【キツネの時間】   作:KUIR

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【5】 拒絶のサイン

 ふう、と雪ノ下が息を一つ吐いた。

 顔を逸らしていた由比ヶ浜と、じっとこちらを見ていた一色が雪ノ下に注目を戻す。

 

「話が逸れたわ。結局、葉山くんとの接触の機会は他には心当たりはないのかしら」

 

 脱線した話を元にもどしてくれるのはありがたい。これ以上変なことを考えずに済む。

 俺は一色と由比ヶ浜をちらっと見た。

 彼女たちはふるふると首を横に振る。

 

「いまのところはそれだけみたいだな」

 

 とりあえずは一つあれば十分だろう。それがダメであればまた考える。いくつか策を講じられるくらいには時間はあるはずだ。

 雪ノ下はこくりと頷く。

 

「では、任せてしまって申し訳ないけれど」

「問題ねえよ、これが一番確率が高い方法のはずだ」

 

 と言うと、雪ノ下は伏し目がちにぼそりと呟く。長いまつげがまばたきで動くのが目立った。

 

「本当は、私が聞けたら良かったのだけれど」

 

 その言葉には、「もしも聞くことができたらもっとも確率が高いはずなのに」という意図を見て取れる。見て取れた意図から、以前の葉山や陽乃さんとのやり取りを思い出した。

 彼女たちには俺たちの知らない時間がある。もしもそれが葉山の進路を暴く最良の手段になるのだとしたら。

 しかし雪ノ下がそうしないということは、そうできない理由があるのだろう。もしかしたらそれはただ単に葉山と仲違いをしたからなのかもしれない。

 

「いいんだよ、俺にしかできないことは俺に任せとけ」

「そうだよゆきのん、頼れる時は頼っていいんだよ。……って、今回何もできてないあたしが言えることじゃないかもだけど」

 

 由比ヶ浜が優しく諭すように声をかける。雪ノ下は相変わらず伏し目がちに、ともすれば重々しくも聞こえるように口を開いた。

 

「……ええ、ありがとう」

 

 あの時葉山が「雪乃ちゃん」と呼んだことが思い出された。

 ただ単に仲違いをしただけかもしれない。でも、単なる仲違いではなかったら?

 

 以前に比べると雪ノ下はずっと自分のことを話してくれるようになった。しかしそれでも話さないことはある。

 拒絶されないだろうか。話してくれるだろうか。

 俺は彼女の過去に踏み込んでいくべきなのだろうか。

 

 

「先輩、結衣先輩のこと好きなんですか?」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が鍵を返しに行った直後、廊下で一色が切り出した。

 からかっている様子はなく、表情は真面目。気負いもせず茶化しもせず、ただの話題とでも言った風に。

 

「何言ってんのお前?」

「なんですかその人を馬鹿にしてるような顔は」

 

 お前こそ俺を馬鹿にしてるような態度やめろよな。しかも俺とは違ってデフォルトがそれだぞ。

 お互いの昇降口へ向けて歩きながら軽口を叩きあう。

 

「なんで俺が由比ヶ浜のことを好きになるんだ。そもそも俺が由比ヶ浜と釣り合うはずがないのは理解しているから出すぎた真似をすることはない」

「先輩ゴミですか? それ結衣先輩の前では手足の一本や二本持っていかれても絶対に言わないでくださいね」

「表現が怖いんだよ……。ていうか誰に持っていかれるんだよ」

 

 一色が本物のゴミを見る目でこちらを見ている。やだこの子いつの間にこんな技覚えたの。はちまん悲しい。

 由比ヶ浜結衣は優しい女の子だということを俺は知っている。だからこそ、俺が彼女を中途半端に好きになることはないだろう。

 

「今日、結衣先輩と話してる時だけぼーっと見つめてたじゃないですか」

「たったそれだけで好きがどうとかお前の恋愛経験は小学生どまりかよ」

 

 いやそんなはずないんですけどね。一色と俺の恋愛経験を比べたら十倍じゃ済まないほどの差があってもおかしくない気がしますけどね。一色の場合恋愛経験というよりは男を手玉にとったジャグリング経験と言った方が良いかもしれない。これ本人に言ったらゴミを見る目どころでは済まないだろうな。

 

「ほら、葉山先輩と雪ノ下先輩の噂のせいで、ちょっと意識しちゃったのかなって」

 

 なるほど、ようやく合点が言った。確かにここ最近は学校内屈指の有名人、葉山隼人と雪ノ下雪乃の浮ついた噂でもちきりだ。雪ノ下の誕生日プレゼントを買って、陽乃さんと葉山に会い、雪ノ下を呼んだ日。

 あの日葉山と雪ノ下がいっしょにいたというだけで、二人が付き合っているのではないかと言う噂が流れているのはもう俺も知っている。浮ついた噂もない有名人二人がついに、というと、一種のスキャンダルじみた話題性があるのだろう。瞬く間に学年中に広まった。

 

 その空気のせいで俺が由比ヶ浜を意識してしまったと。

 

「俺に限ってそんな恋愛体質の女子高生みたいなことあると思ってんのか」

 

 一色はふむ、と俺を見つめる。

 

「それはありえなさそうですねー、確かに」

「納得するならなんでそう思ったんだよ」

「えーでも先輩だって誰かを好きになったことくらいあるんじゃ……。ある……。……な、ないですか?」

 

 どんどん自信をなくしたようになって、しまいには憐みの表情で尋ねてきた。憐れまれる経験はしているが憐れまれるいわれはない。

 

「失礼な聞き方すんじゃねえ」

 

