Glory of battery   作:グレイスターリング

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第十九.五話 寿也の決断

 野球との出会い──

 

 それは勉強しかすることのなかった僕にとって、人生そのものを変えた大きな転機だっただろう。

 もし、あのままの人生を生きていたら間違いなく“今の僕”は居ない。

 果たしてその道が正しいかどうかは僕にも分からない。

 

 でも──

 

 僕は吾郎君に出会え、大切な仲間やライバルと野球ができ、心から嬉しく思ってる。

 だからこそ、このメンバーで甲子園を、栄光を、この手に入れたかった……はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ––––八月二十六日、海堂二軍専用グラウンド。

 

 

「江頭は何て……?」

「……絶望よ。総監督であるお父さんでさえ江頭の方針に介入するのはできないそうよ……」

「それは最悪ね……」

 

 それは僕達が厚木に来てまだ二日目の事だった。

 朝から僕と二軍監督を務める"早乙女静香"監督、兄である"早乙女泰造"トレーナーと田尾さんの四人でなぜか一軍が居る本校まで車を飛ばしていた。

 原因は昨日行われた特待生対夢島組との歓迎試合が発端だ。以前からマニュアルに背くプレイスタイルが問題視されていた吾郎君の処分を巡るいざこざが監督と二人の間で続き、痺れを切らした吾郎君が直接に監督の元へ行って退部を撤回しに抜け出したのだ。

 彼曰く、「絶対マニュアルなんかに屈しない」と強く宣言し続けてきたが、その度に僕はヒヤヒヤされっぱなしだ。江頭さんって言うチーフマネージャーが吾郎君の退部を揉み消したらしいけど、それも吾郎君のスター性を使ったビジネスの為の方針で、正直僕も納得なんてできるわけがない。

 マニュアル野球は今亡き監督達の兄の死を教訓にした、二度と同じ悲劇を生まないように作られた絶対の掟。

 僕だってその話をされた時には同情してしまう部分だってあったし、裏では僕達の事を一番考えてくれた物だったと、心が少し痛い。

 だからこそ、監督は吾郎君を退部させたかったのだろう。

 

「……こうなったらこの事実を全て茂野君に伝えるしかないわね」

 

 思い詰めた表情で車に乗り、静かに厚木へと戻る。

 でもこの事実を本人に伝えたら間違いなく吾郎くんは怒って自主退部してしまうはずだ。そうなっては監督だって責任を持って追われるのは目に見えている。

 後は吾郎君がこの話をどうするかだけど、果たして......。

 

 

 

「……これがあなたを残留させた理由よ」

 

 厚木へ戻ると監督は直ぐに吾郎君を屋上へ呼び、江頭さんが退部を取り消した訳を全部語った。

 まさか自分が商売に肩を貸すなんて考えもつかないだろう。吾郎君は黙って一連の事情を聞いてるが、そのまま黙ってる男ではない。

 チームの広告塔になるくらいじゃ辞めてやる覚悟は前々からあると言ってるんだ。監督だって選手を騙してまで商売に手を貸すなんてしたくないはずだ。

 

「彼はあなたの過去を利用して金儲けを企んでるのよ!彼は……江頭は商売の為に––––––」

 

 

 

 

「別にいいじゃねーか」

「え……?」

「俺は昔の過去に一切負い目なんかねーし、親父は今でも俺の誇りさ。俺の過去話だけでスターになれるならそもそも苦労しないだろ?意図はどうあれ、アイツは俺を評価してくれたんだ。悪くはねぇよ」

「っ、でもっ!マニュアル野球を免除される代わりに江頭の商売に手を貸すのよ!!!それでも悔しくないの!?」

「…………ちょっと待てよ。誰がアイツに手を貸すっつったよ」

「え……!?でもあなたさっき悪くないって…」

「はぁ、あのなぁ、俺は海堂にもスターになるにもハナっから興味ねぇよ。初めから海堂で甲子園に行く気なんざさらさねぇ」

 

 ……どういうことだ?吾郎君は何を言って––––

 

 

 

 

「二軍で力を付けて今の一軍を倒したらとっととここから出てくつもりだからな––––」

「!!?」

「一軍を倒して海堂辞める……?あなた一体何を!!?」

「来年六月にやる一軍と二軍の壮行試合に俺を登板させてくれ。そこで一軍に勝ったら俺は自主退学する。宛てはまだ決めてねぇけどとっちゃんボーヤのあやつり人形にはならねえ」

 

 何を言ってるのか理解できない。

 ここを辞めるだって?

