異世界喰種   作:白い鴉

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いつの間にかお気に入り件数が九百件に行ってた!! こんな事は初めてですので、非常に嬉しいです。これからも皆さんのご期待に沿えられるよう頑張りたいと思います。


第九話 任務

 ルイズの部屋に現れたアンリエッタ王女は、感極まった表情を浮かべて膝をついてルイズを抱きしめた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」

 抱きしめられたルイズは、かしこまった声でそう言った。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 ルイズが硬い緊張した声を返す。金木はと言うと、二人の美少女が抱き合う様を見て軽く困惑していた。それはそうだろう。片や自分の主人、片やこの国の王女なのである。これで困惑するなと言う方が無理があるだろう。

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族達もいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 悲しげな声を出すアンリエッタに、ルイズは顔を持ち上げた。

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 幼少期の頃を思い出したのか、はにかんだ表情を浮かべながらルイズは応えた。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、掴み合いになった事もあるわ! あ、喧嘩になるといつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛を掴まれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫様が勝利をお収めになった事も、一度ならずございました」

 ルイズが懐かしそうに言った。

「思い出したわ! わたくし達がほら、アミアンの包囲戦と呼んでいるあの一線よ!」

「姫様の寝室で、ドレスを奪い合った時ですね」

「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫様をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発が上手い具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのお腹に決まって」

「姫様の御前でわたし、気絶いたしました」

 それから二人はあははは、と顔を見合わせて笑った。金木は思わずルイズと話しているアンリエッタ王女の顔をじっと見つめる。おしとやかに見えるが、どうやら中身はとんだお転婆娘であるらしい。

「その調子よ、ルイズ。ああいやだ、懐かしくて、わたくし涙が出てしまうわ」

「……ねぇ、ルイズちゃん。お姫様とルイズちゃんって、一体どういう関係なの?」

 金木が尋ねると、ルイズは懐かしむように目を瞑って答えた。

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」

 それからルイズはアンリエッタに再び向き直った。

「でも、感激です。姫様が、そんな昔の事を覚えてくださってるなんて……。わたしの事など、とっくにお忘れになったかと思いました」

 ルイズの言葉に王女はため息をつくと、ベッドに腰掛けた。

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくて」

 それは、深い、憂いを含んだ声だった。

「姫様?」

 そんなアンリエッタの様子が心配になり、ルイズは彼女の顔を覗き込んだ。

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

「何をおっしゃいます。あなたはお姫様じゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 アンリエッタは窓の外の月を眺めて、寂しそうに言う。それからルイズの手を取ると、にっこりと笑いながら言った。

「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」

 アンリエッタの声の調子に、何か悲しいものを感じたルイズは沈んだ声で言う。

 そこでアンリエッタは、自分達を見つめている金木に気付いた。

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」

「お邪魔? どうして?」

「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう? いやだわ、わたくしったら。つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」

「はい? 恋人? あの生き物が?」

 ルイズは目を大きく見開くと、首を横にぶんぶんと振った。

「姫様! あれはただの使い魔です! 恋人だなんて冗談じゃないわ!」

 するとアンリエッタはきょとんとした表情で、金木の顔をじっと見つめる。

「使い魔……ですか? 人にしか見えませんが……」

「まぁ、一応……」

 金木は頬をぽりぽりと掻きながら、曖昧な笑みを浮かべて言った。本当は半分人間半分喰種なのだが、当然そんな事をこの場で言うわけにもいかない。

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」

 ルイズが憮然とした口調で言うと、アンリエッタが再びため息をついた。

「姫様、どうなさったんですか?」

「いえ、何でもないわ、ごめんなさいね……。嫌だわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるような事じゃないのに……、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫様が、そんな風にため息をつくって事は、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言った事は忘れてちょうだい。ルイズ」

 その言葉に、金木は眉をピクリとひそめた。彼女は自分に悩みがあるなどとは一言も言っていない。悩みがあるというのは、あくまでもルイズの想像である。しかしアンリエッタは、それを肯定した。つまり彼女は、最初からその悩みをルイズに打ち明けるつもりだったのだ。

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたしとお友達と呼んでくださったのは姫様です。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

 ルイズがそう言うと、アンリエッタが嬉しそうに微笑む。とんだ茶番だ、と金木は内心思った。

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 アンリエッタは決心したように頷くと、真剣な表情を浮かべる。

