異世界喰種   作:白い鴉

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アルビオン編、クライマックス直前の十三話です。


第十三話 激闘

 翌朝、鍾乳洞に作られた港の中、ニューカッスルから疎開する人々に混じって、金木はイーグル号に乗り込むために列に並んでいた。先日拿捕したマリー・ガラント号にも脱出する人々が乗り込んでいる。

「………」

「これからどうするんだ? 相棒」

 沈んだ表情を浮かべている金木に、デルフが声をかけた。

「……とりあえず、しばらくは元の世界に戻る方法を探そうと思う。だけど、そうするためには今の僕には足りないものが多すぎる。だからこれからどうすれば良いのかは、正直言って僕もよく分からないよ………」

 要するに、まだ何も考えていないという事だった。しかしそれも無理のない事だろう。昨日まではまさかこんな事になるとは微塵も思っていなかったのである。そんな金木にこの広いハルケギニアで元の世界に戻る方法を探せというのは、いくらなんでも無茶苦茶な話だ。

「ならば傭兵でもやるかね」

「傭兵?」

「そうさ。剣一本、肩に担いで今日はこっちの戦場、明日はあっちの戦場と諸国を渡り歩くのさ。あちこち歩いてりゃ元の世界に帰る方法が分かるかもしれねえだろ? 実入りも悪くねえし、暴れるのは楽しいぜ?」

「……確かに、それも手段の一つではあるかもしれないね」

「だろ? それに、傭兵なら文字通り()()()()()()()()だろ? 相棒にとっては、まさに天職じゃねえか」

 金具を鳴らして愉快気に笑うデルフだが、金木の表情は笑っていない。ただ先ほどよりもさらに元気が無くなっているような気がする。それを悟ったデルフは笑うのをやめると、申し訳なさそうな口調で金木に言った。

「……すまねえ。冗談にしてはタチが悪すぎたな」

「いや、良いよ。気にしてないから」

 あはは……と顎をこすりながら金木が言うと、二人の間に沈黙が流れた。しばらく二人は何も言わずに黙っていたが、やがてデルフが唐突に口を開いた。

「ところで相棒、この前ちょっと思い出した事なんだが……」

「何?」

「相棒、『ガンダールヴ』とか呼ばれてたよな?」

「うん。伝説の使い魔だってね。それがどうしたの?」

「ああ、その名前なんだが……どうもこの前から頭の隅に引っかかってるんだ。何か思い出せそうな気もするんだが、随分昔の事なんでな………なかなか思い出せねぇ……」

 デルフはふむ、とかああ、とか何度も呟いた。

 そんな事をしている内に、艦に乗り込む順番がようやく金木に回ってきた。タラップをのぼると、そこはさすが難民船でだけあってぎゅうぎゅうに人が詰め込まれていた。これでは甲板に座り込む事もできないだろう。

 金木は舷縁に乗り出して、鍾乳洞を眺めた。今頃ルイズは、結婚式の真っ最中だろう。結婚相手のワルドに関しては、やや怪しい雰囲気がしないでもなかったが……それも自分の気のせいだろう、と金木は結論付けた。

 それが、大きな間違いであることに気づきもしないで。

 

 

 

 その頃、始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂でウェールズ皇太子は新郎と神父の登場を待っていた。周りに他の人間は一人もいない。皆、戦の準備で忙しいのであった。ウェールズも、すぐに式を終わらせて戦の準備に駆けつけるつもりである。

 ウェールズは皇太子の礼装に身を包んでいた。明るい紫のマントは王族の象徴、そしてかぶった帽子はアルビオン王家の象徴である七色の羽がついている。

 扉が開き、ルイズとワルドが現れた。ルイズは何故か呆然と突っ立っている。ワルドに促され、ウェールズの前に歩み寄った。

 ルイズは戸惑っていた。今朝方早く、いきなりワルドに起こされてここまで連れてこられたのだ。

 戸惑いはしたが、ルイズは言われるがままに、半分眠ったような頭でここまでやってきた。昨日の金木との別れで気分が激しく落ち込んでいた上に、頭がこの状況を理解できていないせいだ。

