異世界喰種   作:白い鴉

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ついにお気に入り件数が八百件行った! これも皆さまの応援と意見のおかげです。これからもしっかりと書いていきたいと思います。


第八話 王女

 ルイズは自分のベッドの上で、夢を見ていた。トリステイン魔法学院から、馬で三日ほどの距離にある、生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷が舞台だ。

 夢の中の幼いルイズは屋敷の中庭を逃げ回っていた。迷宮のような植え込みの陰に隠れ、追っ手をやり過ごす。

「ルイズ、ルイズ。どこに行ったの? ルイズ! まだお説教は終わっていませんよ!」

 そう言って騒いでいるのは、ルイズの母親だった。夢の中でルイズは、出来の良い姉達と魔法の成績を比べられて、物覚えが悪いと叱られていたのだった。

 隠れた植え込みの下から、誰かの靴が見えた。

「ルイズお嬢様は難儀だねえ」

「まったくだ。上の二人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 ルイズは悔しさと悲しさで歯噛みすると、召使い達は植え込みの中をがさごそと捜し始めた。このままでは見つかると思ったルイズはそこから逃げ出した。

 そしえ、彼女自身が『秘密の場所』と呼んでいる中庭の池に向かう。

 そこは、ルイズは唯一安心できる場所だった。あまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭だ。池の周りには季節の花々が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチがあった。池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っている。

 島のほとりに小舟が一層浮いていた。舟遊びを楽しむための小舟だった。しかし、今ではもうこの池で舟遊びを楽しむ者はいない。姉達はそれぞれ成長して魔法の勉強で忙しかったし、軍務を退いた地方のお殿様である父は近隣の貴族との付き合いと、狩猟意外に興味は無かった。母は娘達の教育と、その嫁ぎ先以外目に入らない様子だった。

 そんなわけで、忘れさられた中庭の池とそこに浮かぶ小舟を気に留める者は、この屋敷にルイズ以外にいない。ルイズは叱られると、決まってこの中庭の池に浮かぶ小舟の中に逃げ込むのだった。

 夢の中の幼いルイズは小舟の中に逃げ込み、用意してあった毛布に潜り込む。

 そんな風にしていると、中庭の島にかかる霧の中から一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。

 歳の頃は十六歳ぐらいだろう。夢の中のルイズは、六歳ぐらいの背格好だから、十ぐらいは年上に見える。

「泣いているのかい? ルイズ」

 つばの広い、羽根つき帽子に隠れて顔が見えない。だが、ルイズは自分の目の前にいるのが誰だかすぐに分かった。

 子爵だ。最近、近所の領地を相続した年上の貴族。夢の中のルイズはほんのりと胸を熱くした。憧れの子爵。晩餐会をよく共にした。そして、父と彼との間で交わされた約束。

「子爵様、いらしてたの?」

 幼いルイズは慌てて顔を隠した。みっともない所を憧れの人に見られてしまったので、恥ずかしかったのだ。

「今日は君のお父上に呼ばれたのさ。あのお話の事でね」

「まあ!」

 子爵の言葉に、ルイズはさらに頬を染めて俯いた。

「いけない人ですわ。子爵様は……」

「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。君はぼくの事が嫌いかい?」

 おどけた調子で子爵が言うと、夢の中の小さなルイズは首を振った。

「いえ、そんな事はありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よく分かりませんわ」

 ルイズははにかんで言った。帽子の下の顔が、にっこりと笑った。そして、手をそっと差し伸ばしてくる。

「子爵様……」

「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ」

「でも……」

「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう」

 島の岸部から小舟に向かって手が差し伸べられる。大きな手。憧れの手……。

 ルイズは頷いて立ち上がり、その手を握ろうとした。

 その時、風が吹いて貴族の帽子が飛んだ。

「え?」

 ルイズは思わず戸惑いの声を上げた。

 貴族の帽子が飛んだ直後、周りの景色ががらりと変わったのだ。さっきまでいた子爵の姿は消え、自分一人しかいない。しかも自分の姿は六歳の姿から、今の十六歳の姿に変わっていたのだ。