 一軍を倒すだって?

 僕との……僕との約束はどうするんだよ……。一緒に海堂を脅かす存在になって見返そうって、君から約束して来たじゃないか!

 それをまた身勝手な理由で無しにする気なのか!!?

 気がつくと、僕の両拳が怒り任せに強く握られていた。頭の線がプツッと切れた瞬間、僕の自制心は崩れ去った。

 

 

 

  ふざけるなよ……

 

「え?」

「ふざけるなよ!!」

「.くっ!とっ、寿っ!?」

「佐藤君!?」

 

 いつ殴ってもおかしくない勢いで吾郎君の襟を掴み、怒りのあるがまま怒声を飛ばした。

 

「何が海堂を辞めるだよ!!僕は君が海堂で野球をしたいからって言うから来たんじゃないか!!!その前だって三船に行くって言っときながら急に海堂に変えたりして、それでも二人で海堂を乗っ取ろうって言うから信じれば今度は辞めるだって!?冗談も大概にしてよ!!!!」

「寿……お前…………!」

「僕は君と一緒に野球がしたいよ。一緒に甲子園へ出て日本一になりたかった。それだけなのにどうして……どうして裏切るんだよっ!!!!」

「佐藤君落ち着いて。何があったかは知らないけど茂野君が……」

「っ………….くっ!」

 

 監督に宥められ、僕は 掴んでいた手をゆっくり離した。

 吾郎君は申し訳なさそうに僕を見ている。依然として頭に苦手上ってるのは自覚がある。だけどこればかりはもう、限界だ。

 

「もう君の事なんか知ったことじゃない。海堂を出たいんじゃ勝手にしてよ」

「おい寿……ちょっと待てよ寿也!!」

 

 屋上の出入り口をバタン!と力任せに閉め、一切振り向きもせず僕は外へ出てっていった。

 宛なんかあるわけがない。吾郎君に裏切られて胸を締め付ける喪失感と絶望感をとにかく紛らしたい思いだけでひたすら走った。

「くそっ!どうしてっ、いつも僕の周りは…….っ、ううぅ………」

 ダメだ……眼から滲み出る物が止まらない。

 一度涙が出てしまうともう抑えることはできない。親にも裏切られ、親友にも裏切られ、僕は誰を信じれば良いのか分からないから。

(もう僕はどこにも帰りたくない…)

 また裏切られるくらいじゃ居ない方がずっとマシだ。

 やがて木々が多かった厚木から町の方へ出た所で走るのをやめ、感情をなくしたロボットのようにブラブラ歩道を歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。貴方と佐藤君の間でそんな約束を……」

 

 俺と寿也のやり取りに気にした二人は選択の余地無く監督室へ俺を連れて事情聴取した。

 ここへ来る前に俺と寿で海堂を乗っ取ってやろうと考えたいたのも、ここへ来るまでの長い経緯も何もかも吐いた。

 オカマの兄は話の所々で「茂野君が悪い!」と指しまくるからウザいったらありゃしねぇ。確かに俺がワガママ過ぎたってのが一番だけどよ、俺にだってちゃんと考えがあって海堂を辞めるって決断したんだぜ?頭がキレる寿也なら察しが付くと高を括ってたが、想定外のリアクションにあん時は焦ったな。

 

「茂野君ねー、それはいくら何でもあなたが悪いわよ。あんなにキュートな顔した子でもて遊ぶなんて罪深いにもほどがあるわよ♡」

「もうっ……兄さんは黙ってて頂戴。話が全然進まないでしょ?」

「何よォ!折角二人を心配してたのに〜...」

 

 アンタの場合、心配されたら余計怖くて逆に嫌だっつうの。

 

「–––それで、あなたはこれからどうするの?」

「どうするって……そりゃもう一度寿也に会って話をするに決まってんだろ。まず嘘ついちまったことを謝って俺の胸の内もしっかり告白するよ」

 

 その前に寿の奴を探しに行くのが先決だな。無断でここを飛び出しちまったんだから世話が焼ける奴だ……ってあれ?それは俺も同じか。

 

「全く。今年の新入生は問題児ダラけなんだから…。分かったわ。十九時までに帰って来なさい。もしそれまでに連れてかれなかったら本当に強制退部させるわよ、いいわね?」

 

