【キツネの時間】   作:KUIR

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【3】 彼の生傷

 

「どうしたの、おにいちゃん」

 

 夕食後、膨れた腹をさすりながらコタツムリになっていると、炬燵に入り込んできた小町から尋ねられた。二人で入ると狭いんだよなあ……。

「なんだよ、藪から棒に」と炬燵の中のカマクラを撫でながら返す。この猫もまた炬燵を狭くしている。

 

「目がいつもよりだいぶ腐ってる。結衣さんとなにかあった?」

 

 折本といい小町といいやけに人の様子に突っ込んでくるが、原因はそれか。そりゃ十五年間共に生きた小町じゃなくても気付くよなあ。十五年共に生きたって夫婦みたいで良いな。

 

「普通に雪ノ下の誕生日プレゼントを選んだだけだよ。由比ヶ浜は猫のミトンなんかを選んでたな」

「数年前もそういう腐り方してるときはあったんだよねー。結衣さんと喧嘩でもしちゃったの?」

 

 目の腐り方を見るだけで俺の一日になにがあったかを推し量れてしまうのか……。由比ヶ浜も別れるまで「ゆきのんもヒッキーのプレゼント喜んでくれるよ」とか言って妙に気を回すなと思っていたけど、それはきっと俺の目の腐り方を見てフォローさせてしまっていたんだなあと今更に気付いた。二人の八幡検定準二級の合格を認めよう。ていうかそこまで俺のことわかってるなら話逸らしたいのもわかってくれ小町。

 

「小町が心配するようなことはなんにもねえよ。そろそろ俺は上に行くぞ」

 

 と言って炬燵から抜け出す。いつまでもここにいては無用な追及をされそうだし、そのせいで小町も勉強を始めない。

「お兄ちゃん」と立ち上がった背中に声を受けた。

 

「言いたくなったらいつでも言ってね! 小町はお兄ちゃんの味方だからね! あっ今の小町的にポイント高い!」

 

 にこっと笑って小町が言った。ちょっと態度があからさますぎたかもしれない。大事な時期に心配させてしまって申し訳なくなるが、同時に嬉しくもあった。

 

「はいはい」

 

 照れ隠しにくしゃっと小町の頭を撫でて、自室に戻る。炬燵の暖かさで足の先までほっかほかだった。やはり炬燵がある日本こそ最強でありもっというと炬燵がある家の中こそ最強。つまり働きたくないという結論に至るのだった。誰か養ってくれえ……。

 

 

 鞄ごとベッドにうつぶせで寝転がる。今日は色々とイベントが多かった。

 雪ノ下のプレゼントを選んだことはともかく、陽乃さんは会うだけで疲れるし、雪ノ下と葉山の昔話を聞くのも疲れるし、雪ノ下の母親も見てるだけで疲れるし、折本かおりはより疲れる。なにこれ疲れてしかいない。

 初詣で引いたおみくじ、小吉でこれだと凶はいったい何が起こるんですかね……。小町……受かると良いんだけどなあ……。

 

 手足にひどい脱力感を感じ、ベッドに沈み込んだ。枕の位置を調節しようと手を動かすと、枕元の携帯電話に手が触れた。

 携帯電話を開くのもおっくうなほど疲れを感じたが、開いてみるとメールが二件きている。

 片方は由比ヶ浜だ。今日のことと、遠回しにまた俺を気遣うような内容が書かれている。そんなに心配されるほど目が腐っていたのか……。今度から小町と由比ヶ浜の前ではサングラスでもかけておこう。俺もEXILEみたいになれるかもしれない。なれない。

 そしてもう片方は材木座のようだった。一応開いてみるもののやはりとるにたらない内容しか書かれていない。お前には八幡検定合格は授けられない。出直してきな。いや出直さなくて良い、帰れ。

 

 怠さを振り切って由比ヶ浜にはメールを返し、ぽとりと携帯電話を落として天井を見つめた。

 

 雪ノ下雪乃と葉山隼人。今日のカフェでの会話で、彼らには俺たちの知らない過去があるのを理解した。

 一方で、俺はどうかと思案した。小町以外にまともに過去を積み上げた記憶はない。あるとすれば折本のような、思い出すだけで悶えてしまうような過去だけだ。俺は彼女に対して目の前にいてもなるべく話したくないほどの断崖を感じるが、折本から俺の方へは断崖などないかのように足取り軽く歩み寄る。こんな一方的な過去など積み上げたと言えるはずもない。

 

 小町や由比ヶ浜はおろか、折本にすら様子がおかしいと思われた今日の俺。由比ヶ浜のたったあれだけの発言でこうまで心が荒むとは思いたくなかったが、自分でも認めざるを得ない。「たかがあんなこと」と切って捨ててしまえば楽なのに、やはりまだ俺の中で中学での出来事は生傷のごとく刻みつけられている。

 小町は「数年前にもそういう目はしていた」と言っていた。まぎれもなくあの時だ――折本に告白し、それを言いふらされた時。

 

 早い話が、俺はへこんでいるのだ。

 

 ため息がでた。他人と関わることを自ら止め、プロぼっちを自称し誇りもした。そんな俺がへこんでいるのだ。由比ヶ浜結衣、彼女の発言ひとつで。

 由比ヶ浜に告白をしたのは俺ではない。女子数人を口説こうとした黒田君という男。およそ俺とは共通する点の方が少ない人物だろう。その彼に告白されたことが迷惑だと由比ヶ浜は言った。俺とはまるで違うその人物に過去の自分を重ねて、俺はへこんでいる。あれ、これ勝手にへこんで周りを心配させてるだけじゃね。

 

 最低だ、と考え始めたところでいったんやめた。自慢じゃないが俺はネガティブ思考だ。負けに関して百戦錬磨。ダウナー系で、自分および周囲を暗くすることも厭わない。これ同じこと二回言ってんな。どこの意識高い系だよ。

 とにかく一度ネガティブ思考が渦を巻いたら考えることをやめて、じっと待つ。そうしないとへこみ続けて元に戻れなくなる。じっと、へこんだ原因が頭から抜け出していくのを待つ。時間は遅行性の毒だ。毒が悩みごと頭を蝕んでくれる。

 そうして、起き上がることができたときにはこの脱力感も消え去っているはずなのだ。

 

 ベッドの上で身をよじり、仰向けになった。

 使い古されたベッドのスプリングは、もう以前のような反発力を見せてはいない。

 


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