 ワルドはそんなルイズに「今から結婚式をするんだ」と言って、アルビオン王家から借り受けた新婦の冠をルイズの頭にのせた。新婦の冠は魔法の力で永久に枯れぬ花があしらわれ、なんとも美しく、清楚な作りをしていた。

 そしてワルドはルイズの黒いマントを外し、やはりアルビオン王家から借り受けた純白のマントをまとわせた。新婦しか身に着ける事を許されない乙女のマントである。

 だが、そのようにワルドの手によって着飾られても、ルイズはまったくの無反応だった。ワルドはそんなルイズの様子を、肯定の意思表示と受け取っていた。

 始祖ブリミルの像の前に立ったウェールズの前で、ルイズと並んでワルドは一礼した。ワルドの格好は、いつもの魔法衛士隊の制服である。

「では、式を始める」

 王子の声がルイズの耳に届く。しかしどこか遠くで鳴り響く鐘のように、心もとない響きだった。ルイズの心には、未だ深い霧のような雲がかかったままである。

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とする事を誓いますか」

 ワルドは重々しく頷くと、杖を握った左手を胸の前に置いた。

「誓います」

 ウェールズはにこりと笑って頷き、今度はルイズに視線を移す。

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 朗々と、ウェールズが誓いのための詔を読み上げる。

 今が、結婚式の最中だという事に、ルイズはようやく気付いた。相手は憧れていた頼もしいワルド。二人の父が交わした、結婚の約束。幼い心の中、ぼんやりと想像していた未来。

 ワルドの事は嫌いじゃない。恐らく、好いてもいるのだろう。

 だが、それならばどうしてこんなにせつないのだろ。

 何故、こんなに気持ちが沈むのだろう。

 滅び行く王国を、目にしたから?

 愛する者を捨て、望んで死に向かう王子を目の当たりにしたから?

 違う。悲しい出来事は、心を傷つけはするけれど、このような雲をかからせはしない。

 ルイズは不意に、昨日金木を使い魔から解放した時の事を思い出した。

 あの時の金木の表情を思い出して、ルイズは胸が痛むのを感じた。

 彼がトリステインに来た経緯を聞いて、元いた場所に戻れるようにと決めた判断なのだが……果たして、それは本当に正しい判断だったのだろうか? 

 もしかしてそれは、大きな力を持つ使い魔を自分がもうこれ以上見ないようにするためにした事ではないのだろうか?

 それは、金木の意思を無視した自分のただの我がままではないのだろうか? 

 それを想像した時、ルイズは昨晩の自分の判断が間違っていたかもしれないと初めて思った。

 

 

 

 

 一方、イーグル号の艦上。

 眼帯を掛けているせいで何も見えないはずの金木の左目が、一瞬曇った。

「あれ?」

「どうした? 相棒」

 金木の視界がぼやけた。まるで真夏の陽炎のように、暗闇に閉ざされた左目の視界が揺らいでいく。

「左目がおかしい……」

「疲れてんだよ」

 デルフは、とぼけた声でそう言った。

 

 

 

 

「新婦?」

 ウェールズがこっちを見ている。ルイズは慌てて顔を上げた。

 式は自分の与り知らぬ所で続いている。ルイズは戸惑った。どうすれば良いんだろうか。こんな時は、一体どうすれば良いのだろうか。誰も教えてくれない。自分の判断が間違っていたかを一緒に考えてくれそうな唯一の青年は、今まさにこの地を離れようとしている。

