【完結】もしパンドラズ・アクターが獣殿であったのなら(連載版) 作:taisa01
八月十三日 スレイン法国 神都
その日は一日、不思議な天気であった。
夏場の曇は特に珍しくはない。
雲の切れ間から陽の光の柱が降り、幻想的な一瞬を演出することは珍しいと言えなくもないが、不思議というほどではない。
しかし、その光の柱が神都の中央広場の中心にある六大神の石像に
ここまでくれば珍しいを通り越して不思議となる。
最初に気が付いたのは公園で遊ぶ子供たちだった。得意げに友達や大人たちに触れ回り、その石像を遠巻きに眺める人垣が出来たのは昼頃。日が傾き、あたりが赤く染まる頃、仕事に追われる神官達でさえちらほら様子を見に来るほど神都中に知れ渡っていた。
しかし日が暮れる間際、石像に闇が降り注ぎ、派手で大きな音を立てながら砕け散った。
突然の出来事に、群衆はただ見守ることしかできず、それ以前に何が起こったかさえ正確に把握できているものさえいなかった。辺りには砕けた石像の破片が散らばる音ともうもうと立ち込める砂煙に誰もが驚き、声を上げることさえ忘れたような沈黙が広がる。
その中、黒い影、いや黒い人影が砂煙から悠然と立ち上がる。
黒いスーツの上から漆黒のサーコート。砂煙で少々よごれたのだろうか? 裾を払う姿は社交界に赴く紳士のような出で立ち。だからこそ人と異なる部分が非常に目立つ。コウモリの黒い翼を巨大化させたようなものを背に、両の手は漆黒と純白というアンバランスな籠手を身に付け、なによりその顔は牡山羊のソレであった。
「これは、これは、スレイン法国の皆様。盛大なお出迎え痛み入る。私の名前はヤルダバオト。以後お見知りおきを」
降り立った影は、右手を胸に腰を折り深くお辞儀する。
言葉や仕草こそ服装などの通り紳士的。まるで舞台俳優のような見栄えの良いものだが、しわがれた声の端々に侮蔑の感情を隠しもせず乗せてくるあたり、聞くものに不快感を与えるには十分であった。
事、ここに至って、一般人の悲鳴が響き渡り、一斉に広場から離れる。対して戦闘経験のある神官達は驚きの声を上げるもその場から逃げ出さないのは、相手が明らかに敵対的であり一般人を守るのは自分たちだという自負によるものだろうか。
「われらが信仰を土足で踏みにじる所業。何が目的だ!」
そんな中、警備を担当する神官数名が武器を構え前に進み出る。しかしヤルダバオトは武器などに目にもくれず朗々と語りだす。
「お前たち下等生物とて、理由も知らずに滅ぼされるのは辛かろう。ゆえに、このような薄汚い場所にまで、わざわざ出向いたのだ」
牡山羊の顔を持つ男、ヤルダバオトは足元に転がっていた六大神の石像の頭に片足を乗せながら言い放つ。
「この世界において、お前たちのような惰弱な存在に生きる価値はない。ゆえに我らの糧として有効活用してあげましょう。感謝に打ち震えながら、その命を差し出しなさい」
ヤルダバオトはひときわ大きな声で宣言すると、石像の顔を踏み砕く。
自分たちに死ねと傍若無人のように宣言する存在が、信仰する神々の石像を打ち壊し、あまつさえ顔を踏み砕いたのだ。信仰を持たぬものでさえ、それがどのようなことか理解することができよう。
「神の敵に神罰を!」
若い男が剣を構えヤルダバオトに向かって走り出し、それに続けとばかりに数人が後を追う。しかしヤルダバオトは襲いかかる男たちを一瞥するも、迎撃するような素振りみせず余裕の表情を崩そうとしない。
男は激昂しても、普段の訓練が身についているのだろう。的確に剣を上段に振り上げヤルダバオトを袈裟斬りにする。そして続く者達も次々と剣を突き立てた。
「だから、惰弱と言ったのだ」
遠巻きに見るものたちは、ヤルダバオトの絶叫を予想していたが、帰ってきた声は先程と毛ほども変わらぬ慇懃無礼な声だった。逆に、ヤルダバオトは最初に切りかかった男の顔を左手で無造作に掴むと、まるでトマトのように握りつぶした。
問題はそこからだった。
崩れ落ちた男の体から淡い光が立ち上るとヤルダバオトの両手に吸い込まれるように消えていったのだ。
この光景を見た瞬間、誰もが理解した。
この存在に殺されることは、その生命さえ喰らい尽くされるということに。一人、また一人とヤルダバオトに捕まりその生命を食われていく。その様に、逃げ惑う者達の悲鳴が彩りを加える。
気が付けば十数人の死体が広場に無残にも打ち捨てられた頃、不意にヤルダバオトが大きく上空に浮かび上がる。先程まで立っていた場所には、人よりも大きな錘が突き立てられいた。
