【完結】もしパンドラズ・アクターが獣殿であったのなら(連載版)   作:taisa01

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第5話

八月十二日 夕方 王宮 ラナーの私室

 

 昼前から降りはじめた大粒の雨は、王都を容赦なく打ち付ける。雨の日特有の湿気はあるものの連日の猛暑は和らぎ、随分と過ごしやすい気温にまで落ち着いていた。

 

 そんなある日の夕方、王宮の一角にあるラナーの私室に二人は訪れていた。

 

「ラキュースにクライム。ごめんなさいね。急に呼び出して」

「あなたと私の仲じゃない。気にすることなんてないわ」

 

 冒険者チーム「蒼の薔薇」のリーダーラキュースは、蒼のドレスを纏い軽く手を振って答える。しかし、よく見れば髪の結が簡易であることなどから、よほど急いで登城したということがうかがえる。

 

「あとクライム。訓練中にごめんなさいね」

「ラナー様からの命令を実行するための訓練です」

 

 対するクライムは訓練後でありながらも、しっかりと身なりを整えている辺り、己の立場というものを理解しているのだろう。主に自分がラナーの攻撃材料という意味だが。

 

 対するラナーはというと、いつもと変わらぬ雰囲気で椅子に座っている。もっとも夜には王族が集まる食事会の準備で、メイドがせわしなく髪を手入れしながらという状況で、寸暇を惜しんで呼び出したことが伺える。

 

「こんな状況で、本当にごめんなさい。どうしても今お願いしなくてはいけない事だったの」

「それだけ急ぎということだったのだろ。それも面と向かってが必要な要件だ」

 

 ラキュースは左手を腰に当て、やれやれと返答する。

 

 過去にラナーが緊急といった要件は、どれもが本当の意味で緊急事態であった。

 だからこそ、今回の呼び出しも本当の意味で緊急であり、座して放置すれば碌でもないことになるのだろう。このどこか抜けている頭の良い友人の緊急は、まさしく緊急なのだとラキュースは考えていた。

 

「この部屋に来るまで随分と慌ただしいようだったけど、それに関係があるの?」

「ええ、先日提出した貧困街復興支援の関連だけど、王のご下命で戦士隊が犯罪者の一掃を行うそうなの」

 

 ラナーの答えは途方もないものだった。少なくとも一介の騎士や冒険者が立ち入る内容ではない。同時にラキュース自身の家を当てにした依頼なら、少なくとも隣に立つ騎士は必要ない。ゆえにラキュースにはラナーの真意を測りかねていた。

 

「でも、あまりにも急な話で多くの無辜の人々まで巻き込みかねないわ。だからクライムには一人でも多くの方を助けてほしいの」

「はっ。おまかせ下さい」

「ありがと、クライム。あなたなら二つ返事で受けてくれるとおもったわ。さすが私の騎士ね」

 

 クライムの言葉にラナーは満面の笑みを浮かべる。その笑顔は、同じ女性であるラキュースですら抱きしめたくなるほど愛らしく、そして美しいものだった。そしてクライムとしても、その笑顔のためならどんな苦難であろうとも立ち向かう覚悟を新たにするのであった。

 

「でも、場所が場所だから今回はラキュース達にも短期間の護衛をお願いしたいの」

 

 そういうと、ラナーは小さな袋をクライムに渡す。

 

 受け取ったクライムはその質感と重さから、かなりの額が入っていると判断した。

 

「今から冒険者ギルドに向かって、今日からの護衛という指名依頼を出して。金額は少ないけど今すぐ手続きしても3日分は契約できるとおもうわ」

「何故今日からなの?」

「戦士隊は十五日つまり明々後日に行動開始する予定なの。でも、万全を期すために一部冒険者に協力依頼を出すそうなの。王令による支援依頼だから、いくら中立の冒険者ギルドといっても普通の依頼より優先されてしまう。そうなるとこの護衛依頼も通らなくなるとおもうの」

 

 ラナーの説明にラキュースもクライムも納得する。実際、王令による依頼は、守秘義務などいろいろ付随するが比較的報酬の良い内容となる。仲介料が収入となる冒険者ギルドとしては、中立とは言えその辺を優先するのは、営利組織として当たり前の選択だ。なによりラキュースは王国で唯一の蘇生魔法の使い手。王令の指名に自分の名前があった場合の優先順位は、ラナーよりも上になってしまう。だからこそ、今の内に契約しておくというものなのだろう。

 

「しかし、あまり良いことじゃないが、クライムを守ってやるぐらい、いつものお願いでも構わないのよ」

 

