ヒフウノナナフシギ   作:ナツゴレソ

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15.暗愚のカフェテラス

 朝一番の講義の終わりを告げるチャイムが、講堂内に鳴り響く。壇上に立つ教授の宣言も待たずに、生徒達は騒がしく移動の準備を始めた。

 耳障りな私語の内容は、大方これからどこに遊びに行くか、次ふけてしまおうか、単位ヤバイみたいな身のない話しかない。

 

「私には関係ない話だわ」

 

 少なくともこの大学には……私の隣には、こんな些細な独り言すら聞いてくれる相手がいないのだから。

 私は荷物を纏めると足早に講堂から出て行く。あぁ、まったく陰鬱な気分だ。次の刻限に講義は入っていないが、次の次には入っている。いわゆる空きコマだ。

 まったく生産的じゃない時間ね。本当は授業日程を組む際に、何かしら講義を取ろうかと思案していたのだけれど……そこの授業の大半は受けるだけ無駄な講義しかなかった。

 いや、講義自体は出てれば単位が取れる人気の講義が重なってはいるのだけれど……時間潰しのために足りている単位を取るほど、私は暇潰しに必死じゃなかった。

 手持無沙汰になった私は懐中時計を見る。飾り気のない金の針は11時手前を指してる。

 

「……ちょっと、待てばテラスカフェが開くわね」

 

 この空きコマ、もっぱら私は大学敷地内にあるカフェに行くか、図書館で課題を済ませる。今週は課題が出ていないのでカフェで時間潰しだ。

 幸い、鞄の中に昨日買った文庫本が入っているので、ただ黙々とコーヒーを飲むだけの時間にはならないだろう。無為な時間には違いないけれど。

 私の学生生活はこのままこんな感じで過ぎていき、気付けば終わっているのでしょうね。

 大学へ遊びに来たわけではない。けれど、それでも他の学生を見ていると、充実した時間の浪費をしているように見えてしまうのは……群集心理の一つなのかしら?

 サークル活動、アルバイト、恋愛……今のところ興味はないけれど、もしかしたらやってみたら案外楽しいのかもしれない。

 言い訳をすれば、やろうとすれば私もそうできた。他人には見えないものが見えるこの目を秘密にしていれば。

 

 

 

 テラスカフェは大学史記内の端っこ。池のほとりにある。その屋外テラス席の一番隅の席に陣取った私は、丸く白いテーブルの上にフォンダンショコラとコーヒーを置いた。

 私は一息ついてから……そっとコーヒーに口を付ける。コーヒーは安っぽいのに、御茶請けだけは随分力を入れている。お陰で学生の間でも人気の溜まり場になっていた。流石に今は開店直後なこともあって客は少ないけれど。

 大学は山の上にあるためテラスカフェの周囲は緑豊かだ。たまに野良の狸に遭遇することもあったりする。最近は餌をもらい過ぎて野性を忘れかけているようだけれど。

 そして池を挟んだ向こう側、そこには小さな木の祠と……そこから奥に境界が見えていた。

 

「まーた、出来てる……」

 

 あそこの祠の奥の境界は常にある訳じゃないようで、まるで蜃気楼のように現れたり現れなかったりする。一度同級生にそのことを話したら不思議ちゃん認定されて話しかけられなくなったのは苦い思い出だ。まあ、おかげで一人静かに過ごせるわけだけれど。

 昔は退屈を紛らわせるために境界の中に入ってみたこともあった。他愛のない興味、知識欲を満たすために。けれど、今は……

 私は薄いコーヒーを口にしてから、フォンダンショコラにフォークを突き刺す。傷口からチョコソースの血が流れていき、白い皿に少しずつ広がっていく。それをジッと眺めていると……なんだか色々と馬鹿らしくなってきた。

 

「馬鹿らしく、というか……虚しくなる、かな」

 

 独り言も絶好調で、胸の中の寂寥に拍車を掛けてくる。一人だから寂しいだとか、人と違う力があるから疎外感があるわけでもない。

 ただ……このまま無為な時間を過ごすだけが人生なのだろうか? そう思うとこの大学生活も……今の私の人生すら無意味に思えてならなかった。

 

「なんて、さすがに過ぎた虚無主義かしら?」

 

 こんな悩み、大したことはないのにね。大げさに考えてしまう自分の思考を笑ってやる。

 私は変化を望んでいない。例えば、この池の向かいにある境界の中を調べてみれば、それなりの時間潰しはできるだろう。もしかしたらこんな退屈な人生におさらば出来るかもしれない。