「悪魔め。そこまでにしてもらおうか」
二メートルを超える体躯を、全身くまなく覆い尽くす重厚で肉厚な鎧を身にまとった大男が立っていた。普段は神都の片隅にある孤児院で、クマのような体躯だが、いつも柔和な笑みを浮かべ子供たちの面倒をみる名物神官。しかし、いまは憤怒の表情を浮かべ、一般人では持ち上げることさえかなわないほど巨大な盾と錘を握っている。
ヤルダバオトは上空から周りを見渡すと、統一性こそないが、人類が装備するには一級品の装備を身にまとった男女が展開していることに気がつく。
「下等生物には過ぎた品々を持っているようですが、まだ足りません。その程度では私はおろか配下の一人さえ倒すことなど叶わない」
ヤルダバオトはが言い放つと同時に両手を空に掲げ高らかに宣言する。
それが何らかの合図であったのだろう。
曇天を埋め尽くすほど数多の魔法陣が展開され、まるで影が染み出す様に次々と異形が生み出される。人など丸呑みできそうなほど巨大なドラゴン、うごめく触手に覆われた見たこともない魔獣、そして禍々しいオーラを放つ悪魔。戦いとは無縁の一般人でさえ空に浮かぶ一体一体が、それこそ都市一つを破壊しつくす力を持つことに疑問を思わないほど圧倒的な光景であった。
その中から一体が、先程までヤルダバオトによって繰り広げられた惨劇の広場に降り立つ。
赤黒い鱗で全身を覆い、その体を支える手足は大人の胴を超えるほどに太く、尻尾が振り回されれば建物の外壁などものの役にさえたたないことが伺える。それほどまでに巨大なドラゴンは、口からは炎の息が漏れさせながら餌を選ぶように首をゆっくり巡らす。
その巨大さと凶暴な見た目に圧倒され、動くこともままならぬ一般人達は、自分がどんな状況に陥っているのか否応なしに理解させられる。武器を持つものたちは、恐怖を腹の底に押し込め目の前のドラゴンを睨み返す。現状を楽観視しているものなど、それこそ教育を受けていない子供ぐらいだ。人類守護の最前線で戦い続けるスレイン法国国民だからこそ、平和ボケはしていない。だからこそ分かってしまった。
だからこそ全てのものが空を見上げて絶望しても、僅かな希望にすがり信じる神に祈る。
しかしドラゴンから見れば餌が動かず恐怖に震えているようにしか見えなかったのだろう。ゆっくりとその巨体を揺らしながら、その巨大な口を開く。
ああ、これが人類最後の日なのだと。
ここで負ければ人類の歴史は終わるのだと。
ーー
しかし祈りは届いた。
神か別の悪魔が取引に応じたのか、それをその場で判断できずとも、黒いローブを目深にかぶった男が一撃で眼前のドラゴンを葬り立ちはだかったのだ。
******
八月十四日 王都 ラインハルト邸
ラインハルト邸には、大小様々な部屋が存在する。その中でひときわ大きいのは地下の情報管理室と、最上階に設置された円卓の間である。この部屋には装飾らしい装飾は無いが、正面に掲げられたアインズ・ウール・ゴウンのエンブレムをあしらった真紅の旗に、巨大な黒曜石でできた円卓。そしてそれぞれが座るであろう椅子には数字の意匠が彫り込まれていた。
そんな円卓の間に、今日は数名の男女が集まっていた。
Ⅵの席には、茶色の髪と瞳に黒軍服。愛嬌のあるどこか素朴な顔立ちのエンリ・エモット。
Ⅻの席には、銀髪に対比するような黒軍服。どこかあどけなさを残す愛らしい容姿だが、右目を覆う無骨な黒皮の眼帯がすべてを台無しにしているアンナ。
そして本日から、老齢を感じさせる皺をたたえるも質実剛健を体現したような体躯に執事服を纏ったセバスがⅦの席に、戦闘用に改造されたメイド服をまとう金髪の美女ソリュシャンがⅧの席についている。
「さて、報告を聞こうか」
そして、Ⅰの席に座る長身で腰まで伸ばした金髪と黄金の瞳を持つ眉目秀麗な男、ラインハルトが場の開会を宣言する。
「では、私からご報告させていただきます。ラインハルト様」
誰がと指定されることなく、さも当たり前のことのようにアンナが報告をはじめる。その場にいるもの達も特に気にした素振りを見せず、視線をアンナに向ける。
「昨日、スレイン法国神都を悪魔ヤルダバオトが魔軍を率いて襲撃。しかし、世界を憂い放浪の旅に出た闇の神の帰還により、コレを退散。悪魔ヤルダバオトは、世界創生の七日間をなぞらえ、この月最後の七日間、日が出ている間のみ襲撃するゲームを宣言。対して法国は即日聖戦を布告しました」
