艶やかで長い金髪、高い鼻に白い肌……そして、瞳。背も私より高いし、大人びている様にも見える。違うところを上げたらキリがない。
なのにどうしてだろうか、まるで鏡の前に立っているような錯覚を感じてしまう。むしろ鏡合わせになってないことに違和感を覚えている私がいた。
もしかしたらこの人は、どこか違う場所の私なんじゃないだろうか? そんなことを思ってしまうほどに、私と目の前の女性は似ていた。
「あな、たは……誰?」
私は思わず問いかけてしまうが、女性は何も答えない。
ああ、そうか。流石オカルト都市だわ。着いて早々あの巨大な蜘蛛の妖怪……おそらく
そういえばドッペルゲンガーに出会ったら死ぬんだったっけ?さっきも死にそうだったけれど、もう私は駄目そうね。せめて蓮子だけでも生き残ってほしいものだけど……
なんて現実逃避めいたことを考えていると、目の前に立つ私そっくりの女性が私の方を向いて優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたはあなた。私とは違うわ」
「えっ……」
それは後ろでへたり込んでいる蓮子には聞こえないくらいの、小さな呟きだった。たった二言三言。それなのに様々意味が込められていた気がした。期待、あるいは哀愁、あるいは羨望、あるいは……嫉妬。
「貴女は!?」
何を知っているのか、そんな問いが口を突きかけるがそれは地面を割るような轟音で掻き消される。
見上げると男性が絡新婦の頭部にとり付き、大刀を頭に突き刺していた。絡新婦は痛みにのたうち回るが、男性はまるでロディオマシーンのように振り回されながら刀を押し込み続けている。
それどころか片手を離して懐から取り出したお札らしき紙切れを叩きつけていた。お札を張り付くたびに絡新婦の身体に眩い電流のようなものが走る。その度に絡新婦が悶え苦しみ、暴れる。
「すごい……」
隣の蓮子が呆然と呟く。私も同じ思いだ。本当に、あの巨大な妖怪と戦っていることに驚きを隠せなかった。
あの人が私達へ振り下ろされそうになった足を一閃で斬り落としたとき、私は目を疑ったけれど……こんな姿を見せられたら認めざるを得なかった。
つい男性の人間離れした動きに目を奪われていると、私そっくりの女性が視線を遮る様に私の前に立った。
「お友達を連れて下がりなさい。危ないわよ」
女性は私達に忠告しながら、暴れる絡新婦の元へゆっくりと歩き始める。もだえ苦しむ妖怪に一歩ずつ向かって行くその姿は、庭園を散歩するように優雅さで余裕に満ちていた。
絡新婦の長い脚が届く範囲まで近付いたところで、女性はおもむろに右手を天に掲げる。
「北斗」
「はい!」
女性が男性に向かって合図する。
彼の名前か何かのサインなのかは分からない。けれど男性はその声に反応して絡新婦の頭から刀を抜き取る。そしてバッタのような跳躍で地面へ飛び降りた。マンションの三階程の高さはあったように見えたのだけれど、男性は後転しながら見事に着地する。
男性が絡新婦から離れたのを見届けると、女性は右手の指を鳴らした。その瞬間女性の周囲から無数の境目が現れる。
その奥には無数の瞳。まるで奇異の目にさらされているような恐怖が背筋を撫でた。
「さようなら、運が良ければ夢で逢いましょう」
女性は別れの言葉を紡ぐ。瞬間、隙間から無数の光弾が放たれ絡新婦に殺到した。
まるで夏の自動販売機に群がる虫の様に幾重にも張り巡らされた弾幕が蜘蛛を覆い、飲み込む。時間にして三秒ほどか、すぐに光は止んだ。そこには絡新婦の姿はなかった。
「終わったの……?」
蓮子が茫然と呟く。あっという間の出来事だった。