 ラキュースは言外に、冒険者ギルドに無断契約での護衛でもかまわないと伝える。八本指の麻薬密売組織壊滅などの依頼を過去にも受けたのだから、今回に限ってと思ったからだ。

 

「もし現場で戦士隊や冒険者の人たちと対峙しても、契約をしているのとしていないのでは話は別でしょ?」

「ああ、よく考えればそのとおりね」

 

 大規模動員される作戦で誰とも会わないということはありえない。ここで何をしていると問われたときの大義名分が必要なのだ。

 

「ではラナー様のご指示の通り、いますぐ冒険者ギルドに向かって契約手続きを行ってきます」

「ありがと。クライム。あと細かい指示は袋の中に一緒にいれてある手紙を読んでね」

「かしこまりました」

 

 クライムは腰を折り深くお辞儀すると、ラキュースと共に部屋を出る。その姿をラナーは笑みを崩さず小さく手を振って見送る。

 

 そんなラナーに対してメイドの一人が香油の壺を持ち控えめに声を掛ける。

 

「申し訳ありませんラナー様。香油が一回分には足りないため補充のために席を外させていただきます」

「そう。まだ時間があるみたいだから急ぐ必要はないわ」

 

 許しを得たメイドは、香油の入った壺を持ち足早に部屋をでる。

 

 その姿を見送りながらラナーは髪を結っているメイドにも聞こえないほど小さく呟くのだった。

 

「そんなに急がなくても、あなたの雇主はこの情報を知っているから」

 

 

******

 

 

八月十三日深夜二時 貧困街

 

 先日の昼過ぎから振り始めた雨は、未だ止むことは無く王都を濡らし続けている。王都の西部に位置する貧困街も例外ではなく、その雨と夜の帳に飲み込まれていた。

 

 そんな中、一人の男性がある建物を遠くから眺めていた。

 

 その店は、いわゆる比較的大きい娼館という奴だった。逆に言えば大きな建物という特徴以外、これといった特徴がないことが目印というぐらい、周囲に溶け込んだ作りをしていた。しかし見かけとは違い、地下に一歩踏み入れれば、金さえ詰めばどのような快楽も享受できる王都で唯一の場所であった。

 

 そんな建物を見る男性セバスはしっかりとした執事服に身を包んでおり、とてもではないが場末の娼館に足を運ぶような出で立ちではなく、酷い違和感を醸し出している。

 

 そんなセバスが、内ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認する。

 

 二時。

 

 時間を確認し、娼館に足を向けようとした時、声を掛ける人影が二つ。

 

「そろそろはじめるのかい?」

「あなた方は?」

 

 セバスは接近を感知していたのだろう。驚くこともなく二つの人影に声を掛ける。

 

「ご無沙汰しております。セバスさん」

 

 若干黒ずんだ鎧に身を包んだ青年クライムが、セバスに声を掛ける。ふたりは奇しくも先日セバスがツアレを助けた際に顔を合わせていたのだ。

 

 そして隣、クライムよりも頭一つ以上大柄な影から声が投げつけられる。

 

「あたいはガガーラン。この騎士の坊やの護衛兼お手伝いだ」

 

 普段ならここで軽口の一つも続くところだが、アダマンタイト冒険者であるガガーランはひと目で、セバスの底知れぬ強さを認識した。より正確に言えば、自分より力量が上であり自分の物差しでは測れないほどの強者であることを、野生の勘ともいえる第六感で知覚したのだ。

 

 しかし、その表情からは警戒心など一切感じさせぬガガーランを脇に置き、セバスはクライムに話かける。

 

 先日セバスがツアレを助けた際に、二人は会っている。たまたま近くにいた衛兵がツアレのあまりの惨状を見咎め声をかけた際、クライムが立場を使い弁明したためお咎めなしとなったのだ。

 

「本日はどのようなご用向きでしょうか?」

「さる御方からの下令にて此度の騒動で一人でも多くの人を助けるべくお手伝いさせていただきます」

「お手伝いですか」

「はい」

 

 セバスが今日この場に居るのは、八本指への直接打撃により戦力の半分程度を削ぎ落とすためである。しかし、その行為自体に重きを置いていない。アダマンタイトである黄金のメンバー以外にも、正面対決し得る戦力があることをそれぞれの陣営に見せ付け、可能であれば不当な扱いを受ける人達を助けることが目的であった。

 

 現在、館の中では、十五日の戦士隊襲撃に備え八本指の傭兵部門とこの娼館主、そして麻薬担当などが集まり護衛契約を結ばれようとしていた。

 

 良い具合に標的があつまっているのだ。だからこそセバスは先手を取るために十三日の宵闇に紛れての襲撃となったわけだ。

 

