ミスタ・コルベールはトリステイン魔法学院に奉職して二十年、中堅の教師だ。彼の二つ名は『炎蛇のコルベール』である。その名が示す通り、火系統の魔法を得意とするメイジである。
彼は先日の春の使い魔召喚の際に、ルイズが呼び出した平民の青年の事が気にかかっていた。正確に言うと、青年の左手に現れたルーンの事が気になって仕方ないのである。それで、先日の夜から図書館にこもりっきりで書物を調べていたのだ。
トリステイン魔法学院の図書館は、食堂のある本塔の中にある。本棚は驚くほどに大きい。約三十メイルほどの高さの本棚が、壁際に並んでいる様は壮観である。それもそのはずで、ここには始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の歴史が詰め込まれているのだ。
彼が現在いるのは図書館の中の一区画、教師の身が閲覧を許された『フェニアのライブラリー』の中だ。
生徒達も自由に閲覧できる一般の本棚には、彼の満足いく回答は見つからなかったのである。
レビテーションという空中浮遊の呪文を使い、手の届かない書棚まで浮かんで彼は一心不乱に本を探っていた。
そしてついに、その努力が報われる時が来た。彼は一冊の本の記述に目を留めた。
それは始祖ブリミルが使用した使い魔達が記述された古書だ。その中に記された一節に彼は目を奪われていた。じっくりとその部分を読みふけるうちに、彼の目が見開かれる。古書の一節と、少年の左手に現れたルーンのスケッチを見比べる。
彼はあっと声にならない呻きを上げた。そのせいで一瞬レビテーションのための集中が途切れ、床に落ちそうになる。彼は本を抱えると、慌てて床に下りて走り出した。
彼が向かった先は、学院長室だった。
「オールド・オスマン!」
図書室から慌てて走ってきたコルベールは、学院長室に通じる扉を勢いよく開けて部屋に飛び込んだ。
「なんじゃね?」
中にいたオスマン氏は腕を後ろに組んで重々しく闖入者を迎え入れた。部屋の隅に置かれている机には、秘書のミス・ロングビルが机に座って書き物をしている。
実はついさっきまでオスマンが使い魔のネズミ、モートソグニルを使ってロングビルの下着を覗き見るというセクハラ間違いなしの行為を行い、それが理由でオスマンがロングビルに蹴りまわされていたのだが、二人は素早く定位置に収まりそんな事があった事などコルベールに微塵も悟らせなかった。とんでもない早業である。
「たた、大変です!」
「大変な事などあるものか。全ては小事じゃ」
「ここ、これを見てください!」
コルベールはオスマンに先ほど読んでいた書物を手渡した。
「これは『始祖ブリミルの使い魔達』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるのなら、たるんだ貴族達から学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……なんだっけ?」
「コルベールです! お忘れですか!」
「そうそう。そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君。この書物がどうかしたのかね?」
「これも見てください!」
コルベールは金木の左手に現れたルーンのスケッチを手渡した。
それを見た瞬間、オスマンの表情が変わる。目が光り、厳しい色になった。
「ミス・ロングビル。席を外しなさい」
するとロングビルは言われた通り立ち上がり、部屋を出ていった。彼女の退室を見届け、オスマンが口を開く。
「詳しく説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」
教室を出て、ルイズがいる食堂に向かっていた金木は、ふとある事に気付いた。
「そう言えば、こっちに来てからあまりお腹減らないな……」
こっちに来る直前、自分は有馬に殺されかけていた。今ではその際に受けた傷も元通り治っていたが、普通なら飢餓状態に陥っていてもおかしくない。実際、有馬と戦う前はある捜査官から重傷を受けたせいで腹が減って減っておかしくなりそうな状態だったのだ。そんな状況になっていてもまったくおかしくない時に召喚されたというのに、まったく空腹感を覚えてないというのは少しおかしな話だった。
そして金木は、ある事を思いだした。
(……そう言えば、ヒデはどうなったんだろう)
有馬と戦う前、極限の飢餓状態で出会ったのは、小学校時代からの金木の親友である