「緊張しているのかい? 仕方がない。初めての時は、ことがなんであれ、緊張するものだからね」

 にっこりと笑って、ウェールズは続けた。

「まぁ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして夫と……」

 そこでようやくルイズは気づいた。誰もこの迷いの答えを、教えてはくれない。

 自分で決めなければならないし、間違っていたならば金木ともう一度話さなくてはならない。

 今からでは遅すぎるかもしれないし、あまりにも身勝手すぎるかもしれない。

 しかし、この迷いの答えは必ず出さなければならない。

 そうでないと、あの青年に二度と顔向けできないし、何よりも自分が目指す真の貴族に二度となれないような気がしたからだ。

 ルイズは深呼吸して、決心した。

 ウェールズの言葉の途中、ルイズは首を横に振った。

「新婦?」

「ルイズ?」

 二人が怪訝な顔で、ルイズの顔を覗き込む。ルイズは、ワルドに正面から向き直った。悲しい表情を浮かべて、再び首を横に振る。

「どうしたね、ルイズ。気分でも悪いのかい?」

「違うの。ごめんなさい……」

「日が悪いなら、改めて……」

「そうじゃない、そうじゃないの。ごめんなさい、ワルド。わたし、あなたとは結婚できない」

 予想もしてなかった展開に、ウェールズは首を傾げた。

「新婦は、この結婚を望まぬのか?」

「その通りでございます。お二方には、大変失礼を致す事になりますが、わたくしはこの結婚を望みません」

 ワルドの顔に、さっと朱が差した。ウェールズは困ったように、首を傾げると残念そうにワルドに告げた。

「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」

 だが、ワルドはウェールズに見向きもせずに、ルイズの手を取った。

「……緊張しているんだ。そうだろルイズ。君が、僕との結婚を拒むわけがない」

「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うわ」

 するとワルドは、今度はルイズの肩を勢い良く掴んだ。その目が吊り上がる。表情がいつもの優しげなものではなく、どこか冷たい、トカゲか何かを連想させるものに変わった。

 熱っぽい口調で、ワルドは叫んだ。

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる! そのために君が必要なんだ!」

 豹変したワルドに怯えながらも、ルイズは再び首を横に振った。

「……わたし、世界なんかいらないもの」

 ワルドは両手を広げると、ルイズに詰め寄った。

「僕には君が必要なんだ! 君の能力が! 君の力が!」

 ワルドの剣幕に、ルイズは恐れをなした。優しかったワルドがこんな表情を浮かべて、叫ぶように話すなど、夢にも思わなかったのだ。ルイズは思わず後じさった。

「ルイズ、いつか言った事を忘れたか! 君は始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジに成長するだろう! 君は自分で気づいていないだけだ! その才能に!」

「ワルド、あなた……」

 ルイズの声が、恐怖で震えた。ルイズの知っているワルドではない。何が彼を、こんな物言いをする人物に変えてしまったのだろうか?

 

 

 イーグル号艦上で、金木は左目の眼帯を取った。

「何だよ相棒」

「ちょっと黙ってて」

 金木がデルフにそう言った直後、その左目が像を結んだ。

「これは……?」

 金木は思わず小さく呟いた。果たしてそれは、誰かの視界だった。

 左目と右目が、別々の物を見ているように金木は感じた。

「もしかして……ルイズちゃんの視界?」

 そこで金木は、いつだかルイズが言っていた事を思い出す。

『使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ』

 だが、ルイズは自分の見ているものがまったく見えないと言っていた。逆の場合もあるという事だろうか?

 しかし、どうして突然ルイズの視界が見えるようになったのだろうか?

 金木は左手を見てみた。そこに刻まれたルーンが、武器を握っているわけではないのに光り輝いていた。恐らく、これも伝説の使い魔『ガンダールヴ』の能力の一つなのだろう。

 金木がしばらくルイズの視界を見ていると、突然その両目が勢い良く見開かれた。そして次の瞬間、勢いよくイーグル号の艦上から飛び降りる。イーグル号に乗っていた人々から驚いた声が聞こえてくるが、金木はそれらを無視して走り出し始めた。

「そういう事だったのか……! くそ、どうして気づかなかったんだ!? ヒントはいくらでもあったはずなのに!!」

「ど、どうしたんだよ相棒! 何が見えたんだ!?」

「話はあと! ルイズちゃん、ウェールズさん……。お願いだ、無事でいてくれ……!!」

 奥歯を強く噛み締めながら、金木はルイズとワルドの結婚式が開かれている礼拝堂へと向かって行った。

 

 

 

 

