冬休みが過ぎた。
炬燵で過ごす寝正月は終わりを告げ、新学期が始まる。どうせなら始まると同時に終わってほしい。
クラスでは進路希望調査票が配られ、全員が文理選択、ひいてはそのさきの大学や就職について考える時を迎えた。
葉山隼人たちのグループでは文理選択についての話題が盛んなようで、こと三浦に関しては想い人である葉山が文理どちらを選択するのかが気になるようだ。
その三浦から、奉仕部の「千葉県横断お悩み相談メール」に「皆はどうやって文理選択をしているのか」という質問が来た。
これを一色いろはが女子語から和訳すると「葉山隼人が文理どちらを選択するのか知りたい」になるらしい。女子語って本当に良くわからない。
葉山が三浦や戸部に教えなかったことから考えて、由比ヶ浜や一色などある程度近い人物には明かさない可能性が高いので、俺が聞き出すことになった。
そしてもう一つ。新学期からは「雪ノ下雪乃と葉山隼人が付き合っている」という噂が流れていた。
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一月の寒さの中、総武高校特別棟の一室には温かみを感じる紅茶が香っていた。
ティーカップ、犬のマグカップ、パンダのパンさんのプリントされた湯飲み、三つそれぞれから湯気が立っている。
いつも通りの風景の中に、しかし今日は四つ目の湯気が追加されていた。その元を辿れば紙コップにたどり着く。
一色いろはは相変わらず奉仕部に入り浸っていた。
「せんぱぁい、なにか面白い話してくださいよ~」
「その振りがどれだけ人に傷跡を残していくか自覚してから発言しろ」
ほんとこいつは……。もう俺相手なら何を言ってもしても許されるとか思ってない? こいつに折本とのことを知られたら高校中に言いふらされるやも……。あっぼっちだし問題なかった。敗北を知りたい。
一色は紙コップを手に退屈そうに机に覆いかぶさっている。
「そんなに暇ならサッカー部にでも行けよ、前も言ったけど」
「外、寒いんですもん」
由比ヶ浜が苦笑いをし、雪ノ下がこめかみを抑える。見慣れた光景だが違う。今まで彼女たちにそれをさせるポジションは俺だったはずなのに! やだなにこの気持ち、嫉妬?
雪ノ下もいつもの頭痛がするみたいなポーズはするものの、諦めたのか一色をたしなめることはしない。
「ところで依頼解決の目途は立ったのかしら、比企谷くん」
「残念ながら、まだだ。なかなか葉山と二人きりになる機会がなくてな」
聞かれたら海老名さんのテンションが大変なことになりそうな台詞だが、俺以外の人間がいない方が成功率が上がることはおそらく間違いはないだろう。材木座みたいないてもいなくても良いやつなら話は別かもしれない。あれ、これ俺も材木座と同じカテゴリーに入ってしまうんじゃね?
「葉山の普段の過ごし方を見るとだいたい誰かしらそばにいるからな。まったく、ぼっちを見習ってほしいもんだ」
「見習う点がどこにあるのか教えてほしいのだけれど……」
雪ノ下がこめかみを抑えた。見たか一色! これが本家ずつのしたずつのんだ! 普通に言いにくい。やめよう。
当の一色は何をそんな簡単なことで悩んでんだこいつ? みたいな顔でこちらを見ている。
「先輩、クラス同じでしたよね? 呼び出せば良いんじゃないですか?」
「わざわざ呼び出して文理選択教えてくれなんて裏がありますって言うようなもんだろ」
あ、なるほど、と一色が得心したように顔を上げる。まあ教室で葉山を呼び出すという目立つ行為がそもそも俺にはハードル高いんですけどね。
一色といえば、部活方面で考えてはどうだろうか。
「なあ一色、サッカー部、もしくは部活が終わった後で葉山が一人になるタイミングってあるか?」
俺の知る限りでは葉山は常に誰かと一緒にいる。なら俺の知らないところではどうだろう。恐らく一人でいることは少ないだろうが、全くないということはないのではないだろうか。
「部活でですか? えーと、終わった後は一緒に帰ろうとしてたんですけど、だいたいいつも男子と帰ってましたねえ」
下校中は不可、と。まあそれは想定内だ。一人で帰ろうものなら一色やその他女子がくっつき虫がごとくくっついてくるであろうから、それを除けるために誰かと帰るのは当然であろう。それに引き替えぼっちはそんな心配をせずとも一人だから最強である。敗北を知りたい。敗北しか知らない。
一色は「あ、でも」と思いついたように話す。
「そういえば練習が終わった後、下校するまでだったら片付けとかそれぞれの部室を出る時間の関係で一人になる時があったかも」
「なるほど」
しなければならない作業をしているときであればさすがに女子も寄ってこないし、男子と一緒にする必要もないということか。そうだよな、わかるわかる。俺も文化祭の仕事とかぼっちだったもん。もちろん仕事以外でもぼっち。
それまで考えるような仕草をしていた由比ヶ浜が言った。
「うーん、隼人くんが一人になるときかあ……。あんまり思いつかないかも」
「由比ヶ浜には最初から期待してないから大丈夫だぞ」
「優しくされてるけど馬鹿にもされてる!?」
だって由比ヶ浜と葉山の接点ってクラスとプライベートでしょ……。クラスは俺もだいたい知ってるし、プライベートは知ったところで関われないから無意味だし。
ふと由比ヶ浜を見て先日の折本とのやりとりを思い出した。一色や雪ノ下を含め、彼女たちとはこうして何気なく応答ができる。折本のようにぎこちなくなることはない。それはやはり折本との間に感じる一方的な溝のせいなのだろうか。
先日のことを思い出したからか、暗い感情が身の内から染み出すのを感じた。「正直迷惑」という言葉に同意する彼女の声が、身を侵略するように這っていく。
「……そんな犯罪者のような目で由比ヶ浜さんを見つめるなんて、通報でもされたいのかしら、性犯罪者谷くん」
「おいちょっと待て誤解だ。ていうかその名前は無理があるだろ」
うそ、見つめてましたかね、だとしたらどのくらい……あ、昨日のこと思い出してた当たりからずっとか。反論のしようもないほど見つめてましたね……。
由比ヶ浜はというと、顔を赤らませ居心地悪そうにしている。思わずこちらも顔が熱くなるのを感じた。
「その、なんだ、不快な思いさせてすまん」
「いや、べつに、不快ってわけじゃないし……」
お互いに目を逸らす。本当に不快な思いはさせなかっただろうか。例えば男子の告白だって、本気で好きでもなければ迷惑なもの。そこまでではないにせよ、好きでもない人間に見つめられてはやはり不快ではないのだろうか。
思考が渦を巻き始めたところで、今度は頬杖をついている一色と目が合った。
普段ならこういう時には雪ノ下に乗っかりでもしそうな彼女が、意外にもこちらを見ているだけだった。
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