だが金木は、今永近が何をしているか知らない。あの時は飢餓状態で我を失っていたし、気が付くと彼の姿はどこかに消えていたからだ。
(……そう言えばあいつ、僕が喰種だって事を知ってたような事言ってたな……)
まぁ知っていてもおかしくないな、と金木は心の中で思う。彼は昔から勘が良い一面があったし、金木の大学の先輩である
だから、彼が自分の事を知っていても不思議ではない。
(どこで何してるかは分からないけど、無事だと良いな……)
あの時彼は、自分の正体を親友に知られる恐怖に陥っていた金木に苦笑しながら言ってくれた。
『知ってた! …ンな事良いからさっさと帰ろーぜっ』
あの言葉を信じるならば、きっと彼はもっと以前に自分の正体を知っていたのだろう。
彼に自分が喰種になってしまったと知られていたのはショックだが、今ではそれ以上に嬉しいと思う。
何故なら彼は金木が喰種だという事を知っていてなお、自分の事を親友だと思っていてくれたからだ。もしかしたらあの場にCCGの装備を身に纏って現れたのも、突然自分の前から姿を消した金木の手掛かりを探すためにCCGに入ったからかもしれない。
(……ヒデに、会いたいな……)
親友の事を思い出すと、この世界に来て初めて元の世界に対する愛着というものが湧いてきた。切なそうに目を細めながら、真っ青な青空を見上げる。
しかし親友の事を思いだした金木は、その直前にあった事すらも思い出そうとしていた。その時に自分に重傷を負わせた一人の捜査官の事を思いだして、金木の背中を寒気が襲う。
(そう言えば、あの人は……!)
「カネキさん?」
ばっ! と金木は勢いよく振り返った。すると自分の背後に、今朝自分を洗い場まで案内してくれたメイド、シエスタが立っているのが彼の目に入った。
一方、急に金木が振り返った事に驚いたのか、シエスタは目を丸くして言う。
「ど、どうしたんですかカネキさん? それに、その眼帯は……」
彼女の目は自分の左目の眼帯に向けられていた。ああ、と金木はようやく我を取り戻すと苦笑を浮かべながら、
「驚かせてごめんね。ちょっと考え事をしてたから……。この眼帯は、医務室の先生に頼んでもらったんだよ」
「ああ。だから今朝医務室の場所を聞いてきたんですね」
金木の言葉を聞いて、ほっとシエスタは安心したような息をついてから言った。それから不思議そうな表情を浮かべて、
「でも、カネキさん目に怪我なんかしてましたっけ?」
「う、うん。ちょっと病気があってね。今朝は眼帯をしてなかったけど、いつもはしてるんだよ」
顎を擦りながら金木が言うと、それでシエスタは「そうだったんですか……」と納得してくれたようだ。それから眼帯に関する話題を逸らすように、金木が慌てた口調で言う。
「そ、そうだシエスタちゃん! 僕に何か手伝えることはない? ほら、君に今朝洗い場まで案内してもらったし、そのお礼がしたくて……」
「ええ? でも、悪いですし……」
「大丈夫。僕にできる事なら、何でもするからさ」
するとシエスタは可愛らしく顎に指を当ててうーんと言いながら、
「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」
「うん、任せて」
そう言うと金木は、シエスタと一緒に食堂へと向かった。
大きな銀のトレイに、デザートのケーキが並んでいる。金木がそのトレイを持ち、シエスタがはさみでケーキをつまんで一つずつ貴族達に配っていく。
すると、金髪の巻き髪にフリルの付いたシャツを着た気障なメイジがいるのが金木の目に入った。薔薇をシャツのポケットに挿している。周りの友人たちが、口々に彼を冷やかしていた。
「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!」
「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」
気障なメイジはどうやらギーシュと言うらしい。彼はすっと唇の前に指を立てると、
「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」
(……この人、ウタさんと声が似てるなぁ。性格はどっちかって言うと月山さんに似てるけど……)
自分のマスクを作ってくれた喰種と、自分の剣になり一緒に戦ってくれた青年の事を思い出しながら、金木はそう思った。とは言っても、物腰や言い回しなどは月山の方が数段上だったが。
その時、ギーシュのポケットから何かが落ちた。ガラスでできた小瓶である。中には紫色の液体が揺れていた。
