「確か……ここだったな」
その日の放課後、俺は学校から少し離れた小さなアパートへと伺った。
そう、ここは内山が住んでいるアパートだった。聞くところによると、内山の家は下に3人の兄弟がいる大家族なのだが、両親が共働きで遅くまで帰れないため、こうして年長者の内山が毎日家に帰って面倒をみているらしい。
これは俺の推測にすぎないが、多分内山が部活に所属してないのはこうした家庭の事情も相まってのことなのだろう。
「……よし」
覚悟を決め、部屋のインターホンを押す。が、部屋から出てきたのは内山ではなく、俺の腹くらいの高さに満たない2人の子供だった。
「お前は誰だ?」
「は?、え、いやっ、内山の友達で茂野吾郎だけど……」
この2人が内山の弟と妹なのか。
目元とか内山と瓜二つで、異常なまでに似ているな。
「僕たちはお前みたいな奴、知らないぞ」
「いやだから、内山っつってもお前たちじゃなくて大きい方の兄だっつーの」
「……なら合言葉を言え」
「は?」
合言葉……だと?
内山の家は鍵の代わりに合言葉制を取り入れてんのかよ……。
「クリーム−–−–−」
「ん?、シチュー……」
−–−–−バタン!!
「っておい!! ちょっと待てや!!!」
クリームって言ったらシチューじゃねぇか!いやこの際そんなのはどうでも良いけどよ!!
「頼む開けてくれー!! 俺はうち……いや、大きい方の内山に用があるんだよ!!!」
しかし無情にも内側から鍵をかけられてしまい、開くことを許さなかった。やべぇなこれ……完全に警戒されちまった。
ドンドンと扉を叩きながら中のちびっ子たちの説得を試みていたその時だった。
「あれ、茂野?」
「だから俺は怪しい奴じゃな、ん、おおっ!?」
そこにいたのはたくさんの商品が入ったスーパーの袋を持った内山だった。
「話は聞いてるぜ。お前の家、両親が共働きだからすぐ帰って2人の面倒見てるんだろ?」
場所を近くの公園に変え、ベンチ越しに内山と話す。
ちなみにちびっ子2人は俺たちの目の前にある砂場で楽しく遊んでいる。
「……ほら、言えないだろ? 兄弟の面倒見てるから部活ができないってさ。なんかカッコ悪くてな……」
「いや、カッコ悪くねぇよ」
えっ、と目を丸くする内山。
俺は気にせずこう続けた。
「2人のため、家族のために自分の時間を削るなんて、簡単に見えてそうできることじゃねぇよ。もし仮に俺が内山の立場にでもなったら間違いなく耐えれねぇからな」
「茂野……」
知らなかったとはいえ、複雑な事情を持った内山を無理に誘ったのは俺が悪かった。俺は自分の事しか見えず、周りの人間の思いまで汲み取ってやれなかったんだ。
そんな奴に野球部に来いと誘う資格なんて、ない……よな。
「内山、無理に誘って本当に悪かったな。それと……この前は騒いじまってすなかったよ」
本当は「入部してくれないか?」とここで言いたかったが、やっぱり事情を知っちまったからには無理強いはできねぇよ。葛西達にも事情を話せばきっと分かってもらえるはずだ。
諦めて帰路に行こうとした時、内山が後ろから声を荒げた。
「ちょっと待てよ茂野!わざわざ謝るためだけに来たのか!?」
「あー……いや、本当は入部してくれたら俺としてもありがたいんだけどよ、お前にも事情があるだろ? だから気にすんなよ。もう無理に誘う真似はしないか−–−–−」
「俺だって……俺だって部活やりてぇよ!!!」
夕空が広がる公園に響く内山の声。
その声にちびっ子2人も驚いた様子で内山を見つめていた。
「確かに俺がいないと2人の面倒を見る人がいないから今まで帰宅部だったけど、俺も部活の一つだってやりたいさ! それに……前はあんな事言ったけど俺自身、野球自体は決して嫌いなわけじゃないんだよ。
だからさ−–−–−
「もし、迷惑じゃなかったら家事の合間とかに野球を教えてくれないか? 俺で良ければ野球……やるよ」
……えっ?