「つまり二十五日から三十一日まで、デミウルゴス様が趣向を凝らした攻撃をするということ?」
「そうなります」
「そっか。二十五日までに王国の騒動を一段落させないといけないのか」
アンナの報告に、エンリが確認を入れる。この場にいるものは悪魔ヤルダバオトが同胞のデミウルゴスであることに疑問を持つものはいない。加えるならば、闇の神は、己が主たるナザリックの絶対支配者モモンガであることも含めて。
「デミウルゴス様が九日も無駄にするとは思えませんが」
しかしデミウルゴスの知性や性格を知るセバスが指摘する。仮にデミウルゴスが九日も無駄にするように見えているならば、自分が気付かぬ策謀を進めていると考えるほうが正しいことをセバスは評価しているからだ。
そしてその予測は正しいことを示す情報が齎される。
「はい。襲撃当日、神都で帝国の主席魔法使いフールーダの目撃情報がありました。あの方は魔法狂い。魔法の深淵を覗くためならどんな行動も厭わないでしょう。そんな方がモモンガ様をひと目みれば、教え子である皇帝ジルクニフさえ見限るのは必定」
デミウルゴスは、法国と帝国の攻略を任されている。ありえないタイミングに帝国の重鎮が法国で目撃される。つまり、それこそ九日で帝国を弱体化させるための策の一端なのだろう。
「アンナ。法国からの聖戦の布告にあわせて、王国および帝国すべての組織に対し聖戦への不介入を宣言させよ。聖戦終了時、組織、個人問わず王国の主導権を握っている者にのみ法国は支援を行うという一文を付けて」
そこまでやり取りを静かに聞くだけだったラインハルトが、はじめて指示を出す。
内容は法国の宗教上の理由に見せかけた王国というパイの切り取り宣言であった。
それは帝国に対するデミウルゴスの策が、王国への派兵による帝国の弱体化。しかも王国も含めた双方の戦力が磨り潰させること想定してのものであった。加えるならば、王国と帝国が本気でぶつかったとしても王国に勝ち目はない。にもかかわらずそのような策を組むあたり、ラインハルト陣営の動きを加味してのことと読める。
それに対し、ラインハルトは王国へ攻撃する口実の積み上げと戦力の刈り取り。
「加えて王国から帝国に対して宣戦布告させよ」
「え? でも今の王がそんなことをするとは……」
さらにラインハルトが付け加えたのは普通に考えればありえない策であった。王の派閥が現在力を盛り返していると言っても、相対的に見れば帝国の足元にも及ばない。そのような状況など王も側近も、なにより情報を与えている戦士長ガゼフが一番理解している。
「別に偽報でも良い。貴族派で帝国に内通しているものに、援軍を要請するという口実で帝国に声をかけさせ出兵する兵の数を上乗せさせろ。カッツェ平野で毎年やってる戦争を少々早いが誘発させよ」
ラインハルトは簡単だと言ってのける。
宣戦布告という名目を利用した外患誘致を貴族派にさせるというのだ。そして帝国と繋がった一部の貴族は、己が戦力の増強という幻想を持ち、より積極的に内乱に参加することだろう。
「帝国軍は、九日前後に四万程度がカッツェ平野を超えてくるかと。物流の報告で帝国は、この時期なのに小口で分散されておりますが小麦や塩など戦略物資の買い付け、売り渋りが帝国で発生しています。デミウルゴス様は、八月初旬から帝国内で王国への出兵準備をさせ、今回の主席魔法使いの利用で決定的なものとさせたのかもしれません」
「帝国の騎士なら先遣隊二百としてエ・ランテルに五日もあれば到着するかな? 王国と法国辺境警備の四部隊はいつでも動かせるだろうから」
アンナとエンリはそれぞれの知見から、二つの戦場を上げる。
十九日、エ・ランテルに二百の騎士が強襲
二十五日、カッツェ平野で四万との戦闘
少なくとも、近日中に二つ戦場が生まれるということだ。
しかし、王国には貴族が保有する諸侯軍と、王国の戦力とは名ばかりな騎士団。そして王直轄の戦士隊。すぐに導入できるのは三万程度。収穫前のこの時期に民兵を集めれば、税収、民意、物流など王国の将来が死ぬこととなる。
王は少ない軍勢で帝国を抑え、さらに内乱に備えねばならぬのだ。
「明後日にでも王は、防衛のために戦士隊と騎士団の一部を平野に向けるだろう。そこでエンリ」
「はい」
「カルネ村の部隊を使い、帝国の先遣隊を秘密裏に殲滅せよ。帝国と王国に情報を与えるな」
「わかりました。ラインハルトさん」