「何よ……良い所だったのに」

 それにしても、とルイズは周りの光景を見渡した。

 一体、ここはどこなのだろう。自分が今まで見た事も無い建築様式の建物に、来た事も無ければ見た事も無い風景。辺りは暗いから、恐らく今は夜なのだろう。

 そんな事をルイズが思っていた時、男女の声がルイズの耳に届いてきた。

「――――それで、みんながヒデをロケット花火で集中砲火して……」

「えーヒドイ! でも、ちょっと楽しそう……」

 聞こえてきた声を聞いて、ルイズは思わず目を見開いた。女性の方の声は聞き覚えがないが、男の方は聞き覚えがある。それは、つい最近よく聞くようになった声だったからだ。

「カネキ?」

 自分の使い魔の名前を呟きながら、その方向に目を向ける。するとそこには、やはり使い魔……金木研の姿があった。

 しかし、そこにいたのは確かに金木だったが、ルイズが知っている金木の姿とは少し違う点があった。

 まず、ルイズの知っている金木の髪の色は白なのだが、今ルイズの目の前にいる金木の髪の毛の色は黒髪だった。それに雰囲気も、自分の知っている金木よりもやや柔らかいように感じる。

 だが何よりも、ルイズが気になるのは彼の横にいる女性だった。

「何この美人……」

 ルイズが思わずそう呟いてしまうほど、その女性は美しかった。男性ならば誰でも目を引きつけられるほどの容姿に、艶やかな長髪。その顔には今眼鏡がかかっているが、その眼鏡を外したらもっと美しく見えるだろう。

 が、ルイズが何よりも注意を引いたのは、彼女の胸部だった。

 キュルケと匹敵するぐらいには、大きい。まな板の自分とは雲泥の差である。ルイズはショックのあまり自分の胸をぺたぺたと触ってから、その顔を般若のように変化させて金木に襲いかかった。

「この馬鹿犬ぅぅううううううううっ!! そんなたかが脂肪に惑わされてんじゃないわよぉぉおおおおおっ!!」

 叫びながら何かの絵が描かれた紙を女性に見せている金木に背後から飛び蹴りをかましたが、すかっとその蹴りは金木を通過した。やはり今の光景は夢のようなものであるらしく、ストレス発散ができなかったルイズはギリギリと悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 そんな事をしていると、女性が唐突に口を開いた。

「……でも不思議ですね。高槻さんの本がきっかけで、こうしてカネキさんと私が一緒に歩いてるのって……」

(タカツキ? タカツキって……確か、この前こいつが買ってた本の著者よね?)

 この美女の言葉を信じるならば、美女と金木はもしかしたら高槻という著者が書いた本のファンなのかもしれない。

「ホント不思議……」

 そんな美女を、金木は呆けたような表情で見つめている。美女は金木を一瞬の間見つめ返してから、スッ……と金木の胸に静かに寄り添った。

(なぁっ!?)

 ルイズは思わず呼吸が止まるほどの衝撃を受けたが、それは当の本人である金木も同じだったらしい。彼は見事なまでに動揺を露わにして、吐息が感じられるほどの距離にいる美女を見ている。

「――――カネキさん。ホントは私、気付いてたんです……」

 そう言いながら、美女は金木の顔を見上げる。彼女の頬は、自然と赤く色づいていた。

「あなたが私を……見ていてくれた事……」

(ちょ、ちょっとぉぉおおおおおっ!?)

 何やら良い雰囲気になってきている二人に、ルイズは思わず心の中で絶叫した。もう下手をしたらこのままキスでもかましかねない空気である。そんな中で、美女はさらに言葉を続けた。

「カネキさん……私も……」

 そして、その美女は。

 

 

 

 

「あなたを見てたの!」

 

 

 

 