「ほっ、本当か!? そんなのおやすいご用だぜ!! 時間ある時に俺がいつでも付き合ってやるからやろうぜ!!」
「!、ああ、よろしくな茂野!」
この日から、俺は昼休みや夜などを利用して内山に野球の基礎をできる限り分かりやすく教えていった。ボールの握り方や捕球、バットの振り方、最低限のルールなど……
最初は頭を抱えていた内山もなんとか俺に食らいついてくれ、少しずつではあるものの日々進歩していた。
−–−–−カキィンッ!!
「お、今の感じいいな! 結構センスあるじゃねぇか!」
「へへっ。こう見えても中学でバスケやってたから運動自体は得意なんだよ」
少し太り気味の体型ではあるものの、フィールディングやボールをバットに当てるミートセンス、なによりバントなどの細かな技を丁寧にこなせていた。
運動経験があるとはいえ、とても野球初心者とは思えないほどの器用さだぜ、これはよ。
(……なんだか懐かしいな)
三船リトルにいた頃も最初はこんな感じで野球始めたっけな。
最終的な目標は試合に勝つことだが、こうして野球というスポーツを純粋に仲間と楽しみ、心から喜びを分かち合う。この瞬間も試合に勝つ事と同等、もしかしたらそれ以上の嬉しさがそこにある。
本当に大切なものは−–−–−仲間とこの面白さと楽しさを分かち合うことなのだと、おとさんだって背中で俺に示してくれた。
(あとは宮崎だが……)
そして残る1人、宮崎を説得すれば半ば強引な謹慎も解けるのだが、これが内山以上の難敵だった。
☆
「この裏切り者」
とある休み時間、廊下で俺は楽しそうに野球の話をする茂野と内山を見て、たまらずこう突き放した。
アイツだけは俺の理解者だと思ってたが……結局お前も"そっち側"の人間だったんだな。
俺はスポーツが大っ嫌いだった。
元々運動神経は低く、そのせいで運動ができる連中に昔からずっと小馬鹿にされ続けたからだ。せっかく好きなスポーツでも、こうした連中達のせいで俺は嫌悪感を拭えないでいた。
そして内山も結局は茂野を、そっちを選んだ−–−–−
そうかよ。どうせお前も内心は俺の事を笑って見てたんだな。はっ、もう馬鹿らしくなったぜ。
「みっ、宮崎!、ちょっと待てよ!!」
とある昼休み、廊下を歩いていた俺の後ろから内山が声をかけた。どうせ大方野球部のお誘いだろうが、俺は入る気など微塵も無い。
「アイツは……茂野は俺たちが思ってたよりも良い奴だった!! そうじゃなきゃ俺や藤井だって野球を始めなかったさ!!」
「っ……!」
し、知るかよそんな事……。
どうせ入部させたいから最初だけ良い人ぶって、後でボロクソ文句垂れるに決まってる。俺は何で言われようと入部だけは絶対しないからな……っ!
内山の説得を振り切り、俺は教室へと戻る。
その後の授業は聞いてるフリだけしていると、気付けばもう放課後になっていた。
さて、今日はどうするか……。とりあえず新しい格ゲーの台が近くのゲーセンに入荷してるらしいからそこから−–−–−
「−–−–−よー宮崎!」
「!?、しっ、茂野!?」
背後から不意をつく形でニョキっと顔を出してきたのは茂野だった。
何だコイツっ……どうして俺の所にいやがるんだ?
「お前っ、練習はどうしたんだよ!? 野球部の誘いなら絶対やらないからな!!」
「そんなに怒んなよ。別に無理に勧誘しに来たわけじゃねぇよ」
「はぁ?」
だったら何しにここへ来たんだよ……。
「お前、この後どこか寄るのか?」
「……近くのゲーセンに行くつもりだけど」
「っし!、なら俺も付き合うぜ。前の詫びもかねてコンビニでアイスくらい奢ってやるしな」
「……は?」
−–−–−意味が分からない。
コイツは俺に野球をさせたくて来たはずだ。なのに勧誘はおろか練習をほっといて俺に付き合うだって……?
