ヒフウノナナフシギ   作:ナツゴレソ

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11.朝飯前に

 顔に当たる日差しが目蓋をこじ開けようとしている。纏わりつく様な湿気と熱気、汗のベタベタが不快で仕方ない。

 ベッドの上で何度も寝返りを打って抵抗を図るが、ついに耐え切れなくなって渋々薄目を開けると、染み一つない真新しい天井が映る。薬っぽい無機質な匂い……生活感のない匂いだ。二日しか泊まっていないんだから当然だけど……いつまでこの部屋を使うことになるのかしら?

 

「ん……」

 

 寝惚け眼で枕元で充電していたペン型のスマホを掴み、時間を確認する。6時21分。あと三時間は二度寝できる時間だ。

 けれど……昨日の今日の出来事を思い出してしまって、眠れそうになかった。それに昨晩は着替える気力もなくてそのままベッドに倒れ込んでしまった。流石に着替えてシャワーでも浴びたい……そう思った私は気怠い感覚を押し殺しながら、ベッドから起き上がった。

 

 

 

 

 流石に今日は出かけないだろうとショートパンツにTシャツの部屋着に着替えたのだけれど、ちょっとラフすぎたかもしれない。メリーや紫はいざ知らず、北斗もいるんだから少しぐらい気をつけた方が……なんてメリーに言われそうだ。私からしたら逆に意識しすぎも変かもしれないって思うのだけれど……あぁ、もう調子狂うわ。

 私は慣れない他人との同居生活に、混乱する頭を掻いた。あまり深く考えないことにしよう。きっといい答えは出ないし、そのうち気にならなくなるだろうし。

 そう自分に言い聞かせながら扉を開け吹き抜けの居間に出ると、包丁とまな板が奏でる小刻みな音が聞こえてくる。私が一番に起きたと思ったのに……誰だろうか? 正体を確かめに階段を下りていくと……

 

「おはよう、蓮子。随分早いご起床だね」

「……それはこっちの台詞よ」

 

 台所に軽快な手つきで野菜を切る北斗がいた。北斗はこいしを倒した後、気絶して動かない彼女をここまで連れて帰り、夜通し看病していたはずなのだけれど……その顔に疲れた様子は全く見られなかった。

 

「先に寝ちゃった私が言うのもなんだけど、あれからちゃんと寝たの?」

「勿論、いつも通りくらいには」

 

 いつも通りって……確か帰ってきたのが1時前くらいだったわよね。それからどれくらい起きてたのか知らないけれど、いつもそんな睡眠時間が短いのかしら? 平凡な顔してるけどやっぱ変な人間だわ。

 私は洗面所で顔を洗い寝癖を直してから、カウンターに肘を突いてぼんやりと北斗の料理姿を眺める。どうやら朝食は和食のようだ。私は朝はパン派なんだけれど……ま、美味しかったら何でもいいわ。

 ふとコンロの方を見ると、味噌汁を煮ている小鍋の他に小さな土鍋で何かを作っているみたいだった。まさかご飯を土鍋で焚く、みたいな意識高い主夫みたいなことしているのかしら? そんな私の疑問を見透かしたのか、北斗がボウルの中で卵を溶きながら口を開く。

 

「あれはこいしの分の御粥だよ。後で持っていってくれないかな?着替えとかもしないといけないだろうし」

「いいけれど、アンタも来なさいよ。また襲われたくないし」

「わかってるって。卵焼き、ネギ入れようと思ってるんだけどどうかな?」

「私もメリーも平気よ」

「ん、わかった」

 

 北斗は短く返事を返すとフライパンに溶き卵を流し込んでいく。そしてあらかじめ刻んでおいたねぎを素早く放り込む。卵がふんわりと焼ける匂いに、お腹が鳴ってしまいそうになった。

 気を紛らわせるためにもご飯以外の話をしよう。すぐ眠っちゃってどういう状況なのか分かってないし。

 

「あれからあの子……こいしちゃん、どうなったの?」

「ずっと起きないままだよ。寝息は穏やかだったから、大丈夫だと思うけど……」

「ふーん、北斗の最後の一撃凄かったから心配していたんだけれど……あれって何なの?」

「何なのっていう質問は答えづらいけど……まあ、奥の手みたいなものだよ。必殺技的な?」

 

