私には毎朝任される仕事がある。蓮子と紫を叩き起こすことだ。
別に私は早起きが得意という訳ではない。むしろ貧血気味で寝起きが悪いくらいなのだけれど、そんな私以上に蓮子と紫は朝が弱かった。
着替えを済ませ、顔を洗ってからリビングに戻ると甘い匂いが漂ってくる。釣られて台所に辿り着くと、そこには慣れた手付きパンケーキを焼く北斗がいた。器用な手付きでフライパンを振るい、パンケーキをクルリと半回転させると、焼き目のついた表面が露わになる。そのまま焼きたてにたっぷりの蜂蜜をかけて戴きたいほど美味しそうだ。
「おはようメリー、いつも通りで何よりだ」
「ええ、おはよう。あの二人もいつも通り遅起きみたいね」
「毎度のことすまないが、蓮子と紫さん起こしてきてよ。あとゴミも持って降りるように言っておいて」
「今日は燃えるゴミだったかしら? 私達後で外に出るからついでに出しておきましょうか?」
「いや、全部まとめて出すからいいよ。どうせ俺も買い物に出るし」
最初はぎこちなかった北斗との会話も、流石に数日経てば何の違和感もなくなっていた。そもそも私も彼も人見知りではない。蓮子や紫がフレンドリー過ぎて相対的にそう見えるだけなのよ。
そんな誰にも届かない言い訳を脳内でしながら二階へ続く螺旋階段を上っていく。階段すぐ正面の部屋は私の部屋だ。そこから右に蓮子、紫、こいしの部屋が並んでいる。ちなみに北斗は階段から一番離れた部屋を使っているらしいけれど、着替え以外で入っていくところを見たことがない。睡眠すら一階のソファで取っているようだ。本当に変な人よねぇ……
「蓮子ー! 朝ご飯できるわよー!」
ノックしながらドア越しに呼び掛けるけれど、案の定返事はない。この程度では起きないのはいつものことだ。私はもう一度だけノックをしてそのまま部屋に入る。
以前まではどの部屋も代わり映えしない質素な部屋だったけれど……今では各々の趣味が反映されたものに変わりつつあった。蓮子の部屋もクリーム色のカーテンやアンティーク風のカラクリ時計、帽子掛に茶飲み机……その他様々な小物が持ち込まれていた。私も多少は模様替えしたけれど……蓮子ほど本格的ではない。
「まったく……自分の財布から出てないとはいえ遠慮なさ過ぎ。ほんと図太い性格よねぇ」
北斗と一緒に模様替えに付き合わされた時間を思い出してだんだん腹が立ってきた私は、寝起きにイタズラでもしてやろうと思い立った。こっそり蓮子のベッドまで忍び足で近寄る。
蓮子はタオルケットを蹴り飛ばして猫のようにベッドの上で丸まっていた。薄手のTシャツにホットパンツのラフな姿は寝巻きなのはわかっているけれど……居間にいる時くらいちゃんとした部屋着を着てもらいたいわ。だらしないもの。
「さて……一体何をしてやろうかしら? 手元に水性ペンがあれば落書きしてやるんだけどそれもないし、大きな音を出せそうなものもないし……そうだ」
独り言で考えを纏めた私は、そっと蓮子と迎え合うようにベッドへ横たわる。そして耳元で思いっきり叫ぼうと息を吸い込む。そして……
「メリー、早く蓮子を起こしてっておにーさんが……あっ」
口から音が出る直前、ノックもなしにこいしが入ってくる。瞬間、緑の瞳と目が合う。蓮子の顔に超接近する私を目撃したこいしは……ニコニコとした笑顔を貼り付けたままそっとドアを閉じた。
「いや、あのね、違うの……こいし、これは……」
「……おにーさーん!! メリーがスーパーエゴを爆発させて無意識な蓮子を襲おうとしてるよー!!」
「違うのー!! 誤解だから!! 聞いてお願い!!」
私は慌てて部屋を飛び出し一階に降りていくこいしを追いかけた。悲鳴に近い弁解の叫びは、寝坊組二人を起こすには十分の騒々しさだった。
「今日は三人で買い物兼町の探索に出てもらうから。いいね?」
「はい……」
食卓を挟んだ対面で底冷えするような笑みを浮かべる北斗に、私と蓮子はただ頷くことしか出来ない。
こいしとの追いかけっこをした結果、パンケーキを床に落としかけた北斗に雷を落とされたのだ。北斗はこのメンバーの財布と胃袋を掌握している。当然、そんな彼に私達はまったく頭が上がらなかった。当初金銭面の管理は紫がしていたのだけれど、あまりにも散財する為に北斗が半ば無理やりに役割を買って出たのだ。これでますます北斗がお母さんにしか見えなくなっててしまったわね……
「あらあら、厳しいわね。北斗おとーさん」
