Glory of battery   作:グレイスターリング

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第二十一話 目指すべき目標

 夏の大会まで残すところあと二ヶ月。

 満開だった桜の木もすっかり散り、新緑の葉が生い茂る五月の木々に変わっていた。

 

「よし、今日の練習はここまでだ。自主練してく人間は必ず二十時半前には上がるように気を付けろよ」

 

 この日のメニューは二人一組でペッパーをし、その後は野手と投手に別れてトスバッティングと投げ込み。それが終わったら実戦形式のフリーバッティングをし、最後は約一時間フィジカルトレで体を補強してその日の練習は終了した。

 

「お疲れ様だ」

「うん、聖ちゃんもお疲れ様。最近バッティングの調子はどう? あれから少しは改善できた?」

「ああ。大地のお陰で以前より増して打球が強くなったと思うぞ。ただ……どうしてもストレートが差し込まれてしまうんだ。自分ではタイミング良く振ったつもりなのたが…」

「うーん……もしかすると腰がしっかり回ってないのかもしれないな。じゃあ今日もティーバッティングでフォームを確認してみる?」

「え、でも良いのか? 大地も自分の練習をしなきゃいけないのに……しかも今日入れれば三日連続になってしまうが…」

「ううん、俺のことは全然気にしないでいいから。さ、早くやろう」

「…すまないな。ではお言葉に甘えて今日も世話になる」

 

 こうして聖ちゃんのバッティング練習を手伝うのも最近じゃ練習の一環と感じるようになったな。

 教えてもらえる側は突然だけど、教える側も人に指導することでこれまで発見できなかった部分とかが見えてくるし、今後の参考にすることだってできる。

 

「よし。ネットを立ててさっそくチェックしようか」

「よろしく頼むぞ」

 

 ベンチから立ち上がり、みずきちゃんが用意してくれた仕切りのあるネットを設置する。

 俺はあくまで聖ちゃんに協力する為に練習に付き合った。そう解釈したはずであったのに––––––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ大地、もし良かったら練習後に少し私の球を受けてくれないかな?」

「あー悪いな。先に約束があるからまた明日で良いか? 次は必ずやるからさ」

「……うん。分かった」

 

 「ゴメンな」と去り際に付け加え、彼はバットを持ってフリーに入って行った。

 ––––まただ。これでもう何度目だろう。最近、大地が私の練習に全く付き合ってくれない。今までだったら必ずと言って良いくらい誘いに乗ってくれたのに、ここ数週間は多くて週1、2回しか練習できてない。

 

(はぁ〜……最近どうしたんだろう…)

 

 ベンチに掛けてこっそりと大地の方へ視線を向ける。

 バッティングピッチャーの宇津君が適当にコースを散らして投げ、その球を苦にもせず快音を鳴らしながら外野フェンスまで飛ばしていた。

 相変わらず凄いなあ。友沢君や大島君もバッティング上手だけど、大地も四番を打つのに十分過ぎるほどのセンスを持っている。この三人はクリーンナップを確実視されてるメンバーだから当然と言えば当然かな………。

 

「川瀬先輩」

「…………………」

「…川瀬先輩」

「…………………………」

「川瀬先輩!!」

「ふへっ?!え、あ、呼んだかしら?」

 

 荒げた声に反応して隣を見ると、グローブを持った東出君が立っていた。

 無視してたと勘違いされたのか、表情がやや不機嫌になっている。

 

「呼んだって……もうさっきからずっとよんでましたよ? この距離で聞こえないのはヤバイですって」

「う……ゴメンね。ちょっと考え事をしてて……」

「考え事ですか。道理でさっきから表情が暗かった訳だ」

「はは……やっぱり分かっちゃった?」

「ええ、まあ……」

 

 大地の事を考えていたのがバレてなくてまずは一安心した。

 私達が彼氏彼女の関係になってる事はまだ誰にも言ってない。正直なところ、内緒にしたい大地の気持ちは分からなくもないけど、もっと堂々と恋人らしい仕草をしたって良いと私は思う。例えば練習が休みになった日とかに二人だけで遊びに行くとか、テスト前に一緒に勉強したりとか、恋人だけにしか出来ない事って沢山あると思うんだけど……極度に奥手な大地は自分からそう言った提案をしてくれない。いつも誘うのはわたしからで、あまりにも一方的な展開が多いから『果たしてこれで良いのかな?』と自分の行動に確証が持てなくなった日もあるくらい、この中途半端な恋人関係に思い悩んでいた。

