「おかしいわ、蓮子ったら幾ら電話しても出ない」
私は釈然としない気持ちで、ケータイをしまう。
蓮子は普段から長電話をしたがらない。私が暇潰しに電話するとそれをすぐ察して、集合場所を一方的に決めて電話を切ってしまうのだ。
彼女曰く、機械を介してだと気持ちが伝わってこないから、とのこと。そんな大層な感受性、蓮子が持ってるわけないと思うんだけれど……
そんな本人が聞いたらヘソを曲げそうなことを考えていると、後ろから声が飛んでくる。
「放っておきましょう。買い物を終えたら駐車場に戻れば合流できるはずよ。子供じゃないんだからわざわざ連絡を取る必要はないわ」
「そうなのだけれど……何か違和感を感じるのよ」
私は声の方に振り向きながら返す。するとほぼ同時に試着室のカーテンが開き、紫が姿を現した。
肩紐の薄手のワンピースに着替えた紫は、一回転してスカートの花を咲かせて見せる。フリルとリボンがふんだんにあしらわれたフェニミンな一着だ。
「そんなことより、これなんてどうかしら?」
「……もう少しシンプルなデザインの方が似合うと思うわ」
「あら、貴方の趣味に合いそうなのを選んだつもりだったのに、残念」
素直な感想を言うと、紫は小さく肩を落としながら再度試着室の中へ消えてしまった。
なんで私だけ紫の服選びに付き合わされないといけないのかしら……? 私はアパレルショップの一角で嘆息を漏らしてしまう。北斗はともかく、蓮子も連れ出せばよかったのにと思わずにいられない。
そういえば、今頃蓮子は北斗と二人っきりなのかしら? どうも蓮子は北斗のことを良く思ってないみたいだから、この機会に少しでも打ち解けてくれたらいいのだけれど。
なんて考えながら私も何気なく服を見ていると、カーテン越しに紫が話しかけてくる。
「そういえば、貴方達はサークル活動の一環としてここに来たと言っていたわね。ということは、この街についてある程度調べて来ているのかしら?」
「ええ、特に蓮子はかなり調べ上げていると思うわ。こういう旅行をするとなると張り切っちゃうみたいで……」
その割には当日に遅刻するんだけれどね。そこに関しては、本当によくわからないわ。つい口からため息を漏らしていると、試着室からクスクスと笑い声が返ってきた。
「まるで子供とお母さんみたいね。で、早速聞きたいのだけれど、この街で起こってることで何か面白い話はないかしら?」
「面白い話……?」
「ええ、この街で起こっている都市伝説とかね。調べ始める取っ掛かりが欲しいの、何かないかしら?」
紫からの唐突な無茶ぶりに応じるため、私は事前にまとめて置いたメモを取り出して見てみる。
私はインターネットの掲示板を中心に調べていたのだけど……はっきり言って眉唾物の話しかなかった。ま、その中で面白い話をすれば気が済むでしょう。
……そうだ、紫もちょうどケータイを買った訳だし、それに関連した話をしてみよう。この街で起こってる訳じゃないけれど、話の種にはなるでしょうし。私は咳払いを一つしてから少し声音を落としながら話し始める。
「紫、メリーさんって知ってるのかしら?」
「……あぁ、ごめんなさい。配慮が足りなかったわね、メリーさん」
「わざと勘違いするフリしないで頂戴。私だって紛らわしくて辟易してるんだから!」
「ふふ、つい言いたくなっちゃって」
つまらない冗談に語気を強めると、紫はカーテンから顔だけを出して笑った。
見た感じ私より大人な雰囲気を纏っているのに、意外と子供っぽい仕草もする。よくわからない人だわ。私は再度咳払いをしてから話を続ける。
「都市伝説の中でも有名な方かしら? ある日突然電話が掛かってきて『私メリーさん、今駅にいるの』とみたいなことを言って切られてしまうの。それから何度も何度も同じような電話が掛かってきて、段々自分の元に近付いてくるの。そして……」
「最後には『私メリーさん、今貴方の後ろにいるの』と電話が掛かってくると」
「……どうせ知ってるとは思っていたけれど、オチを言うなんて、最悪だわ」
私は恨めしい思いで紫を睨みつける。すると紫は愉快気に目を細めながらそそくさとカーテンの中へ逃げてしまった。電話もなさそうな幻想郷から来たから知らないだろうと踏んでいたのに……
それにしてもなんでメリーって名前なのかしらね? まるで私がストーカーみたいじゃない。止めてもらいたいわ。いや、そもそもこのあだ名自体、蓮子が付けたのだから文句を言うなら蓮子に対してかしら?