「今から話す事は、誰にも話してはいけません」

 そして物悲しい調子で、アンリエッタは説明を始めた。

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐ事になったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 ゲルマニアが嫌いなルイズは、驚いた声を上げた。

「あんな野蛮な成り上がり共の国に!」

「そうよ。でも、仕方がないの。同盟を結ぶためなのですから」

 アンリエッタは現在のハルケギニアの政治の情勢を、ルイズに説明した。

 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室が倒れそうな事。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろう事。

 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ事になった事。

 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐ事になった事……。

(政略結婚って事か……。王女様の感情を無視してるけど、合理的と言えば合理的だな……)

 顎に手をつきながら考え込んでいる金木とは反対に、ルイズは沈んだ声で言った。

「そうだったんですか……」

 アンリエッタの気持ちを想像して、ルイズは唇を噛み締めた。アンリエッタがその結婚を望んでいないのは、口調から明らかであったからだ。

「良いのよ、ルイズ。好きな相手と結婚するなんて、物心ついた時から諦めていますわ」

「姫様……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族達は、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 アンリエッタはそこで一旦間を置くと、話を続ける。

「従って、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのような物が見つかったら……」

(トリステインは、たった一国でアルビオンと戦わなきゃならなくなる)

 ルイズの言葉を、金木が心の中で引き継いだ。この世界に来たばかりの金木にはまだトリステインとアルビオンの戦力の差は分からないが、アンリエッタの口ぶりからしては余裕があるとは言えなさそうである。

「で、もしかして姫様の婚姻を妨げるような材料が?」

 ルイズが顔を蒼白にして尋ねると、アンリエッタは悲しそうに頷いた。

「おお、始祖ブリミルよ……。この不幸な姫をお救いください……」

 アンリエッタは顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。まるで芝居がかった仕草である。もしかしたらこの王女は、悲劇のヒロインという立場を演じたいだけなのかもしれない、と彼女以上の不幸を散々味わってきた金木はアンリエッタを冷えた眼差しで見つめていた。

「言って! 姫様! 一体、姫様のご婚姻を妨げる材料って何なのですか?」

 ルイズもつられたのか、興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族達の手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだらゲルマニアの皇室は……、このわたくしを許さないでしょう。ああ、婚姻は潰れ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンの立ち向かわねばならないでしょうね」

 ルイズは息せきって、アンリエッタの手を強く握った。

「一体、その手紙はどこにあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 その言葉に、アンリエッタは首を振った。

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって! では! すでに敵の手中に?」

「いえ……、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの凛々しき王子様が?」

 アンリエッタはのけぞると、ルイズのベッドに体を横たえた。

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 ルイズは息を呑んだ。金木もアンリエッタが彼女に何を頼みに来たのかと察して、心の中で舌打ちする。

「では姫様。わたしに頼みたい事というのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんて事でしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険な事、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! 例え地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫様の御為とあらば、何処なりと向かいますわ! 姫様とトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけには参りません!」

 ルイズは膝をついて恭しく頭を下げた。そんなルイズとは対照的に、金木は痛む頭を抑えるように額に手を当てながら、険しい表情を浮かべてため息をつく。

「『土くれ』のフーケを捕まえたこのわたくしめに、その一件是非ともお任せくださいますよう」

 おまけに金木の手柄までちゃっかり自分のものにしている。もうここまで来ると、怒りを通り越して呆れるしかない。

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいお友達!」

「もちろんですわ! 姫様!」

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはボロボロと泣き始めた。

「姫様! このルイズ、いつまでも姫様のお友達であり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れる事などありましょうか!」

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 そしてアンリエッタの手を握っていたルイズはアンリエッタから金木に視線を向けると、アンリエッタに向けるものとは違うキツイ口調で言い放った。

「というわけだから、あんたもついて来なさいよ。あんたはわたしの使い魔なんだから、それぐらいの事はしなさいよね」

 この時ルイズは、金木が困ったような笑みを浮かべながら、しょうがないなぁと言うのを予想ではなく確信していた。それは金木の事を本当に信頼しているがゆえの確信ではなく、主の自分が言うのだからついてくるに違いないという、もはや勝手な思い込みから来る確信でしかなかった。