 

「––––もしかして、一ノ瀬先輩の事が気になるんですか?」

「っ!? き、気にしてないわよ! 大地の事なんか……別に…」

「はぁ……。先輩、演技下手ですよ。さっきから顔を赤くしてずーっと一ノ瀬先輩の方を見てましたし」

 

 籠からボールを一個取り出し、バシッとグローブに投げて感触を確かめている。

 この人……人の事を観察するのに随分長けてるわね。まるでキャッチャーみたいである意味凄い。

 

「先輩。もしよかったらキャッチボールしてくれませんか? まだ肩があったまってないんで軽くお願いします」

「あ、うん……分かったわ」

 

 一塁線側にあるブルペンの横へ移動し、私と東出君はキャッチボールを始めた。

 丁度その頃、大地もフリーバッティングを終えて防具一式を付けていた。それを見た聖ちゃんが大地の方へ駆け寄り、何やら親密そうに話をしている。

 

(……………………)

 

 思わずキャッチボールを中断して二人のやり取りを見つめていた。

 聖ちゃんが羨ましい反面、胸の内がズキっと痛く感じる。これが俗に"嫉妬"と呼ばれる感情なのかな?

 我に戻ってボールを返そうとしても全然力が入らない。無理に視界から遠ざけようとしても頭の中で妄想してしまうから余計に辛い。

 ただ聖ちゃんと話ししてるだけなのに……何でこんなにも苦しいんだろう……。

 

「何か悩みでもあるんですか?」

「え…………どうして……?」

「今日の先輩、何か変ですよ? ボーッとしたり、深く溜息ついたり、キャッチボールだって球が死んでるし……厳しい言い方をすれば練習に集中してないです」

「……………………」

 

 図星を突かれ、私は言葉が出なかった。

 

「一ノ瀬先輩と何かあっとしたら、早めに解決すべきです。二人はバッテリーであり、チームの中心でもある。エースと要に問題があったら全体にも影響を及ぼす。だから………伝えたい事があるんなら素直に思いをぶつけた方が良いですよ。例えそれが"恋"の悩みであったとしても」

「……そう、だよね。うん……分かった。練習が終わったら聞いてみるよ。 バッテリーなんだからコミュニケーションをちゃんと取らないとダメだもん。相手が来ないなら自分から行ってみなきゃ!」

「…まぁ後は自分で頑張って下さい。私情に影響されて調子が変わるのは川瀬先輩の一番悪い癖なんで、しっかり治してください。じゃあ僕は肩あったまったんで六道先輩に受けてもらいにいきます。では––––」

「あ、私の方こそ相談に乗ってくれてありがとう。東出君も練習頑張ってね。私も負けないから!」

 

 後ろ姿から東出君は手を振って聖ちゃん達の方へ歩いて行った。

 私は何でこんな簡単な事に気が付かなかったんだろう。一人でグルグル思い悩む暇があったら自分から解決策を切り拓けば良いんだ。

 どちらかがキッカケを作らなきゃ人と付き合う事なんてできるはずがないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全体で守備の連携を確認し合い、二チームに別れて15キロのランニング競争をして今日の練習は終わった。

 殆どの人が帰路に着こうとしている中で、大地と聖ちゃんはまた二人きりで居残り練習をしていた。

 好きな人が他の女の子と居る様子を見るのはやっぱり苦しいけれど、胸をギュッと抑えて耐えた。うっすら涙が出そうにもならぐらい聖ちゃんを恨んでしまったけど、そんな時は東出君が言ってた言葉を思い出しながら校門で一人、大地が出て来るのを待っていた。

 

「––––涼子?」

 

 不意に聞こえる好きな人の声。

 心臓が飛び跳ねそうなくらいビックリしたけど、平然を装ってわたしも口を開く。

 