 ルイズに対するワルドの剣幕を見かねたウェールズが、間に入ってとりなそうとした。

「子爵……君はフラれたのだ。いさぎよく……」

 だが、ワルドはその手を撥ね退けた。

「黙っておれ!」

 ウェールズはワルドの言葉に驚き、立ち尽くした。ワルドはルイズの手を強く握った。その瞬間ルイズは、まるで自分の手が蛇に絡みつかれたように感じた。

「ルイズ! 君の才能が僕には必要なんだ!」

「わたしは、そんな、才能のあるメイジじゃないわ」

「だから何度も言っている! 自分で気づいていないだけなんだよルイズ!」

 ルイズはワルドの手を振りほどこうとしたが、ものすごい力で握られているために振りほどく事ができない。苦痛に顔を歪めながら、ルイズはワルドを睨み付ける。

「そんな結婚、死んでも嫌よ。あなた、わたしをちっとも愛してないじゃない。分かったわ、あなたが愛しているのは、あなたがわたしにあるという、ありもしない魔法の才能だけ。ひどいわ。そんな理由で結婚しようだなんて。こんな侮辱はないわ!」

 ルイズは暴れた。ウェールズが、ワルドの肩に手を置いて引き離そうとする。しかし、今度はワルドに突き飛ばされた。突き飛ばされたウェールズの顔に、赤みが走る。そしてすぐさま立ち上がると、杖を引き抜いた。

「うぬ、なんたる無礼! なんたる侮辱! 子爵、今すぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ! さもなくば、我が魔法の刃が君を切り裂くぞ!」

 ワルドはそこでようやくルイズから手を離した。どこまでも優しい笑みを浮かべる。しかし、その笑みは嘘に塗り固められているものだった。

「こうまで僕が言ってもダメかい? ルイズ。僕のルイズ」

 ルイズは怒りで震えながら言い返した。

「嫌よ、誰があなたと結婚なんかするもんですか」

 ワルドは天を仰いだが、そこにルイズに結婚を拒否されたという悲壮感は全く見受けられない。

「この旅で、君の気持を掴むために随分努力したんだが……」

 両手を広げて、ワルドは首を振った。

「こうなっては仕方ない。ならば目的の一つは諦めよう」

「目的?」

 ルイズは思わず首を傾げた。どういうつもりだと思ったのだ。

 ワルドは唇の端を吊り上げると、禍々しい笑みを浮かべた。

「そうだ。この旅における僕の目的は三つあった。その二つが達成できただけでも、良しとしなければな」

「達成? 二つ? どういう事?」

 ルイズは不安におののきながら、尋ねた。心の中で、考えたくない想像が急激に膨れ上がっていくのを感じる。ワルドは右手を掲げると、人差し指を立ててみせた。

「まず一つは君だ、ルイズ。君を手に入れる事だ。しかし、これは果たせないようだ」

「当たり前じゃないの!」

 次にルイズは、中指を立てた。

「二つ目の目的は、ルイズ。君のポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」

 ルイズはその言葉で、何かに気づいたようにはっとした表情を浮かべた。

「ワルド、あなた……」

「そして、三つめ……」

 ワルドの『アンリエッタの手紙』という言葉で、ようやく全てを察したウェールズが杖を構えて詠唱を開始する。しかし、ワルドは二つ名の閃光のように素早く杖を引き抜くと、瞬時に呪文の詠唱を完成させる。ワルドは風邪のように身を翻らせ、ウェールズの胸を青白く光るその杖で貫いた。

「き、貴様……『レコン・キスタ』……」

 ウェールズの口から、どっと鮮血が溢れ出る。それを見てルイズは悲鳴を上げた。

 ワルドはウェールズの胸を光る杖で深々と抉りながら呟いた。

「三つ目……、貴様の命だ。ウェールズ」

 どう、という音を立ててウェールズは床に崩れ落ちた。

「貴族派! あなた、アルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」

 ルイズはわななきながら怒鳴った。しかしワルドはルイズのその怒鳴り声に動揺する素振りも見せず、ただ冷たい声でルイズに言った。

「そうとも。いかにも僕はアルビオンの貴族派、レコン・キスタの一員さ」

「どうして! トリステインの貴族であるあなたがどうして!?」

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境はない」

 そう言うと、ワルドは再び杖を掲げた。

「ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。何があなたを変えたの? ワルド……」

「月日と、数奇な運命の巡り合わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今ここで語る気にはならぬ。話せば長くなるからな」