 だから、ルイズは金木が冷え切った目をしていた事に気付かなかったし、金木の口から予想外の言葉が飛び出すなど微塵も思っていなかった。

「嫌だ」

「そう、嫌よね。だからあんたは……」

 しかしそこでルイズは目の前の青年が何を言ったのかを遅れて理解すると、目を真ん丸に見開いてもう一度尋ねた。

「……は? あんた、今何て言ったの?」

「嫌だって言ったんだよ、ルイズちゃん。少なくとも僕はアルビオンに行きたくないし、君がアルビオンに行くのにも反対だ」

 金木の発言に、ルイズだけではなくアンリエッタも目を見開いて驚いていた。ルイズは呆然とした表情から一転、怒りの表情を浮かべると勢いよく金木に詰め寄った。

「あんた、何言ってんの!? これは姫様直々の任務なのよ!? それを断るなんて……!」

「姫様の任務だろうが何だろうが、僕は嫌だ。この任務には、デメリットが多すぎる」

「デメリット?」

 そう言うと金木はルイズから彼女の後ろにいるアンリエッタに一瞬視線を向けてから、説明を始める。

「まず、仮に任務を受けるとして、僕達が行こうとしているのは戦争中のアルビオンだ。正直言って、危険すぎる」

「だから何よ。わたしは土くれのフーケを捕まえたのよ? 別にそれぐらい……」

「『捕まえた』だけだよね? これから僕らが行くのは『殺し合い』の場だよ。……それとルイズちゃん。フーケを捕まえたのは君じゃなくて、僕だ。もしも君が一人だけフーケを捕まえに行ってたら、君は今頃この世にはいないよ」

 自慢を言っているわけではなく、ただ淡々と事実だけを述べているような金木の口調に、ルイズは思わず黙り込んだ。確かにフーケを捕まえに行った時、自分はフーケを捕まえるどころか危うくゴーレムに踏みつぶされかけた。金木に助けられなかったら、自分は今頃死んでいるかもしれない。

「ルイズちゃん。君は魔法が満足に使えない。そんな君が武器を持った平民や強力な魔法を使うメイジ達がいる戦場に足を踏み入れたら、どうなると思う? 死ぬよ、間違いなく。しかも何の意味もない、ただの犬死だ」

 それはルイズをけなしているわけではなく、実際にルイズが戦場に向かったらどうなるかを冷静に語っているだけだ。だがそれを語る金木の口調はいつも以上に容赦がなく、ルイズは目頭が熱くなるのを感じながら唇を噛み締めるしかできなかった。

「それに、この任務の重要な鍵の手紙がどんな手紙かすらも分からない。はっきり言って話にならない。大切な物を手に入れて欲しいなら、その中身を相手に話すのが当然ですよね? それすら話さないでただ手紙を手に入れろって言うのは、少し強引すぎるんじゃないですか?」

「そ、それは……」

 金木の言葉にアンリエッタが反論しようとするが、その前に金木がさらに畳みかける。

「そして僕が一番引っかかるのは、その手紙を入手するのをルイズちゃんに頼んだ事です。ただ単純に手紙を手に入れるだけなら、事情の知らない兵士か誰かに入手させれば良い。なのにあなたはお友達のはずのルイズちゃんに事情も話さずにいる。それは何故か。……恐らくその手紙は世間に公表されればトリステインとゲルマニアの同盟を崩すだけじゃなく、トリステイン内部をも揺るがしかねない物だから。違いますか?」

「………っ!?」

 アンリエッタは目の前に立つ白髪の青年を、驚愕の眼差しでじっと見つめた。

 この青年は、わずかな手がかりとアンリエッタの話を聞いただけで自分とアルビオンにいる王子しか知らないはずの手紙の真実にまで、手を伸ばしている。恐るべき推理力だ。

 しかしアンリエッタは動揺の表情を消すと、金木に真正面から向き合って言う。

「わたくしの身近には、信頼できる人間はおりません。だからこそ、お友達のルイズに……」

「黙れよ」

 ――――その瞬間、強烈な殺意がルイズの部屋を満たした。

 殺意を発しているのは、もちろんアンリエッタの目の前にいる金木だ。彼は両目を鋭くして、アンリエッタを視線で殺すと言わんばかりに睨み付けている。

「ひっ……!」

 金木の殺気に、アンリエッタは思わず怯えた声を出した。王女と言っても、所詮はたかだか十七歳の少女。いくつもの殺し合いを経験してきた金木の視線を受けて、アンリエッタはカチカチと歯を鳴らしながら、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。

 いや、その表現すらも正確には生ぬるい。それはまるで、心臓を鷲掴みにされたような感覚だった。金木の様子を見ていたルイズも、初めて見る使い魔の様子に口を出す事ができない。気が付くと、自分の右手がかすかに震えているのをルイズは感じた。

(……怖い。カネキが、怖い……!)