「……ごめんなさい。どうしても二人きりで帰りたかったからずっと待ってたんだけど……嫌だったかしら…?」

「嫌な訳ないだろ。好きな人と一緒に帰れるなんてこれ以上なく嬉しいよ。さ、早く帰ろう」

「!、うんっ!!」

 

 突然右手を握られてまたも心臓がドクッ!とおかしく高鳴った。

 驚いたのと同時に、今まで抱いていた嫉妬が嬉しさに変わった。久しぶりに大地が手を握ってくれた。何気ない事かもしれないけれど、私にとってはキスされた時よりもなぜか心がドキドキしていた。

 

「待たせちゃって悪かったな。まさか二十時まで待ってたとは思いもよらなかったからビックリしたよ」

「ううん。私は全然大丈夫よ。それよりもちょっと話したい事があるんだけど……場所を移してもいいかしら?」

「……ああ。だったら近くにファミレスがあるから俺の奢りで行くか」

「そうね。じゃあお言葉に甘えて……」

 

 歩いて十分程の場所にあるファミレスへ、私達は向かう。

 互いに目を合わさなかったけど、大地は優しく手を繋いだまま私の歩調に合わせて歩いてくれた。彼の何気ない気遣いに、私は心がくすぐったかった。

 お店に入ると直ぐにテーブル席へ案内され、ジュースとデザートを頼んでようやく一息つく事ができた。

 

「で、話ってなんだ?」

 

 オレンジジュースを飲みながら本題に切り出してきた。

 ちゃんと確かめなきゃ………大地の本心を…。

 

「あのさ、大地は私の事が好き……だよね…?」

「…………ん? 今なんて??」

「だーかーら! 大地は私の事が本気で好きなの?! 最近聖ちゃんと妙に仲が良いから不安だったのよ……」

「あ〜、そう言うことか。それなら大丈夫だって。俺も涼子の事が本当に好きだよ」

「……そっか。それなら安心したけれど、最近少し冷たく無いかしら? 練習には付き合ってくれないし、ここ数ヶ月はデートにさえ行ってないのよ」

「それは仕方ないだろ? 俺だって二人きりになりたいけど中々時間が取れないし、そもそもそういうのを覚悟した上で付き合い始めたんだ。しかも練習中に関係のない感情を持ち込むのもチームとして良くない。 涼子が何を考えてるかまでは分からないけど、練習は練習で集中すべきだ」

「集中するべきって……それでも好きな人の事を忘れて練習に身を投じろなんて無理よ! 別に野球を散漫に行うつもりじゃないけど、せめて休みの日ぐらいは二人きりになっても良いでしょ? 私達は恋人なんだから」

「それは分かってるよ。だけど……俺も忙しいんだ。練習メニューを考えたり大会に向けてのオーダーも決め、部費や練習設備の交渉、聖名子先生が顧問としてやってくれてる仕事の手伝いだってあるんだ。しかも大会はもうすぐ始まる。普通に考えてみて、今は遊んでる暇なんてないだろ?」

 

 ……大地の言ってる事は確かに正論だ。

 でも……でもっ、本当にそれで良いの? 本当に好きな人なら、その為に多少無理をしてでも合わせてくれるものだと思ってた私にとって、その言葉は間接的に私を突き離しているような感覚に陥ってしまい、思わず下を向いてしまった。

 

「……じゃあ大地は私の事なんてどうでもいいと思ってるの?」

「は? だからそういう意味じゃないって言ってるだろ! 俺もお前の事が––––」

「だったらもう少し甘えたって良いでしょ!! 忙しいのは分からなくもないけど、いくら何でも冷た過ぎるわよ!」

「冷たい…だと? ふざけんな!! 俺がいつお前に冷たい態度をとったんだよ!! ちょっと遊びに行けないだけでそんなに荒げるなんてお前どうかしてるぞ!?」

「……っ…あーそう! だったらもういいわよ!! そんなに私を面倒に見るんなら大地なんなもう知らない!!」

 

 勢いよく椅子から立ち上がり、私は千円札を机に強く叩き付けた。

 

「私が……どれだけ苦しかったなんて大地には………分からないもの………うぅ……だったらこんな人とバッテリーを組むなんて私……」

「おい涼子……待てよ! おい!!」

 

