ヒフウノナナフシギ   作:ナツゴレソ

7 / 23
7.何もない私でも

 真昼の曇り空の下、少女は電柱の先で身体の後ろに組みながら私達を覗き込んでいた。

 この子が、都市伝説メリーさんの正体……

 元々メリーさんは捨てられた人形が持ち主のところまで復讐しに行くっていうお話だけど、確かに人形みたいに端正な顔立ちの少女だった。淡い緑の髪は染めたような人工的な色ではなく自然な艶を放っている。そして身体に撒きついている生物的な管の先にはレトロな受話器が付いていていた。

 

「ふふふ……」

 

 ふと薄ら笑いを浮かべる少女の、翡翠色の大きな瞳とばっちり目が合ってしまう。その瞬間、先程殺されかけた光景がフラッシュバックして、足が震えてくる。

 そんな私を気遣ったのか、北斗は庇うように私の前に立ち、大刀を構える。背中越しにはその表情は見えないけれど……さっきの言葉が引っかかって仕方がなかった。

 

「おにーさん、どうして私の名前を知ってるの?」

 

 つい北斗を気にしていると、頭の上から幼い声が降ってくる。奇しくも私が考えていたこととまったく同じ疑問だ。見上げると、女の子が左手の受話器と右手のナイフをぶらぶらとさせながら真横に首を傾げていた。

 

「お姉ちゃんの仲間? だとしても私の心は読めないはずだよねぇー……それに、匂いは人間だし。おにーさん、何者?」

「俺はただの人間だよ。覚妖怪でも魔法使いでもない」

「ふーん……面白いねおにーさん。貴方にも興味が出てきたよ」

 

 女の子はあざといほど可愛らしい仕草で前屈みになって笑う。けれど、右手に持つ得物のせいで狂気的なものにしか映らない。

 そんな少女からの好奇の視線を一身に受けても、北斗は構えを解かなかった。確か、さっき北斗はこの子のことをメリーさんではなく……

 

「こいし……やっぱり記憶がないのか?」

 

 そう、こいしと呼んでいた。どうやら北斗は彼女のことを知っているみたいだけれど……

 突然私の背後を取ったり、空を飛んだりしているってことは、幻想郷の知り合いなのかしら? だとしたら今までの無茶苦茶は納得できるけれど……

 真相を問い質したいところだけれど、こんな状況でできる訳もない。代わりに私はこいしと呼ばれた少女に向かって叫ぶ。

 

「どうして私を狙うの!? いいえ、そもそもどうしてこんなことをするの!?」

「んー、理由なんてないよー! やりたかっただけー」

「なっ……」

「だって面白いんだもん! 逃げ回ったり、家の中に閉じこもったり、みんな反応が違うんだよ? 特にずっと壁に背を付けて動いてた人なんてお腹がよじれるほど笑っちゃったよ!」

 

 純真に遊ぶ子供のような笑顔で突き付けられた言葉に、私は絶句してしまう。理由が欲しかったわけじゃない。けれど、こうも平然と……まるで羽虫を潰したかの様に罪悪感を思えていないことに、平常心でいられなかった。

 

「どうして、そんなことを……」

 

 北斗も信じられないように呆然と呟く。刀を持つ右手に力が入っているのが私にもわかった。彼女と北斗がどんな関係なのかは分からないけれど……少なくともこの子を倒してお仕舞、という訳にはいかないようね。

 私達が立ち尽くていると、女の子……こいしは白けたような表情で溜息を吐いた。

 

「あーあ、おにーさん達も全力で逃げてくれるから面白かったのになぁ。ねえ、もしかして、もうおしまい?」

「……もしそうなら逃がしてくれるのかしら?」

「駄目だよー、ちゃんとおねーちゃんを殺さないと。オモチャは、お片付けしないとこの遊びは終われないよ!」

 

 そう言い終わるが早いかこいしは電柱から飛び降りて、私達に向かって降ってくる。重力を無視したようなフワリとした跳躍だ。ほぼ同時、迎え撃つように北斗も飛び上がって大刀を振り上げる、が刀とナイフが交差する瞬間、北斗の刃はあっさり空を切った。

 

「えっ……?」

 

 私が思わず声を漏らした時にはもうこいしが視界にいなかった。消えた? 高速で移動した? それとも……

 

「蓮子、しゃがんで!」

 

 考えている間に上から声がする。北斗が電柱横の検査用の足掛けに掴まり、身をねじりながら叫んでいた。

 言われた通りに……とはいかず半ば転ぶようにして身を屈めると、左の二の腕に鋭い痛みが走る。アスファルトに倒れ込みながらも腕を見ると、カッタシャツが紅い血で染まり始めていた。

 

「むー、また避けられた」

「ッ……!?」

 

 腕を押さえながら振り向くと、ふくれっ面のこいしがいた。また背後、これで三度目だ。いったいどうやって瞬間移動なんてしてるのかしら? ワームホール? 量子テレポーテーション? はたまた光速移動?