 そんなルイズの気持ちなど全く知らず、バキリ……と金木は右手の人差し指を親指で押して鳴らすと、さらに言葉による追撃を行う。

「あなたはルイズちゃんの事をお友達だとか言ってますけど、ならどうして肝心の手紙が何なのかを教えないんですか? 本当にあなたがルイズちゃんの事を心から信頼しているなら、別に話しても問題は無いはずですよね? なのにあなたはルイズちゃんに本当の事を何も話さず、しかも彼女を戦場に送り込もうとしてる。……何がお友達だ。結局はあなたは、ルイズちゃんの事をただ単なる駒としか見てないじゃないですか」

 この部屋にいるアンリエッタとルイズは気づいていないが、金木は敵対している人間などには非常に攻撃的になるが、初対面、しかも一国の王女相手にここまで冷徹で攻撃的になる事は滅多にない。

 金木がここまでアンリエッタに対して攻撃的になっているのは、彼女が大切なお友達であるはずのルイズに手紙の内容の事は何も話さずに戦場に送り込もうとしているからだ。

 戦場に送り込むというのは言葉にすればそれだけだが、実際はそんなに単純なものではない。ルイズはメイジだが魔法を上手く使う事が出来ないし、何よりもまだ戦闘などロクに経験した事が無い学生である。訓練された兵士などならばともかく、学生のみであるルイズを戦場に行かせるのはあまりに無謀すぎる。最悪、戦場で命を散らしてもまったくおかしくはない。大切な友人であるはずのルイズを死なせに行くようなアンリエッタの言動が、金木にはどうしても我慢ならなかったのだ。

 それは、金木の親友でもある永近の存在が大きいと言える。

 まだ金木が半喰種の体になって日が浅く、喰種達をただ単なる人食いの化け物だと思っていたある日、金木と永近は自分達の大学に在籍していた喰種、西尾錦に襲われた。

 まだ戦闘慣れしていなかった金木は錦に叩きのめされ、永近も錦による強烈な一撃を食らって意識を失っていた。

 なのに、気を失っていてもなお永近は金木を無意識に助けようとしていた。

 いや、その時だけではない。

 永近はそれ以前にも金木の事を気にかけ、助けてくれていたのだ。

 だから金木は永近を傷つけないために、自分が半喰種である事を隠し、喰種の世界で生きる方法を模索し始めたのだ。

 ある時期から永近とは会わなくなってしまったものの、永近の存在が自分の支えになっていた事に変わりはない。有馬と戦う前に地下道で出会った時も、永近は変わり果てた自分の姿にまったく怯えずに、それどころか『いつも通り』の態度で接してくれたのだから、それはなおさらだった。

 だからこそ、金木は目の前の少女の行為をを許す事が出来なかった。

 王女としての立場もあるかもしれないが、それでもお友達という言葉を利用してルイズを駒のように扱い戦場に向かわせるような事だけは、金木は許す事できない。自分には関係が無いと言われてしまえばそれまでだが、だからと言って黙っている事もしたくない。

 右手の拳を強く握りしめながら、金木はさらに続ける。

「そもそも、あなたが蒔いた種でしょう? それを何の関係も無いルイズちゃんに押し付けるぐらいだったら、最初からそんな手紙出さなければ良かったんじゃないですか? それとも、こうなる事が予想できなかった? だとしたら、随分無責任なお姫様もいたものですね」

「だ、だって、こんな事になるなんてわたくしだって……!」

 必死にアンリエッタがその口から言い訳じみた言葉を絞り出すと、金木は口元に冷たい笑みを浮かべて言った。

 自分が決定的に変わった原因を作った、その一言を。

 

 

 

 

「……この世の不利益は、全て当人の能力不足」

 

 

 

 

 金木の発したその一言は、アンリエッタの動きを再び止めるには十分なほどの響きを持っていた。

 だがこの時、金木の言葉に反応したのはアンリエッタだけではなかった。

 それは、金木の後ろにいるルイズだった。彼女はその言葉を聞くと今まで自分を縛っていた恐怖をどうにか振り払い、拳を強く握りしめると金木の背中を鋭く睨みつける。彼女の視線には金木はもちろん、金木が壁になってルイズが見えないアンリエッタも気付かなかった。