 ルイズは思い出したように杖を握ると、ワルドめがけて振ろうとした。しかしワルドに難なく弾き飛ばされ、床に転がる。さらに杖を弾き飛ばされたルイズにワルドは容赦なく風の魔法『ウィンド・ブレイク』を放つ。魔法を食らい、ルイズは紙切れのように吹き飛ばされた。

 全身に走る激痛に耐えながら、ルイズは立ち上がろうとしながらワルドを睨み付ける。それを見てワルドはふん、と鼻を鳴らした。

「気に入らぬ目だ」

 そしてワルドはさらにルイズに魔法を放つ。空気の槌を放つ魔法『エア・ハンマー』だ。空気で形成された槌を腹にもろに食らい、ルイズの体がくの字に曲がる。

「ごはっ……!!」

 しゃがみこむと同時に、口から胃液が床に吐き出される。ワルドはさらに追い打ちのように魔法を放つ。

「言う事を聞かぬ小鳥は、首を捻るしかないだろう? なぁ、ルイズ」

 壁に叩きつけられ、床に転がり、ルイズは呻きを上げた。その両目から、涙がこぼれる。

 そこで初めて、ここにはいない使い魔に助けを求めた。

「助けて……お願い」

 本当に、情けないと思う。昨日自分から勝手に主人と使い魔の契約を切っておいて、ここに来て助けに来てほしいと願うなんて。あまりにも、ムシが良すぎる話だ。

 だがそれでも、ルイズは呪文のように繰り返す。楽しそうに、ワルドは呪文を詠唱した。

 『ライトニング・クラウド』だ。

「残念だよ……。この手で、君の命を奪わねばならないとは……」

 電撃を放つ、風の魔法の中でも上位に存在する魔法。まともに受ければ間違いなく命はないだろう。

 体中が痛い。ショックで息が途切れそうだ。ルイズは子供のように怯えて、自分の情けなさに歯噛みし、涙を流す。

「カネキ! 助けて!」

 ルイズは絶叫した。呪文が完成し、ワルドがルイズに向かって杖を振り下ろそうとした瞬間。

 礼拝堂の壁が轟音と共に崩れ、外から烈風が飛び込んできた。

 

 

 

「貴様……」

 ワルドが呟く。

 壁をぶち破り、間一髪飛び込んできた金木がワルドの杖をデルフで受け止めていたのだ。

「………」

 ワルドに対して、金木は何も言わない。ただ、強烈な殺意が込められた瞳を、ワルドに向けている。

 ワルドはそこから後ろに飛び跳ねて距離を空けると、杖を金木に向ける。

 金木がルイズを横目で見てみると、彼女は失神したのか床に倒れ、ピクリとも動かない。

 そんな金木に向かって、残忍な笑みを浮かべたワルドが言った。

「何故にここが分かった? ガンダールヴ」

「……彼女の視界が、見えた」

 いつもよりも低い、怒りと殺気が込められた声。しかしそれに動じる事も無く、ワルドがさらに続ける。

「そうか、なるほど、主人の危機が目に映ったか。だが……それにしては何だね? そのマスクは? 随分と悪趣味だな」

 ワルドの言う通り、金木の顔には歯と歯茎が剥き出しになったデザインの眼帯をイメージした黒いマスクが着けられていた。唯一剥き出しになっている左目をワルドに向けながら、金木が言う。