 北斗は誤魔化すように笑いながらクルクルと卵焼きを巻いていく。私好みのフワトロだ。

 それにしても北斗は……どうにも自分の能力のことについて話したがらないけど……何か負い目があるのかしら? 人間離れした身体能力、妖怪を現世に留める能力、そしてこいしを倒した球体の攻撃……彼の力は計り知れない。

 けれど、そんな彼が人間だと名乗っていることに……密かな安堵感を抱いている私がいた。例えメリーがどんな力を持とうとも人であれば……ううん、人でなくなったとしても、隣にいられるはず。きっと……

 

「蓮子、箸と飲み物用意しといて。あと醤油も」

「こういうのは遅起きの人が罰としてやるべきじゃないの?」

「働かざる者食うべからず。二人は後片付けしてもらうから」

「私、昨日一昨日と結構働いたつもりなんだけどなぁ……」

 

 私は凝り固まった自分の肩を揉みほぐしながら、渋々と言われるがまま体を動かすことにした。

 

 

 

 箸とコップを並べ終えたところで階段からメリーが降りてくる。紫のワンピースにベルトを身につけているけれど、どこかへ行く予定なのかしら? なんて呑気に観察していると、メリーと目が合う。すると、顔を真っ赤にして駆け足でこちらに寄ってくる。

 

「ちょ、ちょっと蓮子! なんて格好してるのよ! もう少し人の目を気にしなさい!」

「別に外に出るわけじゃないんだし、これくらいいいじゃない。北斗も気にしてないわよ?」

「私が、気になるの! ほら着替えてきなさい!」

 

 案の定メリーがいちゃもんを付けてきた。仕方なく私は渋々部屋に戻って外行きの服に着替える。夏なんだからあれくらい許してくれてもいいのにね。ま、大方北斗の私への視線が気になる、みたいな理由だろうけど。

 ……そういえば北斗、まったく反応がなかったわね。せめて顔をそらすくらいしてくれないと自信なくしちゃうわ。あれで女性慣れしてるのかしら? もしくはストライクゾーン外とか……変な詮索をしてしまった。忘れよう。

 私はカッターシャツにネクタイ、黒のスカートに着替えて部屋を出ると、ちょうど北斗とメリーが二階に上がってきたところだった。北斗はお盆を持っており、その上にはお粥とレンゲ、そして梅やたくあんなどの付け合わせの乗った小皿が乗っていた。

 

「ん、タイミングいいわね」

 

 私は早足でこいしの休む部屋の前まで行き、二人と一緒に入る。内装は私の部屋と変わらない。カーペットの敷かれた部屋にベッドと衣装タンス、姿見に机がある程度の簡素な部屋だ。まあ、まったく弄ってないから当然だけど……

 その部屋の奥、窓際のベッドの上で元メリーさん……古明地こいしが身体を起こし、窓の外を見つめていた。服はそのままだけれど帽子を被っていないせいか、随分印象が違う。昨日までナイフを振り回していたとは思えないほど、か弱い少女がそこにいた。

 拍子抜けするほど大人しくしているけれど……私とメリーは彼女に歩み寄ることはできなかった。どうしても警戒してしまう。そんな私達を見かねたのかは知らないけれど、北斗が先んじてゆっくりとベッドに近付いていく。こいしも私達に気付いたようで、不思議そうな顔で私達と北斗を交互に見遣る。

 

「おにーさん……」

「おはよう、こいし。調子はどう?」

 

 北斗はベッドの側にしゃがみ込むと優しく微笑みかける。すると、こいしは丸っこい翡翠の瞳でまじまじと北斗を見つめ……不思議そうに首を傾げた。

 

「……おにーさん、だあれ? どうして私の名前を知ってるの?」

 

 純粋な疑問。その言葉に北斗は一瞬言葉に詰まったように動きを止めた。私達もこいしの反応に困惑してしまう。北斗はこいしと知り合いと言っていたけれど……これは記憶喪失、ってやつなのかしら。反応からして私達のことを襲っていたことも覚えているか怪しい。私達は固唾を呑んで北斗の動向を伺う。私達に背を向けていた北斗はしばらく黙っていたけれど……