 ……って考えてもオカルト相手に理性的な思考は意味がないんだっけ。とにかくこいしは私の背後に瞬間移動できる、そう理解するしかない。

 

「う……」

「蓮子、逃げろ!」

 

 北斗から無茶ぶりが飛んでくるけれど、私にはどうしようもなかった。これまでは何とか北斗が防いでくれたけど、素人の私じゃいつまで避けれるかわからない。

 一体どうすれば……と考えを巡らせていると私の背中を掠めるように何かが飛んでいく。顔と目だけで振り返ると、北斗が投げたお札がこいしの身体に張り付き束縛していた。この日初めてこいしの顔が笑顔から苦悶の表情に変わる。

 

「ッ……邪魔しないでよ、おにーさん!」

「そんなことッ!」

 

 北斗は声を荒げながら軽快な動きで電柱を蹴りこいしに肉薄する。勢いのまま刀を振るうけれど、こいしは寸のところでお札を振り払って避ける。

 が、その動きを読んでいたかのように、北斗はクルリとバスケのフェイントの如く身体を回転させながら距離を詰めていく。

 牽制をしようとしているのかこいしが軽快な動きでナイフを突き出すけれど、北斗は身体を低く沈めるだけでそれを避けていた。まるで蛇のように滑らかで柔軟な動きだ。左腕の痛みを忘れて見入ってしまう。

 

「あた、らない!」

「………………」

 

 完全に大刀の間合いに入っていると素人目にもわかるのに、北斗は刀を振るわない。無言でナイフを躱し続けている。しかも敢えてナイフが当たる位置で、だ。

 知り合いだから攻撃できないか、あるいは攻撃のチャンスを狙っているのか……どちらかわからない。けれど幾らナイフを振ってもかすりもしない状況に、こいしは明らかに苛立っていた。

 

「お兄さん、本当に、邪魔!」

 

 こいしは吐き捨てるように叫びながら身体に巻きつかせていた管を鞭のように鋭く振るう。けれどそれすらも北斗は刀でいなし、捌いた。

 ついに苛立ちが頂点に達したこいしは管を所構わず乱暴に振り回し始める。

 

「ッ、危ない!」

 

 それを見た北斗が私の前に回り込みながら叫ぶ。とほぼ同時に、視界に血飛沫が舞う。それは北斗の右の掌から迸っていた。何が起こったかわからない。けれど、北斗が私を庇ったことだけはわかった。

 そして、それが致命的な隙になったことも。

 

「くっ……!」

「わーい! つっかまーえた!」

 

 一瞬立ち止まった瞬間を狙われたのか、北斗の左腕に管が絡み付いていた。

 体勢を沈め踏ん張ろうとするけれど、力が拮抗したのは瞬きするほどの一瞬。北斗はいとも簡単に振り飛ばされ、ブロック塀に叩きつけられる。

 凄まじい勢いだった。口の端から血がこぼれるのを見て、思わず顔を逸らしてしまう。

 

「うふふ……アハハハ!!」

 

 その視線の先に満面の笑みを浮かべたこいしが立っていた。アスファルトから立ち昇る陽炎を越え、ゆっくり近付いてくる。右手のナイフをこれ見よがしに光らせているのは、私の恐怖心を煽ろうとしているのかしら。

 

「さーて、お邪魔虫はいなくなった! さ、お姉さん! 終わりにしよーか!?」

「ひっ……」

 

 北斗という障害をなくし、もう誰もこいしを止めてくれない。夢だと思いたかったけれど、左腕の痛みがそうでないと証明し続けている。

 ただの人間である私には、こいしがゆっくり歩いてくるのを見つめることしか出来なかった。恐怖に動かない手足、満足に逃げ出すこともできない。私は自分の非力さに絶望してしまう。

 

「……私、は」

 

 ……私には何もない。それなのにメリーについていきたいという自分本位なだけの理由で首を突っ込んだ結果、理不尽に死んでしまうことになった。自業自得だと言われても仕方ない。

 私は左腕を抑えながら目を閉じる。刺される痛みってどんなのかはわからないけれど、きっと腕の時より何倍も痛いんだろうな。せめて叫ばないでやろう。絶対に泣かないでやろう。そんな稚拙な意地を張りながら、私は歯を食いしばってその瞬間を待つ。

 

 

 

 けれど、私を襲ったのは痛みではなく、浮遊感だった。この感覚は衛星トリフネの中で体感した無重力に似ている。

 思い切って目を開いてみるとコンクリートに舗装された道路は影も形もない。無数の瞳が背景になっている不気味な空間に、私は浮かんでいた。これは昨晩通った境界、確か紫がスキマと呼んでいた場所だ。ということは……