 だが一つの可能性をアンナとセバスは提示した。もし、十三日の襲撃に気がつくものがいるならば……。

 

「なるほど。クライム様にご指示を出された方こそ、この国の真の意味での指し手ですか」

「指し手?」

「いえ、こちらの話です。ご協力をいただけるということですが、具体的にはどのような?」

「ああ、それはあたしから説明しよう」

 

 そういうとガガーランは一歩前にでて話はじめる。

 

「あたいの仲間がこの建物の出入り口と、地下がつながっている別の建物を監視している。そしてあたいとクライムはあんたと別働隊として突入し、中に囚われている者達を解放する」

「そちらのお手伝いはできませんが、よろしいので?」

「ああ。あんたほどじゃないが、腕には自信がある。遅れは取らないよ」

「わかりました。ご助力いただく以上、何らかのお礼をさせていただきたい」

 

 セバスはクライムに対し報酬の話を持ちかける。一般的にこのような危ない橋をただお手伝いなどというあやふやなもので、請け負う存在など居るはずないからだ。

 

「それに付きましては、お礼は不要でお願いします。こちらも仕事でこの場におりますので」

「しかし……」

「でしたら、後ほど個人的にお願いを聞いて下さい。無論そちらに不利益になるようなら断って頂いても構いません」

「わかりました。では、よろしくお願いいたします」

 

 個人的なお願い。コレこそが今回の目的であり、クライムに指示を出す人間が示した落とし所。

 

「では、はじめましょう」

 

 

******

 

 

 踏み込んだ三名はまさしく竜巻のような勢いで、有無を言わさず一階の人間達を無力化していった。

 

 セバスは扉を蹴破り娼館に踏み込んだ瞬間、ガイキを纏った拳で気弾を放ち、各出入り口で睨みを利かす男たちの意識を刈り取る。

 

 対してガガーランは、その丸太のような腕を軽く振り回し、客と思わしき者たちをまとめて壁に叩きつける。武器を持たないのは、ガガーランなりの優しさなのだろうが、叩きつけられた者たちは例外なく白目を剥いて意識を失っていた。

 

 そしてクライムは的確に一人、また一人と鞘付きの長剣で打倒していく。

 

 その迅速さは、入ったフロアの者たちが悲鳴や怒声を上げる間もないほどであった。

 

「セバスさん。私達は地上を制圧後、地下の牢屋に向かいます」

「分かりました。そちらは?」

「ん? アタシは坊やの護衛だからね」

 

 セバスはガガーランの返答に頷くと、迷わず地下に向けて移動を開始する。

 

 クライム達もすでにここの地図を入手しているのだろう。捕らえられている人たち、強権の慰み者になる人たちを助けに向かうのだった。

 

 地下に入りしばらくするとセバスは、多くの人間が集まっている場所にさしかかる。

 

--地下闘技場。

 

 一般的に剣闘士などがその生命を掛けて戦う場所。

 

 しかし、ここでは一般の倫理観では直視できないようなショーが繰り広げられる退廃の演壇であった。

 

 王国戦士隊による突入が十五日に控えているというのに、今日も何らかのショーがあったのだろう。すでに事切れた女性に組み付く亜人数体。その情景だけで、ここで何が行われていたのかが予想できる。そして観客は豪華な椅子に座り、談笑しながら眺めているのだ。

 

 その光景を見てもセバスは激情にかられることはなく、ただ冷静にナイキで上昇させた腕力にものを言わせて鉄格子を破壊し、闘技場の真ん中に躍り出る。そして、手加減抜きの全力でガイキを放つ。

 

 もちろんガイキには、モモンガの持つ絶望のオーラにあるような即死効果はない。しかし、殺気と置き換えればどうだろうか? 卓越した戦士の殺気をモロに受けた素人は腰を抜かすという。ではレベル百の全力の殺気を受けたせいぜいレベル五程度の塵にも満たぬ存在ならばどうだろうか?