いつの間にか幽玄に咲いていた桜も緑の葉を付けたただの木に戻っていた。境内にはえぐれた地面と、切断された絡新婦の巨大な足一本だけしか残っていない。
まるでさっきまでのは夢だったんじゃないかと思ってしまうような静けさが私達を飲み込んでいく。
ううん、夢なんかじゃない。私の記憶には脳内で処理できないほどの光景が確かに焼き付いていた。私と蓮子は顔を見合わせると……どちらとともなく地面にへたり込んだ。
「……えっと、大丈夫?」
しばらく茫然と地面に身体を投げ出していると、男性が話しかけてくる。
初対面で失礼だけれど、あまり特徴のないような男性だ。年は分からないけれど、同い年くらい……いや少し上くらいだろうか? 何にせよさっきまで絡新婦と戦っていたなんて信じられないほど、普通の男性に見えた。
私達は男性の至極簡単な問いにしばらく答えられられない。しばらくして絞り出したかのように蓮子が声を出す。
「え、ええ……貴方達の陰で助か……りました。ありがとうございます」
「まあ、大事が無くてよかったよ」
私達が頭を下げると男性は柔和な笑みを浮かべた。こんな時代に刀を振り回して絡新婦と戦うような危険な人なのに、随分と温厚な性格の様だ。けれど男性はすぐ困ったような顔になって頭を掻いた。
「それで紫さん、どうしましょうか? 来たばっかでこっちの世界の事は分からないんですけど、この人達の反応を見る限り、さっきのを見られたのは……」
「ええ、貴方の懸念している通り、少し厄介なことになったわ」
紫、と呼ばれた女性はワザとらしい溜息を一つ吐いて、私達に向かって歩いてくる。咄嗟に蓮子が立ち上がり私の手を引っ張って起き上がらせてくれる。蓮子は……かなり警戒してるみたいね。それは私も同じ思いだった。この二人は得体が知れない。
「そんな警戒しなくても、取って食ったりしないわ。今のところはね」
神社に女性の靴の音が響く。それは先程聞いた謎の音に似ていて、無意識に心臓を捕まれたように苦しくなった。
女性は私達二人の前に立つと……先程光弾を出していた境目から土埃が掛かった帽子を取り出し両手に取る。それを見てようやく私達の帽子が吹き飛んでいたことに気付く。
「ここで見られたことを話されると困るの。少なくともこの街で私達の事が有名になるのは避けたいの。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
私は礼を述べながら帽子を受け取る。土汚れはあるが傷はない。お気に入りのだったから、少しホッとした。
埃を叩き落とし被り直そうとしたその時、女性と視線が交差する。うっすらとした笑みを浮かべているけれど、その顔に恐怖を感じた。例えるなら……帰り遅くなった夜道で背後を振り返る瞬間。底の見えない井戸に頭を突っ込んだ時のような……未知への、恐怖。
そんな私達の怯えを知ってか知らずか、女性は微笑みを絶やさないままおもむろに指を三本立てる。
「そこで私達が取れる方法は三つあるわ。その中から好きなものを貴方達が選びなさい」
女性は気に障るほど明るい声で喋りはじめる。正直胡散臭いと思った。私達を寒さに震える子猫ぐらいにしか思っていないような、怯える姿を楽しんでいるように思えて……不快だった。
彼女の様子を黙って眺めていた男性も、呆れたように首を振る。
「紫さん、もうちょっと真面目に話を……」
「まあ、いいじゃない。一つ目は私達の手によって貴方達を亡き者にする方法。これが手っ取り早くて一番確実よ」
「最初の選択肢から物騒だけど……死に方を選べってことかしら?」
蓮子の突っ掛っていくような口調に私は背筋を凍らせた。もし彼女の機嫌を損ねたらそれこそ私達は死に方を選べなくなるかもしれないのに!
