異世界喰種   作:白い鴉

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東京喰種:reの最新刊のラスト、感動ものですね……。ヒデ……お前本当に良い奴過ぎるだろ……。


第十話 旅路

 

 

 

 

 

 朝もやの中で、金木とルイズとギーシュは馬に鞍をつけていた。金木はいつも通りの服装に、背中にデルフリンガーを背負っている。ルイズはいつもの制服姿だったが、今回は長く馬に乗るため乗馬用のブーツを履いていた。

 そんな風に出発の準備をしていると、ギーシュが困ったような口調で言う。

「お願いがあるんだが……」

「どうしたの?」

 金木は馬の鞍に荷物をくくりつけながらギーシュに尋ねた。

「僕の使い魔を連れて行きたいんだ」

「それは別に良いけど……どこにいるの?」

「ここ」

 ギーシュが地面を指差した。

「いないじゃないの」

 ルイズが乗馬鞭を片手にすました顔で言うと、ギーシュはにやっと笑って足で地面を叩いた。

 するとモコモコと地面が盛り上がり、茶色の大きな生き物がそこから顔を出す。

 ギーシュはすさっ! と膝をつくと、地面から出てきたその生き物を抱きしめた。

「ヴェルダンテ! ああ! 僕の可愛いヴェルダンテ!」

 金木は突然現れた巨大な生き物に目を丸くしながらもギーシュに尋ねた。

「な、何それ?」

「何それ、などと言ってもらっては困る。大いに困る。僕の可愛い使い魔のヴェルダンデだ」

「あんたの使い魔ってジャイアントモールだったの?」

 ギーシュの使い魔は、巨大なモグラだった。大きさは小さいクマほどもある。

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」

 モグモグモグ、とギーシュの言葉に答えるように、ヴェルダンデは嬉しそうに鼻をひくつかせた。

「そうか! そりゃ良かった!」

 ギーシュはヴェルダンデに頬を擦り寄せた。その様子を金木が呆れた目で見ていると、唐突にルイズが言った。

「ねえ、ギーシュ。ダメよ。その生き物、地面の中を進んで行くんでしょう?」

「そうだ。ヴェルダンデはなにせ、モグラだからな」

「そんなの連れていけないわよ。わたし達、馬で行くのよ」

 ルイズは困ったように言ったが、ギーシュはそれがどうしたと言うような態度で、

「結構、地面を掘って進むの早いんだぜ? なあ、ヴェルダンデ」

 ヴェルダンデは、うんうんと頷いた。

「わたし達、これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物を連れていくなんてダメよ」

 ルイズがそう言うと、ギーシュは地面に膝をついた。

「お別れなんて、辛い、辛すぎるよ……、ヴェルダンデ……」

 その時、巨大モグラが鼻をひくつかせた。くんかくんか、とルイズに擦り寄る。

「な、何よこのモグラ!」

 ルイズが思わず叫んだ直後、ヴェルダンデは何故かルイズを押し倒し、鼻で体をまさぐり始めた。

「や! ちょっとどこ触ってるのよ!」

 ルイズは体をヴェルダンデの鼻でつつきまわされ、地面をのたうち回った。スカートが乱れ、派手にパンツをさらけ出しながら、ルイズは暴れ続ける。

 金木がどうしようかと困っていると、ヴェルダンデがルイズの右手の薬指に光るルビーを見つけ、そこに鼻を擦りよせた。

「この! 無礼なモグラね! 姫様に頂いた指輪に鼻をくっつけないで!」

 すると、ギーシュが頷きながら呟いた。

「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」

「どうして?」

「ヴェルダンデは貴重な鉱石や宝石を僕のために見つけてきてくれるんだ。『土』系統のメイジの僕にとって、この上ない素敵な協力者さ」

「へぇ」

 どうやら、このヴェルダンデという使い魔は見かけによらずギーシュにとって結構有能な使い魔のようだ。金木は思わず感心した声を漏らすと、未だ暴れているルイズが金木に怒鳴った。

「カネキ! 馬鹿な話してないで、さっさと助けなさいよ!」

 はいはい、と金木は肩をすくめながらルイズを助け出そうとした瞬間だった。

 突然一陣の風が舞い上がり、ルイズに抱き着くヴェルダンデを吹き飛ばした。

「誰だ!」

 ギーシュが激昂してわめくと、朝もやの中から羽帽子をかぶった長身の貴族が現れた。彼の姿に、金木は見覚えがあった。確か魔法学院にアンリエッタが訪問した時に、王女の一行の中にいた貴族である。

「貴様、僕のヴェルダンデに何をするんだ!」

 ギーシュがすっと薔薇の造花を掲げるが、一瞬早く羽帽子の貴族が杖を引き抜き薔薇の造花を吹き飛ばす。吹き飛ばされた模造の花びらが宙を舞った。

「僕は敵じゃない。姫殿下より、君達に同行する事を命じられてね。君達だけではやはり心もとないらしい。しかし、お忍びの任務であるゆえ、一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたってわけだ」

 長身の貴族は帽子を取ると、三人に向かって優雅に一礼した。

「女王陛下の魔法騎士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」

 文句を言おうと口を開きかけたギーシュは相手が悪いと知ってうなだれた。目の前の貴族が所属している魔法騎士隊は、全貴族の憧れである。それはギーシュも例外ではない。

 ワルドはそんなギーシュの様子を見て、首を振った。

「すまない。婚約者が、モグラに襲われているのを見て見ぬ振りはできなくてね」

 ワルドの口から飛び出した単語に、金木は思わず目を見開いた。ルイズの年齢と目の前の貴族の年齢、さらに貴族社会の事を考えると別に不思議ではないが、こうして目の前でそういう話を聞かされると、ここは自分が住んでいた世界とは別の世界でルイズは大貴族の娘だという事を改めて認識させられる。

「ワルド様……」

 立ち上がったルイズが、震える声で言った。

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄って抱え上げた。

「お久しぶりでございます」

 一方のルイズは頬を染めて、ワルドに抱きかかえられていた。

「相変わらず軽いな君は! まるで羽のようだね!」

「……お恥ずかしいですわ」

「彼らを、紹介してくれたまえ」

 ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び帽子を目深にかぶって言った。

「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のカネキです」

 ルイズは交互に指差して言った。ギーシュは深々と頭を下げて、金木はワルドに向かって軽く頭を下げる。

「君がルイズの使い魔かい? 人とは思わなかったな」

 ワルドは気さくな感じで金木に近寄った。

「僕の婚約者がお世話になっているよ」

「あ、はい」

 金木は上から下までワルドを観察するように見つめた。

 彼もギーシュと同じように美少年だが、正直言ってレベルが違う。目つきは鋭く鷹のように光り、形の良い口ひげが男らしさを強調している。

 そして、ワルドの体付きを見た金木はこう思った。

(……強いな、この人)