 

「俺は輝星北斗。君のことは紫さん……スキマ妖怪から聞いてたんだよ。幻想郷の外に出てしまった君を助けてほしいってね」

 

 努めて明るい口調で北斗が言う。その姿に私は眉間にシワが寄ってしまう。無理をしているのは一目瞭然だったけれど、こいしは納得したように頬を緩めた。

 

「ふーん、そーゆことかー! おにーさんが助けてくれたんだね、ありがとう!」

「……俺だけじゃないよ。紫さんも後ろの二人も手伝ってくれたんだ。ね、蓮子、メリー」

「え、ええ……」

 

 話を振られた私はぎこちなくだけど頷く。内心恐る恐る近付くと、こいしは太陽のような笑みを浮かべる。身体の周りに変な管みたいなのがある以外はごく普通の可愛い女の子だ。誰も妖怪だとは信じないだろう。こんな可愛い女の子が私の命を狙っていたなんてね……

 そんな彼女を目の前にして話しかければいいか迷ってると、隣に並んだメリーが横目で北斗を気にしているのがわかる。だが北斗はいつも通りの愛想のいい笑みを貼り付けていた。どういう事情かわからないけれど……ここは北斗に合わせるべきね。

 

「初めまして、でいいのかしら? 私は宇佐見蓮子。そして、隣にいるのが……」

「マエリベリー・ハーンよ。呼びにくかったらメリーでいいわ」

「メリー……?」

 

 こいしはメリーの名前……いや、メリーという単語に明らかな反応を示す。そして唐突に、まるで彼女にしか見えない蝶々を追いかけているみたいに視線を彷徨わせ、うわ言のように呟き始める。背中に、怖気が走る。

 

「わたし……わたし、メリー……さん……」

「こいし!」

 

 そんなこいしを見た北斗が強い口調で名前を呼ぶ。すると、こいしはまるで夢から覚めたかのように首をブンブン振ってから、不安げではあるがはっきりとした視線を北斗に向けた。

 

「おにーさん……わたしは……」

 

 こいしも自分がおかしくなっている自覚があるようで、縋るような声を出す。戸惑っている、そんな様子がありありと感じ取れた。北斗はしばらく真剣な表情でこいしの瞳を見つめ返し続けていたが……ふと、緊張を解くような柔和な笑みを見せつける。そして何事もなかったようにお盆の上の御粥を差し出した。

 

「……ご飯にしようか。食欲はある?」

「う、うん……大丈夫」

「そっか、よかった。熱いから気を付けてね」

 

 そう言って北斗は土鍋の蓋を開けてみせる。粥と梅の優しい匂いが部屋に広がった。

 さっきのこいしは、明らかに都市伝説のメリーさんのことを思い出し、おかしくなりかけていた。なんとか北斗の呼びかけで正気に戻ったみたいでよかったけれど、正直言って怖い。私はまたこいしがメリーさんとして襲ってくるかもしれないと、内心で考え続けてしまっている。北斗は何事もなかったように接してるけれど、私は……

 

「蓮子……」

 

 メリーが不安そうに私の顔を覗き込んでくる。命が狙われなくなってもメリーに心配掛け続けるのは嫌だ。私は北斗にこいしの相手を任せ、逃げるように部屋を後にした。

 

 

 

 リビングの食卓には朝食が並んでいた。白米に具だくさんの味噌汁とパックの納豆、そして机の上には切り分けられたネギ入りの卵焼きを乗せた大皿……随分所帯じみている。実家なんだか思い出してしまうわね。

 そんな感想を抱きながら私は机の端に座ると、斜向かいに座っていた紫が話しかけてくる。

 

「おはよう、私より遅起きは感心しないわ。なーんてね」

「紫……待つってことはしないのね」

「せっかく作ってもらったのだから冷めないうちに頂くのが礼儀ではなくて?」

「……ま、北斗はしばらく付きっ切りでしょうし、先に食べてても文句は言われないでしょうね」

 