 へぇ……嫌味な奴だと思ってたけど、案外話が分かってやがるな。海堂の二軍とは言え監督だもんな。その辺は理解してくれて助かるぜ。

 

「あんがとよ。意外に良い人なんだな、アンタって」

「うるさいわね。喋ってる暇があったらとっとと行く!」

「へいへい。行きますよ」

 

 頭をポリポリかじりながら監督室を出て、玄関へ向かう。

 俺の上の下駄箱は寿也の場所となってるがやはり靴がない。本当にどこか消えちまったらしいな…。

 

「しゃーねーな。まだそんなに遠くへ行ってるはずないからとっとと見つけて謝るか」

 見当とつかねぇけど、取り敢えず町に出てみるか?ここから一番近い場所は……相模原が大きいけどさすがにこんな遠くにはなぁ。

(寿じゃありえるかもな.)

 

 狙いを相模原方面に定め、まだ日差しが強く照らさらる残暑の中を走り出した。

 寿、待ってろよ。お前をクビにはさせねぇからよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 佐藤寿也。現在大ピンチに見舞われています。

 勝手に寮を抜け出してしまったのはいいけど、あまりにも無計画過ぎた。神奈川出身とは言え、辺りの町並みが全然見たことのない場所になってきている。

 そう、つまり僕は–––––

 

「完全に迷っちゃったな……」

 ガラにもなく適当にうろちょろしたのがバカだった。しかも携帯は寮の鞄の中だし、時刻は多分夕方の十六時頃だ。早く帰って謝らないと夢島戻りだけじゃ済まされないな。

 

「でも僕が帰った所で吾郎君は……」

 

 どうせ海堂を辞めることには何も変わらない。

 薄々察しはしていた。あの瞬間、吾郎君なら思い切った事を言うのは。だけどさ……!僕達はずっと前から約束したじゃないか!僕が正捕手で吾郎君がエースになって一軍で僕達バッテリーの存在を見せつけてやろうって。その為に僕はお爺ちゃんとお婆ちゃんに無理をしまでて海堂へ入学したんだ!

 それなのに海堂広告塔になるくらいじゃここを出てくのか?

 僕と吾郎君との約束はそんなにも軽い物だったのか?

 冗談じゃない!!だったらどうして僕を誘ってまで海堂に入学したんだよ!!!

 君が何を考えてるか知ったことじゃない。それでも、残る奴の気持ちも考えてやったらどうなんだよ!!!

 

「.…ってあれ?また知らない場所に出ちゃったなぁ」

 どうやら町から数キロ外れた河川敷に出てしまったらしい。

 夕日が目の前に広がって清々しいけど、気持ちは滅入ったままだ。もうむやみに動くのはよした方が良いかもしれない。昼前から走ったり歩いたりしてお腹だって空いてきている。取り敢えず座り良さげな草の上に座り、景色を見てみる。

 

(ははっ、前にも似たような場所で練習してたっけ)

 ふと思い出す数年前の過去。

 あれは確か四年生のリトルリーグの頃。三船ドルフィンズに負けてからよく一人で夜近くまで素振りやランニングをしてた。時間帯が合う日は涼子ちゃんや真島さんと一緒に河川敷でキャッチボールや一打席勝負もした。涼子ちゃんって見た目によらず負けず嫌いだから勝つまでやって大変だったよ。その度夜遅くに帰れば親に叱ら…れ……。

 

(親……か)

 

 あ、 真島さんのお母さんはよく僕達を招待して大好物の唐揚げをご馳走してくれたなぁ。あの味は今でも忘れられないお袋の味……だった。

 涼子ちゃんのお父さんはよく応援に来てくれたなぁ。試合に勝つと選手並みに喜んでて面白かった。アメリカに単身赴任で戻る時も最後まで横浜リトルを応援してくれた。

 それぞれが暖かく見守ってくれる両親がいて、その支えがあってこうして今の自分がいるんだ。

 

  だけど僕は––––

 

 

 

 

 

  ドスンっ!!!!!