 噛。

 ルイズの頭に浮かんだのは、その一文字だけだった。

 それは、金木に甘い言葉をささやいていた美女が、突然金木の肩に噛みついたからだった。

 それも甘噛みなどというレベルではなく、まるで肉食獣が獲物を食いちぎるような、そんな力で。

「「へ?」」

 思わず漏らしたルイズの呟きに、同じく状況を理解できていない金木の呟きが重なる。

 呆然とルイズと金木が美女を見ていると、美女は恍惚とした声で呟いた。

「はぁぁあ、おいし……」

 彼女の目を見て、ルイズは背筋に寒気が走るのを感じた。

 彼女の両目が、赤く変色していたのだ。

 その目は血のように赤く光り、見ているルイズにまで恐怖を抱かせる。

「うわあああっ!!!」

 左肩から出血しながら金木が悲鳴を上げて尻餅をつくと、美女が口元に手を当てて笑った。

「あらっ……。大丈夫ですか? ウフフフフ……」

 仕草は非常に上品に見えるのに、それを見ていたルイズにはその笑顔がとても恐ろしいものに見えた。

 まるで、これから仕留めようとしている獲物を前にして、舌なめずりをしているような……。

「ねぇカネキさん。私……『黒山羊の卵』でとっても好きなシーンがあるんです……」

 カッカッ、とまるでわざとしているかのように靴音を立てながら、金木に近寄る。その音が自分に向かってくるのを聞いて、金木は恐怖で顔をさらに歪ませた。

「黒山羊が逃げ惑う男の臓物をぜーんぶ引きだしちゃうところ……。私、あの部分何ッッ回読んでも……ゾクゾクしちゃうの!」

 髪のリボンを外し、唇についた金木の血液を舐めとりながら美女はそんな事を言う。そこでルイズは、自分の両足がガタガタと震えるのを感じていた。

 いや、足だけではない。

 手も、歯も。自分の全てが目の前の『捕食者』に恐怖を感じて、脳が今すぐここから逃げろと警報を発している。それでも逃げる事が出来ないのは、目の前の美女の恐怖がそれほどまでに強いのか、それともこれは金木の記憶なので勝手な行動が許されないのか、はたまたその両方か。

 ガタガタと震える金木、さらには見えてないはずのルイズの表情も見えているかのように、美女がさらに楽しそうに告げてくる。

「……ウフフフ……。その表情、素敵ですよ。そうですよね……。まさか『そう』だなんて……思いもしなかったでしょう? 私が喰種(グール)だなんて!!!」

 直後、眼鏡を外した美女の腰から何かが勢いよく飛び出した。

 それは、先端が鉤爪のような形をした触手だった。全部で四本あり、触手の色はまるで彼女の両目のように赤い。

(グール……!? それって、吸血鬼に血を吸われてできる、あの……!?)

 ハルケギニアで生まれたルイズにはその生き物の方が頭に思い浮かぶが、その可能性を彼女は即座に否定する。

 彼女が知っているグールというのは、吸血鬼に血を吸われて生きる屍となった人間の事である。彼らは血を吸った吸血鬼の思うがままに操られ、二度と人間に戻る事は無い。

 しかし、目の前の美女は何かに操られているような様子はない。それ以前に、グールは彼女のような赤い目も、あんな触手も持っていない。

「カネキさぁぁぁん……。感じ(ゾクゾク)させてェ………」

「うわあああああああああああ!!!」

 悲鳴を上げながら、金木が彼女に背を向けて勢いよく走り出す。だが金木の足に美女の触手の内の一本が巻きつき、金木は地面に転んでしまう。

「つかまえた♡」

 いつの間にか距離を詰め、この場にまったくそぐわない笑みを浮かべながら、美女がそう言った。彼女の腰から伸びている触手が、ビキキ……と不穏な音を立てる。

「カネキさぁん……。喰種(グール)の『爪』は初めてでしょう……? お腹の中優しくかき混ぜてあげますよ……ウフフ……」

「ひあああああああッッ……!」

 怯えた声を出しながら、金木は無我夢中で地面に転がっていたペンを触手に突き刺す。ペンそのものは折れてしまったが、そのペンに美女の意識が向き、金木は慌ててその場から逃げ出した。彼の後を追って、ルイズも美女の恐怖に駆られて勢いよく走り出す。

 その、直後だった。

 美女の触手の一本が金木の横腹を突き刺し、そのまま彼の体を勢いよく壁に叩き付けた。

「カネキ!」

 思わずルイズが声を上げるが、壁に叩き付けられた金木はぴくりとも動かない。口と鼻から血を流して、ぐったりとしている。ルイズがそんな金木の姿に呆然としていると、笑顔の美女がゆっくりと歩み寄ってきた。

「……あら、死んじゃった?」

 そんな事を呟きながら、美女はさらに金木との距離を詰めていく。ルイズはまるで金木を護るように美女の前に立ち塞がるが、この世界での自分は無力である。この世界では、自分は誰からも認識されていないのだから。