 彼が怒声を上げながら静止させようとするが、そんな言葉が頭で理解できる余裕はもう無かった。

 出口の近くに居た店員さんに「すいませんでした」と一言謝り、怖い者から逃げるかのようにお店を後にした。

 

(もう……もう大地なんて知らない!! 勝手に聖ちゃんと仲良くしてればいいわよ!! やっぱり私達は仲の良いバッテリーってだけの関係に…………っう、うぅ…… )

 

 虚勢を張っても、自分の心は誤魔化せなかった。

 ポロポロと大粒の涙が溢れだし、薄暗くなったアスファルトに丸い染みができた。

 精一杯もの思いで涙を止めようとしても、彼を想う気持ちには勝てず、余計に切なくなった。

 はは………どうしてこうなっちゃんだろう。

 私はただ、大地の側に居たかっただけなのに………。

 思い通りにいかずイライラしてた私は、一方的に自分の主張を大地へ押し付けてしまっていただけだった。

 彼はチームの事で頭が一杯だったのに……最悪な彼女だよね、私。

 もういっその事、大地の迷惑になるくらいじゃバッテリーとしても……彼女としても別れた方が–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友沢」

「ん、何だよ」

「最近さ、妙にあの二人仲悪くないか?」

「あの二人?」

「一ノ瀬と涼子ちゃんだよ。五月に入ってから会話どころか顔も合わせないしよ。 涼子ちゃんに至っては誰が見ても一ノ瀬を避けてる感じがするぞ」

「………喧嘩でもしたんじゃないのか? いつものようにまた直ぐに仲直りしてるさ」

「でもよ……今回のはどこか違がう気がするんだよ。極端に一ノ瀬は投球練習に参加しなくなったし、いつもなら一番に声を出して盛り上げてくれるのに今は……」

 

 

 

「ごめん聖ちゃん。良かったらちょっと受けてくれる?」

「……別に構わないが、大地には受けてもらわなくていいのか?」

「うん………それに大地はバッティング練習してるから邪魔したら悪いし…」

「…分かった。用意するから待っててくれ」

 

 変な感じだ。

 いつもなら私より大地を誘って受けてもらう方が多いのに。ここ数日は私がブルペンを独占している状態だ。

 大地も元気というか、覇気というか……とにかく練習に生気が感じられない。バッティングだって当たりが散漫だ。

 

(まさかだと思うが……2人の間で何かあったのか…?)

 

 十分考えられる。

 あれほど仲の良かったバッテリーが急に距離を置いたんだ。ただの喧嘩程度ならこんなにギクシャクしなくてもいいはず。

 

(思い切って聞いてみるか…)

 

 マスクを外し、マウンドに立つ涼子へ話をぶつけることに。

 

「涼子」

「え……どうしたの聖?」

「大地の事でちょっと聞きたいことがあるんだが……」

「………………」

「最近の二人は投球練習どころかまともに会話さえもしてる所を見ていない。 いつもだったら真剣に練習をしながらも楽しく野球をしていた……だけど今の涼子は作り笑いをしてるだけで練習にも集中できていないぞ」

 

 口にしてないだけで、この雰囲気は前々からみずきや友沢達も感じていた。 それでも心の強い二人だからこそ様子を見ていただけでだったが、何日もバッテリーの仲に亀裂が入ったままだと見ている私達も気分が良いわけない。

 

「…今から言うこと、誰にも言わない?」

「ん、ああ。他の人には無言でいよう。約束する」

 

 誰にも言わないと約束をし、涼子が静かに口を開く。

 

「実はね……皆んなには内緒にしてたんだけど……私と大地ってずっと前から付き合ってたの」

「!!」

 

 ……ああ、やはり付き合ってたのか…。

 前々からまさかと感づいていたが、本当だとは思っていなかった。いや、正確には思いたくなかった。

 私も少なからず大地には一種の好意を抱いていたから、いざ直接本人から耳で聞くとなると、やはり心苦しい。

 

「去年の合宿があった日の夜だった。 彼から私に告白し、私はそれを受けいれた。 本音を言えば私はリトルの時から大地が気になってて、まさか大地と両想いだったなんて夢にも思ってなかったわ」

