ヒフウノナナフシギ   作:ナツゴレソ

16 / 23
14.灯台もと暗し

 紫の運転で辿り着いたのは住宅街にあるスーパー……じゃなくて湾岸部沿いの港に来ていた。騒々しいエンジンの唸りと走行音からやっと解放され、1/fゆらぎが強張った身体を少しだけほぐしてくれる。けれど今度は車内クーラーがなくなったせいで熱気が一気に襲い掛かってくる。

 

「はぁ……日差しキツイわねぇ……」

「まったくだわ。暑くて干からびちゃいそうだわ……」

 

 私は顔をしかめながら、並んで歩くメリーの言葉に同意する。海とアスファルトからの照り返しも相まって焼けそうなほどの日差しだ。心地よい潮風も吹いてはいるけれど、残念ながらそれも気休めにしかなっていなかった。

 

「ねえ紫、なんで港に来てる訳?」

 

 私は隣で日傘を回しながら海を眺めている紫に問いかける。まさか泳ぎに来たなんて言わないわよね? 私、水着持ってきてないわよ?紫は少し間を空けてから、傘を肩にかけて私に視線を向けてくる。

 

「ちょっとした散歩よ。北斗も言ってたでしょ?調査もするようにってね。ナマモノを買うことも考えたら順序はこちらが先でしょう?」

「……まあ、そうかもしれないけど」

「あと個人的な野暮用もあるの。悪いけれど二人で観光でもしていて頂戴」

「えっ、ちょっと!」

 

 文句を言う暇もなく、紫はスキマの中に消えてしまった。まったく自分勝手で適当すぎるわ。

 こうなったら車の運転ができない私達はどうすることもできない。私は折り畳みの傘を広げるメリーへ車体越しに声を掛ける。

 

「紫が観光してろってさ」

「えっ? 紫はどうしたの?」

「野暮用だって。完全に置いてけぼりよ、置いてけぼり!」

「……仕方ないわね。それじゃあ、アソコに行ってみる?」

 

 メリーはそう言って私の後ろの方を指差す。岸側から見て左側、コンクリートで完全舗装された港の終りはむき出しの岸壁だった。そこから先は小さな山になっていて、その頂点に真っ白な灯台が立っている。背は結構高い。今まであることすら知らなかったけれど、あの高さなら拠点の二階からでも見れるかもしれないわね。

 

「あんな絶壁絶対登れないわよ?」

「登らないわよ。流石に道があるんじゃないかしら? 探してみましょ」

 

 ……ま、街を見るよりいいかもしれないわね。私は素直にメリーの提案に乗って二人で灯台へ登る道を探し始めた。

 

 

 

 登り口は割と簡単に見つかった。港から少し出た所に看板とそれらしき入口があった。朽ち初めのコンクリートの階段は一人分の幅しかなく、その左右はうっそうとした森になっていて街の喧騒も遠くに聞こえていた。

 木陰のお陰で日差しの熱さはない。ただ身体を動かすだけでも汗だくになるほど、気温は高かった。

 こんな苦労をしてまで登った場所は、さぞ観光地として有名なのだろうと期待しながら登ったのだけれど……結局道中誰にも出くわすことなく登り切ってしまった。私は最後の階段を蹴り飛ばすと灯台に真っ直ぐ続く道に出る。

 

「あっつ……せめて頂上には自動販売機くらいあるわよね?」

「こんなところに、ある訳、ないじゃない……それより、ちょっと、休憩させて」

 

 私は最後の段差が登れず今にも倒れそうなメリーの手を取って引っ張る。すると危なっかしい足取りでメリーは階段を上り切った。

 大袈裟に息を切らしているメリーから視線を外し、遠巻きに灯台とその周りの眺める。

 見上げた時には分からなかったけれど、思った以上に横幅もある。塩の腐食を防ぐための塗装はまだ真新しい。定期的に塗り直しているのかもしれない。

 私はカッターシャツの胸元をパタパタして風邪を送りながら、一人呟いた。

 

「意外と綺麗ね。下から見てた時は随分古い灯台に見えたけれど……」

「まだ使われてるんでしょう。じゃないとここまで登って来れないわ」

「それもそうね……休むなら海の見える場所にしましょ?」

 

 私はメリーの手を引っ張って灯台の、その裏手に誘う。吹き抜けていく潮風に逆らいながら歩いていくと、目の前に海が広がっていた。

 地球の自転と公転、そして太陽と月と星の引力で生まれた波がゆらゆらと不規則に動き、ぶつかり、また波を生み出している。生物の始まりはこの揺らぎから始まったと思うと海も結構ロマンがある。月旅行もいいけれど、深海旅行も魅力的ね。

 しばらく海鳴りと海猫の声を聞きながらリラックスしていると、メリーがそっと私の隣に並んでくる。そして軽く肩をぶつけてながら……躊躇いがちに口を開いた。

 