 それでもルイズは、自分の使い魔である金木がただ傷つけられるのを見ていられなかった。ガタガタと全身を震わせながら、必死に震える声で言い放つ。

「こ、こいつをこれ以上傷つけるんじゃないわよ!! まだやるって言うなら……わたしが相手よ!」

 だが、その声が美女に聞こえているはずもない。ルイズを無視するかのように、美女はルイズの後ろで血を流している金木に言った。

「ウフフ……。私、カネキさんみたいな体型の人好きよ。ほどよく脂ものってるし、筋肉質じゃないから柔らかくて食べやすそう……。今週食べた二人とどっちが美味しいかしら……」

 と、その時だった。

 不意に美女の視線が、上に向けられた。

「……あら?」

 彼女の視線につられるように、ルイズも上を見上げる。

 直後。

 ドガァ!!! という轟音を立てて、上から降ってきた何かが美女の体を押しつぶした。

「え……!? な、何が……!?」

 突然の事態にルイズは驚いて声を出した。

 彼女は知らないが、降ってきたのは鉄骨である。真上にあったそれが、美女の体を押しつぶしたのだ。

 口から大量の血を吐き出しながら、美女が苦しげに言う。

「なんで……あ……たッ……が……」

 そう言ってから、美女の両目はぐるんと白目を剥いた。実体ではないためか鉄骨の直撃を免れたルイズはまだ自分の中の恐怖が消えてない事を確認しながらも、消え入りそうな声で呟く。

「死ん……だの?」

 それから、後ろの金木に視線を移す。急いで彼に駆け寄ろうとした瞬間、彼女を凄まじい眠気が襲いかかってきた。思わず膝をつきながらも、自分の右手を金木に必死に伸ばす。

「カ……ネ……キ……」

 使い魔の名前を口にして。

 ルイズは、意識を失った。

 

 

 

「ん……」

 小さく声を漏らしながら、ルイズは自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。窓を見てみると、すでに日が昇っている。授業の時間にはまだ早いだろうが、ルイズはさすがに二度寝をする気にはなれなかった。

 それから部屋の片隅を見てみると、すーすーと寝息を立てながら揺れる白色の髪の毛が目に入った。

「あれって……カネキの過去……?」

 今思い出してみても、とても恐ろしい夢だった。しかしルイズは首を横にぶんぶん振って、あの夢が現実に起こった事だという事を否定する。

 本当にあれが現実に起こった事ならば、金木は今頃ここにはいない。髪の毛だって黒かったし、きっとあれは本当にただ単なる夢だったのだろう。自分の夢の中に金木が現れたという事が、非常に不愉快ではあったが。

 ルイズは気合を入れるようにパンと両頬を張ると、ベッドから起き上がった。

 彼女は知らない。

 今まで自分が見ていた夢が、現実に起こった事だという事を。

 そしてその事件をきっかけにして、金木研という青年の運命が大きく変わってしまった事を。

 彼女はまだ、知らなかった。

 

 

 

 

 

 朝食を終えたルイズと金木(無論、金木は朝食を抜いた)が教室で座っていると、扉が開いてミスタ・ギトーが現れた。ミスタ・ギトーはフーケの一件の際、当直をほっぽり出して寝ていたミセス・シュヴルーズを責め、オスマンに『君は怒りっぽくていかん』と言われた教師である。

 長い黒髪に漆黒のマントを身に纏ったその姿は、言っては悪いが不気味である。まだ若いのに、その不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒達には人気が無かった。

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」

 教室中が、しーんとした雰囲気に包まれる。その様子を満足気に見つめると、ギトーは言葉を続けた。

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「虚無じゃないんですか?」

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

 いちいち引っかかる言い方をするギトーに、キュルケは少しカチンとした。

「火に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 キュルケが不敵な笑みを浮かべて言い放つと、ギトーは表情をピクリとも変えずに再び尋ねる。

「ほほう。どうしてそう思うね?」

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございません事?」

「残念ながらそうではない」

 ギトーは腰に差した杖を引き抜くと、キュルケに向かって言い放つ。

「試しに、この私に君の得意な火の魔法をぶつけてきたまえ」

 いきなりそんな事を言われて、キュルケはギョッとした表情を浮かべた。

「どうしたね? 君は確か、火系統が得意ではなかったかな?」

 彼の口調には、どこかキュルケを挑発するような響きが込められていた。キュルケは目を細めながら、

「火傷じゃすみませんわよ?」

「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 瞬間、キュルケの顔からいつもの相手を小馬鹿にしたような笑みが消えた。