 

 そんな昔から大地のことを……涼子も私と同じ、か。

 

「晴れて彼氏彼女の関係になったから初めは私も……その……」

「? どうした?」

「だから………私も大地にもっと甘えられてもいいのかと思ったのよ!」

「!?」

「あ、ごめんなさい……つい大声に…」

「いや。私は大丈夫だ、続けてくれ」

 

 顔を真っ赤にしながら言う涼子。

 なんでだろうか。恥ずかしながらも精一杯に喋る涼子の姿が女の私でも可愛らしくみえてほっこりした。恋のライバルだったはずなのに、今は自分のことよりも涼子のことが気になって仕方ないぞ。

 

「でも、関係はそれほど深まらなかった。たまに道具を買いに行く以外でデートの誘いはしてこないし、私から誘っても忙しいから無理だと殆ど断られたの。 いくらキャプテンで野球が忙しいからってもっと2人で遊びに出掛けたり、色んなことをしたって……私は良いと思うんだけど…」

「−–−–−そうか。 女性の目線から言えば、これは大地が明らかに悪い。 こういうのは男から女性をリードしないといけないはずなのに……野球だとあれだけ正確無比のリードをしてくれるのに、どうしてプライベートだとこうもダメと言うか、ヘタレというか……」

「ひ、聖ちゃん……?」

「む。すまない涼子。 話を戻すが、仲がこじれてしまった最大の原因はなんだ?」

「……それはね、数日前に私と大地がこの事で喧嘩したのよ。 忙しいのは分かるけど少しくらい甘えたっていいんじゃない?って。 でも大地は冷たくしたつもりはないって頑なに言うからそれでいざこざになって……私の方からお店を出てってそれきりに…」

 

 涼子の目がみるみる涙で滲み出てきている。それほど思い出したくない、悲しい出来事だったのだろう。 私が涼子だったら彼女の気持ちも分からなくはない。 私達の為とはいえ、恋人なのに恋人じゃないんだから。 だったらどうして私達は付き合ってるんだと。 迷いと不安で心がいっぱいだろうに…。

 

「それでも……それでも大地ともう一度話をした方が絶対良い。涼子の言い分も女性の目からすれば正論だが、相手は性別の違う男性。男にだって男特有の考えが当然存在するのだから仲違いをして当たり前だ。ましてや彼氏が大地ともなれば…そうなる可能性はかなり高い。涼子は初めからその事も考えて彼女になるのを了承したのか?」

「……ううん。全然考えてなかった…」

「たったらこの件は涼子にも非はある。女性という立場に甘んじて大地に一方的に押し付けたりしてはいないか? 忙しい彼を、受け入れずに否定したりしてなかったか? 厳しい言い方をすれば、これが当てはまるなら涼子は彼女として−–−–−失格だ」

「っ………!」

 

 聖の言葉が胸に強く突き刺さり、涼子は言葉を返せなかった。

 

「本当に心から大地が好きなのなら、彼の気持ちも尊重しながら自分の思いをぶつけるんだ。 それでまた喧嘩したっていい。 その度に仲直りをして、関係は深まってくんだ。 変に焦って理想を押し付けるのは良くないぞ」

「……確かに私、大地ともっと側に居る事しか考えてなかった。 大事なのは互いの心を尊重し合って笑顔でいること。ただ単に近くに居続ける事が幸せなんて、間違ってる……!」

 

 ギュッと両手を握り締めて、顔を上げて強く−–−–−言葉を並べた。

 

「私、もう一回大地と話してみる! 今度は彼の考えを否定せず、受け入れるわ! こんなことくらいで諦めるなら、それこそ彼女失格よ!」

「うむ、その意気だ。私も二人の関係がまた良くなるよう、応援してるぞ」

「聖ちゃん………うぅ…本当に……ありがとぉ…」

 

 ポロポロと涙をこぼしながら私の手を取って泣いた。

 好きな人を思う気持ちはこうも特別な思いが秘められているのだろうと、私も改めて実感した。 それと同時に、何故大地が涼子を好きになったのかも何となく今では分かる気がした。

 