 

「どうやら間に合ったようね」

「紫……」

 

 私の目の前に浮き上がるように紫が姿を表す。どうやら彼女に助けられたようだ。緊張の糸が切れてつい私は空中にへたり込んでしまう。

 何とか気持ちを落ち着かせ周囲を見てみると、北斗も回収されたようで仰向けの状態で宙を漂っていた。けれどその身体には力が全く入っておらず、ぐったりとしている。そして、よく見ると右の掌には鋭いアスファルト片が突き刺さっていた。

 こいしが弾いた破片から庇ってくれたのか。血だらけで悲惨な姿、もしかしたら……

 

「大丈夫よ、死んではいないから」

「そう……よかった……」

 

 最悪の事態を想像してしまっていただけに、私は無意識に安堵の溜息を吐いていた。

 それにしても紫は北斗や私を対して気にかける様子もない。ただ貼り付けたような微笑を浮かべ、日傘を回していた。紫外線なんて届きそうもない空間なのに何で日傘……?

 と意識がそちらに向いたところで、私はようやく日傘の影に隠れるように浮かぶメリーに気付いた。メリーは私の姿を見るや否や、宙を蹴って近付いてくる。

 

「蓮子! 貴女だって怪我しているじゃない! メリーさんに追われてるっていうからずっと探してたのよ!? それなのに電話も途中で黙り込んだと思ったら唐突に大っきな音もしたし……心配させないでよ!」

 

 気圧されるほどの剣幕でメリーに言われた私は何も言葉を返すことが出来ない。紫はともかくメリーがここにいるとは思っていなかったので、不意を突かれてしまった。

 私は咄嗟に右手で左腕の傷を庇うようにして隠そうとするけれど、メリーは右手を取ってそれを遮った。眉間にしわを寄せ、睨みつけるように至近距離から私を見つめる。そして、前触れもなくクシャリと表情を歪めた。

 

「ごめん、なさい。蓮子……」

「ちょ、突然謝ったりしてどうしたのよメリー!?」

 

 私はメリーの思いも寄らない反応に戸惑ってしまう。

 わからない。どうしてメリーが謝らないといけないの? どうしてそんな顔をしているの? どうして泣きそうなの? 心配掛けたのは私の方じゃない。北斗の足を引っ張ったのは私じゃない。なのに……何で私が謝られないといけないのよ!?

 なんて口に出してしまいたかったけれど、言葉にならない。喉の奥で言葉が詰まって苦しかった。メリーは顔を伏せ、息を飲んでから喋り続ける。

 

「こんなことになるなんて思わなかったの。軽い気持ちで、紫の誘いを受けて……」

「………………」

「私が巻き込んでしまったから、蓮子も、北斗も傷付いてしまった。だから、もう」

「やめよう、なんて言わないでよ」

 

 私はメリーの言いかけた言葉を遮る。それだけは言わせるわけにはいかない。メリーに誘われたからここにいるだなんて……メリーにだけは思われたくなかった。

 昨日の晩、確かに私はメリーの言葉で背中を押された。けれど、軽い気持ちで頷いた訳じゃない。

 私は私の意思でメリーの傍にいる。メリーの隣で不思議を証明したい。メリーを肯定したい。だから私は秘封倶楽部を作った。ようやくメリーの瞳無しで不思議に触れられたんだ。否定させはしない。諦めさせはしない。

 

「私は続ける。きっとこれからみんなの足を引っ張ることになっても、秘封倶楽部の活動は止めない!」

 

 私は目一杯の握力でメリーの手を握り返す。メリーは目を見開いたまま動かない。

 しばらく見つめ合っていると、視界がボヤけてくる。どうやら貧血のようだ。左腕の傷、そこまで酷くないと思って他のだけれど、以外と深かったみた、い。

 

「蓮子!?」

 

 立ち眩みで自分の身体を支え切れない。白んだ視界の中、私はメリーと手を繋いだまま倒れる……

 

「よっ、っと。大丈夫か、蓮子」

 

 その前に誰かが背中を支えてくれる。傾く視界に、ひょっこりと北斗の顔が入り込む。全く起きる気配がなかったのに……本当に人間離れしてるわ。

 そう思いながら目を閉じる。もう我慢出来そうになかった。しばらく寝かせて、貰おう。心地いい暗闇に身を任せていると、男の優しい声が届く。

 

「さっきの言葉、聞いたよ」

「………………」

「それでいいと思う。足を引っ張ることなんて今は考えなくていい。自分が、蓮子が出来ることを考えるんだ。考え続ければきっと……」

 

 自分に出来ることを……考え続ける。私はその単語を頭の中で反芻させながら、暗闇の中に意識を埋没させた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。