金木はしゃがみ込んで小瓶を拾うと、ギーシュに言った。
「あの、落としたよ」
だがギーシュは振り向かなかった。どうやら聞こえていて無視しているらしい。
仕方ない、と金木は思うとシエスタにトレイを持ってもらい、小瓶をテーブルの上に置きながら少し大きめの声で言う。
「小瓶、落としたよ!」
その金木の声に、ギーシュは苦々しげに金木を見つめると、その小瓶を押しやった。
「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」
「そんなわけないでしょ。君のポケットから落ちたんだから……」
するとその小瓶の出所に気付いたギーシュの友人達が、大声で騒ぎ始める。
「おお? その香水はもしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」
「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」
「そいつがギーシュ、お前のポケットから落ちてきたって事は、つまりお前は今モンモランシーと付き合っている。そうだな?」
友人達の指摘に、ギーシュは首を振りながら、
「違う。良いかい? 彼女達の名誉のために言っておくが……」
ギーシュが何か言いかけた時、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がり、ギーシュの席に向かって歩いてきた。
栗色の髪をした、可愛い少女だった。着ているマントの色から、きっと一年生なのだろう。
「ギーシュ様……」
そう呟くと、少女はボロボロと泣き始めた。
「やはり、ミス・モンモランシーと……」
「彼らは誤解しているんだ。ケティ。良いかい、僕の心の中に住んでいるのは君だけ……」
しかしケティと呼ばれた少女は、思いっきりギーシュの頬を引っぱたいた。パシーン! という小気味良い音が食堂内に響き渡る。
「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」
ギーシュは頬をさすった。すると今度は遠くの席から、一人の見事な巻き髪の少女が立ち上がった。金木はその少女に見覚えがあった。金木がこの世界に召喚された時に、ルイズと口論していた少女である。
いかめしい顔つきで、ギーシュの席までやってくる。
「モンモランシー。誤解だ。彼女とはただ一緒に、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」
あまりに下手な言い訳である。その証拠に、彼は冷静な態度を装っていたが、冷や汗が一滴額を伝っていた。
「やっぱり、あの一年生に手を出していたのね?」
「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」
いや、元凶は君……と金木が思った直後、モンモランシーはテーブルに置かれたワインの瓶を掴むと中身をどぼどぼとギーシュの頭の上からかけた。まさに見事な修羅場である。
そして、
「嘘つき!」
と怒鳴って去って行った。
沈黙の中、ギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。そして首を振りながら芝居がかかった仕草で言う。
「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」
それに金木は呆れたような表情をしてから、シエスタから銀のトレイを受け取って再び歩き出す。
そんな金木を、ギーシュが呼び止めた。
「待ちたまえ、そこの白髪の君」
「え、何?」
金木が振り返ると、ギーシュは椅子の上で体を回転させると、すさっ! と足を組んだ。
「君が軽率に、香水の瓶なんかを拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」
その言葉に、金木は呆れかえりながら答えた。
「いや、君が二股をかけてるのがそもそもの原因だろ……」
すると、ギーシュの友人達がどっと笑った。
「その通りだギーシュ! お前が悪い!」
周りの友人達の笑い声で、ギーシュの顔にさっと赤みが差した。
「良いかい? 給仕君。僕は君が香水の瓶をテーブルに置いた時、知らないフリをしたじゃないか。話を合わせるぐらいの機転があっても良いだろう?」
「知らないよそんなの。それに、自分の二股の責任を僕のせいにされても困る」