(きっと……大地は涼子を守りたかったんだろう。 リトルからたった1人でマウンドを任された涼子の…心の支えに……)

 

 涼子の頭に、ポンと手を置いて撫でた。

 背丈に差があって上手くできなかったが、私なりに涼子を慰めたかった。 本音を言えば応援したい反面、多少の嫉妬はまだ付きまとっている。 だが……

 

「そろそろ練習を再開しよう。泣いてばかりじゃ進歩しないぞ」

「うっ、うん! 私、頑張るよ! 聖ちゃんに言われたこと、絶対に忘れるないわ!」

 

 目を腕で擦り、元気な笑顔と共に答えた、

 そうだ、その顔だ。

 その笑顔こそが本当の涼子なんだ。やっと元の元気な姿に戻って、私も嬉しいぞ。

 そして−–−–−−–−後は大地がどうするかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……今日は全然集中できなかった………」

 

 部室で一人制服に着替えていた時、ふと独り言が溢れた。

 今日だけじゃない。 昨日も、一昨日も、さらにその前も、涼子と気まずくなった日から野球どころか普段の学校生活でも元気が無くなったと分かっていた。

 

「………俺、これからどうすればいいんた…」

 

 俺が……やはり間違ってたのか?

 ただ野球のことしか考えず、涼子の気持ちを理解してあげなかった俺が悪いのか?

 ますます涼子の考えが分からなくなる。 アイツのなりたかった関係と俺のなりたかった関係……それは互いに違う物かもしれない。

 

「一ノ瀬、まだいるか?」

 

 突然響くノックの音。

 そういや八木沼が学校に用があるとか言ってまだ帰ってなかったな。確か提出しないといけない書類があるとかないとか。

 

「ああ。入っていいぞ」

「ん、悪いな。それにしてもこんな時間まで練習してたのか。もうすぐ二十一時になるぞ?」

「まぁ……今日は練習したくてな」

「先輩。お疲れ様です」

「あれ? 東出もいたのか?」

「ええ。 ちょっと大事な用がありまして……」

 

 東出が椅子に座って体制を整えると、今俺が一番聞きたくなかった質問をしてきた。

 

「−–−–−川瀬先輩と何かあったんですか?」

「!? ……いや、別に涼子とは何にも…」

「先輩、思い切り顔に出てますけど。 それに皆んな分かってるんですよ、お二人が付き合っていたこと」

「………………は?」

 

 何で知ってるんだ……?

 俺は誰にも言ってないぞ!?

 

「……涼子から聞いたのか…」

「いえ、川瀬先輩からは何も聞いていません。 尋ねなくたって分かりますから……雰囲気で」

「雰囲気って……マジかよ…」

 

 みるみる自分の顔が赤くなってるのが感じ取れる。

 まさか部員皆んなが知ってたなんて思いもしなかったからな。

 

「多分なんですけど……今、川瀬先輩と喧嘩しますよね? それも長期的に」

「……だから何だよ。お前らには関係ないだろ? これは俺達二人の問題だ」

「はぁ……一ノ瀬先輩。 あなたは何も分かってない。 これは二人だけの問題じゃないんですよ?」

「……?」

「ここ数日の一ノ瀬先輩は全くもってやる気が無い。 声は出ないし指示だって曖昧、さらにはプレーにまでボロが出てる。 そんな情けないキャプテンの姿を見せられる僕達部員や後輩の気持ち……分かってるんですか?」

「……………………」

「何か言い返したらどうなんだよ!!! 」

「!!?」

 

 バン! と力任せに机を叩き、怒りの顔を見せる東出。

 普段無口でクールな東出が……この日だけは初めてる見る姿だった。

 

「男ならグダグタしないで謝りに行けよ!! 何でもいいから頭を下げて、たとえ相手が何度断ろうとも諦めたりすんな! そんなすぐに妥協するほどアンタは彼女のことを軽く思ってないだろ!? そんなんだったら……俺は……俺は…っ…」

「東出………」

「−–−–−とにかく、川瀬先輩の事は一ノ瀬先輩じゃないとダメなんですよ。 俺がどう頑張ってもあの人の支えにはなれない。 たがら……せめてあの人を悲しませないで下さい。 俺だけじゃなくて八木沼先輩や他の皆んなだって……辛いですから」

