異世界喰種   作:白い鴉

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第四話 誘惑

 ギーシュとの決闘に勝利した金木が学院内を歩いていると、後ろからけたたましい足音が聞こえてきた。金木が振り返ると、シエスタが自分に向かって走ってきているのが目に入った。

「カ、カネキさん!」

 シエスタは金木の目の前まで走ってくるなり、荒い息を落ち着かせるように深呼吸を何回かする。

「どうしたの、シエスタちゃん」

 それに目を丸くした金木が尋ねると、ようやく落ち着いたシエスタが言った。

「さっきの決闘、見てました。それであの、お怪我とかはありませんでしたか?」 

「う、うん。無いけど」 

 金木が困惑しながらもそう答えると、シエスタは「良かった……」と言った直後、安心したように息をつく。それから、何故かはにかんだように顔を伏せた。

「どうしたの?」

「あ、はい……。あの時はすいません。逃げ出してしまって……」

「いや、良いよ。僕は全然気にしていないし」

 食堂で金木がギーシュを怒らせた時、彼女は怖がって逃げ出してしまった。恐らくその事を言っているのだろう。

「本当に、貴族は怖いんです。私みたいな、魔法を使えないただの平民にとっては……」

 それからシエスタはぐっと顔を上げた。その目は、キラキラと輝いているように金木には見えた。

「でも、もう、そんなに怖くないです! 私、カネキさんを見て感激したんです。平民でも貴族に勝てるんだって! 本当にカッコ良かったです!」

「あ、あはは……。ありがとう」

 女性に褒められた経験があまりない金木は、どうにも照れくさくなって頬を掻きながらそう言った。そして、シエスタは何かを思いついたようにパン! と手を打った。

「そうだ! 決闘の後ですし、金木さんお腹が空きましたよね? せめてものお詫びに、厨房に来てください! とびきりのご馳走をご用意いたします!」

 ご馳走、という単語に金木は顔面を蒼白にした。その言葉は、半喰種の金木にとっては最悪の一言にしかならない。金木は両手を軽く前に突き出して後ろに後ずさりながら、

「だ、大丈夫だよシエスタちゃん、お詫びなんて……。さっきも言ったけど、僕は全然気にしてないからさ……」

 しかしシエスタは金木の片手を掴むと、悪意なんてひとかけらもない綺麗な笑顔で、

「金木さんが気にしなくても、私が気にします! 大丈夫ですよカネキさん、コック長のマルトーさんの料理はとても美味しくて貴族の方々にも好評ですし、それに厨房の皆もカネキさんに会いたがってるんです。さぁ、早く行きましょう!」

「ちょ、ちょっと!? ねえシエスタちゃん! ねえったら!?」                  

 金木の必死に抵抗も空しく、彼は厨房へと連れて行かれた。

 

 

 

「『我らの剣』が来たぞ!」

 まるで死刑執行寸前の受刑者のような顔をして連れて来られた金木を見てそう叫んだのは、四十過ぎの太った男性だった。丸々と太った体に立派なあつらえの服を着こんでおり、恐らく収入はかなりのものだろう。一方、死にそうな顔をしていた金木はその単語を聞いて、思わず怪訝な表情になった。

「我らの剣……?」

 するとその呟きが聞こえたのは、男性は豪快な笑い声を上げながら金木の肩をバンバンと叩く。

「貴族のゴーレムを、目にも止まらない速さでぶった切ったって言うじゃねえか! さすがは我らの剣だぜ!」

 そう言いながら、男性は今度は金木の背中を勢いよく叩き始めた。本当はその前にゴーレムを蹴り飛ばすという荒業もしているのだが、どうやら剣で斬り伏せたインパクトの方が強いらしい。せき込みそうになりながらも、金木は横で笑みを浮かべているシエスタに尋ねる。

「ねえシエスタちゃん。この人が?」

「はい。コック長のマルトーさんです。あの、マルトーさん。できればカネキさんに、シチューを作ってあげて欲しんですけど……」

 やめて、と金木は声を大にして言いたかったが、彼女の善意の言葉にそんな事を言えるはずもない。そしてそれを聞いたマルトーはシエスタの頼みを快諾した。

「おう、任せとけ! ちょっと待ってろよ、すぐに作ってやるからな!」

 そう言うとマルトーはシチューを作るのを開始した。金木はシエスタが持ってきてくれた専用の椅子に座ると、冷や汗を流しながらシチューの完成を待った。もう気分は死刑囚のそれである。