 こうして見ているだけでも全身の体つきは逞しく、筋肉がしっかりとついている事が分かる。彼のその体格が、ただ魔法を使うだけのメイジではない事を金木に悟らせていた。並大抵の剣士やメイジでは、彼には決して勝てないだろう。

 それから金木がルイズに目を向けると、彼女はワルドが現れた途端に落ち着きを無くし、何やらそわそわしていた。どうやら突然の婚約者の登場に照れているらしい。

 ワルドが口笛を吹くと、朝もやの中からグリフォンが現れた。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。背中には立派な羽も生えていた。

 ワルドはひらりとグリフォンに優雅に跨ると、ルイズに手招きをした。

「おいで、ルイズ」

 するとルイズは少し躊躇うようにして俯き、しばらくモジモジした。しかしワルドに抱きかかえられて、グリフォンに跨る。金木とギーシュも自分達の馬に跨ると、ワルドが手綱を握って杖を掲げて叫んだ。

「では諸君! 出撃だ!」

 グリフォンが駆け出した。ギーシュは感動した面持ちで後に続き、金木も馬の手綱をしっかり握って彼らの後に続いた。

 

 

 

 

 アンリエッタは出発する一行を学院長室の窓から見つめていた。

 目を閉じて、手を組んで祈る。

「彼女達に加護をお与えください、始祖ブリミルよ……」

 その隣では、オスマンが鼻毛を抜いている。

 アンリエッタは振り向くと、オスマンに向き直った。

「見送らないのですか? オールド・オスマン」

「ほほ、姫、見ての通りこの老いぼれは鼻毛を抜いておりますのでな」

 そんな事を言うオスマンに、アンリエッタは首を振った。

 その時、扉がどんどんと強く叩かれた。「入りなさい」とオスマンが呟くと、慌てた様子のコルベールが部屋に飛び込んできた。

「いいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」

「君はいつでも一大事ではないか。どうも君はあわてんぼでいかん」

「慌てますよ! 私だってたまには慌てます! 城からの知らせです! なんと! チェルノボーグの牢獄から、フーケが脱獄したそうです!」

「ふむ……」

 コルベールの報告に、オスマンは口ひげをひねりながら唸った。

「門番の話では、さる貴族を名乗る怪しい人物に『風』の魔法で気絶させられたそうです! 魔法衛士隊が王女のお供で出払っている隙に、何者かが手引きをしたのですぞ! つまり、城下に裏切者がいるという事です! これが大事でなくてなんなのですか!」

 裏切者、という単語を聞いてアンリエッタの顔が青くなった。

 オスマンは手を振ると、コルベールに退室を促した。

「分かった分かった。その件については、あとで聞こうではないか」

 コルベールがいなくなると、アンリエッタは机に手をついて深いため息をついた。

「城下に裏切者が! 間違いありません、アルビオン貴族の暗躍ですわ!」

「そうかもしれませんな。あいだ!」

 オスマンは鼻毛を抜きながら呑気な口調で言った。学院長のその様子を、アンリエッタは呆れた表情で見つめていた。

「トリステインの未来がかかっているのですよ。何故、そのような余裕の態度を……」

「すでに杖は振られたのですぞ。我々にできる事は、待つ事だけ。違いますかな?」

「そうですが……」

 なおも不安そうな表情を変えないアンリエッタに、オスマンは安心させるような声でさらに続ける。

「なあに、彼ならば道中どんな困難があろうとも、やってくれますでな」

「彼とは? あのギーシュが? それとも、ワルド子爵が?」

 オスマンは首を横に振った。そこでアンリエッタはオスマンの言う彼が誰であるかようやく気づき、信じられないように言う。

「ならば、あのルイズの使い魔の青年が? まさか! 彼はただの平民ではありませんか!」

「姫は始祖ブリミルの伝説をご存知かな?」

「通り一遍の事なら知っていますが……」

 オスマンはにっこりと笑った。

「では、『ガンダールヴ』のくだりはご存知か?」

「始祖ブリミルが用いた、最強の使い魔の事? まさか彼が?」

 オスマンはそこで自分が喋り過ぎた事に気づいた。『ガンダールヴ』の事は自分の胸一つに収めている。アンリエッタが信用できないというわけではないが、まだ王室の人間に話すのはまずいと思っていた。

「えーおほん、とにかく彼は『ガンダールヴ』並に、もしかしたらそれ以上に使える人間ではないかと、そういう事ですな。ただ、彼は異世界から来た青年なのです」

「異世界?」

「そうですじゃ。ハルケギニアではない、どこか。『ここ』ではない、どこか。そこからやってきた彼ならばやってくれると、この老いぼれは信じておりますでな。余裕の態度もその所為なのですじゃ」

「そのような世界があるのですか……」

 アンリエッタはルイズの使い魔の青年の事を思い出す。

 あの、見ている人間が凍り付くほどの目をした青年。一体どんな経験をすれば、あんな目をする事ができるのだろうか。平和な世界でぬくぬくと育ってきた自分には、きっと想像すらできないだろう。

 だが、そんな凍り付くような目をしていてもなお、彼は自分からルイズを護ろうとしていた。まだ会って間もないが、あの青年は例え自分がどれだけ傷ついても、誰かを護ろうとする優しすぎる人間なのだろう。

 そんな彼ならば、ルイズ達の前に立ち塞がるどんな『悲劇』も切り裂いて前に進んでくれるかもしれない。アンリエッタはそう思いながら、こう呟いた。

「ならば祈りましょう。異世界から吹く風に」

 

 

 

 魔法学園を出発してから、ワルドはグリフォンを疾駆させっぱなしだった。金木達は途中の駅で二回馬を交換したが、ワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続ける。乗り手のようにタフな幻獣だった。