私は店の壁に寄り掛かって天井を見上げる。間接照明を眺めていると、ふと懐かしい思い出が浮かび上がってきた。
それは二年前の春先のこと。人とは違うものが見える私が大学内で孤立するまで、大した時間は掛からなかった。
このことを黙っていれば友達の数人くらい出来たかもしれない。けれど、そうするつもりはさらさらなかった。
別に人付き合いが苦手な訳じゃない。そう、強いて言うなら……普通が嫌だったから。自分の特別を隠して普通に生きていくことが退屈だと思えてならなかったからだ。
けれど、私がどんな選択をしようとも結局退屈な未来は変わらなかったのかもしれない。周りの人間が、環境が、そして私自身がつまらないのだからどうしようもない。
そう、その日までは……
私は頭の片隅でたわいのないことを考えながら、授業内容をノートに書き写していた。機械的に手を動かし続けていると、不意に隣の席が微かに軋んだ。
「貴女が噂の電波を振り撒いている外人?」
その黒髪の女性は断りも何もなく、講義中に突然私の隣の席に座り話し掛けてきた。横目でチラリと見てみるけれど知らない顔だ。
彼女の机の上にはテキストもノートもない。それどころか鞄すら持っていなかった。中折れ帽子を手に持っているくらいしか荷物は見当たらない。
馴れ馴れしくて不真面目な日本人。それが初めて彼女に抱いた感想だった。日本人は奥床しいものと思い込んでいたけれど、例外もいるみたいね。後ろの席だから今のところ教授にはバレていないけれど、目を付けられたくはない。この講義、必修なんだから落とす訳にはいかないもの。
私は黒板から目を離さずに、隣に座る女性に向かって言う。
「自分にしか理解できない情報を電波と言うのなら、その通りね」
皮肉を込めた台詞だったのだけれど、少女はククッ、と肩を揺らして笑う。それが妙に癪にさわって、私はペンを置いて隣の女性を睨む。対して女性は私を見つめながら頬杖を突いていた。
私に真っ直ぐに向けられた視線がバッチリ合う。すると言おうと用意していた文句が頭の中から綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。その間隙を突かれ、先に女性が先に口を開く。
「自分しか理解できないなんてことはないわ。みんな怖がって理解を拒んでいるだけよ。未知に対するもっとも単純で簡単な対処手段は無視だからね」
「……何が違うのかしら?」
「私は違うってことよ」
女性は訳のわからないことのたまっている。煙に巻くつもりかしら?露骨に不機嫌そうにしてみせるけれど、黒髪の女性は大して気にした様子もなくグッと距離を縮めてくる。
「未知への対処法はもう一つあるわ。何だと思う?」
「貴女のように知ったかぶることじゃない?」
「私は貴女のことなんて全く知らないわよ。変なことを言ってる外国人だとは噂で聞いていたけれど」
「わざわざそれを伝えに来たの? 随分暇なのね。お生憎様、とっくに知ってるしその他大勢がどう言おうが気にもならないわ」
まったく自分でも可愛げがないと思わずにいられない。なのに、それでも女性は私に話しかけることを止めなかった。右手にいつの間にか持ったペンをクルクルと手の中で回しながら肩を竦めてみせる。
「まさか。私はそんなお人好しじゃないし、暇でもない。正解はもっと単純よ……知ればいいの。理解し受け入れればいい。ね、簡単でしょう?」
ペン先を突きつけながら言った彼女の言葉に、私は内心で鼻を鳴らさずにいられなかった。
簡単ですって? わかってないわね。それが一番難しいんじゃない。
知って後悔することだってある。受け入れて痛い目にあうことだってある。みんなそれを分かっているから、誰も私に近付こうとしないのよ。
私だってわかっていた。だから私からは決して近付かないようしていた。なのに……なのに!