 

 結論は他愛もない事実となる。

 

 多くのものがたったそれだけの行動で無力化されたのだ。

 

 しかし、もちろんか弱い存在ばかりではない。護衛契約のために訪れていた八本指における暴力の象徴。六腕達とその首領であるゼロがいたのだ。

 

 

******

 

 

 ゼロは今晩、八本指の内、いくつかの部門の代表と会うために娼館に訪れていた。理由は王国戦士隊による一斉検挙に向けて、六本腕を含めた傭兵隊による護衛契約のためであった。

 

 護衛契約自体はつつがなく進み、そろそろ本拠地に戻ろうかと言う時、事件は発生した。

 

 轟音と共に、VIPルームの眼下に広がる闘技場に男が一人飛び込んできたのだ。

 

 ゼロは、この場において紛れもなく強者であり運が良かった。ゆえにセバスが発した濃厚な殺気にも対処することができ、素早く指示を出すことができた。

 

「お前たち。契約は結ばれた。全力を持ってあの男を殺し護衛任務に就け」

 

 ゼロの命令に従い六腕の三人が、素早く武器を改修し飛び出す。

 

「このタイミングで飛び込んでくるバカがいるとは。まあよい。契約は結ばれた。私は戻らせてもらおう。せいぜいバカを血祭りに挙げるのを楽しんでいろ」

「ああ。六腕が三人がかりとは、あの男もついてない」

「私も護衛が戻ってくるまで待たせてもらおうか」

 

 ゼロが話しかけた小太りの男と、老人がそれぞれ回答する。二人は六腕の実力を良く知っている。過去どのような事態が発生しても、いち早く護衛契約を結ぶことで難を逃れてきた二人だからだ。今回も契約が結ばれた以上、安全と判断したのだ。

 

「私は部屋に戻らせてもらうわ。明後日の準備も必要だもの」

「普段から攻撃されることを前提としておれば慌てる必要もないものの」

「そう考えて準備していたからこそ、二日掛からず本部移転が可能なのよ」

 

 そんなことを言いながら女性は部屋から足早に部屋を出ていく。実際、八本指本部クラスの拠点を1日弱で移転できるものなど、この者以外はいない。その意味では、優秀なのだ。

 

--しかし、運は無かった。

 

 女性が部屋に戻った時、まず知覚したのは、いままで感じたこともないほどの危機感だった。

 

 自分以外は入ることができない仕組みの部屋。そこだけが唯一の安全であるはずなのに、部屋に入った瞬間、背筋にナイフを押し付けられたような気配を感じたのだ。

 

 回りを見回しても何も変わりはない。持ち出すための箱に積み上げられた書類。先程までとまったく変わらない光景。

 

 この女とてけして弱いわけではない。傭兵部門を統括し、自らも六本指に並ぶ武力を持つゼロとは違うが、最低限の護身ぐらいできる。さらに生来の臆病ともいえる性格が危機意識に直結することで、スラム出身から八本指の幹部にまでその地位を押し上げたのだ。

 

 危険を知らせる内なるざわめきを聞きながら、女は手近な本棚の中に隠したナイフへと手を伸ばした時、危機感は最大となった。

 

 本来ならナイフに届くはずの右手が水のような何かに飲み込まれていたのだ。

 

「……」

 

 女はあまりに突然な出来事に驚きはするも、悲鳴を飲み込み一瞬で意識を切り替える。己の右手は、いつの間にか近くに立っていた女の胸に飲み込まれていたのだ。

 

「あら、泣き叫んでもいいのよ」

 

 メイド服を戦闘用に改造したとおもしきチグハグな格好をした金髪の女が、笑みを浮かべながら話し掛ける。

 

「お前は何者だ」

 

 女はメイドに名を聞くが、実際の回答など期待はしていない。投げかけた言葉の反応から相手の思惑を探りつつ、対策を考えているのだ。しかし力を入れる右手がピクリとも動かず、どんな原理か少しずつ飲み込まれていく。

 

「私はナザリックに所属する戦闘メイド。プレアデスが一人、ソリュシャン」

 

 だが女の思惑など気にもせず、ソリュシャンは何も恥じる点などないと胸を張って名と所属を回答したのだ。

 

「たしか冒険者の黄金の獣が所属しているという組織ね。八本指に手を下すということは、どういうことかわかっているのか」

「ええ」

「ならお前の主もろとも覚悟するが良い」

 そういうと女は自由がきく左手の指輪に魔力を流し込み魔法を発動させる。しかし、結果はなにもかわらなかった。ここに来てはじめて女の顔色は変わる。

「何をしようとしたのかはわからないけど、隣の部屋に詰めていた護衛はとっくに……」

 

 そう。指輪は己の護衛への緊急サイン。だが、目の前の女はその護衛はもういないと言っているのだ。

 

「あなたは優秀ね。あの場所から逃げ出すものは危機意識が高い。たとえ無自覚であったとしても」

 

 ソリュシャンは賞賛しながら、女を少しずつ己の内側に飲み込んでいくのだ。女はこの地位につくまでの間に数多の拷問を見て、その幾つかをその身に受けたことも有る。しかし己が生きたまま何かに飲み込まれるのは初めての経験であった。

 

「あなたみたいなのに褒められても嬉しくないわ」

 