「さあ、できたぞ! 今日のシチューは特別だ!」

 自慢げに言いながら、マルトーは金木の目の前にシチューの入った皿をでん! と置いた。

「…………っ!!」

 普通の人間から見たらとても美味しそうなシチューの匂いを嗅いだだけで、金木はもう吐き出しそうになった。しかしそんな表情を出すわけにもいかないので、金木は必死に笑顔を取り繕う。それからスプーンを手に取り、かすれた声を出しそうになりながら言った。

「い、いただきます……」

 そして覚悟を決めて、スプーンにすくったスープを口に運んだ。

「――――――」

 その瞬間、口の中に地獄が広がった。金木は思わず吐き出したい衝動に駆られたが、自分をキラキラと輝いた目で見るシエスタの目の前でそんな事はできない。意地と根性でスープを飲みこむと、にっこりと脂汗が浮かぶ笑顔で言った。

「お、美味しい、です……」

 そう言うと、マルトーは腕を組んで自慢げに言った。

「そりゃそうだ。そのシチューは、貴族連中に出してるものと、同じもんさ」

「こんなに美味しいものを、毎日食べてるんですね……」

 吐き気を懸命にこらえながら金木が言うと、マルトーは得意げに鼻を鳴らす。

「ふん! あいつらは確かに魔法はできる。土から鍋や城を作ったり、とんでもない炎の玉を吐き出したり、果てはドラゴンを操ったり、大したもんだ! でも、こうやって絶妙の味に料理を仕立てあげるのだって、言うなら一つの魔法さ。お前もそう思うだろ?」

「は、はい。そう思います……」

 冗談抜きに意識が薄れてきたが、金木は足をつねって必死に意識を保つ。

「良い奴だな! お前はまったく良い奴だ!」

 マルトーは、金木の首根っこに太い腕を巻き付けた。

「なあ、『我らの剣』! 俺はお前の額に接吻するぞ! こら! いいな!」

「その呼び方と接吻はやめてください……」

 もう拷問みたいな気分だが、これでもかつて受けた拷問よりは遥かにマシだと自分に言い聞かせる。作ってくれたマルトーにダイブ失礼になってきたが、こうしなければ今にも吐き出してしまいそうなのだ。これぐらい勘弁してほしい。

「どうしてだ?」

「どっちも照れくさいです……」

 マルトー親父は金木から体を離すと、両腕を広げてみせる。

「お前はメイジのゴーレムを斬り裂いたんだぞ! 分かってるのか!」

「はい……」

「なあ、お前はどこで剣を習った? どこで剣を習ったら、あんな風に振れるのか、俺にも教えてくれよ!」

 マルトーは金木の顔を覗き込んだ。金木はふるふると首を横に振りながら、

「分からないです。剣なんて握った事もないですし……」

「お前達! 聞いたか!」

 マルトーは厨房に響くように怒鳴った。

 若いコックや見習い達が、返事をよこす。

「聞いてますよ、親方!」

「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」

 それにコック達が嬉しそうに唱和した。

「達人は誇らない!」

 するとマルトーはくるりと振り向き、金木を見つめた。

「やい、我らの剣。俺はそんなお前がますます好きになったぞ、どうしてくれる」

「あ、あはは……。ありがとうございます……」

 本当の事を言ったつもりなのだが、どうやらマルトーはそれを謙遜を受け取ったらしい。気さくなこの人物を騙しているように気分になるが、正直言って今の金木はそれどころではない。笑顔を浮かべながら、必死にシチューを食べなければならない。

 顔をしかめようにも、横でシエスタがニコニコと見守っているのでそんな事も出来ない。

 まさかこんな所で美味しそうに食事をしているフリをする練習を行うとは思わなかったと内心思いながら、金木は必死に咀嚼し続けた。

 

 

 

 

 それからシチューを食べ終わり、マルトーやシエスタ達と笑顔で別れた数分後。

「おえええええええええっ!!」

 学院のトイレで胃の中の全てを吐き出してだいぶ楽になった金木は、ふらふらとトイレから出てきた。本当ならこんな事はしたくないのだが、普通の食べ物を食べた喰種は胃の中のものを吐き出さなければ体調に支障をきたす。それを防ぐためにも、消化が始まる前に嘔吐しなければならないのだ。