ラインハルトは黄金の瞳をエンリに向け指示を出す。そしてエンリは今にも蕩けそうな笑みを浮かべながら受け入れるのだった。
「どの程度連れて行っていいですか?」
「ゴブリン軍は最終防衛用の人員とユリ以外全てだ」
「ユリさん以外となると、ルプスレギナさんもですか?」
「あの者もいい加減退屈しているだろう。ゆえに仕事を与えてやれ。私からの指示といえば否はなく、適度に曲解し、都合の良いように退屈しのぎをするだろう」
ユリはもともと防衛向きのビルドであり、カルマも正寄り。戦うことに否はないだろうが、本人が望まぬ戦いをさせるより、親しくなった村の者達を守るための防衛戦に参加させたほうが良いと判断したからだ。逆にルプスレギナについては、本人の趣味嗜好もあり、多少暴れさせるほうが良く、エンリなら使い所を間違わず最良の戦果を獲得すると判断したからだ。
「して、王都はいかがなさいますか?」
しかし、明確な話が上がらなかった王都の趨勢についてセバスが質問する。
「七日後には、貴族派と暗部が手を取り合って王国というパイを分け合うために蜂起する。しかし時の権力者が権力闘争に明け暮れる足元で、虐げられた者たちがどのように空を見つめているのかな」
「かしこまりました」
つまり……
八月十四日 バハルス帝国
皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、かねてより進めていた王国への派兵を決定。先発として国境警備から250。続いて本体として四万の派兵を決定。
皇帝直属の騎士団の三分の一に加え、王国に対して積極的な攻勢を訴えた辺境伯を中心に展開。
同日 リ・エスティーゼ王国
戦士隊と冒険者の混成による王国暗部への襲撃を実施。
さしあたって前日に実施された戦闘も合わせ、百を超える負傷者がでるも、逮捕者も千を超え大打撃を与えたと発表。
八月十五日 リ・エスティーゼ王国
ランポッサⅢ世は、王国戦士長ガゼフからもたらされた情報をもとに、帝国の出兵準備を知り、さらにレエブン候からも同様の情報が入り、防衛戦を決断。例年のカッツェ平野での戦闘と予想し損害を五千程度と予想。しかし同時に王都でクーデターの可能性を知るため、第二王子のザナックとレエブン候を中心とした二万を派兵。
実質、王都における王の味方が手負いの戦士隊のみとなる。
八月十七日 王国南部
ウルフにまたがったゴブリンが二騎、草原をひた走る。
半日ほど移動すると、強固な防壁に囲まれた都市といってもよいような規模の村に到着する。
「姉さんへ報告を! 敵が網にかかった」
「わかった。いま門をあける」
防壁の門の前まできたゴブリンは声を張り上げると、門を警備したゴブリンに声が届いたのだろう。素早く返事が返ってきて跳ね橋が落とされる。
そこには、エンリが多くのゴブリンたちを従えて待っていた。
「おつかれさま」
「ただいま帰りやした。姉さん」
「今日来たということは……」
「はい予定のポイントに向けて移動する集団を発見。騎兵と歩兵が半々。二百以上はいたかと」
予定のポイントとは、エ・ランテルと帝国の要塞との中間地点。相手の思惑は
「先遣隊は夕方ぎりぎりまで移動し、休みを入れて早朝にエ・ランテルを襲撃するルートを選んだか~。門を閉めさせる前に奇襲で制圧できる自信……あるからこんな作戦なのかな」
「エ・ランテルの守備兵は先月の件で疲弊してやす。籠城できなければ冒険者が出張ったとしても……」
そういうのは先日までエ・ランテルの復興を手伝っていたゴブリン。良くも悪くもいっしょに汗水を流したのだ。エ・ランテルの状況ぐらいある程度わかるのだ。
「防衛戦に救援として参加でやすか?」
「え? なんで守らないといけないの?」
「え? 姉さん。エ・ランテルを捨てるんですか?」
「エ・ランテルは姉さんと同じ人間の町でしょ? 何もせず見捨てるんですか? てっきり救援に飛んでいくために、こんな探索網をつくったと思ってたんでやすが」
ゴブリンの一人は、エンリの回答に正直驚きを隠せなかった。周りを見れば、いちように驚いているあたり自分の心境は間違ったものではないことを確認できる。
そんなゴブリンたちの目やしぐさでのやり取りを見たエンリは、自分の言葉が足りてないことを気が付く。
「ううん。別にエ・ランテルを捨てるなんてことはないよ。ただ、相手の思惑通りに王国が防衛戦をする必要がないってことかな」
そういうとエンリは楽しそうに、ゴブリンに作戦を語るのだった。