 私は自分を納得させるように呟いて、箸を取る。手を合わせ、味噌汁に口を付けると野菜の甘みと味噌の溶け合った味が身体に染み込んでいく。思わず吐息を洩らしていると、洗面所から戻ってきたメリーが隣に座った。

 

「ねえ、メリー。こいしが北斗のこと知らなかったのは……」

 

 納豆にタレと辛子を入れ混ぜはじめたメリーに、私はおもむろに尋ねる。すると、メリーはしばらく考え込んでから……慣れた手付きで混ぜた納豆をご飯の上に乗せながら口を開く。

 

「こいしと北斗の反応からして、記憶喪失じゃないと思うわ。あれは……」

「元から北斗のことを知らなかったような、反応かしら?」

 

 メリーの台詞の掠め取る様に食卓の向こうから答えが飛んでくる。紫……二階でのことを覗き見てたのかしら? 彼女ならそれくらい朝飯前だろうし、そういうことを平然とやってしまいそうな感じはある。紫は卵焼きを小皿に幾つか取ると、そこに大根おろしを添え醤油を垂らす。

 

「きっと他人の空似だったのよ。北斗の思い違いね」

「他人の空似って……名前まで知ってたのにそんなことある訳ないじゃない」

 

 少なくとも北斗はこいしのことを知っていた。彼がストーカーだったみたいな説明ならまだ納得できなくもないけれど……いくらなんでも他人の空似じゃ片付けられない。

 私は口を尖らせながら反論するが、紫は意に介す様子もなく口を食事のために動かしていた。じれったいながら彼女の口の中が空くまで待っていると、それより先にメリーが先に喋り出す。

 

「……もしかして、私と紫が似ているのと何か関係があるの?」

 

 私はメリーの踏み込んだ質問に身を強張らせる。きっとメリーはずっと気になっていたのだろう。もちろん私も気になっていた。境界を見るメリーと境界を操る紫、その姿が似ていることに何の意味もないわけがない。

 紫はほんの僅かだけ、動きを止める。そして咀嚼を終え飲み込んでから……溜息を洩らすように呟いた。

 

「……例え姿が同じでも辿ってきた人生が違えば、それは別人と言えるんじゃないかしら」

「………………」

「きっと、あのこいしは『北斗に出会わなかった人生』を歩んだこいしなのよ。たとえ姿は同じだとしても過去が違う。選んだ未来が違う。だから今のこいしは北斗の知っているこいしではない。世界は、貴女達の瞳で見えるだけの、簡単なものじゃないの」

 

 紫はそれだけ言うと、それ以降黙々と食事を続けた。私もメリーもそれ以上紫に尋ねることはできなかった。

 パラレルワールド。SFでよく見る設定だ。今私達がいる世界とは違う、あり得たかもしれない世界。究極の夢と呼ばれるその世界があると、紫は言っているのか。だとしたら、少なくとも紫と北斗は私達の世界ではないパラレルワールドの住人であって……

 

 

 

 この世界は北斗が幻想郷に行かなかった世界、もしくは北斗のいない世界なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 もやもやとした疑問を抱いたままで朝食を済ませた私はメリーを誘って、気分転換と腹ごなしを兼ねて散歩に出掛けることにした。中折れ帽子を被り、財布とスマホだけ持ち、玄関でメリーを待つ。しばらくすると、ショルダーバックを持ったメリーが毛先のまとまりを気にしながらやってくる。相変わらず荷物が多い。何がそんなに必要なのかしら?

 

「蓮子、散歩に出掛けるのはいいけれど、目的地はあるのかしら?」

「散歩に目的地があるわけないじゃない。ぶらぶらと歩いてぶらぶらと帰るだけよ」

「……一応言っておくけれど、街中じゃ星は見えないから迷っても知らないわよ」

「大丈夫、昼には帰るわよ」

 

 そういうとメリーはやれやれと肩を竦めながらローファーを履いてさっさと出て行ってしまう。私もその後ろを追いかけて玄関を出ると、朝方とは思えない熱気に一気に出掛ける気力を奪われてしまう。それでも私が誘った手前、止めようなんて言えない。

 ……まずは最寄りのコンビニでも探そう。私は冷たいアイスを思い浮かべながら、当てもなく歩き始めた。


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