 

 東出−–−–−まさかお前……。

 

「じゃあ俺、そろそろ帰らないと怒られるんで失礼します。 急に口を荒げてしまってすいませんでした」

「おい、ちょっと待て!」

 

 俺の制止を聞かずに東出は部室から飛び出して行った。

 振り向き様の東出の顔が、少しだけ寂しそうに見えた。

 

「……俺、完全に空気だったな」

「ん……お前居たんだな」

「なっ!? お前……!」

「ふ、嘘だって。 それより東出の奴……もしかして−–−–−」

「ああ。俺も同じ横浜シニアだったから知ってるんだが、実は俊も川瀬へ密かに想いを寄せていた。俺に相談してくるくらいな」

 

 やっぱりそうだったのか…。

 道理で涼子とピッチングスタイルが似てる訳だ。

 

「それでも川瀬はお前を選んだ。 長年側に居てくれたお前となら必ず上手くやっていけると、一番信頼してたからな。 だからくだらない事で喧嘩なんかするな。 見ている奴等も悲しくなる」

「俺、そんなに迷惑かけてたんだな。そんな事も知らずグダグダ下向いて…………」

 

 今だって涼子は悲しんでるかもしれない。彼氏の俺が動かないで誰がアイツを救えるんだ。

 −–−–−だったらやるべき事は一つだろ。

 

「ん? 電話が……」

 

 慌てて鞄からスマホを取りだす。

 コールの相手は−–−–−涼子だった。

 

「−–−–−もしもし」

『あ、大地? こんな遅くにゴメンね。 あのね、時間があったら良いんだけど今からあの河川敷に来れるかな? 話したい事があるんだけど……』

 

 ……一足遅かったか。ても考えが同じで助かる。

 

「おう分かった。今から河川敷に向かうよ。丁度俺も話したかったからな」

『ありがとう。じゃあまた後でね」

 

 そう言って涼子は電話を切った。

 河川敷なら走れば案外すぐ近い。先に行って待たせないようにしないとな。

 

「……悪い。急な用ができたから後頼むわ、じゃあな」

「おい、用って一体……はぁ、勝手に戸締り押し付けやがって。ま、今回は許してやるけどよ」

 

 まるで居候人みたいな言い草でお礼を言い、急いで河川敷まで走ってった。

 どうすれば涼子を悲しませずに済むか。 大切なのは両者にとってそれが幸せであるかどうかだ。付き合う事よりももっと大切な事、俺達には残ってだろ? どんなに喧嘩して嫌いになっても、その目指すべきモノは変わらないはずだ−–−–−。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ………」

 

 額に光る汗を拭き、目線をある方向に向ける。

 灯の少ない傾斜の草に座る少女−–−–−思わず息を呑んだ。

 

「大地」

「……よ、待たせたな」

「大丈夫? 随分苦しそうだけど……」

 

 ひょいと顔を近づけて様子を伺う涼子。

 久しぶりだな、こんなに接近したのって。外では平然を頑張って装ってるが、内心は心臓バクバクだ。

 

「だ、大丈夫……それよりも…」

「そうだったわね。じゃあそこに座って話しましょ」

 

 鞄を置いて俺も草の上に座ると、涼子も移動して隣に座ってきた。

 横を向くと涼子と目が合って恥ずかしくなるが、彼女は笑いながら更にくっ付いてきた。

 

「……嫌?」

「ううん。全然」

「そう。良かったわ」

 

 改めて見ると涼子って可愛いな……。

 元々の綺麗で可愛らしい顔と長髪を生かしたポニーテールは大半の男なら誰でも見惚れてしまうだろう。

 

「………………」

「……………………」

「「あのね(さ)……」」

「あ、ごめんなさい……」

「い、いや、そっちからどうぞ」

 

 変な所で息があって心の中で笑う。

 