 しかし女はこの期に及んで、諦めてはいなかった。左手でソリュシャンの頬を強く張ったのだ。

 

「あら、ビンタなんてされたのは初めての経験よ。その指輪の内側に致死性の毒の針が隠されていることも含めてね」

 

 女は指輪の内側の仕掛けを発動し、致死性の毒針を出した状態でソリュシャンの頬に張り手をいれたのだ。その毒に人間が侵されればたちまち全身が麻痺に侵され死に至るものである。しかし、目の前のソリュシャンはその毒針をもってしても、その薄気味の悪い微笑みを崩すことさえできなかったのだ。

 

「でも、つかまえた」

 

 女はとっさに左手を引こうとするも、ソリュシャンの頬からピクリとも動かすことができなかった。むしろ引けば引くほど飲み込まれていくのだ。

 

「じゃあ、しばらく静かにしていてね」

 

 それが、女の聞いた最後の言葉であった。

 

 

******

 

 

 救助活動を行い地下闘技場に入ったクライムは目を疑った。

 

 六腕の特徴を持つものが血だるまになって倒れ、観客席には大勢のものが倒れ伏す。奥にあるVIPルームらしき場所は、窓ガラスが無残に破壊され、何者かの血が流れ落ちている。

 

 しかし、その惨状を生み出したと思わしき紳士は、闘技場の真ん中ですでに息絶えた女性に片膝を付け、静かに祈りを捧げていたのだ。

 

 神というものに懐疑的なクライムは、祈ることに価値を見出していない。しかし死者に祈りを捧げる紳士の姿は犯し難いものであるように感じた。隣に立つガガーランも何かを感じたのだろう。声を掛けずに静かに見守っている。

 

 しばし時間が過ぎ、セバスが立ち上がる。

 

「クライム様。そちらの首尾はいかがでしょうか?」

「はい、セバスさん。こちらは十六名を救助、また違法の現行犯または容疑者のほぼ全てを拘束しました。今、ガガーランさんの仲間が衛兵を呼びに行っています」

「そうですか。こちらも当初の目的を達成できました」

 

 クライムはセバスの顔を見ながら今回の件とは別のことを考えていた。

 

 それは、六腕さえ打倒するセバスの強さにどのようにすれば届くのか。今の王都は動乱の兆しが見え隠れしている。この中で敬愛する(ラナー)を守るための力を得ることができるのか。場違いと分かっていながら思わずにはいられなかった。

 

「では、後始末に入りましょうか」

 

 そういうとセバスは手早く観客席で倒れる者たちを拘束していくのだった。この者た

(改行ミス)ちは八本指ではないが、なんらかの関係者である。叩けばホコリが嫌というほど出る連中なのだ。

 

 クライムも、セバスにならい近場のテーブルクロスなどを破り簡易の紐にして、拘束をはじめる。

 

 逆にガガーランは入り口付近に立ち、どのような事態があってもすぐ行動できるように待機していたのだが、このような状況で敵の増援が来るわけもなく、暇を持て余していた。

 

「なあ、坊や。手紙の件を伝えなくていいのか?」

「手紙? クライムさん何か他にも用事があったのですか?」

 

 セバスは手を止めること無くクライムに話し掛ける。それに対しクライムはバツが悪そうな顔をするも、口を開くのだった

 

「実は、今回の指示を頂いた方から報酬について手紙に書かれていたのです」

「どのような内容でしょうか?」

「可能なら私がセバスさんか、その関係者の方に修行を付けていただけないか……という趣旨でした」

「ふむ」

「いくら仕事の報酬の話とはいえ、あまりにも不躾な内容でしたので正直お伝えしようかまよっておりました」

 

 クライムは、苦笑いをしながら答える。

 

「ガガーラン様も同様でしょうか?」

「いや、あたしらはクライムの主様から報酬を冒険者ギルド経由でしっかりもらっている。もしあんたから貰ったら二重取りになっちまうからな。その辺は信用問題にもなる。クライムだけにしておくれ」

「他の方については難しいと思いますが、私は構いませんよ。無論長期間というわけには行かず、あくまで本来の仕事の合間でということであればですが」

「ほんとうですか?!」

 

 クライムは、この話を断られると考えていた。しかし、セバスは条件をつけるも快く引き受けてくれたことで、望外の喜びを得ることとなった。

 

「まずはこの後処理を終わらせてからということとしましょう」

「はい!」

 

 

******

 

 

八月十三日 夕方 ラインハルト邸

 

 八本指の一角が崩れた日の夜。

 

 町では幾つもの噂話が持ち上がっていた。

 