 けれど私は、それを望まない。このままでいい。変わることなんて……疲れるし、不確定なリスクが増えるだけだ。

 活字を読む気分にもなれず、手持無沙汰を埋めるためにフォンダンショコラの生地を崩していると……近くの席に誰かが座る音がする。態々私の近くに座らなくても空いてる席なんていくらでもあるのに、だ。

 どうせ宗教勧誘かナンパだろう。どうやって追い返そうか思案しながら顔を上げると……向かいの席に座る女性に、目と意識を完全に奪われた。

 

「こんにちわ。不躾で申し訳ないのだけれど相席、よろしいかしら?」

 

 笑みと共に投げ掛けられるが私は答えることができない。私の顔を覗き込むその瞳は紫水晶の様に深い色を湛えている。黄金の長い髪を赤いリボンで結んでおり、それだけ見れば少女っぽいのに、大人の余裕と色っぽさを身に纏っていた。

 仕草、背丈、声の高さ……私とは違うところは幾つでも見つかる。

 それでも私は……目の前に鏡があるかのような気味の悪い感覚を拭い去れずにいた。それはまるで……

 

「ドッペルゲンガーみたい、かしら?」

「えっ……」

 

 女性は私の返事も待たず向かいの席に座ると、頬杖を突きながら尋ねてくる。心を読まれた……なんてわけないわよね。

 きっと偶然の一致だ。彼女も私と同じ感想を抱いたから話しかけたに違いない。私はしばらくしてから……何とか喉元につかえていた声を形にする。

 

「……え、ええ、確かに私達、どこか似てると思うわ……思います」

「敬語は必要ないわよ。そうね、偶然の一致とは思えないほど似ているわ。特に……眼なんて、ね」

 

 女性は自分の目を指しながら微笑を浮かべるが、それには同意しかねた。他人の空似はあるかもしれない。

 けれど、私の眼はだけは変えが効かない。その独特な色の瞳は境界を映すことは出来ないでしょう? 私は貴方とは違うわ、と面とは言えない。だから私は適当なごまかし笑いでやり過ごした。

 正直言ってどこかいって欲しいのだけれど、女性は目の前の席に陣取って離れようとはしなかった。いつの間にか置かれていたカフェオレを僅かに啜ると、よく喋る口を動かし続ける。

 

「きっと先祖は一緒なのでしょう。もしかしたら生き別れた姉妹かもしれませんわ」

「クローン技術で作られた複製体って線もあるわね」

「違う世界線の私って可能性もあるんじゃないかしら? そうなったら貴女は私って可能性も捨てきれないわ」

「……やっぱりドッペルゲンガーじゃない」

 

 くだらない与太話に氏方がなくて付き合ってあげていると……ふと、目の前の女性が先とは打って変わって黙ってしまう。そしてやや躊躇いがちに……言葉を漏らす。

 

「貴女は……知りたいと思わないのですね、私の正体」

 

 丁寧だけれど、何処か棘のある口振りだった。まるで私を責めているような、あるいは蔑んでいるかのような視線が、私の瞳に突き刺さる。

 被害妄想なのかもしれない。けれど、なぜか私は、彼女の言葉に負い目を感じてしまっていた。

 負い目? 可笑しな話だ。彼女が何者であろうと、私には関係ないじゃないか。もし、何かしらの関係があったとしても……それを知ってどうなるというのかしら?

 

「知る必要ないじゃない。私が貴女のことを知らないままならば、私の中で貴女はただの馴れ馴れしいそっくりさんなだけじゃない。事実なんて意味を持たない。真実は、私の中にあるわ」

 

 真実なんて大層なものじゃない。人の捉え方で簡単に変わってしまう脆弱なものだ。

 私達の目で見たものは、思考、感情、無意識のフィルターで勝手に変化していく。だから見間違え、見落とし、すれ違う。そして、そのフィルターにすら通されることのない『未知』は……存在していないに等しい。

 

「私の真実は『私という主観で観測したもの』でしかないわ。世界の中に私がいるんじゃない。私の中に、世界があるのよ」

 

 そこまで言い切って、私はコーヒーを口に流し込んだ。初対面の相手に舌の根が乾くほど熱弁を振るってしまって少し恥ずかしい。

 けれど……どうしても言わないといけない気がした。そうしないと……私が、私じゃなくなってしまうような、形容し難い危機感が言葉を走らせていた。

 けれど……ずっと口を閉じて話を聞いていた女性が湖面に石を投げるように沈黙を破った。

 