「私ね、間違ってた。 大地の気持ちも考えずにただ自分の事しか優先してなかった。もっと大事な事があるのに……私は忘れた」

「涼子……」

「だからねっ、私達……その…………」

「−–−–−別れる、のか?」

「…………うん」

「ふぅ……良かったよ、考えが一緒でさ」

「え……どういうこと?」

「俺も別れた方が良いんじゃないかって思ってんだ。 今は他にやるべき事が残ってるし、それに気付いた以上もう後には引けないさ」

「……私達の、やるべきこと」

「リトルの時に成し遂げられなかった日本一を、今度こそ俺と涼子が日本一のバッテリーだって証明する事。あの日お前に誓ったことだ」

 

 涼子の事は、好きだ。

 多分だがこの先もその気持ちは揺るがないだろう。 それでも……今はもっとやらなきゃならない目標があるんだ。 まだこんな所でゴールするには早過ぎる。

 

「でも! 私はずっと好きだから! 正直、聖と遅くまで特訓してた日は妬んだり怒ったりもしたけど、結局は大地を嫌いになれなかった。 だって、それっぽっちで別れを切り出すくらいなら大地とこうしてバッテリーを組んでないもの!」

「……俺もだよ、涼子。 忙しいことを理由に冷たくしたりして悪かった。ただどうすれば甲子園に行けるかしか考えてなかった野球バカを許してほしい」

「ううん、もうその事は良いわよ。その代わり…………んっ!」

「んむっ……ん……」

 

 俺の背中に腕を入れて強引に唇を付けてきた。

 ほんのり香るいい匂いが俺の気持ちを掻き立てて、同調してこっちも草むらに押し倒して口づけをした。

 

「ん……んむっ…………ふぅー……どうだった?」

「はぁ……どうだったじゃないわよ。こんな夜遅くに女の子を押し倒すなんて大地も変態ね」

「お前から誘ってきたんだろーが。でもまぁ……気持ち良かったな」

「うん…………」

 

 カァァとみるみる半熟トマトのように顔を赤らめる涼子。

 体制からしてどうしても良からぬ妄想をしてしまうが、すぐ様自分を言い聞かせて静止し、涼子を起こす。

 

「この続きは目標を達成してからだ。三年の夏までには必ず涼子を日本一の投手にするよ。俺、約束するから」

「……ふふっ、大地って約束事が大好きなんだなから。 今度も嘘じゃないって私……信じてるから」

 

 もう一度軽くキスし、俺達は立ち上がった。

 

「そろそろ帰るか。暗いから家まで送ってくよ」

「お気遣いありがとう。 それじゃあお言葉に甘えてお願いします♪」

 

 手を繋いで人気のない道路を歩く。

 もう立ち止まらない。 栄光と言う名の夢を掴むまで、俺は涼子と一緒にどこまでも走り続けてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいぶストレートの球威も増してきたな。その調子だぞ」

「ふふっ、ありがとう。次は縦スラでいくわよ!」

「おう! どんどん来い!」

 

 

 

「……六道先輩、どうにかなりましたね」

「…だな。 私達が出るまでも無かったかもしれない」

「それはどうかな。 少なくともお前らが居なかったからこんなに早く解決はできなかったと思うぞ」

「「八木沼(先輩)……」」

「でも……お前らはそれで良かったのか? まだ未練があるんじゃ…」

「私は大地が笑っていられればそれでいい。涼子となら必ず上手くやってけるだろう」

「俺も六道先輩と同じです」

「そう、か………」

 

 本当はまだ諦めきれてないのに……無理しやがって。

 

「−–−–−仕方ない。練習が終わったら俺の奢りでどこか寄るか」

「む、それは良いな。だったらパワ堂できんつばでもやけ食いしたいぞ!」

「俺も沢山食べたい気分なんで三人で行きますか。一万円分は食べないと気がすまないですから」

「お前らなぁ……あんまり俺の財布を虐めるなよ」

 

 と忠告してもどうせ食べまくるけどな。

 とにかくアイツらが元に戻って、いや、これまでに以上に信頼を深めてくれて安心した。

 あと一ヶ月半で夏の大会も始まることだし、二人の力に俺達が加われば甲子園も夢じゃない。

 

(助けてやった分、今度は試合で助けてくれよな。お前ら二人は聖タチバナ野球部にとってかけがえのないバッテリーなんだからよ−–−–−)

 

 


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