「もう半日以上走りっぱなしだ。どうなってるんだ。君と魔法衛士隊の連中は化け物か?」

 ぐったりと馬に体を預けたギーシュが、隣の金木に声をかけた。声をかけられた金木はケロリとした表情で馬に跨りながら、あはは……と苦笑を浮かべている。実際金木は半喰種だし体も鍛えているので、これぐらいの道のりは苦にならない。金木は前を走るワルドのグリフォンを視界に収めながら呟いた。

「でも、ルイズちゃん婚約者がいたんだ……」

「おや? もしかして、やきもちかね?」

 にやにやといやらしい笑みを浮かべながらギーシュが言うと、金木は再び困ったように笑いながら返す。

「違うよ。ただ突然だったから、少し驚いただけだよ。ところで、ワルドさんって魔法衛士隊の所属なんだよね? やっぱり、相当地位が高いのかな?」

 しかし金木自身、この質問は愚問だと感じていた。昨日ワルドの所属している魔法衛士隊が王女の護衛を務めていたのを見るだけで、彼の地位がどれだけ高いのかすぐに分かる。

 すると案の定、ギーシュからこんな言葉が返ってきた。

「そりゃそうさ。トリステインの魔法衛士隊と言ったら、王家と王城を守る親衛隊であり、全ての貴族の憧れだよ。男子ならばその黒マントを身に着ける事を誰もが憧れ、女子ならばその花嫁になる事を誰もが望む……。いわば、トリステイン騎士の花形なのさ!」

 ばっ、ばっと馬の上だというのに大げさに身振り手振りを交えながら金木に教える。金木はふーんと相槌を打ちながら、ワルド達の乗っているグリフォンを見て尋ねる。

「魔法衛士隊の人達はみんなグリフォンに乗ってるの?」

「いや。魔法衛士隊は彼らの操る幻獣にちなんで三つの隊に分かれているんだ。一つはマンティコア隊、もう一つはヒポグリフ隊、最後がワルド子爵のグリフォン隊さ」

「へぇ……」

 どの幻獣も、金木が本の世界でしか見た事がない生き物ばかりだった。いつかはその幻獣達も見てみたいなと、本好きの金木は思った。

 それから馬を何度も替えて飛ばしてきたので、金木達はその日の夜中にラ・ロシェールの入り口についた。金木は興味深そうに辺りを見回した。港町という名はついているが、どう見ても山道である。ここからどうやって空に浮かぶというアルビオンに向かうというのだろうか。

 月夜に浮かぶ険しい岩山の中を縫うようにして進むと、峡谷に挟まれるようにして街が見えた。街道沿いに、岩を穿って作られた建物が並んでいる。

 そんな時だった。

 不意に金木達の跨った馬めがけて、崖の上から松明が何本も投げ込まれた。松明は赤々と燃え、金木達が馬を進める峡谷を照らす。

「な、何だ!?」

 突然の襲撃に、ギーシュが怒鳴った。

 いきなり松明の炎に戦の訓練を受けていない馬が驚き、前足を高々と上げたので、金木とギーシュは馬から放り出されたが、金木は空中で体勢を立て直すと地面に着地する。

 そこを狙って、何本もの矢が夜風を裂いて飛んでくる。

「奇襲だ!」

 ギーシュが喚くと同時、軽い音を立てて矢が地面に突き刺さった。

 ひゅんひゅんと飛んで来る矢を金木が素早い動きでかわしていくと、突如一陣の風が舞い起こり、金木達の前の空気が歪んで小型の竜巻が現れる。竜巻は飛んできた矢を巻き込むと、あさっての方角に弾き飛ばした。

 グリフォンに跨ったワルドが、杖を掲げている。

「大丈夫か!」

 ワルドの声が金木に飛ぶと、金木は頷いてからワルドに言った。

「ギーシュ君とルイズちゃんをお願いします」

 それから金木は怪訝そうな表情を浮かべているワルドをよそにデルフを抜き、ガンダールヴの力を開放する。左手のルーンが輝き、全身がまるで羽のように軽くなるのを確認すると、金木は全力で目の前の崖を駆け上り始めた。

「「「なっ!?」」」

 崖の下で驚愕しているギーシュとワルド、さらにルイズの声が聞こえてくるが金木は気にせずにあっという間に崖を登り切る。タン! と軽い音を立てて高く跳躍しながら崖の上の光景を見てみると、そこには数人の男達が突然現れた金木の姿を目を見開いて見つめていた。その手には弓矢が握られている。

 金木は崖に着地すると、未だに呆然としている男達に向かって素早い動きで突進する。まず鋭い回し蹴りで二人の男を蹴り飛ばし、さらに剣の柄の部分で近くにいた男の顔面を殴り飛ばす。鼻の骨が折れる感触がしたが、金木は無視して素早い動きで男達を攪乱し、剣の峰を巧みに使ってその場にいる全員を崖の上から下に転がり落とした。

「やるねぇ、相棒」

 金木の活躍を見ていたデルフから賛辞の言葉が飛び出すが、金木はそれを無視してデルフを背中の鞘に納める。するとその直後、上空からパチパチと拍手の音が聞こえた。金木が振り返って見上げると、そこには青い鱗を持つ風竜がいた。それを見て、金木の目が見開かれる。タバサの使い魔の、シルフィードだ。

 どうしてこんな所に、と思った直後、風竜の背から赤い髪の少女が飛び出した。

「すごいわ、ダーリン! あの数の男達を一瞬で倒しちゃうなんて!」

「キュルケちゃん?」

 感動したような声を出すその少女は、魔法学院にいるはずのキュルケだった。しかもキュルケの後ろには彼女の友人であり、金木の勉強仲間でもあるタバサまでいた。何故かパジャマ姿の彼女はペチペチと小さく拍手をしている。

「どうして、こんな所に?」

 至極当然の質問が金木の口から飛び出すが、キュルケは金木の問いに答えず崖の下を指差しながら言った。

「その説明は下でしましょう。その方が手間が省けるでしょ?」

 そう言うとキュルケは金木をシルフィードに乗せて、崖の下に向かった。地面にシルフィードが降り立つと、キュルケは風竜からぴょんと飛び降りて髪をかき上げる。

「お待たせ」

 すると、シルフィードの出現に驚いていたルイズがグリフォンから飛び降り、キュルケに怒鳴った。

「お待たせじゃないわよ! 何しに来たのよ!」

「助けに来てあげたんじゃないの。朝方、窓から見てたらあんた達が馬に乗って出掛けようしてるもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ。ま、ダーリンがみんな倒しちゃったから私達の出番はなかったけどね」