が、幸い女性はさして気にする様子もなく手を振って笑った。
「落ち着きなさい、一つ目は冗談よ。助けた相手を自分達で始末するなんて不毛じゃない」
「………………」
「二つ目は貴方達にとっても悪くない話よ。この街から出ていくだけ。見た所貴方達は物見遊山でここに来たのでしょう? 今なら私の力で自宅まで送ってあげるサービス付き。ただし、この街には二度と近付かないこと。もしまたやって来たら……相応の覚悟はしてもらうわ」
女性は最後の一言だけ低い声で呟く。薄笑いの仮面の奥、深い紫色の瞳が本気だと語っていた。この人達が何者で何の目的があるのかは分からないけれど、少なくとも興味本位で関わっていけないのだろう。そう考えていた矢先のことだった。
「そして三つ目は、貴方達を巻き込んでしまうことよ」
「えっ……」
私は予想を裏切る選択肢を出され、声を上げて驚いてしまう。蓮子、そして男性も同じ様な反応をしていた。慌てて男性が女性の前に立ち塞がる。
「待ってください紫さん! 無関係な人を巻き込む必要は……」
「私達はこの世界に関して疎い。現地の協力者がいることは色々と便利じゃないかしら? それに変に嗅ぎ回られるより、管理下に置いた方が心配もないじゃない」
「だからといって……」
「何も無理にとは言っていないわ。選ぶのは彼女達よ」
女性はどこからともなく取り出した扇子で口元を隠す。
しばらく男性と女性は睨み合っていたが……どうやら男性が先に折れたようで、肺の空気全て吐き出すような大きな溜息を吐いた。
「……そうですね。俺には指図する権利もないですし」
男性は納得してなさそうチラリと心配そうに私達の方を見遣ってくる。が、見つめていたのは数秒にも満たない。すぐに顔を逸らし女性の隣へ戻った。女性は咳払いを一つして、扇子の先を突きつけてくる。
「さあ、選びなさい。元の日常に帰るか、それとも非日常の境界を超えるか」
「非日常の……」
「境界……」
私は……私達は今まで様々な境界を越えてきた。何で、と聞かれれば知りたいと思ったから、と答えるだろう。秘封倶楽部は知的欲求を満たすための活動なのだと。
……ううん、それよりもっと単純な理由がある。退屈だったからだ。
平凡な生活が嫌だったから、いつも見えていた非日常に触れたのが始まりだった。だったら答えはもう出ているじゃない。私は蓮子の手を引く。非日常へ踏む込むための一歩を……
「待って、メリー」
踏み出そうとしたその時、その手が逆に引っ張られた。たたらを踏んで身体がふらつく。理由が分からず振り向くと、私の左手を両手で握り締めながら顔を伏せる蓮子の姿があった。
「蓮、子……?」
「お願い、少し、待って……」
その姿を見た時……心の中で何かがひび割れるような、音がした。
暗い部屋の中……私は明かりも付けず、すぐ近くにあったベッドへと跳び込んだ。低反発のベッドに身体が沈み込む。
目を閉じればいつでも眠れてしまいそうな心地よさだ。けれど眠れるような気分じゃなかった。心は毛羽立ってボロボロだ、頭は真っ白で、考えが纏まらない。
……あれ、どうしてここにいるんだっけ? そんなことすら一瞬忘れてしまうほど、思考が働くことを拒もうとしている。ああ、そういえば晩御飯食べていないのを思い出す。
「お腹、減ったなぁ……」
私は独りごちながら仰向けになる。結局、私と蓮子は答えを出すことができなかった。
そんな私達を見かねた男性が、一晩考える時間を与えるべきだと女性に提案したのだ。女性はそれを受け入れ、ワープホールのようなものを作って私達を駅近くのホテルへと運んでくれた。
チェックインの時間はギリギリ過ぎていたけれど、若い女性を野宿させるわけにはいかないというホテル側の配慮で、何とか部屋には通してもらったけれど……それまでの間、私達は殆ど会話が出来なかった。
「蓮子、なんで……」
あの時蓮子はどうして私を止めたのか。蓮子はあの二人をどう思っているのか。蓮子はどういう思いで秘封倶楽部の活動をしているのか。蓮子は……私の事をどう思っているのか。
