Glory of battery   作:グレイスターリング

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第十一話 入学

 昨年はプロ野球に大激震が走った──

 神童裕次郎のメジャー渡米。

 日本球界を引っ張ってきた大エース、茂野英毅の引退。

 同時に二人もの逸材が球界を去り、世間ではシーズン前にもかかわらず未だにこのニュースが騒がれていた。

 

 

 

 

 

「影山さん。先月調べた高校の資料作成が終わりましたので、ここに置いときますよ」

「おお、すまない木佐貫君。チェックは私が行うからもう帰っていいぞ」

「はい。それでは先に失礼します」

 

 夜の編集ビルで私がこれほど待ち焦がれた日は長年スカウトやっていて初めての体験かもしれない。

 私の名前は影山修造──。

 週間パワスポのスカウト記事を主に任され、それと平行して関東地区専門でキャットハンズのスカウトも仕事としている。

 

 

「今年注目の選手は…っと」

 

 私の担当は高校生。

 木佐貫からホッチキス止めされた紙をパラパラと捲り、『あかつき大付属中学校』と表記されたページで指が止まった。

 

「猪狩君はあかつきに残るのか…」

 

 現時点の高校野球界で最もプロへ近いと言われる男、猪狩守。

 MAX百四十キロの快速球に鋭く曲がるスライダーと打者のタイミングを大きくずらすカーブ。低めも高めも正確にコースを突くその制球力と、何試合でも完封勝利をしてきた無心臓のスタミナは、投手として必要な全ての能力を持ち、同世代No.1プレーヤーとしてのカリスマ性を身にまとっている謂わば──天才、又の名は怪物だ。

 

 だが猪狩守がここまで順調に勝ち続けられたのには、それ相応の“パートナー”が支えてくれたのも事実。

 

「一ノ瀬大地君は聖タチバナ学園らしいな。あそこは野球部の活動が停止していると言ってたが…まぁ今後は彼中心のチームを作ってくれるだろう」

 

 個人的には猪狩君よりも期待している選手だ。

 他のスカウト陣の間で認識されている評価は『隠れた天才』だったり『No.2プレーヤー』など、どうしても猪狩守の影に隠れた評価しか無かった。

 

 

 一年から一軍で試合に出ていた猪狩に対し、一ノ瀬は明くる日も二軍の正捕手と一軍ベンチを行ったり来たりしていたらしい。

 そんな彼が評価され始めたのは中学二年の夏。

 当時、あかつき中には一つ上の先輩に『二宮瑞穂』というキャッチャーがマスクを被っていたのだが、ある練習試合で怪我をしてしまい、代わりに二番手だった一ノ瀬が神奈川予選で正捕手を努めていた。

 

 その試合は結論から言うと、衝撃的なゲームだった言える──。

 一ノ瀬は六打数五安打、三本塁打十打点と化け物染みた打撃成績をマーク。

 リード面でも非凡な才能を発揮し、猪狩自身初めてとなる完全試合を29-0でやってのけたのだ。

 そう、彼は進化した。

 リトルリーグを不本意な形で引退し、あかつきの環境で血の滲む努力をしてやっと手に入れた力。

 決してバッティングやリード、キャッチングだけに限定されたものでないと思う。

 チームと上手にコミュニケーションを取り合い、一ノ瀬が唯一苦手としていた『洞察力』『観察力』『研究力』の心理的戦略も得意とすることができた。

 その尋常なる吸収力とポテンシャル。一ノ瀬大地が秘めている“無限の可能性”を評価し、私だけが猪狩よりも好評を付けている。

 

「後は眉村君が海堂へ。久里山中の香取と唐沢は帝王実業へ進んだか。ん……おっと、私としたことが見落としていた」

 

 あかつき中にはもう一人、スター性を秘めた選手がいる。

 

 

 彼の名前は『葛西春見』

 メインポジションはセカンドだが、ピッチャーとキャッチャー以外のポジションを全て守れる卓越したフィールディングと一番も任せられる俊足。更には豪打と巧打を使い分けれるパワーとミート力に選球眼と、走攻守バランスのとれたユーティリティープレーヤーだ。

 

「葛西君は恋恋高校か。ここには同じ俊足の矢部や、女性選手の早川や小山も入っていたな」

 