 胸の谷間から杖を引き抜くと、炎のような色をした赤毛が熱したようにざわめき、逆立つ。

 キュルケが杖を振るうと、目の前に差し出した右手の上に小さな炎の玉が現れる。キュルケがさらに呪文を詠唱し続けると、その球は次第に膨れ上がり、直径一メイルほどの大きさになった。それを見て、生徒達が慌てて机の下に隠れる。

 キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元に引きつけて炎の玉をギトーに向かって押し出した。

 唸りを上げて自分目掛けて飛んでくる炎の玉を避ける仕草すら見せずに、ギトーは腰に差した杖を引き抜くと剣を振るうようにして薙ぎ払う。

 烈風が舞いあがり、一瞬にして炎の玉が掻き消え、その向こうにいたキュルケを吹き飛ばした。

 悠然として、ギトーは教室にいる全員に言い聞かせるように告げる。

「諸君、風が最強たる所以(ゆえん)を教えよう。簡単だ。風は全てを薙ぎ払う。火も、水も、土も、風の前では立つ事すらできない。残念ながら試した事は無いが、虚無さえ吹き飛ばすだろう。それが風だ」

(いくら何でもそれは言いすぎじゃないかなぁ……)

 熱弁を振るうギトーを見ながら、金木は内心そう思った。シュヴルーズも自分の土系統の事をやや自慢げに話していたが、ギトーという男性教師は風の魔法を過信しすぎているような気がする。異世界人である金木にとっては、どんなに素晴らしい魔法でも相性が存在するのではないかというのが正直な感想だった。

 しかしそんな金木の心の声が伝わる事は当然なく、ギトーはさらに自分の風系統の自慢を続ける。

「目に見えぬ風は見えずとも諸君らを護る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、風が最強たる所以は……」

 そう言いながら、ギトーは杖を立てた。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 低く、呪文を詠唱する。しかしその時、教室の扉がガラッと開き、緊張した顔のミスタ・コルベールが現れた。

 彼は珍妙ななりをしていた。頭にやたらと馬鹿でかい、ロールした金髪のかつらをのっけているのだ。良く見てみると、ローブの胸にはレースの飾りやら刺繍が踊っている。何をそんなにめかしているのだろうか。

「ミスタ?」

 コルベールのその姿を見て、ギトーが眉をひそめた。

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

「授業中です」

 コルベールを睨んでギトーは言うが、それを無視してコルベールが咳払いをする。

「おっほん。今日の授業は全て中止であります」

 コルベールは重々しい調子で告げると、その途端教室から歓声が上がった。すると歓声を抑えるように両手を振りながら、コルベールが言葉を続ける。

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。その拍子に頭に乗せたカツラが取れて、床に落っこちる。ギトーのおかげで重苦しかった教室の雰囲気が、一気にほぐれた。

 教室中がくすくす笑いに包まれる。

 一番前に座ったタバサが、コルベールのつるつるに禿げ上がった頭を指差して、ぽつんと呟いた。

「滑りやすい」

 滅多に口を開かない彼女の一言で、教室が爆笑に包まれた。彼女の言葉には、さすがの金木も少し口元に苦笑を浮かべている。キュルケが笑いながらタバサの肩をぽんぽんと叩く。

「あなた、たまに口を開くと、言うわね」

 コルベールは顔を真っ赤にさせると、大きな声で怒鳴った。

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童共が! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときは下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王宮に教育の成果が疑われる!」

 コルベールのその剣幕に、教室中がおとなしくなった。ようやく冷静になったコルベールは再び咳払いをしてから、

「皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります」

 コルベールは横を向くと、後ろ手に手を組んだ。

「恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 予想外の言葉に、教室中がざわめいた。

「したがって、粗相があってはいけません。急な事ですが、今から全力を挙げて歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列する事」

 生徒達は緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。コルベールはうんうんと重々しげに頷くと、目を見張って怒鳴った。

「諸君が立派な貴族に成長した事を、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」

 

 

 

 