さらに友人達の笑い声が大きくなり、ギーシュの顔がさらに赤みを増す。
そしてその直後、ギーシュは何かに気付いたような表情を浮かべた。
「そう言えば、その白髪……。ああ、君は確かあのゼロのルイズが呼び出した平民だったな」
どうやら金木がルイズの使い魔である事に初めて気づいたらしい。調子に乗ったギーシュは、笑みを浮かべて続ける。
「さすがはゼロのルイズの使い魔だ! 主人が出来損ないであれば、使い魔も出来損ないというわけだ!」
――――その言葉で、金木の表情が変わった。
温厚そうな顔が鋭さを持ち、目が冷たい輝きを帯びる。金木はギーシュの方に振り返ると、いつもよりも低い声で問いかける。
「……どういう意味?」
「そのままの意味さ。出来損ないのゼロのルイズが召喚したなら、その使い魔も出来損ないというわけだ。そんな使い魔に貴族の機転を期待した僕が間違っていたよ。どこへなりとも行きたまえ」
すると金木はふんと相手を馬鹿にするように鼻を鳴らして、
「君が貴族? 寝言は寝て言えよ」
「な、何だと!?」
「か、カネキさん!」
金木の言葉にギーシュが憤り、顔を青くしたシエスタが金木を制止しようとしたが、シエスタは金木の表情を見て思わず後ずさりした。
今の金木は、先ほど自分と一緒にいた青年と同一人物とは思えないほど、冷たく鋭い顔つきになっていた。
「二股がばれれば僕に責任を押し付けて、しかも何の関係もないルイズちゃんを馬鹿にする。君のような人間を何て言うか知ってる? 世間知らずの馬鹿って言うんだよ」
その言葉でギーシュの顔が怒りで震え、目が光る。
「どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだね……!」
「あいにく、そんなの何の価値もない世界から来たからね」
二人はしばらくお互い睨み合っていたが、やがてギーシュの方が先に口を開いた。
「良かろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうど良い腹ごなしだ」
「僕は構わないよ」
そう言いながら金木は、折り曲げた右手の人差し指を親指で押してバキリ、と音を出した。
ギーシュはくるりと体を翻すと、金木に言う。
「ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終えたら、来たまえ」
ギーシュの友人達がわくわくした顔で立ち去り、ギーシュの後を追った。
一人はテーブルに残っている。恐らく金木を逃がさないための見張りのようなものだろう。
金木は鋭い表情を消すと、後ろのシエスタに振り返った。彼女はぶるぶる震えながら、金木を見つめていた。
「あ、あなた殺されちゃう……」
「え?」
「貴族を本気で怒らせたら……」
そう言うとシエスタは、走って逃げて行ってしまった。
金木がきょとんとして彼女の後ろ姿を見ていると、そんな彼に先に食堂についていたルイズが駆け寄ってくる。
「あんた! 何してたのよ! 見てたわよ!」
「あ、ルイズちゃん。遅れてごめんね」
「遅れてごめんね、じゃないわよ! 何勝手に決闘なんか約束してんのよ!」
「だって、悪いのは彼だよ? それなのにあんな事言うから……」
金木が苦々しい表情を浮かべると、ルイズはため息をついてやれやれと肩をすくめた。
「謝っちゃいなさいよ」
「どうして?」
「怪我したくなかったら、謝ってきなさい。今なら許してくれるかもしれないわ」
「でも、先に因縁をつけてきたのは……」
「良いから」
そう言いかけると、ルイズが強い調子で遮った。彼女の鳶色の瞳が、金木の顔をじっと見つめている。
「……嫌だ」
「分からずやね……。あのね? 絶対に勝てないし、あんたは怪我するわ。いや、怪我で済んだら運が良いわよ!」
「やってみないと分からないと思うけど」
「聞いて? メイジに平民は絶対に勝てないの!」
「(……ただの人間の平民、だったらね)」
金木はルイズに聞こえないようにぼそりと呟くと、ルイズと金木のやり取りを見ていたギーシュの友人の一人に尋ねる。
「ヴェストリの広場ってどこ?」
そう言われると、友人の一人は顎をしゃくった。
「こっちだ。平民」
「ありがとう」
「ああもう! 本当に! 使い魔のくせに勝手な事ばっかりするんだから!」
ルイズは仕方なく、金木の後を追いかけた。
ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある中庭にある。西側にある広場なので、そこは日中でも日があまり差さない。そのため、決闘にはうってつけの場所になっていた。