「貴女は……私を知りたいって言うの!?」
気付けば私は机を叩いて立ち上がって叫んでいた。
何でこんなことをしたのか自分でも分からない。もしかしたらこれが精一杯の威嚇だったのかもしれない。
けれど彼女は平然と、笑顔で、はっきりと言った。
「ええ、そうよ」
「……っ!」
即答されて、私は二の句が継げなくなった。ただ呆然と彼女の満面の笑みを瞳に映していると、教室の前方から男性の罵声が飛んでくる。
「……そこの二人! 講義を受ける気がないなら今すぐ出て行け!」
その声を聞いて、私はようやく今が講義中だと思い出す。黒板の前を向くと教授の怒りの籠った視線で私を射っていた。
慌てて座ろうとするけれど、机に突いていた手を隣の女性が掴む。
「ごめんなさい! もう少し長くなりそうなんで、出てきますね!」
「えっ、ちょっと!?」
私の制止も聞かずに、女性は私の手を引っ張って教室の外に連れ出されてしまう。振りほどく暇もなかった。ノートも荷物も置きっぱなしだ。
教室を出たところでなんとか手を振り払うと、女性は振り向いて私に手を差し出した。
本当に思考回路が読めない。私は困惑極まって、つい目の前の彼女から後退りしてしまう。
「……何、なんのつもりよ?」
「自己紹介しましょ。宇佐見蓮子よ、貴女は?」
「えっ……?」
「まずは貴女の名前から知りたいの。だから、教えてよ」
そう言って彼女はただ手を伸ばしてくる。
……本当に何なのかしら、この人は。強引に私の手を取ったと思ったら、今度はジッと歩み寄って来るの待っている。あべこべだ。何を考えているかわからない。
このまま無視して教室に戻ろう。そうすれば教授の溜飲も治るかもしれないし、彼女は私に関わるのを止めてくれるかもしれない。そうすれば全て元通りだ。またいつも通りの大学生活を送れる。
けれどそれって、私と避けている人達と何が違うのかしら。
『私は違うってことよ』
彼女は私に向かってそう言った。見て見ないフリをするだけのその他大勢のとは違うと、宣言した。それに比べ私はどうかしら?
境目が見えても、その他大勢と同じことをしようとしている。私は特別だって粋がって高を括っていた癖に、そいつらと同じことをしてるなんて……格好悪過ぎだ。
気付けば私は彼女……宇佐見蓮子の手を取って握手をしていた。さっきはよく分からなかったけれど、随分冷たい手のひらだわ。夏だからちょうどいいけれど。
「……マエリベリー・ハーンよ」
「ま、まえべ? 覚えにくいし発音しにくいわね。あだ名とかないの?」
「そんなもの付けられたことないわ」
「そう、じゃあ貴女のことメリーって呼ぶわ。それじゃあメリー」
蓮子は中折れの帽子を被り直してから私に向かって高らかに宣言した。真っ黒な瞳をキラキラと輝かせながら、子供のように無邪気な声音で……
「私と一緒に、サークルを作りましょうよ! 未知を暴くサークルを!」
その言葉に私はなんて返したんだっけ? 思い出せないけれど……まあ、どうでもいいわね。
蓮子に会ってから二年間はあっという間だった。毎日が忙しかった。大抵が蓮子に付き合わされていただけだけれど、少なくともあの退屈な日々より何倍もマシだった。
本当に感謝している。あの時私を連れ出してくれた蓮子に……
「……あら、随分楽しそうな顔しているわね。それ、そんなに気に入ったのかしら?」
気付けば紫が元の服で私の隣に立っていた。私は無意識で手に取っていた麦わら帽子をたわませながら、小さく首を振る。
「違うわ……ちょっと思い出していただけ」
「あらそう。さ、それも買って駐車場に戻りましょう。きっとあの二人が待ちくたびれていますわ」
そう言って紫はレジに向かって歩いていく。傍らには大量の衣服を大慌てで運んでいく店員の姿があった。そのどれもが先程紫が試着していたもののように見えるのだけれど……
「もしかして全部買うつもりじゃないわよね……?」
「まさか。貴方が気に入らなかったのは全部省いたわよ」
紫は扇で自分を煽ぎながら平然と言ってのける。やっぱり紫、お金持ちじゃない。
見たこともない金額の買い物を済ませた私達は、デパート地下の駐車場に戻ってきた。のだけれど……
「……車がない?」
そこには車のわだちの後しか残っていなかった。不安に駆られた私は蓮子のケータイにもう一度電話を掛ける。けれど、やっぱり話し中になっていて繋がらない。
私はケータイを握りしめて立ち竦む。嫌な予感がした。困った私は紫に視線を向ける。紫は……上機嫌な笑みを浮かべていた。それを見た私は思わず紫に詰め寄る。
「何笑ってるの!? 車はないし電話も繋がらない、どう見てもおかしい状況でしょう!? 笑っている場合!?」
「ふふ、ごめんなさい、つい嬉しくてね。流石期待を裏切らないというか、やっぱり彼に頼って正解だっただったわ」
「……彼?」
要点の伝わらない曖昧な口振りに戸惑っていると、紫は目の前に手をかざした。するとその空間が切れるようにして、人が歩いてくぐれるほどの境目が現れる。昨日の夜にも見たものだ。
「こっちの話よ。さ、私達も行きましょうか」
そういって紫は何も説明せずに境目の中へ入っていく。私は少し気後れしながらも、迷わずその背を追いかけていった。