「ねえ、蓮子」

「何?」

「紫の事、どう思う?」

「どうって……まあ、胡散臭いとは思う。あと意外と適当」

「そんなわかりきったことはどうでもいいのよ。私と紫って、その……」

 

 自分から聞いて来たくせにメリーは難しい顔して言い淀んでいた。他人がいる時はしっかり者ぶって気丈に振る舞っているけれど、二人っきりなった途端にこれだ。ま、メリーの言わんとしていることは分かるけれど。

 こいし……都市伝説メリーの一件のせいで有耶無耶になったけれど、メリーと紫の関係はまだまだ謎だらけだ。相似している二人の容姿、そしてスキマを操る能力と境目が見える能力……流石に何らかのつながりがあるとしか思えない。けれど……

 

「私に聞いてもどうしようもないわよ。それに関しては紫しか知り得ないもの。それとも、そこら辺のスキマの中に答えがあると思っているのかしら?」

「そんな都合のいいことあるとは思ってないわ。けれど……」

「……けれど?」

 

 言い淀んだ台詞の先を辛抱強く待っていると……メリーは落下防止の手摺に寄りかかり、まるで身を守る様にそっと頭を突っ伏せさせた。

 

「不安になるの。知ってしまったらもう戻れなくなるんじゃないかなって」

「それは……この世界にってこと? それとも……」

 

 私の隣に、ってこと?とは流石に投げ掛けられなかった。そこまで私は自意識過剰になれない。再び耳に波と風の音しか届かなくなる。

 しばらくしても、メリーからの答えは一向に返ってこなかった。けれどそれに苛立ちは感じなかった。いや、むしろ……今は聞きたくない。私の心の中にメリーと同じ恐怖が湧き出ていた。

 知って満ち足りたい。けれど知らない安心を手放したくない。きっと紫が見たら失笑するでしょうね。秘封倶楽部と言う秘密を暴く活動をしているくせに、最も近しい謎から目を逸らしているのだから。

 情けないのは分かっている。それでも今の私達に灯台もとにある闇を照らす勇気はなかった。

 

 

 

 

 

「そろそろ戻ろう、メリー。潮風に当たり過ぎて疲れちゃったわ」

「ええ……あれ?」

 

 手すりから顔を上げ振り向くとメリーが小さな声を上げる。視線の先を追うと、灯台の中に繋がる扉が開いていた。ずっとは背後にあったというのに全然気付かなかった。そもそもこんな錆かけた鋼鉄製の扉なんてなかった気がするのだけれど……

 

「ねぇメリー、この扉……」

「折角だから登ってみましょう。私灯台の中見たことないの」

「ちょ、ちょっと!?」

 

 扉に気付いていたか聞こうとしたのだけれど、メリーは何かに魅入られたように扉の奥まで駆けて行ってしまう。このまま放っておくわけにはいかない。私は急ぎ足でメリーの背中を追いかける。

 灯台の中は螺旋階段があるぐらいでがらんどうとしていた。日中に関わらず薄暗く、灯りは背後にある入口からしと螺旋階段の登り切った先にしかない。

 だが、そのわずかな光が灯台内部の壁をパウダースノーの様に輝かせている。どういう原理か分からないけれどまるでプラネタリウムのような光景だった。

 

「蓮子、置いて行くわよ」

 

 私が灯台内とは思えない景色に見入ってしまっている間に、メリーは階段の半分まで登り切ってしまっていた。ここまで来たときは随分息を切らしていたのに、どこからあんな体力が湧き出たのかしら?

 

「ちょっと待ちなさいよ……メリー!」

 

 私は声を上げながら錆止めの塗られた金属の階段を慎重に、かつ急ぎ登っていく。壁のわずかな明かりのせいで足を踏み外しそうになってしまう。

 それにしてもさっきからメリーの様子が変だ。唐突に活発になったというか……それによくよく考えればこれは不法侵入にあたるはずなのだけれど、そういうのに目ざとい筈のメリーからの指摘がない。

 嫌な予感がする。決して勘なんてものじゃない。都市伝説のメリーさんに追いかけられた時のような、数学的に計り知れない事象に体験したときの不可思議な感覚。

 

「……メリー!」

 

 徐々にのしかかってきた恐怖が、強迫観念が背中を蹴ってくる。私のただの思い過ごしなのかもしれない、なんて頭の隅ではわかっている。それでも走れ走れと急かす感情は抑えきれない。気付けば私は転けそうになりがらも必死に最上階目指して走っていた。

 

「ちょっとメリー! メリー……メリー!」

 

 喉が潰れるくらいの声で叫ぶけれどメリーから声は返ってこない。もう既に最上階のステップに立っていて、差し込む光の中に消えようとしていた。

 私は荒れる息を必死に抑え込みながら、内心で後悔していた。どうしてメリーがああなったかはわからない。けれど、もし……もし私がメリーの事を知っていたら、紫から話を聞き出していれば、こうはならなかったかもしれない。そう思うと悔しくて仕方がなくなった。