「………あなたは、ルイズちゃんを騙していたんですか。いや、ルイズちゃんだけじゃない。アンリエッタさんも、ウェールズさんも、あなたを信頼していた人達を、全員」

「目的のためには、手段を選んでおれぬのでな」

「ルイズちゃんは、あなたを信じていた。婚約者のあなたを……幼い頃の憧れだったあなたを……。それでもあなたは、何も感じないんですか?」

「信じるのはそちらの勝手だ」

 それを聞いて、金木はデルフの柄を強く握りしめた。

「……決めました。あなたはここで倒します」

「ふん、できるのか? 女神の杵亭では君に後れを取ったが、あの時は僕も本気ではなかった。本気になった僕に、君が勝てるとでも?」

「……ええ、勝てます。安心してください。殺しはしません。……だけど」

 バキリ、と折り曲げた右手の人差し指を親指で押して鳴らしながら、金木は宣告した。

「――――腕一本は、覚悟してください」

 その言葉にワルドがふっと笑みを浮かべた直後、その体が素早く動いた。ウィンド・ブレイクを金木に放つが、金木は上空に高く跳躍して魔法をかわす。チッとワルドは舌打ちしてさらに魔法を放つが、金木は体を捻って魔法をかわすと地面に着地する。その時、金木が手にしているデルフが叫んだ。

「思い出した!」

「……? どうしたの、いきなり」

「そうか……ガンダールヴか! すっかり忘れてたぜ。何せ、今から六千年も昔の話だからな」

「何を、言っているの?」

 ワルドから放たれたウィンド・ブレイクをかわすと、デルフがさらに声を上げる。

「懐かしいねえ。泣けるねえ。そうかぁ、いやぁ、なんか懐かしい気がしてたが、そうか。相棒、昔俺を握っていた、あのガンダールヴか!」

「え? 昔君を握ってたって……どういう事?」

「嬉しいねえ! そうこなくっちゃいけねえ! 俺もこんな格好してる場合じゃねえ!」

 叫ぶなり、デルフの刀身が突然輝き出した。

 金木は思わず戦場にいるという事を一瞬忘れて、デルフを見つめる。

「デルフ?」

 その隙をつくように、再びワルドがウィンド・ブレイクを放つ。

 猛る風が金木目がけて吹きさすぶ。金木が魔法をかわそうとすると、右手のデルフが再び叫んだ。

「相棒! 俺をかざせ!」

 それに金木が戸惑った表情を浮かべるも、言われた通りに飛んで来る魔法にデルフをかざした。

「無駄だ! その剣では魔法を防ぐ事などできん!」

 無駄な行為と思ったのかワルドが叫ぶ。しかし、次の瞬間驚くべき現象が起きた。

 金木を吹き飛ばすかのように思えた風が、デルフの刀身に吸い込まれたのだ。

 さらに、今まで錆びていたはずのデルフの刀身が、まるで今研がれたかのように光り輝いていた。

「これは……」

「これがほんとの俺の姿さ! 相棒! いやぁ、てんで忘れてた! そういや、飽き飽きしてた時に、テメェの体を変えたんだった! なにせ、面白い事はありゃしねえし、つまらん連中ばっかだったからな!」

「……できれば、早く言ってほしかったよ……」

「仕方がねえだろ。忘れてたんだから。でも安心しな、相棒。ちゃちな魔法は全部、俺が吸い込んでやるよ! このガンダールヴの左腕、デルフリンガー様がな!」

 金木の疲れたようなため息と共に放たれた言葉にも、当のデルフはまったく気にしていなかった。そのデルフらしいと言えばデルフらしい態度に、金木は思わず仮面の下で苦笑を浮かべる。

 一方、ワルドは興味深そうに金木の握っている剣を見つめていた。

「なるほど……ただの剣ではないというわけか。まぁ、魔法を吸い込むというのは少々厄介だが、それで私を倒せるかどうかは別問題だ」

 デルフの変化を見ても、ワルドは余裕の態度を失っていない。それどころか杖を構えて、薄く笑みすら浮かべている。どうやら自身の勝利をまったく疑っていないようだ。

「さて、ではこちらも本気を出そう。何故、風の魔法が最強と呼ばれるのか、その所以を教育いたそう」

 させるかと言わんばかりに金木が飛びかかり斬撃を振るうが、逃げに徹して呪文を唱えるワルドはその全ての攻撃をかわし続ける。ちょこまかと……と金木が内心舌打ちした直後、ワルドの呪文が完成した。