 それから数時間後。

 魔法学院の正門をくぐって、王女の一行が現れると整列した生徒達は一斉に杖を掲げた。しゃん! と小気味よく杖の音が重なった。

 正門をくぐった先に、本塔の玄関があった。そこに立ち、王女の一行を迎えるのは学院長のオスマンだ。

 馬車が止まると、召使い達が駆け寄り、馬車の扉まで緋毛氈(ひもうせん)のじゅうたんを敷き詰めた。

 呼び出しの衛士が緊張した声で、王女の登場を告げる。

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーりー!!」

 しかし、がちゃりと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニだった。

 生徒達は一斉に鼻を鳴らしたが、マザリーニは意に介した風もなく馬車の横に立つと、続いて降りてくる王女の手を取った。

 生徒の間から歓声が上がる。

 王女はにっこりと薔薇のような微笑を浮かべると、優雅に手を振った。

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃない」

 キュルケがつまらなさそうな口調で言った。

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

「ど、どっちて言われてもなぁ……。まぁ確かに、綺麗だとは思うけど……」

 金木は苦笑しながら、笑顔で手を振っている王女に視線を向けて呟く。

「そう言えば、国王様と女王様はここに来てないんだね」

 金木のその言葉に答えたのは、彼の横で本を読んでいるタバサだった。彼女とハルケギニアと日本語を互いに教え合う約束を交わしてから、タバサは金木とよく喋るようになっていた。

「トリステインの国王は、すでに崩御している」

「崩御……。ああ、死んじゃったって事か。じゃあ、今は彼女のお母さんが女王様なの?」

 するとタバサはふるふると首を横に振った。

「彼女は王妃としての立場。だから女王には即位していない」

「え、じゃあ誰がトリステインの政治とかを取り仕切ってるの?」

 金木が尋ねると、タバサはすっとマザリーニを指差した。

「そうなんだ……」

「だから、街で小唄が流行ってる」

「小唄?」

 金木が再び聞くと、タバサは唐突にその小唄を歌い始めた。

「トリステインの王家には、美貌はあっても杖が無い。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨……」

 それは、王家を仕切っているのはあの枢機卿だという事を暗に示唆している歌だった。王家って大変だな、と金木は内心思いながら、ふと横にいるルイズの方を見た。

 彼女は真面目な顔をして王女を見つめていたが、突然その顔がはっとした顔になった。それから顔を赤らめる。その変化が気になった金木はルイズの視線の先を確かめる。

 彼女の視線の先には、見事な羽帽子を被った凛々しい貴族の姿があった。鷲の頭と獅子の体を持った見事な幻獣――――――金木の記憶が正しければ、グリフォンだ――――――にまたがっている。

 ルイズはぼんやりとその貴族を見つめていた。どうやらあの貴族に心を奪われているらしい。高飛車なルイズも、どうやらそういう所では年頃の少女らしい。

 金木がそんな事を思っていると、タバサがちょんと金木の手を引っ張った。

「どうしたの? タバサちゃん」

「……これが終わったら、勉強会をしたい」

 勉強会というのは、言わずもがなタバサとの約束の事だ。金木とタバサは時々勉強会という名目で、互いの国の言葉を勉強している。金木は口元に笑みを浮かべながら、

「うん、良いよ。じゃあ場所はいつもと同じで図書室で良いよね?」

「構わない」

 そう言うとタバサは、少し嬉しそうな表情を浮かべながら本に視線を戻す。

 金木も、タバサから再び王女一向に視線を移すのだった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、タバサとの勉強会を終えた金木は勉強会の場所である図書室からルイズの部屋へと歩いていた。彼の右腕には、自習で使うための本が数冊抱えられている。平民である彼では図書室の本は借りられないので、タバサに代わりに借り出してもらったのだ。

 二つの月の光が差し込む廊下を歩きながら、金木は一人呟く。

「でも、一体どういう事なんだろう……」

 金木がそう呟いたのは、ある理由があった。

 勉強会の初日、タバサからハルケギニアの言語を習っている最中に気が付いたのだが、どうも自分の言語の学習が早いような気がするのだ。これがただの気のせいならば何の問題もなかったのだが、そうではなかった。何せタバサからハルケギニアの言語を教えてもらったその日の内に、金木は簡単な文法などをマスターしてしまったのだから。

 そしてそれから文字や文法の勉強、さらにタバサから借りた本を読むなどの自習を重ねた結果、難解な文法や文字などでもすらすらと読めるようになってしまった。これはいくら何でも奇妙である。

 金木がその事をタバサに尋ねると、何でも使い魔となった生き物には特殊な能力が与えられる事があるという。金木の学習能力の上昇も、もしかしたらその事が関係しているのかもしれない、というのが彼女の推測だった。