「そうやって都合の良い悪いで選り分けた世界で、貴女は一生独りで生きていくつもり?」

「……どういう意味、かしら?」

「そのままの意味よ。貴方は真実を、受け入れようとしていないわ」

 

 わざわざ話しかけてきたのだから何かあるだろうとは思っていたけれど……先程からどうも私に食ってかかってくるのは癇に障る。貴女には関係ないことだ。そう言い返してやろうとした瞬間……

 

 

 

 女性の背後に巨大な境界が現れた。

 

 

 

 全身が総毛立つ。池の向こうにあったそれとは比較にならない、これほどの大きさの境界は見たことがなかった。もう少し開けば、このテラスごと呑み込めそうな大きさだった。そしてその中には無数の目が空間に張り付いており、無機質な視線をこちらに向けてきていた。

 弾ける音と共に、机の上に黒い液体が広がっていく……あまりの恐怖に手に握っていたコーヒーカップを取り落としてしまう。得体のしれない『未知』を目の前にして私は身動ぎ一つできなかった。

 

「なに……これ……」

「貴女は未知の世界を見ることが出来るというのに、そこから逃げるのね。望んでも、届かない子もいるというのに……」

 

 女性は、紫の瞳を爛々と輝かせながら立ち上がり、ゆっくりと私に近付いてくる。しかも彼女に追随するように、境界も移動してきていた。

 椅子から身体が崩れ落ちる。足腰が立たなかった。それでも私は身体を引きずるようにしてそれから逃げようとした。

 怖かった。彼女が何者で、これから何をしようとしているのか……

 耳を塞ぎ、目を閉じる。嫌だ、知りたくない、知りたくない!境界の向こうなんてもう見たくない、これから先の未来なんていらない、私の正体は私が決める。私は……

 

「知りたくない! ずっと、このまま、ここで……!」

「そう……やはりそれが貴女の叶えた願いなのね……」

 

 耳を塞いでも、なぜかその私そっくりの何かの声だけははっきりと鮮明に聞こえてくる。嫌なのに、望んだのに、全部投げ捨てて、何も知らないように……『腕』に願ったのに!

 

 

 

 ……『腕』?

 

 

 

 唐突に頭の中に浮かんだワード。そこから薄暗い灯台を登っていく光景が、脳裏にフラッシュバックする。

 その先には奇怪な骨董品だらけの部屋。目の前には黒いローブを着た右腕のない女性。そして彼女の目の前には、干からびた動物の腕……そして、私の名前を呼ぶ、蓮子の声。

 

「わ、たしは……」

 

 ずっと恐怖を抑え込んでいた。いつか私が、私の秘密を知ったとき、蓮子が隣にいてくれるのか、急に怖くなったのだ。

 だから、私は祈った。何も見ないように、何も変わらないように腕に、願った。そうだ、今いるこの場所は……夢だ。私が望んだ、世界。

 

「憐れね。そうやって何もかもを拒絶するつもり? 胎児でも外に這い出そうとするのに……貴女はそれで本当に生きているつもりなのかしら?」

 

 うずくまる頭の上から女性……八雲紫が嘲りの言葉が落とされる。妖怪の彼女からしたら、私は人間にも満たない存在に見えるかもしれない。それでも……私は、この場所を、夢を、否定したくなかった。

 なんで逃げちゃいけないの?途中で諦めても仕方がないじゃない。自分に嘘吐くなって勝手に決めつけないでよ。自分のことぐらい……自分で守らせてよ。

 

「出てって……」

「メリー! 貴女は蓮子の付属品じゃない! 貴女は私とは」

「出てってよ!」

 

 私が叫んだ瞬間、言い掛けていた声がピタリと止む。物音すらない。まるで雪の日のような無音が、そこにあるだけだ。

 紫は居なくなっただろうか?何も言わず目の前にいるだろうか?目を開けてそれを確かめる気はさらさらない。どうでもよかった。

 私はただ、顔を自分の膝に埋めて時間が流れていくのをひたすら待った。

 

 

 

 蓮子に手を取られたあの日から、私は世界が隠す秘密と向き合ってきた。けれど、それは蓮子がいてくれたおかげだ。ずっと心の中で抱いていた恐怖を押えこめることができていた。私の秘封倶楽部は蓮子ありきのものだった。

 

 

 

 そう……だから、ここには蓮子がいないんだ。

 

「蓮子……私はもう、いいよ……」

 

 蓮子の隣にいない私にとっては、目を開ける事すら怖くて仕方がなかった。


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