だが、今は噂を聞き付けた生徒達で広場は溢れかえってた。
「諸君! 決闘だ!」
ギーシュが薔薇の造花を掲げると、うおーっ! と歓声が巻き起こる。
「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの平民だ!」
観衆の声を聞きながら、金木はぐっぐっと腕を動かしたり伸ばすなどの準備体操をする。
ギーシュは腕を振って、歓声にこたえている。それからやっと存在に気付いたという風に、金木の方を向いた。金木も準備体操を終えると、首をゴキゴキと鳴らしながら広場の真ん中に立つ。
「とりあえず、逃げずに来た事は誉めてやろうじゃないか」
「決闘を受けたのは僕なのに、逃げるはずがないだろ」
「ふっ、それもそうだな。では、始めるか」
ギーシュが言った直後、人混みの中からルイズが飛び出してきた。
「ギーシュ!」
「おおルイズ! 悪いな。君の使い魔をちょっとお借りしているよ!」
ルイズは長い髪を揺らし、よく通る声でギーシュを怒鳴りつけた。
「いい加減にして! 大体、決闘は禁止のはずでしょ!」
「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない」
ギーシュのその理屈に、ルイズは言葉を詰まらせた。
「そ、それは、そんな事今まで無かったから……」
「ルイズ、君はそこの平民が好きなのかい?」
ルイズの顔が、怒りで赤く染まった。
「誰がよ! やめてよね! 自分の使い魔が、みすみす怪我するのを黙って見ていられるわけないじゃない!」
そう言うとルイズの怒りの矛先が、今度はギーシュから金木に変わった。
「カネキ! あんたもこんな馬鹿げた事やめなさい!」
「あ、今初めて僕の名前を呼んだね」
「今はどうでも良いでしょそんな事!? 大体あんた平民だし、片目も塞がってるんでしょ!? それなのにメイジと戦えるはずがないじゃない!」
どうやら彼女は今でも金木の下手な言い訳を信じてくれているらしい。金木はにっこりと笑い、
「心配してくれてありがとう、ルイズちゃん」
「し、心配なんてしてないわよ! それより、早く謝りなさい! 今ならまだ間に合うかもしれないわよ!」
「……ごめん。それだけはできない」
「どうして!?」
ルイズが叫ぶと、金木は先ほど食堂でシエスタに見せたような鋭い表情を浮かべ、
「別に僕が馬鹿にされるのは良い。……だけど、彼は何の関係もない君まで馬鹿にした。君が失敗ばかりだっていう理由だけで。そんなくだらない事で、君が傷つけられる理由なんてない。そんなの間違ってる。……それを、分からせなくちゃならないんだ」
言いながら、金木はぐっと拳を握りしめた。思いがけない金木のその言葉に、ルイズは何も言えなくなってしまった。
一方、ギーシュはふふんと笑いながら、
「中々素晴らしい主人愛だね。だけど、決闘は決闘だ。手加減なしでいかせてもらうよ」
言いながら薔薇の花を振るうと、花弁が一枚宙に舞う。
するとその花弁は、甲冑を着た女戦士の形をした人形になった。
身長は大体人間と同じぐらい。どうやら金属製のようであり、淡い陽光を受けてその肌――――甲冑がきらめく。
しかしそれが金木の前に立ちふさがっても、金木の表情は変わらない。
「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね」
「………」
「どうやら、恐怖で声も出ないようだね。ああ、言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手……」
ギーシュが自慢げに言おうとした瞬間だった。
ドゴン!! という轟音が響き、ワルキューレと名付けられたゴーレムが凄まじい勢いで吹き飛んだ。
吹き飛んだゴーレムは地面に直撃した直後跳ねて、直撃した直後跳ねてといった事を繰り返し、そのたびにドガン!! バガン!! という音が連続して鳴り響く。最終的にワルキューレは学院の外壁にぶつかり、ばらばらになった。
目の前で起こった現象に、観客、ルイズ、ギーシュはぽかーんと馬鹿みたいに口を開けてその光景を見つめていた。
唯一時間が止まったような空間の中で動いているのは、足を動かしている金木だけだった。彼はつまらなさそうな表情をしながら、ばらばらになったワルキューレの残骸を見つめて呟く。
「……脆いな」
その一言でようやくギーシュは我に返ると、金木に叫んだ。
「な、何をした!? 一体何をしたんだ平民!」