 この三人も同じシニアで活躍した名のある選手。

 聖タチバナと同様に、恋恋では葛西君がキャプテンとして甲子園を目指すだろうな。

 

 

 

「さてさて、楽しみになってきたぞ…!」

 

 

 我がキャットハンズは万年最下位が続く低迷期。

 何としてでもこの黄金世代のドラフト会議を成功させ、大幅に戦力を拡大させないとならない。

 

 影山、ここがスカウトとして腕の見せ所だ──。

 

 

 今年は新たな決意を固め、私は誰もいない静かなオフィスを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神奈川県の全高校は四月七日が入学式と定められ、俺が入学する聖タチバナ学園もその中の一校だった。

 冬に一度下見に来ているが、何ともまぁお金持ち感が漂う学校、それが第一印象だ。

 私立でも類を見ない敷地面積と、都会のビルを模倣させるかのような建築デザインにはみずきちゃんを除く全員が度肝を抜いた。

 

 で、春と言えば肝心のクラス発表があるわけだが──

 

「やったー!全員同じB組だよ!」

 

 奇跡とは恐ろしいな。まるで誰かが仕込んだのかって疑うレベルだぜ。だって七クラスもあるのにその内の五人が一緒になれたからな。

 

(私に感謝してよね、大地君♪)

(……なるほど)

 

 みずきちゃんの仕業だったのか。すげぇな生徒会長……。

 

 

 あ、言い忘れてたけど聖タチバナ学園は“生徒会”が教職以上の絶対的な権力を持っている高校だ。

 中でも理事長の孫娘であるみずきちゃんは一年生ながら生徒会長を任され、彼女は学園の全権限を握っているらしい。

 

「ほらっ!早くB組の教室に行こうよー」

「おわっ!?分かったから腕を引っ張るなって!」

「むっ…川瀬だけずるいぞ!」

「やれやれ。相変わらずだな」

「焼きもち妬いてるのー?」

「そんなんじゃない!」

 

 八木沼にみずきちゃん!喋ってるなら俺を助けてくれよ!!

 助け船を求めるも、結局教室がある四階まで両腕を掴まれながら歩くことになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式では適当に話を聞き流し、クラスの自己紹介等で初日の授業は半日で終わった。

 殆どの人が午前授業だったから遊びに行こうぜ!とか計画を立ててるが、俺達はそういうわけにいかない。

 

「そう言えばみずきちゃんは?」

「みずきなら生徒会があるから来れないと言ってたぞ」

「そうか。仕方ないけどみずきちゃん抜きで話を進めるか。そんじゃまず俺達が野球部を活動していくにあたり、真っ先にやらなければならないことと言えば何だと思う?」

「うーん…部員集めかな?人がいないと試合もできないし」

「いや、先に申請を出して部室や設備の様子を見ておくのが賢明じゃないか?」

「そう。八木沼正解だ。今日は人も帰っていることだし、勧誘を行ってもほぼ効果は無い。それよりも部活動の再申請をして、グラウンドとかの確認を取りに行った方が効率的だ」

「言われてみればそうかも……」

 

 涼子が部員を集めて試合したい気持ちは分からなくないが、まだまだ高校生活は始まったばかりだから焦らなくてもいい。

 初日の今日すべきことは、活動再開の許可とグラウンド確保。最初にこいつらを片付けなければ人が揃ってても練習できないからな。

 

「許可を取るには先生よりも生徒会かな?」

「うむ。私もそう思うぞ」

「じゃあ生徒会室に行ってみるとするか」

「おう」

 

 段取りが決まり、二階の北館に位置する生徒会室へ向かった。

 このフロアには三年生の教室に加えてパン等の購買できる施設を設けている。因みに今日は弁当だったから訪れはしなかったけど、噂ではかなり旨いらしい。今度買って食べてみるか。

 

「ん、ここだな」

 

 広くて少し迷ったが、どうにか生徒会室と書かれた扉までたどり着けた。

 茶色くて大きな扉。ここは社長室の前かい。皆が開けるのを躊躇していたから俺が代表でノックをする。

 

「どうぞ」

 

 声主はみずきちゃんだ。入っていいのを確認して入室する。

 

「失礼します」

「失礼します」

「失礼します」

「失礼します」

「なーんだ、大地君達だったのね。そんな固くならなくても良いのに」

「そんなこと言われて……も……」

「うわぁ…あ……」

 