 憐れまれると普通に辛いので、ついと顔を上げて強がってみる。が、どうもこれは悪手だったようだ。

 

「えっ誰かを好きになったことあるんですか教えてください早く早く」

 

 一色が新しいおもちゃを見つけたように目を輝かせている。

 面倒なことになった。この手の女子高生が大好きそうな話になると一色は引かないだろう。ていうか何が一番嫌かってこいつ口軽そうだから由比ヶ浜や雪ノ下に伝えそうなんだよ。万一戸部あたりに伝わって俺が絡まれでもしたら不登校になるまである。

 

 ふと、先日由比ヶ浜に中学時代のことを話した記憶が蘇る。

 普段の俺ならば「俺くらいにもなると振られた翌日にはそのことがクラス中に広まっていてな」程度のことは言えるものだが、一色が折本のことを知っている以上、それを伝えるのは憚られた。

 

「あったとしても教えねえよ。お前には雪ノ下の噂を奉仕部でぶちかました前科があるからな」

「先輩ダメダメですね、教えないにしてもそういう断り方だともてませんよ?」

 

 なんでこの状況でダメ出しされなきゃいけないんですかね……。ここは一色の前科について俺がダメ出しするターンだったんじゃないですかね……。ボルバルザークなの? 追加でターンを得てしまう無双竜機いろはすザークなの? ずっといろはすのターン!

 

「まあでも、葉山先輩と雪ノ下先輩だとお似合いって感じしません?」

 

 続けて言う一色に、俺は拍子抜けした。

 絶対に食い下がると思ったのに、別の話題に移行している。しかもその内容は、葉山のことを狙っている一色にしては、まるで諦めたとでもとれてしまうようなものだ。

 

「……お前それ本人の前で絶対に言うなよ」

「言いませんよー。そんなに信用ないんですか?」

「ここまでの会話でその手の信用ゼロだってこと伝わるよね?」

 

 反省した様子もなくけろりと話す。こういう反省しない子ってきっとバイトとかでも同じ失敗を二度するんだろうなあ。その点俺は働くことがないから失敗する恐れもない。やはり専業主夫こそ至高にして最強。強靭! 無敵! 最強! すごいぞーかっこいいぞー!

 一色は俺の過去の話から話題が変わっていることに気付いていないかのように話し続ける。表情から何を考えているのか読み取ろうとしてみるが、いたって普通、いつも通りの一色いろは。気付いていないだけか、それとも食い下がるほど好きな話ではなかったということだろうか。

 

「あーあ、私も葉山先輩と付き合いたいなあ」

 

 どうも俺の過去の話に戻るつもりはないらしい。肩すかしを食らったような気分だが、話したいわけではなかったので助かりはする。

 

「雪ノ下は付き合ってないから。ていうかそう思うならサッカー部行けよ」

「葉山先輩、女の子の告白はいつも断ってるから誰か好きな人がいるのかも……。それが雪ノ下先輩だったりしたら……。

 葉山先輩から告白かあ……。いいと思いません?」

「思うと思ってるのかちょっと冷静に考えてみてくれると助かる」

 

 海老名さんには思われてるかもしれないけどね!

 一色は水を得た魚のように、堰を切ったように話し続けている。あれ、やっぱりこの子他人の恋愛に興味津々なんじゃありませんかね。あ、俺の恋愛の話だから興味なかったってこと?

 

「でもでもわかりますよね? 例えば雪ノ下先輩に告白されたら先輩はどう思いますか?」

「仮定がありえなさすぎて答えられない」

「じゃあじゃあ、結衣先輩だったら?」

「罰ゲームを疑う」

「正真正銘のゴミですね……」

「おいちょっと待てそういうのは思うだけにしろ」

  

 最強の専業主夫(志望)だって傷つくんだからね! この間もしょうもないことでへこんだばかりだし。

 一色は大きくため息をつく。うーんこういう話には食い下がるのか。女子ってよくわからん。

 

「先輩は中身がアレすぎて例えになりませんけど、普通、良いなあと思っている人に告白されたら嬉しいに決まってます」

 

 しょうがないなあ、とでも言うように、呆れ顔で一色は言う。

 

 それは知っている。告白されたとしても、それが迷惑になり得ることも身を持って知っている。

「良いなあ」と思われていなければ、告白はただのエゴであり、された側からすれば迷惑行為でしかない。「良いなあ」と思われた人間だけ、許可を得られた人間だけが告白をすることを許される。ほらミスチルも言ってるよ、恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム。そういう意味だっけ……?

 

 しかし、これをそのまま一色に伝えようと思えるほどには、理論に確信が得られていない。

 

「そのくらい俺にもわかるさ。中学の頃は良く妄想したもんだ」

「なんでそういうことが言えて昔の恋愛については話せないんですかねえ……っと」

 

 ここで一年生と二年生の昇降口へ向かう分かれ道が来た。

 一色は飽きれ半分に笑いながら、「じゃあ、また明日」なんて言いつつ一年生の昇降口へ向かっていく。また明日も奉仕部に来るつもりなのか。

 彼女に向かって二、三手を振り返し終えたところで背を向けて歩き出した。

 

 最後の一言から察するに、結局一色は、無意識に話題が逸れたことで俺の恋愛についての興味を損なったわけではなかった。

 拒絶してしまったのだろうか。話さないことを選んでしまったのだろうか。

 俺は彼女に、俺の過去を話すべきだったのだろうか。

 




一年生と二年生の昇降口が分かれているかわからなかったので、もしもわかれていなかったら脳内補完お願いします……!

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