「……これ、どうしよう……」

 金木は手に持っていた袋を困ったような表情で見つめた。袋の中に入っているのは、やや大きめの骨付きの肉である。金木が食堂を去る際に、シエスタがまた来てくださいと言ってくれたのだ。しかし今盛大に吐いたというのに、これを食べてまた吐き出すような真似はしたくない。

 金木はため息をつくと、とりあえず外に向かう事にした。新鮮な空気を体内に取り入れて、気分転換をしたかったのだ。

 廊下をしばらく歩くと、金木は中庭にたどり着いた。今日の天気も見事に快晴で、穏やかな風が吹いている。それに金木が思わずんーっと両腕を上に伸ばしていると、中庭にある生物がいる事に気付く。どうやら自分よりも先にここには先客がいたらしい。金木はその生物に近づくと、驚きと感動が入り混じった声で呟く。

「すごい……ドラゴンか……」

 それはまさしく、金木がよく本などで読んでいたドラゴンだった。鱗の色は鮮やかな青色で、陽の光を照り返してキラキラと光っている。どうやら昼寝の最中なのか、その目は閉じられていてくーくーと寝息を立てている。

 金木が地面に座り込んでじっと見つめていると、ドラゴンが目を覚ました。ドラゴンはふぁとあくびをすると、緑色の瞳で自分をじっと見つめ返す。金木は頬をポリポリと掻きながら話しかけた。

「あ、起こしちゃった? ごめんね」

 言葉が通じているのかと思ったが、ドラゴンはきゅいきゅいと鳴いて首を横に振った。どうやら人間の言葉が分かるほどに知能が高いらしい。金木が恐る恐るドラゴンの頭部を撫でてみると、ドラゴンは気持ちよさそうに目を閉じた。どうやら危害を加える気はないようだ。

 そうだ、と金木はある事を思い出してポケットの中に入れてあった袋を取り出す。袋の中から骨付きの肉を取り出すと、その瞬間ドラゴンの目が輝いた。金木は肉を目の前まで持っていきながら、

「これ、あげるよ。僕は今お腹が空いてないから」

 そう言うと、ドラゴンはぱくりと金木が持っていた肉を器用に口で咥えてもぐもぐと食べ始めた。その様子をニコニコと見ていた金木は、ある用事を思い出して立ち上がると短パンについた草や草をぱっぱと払う。

「ごめん、僕行く所があったんだ。またね」

 金木が手を振りながら言うと、ドラゴンはきゅいきゅいと鳴きながら前脚を振って別れを告げる。自分の予想以上に人間らしいドラゴンだな、と金木は思った。

 ドラゴンと別れた金木が向かったのは、図書館だった。食堂でシチューを食べていた時、シエスタから図書館の場所を聞いたのだ。入口には司書がいたので、見つからないように図書館に忍び込む。

 そして金木は、目の前に広がる光景に圧倒された。

「すごい……!」

 本棚の大きさに、金木は思わず驚きの声を出した。三十メイルほどの高さの本棚が、壁際に並んでいるのだ。本好きでこれに感動を覚えない人間はいないだろう。

 金木はとりあえず生徒も自由に閲覧できる一般の本棚に向かうと、適当に本を一冊取り出して中を見る。

 そして、思わず顔をしかめた。

「何だ……この文字……」

 本に書かれていた文字は、日本語でもなければ英語でもない、不思議な言語で書かれていた。どうやらこの世界の言語は自分の住んでいた世界とはだいぶ異なるらしい。周りの人達とは会話が成り立っていたため安心していたが、これでは文字などを読む事が出来ない。

 参ったな……と金木は思いながら、ある事に気付く。

(あれ? じゃあ僕は何で、ルイズちゃん達の言葉が分かるんだ……?)

 言語が違うのなら、話している言葉も分からないはずだ。それなのに自分はルイズ達の言葉が分かるし、反対にルイズ達も自分が話している言葉が分かる。文字が読めないのに言葉は分かるというのは、いくら何でもおかしいだろう。他に何か理由があるのだろうか。

「でも困ったな……。これじゃ何も調べられないし、このルーンの事も分からない……」

 金木は自分の左手に刻まれているルーン文字を見つめながら、一人呟いた。

 ギーシュとの決闘の時、剣を握った瞬間体が軽くなり今まで振った事すらない剣を自在に扱えるようになった。ここの図書館ならばそれについて何か分かるかもしれないと思ったのだが……、どうやらあては外れてしまったようだ。