 そう言いながら、キュルケは風竜に乗ったままのタバサを指差した。どうやらタバサがパジャマ姿なのは、キュルケの言う通り寝ている所を叩き起こされたかららしい。それでもタバサは気にした風もなく、どこからか取り出した本を読んでいる。

「ツェルプストー。あのねえ、これはお忍びなのよ?」

「お忍び? だったら、そう言いなさいよ。言ってくれなきゃ分からないじゃない」

 そんな事を言うキュルケをルイズはしばらく睨んでいたが、やがて時間の無駄だと悟ったのか彼女から視線を外して金木に倒された男達に視線を向けた。動けない男達は口々に罵声をルイズ達に浴びせかけている。ギーシュが近づいて、尋問を始めた。

 一方、キュルケはグリフォンに跨ったワルドにしなを作ってにじり寄っていた。どうやら彼の顔は、キュルケのお眼鏡にかなったらしい。

「おひげが素敵よ。あなた、情熱はご存知?」

 ワルドはちらりとキュルケを見つめると、左手で押しやった。

「あらん?」

「助けに来てくれたのは嬉しいが、これ以上近づかないでくれたまえ」

「何で? どうして? あたしが好きだって言ってるのに!」

 取りつく島のない、ワルドの態度だった。今までこんな冷たい態度を男にとられた事のないキュルケは、驚きのあまり口をあんぐりと開けてワルドの顔を見つめた。

「婚約者が誤解するといけないのでね」

 そう言って、ルイズを見つめる。ルイズの頬が赤く染まった。

「なあに? あんたの婚約者だったの?」

 キュルケがつまらなさそうに言うと、ワルドが頷く。ルイズは困ったようにもじもじし始めている。キュルケはワルドをじっと観察するような目で見つめた。

 遠目では分からなかったが、目が冷たい。まるで氷のような目だ。キュルケは鼻を鳴らし、何こいつ、つまんないと思った。そして金木はと言うと、袋を手にもって中身をじっと見つめていた。その袋はついさっき戦闘の際に男達の一人が落とした物で、密かに回収していたのである。

 そこに、男達を尋問していたギーシュが戻ってきた。

「子爵、あいつらはただの物取りだ、と言ってます」

「ふむ……、なら捨て置こう」

 ひらりとグリフォンに跨ると、ワルドは颯爽とルイズを抱きかかえた。

「今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンに渡ろう」

 ワルドは一行にそう告げた。

 キュルケは金木の馬の後ろに跨って、楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいる。ギーシュも馬に跨り、風竜の上のタバサは相変わらず本を読んでいた。

 金木は袋を短パンのポケットにねじ込むと、自分の馬に跨って再び移動を開始した。

 

 

 

 ラ・ロシェールで一番上等な宿、『女神の杵』亭に泊まる事にした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。一日中馬に乗っていたのでくたびれていたのである。

 『女神の杵』亭は貴族を相手にするだけあって、豪華な作りである。テーブルは、床と同じ一枚岩からの削り出しでピカピカに磨き上げられていた。顔が映るぐらいである。

 そこに、『桟橋』にへ乗船の交渉に行っていたワルドとルイズが帰ってきた。

 ワルドは席に着くと、困ったように言う。

「アルビオンに渡る船は明後日にならないと、出ないそうだ」

「急ぎの任務なのに……」

 ルイズは口を尖らせている。彼らの言葉に、金木以外の全員がほっとした。これで明日は休んでいられるからだ。

「あたしはアルビオンに行った事がないから分かんないんだけど、どうして明日は船が出ないの?」

 キュルケの方を向いて、彼女の問いに答える。

「明日の夜は月が重なるだろう? 『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づくんだ。……さて、お喋りはここまでにして今日はもう寝よう。部屋は取った」

 ワルドは鍵束を机の上に置いた。

「キュルケとタバサは相部屋だ。そして、ギーシュとカネキが相部屋。僕とルイズは同室だ」

 ワルドの言葉に、誰よりもルイズが驚いていた。ルイズがワルドの方を向くと、ワルドは当然と言うような口調で、

「婚約者だからな。当然だろう?」

「そんな、ダメよ! まだ、私達結婚してるわけじゃないじゃない!」

 それには確かに金木も同感だった。二人は婚約者だが、そうだとしてもまだ結婚もしていない男性と女性が一緒の部屋で寝るというのはいくら何でも時期尚早だろう。しかしワルドは首を横に振って、ルイズを見つめながら告げた。

「大事な話があるんだ。二人きりで話したい」

 

 

 

 『女神の杵』亭で一番上等な部屋だけあって、ワルドどルイズの部屋はかなり立派な作りをしていた。誰の趣味なのか、ベッドは天蓋付きの大きなものだったし、高そうなレースの飾りまでついている。テーブルに座ると、ワルドはワインの栓を開けて杯についでから、それを一気に飲み干す。

「君も腰かけて、一杯やらないか? ルイズ」

 ルイズは言われたままに、テーブルについた。ワルドがルイズの杯にワインを満たしていく。自分の杯にもついで、ワルドはそれを掲げた。

「二人に」

 ルイズは少し俯いて、杯を合わせた。かちん、と陶器のグラスが触れ合う。

「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持っているかい?」

 ルイズはポケットの上からアンリエッタから預かった封筒を押さえた。一体、どんな内容なのだろうか。

 そして、ウェールズから返してほしいという手紙の内容は何なのだろう。なんとなく、それは予想がつく気がした。アンリエッタとは、幼い頃共に過ごした仲である。彼女がどういう鬨にあんな表情を……最後の一文を書き添える鬨に見せた表情をするのか、ルイズにはよく分かっていた。

 考え事をしている自分を、興味深そうにワルドが覗き込んでいる。ルイズはワルドの問いに頷いた。

「……ええ」

「心配なのかい? 無事にアルビオンのウェールズ皇太子から、姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか」

「そうね。心配だわ……」

 ルイズは可愛らしい眉を、への字に曲げて言った。

「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだから」

「……そうね、あなたがいればきっと大丈夫よね。あなたは昔から、とても頼もしかったもの。で、大事な話って?」

 ワルドは遠くを見る目をしながら、話し始めた。

「覚えているかい? あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」

「あの、池に浮かんだ小舟?」

 ワルドは頷いた。

「君は、いつもご両親に怒られた後、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって

……」

「ほんとにもう、変な事ばかり覚えているのね」

「そりゃ覚えているさ」

 ワルドは楽しそうな口調で言った。

「君はいっつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われてた」

 ルイズは恥ずかしそうに頬を赤くして、俯いた。

「でも僕は、それはずっと間違いだと思ってた。確かに、君は不器用で失敗ばかりしていたけれど……」

「意地悪ね」

 あまりの言いように、ルイズは頬を膨らませた。ワルドはそんなルイズの様子に苦笑しながら、

「違うんだルイズ。君は失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力と言っても良い。それは君が、他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれが分かる」