二人揃って縮こまっていると、食卓とは別のテレビ前に置かれたソファと机の方から声がする。そっちに目を向けると、紫が朝のニュース番組を見ながらソファで寛いでいた。威厳漂う実に優雅な姿だけれど、北斗はそれを意に介した様子もなく優雅にコーヒーを飲むその背に、言葉を飛ばした。
「……紫さん、三人には紫さんも入ってるんですよ? 貴女が車を運転してくださいね」
「えっ……私色々忙しいからちょっと無理かもって……」
「昨日蓮子とこいしと一日中ゲームしてたじゃないですか。暇なわけないですよね?」
「………………」
自称大妖怪威厳は何処へやら、家事を一切しない紫は、ことこの家の中においては北斗に頭が上がらなかった。だが、そんな北斗に唯一対抗できているのが……
「ねぇ、おにーさん! 私はー?」
「えっと……こいしはまだ外出は禁止かな。もうちょっと様子を見てから……」
「むーっ! いつになったら私とデートしてくれるの!?」
食卓の対面に座るこいしだった。北斗はこいしに対しては甘い……というか過保護な節があった。こいし本人がそれをわかっているのかどうか知らないけれど、こいしは今のような発言を連発して毎日のように北斗を困らせていた。
「で、デートって……そんな約束した覚えはないんだけど……」
「酷い! 私とは遊びだったのね!?」
「誤解を招くような発言は止めてくれないかな!?」
こいし本人はテレビで知った台詞を使いたいだけなんだろうけれど……完全におもちゃにされてるわね、北斗。私はそんな二人のやりとりを横目に、パンケーキにバターを乗せまんべんなく広げてから、ハチミツをたっぷり掛ける。隣の蓮子が何故か奇異な目で私の皿を見ているけれど……日本では食べ方が違うのかしら? まあ、気にしないけれど。
「ほら、こいし! せっかくの焼きたてが冷めちゃうから食べよう」
「むー、しょうがないなぁ……いただきまーす!」
私がパンケーキを切り分けていると北斗に諫められたこいしが私達の手付きを見ながら朝食を取り始める。メリーさんとして行動していた時間の記憶はほとんどないせいもあってか、こちらの世界の文化にもまだ慣れていないみたいね。
かく言う私は妖怪との生活に少しずつ慣れ始めていた。そもそも紫もこいしも、私からしたらちょっと特別な能力持ちの人間ぐらいにしか見えない。あり得ない身体能力を発揮している北斗の方が妖怪らしく思える。たまにこいしは目の前に居られても気付かないことがあるけれど……逆に言うとそれくらいしか妖怪だと実感できる機会がなかった。
「こいし、はいこれ。バターも乗せた方がおいしいわよ。あと隣のメリーみたいに蜂蜜かけ過ぎないようにね」
「そうなの? んー、じゃあちょうだい」
蓮子もさながら妹が出来たかのような接し方をしている。少し前まではその妹が命を狙おうとしていたことなんて忘れていそうだ。ま、いつまでも引き摺って気まずい雰囲気でいられるよりかいいけれど。あと蜂蜜の量はこれくらいでいいのよ。わかってないわねぇ……
朝食を食べた後、私と蓮子の二人で皿洗いをすることになった。蓮子がどうかは知らないけれど、私はさほど家事が嫌いではない。一人暮らしに慣れているのもあるけれど、やらないといけないことをキッチリやるだけでもそれなりに満足感があるもの。まあ、北斗ほど料理が出来るわけじゃないからキッチンは任せっきりだけれど……せめて皿洗いくらいしないとね。
「なーんか、変な感じだわ」
洗剤をすすぎ終え、布巾で食器の水気を取っていると唐突に蓮子がそう口走る。私は首を傾げながら蓮子に食器を手渡す。
「何よ藪から棒に」
「私達普通にここに住んでるじゃない。妖怪と一緒に暮らしてるはずなのに、普通すぎというか……」
蓮子は首を傾げながら食器を乾燥棚に並べていく。私も似たような思いを抱いていただけに、超能力的なシンパシーを感じざるを得ない。まあ、ただ単に付き合い長いから思考パターンが似通っただけだろうけど。
私は洗面台を拭き掃除する片手間で、蓮子に頷きを返す。
「違和感ないわよねぇ……他の妖怪もこうやって人に紛れてるのかしら? もう街の中で何度もすれ違ってたりして」
「だとしたら逆にロマンがないわ。もう少し妖怪らしい場所で、妖怪らしいことしててほしいわ」
蓮子が随分身勝手なことを言っているけれど……私はそれを無視して拭き掃除に使っていた雑巾を洗う。別に私は妖怪が特段好きなわけでもないし、妖怪がどんな生活をしていようと気にしない。事実は事実でしかないから、それを受け止めるしかないのよ。