 気を取り直して、金木は今度は地図を探す事にした。地図ならば文字が読めなくても大陸の形が分かるし、どれぐらいの数の国家があるか調べる事が出来る。

 それから本棚から地図が載った本を数冊引っ張り出して、中にあった地図を広げる。やはり文字は読めないが、大体の地理は理解する事ができた。

「やっぱり結構大きいな……。ってそう言えば、この学院もどこにあるか分からないんだよな……」

 場所が分からなければ、この大陸のどの辺が学院がある位置なのかも分からない。幸先が不安になってきた、と金木はため息をつきながら目の前に広がる本棚を見つめる。

「……どうせこの後は特に予定もないし、読める本でも探そうかな……」

 これだけの本を目の前にすると、どうしても本好きの血が騒いでしまう。もしかしたらこの膨大な数の本の中に自分が読める本もあるかもしれないので、金木はさっそく身近な本を手に取って中を読み始めた。

 

 

 

「ま、あるわけないよね……」

 金木は図書館からルイズの部屋への道を歩きながら、一人呟いた。結局あれから何冊か本を取り出して読んでみたのだが、金木が読める本は一冊も無かった。そのため、現在の時刻はすっかり夜である。

 しかし今の金木にとっては、文字が読めないという問題の方が深刻だった。読書好きの金木としては読書ができないというのは結構耐えがたいものがあるし、この世界での生活にも支障を生じる。近い内にルイズかシエスタから文字を習う必要があるだろう。

 やがて金木がルイズの部屋の前まで戻ってくると、隣のキュルケの部屋の扉が開いた。

 出てきたのはサラマンダーのフレイムだった。フレイムはちょこちょこと金木の方に近づいてきて、金木はしゃがみ込みながらフレイムに言う。

「どうしたの?」

 するとフレイムは案外人懐っこい感じで、きゅるきゅると鳴いた。どうやら害意は無いらしい。

 フレイムは金木の上着の袖を咥えると、まるでついて来いと言うように首を振った。

「わ。ちょ、ちょっと」

 慌てて金木が言うが、フレイムはぐいぐいと強い力で金木を引っ張る。

 見てみると、キュルケの部屋の扉は開けっ放しだった。どうやらあそこに金木を引っ張り込むつもりらしい。

 ただ単なるフレイムの気まぐれには見えない。だとすると、これは主人であるキュルケの命令なのだろう。だが、キュルケが自分に一体何の用なのだろうか。

 考えれば考えるほど疑問が湧いて出てくるが、その答えは恐らく部屋に入れば分かるのだろう。

 金木はフレイムに引っ張られるまま、キュルケの部屋の扉を潜った。

 いざ入ってみると、部屋の中は真っ暗だった。フレイムの周りだけ、ぼんやりと明るく光っている。

「扉を閉めて?」

 突如どこからかキュルケの声がして、金木は少し驚いた。それから言われた通りに、背後の扉を閉める。

「ようこそ。こちらにいらっしゃい」

 彼女がそう言った直後、ぱちんと指を弾く音がどこからか聞こえてきた。

 すると、部屋の中に立てかけられた蝋燭が一つずつ灯っていく。

 金木の近くに置かれた蝋燭から順番に火は灯っていき、キュルケのそばの蝋燭がゴールのようだった。道のりを照らす街灯のように、蝋燭の明かりが浮かんでいる。

 ぼんやりと光る淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰掛けたキュルケの悩ましい姿があった。彼女の姿を見て、金木は思わず頬を赤らめてしまう。

 彼女はベビードールとうのだろうか、そういう誘惑するための下着をつけていたのだ。というよりも、それしかつけていない。

 そして彼女のあられもない姿を見て、キュルケの胸が上げ底ではない事が確認できた。メロンのようなそれが、レースのベビードールを持ち上げている。

「そんな所に突っ立ってないで、いらっしゃいな」

 キュルケが色っぽい声で言うと、金木はぎこちない動きで頷きながらキュルケの元へと歩いて行く。キュルケはにっこりと笑いながら再び口を開いた。

「座って?」

 金木は言われた通りにキュルケの隣に腰掛けた。裸に近いキュルケの体がすぐ横にあるので、自分の顔の熱がさらに上がるのを感じる。

「ど、どうして僕をここに呼んだんですか?」

 金木は緊張した声でキュルケに尋ねた。燃えるような赤い髪を優雅にかき上げて、キュルケは金木を見つめた。彼女の褐色の肌はぼんやりとした蝋燭の明かりに照らされて、野性的な魅力を放っている。

