Glory of battery   作:グレイスターリング

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第二十五話 vs恋恋高校 前編

 七月一週目、第三市営球場。

 夏の県予選も二日前から始まり、各校が炎天下の青空の下、頂点を目指して熱戦を繰り広げていた。参加した百十二校のうち、百十一校の三年生はこれが最後の夏になってしまう。一年や二年のように次があるわけではなく、負ければそこで終わりだ。だからこそ得られる感動は大きく、勝った時の喜びも格別なのだ。

 

『打ったー!! 四番の一ノ瀬がレフトスタンドに突き刺すホームラン! これで聖タチバナの得点は二十点目! おそらくコールド試合は避けられないでしょう!』

 

 九時半から始まった第一試合『聖タチバナ対駅前高校』の試合。

 初回からタチバナの打線を火を噴き、一番の八木沼や二番の六道が塁に出ると、三番に座る友沢がタイムリーツーベースで二点を先取。四番の一ノ瀬はバックスクリーン直撃のツーランホームラン、続く大島もアーチを放つなど、完璧なまでに打線が噛み合い、一回だけで七点を取る猛攻を魅せた。 先発の川瀬は四回の裏までを無安打八奪三振と文句無しに先発投手としての仕事を果たし、五回の表も終わってみれば21対0とコールドゲームに必要な点数差を大幅に超える結果となった。

 

『ストライク!! バッターアウトォ!』

『ゲームセット! 聖タチバナ高校が五回コールド勝ちで二回戦進出を決めました!』

 

 

 

 

「……強いね」

 

 一塁側の観客席で観戦していたあおいちゃんが小さく呟く。

 田代や矢部君たちの提案で次の対戦相手になるであろう聖タチバナの試合を視察しに来たわけだけど……ここまで一方的な試合展開になるとは予想外だった。 決して弱いチームではないと思ってはいたが、ここまで凄いと逆に皆のモチベーションに影響が出るんじゃないか−–−–−–−。

 

「でも、あれほど強ければ相手にとって不足はないよ。 矢部君には俊足があって、田代君にはバッティング、あおいだって秋から著しく伸びたし、何より困ったら春見が何とかしてくれるから♪」

「なっ………さり気なくプレッシャーをかけてくるね、雅ちゃん」

 

 可愛い顔して言う事は案外鬼だね……。

 ま、でもキャプテンである僕がやるべき時に結果を残さなきゃ勝てるわけがないし、確かに一理ある。

 

「雅ちゃんだってあれから強くなった。 いや、ここにいる全員があの敗戦を機に確かに成長したんだ。 タチバナや他が強くったって怖じける心配はないさ。一人一人が個々の持ち味を存分に出し切って戦えば自ずと結果は見えてくるはずだよ」

「!……そうだね」

「ヤンス!」

「うん!」

「ああ」

 

 二年生達の背中を見て、後ろに座っていた後輩達も続いて「はい!」と大きく返事を返してくれた。

  秋に良い所まで勝ち上がった影響か、今年は七人もの部員を確保できた。しかも中学時代の時に既に経験している部員もいるから、実力を見ても悪くないセンスだと僕は思っている。

 

(……大地。 二回戦はそう易々と勝たせないからね。 甲子園に行くのは僕達恋恋だ−–−–−)

 

 君が聖タチバナに入った理由−–−–−次の試合で聞かせてもらうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦から三日が過ぎ、大会は順調に二回戦目を消化していった。

 それは俺達も例外ではなく、今日は午後十三時から第二試合目として入っている。

 

「ナイボッ! あと三球な」

 

 シードノックを終えてベンチで休む皆の近くで、俺は涼子のアップを手伝っていた。

 ストレート、カーブ、縦スラ、ムービング。 どの球種も良い具合に仕上がっており、コントロールの乱れも殆ど無かった。 後は俺がスタミナ配分とリードにさえ注意すれば恋恋相手でも充分に戦えると思う。

 

「……よし。 じゃあここまでにしよう。 今日はいつも以上にキレも良いしコントロールも良い。 だけどペース配分だけは気をつけろよ。いくら調子が良くてもこの暑さでバテたらシャレにならないからな」