「こんな事になったのを自分の不幸のせいにするぐらいなら、最初からこんな事になる事を想像できなかった自分を恨んだらどうですか? ……まぁ、あなたの都合なんて僕には何の関係も無い事ですが」

 冷徹とも言えるその口調に、アンリエッタは怯えた表情でその場に立ち尽くす事しかできなかった。ここで泣きながら反論できたら楽だろうが、そんな事をしたら金木の容赦のない言葉が再び襲いかかってくるのも分かっているから、何も言い返す事が出来ない。

 金木はアンリエッタを見つめたまま、話を打ち切るように告げる。

「……そういうわけで、この話にはデメリットが多すぎる。その大事な手紙とやらはあなたがどうにかしてください。王女のあなたなら、簡単でしょう? ……ま、大切な友達を利用する事でしか問題を解決できない王女様に、そんな事が出来るとは思いませんけど」

「………」

 金木の言葉に、アンリエッタは自らの唇を強く噛み締めた。それから金木は殺意を消して振り返ると、少し申し訳なさそうな口調で言う。

「……勝手に決めちゃってごめん。だけど、この話は危険すぎる。乗らない方が良いよ」

「……さい」

 え? と金木が怪訝な表情でルイズの顔を見ようした瞬間。

「――――うるっさいって言ってんのよ!! たかが使い魔が、あたしに意見しないで!!

 ルイズの叫び声が、彼女の部屋に響き渡った。突然の彼女のその声に金木とアンリエッタが思わず固まると、ルイズは呆然としている金木を無視してアンリエッタに勢いよく歩み寄った。

「姫様、今回の任務はこのルイズ・フランソワーズにお任せください。必ず手紙を手に入れてみせます」

「え?」

「ちょ、ちょっとルイズちゃん!?」

 ルイズの言葉に金木は焦った表情を浮かべた。たった今この任務の危険性を説明したばかりなのに、どうしてこの少女はそれを無視して戦場に向かおうとしているのか。金木がルイズの肩を掴むと、彼女は苛立たしげに金木の手を払い自分の使い魔の顔をギロリと睨む。

「触らないで!! ……言っておくわよ。カネキ、あんたはわたしの使い魔なの。使い魔は、主人のわたしに、黙ってついてくれば良いのよ!!」

 ルイズの様子に、金木は怒りを通り越して困惑していた。確かに彼女は時々傲慢な面を覗かせる事もあるが、それ以上に努力家で戦うのが嫌いな少女のはずだ。………自分とは違う人種の少女なのだ。

 なのに何故、今の彼女はこんなにも激怒し、使い魔の自分の無理矢理従わせるような事をするのか、今の金木にはまったく分からなかった。そんな金木を無視して、ルイズは金木に言う。

「返事は!?」

「………分かったよ、ルイズちゃん」

 渋々と、金木は頷きながら言った。正直言ってまだルイズが戦場に向かうのは反対が、今の彼女には何を言っても火に油を注ぐだけになってしまうだろう。ならば、自分が護るしかない。フーケを捕まえた舞踏祭で、そう約束してしまったのだから。

(そうだ……。僕が護るんだ……。もう誰も……死なせない……!)

 金木は奥歯を噛み締めながら、拳を強く握る。あまりに強く握りすぎて拳から血が流れるが、その傷も半喰種の体質ですぐに治る。

 一方、さっきまでルイズに任務を頼もうとしていたはずのアンリエッタは困ったような顔をしながら、

「しかし……本当に構わないのですか? ルイズ」

「ええ、姫様。この命、姫様に捧げられるのならば本望です。必ずアルビオンに無事に赴きウェールズ皇太子を捜し、手紙を取り戻してみせます」

 ルイズのきっぱりとした言葉に、まだ納得していない様子を見せながらもアンリエッタは分かりましたと呟いて頷いてから自分を落ち着かせるように数回深呼吸をした。どうやら、先ほどの金木の殺意がまだ彼女に脳裏に残っていたらしい。

「………あなた達には悪いですが、これは急ぎの任務です。アルビオンの貴族達は、王党派を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう。一刻も早く、アルビオンに向かってもらう必要があります」