 キュルケは大きくため息をつくと、悩ましげに首を振った。

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「い、いや、そんな事は……」

「思われても、仕方がないの。分かる? あたしの二つ名は『微熱』」

「それは知ってるけど……」

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼び立てしたりしてしまうの。分かってる。いけない事よ」

 そう言われて、金木の困惑が段々強くなってきた。話の筋が全く見えない。

「でもね、あなたはきっとお許しくださると思うわ」

 キュルケは潤んだ瞳で金木を見つめた。その瞳に思わず金木はごくりと唾を飲み込んでしまう。

「な、何をですか?」

 キュルケはすっと金木の手を握ってきた。キュルケの手は温かった。そして一本一本金木の指輪を確かめるようになぞり始める。その行為に、金木の心臓の鼓動が高鳴った。

「恋してるのよ、あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね」

「は、はぁ?」

 彼女の口から放たれた予想外すぎる言葉に、金木は思わず間抜けな声を出した。一瞬からかっているのかと思ったが、キュルケの顔は真剣そのものである。

「あなたがギーシュを倒した時の姿……。カッコ良かったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる! 痺れたのよ! 情熱! ああ、情熱だわ!」

「じょ、情熱ですか……」

「二つ名の微熱はつまり情熱なのよ! あれを見てから、あたしはぼんやりとしてマドリガルを綴ったわ。マドリガル。恋歌よ。あなたのせいなのよ、カネキ。あなたがどうしても気になるものだから、フレイムを使って様子を探らせたり……。ほんとに、あたしってばみっともない女だわ。そう思うでしょ? でも、全部あなたのせいなのよ」

 金木はなんと答えれば良いのか分からずに、じっと座っていた。

 キュルケは金木の沈黙をイエスと受け取ったのか、ゆっくりと目を瞑って唇を近づけた。だが金木は、キュルケの肩を押し戻した。

 何故かは分からないが、今までに散々騙されてきた金木の勘が目の前の誘いには乗るなと警告を発していたのだ。

 どうして? と言わんばかりにキュルケは金木を見つめた。

「だって、君はどうやら惚れっぽいようだし、それに僕は……」

 そこで金木は目を伏せて、続きを言うの止めた。

 彼女は人間で、自分は半分とはいえ喰種だ。彼女の恋愛感情が本当にせよそうでないにせよ、自分にそういった感情を向けるのは良い事とは思えない。今は何かしらの理由で空腹が抑えられているが、もしも限界が近づいたら彼女を食べてしまうかもしれないのだ。大切なものを失ったというのに、これ以上もう何かを失いたくない。

 突然黙ってしまった金木をキュルケがきょとんとした瞳で見つめていると、突然窓の外が叩かれた。

 二人が目を向けてみると、そこには恨めしげに部屋の中を覗く一人のハンサムな男の姿があった。

「キュルケ……。待ち合わせの時間に、君が来ないから来てみれば……」

「ペリッソン! ええと、二時間後に」

「話が違う!」

 ここは確か三階である。どうやら彼は魔法で浮いているらしい。

 キュルケはうるさそうに、胸の谷間に差した派手な魔法の杖を取り上げて、男の方を見もしないで杖を振るう。

 蝋燭の火から炎が大蛇のように伸び、窓ごと男を吹き飛ばした。

「まったく、無粋なフクロウね」

 金木は目の前の光景に、思わずぽかんと口を開けていた。

「でね? 聞いてる?」

「……えっと、今の誰?」

「彼はただのお友達よ。とにかく今、あたしが一番恋しているのはあなたよ。カネキ」

 キュルケは再び金木に唇を近づけようとした。金木が慌ててそれから逃れようとすると、今度は窓枠が叩かれた。

 二人が再び見てみると、今度は悲しそうな顔で部屋の中を覗き込む、精悍な顔立ちの男がいた。

「キュルケ! そいつは誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

「スティックス! ええと、四時間後に」

「そいつは誰だ! キュルケ!」

 怒り狂いながら、スティックスと呼ばれた男は部屋に入ってこようとした。キュルケはうるさそうに、再び杖を振るう。

 再び蝋燭の火から太い炎が伸び、男は火にあぶられて地面に落ちた。

「……今のも友達?」

「彼は、友達というよりはただの知り合いね。とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜が長いなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に、太陽はやってくるじゃないの!」