「まさか」

「まさかじゃない。例えばそう、君の使い魔……」

 それを聞いて、ルイズの目が意外そうに見開かれた。

「カネキの事?」

「そうだ。彼が武器を掴んだ時に左手に浮かび上がったルーン……。あれは、ただのルーンじゃない。伝説の使い魔の印さ」

「伝説の使い魔の印?」

「そうだ。あれは『ガンダールヴ』の印だ。始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔さ」

 ワルドの目が光った。

「ガンダールヴ?」

「ああ。実際に彼はあの数の傭兵達を、たった一人で倒している。ただの平民では絶対に不可能な事だ。そんな使い魔は、誰もが持てる使い魔じゃない。そしてその彼を召喚した君は、それだけの力を持ったメイジなんだよ」

「信じられないわ」

 ルイズは首を振った。ワルドは冗談を言っているのだと思った。確かに金木は武器を握るとさらに速くなり、信じられないほど強くなるが、伝説の使い魔だなんて信じられない。そこまで考えた所で、今まで抑え込んでいた金木への怒りが再び沸々と沸いてくるのが分かった。

 その怒りの引き金は、自分の部屋で金木がアンリエッタに言い放った、あの言葉だ。

『この世の不利益は、全て当人の能力不足』

 それは今まで、ゼロだと言われながらも必死に努力してきた自分を否定するような言葉だった。お前がゼロだと言われるのは、全てお前に魔法の才能がないからだ。お前に、そんな能力が無いからだ。まるでそう言われているような気がして、気づいたら自分は金木に怒鳴っていた。その時の事を思い出すと、今でも腹が立つ。

 だけど……とルイズは思う。落ち着いて考えてみると、自分は実際に魔法の一つも使えない落ちこぼれだ。もしも仮に彼が伝説の使い魔だとしても、何かの間違いだと今では思う。こんな、魔法の才能など全くない自分に、ワルドの言うような力があるなど思えないからだ。

「君は偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、素晴らしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」

 ワルドは熱っぽい口調で、ルイズを見つめた。

「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」

「え……」

 いきなりのプロポーズに、ルイズははっとした表情になった。

「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれはこの国を……このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

「で、でも……」

「でも、何だい?」

「わ、わたし……まだ……」

「もう、子供じゃない。君は十六だ。自分の事は自分で決められる年齢だし、父上だって許してくださってる。確かに……」

 ワルドはそこで言葉を切ると、再び顔を上げてルイズに顔を近づけた。

「確かに、ずっとほったらかしだった事は謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃない事も分かってる。でもルイズ、僕には君が必要なんだ」

「ワルドは……」

 ルイズは考えた。何故か、金木の事が頭に浮かぶ。ワルドと結婚しても、自分は金木を使い魔としてそばに置いておくのだろうか?

 何故か、それはできないような気がした。これがカラスやフクロウだったら、こんなに悩まなくても済んだに違いない。

 もし、あの青年をほっぽりだしたら、どうなるのだろう。

 キュルケか、それとも金木とやけに仲が良いあのメイドとかが世話を焼くかもしれない。

 そんなのやだ、とルイズは思った。少女のワガママさと独占欲で、ルイズはそう思った。金木は……見た目は弱そうだし、腹の立つ事を言う事もあるが、他の誰でもない自分の使い魔なのだ。

 ルイズは顔を上げた。

「でも、でも……」

「でも?」

「あの、その、わたしまだ、あなたに釣り合うような立派なメイジじゃないし……、もっともっと修行して……」

 ルイズは俯きながら、自分の想いを言葉にして紡ぐ。

「あのねワルド。小さい頃、わたし思ったの。いつか、皆に認めてもらいたいって。立派な魔法使いになって、父上と母上に褒めてもらうんだって。でもまだ、わたし、それができてない」

「君の心の中には、誰かが住み始めたみたいだね」

「そんな事ないの! そんな事ないのよ!」

 ルイズは慌てて否定した。

「良いさ、僕には分かる。分かった。取り消そう。今、返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、君の気持ちは僕に傾くはずさ」

 ルイズは頷いた。

「それじゃあ、もう寝ようか。疲れただろう」

 そう言うとワルドはルイズに近づき、唇を合わせようとした。

 ルイズの体が一瞬こわばる。それから、すっとワルドを押し戻した。

「ルイズ?」

「ごめん、でも、なんか、その……」

 ルイズはもじもじとして、ワルドを見つめた。ワルドは苦笑いを浮かべて、首を振る。

「急がないよ、僕は」 

 ルイズは再び俯いた。

 どうしてワルドはこんなに優しくて、凛々しいのに。憧れていたのに。

 結婚してくれと言われて、嬉しくないわけではない。でも、何かが心に引っかかる。

 引っかかったそれが、ルイズの心を前に歩かせないのだった。

 

 

 

 翌日、金木がギーシュとの相部屋で目を覚ますと、扉がノックされた。ノックの音を聞いて、金木は怪訝な表情を浮かべる。今日は船が出ないはずだし、何よりもこんな時間に一体誰がノックをしているのだろうか。

 金木はベッドのすぐそばにある机の上の白い眼帯を手に取ると、左目に着けて起き上がる。それから扉を開けると、そこには羽帽子をかぶったワルドが金木を見下ろしていた。

「おはよう、使い魔君」

 突然訪問者に驚きながらも、金木はとりあえず言葉を返す。

「おはようございます。だけど、出発は明日の朝のはずですよね? こんな時間に一体どうしたんですか?」

 金木の問いに、ワルドはにっこりと笑った。

「君は伝説の使い魔『ガンダールヴ』なんだろう?」

 ぴくり、と金木の眉が動いた。その事を知っているのは、自分の知る限りオスマンだけのはずである。それなのに、どうして目の前の男はその事を知っているのだろうか。

 金木の疑問を感じ取ったのか、ワルドは何故か誤魔化すように首を傾げて言った。

「……その、あれだ。フーケの一件で、僕は君に興味を抱いたのだ。先ほどグリフォンの上でルイズに聞いたが、君はここよりも遥か遠くにある場所から召喚されてきたそうじゃないか。おまけに伝説の使い魔『ガンダールヴ』だそうだね」