「ん……?」

 

 河川敷に響く重苦しい鈍い音。ピストルや大砲のような代物で壁にめがけて撃ったように聞こえた。

 音を頼りに近くの橋の下まで行くと、そこには同い年ぐらいのユニフォームを着た男性が壁に向かってボールを投げていた。

「……ふっ!」

 

 無駄の無い滑らかかつ美しいフォーム。その体勢からオーバースローで繰り出されるその速球は遠くから見ている僕でも興奮させる球だ。帽子から落ちる一筋の汗が夕日の光によって輝き、その男性の綺麗な顔立ちをより引き立てている。

 

(あの人、どこかで見たことが…………!、まさかあのAって文字……!!!)

 

 

「猪狩、守……!」

 

 間違いない。今年の甲子園で眉村と投げ合って優勝投手になったあの猪狩守だ。僕と同じ一年生ながら眉村と同じく次世代の怪物として雑誌やテレビに紹介され、何よりも大地君がずっの目標にしてきた選手。そんな人が何故こんな所で壁当てを……?

 

「…僕に何か用かい?」

「え、あっ、いや!ただ凄いボールを投げるなぁって思ってつい見てたら…」

「どこかの高校から来たスパイか?サインや試合の申し込みなら断るよ。生憎こちらは今不機嫌なんだよ」

「い、いや、別にサインが欲しいわけじゃないよ。偶然音につられて来てみたら猪狩君が投げてたのを見つけたんだ。"一ノ瀬大地"君から君の話は耳にしてたし」

 

 "一ノ瀬大地"の単語が出てきた瞬間、守君は眉をひそめて投げるのを止めた。相当彼の影響力は大きかったらしい。

 

「君、大地の知り合いか何かか?」

「あ、ああ。昔、小学生の時に同じリトルリーグでプレーしてたんだ。それについ最近会ったてきたばかりで…」

「––––その話、詳しく聞かせてくれないか?」

「え……?」

 

 

 

 

 

 

 

「おーい寿!どこ行ったんだー!!」

 

 やべぇよ、マジでやべぇ。約束の時間まであと約三時間だ。相模原の範囲なら結構見たつもりなんだが方向か姿どころか手掛かりさえ掴めてない状況だ。

 

「あと探してない場所は川沿いの河川敷か……」

 

 しゃーねぇ。確率は低いけどそこに賭けてみるか!これで居なかったらもうお手上げだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、まさかアイツが秋も辞退するとはね……昔から何を考えてるのか分からない奴だ」

「はは、それは昔から僕もたまに感じてたよ」

 

 横浜リトルに在籍した頃の話から数週間前にやった合宿までの話を猪狩君に話した。大地君の話題になると目の色を変えて静かに聞いてくるからどうでもいい話などもついベラベラ喋ってしまったよ。

 気になる人がいるとか、相変わらずな性格、打倒あかつきに燃えてる事も……。

 

「佐藤も海堂ではどうなんだ?君の実力ならもうじき一軍でレギュラーにでもなれるんじゃないか?」

「!……いやぁ、僕なんてまだまだだよ。今だって本当は練習してたんだけど…」

「? 何か問題でもあったのか?」

「………………………………」

「……話してみろ」

「!」

「僕はあんまお人好しじゃないけどアイツの話をしてくれたお礼だ。悩みの一つなら聞いてやるよ」

「……ありがとう。実は––––」

 

 今日起こったこと、昨日の夢島と特待生との歓迎試合、吾郎君との約束、猪狩君は黙って頷きながら愚痴に近い僕の話に付き合ってくれた。

 話せば楽になるって、まさにこの事なんだと改めて感じるよ。

 

「なるほど、約束か……」

 

 ちょっと待ってろ、そう言って立ち上がるとエナメルバックからキャッチャー用のミットを取り出し、投げて僕に渡した。

 

「これは…?」

「そこに立って今から僕の球を受けてみてほしい」

「え!?僕が君の球を!!?」

 

 ちょっと待って!話を聞いてくれるだけなのにどうしてキャッチングをするんだ?しかも猪狩君の目がかなり本気だ…。

 

「今日は神奈川でパワフル高校と練習試合をしに来たんだがね、僕が先発でいながら八対八の引き分けだったんだ。その八点の内、僕は5回六失点で敗戦投手さ」

 

 あの猪狩君が五回六失点?パワフル高校は夏大でもベスト四に位置する強豪校だから接戦さしょうがないとしても、不安定な乱打戦になるのはあかつきらしくない。

 体調や調子が悪かったのか、それとも––––

「キャッチャーさ」

「キャッチャー……」

 

やはりそうか…。

 