 それからキュルケが金木に唇を近づけようとすると、窓だった壁の穴から悲鳴が聞こえた。金木は大体の予想を思い浮かべながら振り向く。

 そこには予想通り、男がいた。しかし先ほどとは違い、今度は三人もの男が窓枠で押し合いへし合いしていた。

 三人は同時に、同じセリフを吐いた。

「「「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!」」」

「マニカン! エイジャックス! ギムリ!」

 今まで出てきた男が全員違うので、金木はもう驚きを通り越して感心してしまった。

「ええと、六時間後に」

「朝だよ……」

 その場の誰よりも早く、金木が小さく呟いた。それからキュルケがうんざりした声で、フレイムに命令する。

「フレイムー」

 きゅるきゅると部屋の隅で眠っていたフレイムが起き上がり、三人が押し合っている窓だった穴に向けて、炎を吐いた。三人は仲良く地面に落下していった。

「……今のも知り合い?」

 半眼で金木が聞くと、キュルケはしれっとした声で答えた。

「さぁ? 知り合いでもなんでもないわ。とにかく! 愛してる!」

 キュルケが金木に体を近づけようとして、金木が腰を浮かして逃げようとしたその時。

 キュルケの部屋の扉が物凄い勢いで開けられた。

 また男か、と思ったら違った。そこにはネグリジェ姿のルイズが立っていた。

 ルイズは部屋を照らす蝋燭を一本一本忌々しげに蹴り飛ばしながら、金木とキュルケに近づく。

「キュルケ!」

 ルイズがキュルケの方を向いて怒鳴ると、キュルケはやれやれと肩をすくめながらルイズの方を向く。

「取り込み中よ、ヴァリエール」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」

「仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだもん」

 キュルケは両手を上げながらそう言った。

「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で焼かれるなら、あたしの家系は本望なのよ。あなたが一番ご存知でしょう?」

 キュルケはそう言いながら今度は両手をすくめた。金木は何の事を言っているのか分からなかったが、ルイズの方は心当たりがあるらしい。彼女の手がわなわなと震えていたからだ。

「来なさい、カネキ」

 ルイズは金木をじろりと睨んだ。

「ねえルイズ。彼は確かにあなたの使い魔かもしれないけど、意思だってあるのよ。そこを尊重してあげないと」

「い、いいえ。僕は今日は帰ります」

 金木はキュルケの助け舟を蹴ると、さささとルイズの方に歩いて行く。

「あら。お戻りになるの?」

 キュルケは悲しそうに金木を見つめた。キラキラとした瞳が、悲しそうに潤む。

 しかしそれも彼女のお得意の手なのだろう。金木はごめんね、と頭を下げると、ルイズに手を握られて部屋を出る。

 そんな金木に、キュルケは「またいらしてね」と言いながらひらひらと手を振った。

 

 

 

 部屋に戻ったルイズは、慎重に内鍵をかけると、金木に向き直った。

 唇をぎゅっと噛み締めると、両目が吊り上がる。

「まるで盛りのついた野良犬じゃないのー!!」

 声が震えている。どうやらルイズは、怒りが頂点に達すると声が震えるらしい。

 ルイズは顎をしゃくった。

「ど、どうしたの?」

「そこに這いつくばりなさい。わたし、間違ってたわ。あんたを一応、人間扱いしてたみたいね」

「え、あれで?」

 それはどう見ても嘘だろうと思った。今まで金木は、ルイズは自分の事をペットか何かと勘違いしているんじゃないかと思っていたのだ。

「ツェルプストーの女に尻尾を振るなんてー! 白犬-!」

「どうして白犬!? 髪の毛が白いから!?」

「そうよ!」

「そんな安直な……」 

 金木が呆れると、ルイズは机の引き出しから何を取り出した。乗馬用の鞭だ。

 ルイズはその鞭で床を叩きながら、

「ののの、野良犬なら、野良犬らしく扱わなくちゃね。いいい、今まで甘かったわ」

「どうして鞭なんて持ってるんだよ……」

 金木はルイズが持った見事な鞭を眺めた。立派な革製の鞭である。まぁ、これでは自分を傷つけられないだろうが。

「乗馬用の鞭だから、あんたにゃ上等ね。あんたは、野良犬だもんね!」

「野良犬ですか……」

 ルイズがそれで金木を叩こうとするが、金木は素早い動きで鞭をかわす。必死に自分に迫ってくる鞭をかわしながら、金木はルイズに言った。

「それにしても、どうしてルイズちゃんはキュルケちゃんの事を目の敵にするの?」

 するとルイズはキュルケの表情を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような表情になる。そして鞭を振るう手を止めると、その理由を話し始めた。