 王都に暮らす大人の多くが知る貧困街にある大娼館が壊滅。多くの犯罪者が拘束され、中には噂で聞く八本指の大幹部まで含まれているというのだ。

 

 さらに言えば、最近話題の冒険者チームの黄金の関係者が、助けた女性の身を守るため単身巨悪に挑んだという話さえあるのだから、酒場で一番ホットな話題となっていた。

 

 そんな王都の市街地とはうって変わり、珍しく来客もなくラインハルト邸は静まり返っていた。

 

「セバス様。ラインハルト様より至急執務室にくるようにとのことです」

「わかりました」

 

 屋敷で執事としての仕事をしていたセバスに、ソリュシャンがラインハルトから呼び出しを伝えた。セバスは席を立ち、身だしなみを確認すると、ソリュシャンを伴いラインハルトの執務室に向かうのだった。

 

 しかしセバスが執務室の扉の前に立ち、ノックをしようとした時、部屋の中から複数の気配を読み取る。

 

「入るが良い」

 

 ラインハルトの声がセバスに入室を促す。

 

 入室の許可が降りた以上、戸惑い待たせるわけもいかずセバスは扉を開けて目にしたのは、執務用の椅子に座るナザリックの至高の主、モモンガの姿であった。

 

「どうしたセバス。そのような場所に立っていないで中に入るが良い」

「はっ」

 

 ラインハルトに促され、セバスはソリュシャンを伴い執務室に入る。

 

 モモンガの左右にはアルベドとラインハルトが控えている。その状況に内心驚き、ソリュシャンの気配をさぐるも、全く変化がないことから、ここに3人が揃っていることを事前に知っていながらセバスに伝えなかったことを理解した。

 

 セバスは前に進み出ると膝をつき、頭を垂れる。

 

「面をあげよ」

「はっ」

 

 セバスは顔を上げ、三人の表情を伺う。

 

 もともと常に支配者としての意識の高く冷静沈着なモモンガからは感情を読み取ることができない。その右腕たる守護者統括の地位にいるアルベドは、モモンガ関連以外ではその表情や仕草さえ自分に有利になるように偽ってみせる知恵者。執事として完璧ともいえるセバスであっても、この二人から場の雰囲気を読み取るのは至難の業であった。

 

「なぜここに私がいるか疑問に感じたことだろう。ゆえにそこから伝えることにするとしようか」

 

 モモンガは椅子に背を預けながら、手を軽く前で組む。ゆっくりとした仕草だが、そこには王者の威厳があった。

 

「ラインハルトから王都攻略において一定の成果があがり、最終目標への目処が立ったと報告を受けた。そして、この光景を見ることができるのもあと数日と聞けば、一度見ておくのも一興と思ってな」

「人間に化けてだがアルベドとのデートは楽しめたかな? 我が半身よ」

「ナザリックの財と比べると劣るとは言え、未知のマジックアイテムや書物。そして未知の町並みに未知の文化。なかなか楽しむことができたぞ」

「たかが人間種の街と侮っていたけど、モモンガ様が楽しめたようで何よりです。ただ都市計画は杜撰(ずさん)ね」

 

 アルベドの言ではないが、モモンガは初の王都来訪を楽しんでいた。

 

 自然溢れるカルネ村やトブの大森林は視察で訪れたが、王都など人の多い所はいままで一度もでることはなかった。そのため多数の未知のアイテムや食事、自分の常識とは町並みや人の営み。その全てが新鮮であったのだ。

 

 対するアルベドは、護衛という名目とはいえモモンガとのデートにご満悦であった。さらに、たまたま訪れた宝飾店で店員からモモンガの奥様と言われたことなどもあり機嫌がすこぶる良かった。すくなくとも、王都を今すぐ殲滅すべしという考えが出ない程度に。

 

 そんな会話をしていると、扉をノックする音が響く。

 

 ラインハルトが入室を許すと、そこにはラインハルトの部下であるアンナとエンリがツアレを伴って入室する。その光景にセバスは理解した。この場はただの報告の場ではないということを。

 

 

   ******

 

 

「では、はじめるとしようか」

 

 モモンガは軽く右手をあげ、場の開催を宣言する。 

 

「詳細は事前に報告を貰っている。この場では簡単に述べよ」

「了解した。我が半身よ」

 

 モモンガはラインハルトに軽く視線をおくると、意図を認識したラインハルトが返す。

 

「まず目的は二つ。一つはこの地と南方の古戦場にスワスチカを展開すること。既存の二つとあわせて王国内に必要なスワスチカは全て展開完了となる。そして二つは王国をナザリック旗下に加えること。ただしその後の統治を考えれば悪感情を極力排除する必要がある」