「僕には一つ上に二宮先輩って言う正捕手が居てね、その人が夏の期間中僕の球を捕ってくれた数少ないキャッチャーであったんだ。 だけど今日の試合は一年生のみで編成されたメンバーで試合をすることになっててね、あまり言いたくなかったけどそのキャッチャーが......」

「リードやキャッチングが不十分、ってことかな?」

「……君は結構物事をズバズバ言うタイプだね」

「うん……でもその気持ち、僕の相手とよく似てるからなんとなく分かるよ」

 

 吾郎君のジャイロボールが僕しか捕れないのと同じに、猪狩君も同年代のチームメイトで自分のボールを受けてくれるまともなキャッチャーが居ないんだ。あの百五十近いストレートとキレ味抜群の変化球は並大抵の人じゃ捕れないのも無理ない。

 

「……分かったよ。二、三球なら捕ってもいいよ」

 

 でも心のどこかで密かな好奇心のような気持ちが湧いている。

 高校史上最強左腕と既に名高い大エースの球を捕れるんだ。この機会を逃せば二度と巡り合えない......そんな気がしたから。

 

「よし……じゃあいくぞ。絶対逸らさないでくれよ」

 念を込めて釘を打ち、猪狩君が投球動作へと入る。

 集中しろ。目の前に立つのは吾郎君と同等の力量を持つピッチャー。全神経をこの腕と左手に集め、視力を極限まで研ぎ澄ますんだーー

 

「っらあっ!!!!!」

 

 右打者側からだとインコース低め、左打者ならアウトローの絶妙なコース。球種はおそらくストレートだが吾郎君のジャイロに比べればそこまでスピードは無い。ただ……

 

(!?、なんだこれは!!?)

 

 ベース手前付近にボールが近づくとボールが急激に伸び、いや、正確には"浮き上がってきた"のだ。プロ野球で有名な豪腕投手などが例えられる『火の玉ストレート』のように、異質なキレとノビとポップの三つを重ね合わせてミットに迫ってきた。

 

(見失うな!この高さなら、ここだ!!)

 

 突然のポップに一瞬戸惑うが、そんなのは捕れないキャッチャーこ言い訳。ストライクゾーンならどこへ飛んで来てもキャッチする、それが投手の相棒、捕手だ。

 

 

  ッバァアアンッッ!!!!!!

 

 

 

 何とか捕球に成功するも、ミットを突き破って貫通させる錯覚に突然襲われた。

 いっつ…………なんだこのボールは?吾郎君のジャイロとはまた違うストレートだ。

 直接的なスピードや重さは無いが、捕った後も身体の芯に爪痕を残し、ライズボールに近い不可思議なホップ具合。これまで何千何万受けてきて初めての経験だ。

 

(僕のウイニングショットをたった一発で見極めてキャッチするとは…………ふ、面白い奴だ)

 ニッ、と不敵な笑みを見せながら猪狩君が近づいてくる。

 まさか僕のキャッチングに不満があったのか?クールなイメージが強いから頰を上につらせて笑われると逆に不安だよ。

 やがて僕達が一メートル半の距離に近づいた瞬間、僕の頭を真っ白にさせる衝撃の一言を彼は放った。

 

「–––––––佐藤寿也。あかつきに来て僕とバッテリーを組まないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はあっ……みっつかんねぇーなー…」

 

 もうどこに出ちまったか分かんねぇとこまで来ちまったぜ。女監督は十九時までとか言ってたが、多分もう間に合わんな。仕方ないがこの河川敷にを見回って寿也が発見できなかったら一旦寮へ戻ろう。このままじゃ埒が明かないしよ。

 

「……ん、あれ寿か?」

 もう諦めかけたその時だ。

 河川敷の橋の下で親密な会話をしている二人組の男の姿を見つけた。キャッチャーミットを持ってる方が寿で、もう片方は見たことあるような顔だが……誰だっけ? 確か有名な選手かなんかだった気がするが……まぁいいや。寿さえ見つかれば俺としては安心だからな。

 

「おーい!!寿ー!」

「ん……ごっ、吾郎君?!どうしてここに……」」

「どうしてってお前……寮に連れて帰りに来た以外にあるかよ。 ……嘘だよ。さっきは悪かったって謝りたくてな……その、ゴメンな」

「……頭を上げてよ。僕の方こそ勝手な友情を君に押し付けてしまったんだから」

「いや……下手に勝手じゃねーよ。それを言えば俺の方が–––––––」

「違うんだ––––!」

「…………ちがう?」

「実はね.……一つ先の未来まで立ち止まらない姿を見て、そして猪狩君の熱い意志を貰って、僕は決めたよ」

 