 あのさ、何度驚かせば気が済むんだよこの学校は。

 扉を開けて中央には、机を囲んで設置された高級そうなソファーが置かれ、周りには見たこともない豪華な骨董品が展示されている。本当は学校なのに、まるで博物館にでも訪れた気分だぜ。

 

「それで、ここに来るってことは私に何か用かな?」

「ああ。野球部活動の再申請とグラウンドの許可を取りに来たんだけど……」

「なるほどね。それじゃあこの申請書に皆の名前を書いて。そうすれば愛好会として活動を認めるから」

 

 手渡された用紙に出身中学や生年月日を書き、みずきちゃんに渡した。それを隣に立っていた屈強な筋肉を持つ男へ渡って判子が押された。

 

「うん、これでオッケー。それでグラウンドなんだけど、現状野球部が使えるのは第三グラウンドしかないのよ。旧部室が第一にあるから最初は不便に感じるかもしれないけど大丈夫よね?」

「別に構わないよ」

「そう。話が早くて助かるわ。使用許可は私が取っておくから、もう使っちゃっていいわよ」

「ん、ありがとう」

 

 よしよし、思ったよりもスムーズに事が進んで助かった。いずれは新部室を第三グラウンドに建ててもらえば問題無いし、取り敢えずは今日のノルマを達成できた。

 

「じゃあみずきちゃんも生徒会の仕事が終わったら来てね。皆待ってるから」

「!!…ごめん…今日は仕事が忙しいから無理…かも…」

「あー…そうか。なら仕方ないな。」

 

 みずきちゃんが来れないのは残念だけど、生徒会の事情となれば仕方ない。この四人でどうにかするか。

 お礼を言い、俺達は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お願いお爺ちゃん!私、高校で皆と野球がしたいの!』

『ダメじゃみずき。お前は橘家を継ぐ者、野球など高校ではやらせん。今からは勉学に励み、約束された将来を突き進むのじゃ』

『どうして………私は勉強だけが全てなの……?』

 

 

 

 

「…き…ん………みずきさん!」

「ふえっ!?わわわっ!?いきなり大声出さないでよ!」

「ずっと呼んでましたけど……そろそろ練習の時間ですよ」

「あれ…もうこんな時間。じゃあ皆は先に大学へ行ってて。この仕事を片付けたら私も直ぐに向うわ」

「そうですか。それじゃあワイら先に行ってます」

 

 関西弁の男が「ほら行くで」と筋肉質の男と、薔薇を持った男二人を先導し、部屋を出てった。

 

「はぁ……どうしてこうなったんだろう…」

 

 時間は丁度十五時半を回った所。入学式で出てきた書類を片付ける為にペンを握るが、その手は一行に進まない。

 

(ダメだわ。全然集中できない。早く終わらせて大京達に追いつかなきゃならないのに…)

 

 最近ずっとこんな調子だ。

 ご飯を食べてる時も、塾で勉強している時も、部屋で寛いでいる時も、こうして溜め息を吐いてネガティブになってしまう。

 

 

 その発端は一ヶ月前の夜──。

 聖タチバナへ入学が決まった私は、理事長である『橘重成』、そう私のお爺ちゃんから直々に生徒会長の仕事を任されてしまい、まだ内定の時期なのに夕方になっては学園に来てデスクワークをしていた。

 

「みずきさん。もう五時を過ぎたので練習しませんか?」

 

 そう誘ってくれたのは中学時代からの仲であった『大京均』『宇津久志』『原啓大』の三人だ。それぞれ個性があってたまに衝突し合うこともあったが、何だかんだで信頼できる友人だったので、推薦枠でタチバナへ招待して生徒会の仕事を手伝って貰ってた。

 三人もお元気ボンバーズで野球やってた経験者で、体や個性を活かしたプレーで活躍していた。

 このまま入学すれば大地君と凉子、八木沼、聖と私達が加わって戦力は大幅に拡大すると考えてたが、現実はそう甘くなかった。

 

「みずき!こんな遅くまで何をやってたのじゃ!!」

 

 その日は野球の練習を遅くまでやり、二十時を過ぎて帰宅したが玄関の扉を開けて待ってたのは大剣幕のお爺ちゃんだった。

 