「……別に。ただ単純に、
そう。
金木がした事は、単純にワルキューレに接近して思いっきり蹴り飛ばしただけだ。
聞いてみれば、単純明快。だが、ただの蹴りで金属でできたゴーレムが吹き飛ぶはずもない。人間を遥かに超える筋力を持つ半喰種の金木だからこそ、できる芸当だ。
そしてここにきて、ようやくギーシュは目の前の人間がただの平民ではない事を知った。
「ワ、ワルキューレ!!」」
叫びながら、ギーシュは慌てて薔薇を振るう。花弁が舞い、新たなゴーレムが六体現れた。
全部で七体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。一体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたからだ。しかも今度は全てのゴーレムが剣や槍などの武器を持ち、完全に武装している。六体のゴーレムはすぐに金木を取り囲むと、いつでも攻撃できる態勢に入る。
だが、金木の表情に動揺はまったくない。それどころか、凶悪な笑みを浮かべるとこう呟いた。
「……うん。邪魔だな」
そして、バキリ! と折り曲げた人差し指を親指で押して鳴らす。
その音を合図にするかのように、ゴーレムが一気に襲いかかる。しかし金木が後ろにいたワルキューレを蹴り飛ばすと、ワルキューレが握っていた剣がその手から離れてくるくると宙を舞う。
金木はすっと右手を真上に伸ばすと、落ちてきた剣をしっかりとその手に掴む。
その時、金木の左手に刻まれたルーン文字が光り出した。
決闘が始まる、少し前。
学院長室で、コルベールは泡を飛ばしてオスマンに説明をしていた。
春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の青年を召喚してしまった事。
ルイズがその青年と契約した証明として現れたルーン文字が、気になった事。
それを調べていたら……。
「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」
オスマンはコルベールが描いた金木の手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめながら、コルベールに尋ねる。コルベールはぶんぶんと首を勢いよく縦に振りながら、
「そうです! あの青年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じであります!」
「で、君の結論は?」
「あの少年は、『ガンダールヴ』です! これが大事じゃなくて、なんなんですか! オールド・オスマン!」
コルベールは、禿げあがった頭をハンカチで拭いながらまくしたてた。
「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。ルーンが同じという事は、ただの平民だったその青年は『ガンダールヴ』になった、という事になるんじゃろうな」
「どうしましょう」
「しかし、それだけで、そう決めつけるのは早計かもしれん」
「それもそうですな」
オスマンは、悩むようにコツコツと机を叩く。
するとその時、ドアがノックされた。
「誰じゃ?」
扉の向こうから、秘書であるロングビルの声が聞こえてくる。
「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒達に邪魔されて止められないようです」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
「あのグラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女の子の取り合いじゃろう。で、相手は誰じゃ?」
「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の青年のようです」
ロングビルの報告に、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。
「教師達は決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」
オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。
「アホか。たかが子供の喧嘩に、秘法を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」