「分かってるわ。 水分もこまめにとって完封するつもりで今日は投げるわよ」

「ふ、それだけやる気があれば不可能じゃないな。 今日も頼むぜ、相棒」

「ええ! 私も大地も信じて投げるわよ」

 

 俺を信じて……か。 その言葉、女房役の俺にとってどれだけ救われる言葉だろうか。 試合前だってのに泣かせでくれるぜ。

 ベンチに戻ると休憩していたはずのメンバー(主に初回から打席が回る上位打線)が前で素振りをしていた。 一塁側に目を向けてみると、今日先発のあおいちゃんが投球練習をしていた。 なるほど……少しでも早く変則投球術に慣れておく為にタイミングなどを計っているのか。 だったら俺も……と言いたいが、恋恋も丁度今シードノックを終えたから時間が取れないな。

 

「仕方ないな………じゃあ皆、集まってくれ」

「キャプテン。 何が仕方ないんすか?」

「ん、俺の独り言だから気にするな。 そんな事よりも今日のオーダーを発表するぞ」

「お、待ってましたー!」

「今宮。別にお前は待ってなくていいぞ。 前の試合で四タコを喫した奴を出すつもりはないからな」

「ちょっ!? 寧ろその逆だろうが! まぁクリーンナップ様達のお陰で打点が無かったけどよ……」

「あおい達の前で下手なプレーしたら承知しないからね」

「みずきの言う通りだ。 エラーや三振をしたら次は無いと思った方が良いぞ」

「さっきから皆酷くない?! そんなに俺へプレッシャーかけて楽しいの!?」

 

 ふ、この絡みもすっかり見慣れた風景になったな。

 チームきっての守備の名手、なによりもグラウンドの真ん中で一番声出して頑張ってる熱血バカをそう簡単に落とすわけないぜ。

 

「さてと、お喋りはここまでにしてオーダーを発表するぞ。よく聞いとけよ−–−–−」

 

 

 

 一番 センター   八木沼

 二番 レフト    原

 三番 キャッチャー 一ノ瀬

 四番 ショート   友沢

 五番 サード    大島

 六番 セカンド   今宮

 七番 ファースト  六道

 八番 ライト    笠原

 九番 ピッチャー  川瀬

 

 

 ちなみに恋恋高校のオーダーは、

 

 一番 センター   矢部

 二番 ショート   小山

 三番 サード    葛西

 四番 キャッチャー 田代

 五番 レフト    木村

 六番 セカンド   本村

 七番 ライト    後藤

 八番 ファースト  安藤

 九番 ピッチャー  早川

 

 

 

「今日は前回のオーダーを軸に少しいじってみた。 ライトに東出を置いてたが、今日はベンチスタートからいく。 その代わりにレフトを守ってた笠原をライトに、空いたレフトへ原が入ってもらう。 原は小技もできて足も速い。 下位打線を強化する意味も込めて聖ちゃんを七番にして二番へ原を置く……とまぁこんな感じだ」

 

 一通り発表して説明すると、東出が少し不満そうに質問をぶつけてきた。

 

「……キャプテン。 どうして俺はベンチスタートなんですか? ライトは俺で固定すると言ってたのに…」

「まぁそんな僻むなって。 お前には野手よりももっと重要な準備をしてもらわなきゃ困るからな」

「準備………… ! そう言うことですか……納得です」

 

 大島とは逆で冷静な分、もう察したか。

 実は今日の試合、後半から東出に投げてもらおうと考えている。 理由は簡単だ。この暑い日が続く夏の下で涼子一人にマウンドを任せっきりにするのは負担がかかり過ぎるからな。 少しでもエースの体力を温存しようって腹だ。東出自身も投手としての経験を積ませる点でメリットだし、言ってみれば一石二鳥ってやつだな。

 

「以上だ。 もうそろそろで試合開始だから各自用意をしておけよ」

 

 解散してから約2分後。 審判団がホームベース前へ集まり、両校共集合するように催促がかかった。

 −–−–−いよいよだな、春見。 どちらが甲子園へ行くのに相応しいチームか、証明してやろうぜ。

 

 

 

 