「分かりました。では早速、明日の朝にでもここを出発いたします」

 明日の朝か……と金木は内心呟いた。正直言ってアルビオンの状況などをもう少し詳しく調べてから赴きたい所だが、アンリエッタの口ぶりからすると状況はかなり切羽詰まっている。ルイズの言う通り、ここは早めに出発した方が良いかもしれない。

 と、そんな時だった。

 当然ルイズの部屋の扉が勢いよく開き、誰かが飛び込んできた。

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう」

 そんな事を叫びながら飛び込んできたのは、以前金木と決闘したギーシュ・ド・グラモンだった。その手には相変わらず薔薇の造花が握られていた。突然の乱入者に、不機嫌奏に顔をしかめていたルイズも思わず目を丸くしている。金木は驚きながら落ち着いた態度でギーシュに尋ねる。

「色々と聞きたい事はあるけど……一体いつ頃から部屋の前にいたの?」

 金木の問いに、ギーシュはうむと頷きながら、

「廊下を歩いていたら、偶然薔薇のように見目麗しい姫様を見つけてね……。それで後を追ってみたら、ここに入って行ったんだ。それからは、ドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子をうかがっていたんだよ」

「あまり褒められる行為じゃないね……」

 そう言いながら、金木はため息をついた。この様子だと、どうやら最初から全て聞いていたらしい。困った事になったなと金木が思っていると、今度はギーシュが金木に尋ねてきた。

「話は聞かせてもらった。それで提案なんだが……、この僕も仲間に入れてくれないかい?」

 その言葉に、金木は思わずきょとんとした表情を浮かべた。

「どうして、そんな事を?」

 すると何故か、ギーシュはぽっと顔を赤らめた。

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 金木はギーシュのその様子を見て、ある事実に感づいた。それから呆れた表情を浮かべて言う。

「……君、もしかして王女様に惚れてるの?」

「失礼な事を言うんじゃない。僕はただただ、姫殿下のお役に立ちたいだけだ」

 そう言いながらも、ギーシュは激しく顔を赤らめている。アンリエッタを見つめる熱っぽい目つきといい、惚れてるのは確かだろう。

「でも、彼女がいたよね? 確か……モンモランシーって名前の。あの人はどうしたの?」

 金木が尋ねても、ギーシュは無言だった。それを見て、ああ、完璧にフラれたんだな……と金木は察した。まぁ彼の性格上、いつ本命の彼女にフラれてもおかしくなかっただろうし、その件に関しては完全にギーシュの自業自得だろう。

 なお、ついさっき金木がアンリエッタを侮辱するような事を言い放ったのにギーシュが激昂して飛び込んでこなかったのは、金木に簡単にあっさりと返り討ちにされる事をギーシュが本能的に察していたからだ。そうして聞いてみると情けない話かもしれないが、それはその時の金木の危険性を察していたという証拠でもあるので、ある意味賢い選択と言える。

 と、そこでギーシュの家名に気付いたアンリエッタがギーシュに尋ねた。

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

 するとギーシュは仰々しく頷きながら言った。

「息子でございます。姫殿下」

 それからアンリエッタに向かって恭しく一礼すると、アンリエッタが再びギーシュに質問をした。

「あなたも、わたくしの力になってくれると言うの?」

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう望外の幸せにございます」

 熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑を浮かべた。

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この無力な姫をお助けください、ギーシュさん」

「姫殿下が僕の名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこの僕に微笑んでくださった!」

 ギーシュは感動のあまり、そんな事を叫んでから後ろに仰け反って失神した。倒れたギーシュを見下ろしながら、金木は先が思いやれるなと……と呟きながら呆れた表情を浮かべる。

 一方、ルイズはその騒ぎには目もくれず、真剣な声で言った。

「では明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉達とアルビオンを旅した事がございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 アンリエッタは机に座るとルイズの羽ペンと羊皮紙を使い、さらさらと手紙を書き始めた。王女はじっと自分が書いた手紙を見つめていたが、その内悲しげに首を振った。

「姫様? どうなさいました?」

 アンリエッタの様子を怪訝に思ったルイズが声をかけた。

「な、なんでもありません」

 アンリエッタは顔を赤らめると決心したように頷き、末尾に一行付け加えてから小さな声で呟く。

「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはりこの一文を書かざるを得ないのです……。自分の気持ちに、嘘をつく事は出来ないのです……」

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だ。ルイズはそれ以上何も言う事が出来ず、ただじっとアンリエッタを見つめる事しかできない。