 

「待って、お願い……私を、置いてかないで……」

 

 叫びたくても息が乱れてまともに聞こえる声にならない。足に乳酸が溜まりきってもう動かせる気がしない。それでも私は手すりで身体を支えながら無理やりにでも登っていく。

 きっとまだ間に合う。あの光の中に入っても……私があの中から引きずり出してやる。そしたら一発引っ叩いて正気に戻してやるんだから……!私は後悔を飲み込み縋る様に信じながら……乱れた足取りで階段を踏みしめた。

 

 

 

 数分後、ガクガクの足でなんとか階段を登り切った。実は一段一段普通に登った方が速かったんじゃないかしら? 後悔先に立たず、体力も削られ足も太くなって最悪だ。

 私は息を整えてからメリーが入っていった階段の出口を見遣る。その奥にメリーの姿はなかった。灯台の外に出る場所だと勝手に想像していたのだけれど……そこは雑然とした部屋があるだけだった。

 

「なに……ここ……?」

 

 丸い部屋の中にはぐちゃぐちゃの本棚と羊皮紙の山、それに薄気味悪いオブジェクトや飾りが乱雑に置かれていた。見上げると天井には古めかしい天体図とそれを枠取りするかのように巨大な海蛇のミイラが飾られている。その厳つい顔と目が合うと、一瞬絡新婦に襲われたことを思い出してしまった。

 

「どうしてこんな部屋が灯台の中に……」

 

 私はつい独り言を洩らしてしまう。どうやら零れていた光は太陽のそれではなくランタンの明かりだったようで、随分アンティークなそれが部屋の奥に吊るされている。橙色に染まった部屋の中央にはボロボロのテーブルが置かれており、その上には羊皮紙の束に天体儀……そして高級そうな長方形の木箱が乗っていた。

 そしてテーブルを挟んで向こうに……『ブカブカのローブを被った何か』がいた。もちろんそれはメリーではない。人ですらないかもしれない。

 

「いらっしゃいませ、どうぞごゆるりと」

「………………」

 

 私は目の前に座っているローブの……意外と可愛らしい声とうやうやしい態度に戸惑ってしまうが……部屋を一通り見渡してから、そいつに向き直った。部屋の中にメリーの姿は見当たらなかった。どこかに通路があるわけじゃない。だとしたら……

 私は疲れきった足で『何か』の前に立って……テーブルを思いっきり叩いた。机に重ねておかれていた置かれた羊皮紙の束が崩れて足元に広がっていく。私は震えを抑えるために拳を握りしめながら、目の前の何かに向かって言う。

 

「メリーを返しなさい」

「……随分乱暴ですねお客さん。ここにはそういう方も少なからず来られますが……それが貴女の願いでしょうか?」

「願い? 何の事?」

 

 突拍子なセリフにさっきまでの勢いを削がれてしまう。と、フードの女はそっと椅子を勧めてくる。当然だけれど座る気はない……筈だったのだけれど、いつの間にか私は女性が言うがまま、席に着いてしまっていた。

 

「あれ、一体どうして……」

「ふふふ……」

 

 困惑する私を嘲笑っているのか、ローブの中身がクックッと上下する。直接ぶん殴ってやろうかと思ったけれど私はそれどころか文句の一つも言えなかった。

 こんなことしている場合じゃないのに……この目の前の『何か』がメリーを攫ったに違いないのに……身体はまったく抵抗できなかった。

 金縛りや催眠の類だろうか?受けたことないしわからないけれど……それも違う気がする。

 

「ここは叶わない願いを望むものが訪れる場所。暗黒の海を往く船人を導く希望の灯台……」

 

 まるで真綿に水が染み込むように、何かの声が脳髄に響き渡っていく。そうだ、どうしても気になってしまうのだ。視線が、思考が机の上に置かれた長方形の箱に引き寄せられて仕方がない。あの中に一体何があるのだろう?知りたい、知りたい知りたい知りたい……

 知らないのは怖い。いつかそのせいで取り返しがつかないことになりそうで震えてくる。知っていたい。紫の事も、北斗の事も……メリーの事も。

 

「ッ……!」

 

 次の瞬間、私は奪い取る様にして木箱を奪い取っていた。しかし『何か』はそれを止めようとも咎めようともしない。ただ先程の様に私を嗤っている。けれどその態度のせいで、もう自分の身体すら動かせないほどのなけなしの理性すら消えてしまった。

 

「貴女も光を失ったようですね。行先を亡くしそれでもなお彷徨う哀れな旅人に、私が導を与えましょう」

 

 長い口上を無視して木箱を開けると、さらに中身は不織布に包まれていた。じれったく思いながら掻きむしるようにそれを剥がすと……

 

「お代は……貴女の運命です」

 

 やけに指が長細く毛深い腕のミイラが、私の手の中に転がっていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。