『これより第二試合、聖タチバナ学園対恋恋高校の試合を始めます! 相互に礼!!』

『お願いしまーす!!!!』

 

 大きな声で挨拶を交わし、各校共自分のベンチへと戻った。

 ちなみに今日の試合はウチが先行で恋恋か後攻だ。

 向こうの先発はサブマリン投手のあおいちゃん。 秋季大会の試合を見直したところ、球のスピード自体は高校野球の中でもかなり遅い方にだが、その弱点を補うくらいにコントロールが良い。 フォアでの出塁が少ないと考えると、ヒットゾーンへ運んで打つしか道はないな。

 

『一番センター、八木沼君』

「頑張れぎぬまっちー!!」

「しっかり塁に出なさいよー!!」

 

 今宮とみずきちゃんの声援を受け、八木沼がバッターボックスに立つ。 バットを一度あおいちゃんへ立て、スタンダードな構えで迎え撃つ。

 あおいちゃんも田代が出すサインに頷き、モーションに入る。 ワインドアップの動作から上半身を深く沈み込ませると、右手を地面スレスレの低さを通して放った。

 

『ットーライッ!!』

 

 回転の効いたストレートは無論ストライク。 観客席からはおおーっという驚きの声が漏れていた。 女性投手がアンダースローで投げているんだ。初めて生で見る人は驚くのも無理はないだろう。

 続く二球目はカーブがアウトコースに外れてボール。 球の変化量も秋に比べて格段に上がってるな。 ベンチ越しからでも曲がり具合が十分に確認できるくらいキレていた。

 

(スピードはないがコントロールと変化球の曲がり具合が厄介だな。ここは粘って球筋を確認しておくか……)

 

 低めのカーブを続けるがこれは今日初めてのボールにな。、四球目は強気にインコース一杯を突いてきたが冷静にカットし、これで1-2。

 

(……よし。この辺で"アレ"を使うそ)

 

 バッテリーが次に選んだボールは−–−–−ストレート。

 球速自体は速くなく、全然打てる範囲のボールだ。 八木沼は来たボールに対してコンパクトにスイングして当てに行くか、バットはボールの下を通過した。

 

『ットーライクッ! バッターアウト!』

「よしっ!」

「あおいちゃんナイスピー!」

「その調子ッスよ!」

 

 仲間から喜びの声を聞き、あおいちゃんも「うん!」と笑顔を見せながら返した。

 対照的に八木沼はヘルメットを外し、悔しそうな表情をしてベンチに戻ってきた。

 

「……悪い。 一番の仕事を全然果たせなかった」

「いや、まだ初回た。 そごまで気にするなって。 それよりも彼女の球はどうだった?」

「スピードは見た通りの感じだ。ただコントロールが少々面倒だな。全部コースギリギリにきっちり決めてくる上に変化球も良い。 特に最後投げた高めのストレートが打ちにくかったな。アンダーの習性を完璧に使いこなしている」

 

 アンダースローは地面スレスレからボールをリリースする特徴を持っている。 つまり何が言いたいかと言うと、『高めのコースへボールを投じれば自然的に浮き上がってくる』ってことだ。

 ソフトボールにある球種の一つに『ライズボール』と呼ばれるその名の通り"浮き上がってくるボール"が存在するが、それも下手投げで投球している。 あおいちゃんも下手投げの習性を生かして、ただのストレートを三振が取れるまでの"魔球"にしたってわけだな。

 ギィインッ!と鈍い音が聞こえ、ボールはボテボテとショート前に転がる。雅ちゃんが冷静に捕球し、原もショートゴロで倒れた。

 

『三番 キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 ふぅ〜……と深く深呼吸をしてから構える。

 八木沼が言うには追い込んだ後の高めのポップするストレートが厄介だと言ってたな。 ならそのボールが来る前に……叩く!!

 

 キィィィィンッ!!!