「ごめんなさい。皆と野球の練習をしてて……それで遅くなったの」

「なんじゃと!?お前はまだあんな球遊びをしてたのか!あれ程野球を止めろと言ったのに……!今度勉強を疎かにしていたら強制的にお前を退学処分にして別の進学校へ転入させるからな!覚えておけ!!」

 

 野球をするなと言われ始めたのは中三の秋から。

 シニアを引退して止めろと宣告する機会が生まれたのか、お爺ちゃんは私に高校からは完全に勉強だけをやらせ、そのまま良い大学へ進学させる事だけしか言わなくなってしまった。

 最初は時折反発してはいたのだが、どんどんお爺ちゃんの圧力に負けてしまい、現在はこうして不本意ながら塾に行くことを強制されたり、酷い時は愛用していたグローブやバットを捨てられそうになった日もある。

 それからはお爺ちゃんの目を盗んでは大京の知り合いが所属している隣の大学で野球の練習をし、何とか誤魔化し続けた。

 

(ごめんね皆……私が誘ったのにこの様で…)

 

 こんな事が知られたら皆は失望するだろう。

 大地君が「皆待ってるから」と呟いた時、とても胸が締め付けられて申し訳ない気持ちになった。

 目から滲む涙を何とか抑えて普通に振る舞うが、心では罪悪感でいっぱいだ。

 

「何とかしないと。絶対に……!!」

 

 お爺ちゃんを説得させない限り、私は二度とマウンドへ立つことはできない。

 そんなの私は嫌だ!裏切る事だってしたくない!!

 

 今は自分が出来ることを少しずつこなし、説得できるチャンスが来たら必ず成功させるんだ。

  皆で甲子園に行きたいから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドの使用許可が下りたので早速第三グラウンドへ足を踏み入れた。

 みずきちゃんが部室から遠くて不便と言ってたが、これが予想以上の不便さだった。

 

「と、遠い……」

「いちいち五百メートルを往復するのも馬鹿らしいな…」

 

 普通なら一分もかからず設置できるネットやベースが四人で運んでも十分かかってしまい、めんどくさいと言ったらありゃしない。

 こうなれば第三グラウンドに新部室を建ててくれとお願いするか。

 

「ふぅ~…なんとか準備はできたな」

 

 来る前から設置されてた倉庫に必要最低限の野球用具を入れた。

 これで五百メートルを行き来しなくてよくなったが、着替えとかが不自由なのに変わりはない。

 

「皆どうする?予定よりも早く仕事が終わったけど、早速練習してみるか?」

 

 一応練習着には着替えているから体操して体を温めればいつでも動ける。

 何の練習をするかで頭を傾げていた時、聖ちゃんがこんな提案をしてきた。

 

「それなら涼子がピッチャーをやって私達と一打席勝負をするのはどうだ?これなら全員の実力もどれ程か知れるし悪くないと思うが」

「それ良いわね。私も賛成」

「俺も構わない」

「ん、決まりだな」

 

 順番はじゃんけんで決めた結果、八木沼・聖ちゃん・俺の順番となった。

 俺の番になったら聖ちゃんがキャッチャーをやり、それ以外は俺にリードしてほしいと涼子からリクエストがあったのでそれ通りにする。

 防具を付け、トップバッターの八木沼も素振りをして準備は整った。高校入って涼子の球を受けるのは初めてだし、サインの確認をしとくか。

 

「サインとかはリトルと同じで良いよな?」

「うん。これがストレートで…これがカーブだね。うん…ムービングファストはそれで……あとこれも…」

「え?そんなの投げれるようになったのか?」

「大地君がいない間に沢山練習したからね。もう完璧に投げれるわよ」

「そ、そいつは凄いな。うん、偉い偉い」

「ぅ……頭は撫でないでよ……」

 

 あら?純粋に誉めたつもりだったが逆効果かな。顔が茹でダコ状態になってるぞ。

 

「とにかく使ってみるか。練習にもなるし」

「ぅん……分かった」

 

 リトル時代はストレート・カーブ・ムービングファストの三つだけでリードを組み立ててきたが、男子と比べてボールに力が入らない分コントロールと変化球主体の技巧派で勝負してきた。

 しかしこれからの相手は二球種で抑えるのには流石に限界がある。カーブは変化球の定番だから被安打率が高いし、ムービングファストも変化量は少ないから力のあるバッターならスタンドまで運ばれてしまう。