 アンリエッタは書いた手紙を巻くと、杖を振るう。するとどこから現れたのか、巻いた手紙に封蝋がなされ、花王が押された。その手紙をルイズに手渡しながら、

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡す。

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 アンリエッタの言葉にルイズが深々と頭を下げると、王女の視線がルイズから金木に移った。彼女はやや怯えたような表情を浮かべながら、口を開く。

「使い魔さん。私の大切なお友達を、よろしくお願いします」

「……大切なお友達、ね」

 先程の事をまだ忘れていない金木が冷たい口調で呟くと、アンリエッタは悲しげな表情を浮かべながら、

「誤解されてもおかしくない事をしているという事は、分かっています。だけど、わたくしがルイズの事を大切な友人だと思っている事は本当です。それだけは、分かってください………」

「………」

 金木は返事をせず、ただアンリエッタから視線を外しただけだった。一方アンリエッタはその場の全員を見渡すと、よく通るはっきりとした声で告げた。

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風からあなた方を護りますように」

 

 

 

 

 その日の深夜、金木はハルケギニアの地理に関する本を片っ端から読み漁っていた。明日向かうアルビオンという国は、まぎれもない戦場である。地理を知っておくに越した事はない。

 そして、本に載っているアルビオンの項目を読んで、金木は思わず壁に立てかけているデルフに尋ねた。

「アルビオンって、空に浮かんでいるの?」

 金木の問いに、デルフは金具をカチカチと鳴らしながら、

「ああ。どういう原理で浮かんでいるのかは俺も忘れたが、地上三千メイルの高さに浮かんでいるんだ。通称、『白の国』」

「へぇ……。どうしてそんな通称なんだろう……」

 その理由は、金木が読んでいる本に記載されていた。

 アルビオンの大河から溢れた水が空に落ち、その際に白い霧となって大陸の下半分を包んでいる。その様子から、アルビオンは『白の国』と呼ばれているようだ。

 ちなみに、その時に生じた霧は雲となり、大雨を広範囲にわたってハルケギニアの大陸に降らすらしい。

 金木がさらに本に目を通そうとすると、デルフが声をかけてきた。

「もうそろそろ寝た方が良いんじゃねぇか? これで寝坊でもしたら、娘っ子の機嫌がさらに悪くなるぞ」

「それもそうだね……」

 デルフの言葉に頷くと、金木は藁束の上に寝転がり毛布を被った。だがある事が気になり、ちらりとルイズが眠っているベッドに目を向ける。

「でも、どうしてルイズちゃんはあんなに怒ったんだろう……」

 部屋からアンリエッタが退出した後、ルイズが金木に話しかける事は一度も無かった。金木はごろりと寝返りを打ちながら、デルフに話しかける。

「やっぱり、王女様を悪く言ったのが原因なのかな?」

 すると、金木の話を黙って聞いていたデルフが言う。

「俺としては、相棒が『この世の不利益は、全て当人の能力不足』って言った直後に、娘っ子の機嫌が悪くなったように感じたがね」

「だけど、なんでそれでルイズちゃんが怒ったんだろう……」

 わけが分からないと言うような金木の口調に、デルフがぽつりと呟く。

「簡単だよ。相棒のその台詞は確かにその通りなのかもしれねえ。だけど、それが時に誰かを傷つける事もあるって事だ」

「けど、別に僕はルイズちゃんに言ったわけじゃ……。それに、この任務は別にルイズちゃんのせいで起こったわけじゃないし……」

「そのつもりが無くても、そう受け取っちまう事があるって事だよ。……それに俺に言わせてみりゃ、相棒の言葉は半分は合ってるが、半分は間違ってる」

 思いがけない言葉に、金木は思わず混乱した。間違っているとは、一体どういう事なのだろうか? 

 自分にもっと力があれば、芳村や入見や古間、さらに自分が護れなかった人々を護る事が出来たはずだ。それのどこが、間違っているというのだ。

 だが金木の混乱を知ってか知らずか、デルフが言葉を続けてくる。

「ま、今は寝とけよ相棒。もう夜も遅いしな。こんな時間に何か考えようとしてもまとまりっこねえ」

「……うん」

 小さく頷くと、金木は毛布を被る。するとすぐに金木に睡魔が襲いかかってきて、金木は目をゆっくりと閉じて眠りにつくのだった。

 

 




そう言えば来月でもうグールの新刊出るんですよね……。絶対に買わなければ。

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