 

 初球のカーブにタイミングをズラされながらも、打球は左中間を痛烈に破るヒットとなった。 外野中継の様子を見ながら俺は一塁を蹴り、二塁で止まった。

 ……あっぶねぇ。 たまたま芯に当たったから良かったが、アウトコースを無理矢理引っ張るのは正直キツかったぜ。

 まぁ結果として二塁打になったから充分だな。 さて、ここで返してくれよ。 ウチの頼れる四番バッターさんよ。

 

『四番 ショート、友沢君』

「……お願いします」

 

 バッテリーが選んだ初球は外角に一個分外れるストレート。 まるで分かってるかのように友沢は平然と見送った。

 二球目は早くもインハイの ホップするストレートが投じられるか、これも友沢は見送った。

 

『トーライクッ!』

 

 1-1。

 マウンドから緊迫した空気が流れているのがよく分かる。 友沢クラスの打者と戦うとなれば、少しでも甘い球を投げれば長打以上が確実なのだ。 恋恋バッテリー側からすれば苦しい展開かもしれないが、逆にここを抑えれば良い流れで初回の攻撃に繋げられる。 相手を調子づかせない為にも、ここは何が何でも友沢で先制点を上げたい。

 

『ボーッ! ボールツー!』

 

 外角へ僅かに外れ、これでツーワンだ。

 ボール球にしても全てギリギリのコースで外してるから地味に凄いんだよな。

 四球目は内角へ逃げてくカーブ。 厳しいコースにもかかわらず、友沢は逆らわず豪快に引っ張る。

 

 カキィィィィィンッ!!!

 

 打球は高々と上がって伸びていく。

 ライトの後藤が徐々にフェンス際まで下がってくが……まさか……!

 

 

 

『ファ、ファール!!』

 

 

 

「だーっ! 惜しすぎるぜ!!」

「入ったとワイも思ったんやけど微妙に切れてもうたか……」

(流石友沢先輩だ。 あのコースをあそこまで飛ばすんだからな……)

 

 タチバナベンチからは溜め息混じりの惜しむ声が飛び交っていた。

 気持ちは分かるぜ。 今のは俺でも決まったと思ったくらいだからな。 ポールよりちょっと左に切れたらしいが、当たりは完全にホームランボールだった。

 

(何て奴だ……早川のボールは悪くなかったってのにここまで飛ばすとは…………)

 

 このバッティングを見て驚いたのか、田代はタイムを取ってマウンドへ向かった。

 

 

 

 

 

「そろそろ限界だな」

「え? ボクはまだ十球程度しか投げてないよ? いくらなんでも交代はまだ……」

「違う。 "高速シンカー"を使わないと友沢を抑えられないんじゃないかって事だ」

 

 早川の武器は高めに制球されたストレートでもなければカーブでもない。 本来の得意球は右打者の内側に深く沈み込んでくる"シンカー"と呼ばれる変化球だ。

 中盤にアンダースローのタイミングが取れてきた所へシンカーを入れ込めば手玉に取れると考えてたが……どうにもクリーンナップの面子が想像以上にやりやがるからプランを変更して−–−–−今使う。

 

「……そうだね。 使わないで点を取られるくらいなら使う!」

「そう言うと思ったぜ。だが"あのシンカー"は完成しきってるわけじゃねぇ。 基本的に投げるからには一発で抑えるからな。 二度目は無いと思えよ」

「うん。 田代君もしっかり捕ってね。 できるだけミットへ投げる努力はするから」

 

 努力……か。 できるだけじゃ困るんだがな。 まだ完全に捕球できるキャッチングじゃねぇってのによ。

 「分かった」と一言だけ言っておき、キャッチャーサークルに戻った。

 

 

「そういえばシンカーをまだ投げてこないな……使わないのか?」

「…………さあな。そんな事よりピッチャーに集中したらどうなんだ?」

 

 「分かってるさ」と友沢がクールに返し、バットを強く握った。

 合宿ん時に友沢へシンカーを投げたが結果は散々だった。 だが勘違いするなよ友沢。 俺も早川もあの時から何も変わってないって訳じゃねぇんだからよ。 完成したアイツの魔球−–−–−見せてやる。

 

(外角へ逃げてくシンカー。 お前なら投げれる。 自信を持って来い!)

 

 セットからの五球目。

 いつも以上に体を深く沈み込ませると、腕を内捻りしながらリリースした。

 友沢の狙いはスイングからしておそらくシンカー。 ボールはベース手前でカクンッと斜めに急降下し、それに合わせてバットを出してきた。

 

 

 −–−–−スバァァンッ!!