「その通りだ」

 

 ラインハルトの説明に対し、モモンガは追認する。これは二人の間で意識のズレが無いことを確認する儀式のようなものであった。

 

「まずセバスを通じて王の派閥を活性化させる。同時に法国からの支援を絶ち、さらに冒険者や王国戦士隊、そして私も含めて相応の揺さぶりを掛けて、貴族派や暗部を自壊に向かわせた。そして本日、セバスにより暗部の一部は崩壊。さらにソリュシャンにより幹部を一人捕縛」

「彼の者は、現在ナザリックにて教育中です。数日もすれば忠実で優秀な人材となることでしょう」

「その者を活用するのは今回の一件が完了してからだがな」

「はい」

 

 セバスは、ソリュシャンとラインハルトのやり取りに驚くことはなかった。なぜなら、襲撃計画をエンリらと練った段階でその可能性が上がっていたのだから。

 

「これで前座は整った。デミウルゴスの策もあり、二週間もしない内に決着がつく。計画の説明は必要かな?」

 

 ラインハルトは、もったいぶるようにモモンガに問う。対するモモンガは素っ気無く答える。

 

「劇の結末を知っては楽しみが半減する。目的は達成できるのだろう?」

「無論」

 

 モモンガの言にラインハルトはニヤリと笑い答える。もともとモモンガは営業担当である。ゆえに報告・連絡・相談といった点を重視するのだが、最近になり目標・目的を共有し、ある程度担当者の裁量に任せることを身に付けた。ある意味、着実に支配者としての経験値を学んでいるとも言えた。

 

「だが何点か確認しよう」

 

 しかしモモンガは、あえて絶望のオーラをレベル1まで下げて発動すると、セバスに視線と質問を投げかける。

 

「セバス。お前は今回の一件を通し多くのものを助けることを選択した。これは計画には無かったことと聞いている。なぜその選択をした? その想いはたっちさんに設定されたものではないか?」

「たっち・みー様にかくあるべしと(設定)されたものではございません。なにより最初は意識しての行動ではございませんでした。しかし、今なら申し上げることができます。困っている者に手を差し伸べたい。もちろんナザリックに不利益がない範囲ではございますが……」

 

 至高の存在に対し、奉仕する者(NPC)に虚偽の報告などありはしない。なによりモモンガは思慮遠望と人心把握に優れた最高支配者。嘘に塗り固めた言葉など届くわけもない。

 

 ゆえにセバスは、モモンガに偽ることのない想いを伝える。

 

「では、ナザリック外の者も含め、多くの者に協力を得て事を成したと聞いている。それはなぜだ?」

「今回の任務を通して学んだことにございます。私は万能には程遠い存在にございます。最善を成すために多くの方々の手や知恵を借りる必要がありました。これらの行動を不忠とご判断されるならば、喜んでこの首を捧げさせていただきます」

 

 セバスの設定には紳士的などの記述はあるが弱者救済などという記述は無かった。

 

 さらに、この世界に転移した際にモモンガが実施したNPC達との面談で、正悪どっちの選択を好むかというレベルの片鱗はあったが、そのときはカルマ値に由来するものと考えていた。

 

 自分の意志で目標を定める。自分の足りないものを客観的に見つめ、目標を実現するため不足を補うべく行動する。

 

 まさしく学習の第一歩。

 

 先日もコキュートスの予想外の成長を目の当たりにしたが、それをセバスも見せたということなのだ。

 

 なによりモモンガはNPCを子供のように思い、一つの個、一つの人格があるものとして接していた。

 

 そのため、先日のコキュートスに続き自己確立に学習という成長を見せてくれたセバス。さらにセバス姿は恩人であり友人でもあるたっち・みーの姿を見たモモンガは、父親のような喜びを感じた。

 

 さらにある確信に至った。

 

ーーレベル100の先

 

「セバス。お前の全てを許そう」

 

 モモンガは立ち上がり宣誓するように言葉をかける。

 

「お前の忠義に疑問はない。たとえ行動の結果、一時的にナザリックへ不利益が発生しようとも、お前ならばそれ以上の成果を上げると信じている。今回もお前の行動はレベル100の存在でも学習し、成長する可能性を示した。その成果は現在なによりも大きい」

 

 続いてモモンガはゆっくりと顔をツアレに向ける。ツアレも助けられてから、ここが人間の住処でないことを肌で感じていた。しかし異形の存在を目の前にしたのは、これがはじめてであった。なにより目の前の存在は見ているだけで心を鷲掴みにされたような恐怖を感じ、もしその一端にでも触れようものなら死に至ると理由もない確信があった。