……たとえ私にしか見えなくても、私にとってそれは現実なのと同じように、ね。
「二人ともお疲れ。ごみの処理とかは俺がやっておくからいいよ。あとこれ買い物リストと財布ね。多少なら使ってもいいけどあまり無駄遣いはしないように。頼むぞ、メリー」
一息吐く間もなく、北斗がカウンターキッチンから顔を出してメモと皮の長財布を渡してくる。ちなみに北斗は私達が洗い物をしている間にリビングの掃除を済ませてしまったようだ。流石というか……もう執事か何かになればいいのに。そんな事を考えていると蓮子が不満そうに北斗を睨んだ。
「なーんでメリーに渡すのかしら? 私、そんなに信用されてない?」
「……よろしく頼むぞ。メリー」
「ええ、わかったわ」
「フォローも何もないのは一番堪えるからやめてくれない!?」
漫才染みたやり取りをしながらリビングに戻ると、妖怪二人はテレビの前に陣取っていた。どうやら朝のニュース番組終わりの占いに興味を持ったようだ。こいしが不思議そうに北斗に尋ねる。
「ねー、おにーさん。この星座占いってなにー? 占いって水晶転がしたり割り箸ばさーってしたりするんじゃないの?」
「色々と突っ込みどころはあるけど……簡単に言えば生まれた誕生日でその日の運勢を占う感じかな」
「ふーん……そんなので当たるの?」
「……まぁ、当たる当たらないより見て楽しむものなんじゃないかな」
こいしは純粋な問いに、北斗は適当にはぐらかすしか出来ていなかった。まあ、そもそも占いはバーナム効果を利用した言葉遊びがほとんどだけれどね。どんな内容でも当てはまってると思える様に出来ているのだ。
私は冷めた目で星座占いを眺めていたが……蓮子と紫は私とは真逆の思考でそれを見ていた。
「やった、私一位だ! 今日は何でも願いが叶うだって! 宝くじでも買おうかしら?」
「あら奇遇ね、私も一位だわ。きっと今日はストレスのない愉快な一日になるわね」
二人とも随分手放しに喜んでいる……呑気で羨ましいわ。それはともかく、妖怪にも誕生日ってあったのね。そっちの方がびっくりだわ。まあ、紫の性格からしたら適当に行っている可能性もあるけれど。
この数日間、紫とずっと一緒に暮らしているが、相変わらず紫は何を考えているかわからなかった。そもそも私達と接すること自体を避けているような節もあるのだけれど。
やっぱり私と紫には何かしら関係があるのかしら?だから避けている?境界を操る力と境界を見る私の目という共通点、そして私達の容姿の相違点の少なさから考えて……
「あ、メリーは最下位ね……今日は災難に巻き込まれてドタバタするって。あーあ、可哀想に……」
「……はあ」
なんて真面目に考えているのが馬鹿らしくなってくる。
私は占いが嫌いだ。いい内容が書いてる時ほど何もない一日だったりするし、悪い内容の時に限って本当によくないことが起きたりする。何よりほとんど当たらないのにいちいち内容を気にしてしまって、いざ何か起こったら『今日は不幸な日だから仕方ない』と納得させられてしまうのが……癪だった。
親の仇とばかりにテレビコマーシャルを睨みつけていると、唐突にテレビの電気が消されてしまう。それに合わせて紫が立ち上がって手を叩いた。
「さあ、そろそろ私達も出ましょうか。北斗、こいし、留守番よろしくね」
「えーっ!? 三人だけずるーい! 私も買い物行きたい!」
私達がリビングを出ようとすると、こいしが蓮子の腕にしがみついて駄々をこね始める。私からしたら別に連れて行っても構わないと思うのだけれどね……やっぱり北斗は過保護ね、アレの嫁は苦労しそうだわ。
と、おもむろに紫がこいしに近付いていく。そして……北斗に聞かれないようにそっと耳打ちした。
「私達が出掛けたら北斗と二人っきりになれるわね。羨ましいわぁ……」
「……私、用事を思い出した! ここは私に任せて行って!」
こいし、そんなチョロくていいのかしら……? まあ、微笑ましいけれど。
身支度を手早く済ませ玄関に出ると、こいしと北斗が見送りに出ていてくれていた。私は二人に手を挙げて応える。
「それじゃあ行ってくるわね」
「あぁ、気をつけていってらっしゃい」
「いってらっしゃーい!」
二人の何気ない一言に、私はちょっとドキリとしてしまう。そういえば、一人暮らしが長いから誰かにいってらっしゃいなんて言われたのは久しぶりに思えてしまう。
何とも言えない感覚だ。私はむず痒さを覚えながら、紫が回してきた車に乗り込んだ。