 

 

『ストライク! バッターアウトォ!!』

「っし!」

 

 よっしゃ! 何とか友沢を抑えたぜ! いくら打撃センスが良くたってあのシンカーは初見じゃ打てるはずがない。 それほどのレベルにまで早川は磨いたんだからな。

 

「ナイスボールだ早川」

「うん! 田代君もナイスリード!」

「完全に主導権は恋恋側でヤンスね!」

「ああ! このまま勢いを切らさずに攻めもしっかりしてこう!!」

『オーッ!!!』

 

 

 

 

 

 右打者なら内に落ち、左打者なら外へ消えるように落ちるあの変化球−–−–−多分シンカーだろう。

 セカンドペースの視点からだとそのボールのキレがどれほど恐ろしいかは十分に感じる事ができた。 アンダーから一度フワッと浮き上がりを見せると思いきや、打者をほくそ笑むかのように落ちて視界から姿を消す…………まさしく魔球に相応しい。

 

「珍しいわね、アンタが三振なんて」

「………完全に見失った」

「え?」

「っ……何でもない。 お前の高速スクリューと同じくらい良い変化球だっただけの話だ。 気にするな」

「ぷ、何よそれ。 褒めてるのか褒めてないのか全然分からないわよ」

「うるさい。 それよりもお前は試合に集中してろ。 いつ出番が来るか分からないぞ。 褒めてやって無様なピッチングだったら承知しないからな」

「三振してきた奴にそんなセリフ言われる筋合いは無い!! とっとと守備に就きなさい!!!」

 

 ……俺が防具付けてる後ろで別の戦いが始まってるんだが大丈夫か?

 まぁ雰囲気を感じ取った分には仲良さそうだし問題ないな。 友沢も次へとしっかり切り替えられてるしね。

 一打席目は不本意だが結果オーライ。 それが終われば次にやるべき俺の仕事は−–−–−

 

「暑いからな。 いつも以上にペースへ気を配って行くぞ」

「うん! 必ず勝とうね!」

「……ああ!」

 

 投手をリードで導き、チームの中心となって指示を出すのが俺の大事な仕事だ。

 夏場のゲームは試合が進むにつれて気温も高くなり、精神的にもキツくなってくる。 そんな時こそキャッチャーの俺が一番に声を出して場を盛り上げなければならない。 それができないキャッチャーなど、チームの中心人物には絶対なれないと、昔に樫本監督が口癖のように言ってたからな。

 投球練習を終え、矢部君が打席に入ろうとする。

 

『一番センター、矢部君』

 

 丸底眼鏡が特徴の矢部君。

 バッティングが飛び抜けて凄い選手ではないが、とにかく足が速い為、ゴロで打ち取っても内野安打になる確率は高い。 しかも昨年度の

試合を参考に俺が調べたデータでは、矢部くんが塁に出ると恋恋高校の得点率は一気に八割近くにまで上がるという驚異的な数値を残している。 一点にたどり着くまでには二番や三番を打つ二人も重要となってくるが、まずは矢部君をきっちり抑えるのが第一優先だ。

 

(まずはインコースのストレートからだ)

 

 バスンッとロジンバッグを地面に落とし、大きくワインドアップする。 大尊敬するメジャーリーガーのフォームから、こちらも回転の効いた良いボールが投じられた。

 

『ットーライッ!』

 

 ミットをインハイギリギリに突き出し、これはストライクになった。

 よしよし。 コントロールも良いしクロスファイヤーもちゃんと使いこなせてるぜ。 今のか百二十八キロか。 確か練習中に一度だけ百三十キロを出してた時があったが、初球からそれを超えそうな勢いできている。

 

(もう一球、同じボールを今度はアウトローに)

 

 腕をビュンッ!と力強く振る。 これはボール一個分外れたが、涼子はちゃんと俺のリード通り投げているので問題ない。

 三球目はストライクゾーンからボールゾーンへ縦スラを使う。 矢部君は迷いなくスイングするが、これは空振りになった。

 

『ストライクツー!』

 