「……どうしてその事を知っているんですか?」

 警戒を込めた声で金木が尋ねると、ワルドは先ほどとは違ってきっぱりとした口調で返してきた。

「僕は歴史と(つわもの)に興味があってね。フーケを尋問した時に、君に興味を抱き、王立図書館で君の事を調べたのさ。その結果、『ガンダールヴ』に辿り着いた」

「………」

 怪しいと言えば怪しいが、一応の筋は通っている。金木が変わらずに警戒心を込めた目でワルドを見つめていると、彼はこんな事を言ってきた。

「あの『土くれ』を捕まえた腕がどのぐらいのものだか、知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

「手合わせ?」

「つまり、これさ」

 ワルドは腰に差した魔法の杖を引き抜いた。どうやら彼は、自分と戦いたいという事らしい。一瞬迷ったが、金木はその手合わせを受ける事にした。

 正直言ってそんな事を受ける義理も義務も自分にはないが、ワルドは魔法衛士隊、つまり陛下を護る護衛隊の隊長である。その強さのレベルを知っておくのは、この世界で戦っていくのは重要だろう。金木は分かりましたと言ってから、ワルドに尋ねた。

「どこでやるんですか?」

「この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦だったんだよ。中庭に練兵場があるんだ。そこでやろう」

 そう言って、ワルドは金木に背を向けて去って行った。彼の後ろ姿を見送った後に部屋に視線を戻すと、ちょうどギーシュが起きた所だった。彼はふぁ~とあくびをすると、部屋の入り口に立っている金木に気づいた。

「おや? どうしたんだいこんな時間に」

「うん……ちょっとワルドさんと手合わせをする事になって」

「て、手合わせ!?」

 金木の発言に、ギーシュは目を見開いて驚いた。それもそうだろう、と金木は思う。自分だってギーシュの立場に置かれたら、どうしてそうなったんだと言いたくなるに違いない。

 そんな事を思っていた時、金木の背後から声が聞こえてきた。

「面白い話をしてるわね」

 金木が振り返ると、そこには寝間着姿のキュルケとタバサが立っていた。どうしているんだと金木が尋ねる前に、キュルケが理由を説明する。

「起きて部屋を出ようとしたら、あなたとワルド子爵が何か話してるのを聞いたのよ。途切れ途切れで何を言ってるのかよく分からなかったけれど、そんな事を話してたのね」

 そう言うキュルケの目は、好奇心で輝いていた。よく見てみるとタバサの瞳は、いつもより生き生きとしているように見える。完全に手合わせを見る気満々だった。

 一方、ギーシュの方も顎に手を当ててこんな事を呟いていた。

「ワルド子爵と、僕のワルキューレを打ち倒したカネキの手合わせか……。確かに興味があるな」

「そうよね? ちょっと見物させてもらいましょうよ。ねぇタバサ」

 タバサはコクリと頷いて、キュルケに同意を示す。

 自分が引き受けた事とはいえ、面倒な事になったな……と金木はため息をついた。

 

 

 

 金木とワルドはかつて貴族達が集まり、陛下の閲兵を受けたという練兵場で二十歩ほど離れて向かい合っていた。彼らの様子を、キュルケ、タバサ、ギーシュの三人が興味深そうに見つめていた。

 練兵場は今ではただの物置き場になっている。樽や空き箱が積まれ、かつての栄華を懐かしむかのように、石でできた旗立台が苔むして佇んでいる。

「昔……と言っても君は分からんだろうが、かのフィリップ三世の治下には、ここでよく貴族が決闘したものさ」

「決闘……ですか」

「ああ。古き良き時代、王がまだ力を持ち、貴族達がそれに従った時代……貴族が貴族らしかった時代……、名誉と誇りをかけて僕達貴族は魔法を唱えあった。でも、実際はくだらない事で杖を抜きあったものさ。そう、例えば女を取り合ったりね」

「……分かりましたから、早く始めませんか? 時間の無駄です」

 やや棘がある口調で金木が言うと、それを制するようにワルドは左手を突き出した。

「立ち合いには、それなりの作法というものがある。介添え人がいなくてはね」

「介添え人?」

「安心したまえ。もう、呼んである」

 ワルドがそう言うと、物陰からルイズが現れた。ルイズは二人を見ると、はっとした顔になる。

「ワルド、来いって言うから来てみれば、いったい何をする気なの?」

「彼の実力を、ちょっと試したくなってね」

「もう、そんな馬鹿な事やめて。今はそんな事している時じゃないでしょう?」

「そうだね。でも、貴族というヤツは厄介でね。強いか弱いか、それが気になるともう、どうにもならなくなるのさ」

 ワルドを説得するのは無理だと思ったのか、ルイズは今度は金木を見た。

「やめなさい。これは、命令よ」

「そう言われてもなぁ……」

 金木は困ったように笑いながら頬を掻く。この手合わせを受けたのは自分だし、何よりやめようと言ってもワルドが聞き入れそうにない。すると、キュルケとギーシュがルイズのそばまで歩き、彼女の手を引っ張って行った。

「落ち着きなさいよ、ルイズ。何も殺し合いをするわけじゃないんだから、ここは見物させてもらいましょう」

「そうだよルイズ。こんなの、中々見れるものじゃないよ」

「は、離しなさいよ二人共! てか、あんた達も止めなさいったら!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐルイズを金木が苦笑しながら見つめていると、ワルドが言った。

「では、介添え人も来た事だし、始めるか」

 ワルドは腰から杖を引き抜いた。フェンシングの構えのように、それを前方に突き出す。金木はため息をつくと、両手の拳を上げて、まるでボクシングのようなファイティングポーズをとる。

 それを見て、ワルドはおろかルイズとキュルケ、ギーシュ、さらにはいつもは無表情のタバサすらもきょとんとした表情を浮かべた。ようやく我に返ったワルドは金木のポーズを見て、眼を鋭くして金木を見る。

「どういうつもりだ? まさか、剣を取るまでもないとでも言う気かい?」

 ワルドの怒ったような口調は当然だろう、とルイズ達は思う。今までの戦いを見る限り、金木の戦闘方法は主に剣を使った白兵戦である。しかし今の彼は剣すら手に取っていない。あれではまるで手加減をしていると言っているようなものだ。