 その時、呪文を完成したワルドの体がいきなり分身した。

 分身した数は、四つ。本体と合わせて、五人のワルドが金木を取り囲んだ。

「分身……?」

「ただの『分身』ではない。風の偏在(ユビキタス)……。風は偏在する。風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ、その距離は意思の力に比例する」

 ワルドの分身は、すっと懐から真っ白の仮面を取り出すと顔に付けた。それを見た金木の左目が、さらに見開かれる。その姿は、今まで自分達を妨害してきた仮面の男そのものだった。

「仮面の男は、あなただったんですね。なるほど……どうりで情報が洩れるわけだ」

 フーケ、そして仮面の男がまるで計ったかのように自分達の前に現れたのも当然だった。偏在を生み出した当の本人が、今までずっと自分達のそばにいたのだから。もっと早く気付くべきだったと、金木は心の中で呟く。

「しかも偏在って事は、どこにでも現れるっていう事ですか」

「いかにも。しかも一つ一つが意思と力を持っている。言ったろう? 『風』は偏在する!」

 五人のワルドが金木に躍りかかる。さらにワルドは呪文を唱え、杖を青白く光らせた。

 『エア・ニードル』。先ほど、ウェールズの胸を貫いた呪文だ。

「杖自体が魔法の渦の中心だ。その剣で吸い込む事はできぬ!」

 杖が細かく振動している。回転する空気の渦が鋭利な切っ先となり、金木を襲う。金木はどうにかデルフで攻撃を受け流すが、数が多すぎる。まともに食らえば、いくら刃物を通さぬ体を持つ金木と言えど危ないだろう。

 攻撃を受け流す金木を見て、ワルドが楽しそうに笑った。

「手合わせの時も思ったが、平民にしてはやるではないか。流石は伝説の使い魔と言ったところか。しかし、やはりはただの骨董品であるようだな。風の偏在に手も足も出ぬようではな!」

 その声を聞きながら、金木は偏在の攻撃を避ける。それからはぁ、とため息をつく。

(……そろそろ、使うか。ルイズちゃんは気絶してるし、すぐに決着を付ければ問題はない)

 心の中でそう思った直後に、金木は動きを止めてその場に立ち止まった。戦うのを諦めたかと思ったのか、五人のワルドが一斉に金木を取り囲んで杖を向ける。

「諦めて死を選ぶとは、拍子抜けだが賢明な判断だな! 所詮貴様は名前だけの大昔の骨董品に過ぎん! そんな人間が、僕達レコン・キスタに勝てるはずがない! 死ね、ガンダールヴゥウウウウウウ!!」

 そして、ワルドの魔法が金木に放たれると思われた刹那。

 

 

 

 赤色の何かが、四人のワルドの体を貫いた。

 

 

 

「はっ?」

 予想外の光景を目の当たりにして、ワルドは思わず間抜けな声を出した。腹を何かで貫かれた偏在達は何が起こったのか分からないという表情を浮かべながら、この世から消滅する。

 四人のワルドを貫いたそれは触手のようなものだった。その表面はまるで鱗のように独特であり、先端は鉤爪状、色はまるで血のように赤い。そしてその触手はよく見てみると、金木の腰から生えていた。

 触手――――赫子を縮める金木を見て、ワルドはかすれた声を出した。

「な、何だ貴様のそれは……!? 貴様は、一体……!?」

 が、そこでワルドはある事に気づいた。

 先ほどまでは普通の目にしか見えなかった金木の左目が、いつの間にか赤く変色しているのだ。

 金木は左目――――赫眼でギロリとワルドを睨み付ける。その瞬間、金木からワルドに凄まじい殺気が叩きつけられた。

「ひっ……!」

 睨み付けられたワルドの脳から全身に、ある指令が伝えられる。

 逃げろ。今すぐここから全力で逃げろ。

 さもないと、目の前の敵に食い殺される――――!