 よし。 コントロールが難しい縦スラも今日は投げれてるな。

 こいつは横への変化が少ない代わりにほぼ垂直で滑るように落ちてくる。 投げてた当初はワンバンしたり高めに浮きすぎてたりして不安定だったが、今になれば投球練習を積みに積んで空振りが取れるまでの球種に強化できた。 俺も涼子の居残り練に付き合ってた甲斐があったぜ。

 

(遊び球は無しだ。 今度はアウトコース低めに決まる縦スラ。 ボール球になっても構わないから精一杯振ってこい)

 

 サイン通り、外角へ縦スラが落ちていく。

 矢部君はまんまと逆を突かれたと言わんばかりに体勢を崩すが、ゴキンッと執念で当てた。

 

「!、サード!」

 

 弱々しいゴロがサード線側を転がる。

 定位置を守っていた大島が慌てて前で処理をして送球。 だが相手は足のスペシャリストである矢部君だ。 ファーストが取った頃には既にベースを踏んでいた。

 

『セーフ、セーフ!!』

 

 速っ!? 特に打ってからのスタートダッシュとその後の加速が尋常じゃないくらいに速かった。 大島の肩だって俺や友沢の次に強いはずなのだが………まさかここまで飛ばすとは思わなかった。

 一番厄介なランナーが出てしまったが、やられた事をクヨクヨしても仕方ない。 盗塁の可能性も大いにあると頭に入れながらリードをしていかないとな。

 

『二番ショート、小山さん』

 

 雅ちゃんはバントなどの小技が上手く、ミート力もそこそこある完全な二番打者タイプだ。

 恋恋の必勝パターンの中に多く含まれているのが、この二人の存在だ。 矢部君が塁に出て、すかさず盗塁を決めて進塁すると、状況に応じて器用に変えながら雅ちゃんが繋ぐ。 そして春見や田代と言った強打者が確実に打って点をもぎ取る。 まさに全員野球で一点を取る代表的な戦略の一つだ。

 

(……バントの構えか。 だったら−–−–−)

 

 間を少し取り、涼子か一塁へ牽制を入れる。 矢部君は余裕そうに足から戻った。

 次はリードがより大きくなったタイミングで再び牽制を入れるが、今度は頭から滑り込んだ。

 反応が良いな。 一度目の牽制を意図的に遅くし、二度目を素早いモーションで行ったんだけど全く影響を感じさせないで戻っている。

 さて、バッターに戻ると雅ちゃんは依然としてバントの構えだ。 ランナーは二度目の牽制以上にリードが大きい。

 

「バッターに集中! ファーストとサードはバンドに警戒しろ! 」

 

 俺の声に感化され、内野陣が「おう!」と大きな声で返してきた。

 実の事を言うと、これから俺がやろうとしているプレーはほぼ運が鍵を握っている。 失敗するリスクは勿論高いが、逆に成功すれば恋恋側は度肝を抜くだろう。 それくらいインパクトのある戦術を、俺は選ぶぜ。

 

(頼むぜ………決まれよ……!)

 

 クイックを使って投げた初球。

 ファーストとサードはバントの構えを変えないのを確認すると、前へチャージしてきた。

 ファーストベースが一瞬ガラ空きになるから、当然矢部君は大きくリードを取る。

 

 

 −–−–−それを待っていた。

 

 

 インコースに構えていたミットを外のボールゾーンに移動させた。

 大きな逆球だが、サインを通じて涼子には既に教えているから問題ない。

 バシンッ!と捕球した瞬間、何の迷いもなく俺はガラ空きとなっているファーストベースへ送球した。

 

「ンスっ!?」

 

 普通ならあり得ないプレーだ。 バント警戒のシフトを敷いてきていて誰もいないはずなのに……そう、そこには"誰もいないはずだった"のに−–−–−

 

 パンッ!