 しかも、強いとはいえ金木は平民でワルドはスクウェアクラスのメイジである。そんな相手に武器無しで戦おうというのだから、馬鹿にされていると思うのも当然だろう。

 だが、金木は変わらず困ったような笑みを浮かべながら言った。

「だってこれはあくまでも手合わせですし……、アルビオンに出発するのは明日の朝なんですから、怪我でもしたら大変ですよね? そのためにですよ」

 それを聞いてルイズ達は顔をさっと青ざめさせ、ワルドの顔が怒りで少し紅潮する。

 何を考えているんだとルイズは金木に思う。今の言い方ではまるで、ワルドが剣を持った自分より弱いと言っているようなものだ。その証拠に、ワルドは怒りで手をぷるぷると震わせている。そして自分のその怒りを必死に抑え込んで、ワルドが金木に言った。

「良いのかい? それでは逆に僕が、君に怪我を負わせてしまうかもしれないよ?」

「怪我をしないように努力はしますから、大丈夫です」

 折角の忠告も無視され、ワルドは怒りと苛立ちで奥歯を強く噛み締めた。

「そうか……。では悪いが、全力で行かせてもらうぞ!」

 そう叫んだ直後、ワルドは瞬時に金木との距離を詰めて金木の顔面に強烈な突きを放った。並大抵の人間ならば、間違いなく食らってしまうほどの威力である。

 しかし金木は顔を横にずらしてかわすと、ワルドとの距離を取ろうとする。だがワルドはすぐに体勢を立て直すと、再び金木との距離を詰める。

「どうやら少しはやるようだね。だけど、それでは勝てない事を教えてあげよう!」

 言いながら、鋭い突きを次々と金木に放っていく。金木がその攻撃をかわしていく様をルイズ達がはらはらとした表情で見つめていると、ギーシュが小さな声で言った

「や、やはりいくら彼でもワルド子爵が相手では分が悪すぎるんじゃないのか?」

 それに、二人の攻防をじっと観察するように見つめているキュルケが厳しい口調で返した。

「そうね……。こうして見てると分かるけど、かなりの使い手ねあの子爵。動作の一つ一つが洗練されてる……。傭兵どころか、それなりの腕を持ったメイジでも歯が立たないかもしれないわ」

「だからやめなさいって言ったのに! あの馬鹿使い魔!」

 今のままでは、本当に大怪我を負ってしまうかもしれない。ルイズが戦いをやめさせるために駆け出そうとすると、その肩をタバサが掴んだ。

「何よ! 離しなさいよタバサ!」

「……彼なら、大丈夫」

 え? とタバサ以外の全員が、彼女の顔を見た。彼女の青色の目はまっすぐ金木とワルドの戦闘に向けられている。キュルケはタバサの顔を見て尋ねた。

「ねえタバサ、カネキなら大丈夫ってどういう意味?」

「……彼、ちっとも苦しそうじゃない」

 そう言われてルイズ達三人は金木とワルドの戦いを改めてよく観察してみる。

 すると、ある事が分かった。ワルドが必死に長い魔法の杖での攻撃をしているのに対し、金木の方はそれらの攻撃をまったく食らわずにかわし続けている。しかも息一つ切らしていない。その光景は、はっきり言って異常だった。

 今の金木は、剣を握ってすらいない。つまり、本気を出していない状態なのだ。それに対して、ワルドの方は明らかに全力で金木を倒しにかかっている。それなのに、金木には攻撃がまったく当たっていない。それがどういう意味なのかを察し、三人は目を大きく見開いた。

 そして三人の考えを代弁するかのように、タバサが呟く。しかしその声には、言っている本人も信じられないという感情が込められていた。

「……彼の実力は、子爵以上」

 

 

 

(くそ……! どうして攻撃が当たらない!?)

 先ほどから攻撃をし続けているワルドは焦っていた。先ほどからほぼ全力での攻撃を放ち続けているというのに、目の前の白髪の青年にまったく当たらない。それどころか青年の表情には焦りの色などはまったく浮かんでおらず、これではまるで逆に自分が追い詰められているようだ。

(ならば……!)

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 一定のリズムと動きを持つ突きを何度も繰り出しながら、ワルドは低く呪文を呟き出す。

 そして呪文を唱え終わった時、空気の槌が横殴りに金木に襲い掛かる。見えない巨大な空気のハンマーで相手を攻撃する魔法、『エア・ハンマー』だ。

 勝った、とワルドは心の中でほくそ笑んだ。相手は確かに中々の手練れのようだが、所詮は平民。攻撃を見る事が出来ない風の魔法で攻撃すれば勝負は決まると思っていたからだ。

 だが、ワルドの予想は裏切られる事になる。

 まるで攻撃位置が分かっていたかのように、金木が一歩後ろに下がって攻撃をかわしたからだ。そのおかげで空気の槌は目標を逃し、何もない空間を通過する事になった。自分の攻撃を容易くかわされた事で、ワルドは信じられないと言うように目を大きく見開く。

(馬鹿な……! 奴には、僕の魔法が見えているとでも言うのか!?)

 一方、焦っているワルドとは対照的に金木は非常なまでに落ち着いて戦況を分析していた。ワルドのうろたえようから見て、やはり今のは魔法による攻撃だったらしい。

(……見えない攻撃っていうのは厄介だけど、それを使うのが人間なら話は別だ)

 確かにかわす事は難しいかもしれないが、相手の目線、杖の動き、そして魔法が発動する時の風の音などを考慮すれば、攻撃をかわす事は決してできないではない。

 面白いように動揺しているワルドを眺めながら、金木は内心ため息をついた。

(……強い事は強いけど、この程度か)

 魔法衛士隊の隊長と言うだけあって、ワルドの動きは確かに素晴らしいものだった。喰種の宿敵であるCCGで言えば準特等捜査官、最低でも上等捜査官ぐらいの力はあるだろう。

 しかし、一番上の階級である特等捜査官ほどではない。彼らはまさしく、人間側の化け物と呼べる存在だった。彼らの実力は、SSレートと認定された金木でさえ手を焼くほどである。

 そして、数多の強敵を撃破してきた金木が完敗した敵が、二人ほどいる。

 一人は、CCGの死神、有馬貴将。

 もう一人は、金木と同じSSレートの喰種、(しゃち)