「ふ……ざけるな!!」

 しかしワルドは本能からの指令を無視すると、再び呪文を唱えて四人の偏在を生み出す。それを金木はくだらなさそうな目で見ながら、右手の人差し指をバキリと鳴らす。

「何人増えようが構いません。すぐに、叩き潰します」

 すると、金木の怒りに呼応したのか、左手のガンダールヴのルーンが光り輝き、金木の体に力を与える。

 いや、正確には金木の体内に存在する細胞、Rc細胞に。

 その結果、ルーンによって力を与えられたRc細胞が変化を遂げた。

 金木の腰から新たに二本の赫子が生え、四本だった赫子が六本に増える。そして六本に増えた赫子は、金木の背後に一気に翼のように広がった。

 その姿は、まるで神話に伝わる六枚羽の天使だった。

 とは言っても、この場合は頭に『死』がつく天使だろうが。

 デルフを手にして、赫子を腰から生やした金木がゆらりと動くと、ワルドが表情を恐怖に歪めながら叫んだ。

「く……来るな来るな来るなぁああああああああっ!!」

 直後、五人のワルドからエア・ハンマーが一斉に金木に向かって放たれた。しかし金木は慌てる事も無く、ただ体勢を低くして偏在の一人に弾丸のようにまっすぐ突っ込む事で、全ての攻撃を回避する。ガンダールヴのルーンの力が加わった今の金木に追いつける者など、数えるぐらいしかいないだろう。

 金木はデルフで偏在の一人の首を切り落とすと、続いて人間を超えた蹴りでもう一人の偏在の頭を吹っ飛ばす。 自分の近くにバスケットボールのように転がってきた偏在の首を見たワルドは、表情を引きつらせると残った二人の偏在と共に魔法を放つ。金木はワルドから放たれた魔法をデルフで吸収し、残りの魔法を四本の赫子で防ぐ。赫子の中では一番脆い鱗赫の赫子は攻撃を受けて吹き飛ぶが、赫子はまだ二本残っている。残った二人の偏在を、金木は二本の赫子で貫き消滅させた。その間に吹き飛んだ赫子はすぐに再生を始め、再び六本に戻る。

 赫子を揺らしながら、金木はワルドに告げた。

「これでもう新たに偏在を生み出す精神力はあなたには残されていない。そろそろ、終わりにしましょうか」

「……ぐっ! くそ、まだだ! まだ終わっていない!!」

 叫びながらワルドは、素早い動きで金木に剣戟を加えていく。しかし金木はワルド以上の速度でその全てを止めながら、逆にデルフによる攻撃を繰り出す。攻撃を必死に食い止めながら、ワルドが問いかける。

「どうして死地に帰ってきた? お前を蔑むルイズのため、どうして命を捨てる? この化け物が!!」

 攻撃をしながら、金木は冷静に返す。

「何もできないのは嫌だ。だからこうしてここに帰ってきたんだ。ルイズちゃんを護るために」

「はっ! 貴様のような奴に誰かが護れるわけがないだろう!! 現に、ウェールズはすでに死んだ! そしてもうすぐ、ルイズも死ぬ! 貴様みたいな化け物は、誰も護れずに死ぬのがお似合いだ!!」

 ワルドはそう言いながら杖を突き出すが、その杖を金木が左手で無理やり掴んだ。驚愕するワルドを目の前にして、金木は思いっきり怒鳴りつけた。

「ああ、そうだ。ウェールズさんは死んだ。僕のせいだ。でも、だからこそ、ルイズちゃんだけは絶対に護ってみせる!! もうこれ以上、誰も死なせたりしない!!」

 そして金木は、杖を掴まれて動けなくなったワルドの腹に強烈な蹴りを放ち、その体を吹き飛ばすとルーンの力を開放してワルドとの距離を一気に詰める。

「……これで、終わりだ」

 そう言い放った、直後。

 金木の斬撃が、ワルドの左腕を切り飛ばした。




次回はエピローグのような話ですので、いつもより短めになる予定です。追記 半殺しを普通の人間を行うとショック死するのではないかと意見があり、内容を少し変えました。

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