 俺が「何を決めた?」と問いかける前に、寿は先に答えを言った。

 

「僕も海堂を辞めてあかつきへ行くよ!そこで君と大地君を倒して日本一になってみせる!!」

 

 決意を込め、寿が言う。

 …お前がどういう意図で海堂を辞めるかは知らねぇけど、少なからずお前の熱い思い、確かに伝わったよ。

 

「…………そうか」

「あれ?意外にリアクションが薄いね。君ならもっと驚くと思ってたんだけど……」

「男のケジメにとやかく言う筋合いはねーからな。寧ろお前があの猪狩守だったのに驚いたよ」

「……僕は今のキャッチャーに不満を抱いているだけで佐藤を引き抜こうとしたわけじゃない。君と二人の関係を聞かせてもらってからどうも他人な気がしなくてね……それに最終的な決断をしたのは彼だ。僕はあくまで提案しただけに過ぎないさ」

「分かってるっつうの。少し寂しいけど、引留めはしねぇよ。寿もそれで良いんだろ?」

「うん。心と身の回りの整理がついたら直ぐにでも寮を出るよ。君は来年の壮行試合まで居るんだろう? 大丈夫、四月には僕よりも凄腕のキャッチャーが入部してくるんだから」

「寿よりも凄腕のキャッチャー?」

「それは来年になってからのお楽しみ。さ!、そろそろ帰ろっか!」

「ちょっと待てよ!そのキャッチャーって––––」

「僕が厚木まで送ってあげるよ。早く帰らないと叱られるだろ?」

「うん。ありがとね」

「っておい!俺の話を聞けよ!!!!!」

 

 くそっ、すっかりパートナー気分でいやがるぜ。

 それにしてもあの寿がここまで自分の意向を通そうとするなんて......あの猪狩って奴、何を吹き込みやがったよ。

(……寂しい、か)

 

 なんかよー、今ならアイツの気持ちが分かるかもしれないな。

 それまで慣れ親しんだ相棒と別れるのって、案外胸に来る物があるってな。

 

「吾郎君ー!早く乗らないと置いてくよ!!」

「ん、分かってるって」

 でもよ、乾いた気持ちなんて直ぐに消し飛ぶさ。

 俺が海堂の一軍をぶっ倒し、寿や猪狩や一ノ瀬と言った奴等も倒して日本一になれば良いだけだからな。残るのは後悔じゃない。これから先に待ってる熱い勝負への狂熱だからな!

 

 

 

 

 

 

 

「本当に後悔ないのね?」

「ええ。短い間でしたが、お二人にはお世話になりました」

 

 九月中旬のある日。

 寿也は監督室に退学届を提出して海堂を去った。

 家庭の事情で今更編入する余裕なんて無かった寿だったが、猪狩は特待生枠として迎えることによって授業料を免除させたので経済的な問題はあっさり解決して編入した。当然、両親にはこの事を話したらしいが二人も寿の気持ちを尊重して編入を許可を得してくれたらしい。

そして俺はと言うと–––––––

 

「若造!そんな力で一軍やあかつきを倒そうなんて百年早いわよ!!」

 こうしてオカマのしごきを受けながら以前よりも練習に没頭して取り組むようになった。

 ってか横から気持ち悪い顔のオッサンがうるせえからイライラするが、指導は悪くねぇから文句言えないんだよな。

 この兄弟も死んだ兄の志を俺に重ねて見てるらしいが、悪い気はしなかったな。

 

(来年は俺達どうなってんだろうな? 寿に代わるキャッチャーもどんな奴か気になるしよ……)

 

 ま、迷惑かけんように鍛えるつもりだが、寿よりも下手な奴だったら承知しねぇからな。

 なぜならこれ以上俺は立ち止まれねぇんだ。初対面時は知らなかったが隣にいた奴があの猪狩なんだからよ。

 何倍も何十倍も努力しなきゃ勝てる相手じゃないのは充分承知。

 あ来年、再来年にどちらが泣いてどちらが笑うか。マウンドの上で白黒付けてやるぜ!!!

 

 


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