 

「さて、セバスが助けた命。おまえは今後どのようにしたい?」

 

 知りすぎたものには死を。それがこの世界で生きている上であたりまえのルールであり、ツアレも問答無用で殺されるものと思っていた。

 

 そして今日呼び出された時も、時が来たとしか感じなかった。

 

 しかし、目の前に選択肢が示された。

 

 ツアレにとってあまりにも予想外のため、理性は固まり咄嗟に答えを口に出すことができなかった。そして迷うようにセバスに目を向けると、セバスは微笑み小さく頷いたのだ。

 

「もし、許されるのであれば、セバス様の側において下さい。どのようなことでもいたします」

「えっ」

 

 ツアレは言葉と共に、ツアレは両の手と膝を床につき深く頭を垂れる。

 

 モモンガは、セバスの成長に喜び、偽りのない善意で質問したにすぎない。なのに、リアル時代の美醜感覚に照らし合わせても相当な美女がいきなり土下座を始めた。

 

 そんなツアレの行動に、モモンガは呆気にとられた。

 

「あ~~。ごほん。セバスの側ということは、必然的にナザリックに所属することとなる。機密の観点で人間社会に戻してやることもむずかしくなるが良いか? 今ならば数日の記憶を消し、どこか遠くで静かに生きることもできるのだぞ」

「私は全てを諦めておりました。しかしセバス様が手を差し伸べて下さった時、私ははじめて自分の意志で助かりたいと願ったのです。セバス様が生きる世界こそ私の生きる世界にございます」

 

 ツアレは思いの丈を宣誓するよう、淀み無く答える。その言葉にモモンガも意志を決することが出来た。

 

「意志は確認した。私の名を持ってお前をナザリックに迎え入れよう。当面はセバスが部下として教育を行い、然るべき後に役割を与える」

「ありがとうございます」

 

 安堵と喜びからの笑みを浮かべるツアレを見て、モモンガは良い事をしたと小さな喜びを得る。そして、すぐに引き締め回りの者の雰囲気を確認する。

 

 セバスやソリュシャン、ラインハルトの部下などを順次読み取り、最後にアルベドに顔を向ける。

 

「アルベド。何かあるか?」

「この采配は成長の片鱗を示したセバスへの褒美。偉大な支配者としての寛容さを示された良いご判断かと」

「そうか」

 

 先日の一件からモモンガの公私の全てを支えるようになったアルベドだが、モモンガとナザリック、ナザリック以外という三つの区分がその思考の端々に見て取れた。

 

 特に人間種への敵視はモモンガが元人間と知ったためか、ある程度緩和されたが、それでもけして良い評価とはなってはいない。

 

 そんなアルベドが今回の采配をどう思うか。

 

 近しい存在に無意識に求める承認欲求。いまだモモンガに鈴木悟としての意識が残る証ともいえる。

 

「モモンガ様のお決めになったことに、否はございません」

 

 アルベドもその辺がわかっているため、今回のように取るに足らない判断であれば己の趣向に蓋をして、静かに微笑むのだった。

 

「では、私とアルベドは次の用事がある」

「はい」

 

 そう言うと、モモンガは静かに立ち上がり、転移の魔法を使うため同行するアルベドに手を差し出す。アルベドも慣れたものなのだろうか、微笑みながらモモンガの骸骨の手に、白魚のような指をのせる。

 

「法国に行って宣戦布告でも行うのかな? 我が半身よ」

「ああ、似たようなものだな。デミウルゴスにも困ったものだ。より面白い劇のために、観客ではなく役者になれというのだ。この仕事はお前(アクター)にこそ相応しいのにな」

 

 どこか楽しそうに答えるモモンガは、転移の魔法で姿を消す。

 

 それを同じように見送るラインハルト一行。

 

 そんな彼らの元に、スレイン法国に神々の試練を意味する聖戦が発動されたという情報が届くのは、翌日のことであった。

 




本作品では、ギルドマスター権限でマスターソースを利用すると、NPCのスキルや設定などが確認できるものとしております。アニメ版シャルティア戦でシャルティアのスキルを確認したというセリフの拡大解釈です。
じゃないと他のプレイヤーが作成したNPCの設定なんて覚えているはずがないと思ったので。

しかし、蒼の薔薇の面々の口調が怪しい……でも、この作品ではこの方針で。

あと八本指はゼロ以外名前が出てこないのは、このお話において意味がなく、原作のように再登場の予定もないからです。ご了承下さい。
さてセバスのお話は一端ここまで。

次回からはデミウルゴス戦(?)です。

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