 かつてはコクリアと呼ばれる喰種が収監される牢獄に入っていたが、喰種集団のアオギリがコクリアを襲撃した際に脱獄してアオギリに加入した喰種である。見た目はまさに武人と呼べるほど屈強な体格の男性であり、人間の世界で鍛え上げられた肉体と彼の名の由来となった鯱の尾のような尾赫の赫子の威力は、金木を二回も敗北に追い込んだほどだ。

 あの二人に比べるとワルドは全然遅いし、攻撃も弱い。

 正直言って、赫子も剣も無くても勝てるレベルである。

(……そろそろ決めるか)

 そう決めると、金木は呪文を唱えようとしているワルドの喉に鋭い手刀を放つ。首に手刀の一撃を食らったワルドは魔法の詠唱が阻害され、魔法を唱える事が出来なくなった。

 その隙に金木はワルドに接近すると、顔面を二回ほど殴り、さらにわき腹に右フック、最後に彼の腹に左ストレートを放つ。一連の攻撃の上に腹に強烈な一撃を食らったワルドが腹を抑えてうずくまった所ですくい上げるようなアッパーで彼の頭を上にはね上げると、最後に軽く跳躍して強烈な蹴りを放つ。

 金木の蹴りで吹き飛ばされたワルドは積み上げた樽に激突し、樽がガラガラと崩れ落ちた。

 金木は無表情のまま倒れているワルドに歩み寄ると、吹き飛ばされた際に彼が取り落とした杖を踏みつけ、デルフを抜くと切っ先をワルドの鼻先に突き付けた。

「勝負あり、ですね」

 ワルドは唇の端から血を流しながら金木を睨んでいたが、少し悔しそうな表情を浮かべながらこくりと頷く。金木はデルフを鞘に納めると、その場から歩き去っていた。

 戦闘を今まで見ていたルイズ達は、金木の圧倒的勝利という結末に思わずぽかんと口を開けてしまっていた。

「ま、魔法衛士隊の隊長に勝つなんて……」

「彼……あんなに強かったの……?」

「……すごい」

 金木が強い事は分かっていたが、まさかスクウェアクラスのメイジに勝つほどまでとはまったく思っていなかった。しかも金木は剣すら抜いていない、完全に本気を出していない状態での戦いだった。一体、彼が本気を出したらどれぐらい強いのだろうか。もしかしたら、ドラゴンすら倒してしまうかもしれない。そう考えて、キュルケとギーシュ、タバサは思わず身震いした。

 そして、戦いを見ていたルイズは驚きながらも昨日のワルドの話を思い出していた。伝説の使い魔、ガンダールヴ。かつて始祖が用いたという、強力な力を持つ使い魔。最初は信じられなかったが、金木のあの強さからすると、もしかしたら本当なのかもしれないとルイズは思う。

 だが、それと同時にルイズの胸にはある思いがあった。唇を噛み締めて俯きながら、ルイズは心の中で呟く。

(……金木はあんなに強いのに……あんなにすごいのに……どうしてわたしは、魔法が使えない無能(ゼロ)なの……?)

 

 

 

 一方、金木に見事に叩きのめされたワルドはというと、

(くそ……!)

 痛む体を起こしながら、ワルドは拳を強く握りしめていた。ここでルイズと金木に自分の実力を見せつけるつもりだったのに、蓋を開けてみれば自分の完敗という結果に終わった。さらに、あの白髪の青年は本当の実力すら見せていない。その事が、ワルドのプライドを激しく傷つけていた。

 正直言って、平民の金木を侮っていたのは事実である。ガンダールヴと言うだけあって確かにそれなりの実力は持っているようだが、スクウェアクラスのメイジである自分が本気になれば簡単に勝てると思っていた。だが、それは大きな間違いだった。あの青年は、自分が本気でかかっても簡単に倒してしまうほどの力を持っている。ギリ……と怒りで奥歯を噛み締めながら、先ほどの金木の後ろ姿を思い出す。

(……まぁ良い。今の手合わせは僕の負けだが、この旅の()()()()()を達する事ができれば、僕の勝ちだ。精々いい気になっていると良い、ガンダールヴ……!)

 そしてワルドは、誰にも見られないように顔を伏せたまま、歪んだ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 練兵場を去った金木がしばらく黙って歩いていると、背中に担いでいるデルフが唐突に口を開いた。

「なぁ相棒。一つ聞いていいか?」

「どうしたの? デルフ」

「相棒が本気を出さなかったのは、本当にワルドに怪我をさせないためだけか?」

 デルフが放った一言に、金木はその場に立ち止まる。それから振り返ってデルフを見ると、彼はさらに言葉を紡いでくる。

「相棒のさっきの戦いを見てたが、俺には相棒がワルドに本気を見せないように戦ってたように見えたぜ? ワルドに怪我をさせたくなかったってのは嘘じゃないが、それ以外にも理由があるんじゃないのか?」

 すると図星だったのか、金木は困ったように笑いながら頬をポリポリと掻く。

「よく分かったね」

「俺をあまり舐めんなよ。伊達に長く生きてねぇしな。で、どうしてあんな戦い方をしてたんだ?

 デルフの言葉に、金木は表情を真剣なものに切り替えながら答える。

「……よく分からないけど、ワルドさんに本気を見せるのは危険な気がしたんだ。だから、本気を見せるのは避けたかった」

 理屈も何もあったものではなく、それはただの勘に近い。しかし、金木は今までに何回も騙されてきて、そのたびに大切なものを失ってきた。そんな金木の直感と呼べるものが、金木に警告していたのだ。こいつに自分の本当の力を見せるのは危険だ、警戒しろと。

 険しい表情を浮かべながら、金木はさらに続ける。

「……ルイズちゃんの婚約者だし、あまり疑いたくないけど、あの人には何か引っかかる。だから、できれば全力で戦いたくなかった」 

「……なるほどな。ま、俺が見てた限りあいつはあれがほぼ全力だったみたいだぜ。ほぼだからもしかしたらさらに上があるかもしれんが、ルーンの力を使ってすらいなかった相棒に完敗したんなら大丈夫だろ」

「……楽観はできないよ。これから何か起こるかもしれないし。油断大敵、だよデルフ」

「慎重だねぇ、相棒は」

 それに金木は再び苦笑しながら、『女神の杵』亭へと戻るのだった。

 

 


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