移動する間、聞きたいことはボコボコと泡のように浮かんだ。けれど、答えを聞くのが怖くて声にはならなかった。
私の望む答えが帰ってこない様な気がして……いつか予感していた終わりが、このタイミングで来るかもしれないと怯えていた。
今は蓮子がシャワーを浴びていて隣にはいない。それにホッとしている私に自己嫌悪してしまう。
「どう、すればいいのかな、私……」
私は天井を見つめながら誰にでもなく問いかけるけれど、答えは返ってこなかった。
……ボーっとしている内につい微睡んでしまったようだ。薄目で辺りを見回すといつの間にか隣のベットに蓮子が座っていた。ショートパンツにTシャツといったラフな格好で髪を拭いている。
私もシャワーを浴びよう。そう思い立って起き上がると、蓮子がうっ……、と小さく呻いた。
「お、起きてたんだ……」
「え、ええ……流石にあんな光景を見た後にぐっすり眠れないわよ。流石に疲れたけれどね」
私は嘆息を吐きながら、スーツケースから寝間着や洗顔フォームを取り出してると蓮子が私と同じように息を吐いた。そして堪えきれなくなったかのように吹き出した。
「うぷ、く……なーんだ、そうだったのね……あはは」
「……何よ?」
「付いて行けなかったのは私だけなんだろうなって思ってたのに……何だメリーも私と同じだったのか」
蓮子は乾いた笑い声を上げながらベットに倒れ、もう一度大きな大きな溜め息を吐いた。それが沈黙に溶けきった後、蓮子はおもむろに話し始める。
「あの時さ、私、メリーに置いて行かれると思ったの」
「置いて行く……って、やっぱり蓮子は帰るつもりだったの?」
「ううん、そんなつもりはなかったわ」
「じゃあ、なんで?」
私が尋ねると蓮子はしばらく黙り込んでから、そっと天井に向けて手を伸ばしながら、呟いた。
「そうだなぁ……初めて自分の目で、夢じゃない非常識を見てさ、気後れしちゃったんだと思う。付いていけないんじゃないかなって。メリーが一人で行っちゃうんじゃないかって」
「蓮子……」
蓮子はさっきまでの私のように天井を仰いでいた。珍しく蓮子が弱気になっている。いつも振り回されてばっかりなのに……逆の立場だ。
こんな時いつもの蓮子なら……どうするだろうか? なんて言うだろう? 決まっている。私は蓮子に近付いて、手を差し出す。
「……メリー?」
「とりあえずやってみたらいいじゃない。あの人達だって最後まで手伝え、とは言っていないもの。駄目だったら二人で帰りましょ?」
「………………」
「それに元々この街を調べる予定だったんでしょう? こんなチャンス、滅多にないじゃない。ここで逃げたら、秘封倶楽部の名が泣くわ」
私は思いつくまま、蓮子のマネを意識しながら喋ってみる。無鉄砲にも思えるほどの積極性、それが蓮子の悪い所だけど……私にない長所だ。
蓮子は目を白黒させて驚いていた。が、しばらくしてベッドから跳ね上がる。
「……そう、よね。秘封倶楽部が秘密を目の前にして逃げ出すだなんて、格好悪すぎよね!」
そう言いながら蓮子は私の手を叩くようにして取る。
そうだ、蓮子はこうじゃないと。私の手を引っ張って。隣にいて。不敵に笑って。きっと何が起こっても秘密を共有できる貴女がいれば私は……どんな夢も受け入れられる。
翌朝、ホテルのバイキングで朝食を取っていると、昨日の私そっくりの女性と、刀の男性が相席してきた。
流石に人前だからか、男性はTシャツにチノパンと普通の恰好をしていた。もちろん刀は持っていない。次すれ違ってもわからないくらいには普通の格好をしていた。
「それで、答えは出たかしら?」
女性がコーヒーに砂糖をかき混ぜながら尋ねてくる。私と蓮子は二人の一瞥し、互いに顔を見合ってから……答えた。
「私達はオカルトサークル秘封倶楽部」
「そこに秘密があるなら……」
「「私達が暴いて見せるわ」」
それを聞いた女性は、ほんの僅かに微笑んでから優雅な仕草でコーヒーを口にした。
その日から私達の一度きりの非日常が始まった。朝から蝉の鳴く、暑い日のことだった。