 

「え!?」

「何だって!?」

 

 セカンドを守っていたはずの今宮が走りながらキャッチ。 体を時計回りに回転させながら、戻りきれてない矢部君をタッチした。

 

『あ……あ、アウト! アウト!!』

「うおっし!」

「……うむ!」

「やったー!」

 

 嬉しさのあまり、俺もその場でガッツポーズをとった。

 まさかこんな綺麗に決まるとは思いもしてなかったからな。 涼子の逆球や聖ちゃんと大島のチャージ、そして友沢と今宮のベースカバーが噛みあわさって成り立った『ピックオフプレー』だ。

 そもそもピックオフとは、「狙い打つ」という意味で使われているが、この場合の狙い打つ標的は、実はランナーである矢部君だ。

 バント警戒の指示を出していた時、俺はピックオフでアウトを狙うサインをこっそり出していた。ファーストとサードはバントを防ぐ名目で前進する。すると無意識の中でランナーの意識はファーストへと向き、誰もいないのを確認してリードを大きく取る。 が、それが一番の狙いだ。

 ボール球をわざと投げさせ、気付かれないようにセカンドが一塁へ入る。 そこへ俺が牽制を入れて意表を突き、最後にランナーを仕留める……これを初めからこれを狙っていたわけだ。

 

「ぐぬぬ……してやられたでヤンス……!」

 

 悔しさを滲み出しながら、矢部くんがベンチへ戻る。

 だまし討ちみたいな戦術で申し訳ないが、こっちだって負けられないからな。

 カーブと縦スラで追い込んだ後、四球目のムービングをセカンドゴロに引っ掛けさせて打ち取り、ツーアウトとなった。

 

「ツーダンツーダン! あと一個確実に取ってくぞ!」

 

 必勝パターンを押さえ込んだのはデカイが、まだ安心できない。 次のバッターは−–−–−

 

 

『三番サード、葛西君』

 

 

 恋恋高校キャプテン、葛西春見。

 かつて俺や猪狩と共にあかつき中を全国制覇へ導いた立役者の一人だ。 簡単に言ってしまえば、友沢のバッティングと矢部君の足、雅ちゃんの守備力をそれぞれ足して割る2した感じのプレイヤーだ。

 プレー一つ一つに派手さは無いが、選球眼の良さが相まって出塁率は高いし、甘い球が来たらフルスイングしてスタンドに運ぶパワーも十分にある。 恋恋に入ってなかったら今頃どの高校でも一番か三番辺りを任されてただろう。

 

「よろしくね、大地」

「ああ。 負けねぇぞ」

 

 俺の言葉に火が付いたのか、普段穏やかな雰囲気の春見が変わった。

 「絶対打ってやるぞ」と言わんばかりにバットを強く握り締め、ピッチャーへ全神経を集中させている。

 昔からそうだったよな、春見。 勝負事になると人が変わったみたいに負けず嫌いになる性格。 まるでウチのエースみたいだぜ。

 

 −–−–−バァアンッ!!

 

『ットライク!』

 

 生憎だが、こちらの負けず嫌いだって凄いんだぜ?

 一チームのエースって言う大役を任せられるくらい肝が座ってて、皆から厚い信頼を得ているんだからな。 そう簡単には打てないぞ。

 

(良いボールだ……数値以上の勢いがこのボールに込められている)

 

 深く深呼吸をし、バットを構え直す。

 冷静に、あくまで来た球をヒットさせるイメージを持とうしてるってところか。 なるほど。 そう簡単にはあの集中力を崩せそうもないな。

 

(一度カーブで様子を見るぞ)

 

 ボールはベース付近でワンバウンドし、体を入れて捕った。

 春見はピクリともバットを動かさず、平然と見送ってボールに。

 流石に分かりやすかったか。 もう少しギリギリを要求するべきだった。

 続く三、四球目はムービングファストを振りに行ったが両方ともファウルになり、追い込んだ。

 

(ここで使うぞ。縦スラを低め一杯に使って仕留める)

 

 うん、と頷き、腕をしなやかに振るう。

 下半身が一切ブレない強い足腰から投げ込まれたボールは、良いスピンがかかったまま俺のミットへと吸い込まれていく。

 ストライクゾーン、ギリギリの難しい球。 それでも追い込まれたからには振らなければならない。 ザスッ! と強く踏み込み、ボールは金属バットの芯を捉えて涼子の右をライナーで強く抜けた。

 

「っ、うおらあっ!」

 

 厳しい打球だが、今宮がダイビングキャッチを試み、ミットの先っぽで何とか捕球した。

 駆け寄る二塁塁審が捕っているのを確認し、右腕を高々と上へ上げた。

 