(意味が……分からねぇよ)
それから、茂野は俺が嫌がる顔をしても無視してついて来た。
ゲーセンに寄って新しい格ゲーの新台をやろうとするとアイツも隣で対戦するし……
「おい宮崎!、ジャンプってどうやるんだよ!?」
「っ〜!、そこの黄色のボタンを押せ!」
「おっこうか! サンキュー!」
その後コンビニに寄れば問答無用でアイスを渡してきて……
「前は暴れたりして悪かったな。これでも食って互いに水に流そうぜ」
「…………」
アイスを食べ、俺が立ち飲みをすると茂野も隣で野球漫画を読んでいた。そう、俺がどこへ行こうともコイツは笑いながら後ろをついてくるのだ。
「……あーもう!! いい加減にしろ!!!」
堪忍袋の緒が切れた、とはこのことを言うのだろうか。
流石にしつこかったため、俺は後ろを幽霊のようについてくる茂野を強く突き放した。
「どこまでついてこようか俺は野球をやらないぞ! 分かったらとっとと消えろ!!」
けど、帰ってきた答えは俺が予想にもしないものだった。
「いやぁ……分かってるさ。俺もいきなり誘うなのは悪いと思ったからさ、まずは"ダチ"から始めらんねぇかなぁって思ってな……」
茂野は頭を掻きながら、どこか申し訳なさそうな表情で言った。
ダチ……だと?
コイツは今俺の事をダチとして扱ってくれてたのか……?
「ダチから始めればお前だって野球がしやすくなるんじゃないかと思ってな……あ、でもお前がそこまで俺と野球が嫌いってならもうついてったりはしないから安心してくれ」
悪かったな−–−–−。
そう言うと茂野はくるりと振り返って俺の前から消えようとした。
−–−–−初めてだ。
今まで俺の事をここまで気にかけてくれた奴に会えたのは。
スポーツ自体、俺は嫌いな訳じゃない。1番おもりになってたのは周りの理不尽な人間達だった。運動神経も良くなく、下手くそな俺を常に嘲笑ってきたムカつく奴等か……嫌いにさせていた。
でもコイツは……そんな俺でも良い、のだろうか?
「っ……俺はど素人の下手くそだそ!? それでも野球をしたって良いのかよ!!?」
きっとお前だって下手くそな姿を見せればきっと−–−–−
「はっ、何言ってんだよ。どんだけ下手くそだろうと真剣にやってる奴を笑わねぇよ。寧ろ俺なら応援するぜ」
ニッ、と茂野は確かに笑いながらそう吐いた。
本当に……本当に笑わない、よな?
「なっ、なら約束しろ!! 俺がどんだけ下手くそでも笑わないって! それで良いってなら……入部してやるよ」
はぁー……高校で部活なんてやるつもりなかったけどな。ましてや野球なんて練習自体キツそうだし。
でも何でだろうか。まだ一緒にいて全然浅いはずなのに、コイツとならもしかしたら出来るんじゃないかって、そう感じてしまう。
「!……そうか、ありがとな」
絶対に……笑うなよ。
⭐︎
「はい……はい、分かりました。では」
吾郎の奴、あれから少しは変わったのだろうか。
血は繋がっていないとはいえ、親としてアイツを育ててきた俺としては練習をするなと言うのは苦になる部分が少しはあった。
電話の相手は早川あおいさんからだった。
もう家で好きなだけ練習させて良いですよと、そして人数の問題も何とかなりそうと、細かな近況も分かりやすく伝えてくれた。
「あなた。電話、誰からだったの?」
「早川さんからだ。もう練習させていいってな」
「−–−–−そう」
約2週間。
アイツは2人の新入部員に寄り添い、自分の時間を捨ててまで真剣に練習を見ていた。それは自分が練習をしたいが故の振る舞いでなく、本心からそうしていたと、早川さん達恋恋野球部は判断した。
実際、テスト形式でノックをやらせたそうが、2人とも初心者の割にはスジが良く、野球への意欲も十分あるそうだ。
「吾郎、もしかしたら良い仲間と出会えたかもしれないわね」
「そう……だな」
桃子の言う通り、仲間にはかなり恵まれている。
しかしまだこれはスタートラインに立ったにすぎない。これから新チームを来年の夏までに急ピッチで作っていかなきゃならないからだ。特に高校野球の一年はあっという間に過ぎていく。それまでに吾郎は海堂と戦うところまで辿り着けるのか、まだまた未知数だ。
「……桃子。今日はアイツの好きな焼肉にでもしてやるか」
−–−–−頑張れよ吾郎。
お前なら……いや、お前達なら海堂や他の高校にだって勝てるさ。
あと残り一年弱で更に進化してみせろ!