 そこで新球種を開発した──ってわけだな。

 もしこれが完璧にマスター出来てたら、投球の幅が広がってより打たれにくくなるぜ。

 

「そんじゃ、始めるぞ」

「ああ」

 

 一番目は八木沼──

 構え方は基本充実なスタンダードか。

 横浜シニアでは一番を任されてたからミート力はあると見て良いだろう。しかも涼子と同じチームだったから手の内が知られている中、簡単な配球じゃ打ってくるな。

 

(低めのストレートで。ボールになっても良い)

 

 間近でマウンドに立つ凉子を見るのは三年ぶり。

 やっぱこうして見ると猪狩とは違う感覚だ。懐かしいぜ、あの頃の感触が流れてくる気持ちだ。

 変わってないギブソンフォームで振りかぶって右腕を斜めに振る。

 物真似じゃなく自分のスタイルに馴染んだその投げ方はまさに綺麗で芸術的だ。思わず一瞬見とれてしまったが、体を急いで反応させて捕球する。

 

「ストライクだ」

「…そうだな」

 

 審判の聖ちゃんがそっとコールした。

 八木沼も納得して構え直す。初球にしては厳しい場所に要求したからな。一発目からは振らないか。

 

「ナイボー!速くなったな!」

「ふふっ、ありがとう!」

 

 これはお世辞じゃなく本当に速い。体感的な球速は百二十キロ位で猪狩には劣るが、百二十を出す女子なんてそこらにいないし、下手すればその辺にいる普通校の男子より速いかもな。

 

(よしよし。次はムービングファストを内角に。若干甘く入ってもいい)

 

 ミットを構えたコースが真ん中に近かったので凉子の表情が強ばった。

 八木沼はミートする技術は高くても長打力に特化していない。もし打たれたとしても力で押し切れば内野ゴロかポップフライの可能性が高い。

 だから信じて投げろ凉子──。

 この先は力も多少なくては勝てないぞ。

 

 バンバン!とミットを叩いて意志を伝える。

 その思いが通じて凉子がコクリと頷く。

 ギブソンに憧れて覚えたんだろ?その自慢のムービングファストをよ。自分の得意とする変化球にビビってたらダメだぜ。

 俺はお前を買い被って無いが、実力は認めている。

 体がより大人に近づいた分、ボールの重みやキレが増したのは最初のストレートだけで分かった。

 成長して、強くなってるんだ。もっと自信を持って投げ込んでこい。

 

 先程と同じ美しいフォームでボールを投じる。

 コースは構えた場所に寸分の狂いもなく、手元で不規則に変化した。

 八木沼がスタンスを広げてバットを振るが、ゴキッと鈍い音を鳴らし、ボテボテのゴロがサード線ファウルゾーンに転がる。

 

「これで追い込んだぜ」

「…ああ」

 

 いつの間にか顔がマジになってるぞ。

 チャンスボールを打てなかった苛立ちに、2-0のバッター不利にまで追い込まれた焦りが混ざったと見た。

 三球目はセオリーに高めの釣り球を要求したが、冷静に見極めてボールに。

 

(カッカしてはなさそうだ。ま、凉子が有利に変わりはない。…となれば使い時はここかな)

 

 いよいよお目にかかるぜ新球種よ。

 このボールはアメリカじゃギブソンもムービングと同等に得意とし、上手く決まれば奪三振も容易に狙うこともできる変化球だ。

 高校生成り立てが、ましては女子がこんな難易度の高い変化球を投げれるか疑問だったか、アイツの目は真っ直ぐに俺を見ていた。

 凉子が俺を信じてくれるなら、俺も信じてやらなきゃな。

 

 外角いっぱいに構える。

 それがここに精度できれば八木沼は百パーセント三振に……いや、分かっていても空振るはずだ。

 リラックスしてまま投球動作に入る。

 スピードはストレートと大差無い百十五キロ前後。

 

 ───クンッ

 

 

 ホームベース近くで鋭く真下に落ち、バット下を通ってミットにスバンッ!と気持ち良く入った。

 

「バッターアウトだ」

「……負けたな」

 

 クールに引き下がるが顔には悔しさが出てるぜ、八木沼。

 

 

 

  ──Vスライダー。

 

 