 しかし、それでは何故異世界であるハルケギニアの言葉が、金木には分かったのだろうか。金木はその理由を知っていそうな、背中に背負った剣に尋ねる。

「ねぇ、デルフ」

 すると直後に、剣から声が返ってきた。

「何だよ、相棒」

「君は何か知らない? 異世界から来たはずの僕が、誰かに教わったわけでもないのにこの世界の言葉が分かる事について」

 金木が尋ねると、デルフはうーんと何かを考えているような声を出した後、

「相棒はどうやってこの世界に来たんだ?」

「それは、ルイズちゃんに召喚されてだよ」

「召喚された時に、相棒は何か見なかったか?」

「……正直、あまり覚えてない」

 金木はやや顔を険しくしながら答えた。金木がこのハルケギニアに召喚された時は、東京の地下で有馬貴将に殺されかけていた所だったのだ。だからその時に自分の身に何が起こったのか、金木自身よく覚えていないのだ。

 ただ、

「確か……自分の体が光る鏡みたいな物に包み込まれた気はすると言えばするけど……」

 それもうろ覚えなので、はっきりとした確証はない。そんな金木の疑問に、デルフはあっさりと答えた。

「たぶん、それは召喚のゲートだな。ゲートに呑み込まれた際に、相棒に特殊な力が宿ったんだろうよ」

「僕の体中の傷が治ったのも、言語を早く覚える事が出来るのも、そのおかげかな」

「さてね。ゲートの仕組みについては俺も詳しくは分かんね。でもそれ以外に思い当たる節が無いって言うなら、それぐらいしか考えられねえだろ」

 デルフの言葉に、金木は内心で確かにそうだなと呟いた。デルフの説が合ってるかどうかは分からないが、それを否定できる証拠も根拠もない。だとしたら、それが一番可能性のある話なのだ。

 ちなみに、タバサの日本語学習も結構順調である。現在の金木には劣るが、タバサも彼女特有の勤勉さで日本語の知識をどんどん吸収している。今ではもうひらがなやカタカナ、さらには簡単な漢字も少し読めるようになってきている。このまま勉強を続けていけば簡単な漢字はほぼマスターするので、そうなったら難しい漢字の読み書きに入ろうかと金木は思っていた。

 そしてようやく金木はルイズの部屋の前にたどり着くと、そろそろと部屋の扉を開けた。前に勉強会から返って来た時は、帰るのが遅すぎるとルイズに叱られたのだ。

 ルイズはぼんやりとした表情で枕を抱いて、ベッドに腰掛けていた。金木がただいまと声をかけるが、まったくの無反応だった。金木は首を傾げながらも、持ってきた本を読むために部屋の片隅にある藁束の上に座り込んだ。あの状態のルイズに何を言っても恐らく聞いてないだろうし、無理矢理喋らせるような真似をしても彼女の逆鱗に触れる可能性が高い。ならば、こうして静かに過ごしていた方がまだマシである。

 金木が本を開こうとすると、突然ドアがノックされた。

 誰だろう、と金木は思う。こんな時間に誰かが尋ねてくるのは、今までなかったからだ。

 ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回。

 ルイズの顔がはっとした表情になった。急いで立ち上がると、ドアに駆け寄って開く。

 そこに立っていたのは真っ黒な頭巾をすっぽりと被った少女だった。少女は辺りを窺うように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉める。

「……あなたは?」

 ルイズは驚いたような声を上げた。

 頭巾をかぶった少女はしっと言わんばかりに口元に指を立てた。それから頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から魔法の杖を取り出すと、軽く振った。同時に短くルーンを呟くと、光の粉が部屋に舞う。

「……ディティクトマジック?」

 ルイズが尋ねると、頭巾の少女は首を縦に振った。

「どこに耳が、目が光っているか分かりませんからね」

 どうやら少女は部屋に聞き耳を立てる魔法の耳や、どこかに通じる覗き穴が無いか調べていたらしい。それらが無い事を確かめ終えると、少女は頭巾を取った。

 現れたのは、なんとアンリエッタ王女だった。予想外の人物の顔が現れた事に、金木は思わず目を丸くして王女の顔を凝視する。

「姫殿下!」

 ルイズが慌てて膝をつくと、金木もそれにならうように床に膝をついた。

 アンリエッタは二人を見て、心地よい声で言った。

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 

 

 

 

 

 

 


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