「分かりました」
そう言った直後、ロングビルが去って行く足音が聞こえた。
コルベールは唾を飲みこんで、オスマンを促す。
「オールド・オスマン」
「うむ」
頷いたオスマンが杖を振るうと、壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。
剣を握った瞬間、金木は自分の体に起こった異変に思わず目を見開いて驚いた。突然体が羽のように軽くなり、右手に握った剣が自分の体の延長のようにしっくりと馴染むのだ。剣などこれまでまったくと言って良いほど使った事がないにも関わらず、だ。
ふと自分の左手を見てみると、左手の甲に刻まれたルーンが光っている事に気付いた。もしかして、このルーンの力なのだろうか。
それから周りのゴーレム達に意識を戻すと、それらはゆっくりとした動きで金木に向かって来ていた。どうやらこれもルーンのおかげらしい。
(……考えるのは後で良い。今は、こいつらを潰す)
視線を鋭くして剣を構えると、鋭い動きでゴーレムの包囲網から脱出し戦場を走り回る。
元々CCGの
「な、何だあれ!?」
「人間の動きじゃねえぞ!!」
金木のあまりの速さに、見ていた観客達が驚きと戸惑いの声を上げる。金木は素早い動きでのろのろ動くゴーレム達を見ながら、一気に加速しゴーレムの集団の中に突進する。
刹那。
加速した金木とすれ違った六体のゴーレム全てが金木の持った剣によってバラバラに切り裂かれ、金属音を立てながら地面へと崩れ落ちた。それまで凄まじい速度を叩きだしていた張本人はようやく立ち止まると、自分のゴーレムがあっさりと切り倒されて呆然としているギーシュをギロリと睨む。
「ひっ……!」
一睨みで戦意を挫かれたギーシュは、怯えた声を出して地面に尻餅をついた。金木はギーシュに近づくと、剣の切っ先を彼の目の前に突き付ける。
「まだやる?」
答えは分かっていたが、金木はあえてそう尋ねた。
その問いに、ギーシュはふるふると首を横に振りながら震えた声で言う。
「ま、参った」
その声に金木はさっきまでの恐ろしげな表情とはうって変わってにっこりと笑顔になると、青銅でできた剣をギーシュの右横の地面に突き刺した。
「もう、二股なんかしちゃダメだよ。あと、酷い事を言ったんだからルイズちゃんに後で謝っておいてね」
そう言うと、金木はくるりとギーシュに背を向けて歩き出した。
あの平民、やるじゃないか! とか、ギーシュが負けたぞ! とか、見物していた連中からの歓声が届く。
しかしそんな歓声など、金木にとっては何の価値もない。彼が観衆の中の一人に視線を向けると、その人物は自分の方に向かって走ってきている所だった。
「カネキ!」
その人物――――ルイズは金木に駆け寄ってくると、金木の顔をまじまじと見つめながら、
「ど、どうやら怪我とかはしてないみたいね。少し安心したわ……、………ねぇ、カネキ」
一旦言葉を区切ると、ルイズはこんな事を尋ねた。
「あんた一体何者なの? 本当に平民?」
すると金木は前にも見せた優しげな笑みをルイズに向けながら、こう返す。
「僕はルイズちゃんの使い魔の、金木研だよ」
そう答えると、金木は学院へと戻っていく。その後ろ姿を見ながら、ルイズは金木の事を考えていた。
今までは弱そうな平民だと思っていたのに、さっきの決闘ではギーシュのワルキューレ達を圧倒的な強さで叩き伏せていた。しかも、片目が眼帯で塞がっているという状況でだ。
その上、今の金木の様子は貴族との決闘を終えた後のものとは思えない。もしかしたら、さっき彼が見せた実力は彼の本気では無かったのかもしれない。
(……もしかして……)
さっきの彼の戦いぶりを思い出して高鳴る鼓動を手で抑えながら、ルイズは思う。
(もしかしてわたし、すごい奴を召喚したのかも………)
オスマンとコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。
コルベールは震えながらオスマンの名前を呼ぶ。
「オールド・オスマン」
「うむ」
「あの平民、勝ってしまいましたな……」
「うむ」
「ギーシュは一番レベルの低いドットメイジですが、それでもただの平民に後れをとるとは思えません。そしてあの動き! あんな平民見た事ない! やはり彼はガンダールヴ!」
「うむむ……」
コルベールは、オスマンを促した。
「オールド・オスマン。さっそく王室に報告して、指示を仰がない事には……」
「それには及ばん」