 アメリカの英雄、ジョー・ギブソンがムービングファストの次に決め球としてよく使うボールで、日本語では『縦のスライダー』と言われる。

 Vスライダーは変化量こそフォークよりも落ちないが、意外にもジャイロと同じ原理なのでリリースから到達まで、失速なく球速が出る。

 日本人でも投手四冠を二度達成した現たんぽぽカイザーズ監督『神下怜斗』もこの類の変化球を持っていたらしく、満塁のピンチもVスライダーとHシンカーで打者を手玉に取ってたと聞いたことがある。

 女子高生がこんなボールを放れるなんて吃驚するぜ。

 

「Vスライダーか。ふ、面白いな」

 

 ヘルメットを被り、二番目の聖ちゃんが準備する。

 面白いかどうかは本人次第だけど、俺は面白い所か恐怖かもな。

 猪狩の真横へ滑るスライダーと違って急激に下方向落ちるからマスクとだぶって見にくいんだよね。

 今のは偶々手を出したら捕れてて助かったけど、これの捕球練習をしておかないと、このままじゃ後逸を連発しちまう。

 そんな事でVスライダーの理論は置いといて、聖ちゃんに集中するか。

 

 

「お願いしますだ」

「おう」

 

 お辞儀をしてバッターボックスに入った。

 彼女もパワーヒッターではないけど、八木沼よりボールを見極める集中力がある。

 みずきちゃん曰く、『超集中』モードに入るとキャッチングではどんな暴投も難なく捕り、打席で発揮させるとワンバウンドさえもヒットにしてしまうと教えてくれた。

 

(カーブを真ん中寄りの外角に。データが無い以上、まずは慎重に様子を見ていこう)

 

 体をくの字にさせて投じた。

 一度浮き上がってくると見せかけ、孤を描いてミットに収まった。

 

「今のはボールだな?」

「…そうだな」

 

 聖ちゃんが勝手にジャッジしたが嘘ではない。

 リリースが僅かに早かった分、今の投球は外側に体が開いていたからな。普通に主審をつけても同じ判定が帰ってくるはずだ。

 小柄な分、スイングに小回りが利くから内外角両方に打ち分けられるバットコントロールを持ち、その上流し打ちが得意となれば打ち取る方法はこれしかない。

 

(追い込むまでストレートで抑え込み、Vスライダーでとどめを刺す。このタイプは重い球種でゴリゴリ押さないと飲み込まれるからな。臆せず気持ちをぶつけて来い)

 

 二球目のリードで要求したコースはインハイのストレート。

 ゆったりと落ち着きながらも上半身の回転を利用してボールに勢いを乗せる。

 バットの芯にボールを捉えるが、やや振り遅れて一塁ファウルゾーンへ力無く失速する。

 

「む……速くなったな…」

 

 凉子にボールを返す際、聖ちゃんがそうぼやいた。

 スピードガンじゃなきゃ正確な測定は出せないが、百二十は普通に超えただろう。

 想定していた速さよりもワンテンポ来たのが早かったお陰で振り遅れてくれたな。

 意図的にカットしたわけじゃなさそうだから力に勝ってるぞ。

 そのスピードを維持してガンガン行こうぜ。

 

 三・四球目はボールゾーンに外れてカウントは1-3。

 次ボールにしたらフォアで負け──。

 そのプレッシャーに打ち勝って投げるしかもうないぞ。

 外れてても百二十キロ台はマークしている。多少甘く入ってもその気持ちを忘れずにボールを放てば聖ちゃんでも抑えれる。

 

「来い!凉子!!」

 

 大きく頷き、リズム良くフォームを作ってボールを投げた。

 全力投球になるとピッチャーってフォームが崩れてコントロールが乱れるケースが多いが、涼子が幼少期から培ってきたこのギブソンフォームはそう簡単に崩れはしなかった。

 Vスライダーに山を張ってた聖ちゃんは当てることはできても…

 

 ──ッギィンッ!

