嫌いじゃないんでしょ?」 

「ぐすっ、それは……」

「確かに才能の有無は重要かもしれない。だけど−–−–−それが野球を諦める判断材料にはならないよ」

「!……」

「それにね、私だって愛美ちゃんと同じなんだよ」

「おな、じ……?」

 

 川瀬は愛美の頭に手を置くと、優しく撫でた。

 

「私って根っからの負けず嫌い女だから、勝った喜びよりも負けた悔しさの方が全然多いの。その分だけ泣いて、練習して、また負けて……今もその繰り返しなのよ」

「…………」

「私はね、愛美ちゃんが思ってるよりも強い選手じゃない。こうして走ったりして焦る自分の気持ちを抑えるくらい、余裕がないもん」

 

 エースとしてマウンド託される者の重圧。

 それは本人にしか知りえない重圧があり、押し潰されそうにもなる。

 そんな彼女がマウンドに上がり続ける理由は−–−–−

 

「−–−–−それでも私は野球と、このチームが好きだから頑張れる。失敗や負けを恐れて辞めるなんてもったいないから」

「!」

 

 キッカケは兄への憧れであっても、愛美の野球への愛は嘘でなかった。その証拠に愛美は引退後も道具の手入れは怠らず、他の誰よりも練習へ顔を出している。

 

 

 −–−–−自分は……本当はまだ野球をやりたいんじゃないのか?

 

 

「……そうだ愛美ちゃん。再来週から私達、秋の県予選が始まるんだ。その試合、是非観に来てよ」

「試合に……ですか?」

「ええ。さっき大地から連絡があって、トーナメントの日程と組み合わせが決まったの。初戦が友ノ浦と三船の勝者、その後順当に勝ち進めば準々決勝で帝王、準決勝で海堂とだからセンバツへ行くにはこの2校を負かさないとダメだけどね」

「…………」

 

 自分の試合を見せることで彼女にある種のキッカケが与えられればそれでいい。

 それは小学生時代の愛美が楽しいそうにグローブとバットを使って野球する姿を知っている川瀬だからこそ、その気持ちを思い出してほしかったのだ。

 

「−–−–−分かりました。学校で授業があるので平日は来れないですが、土日祝で試合と重なっている日には必ず行きます」

「ありがとう。 観ててね、私たち勝って絶対に甲子園に行くから!」

 

 月明かりと街灯のみが照らされる夜の河川敷で交わされた少女たちの約束。

 川瀬は立ち直った愛美と共に、その場を後にした。

 その時に垣間見えた愛美の表情は、かつての野球を楽しんでいる頃の明るさを僅かに取り戻していたのだった。


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