オスマンはそう言いながら、重々しく頷いた。白いひげが、厳しく揺れる。
「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇ったガンダールヴ!」
「ミスタ・コルベール。ガンダールヴはただの使い魔ではない」
「その通りです。始祖ブリミルの用いたガンダールヴ。その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱の時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」
「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった。その強力な呪文ゆえに、な。知っての通り、詠唱時間中のメイジは無力じゃ。その無力な間、己の体を護るために始祖ブリミルが用いた使い魔がガンダールヴ。その強さは……」
オスマンの台詞を、コルベールが興奮した調子で引き取った。
「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジではまったく歯が立たなかったとか!」
「で、ミスタ・コルベール」
「はい」
「その青年は、本当にただの人間だったのかね?」」
「はい。どこからどう見ても、ただの平民の青年でした。ミス・ヴァリエールが呼び出した際に、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが、正真正銘ただの平民の青年でした」
「あれを見てただの青年とは、お主も鈍いのう……」
「はっ?」
ため息とともに離れたオスマンの呟きに、コルベールは思わず間抜けな声を出した。オスマンはさっきの決闘を思い出しながら、
「あの青年は、青銅のゴーレムを蹴り飛ばしたじゃろう?」
「はい。しかしあれも、ガンダールヴの力では……」
「彼があの異常なまでの速度を叩きだしたのは、武器を持った後じゃ。そしてゴーレムを蹴り飛ばしたのは武器を持つ前。
あっ、とコルベールは思わず声を出した。確かにその通りだ。青銅は硬度と強度では鉄に劣るが、それでもれっきとした金属である。蹴り飛ばそうものなら、人間の足の方が折れてしまう。
だがあの青年は、青銅のゴーレムを蹴り飛ばしたというのにけろりとしている。魔法を使ったというのならば話は別だが、彼からは魔力が感じられなかったのでメイジではない。
それが意味するのはどういう事かは、コルベールにも分かった。ゴーレムを蹴り飛ばしたのは魔法でもなんでもなく、青年自身の膂力だったのだ。だが、それほどの膂力を持つ人間などコルベールは今まで見た事が無い。
コルベールはさっきまで見ていた白髪と眼帯が特徴的な青年を思い出しながら、ごくりと唾を飲みこんでオスマンに問いかける。
「では……オールド・オスマンは彼がただの平民ではないと?」
「断定できないが、可能性は高いじゃろうな。さて、話がそれてしまったが、その青年を現代のガンダールヴにしたのは誰なんじゃね?」
「ミス・ヴァリエールです」
「彼女は優秀なメイジなのかね?」
「いえ、というか、むしろ無能というか……」
結構酷い言い方だが、それが教師の間での彼女の評価なのでそれ以外に言いようがない。
「さて、今はその二つが謎じゃ」
「ですね」
「無能なメイジと契約した青年が、何故『ガンダールヴ』になったのか。まったく、謎じゃ。理由が見えん」
「そうですね……」
「とにかく、王室のボンクラ共にガンダールヴとその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」
「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」
「この件は私が預かる。他言は無用じゃぞ、ミスタ・コルベール」
「は、はい! かしこまりました!」
オスマンは杖を握ると窓際へ向かった。そして遠い歴史の彼方へと、想いを馳せる。
「伝説の使い魔ガンダールヴか……。一体、どのような姿をしておったのだろうなあ」
コルベールは学院長の背中を見ながら、夢見るように呟く。
「ガンダールヴはあらゆる武器を使いこなし、敵と対峙したとありますか……」
「ふむ」
「とりあえず、腕と手はあったんでしょうなぁ」
実はここでギーシュへの脅しに「半殺し」の内容を書こうと思っていたのですが、さすがにまだ序盤でそれはエグすぎると思い、やめました。展開がもう少し進んだ後に書きたい思います。