 

 

 一二塁間のフライ。

 力無く落ちてくる打球を涼子が高々と手を挙げてパシッとキャッチした。

 

「セカンドフライで良いよね?」

「っ……構わない」

 

 バットを拾ってボックスから出ていく。

 八木沼、聖ちゃんと続いて悔しさが混み上がってるな。たかが一打席、されど一打席の勝負。勝てば嬉しいし負けたら悔しくなるのは当然の事だ。

 ん……まてよ。悔しくなると言っても聖ちゃんや八木沼はどちらかと言えば冷静的な選手じゃなかったか?それがここまで熱くなるということは……

 

(皆クールや熱血なんかじゃない。単に野球を楽しみつつも、勝負にこだわる負けず嫌いな奴等かもな)

 

 純粋に野球を楽しむことが強くなる一番の近道ってよく世間では認識されてるが、俺は正しいと思う。

 帝王リトルに敗北したあの試合も、何だかんだで楽しめてはいた。それでも最終打席で眉村に三振を喫しって負けたのは、俺が野球を心から楽しみきれなかったと今、改めて反省してみて分かった。

 

「次は大地の番だぞ?」

「………ん」

 

 勝つことだけに縛られて野球をするよりも、勝ち負け拘りつつ野球を心から楽しむ。年齢が上がるにつれて忘れがちな、純粋な子供の感情かもしれない。

 

 ──でも俺やここにいる皆ならそれができるはずだ。

 

 

「待たせた。よし来いっ!!」

 

 

 野球なんて楽しむもんじゃないって意見も間違いではない。

 だけどウチの、聖タチバナ学園新生野球部は、

 

 

  ──負けず嫌いで心から野球を楽しめる部員を募集するつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…漸く片付いたわ……」

 

 四時までに大京の知り合いが経由している大学のグラウンドに着く予定が、入学式で大量に出てきた書類に手こずってしまい、既に時計の針は十五時五十分を過ぎていた。

 遅れると大京にSNSを通じで予め送っておいたので知り合いの方に怒られることはない。

 

「そういえば皆どうしてるかなぁ……?」

 

 校内には居なかったからまだ帰ってないとなれば、第三グラウンドに残っているかもしれない。

 まさかこの初日から練習してるなんて事、ないわよね……

 

「遅れると伝えといたし、様子だけこっそり見れば問題ないかな」

 

 気になった私は第一・第二を跨いで第三グラウンドへ歩みを進めた。

 何してんだろう、私──。

 こんな所をまたお爺ちゃんに見られたら退学かもしれないのに…

 

「あ……練習してる…」

 

 バレて練習に誘われるのを恐れた私は、外野フェンス越しで隠れながら見ることにした。

 涼子がマウンド、大地君はバッターってことはこの二人が勝負してるわけね。

 勝算はやっぱり大地君の方に分がありそうだけど、私はあえて聖・涼子が勝つと予想する。

 聖のリードは本格派の猪狩や眉村とバッテリーを組むより、技巧派の私や涼子と組んだ方が相性が強い。

 決して女子同士だから良いってわけではなく、聖は精密にボールを集めながら打者と駆け引きする頭脳戦が大好きで、無理難題のコースを指示されてもそこへ難なく制球できるピッチャーでないと嫌う。

 大地君が大胆なリードをするなら、聖はチェスのように相手の一手二手を読むリードを好む。

 

「見所だけど時間がなぁ…あーもう!どうすればいいのよ!!」

 

 見たいけどここにいるのがバレたら終わりだ。

 残念だけどここは約束を優先に──

 

 

  ガシャンッ!

 

 

 

「えっ……?」

 

 振り向いた瞬間、すぐ後ろのフェンスに何かが当たった音が聞こえた。

 咄嗟の出来事に状況が読めなかったので辺りを見渡してみると、フェンス真下に硬球が落ちていた。

 

「嘘……これを大地が飛ばしたの!?」

 

 あっ!ボールを拾いに大地君が来る!

 ここで見つかったら言い訳しにくいわね。ボールを拾って渡したかったが、無視して第三グラウンドをそそくさと出てった。

 

 

「はぁっ、はあっ……ここまで来れば大丈夫よね…」

 

 校門までの全力疾走は疲れるわ…。

 それにしてもあそこからフェンスへノーバウンドさせるって、どんなパワーしてるのよ。

 伊達ににあかつき中の四番を張ってただけの事はあるわけね。

 

「いい姿が見れたし、私も頑張って練習しに行かないと!」

 

 エースの座はそう易々と渡さないわよ、涼子。

 私にだって開発中の“魔球”を持ってるんだから見てなさいよ──!

 

 

 

 

 


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