「まずね、キュルケはトリステインの人間じゃないの。隣国ゲルマニアの貴族よ。それだけでも許せないの。わたしはゲルマニアが大嫌いなの」

「えっと、それで?」

「わたしの実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。だから戦争になるといっつも先頭切ってゲルマニアと戦ってきたの。そして国境の向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ!」

 ルイズは歯軋りしながら叫んだ。

「つまり、あのキュルケの家系は……。フォン・ツェルプストー家は、ヴァリエールの領地を治める貴族にとって不倶戴天の敵なのよ。実家の領地は国境挟んで隣同士! 寮では隣の部屋! 許せない!」

「そう言えば、恋する家系とも言ってたね」

「ただの色ボケの家系よ! キュルケのひいひいひいおじさんのツェルプストーは、わたしのひいひいひいおじさんの恋人を奪ったのよ! 今から二百年前に!」

「大分昔だね……」

「それから、あのツェルプストーの一族は、散々ヴァリエールの名を辱めたわ! ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに、婚約者を奪われたの」

「へえ」

「ひいおじいさんのサフラン・ド・ヴァリエールなんかね! 奥さんを取られたのよ! あの女のひいおじいさんのマクシミリ・フォン・ツェルプストーに! いや、弟のデゥーディッセ男爵だったかしら……」

「つまり、ルイズちゃんの家系はあのキュルケちゃんの家系に恋人を取られまくったって事?」

「それだけじゃないわ。戦争のたびに殺し合ってるのよ。お互い殺され殺した一族の数は、もう数えきれないわ!」

 そこで一旦言葉を区切ると、水差しからコップに水を注ぎ、一息に飲み干した。

「というわけで、キュルケはダメ。禁止」

「別に僕は彼女の恋人になる気はさらさら無いけど……」

「良い心がけね。その方が賢明よ。あんな奴の恋人なんて、ロクな事にならないに決まってるんだから!」

 ルイズはそう憎々しげに吐き捨てた。どうやら彼女とキュルケの因縁は、自分の想像以上に深いらしい。

 それからルイズは何かを思い出したように手をパンと打つと、金木に向かって言った。

「そうだ、カネキ。明日は街に買い物に行くわよ」

 その言葉に、金木は思わず目を丸くしてルイズを見つめた。

「え、どうして?」

 すると、ルイズは照れくさそうにそっぽを向きながら、

「……決闘の後、ギーシュがわたしに謝ってきたのよ。何の事か聞いてみたら、あんたあいつがわたしを侮辱した事に怒って決闘を引き受けたんですって? ……勝手な事をしたのには許せないけど、使い魔の忠誠心に答えるのも主人の役目よ。明日の買い物はそのご褒美みたいなものね。安心しなさい、剣ぐらいは買ってあげるわ」

「あ、ありがとう……。でも明日の授業はどうするの?」

「それも大丈夫よ。明日は虚無の曜日だから、授業は無いわ。分かったら、早く寝なさい」

 どうやらこちらの世界でも曜日によって休みの日が決まっているらしい。ルイズがもぞもぞとベッドに潜り込むのを見ながら、課役も早く寝るために床に寝転がって毛布に包まる。

 それから、ベッドでこんもりしている塊を見てから、ふと思う。

 自分が今ここにいるのは、自分を召喚したルイズを護るためだ。だが、自分は喰種だ。本当に彼女の事を想うのならば、その本能が彼女や周りの人達に向かう前に早くここから立ち去らなければならない。

 それなのにここにいるのは、彼女を護るという目的を果たす事であんていくを守れなかったという事実から目を逸らすためかもしれない。

 何をしようとも、自分が芳村達を護れなかったという事実は変わらないのに。

「………」

 金木はギリ……と奥歯を噛み締めると、ゆっくりと目を閉じて眠りについた。

  




ある人からのメッセージで思ったのですが、赫子ってガンダールヴに武器として認められるんですかね? 一応武器と言えば武器ですが、そうなると喋る剣無しでもいざとなればガンダールヴになれますし……。でも捕食器官という見方もあるので、結構微妙なラインというのが自分の個人的な考えなのですが……。

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