『アウト!! 』

 

「おおっ!! 今のセカンドよく捕ったな!」

「恋恋高校だけどこのプレーは凄いぜ!」

「ナイスキャッチ二塁手!! 良いもん見せてもらった!」

 

 敵味方、単純に野球好きな大人関係なく、このファインプレーに観客席から大きな拍手と歓声が送られた。

 けど、ここにいる誰よりも騒いでるのは当の本人だけどな。

 

「どーだ、見たかよ友沢! 俺がちゃんとコースを見て予測したから捕れたんだぜ! 」

「ああ……ナイスキャッチだ。 だからそんなにくっつくな。 暑苦しいだろ」

「へへっ、良いじゃんか! 珍しくお前が褒めてくれてんだからよ! 今日は何か起こりそうだぜ!」

 

 じゃれ合いながらベンチへ戻る二遊間コンビ。

 めんどくさそうなセリフを吐いてる友沢だが、顔では嬉しそうに笑っている。 ふ、良いコンビで何よりだぜ。

 

「ナイスいまみー!」

「ありがとう今宮君! 助かったわ!」

「おうおう! 涼子ちゃんもナイピーだったぜ! この調子で続けよ大島ー!」

「ウオッス! 任せてくださいよ!!」

 

 何だかんだで一番影響力のある選手って今宮かもしれないな。

 たった一つのプレーで流れを無理矢理呼び込もうとしてるんだからよ。 やっぱこういうムードメーカー的な存在って重要だなぁと次々思う。

 

 

 さて、好プレー連発の一回裏が終わり、二回の表。バッターは五番の大島から始まる。

 この回は俺へ回ってくる事はないだろうと考え、防具を付けたままヘルメットだけを外してベンチへ座る。 大島のバッティングは帝王実業から声がかかるくらいに強力だが、あおいちゃんのあの高速シンカーも手強い。 まず一打席目は球筋とタイミングをしっかり見計らい、次の打席へ生かすのが−–−–− ッキィィィンッ!!!

 

「え………?」

 

 突然鳴り響いた金属音に、俺は顔を上げる。

 打球は衰えないままバックスクリーンに一直線へ飛んでいく。 センターの矢部君は既に諦め、ただボールの行方を追っているだけだ。

 ドコンッ! とボールがホームランになったのを見て、大島は青空へ拳を突き立てながら回った。

 

「ま、マジか………あまりにも不意打ち過ぎるだろ……」

 

 いや、先制点が入って全然嬉しいけどさ!、突然過ぎて驚きの方が大きいぞ。 だって初球の低めのストレート、決して甘いコースじゃない球を一発でスタンドインさせるとか……どんな化け物なんだよ。

 

「まさか初球から打つとはな。 驚いたぞ」

「いや、ストレートが来れば俺は打ちますよ! 直球打ちは俺の得意分野ッスからね!」

 

 そういや忘れてた。確か大島って大のストレート得意だって言ってたな。 練習の時もふざけて百五十キロのマシンで打って長打をボカスカ打ってたし、東出がストレートなら滅法強いんすけど、変化球になるとただの扇風機になるって教えてくれたっけ。

 でもまぁよく打ったぜ! 先制点を先に取れたのはかなり大きいぞ。

 

「ドンマイドンマイ! 球自体は全然走ってたよ!」

「大丈夫! どんどん打たせてこうー! 私達が必ず抑えるよ!」

「先輩! 前向きに頑張って下さい!」

「……うん! ありがとう! まだまだ諦めないよ!」

 

 恋恋も声を出してチームを盛り上げようとしているな。

 良いチームだ。 これだと一点取っただけじゃまだ足りなさそうだ。

 六番の今宮が意気揚々と打席に入るがライトフライ、聖ちゃんがレフト前ヒットを打つがその後の笠原がサード正面のゲッツーに倒れ、この回は一点止まりで終わった。

 

「二回裏ー! この回も0点に抑えるぞ!!」

 

 まだ試合は始まったばかりで油断はできない。

 ここもピシャッと抑えてどんどん点を取ってくぞ!

 

 


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