【キツネの時間】   作:KUIR

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【2】 誰かの距離

 

 由比ヶ浜の友人たちが離れていったのは数分後だった。

 全員が建物の中に消えていくのを眺めていると、後ろから声がかけられる。

 

「ヒッキー、いたの?」

 

 その言葉には、言外に「話聞いてた?」という意味が含まれているように感じる。

 

「今来たところだよ」

 

 ので、嘘をつく。なぜなら「盗み聞きとかキモーイ」となることが必然であるからだ。ぼっちは闇の魔術に対する防衛術を取得している。闇の魔術ってなんだろうな。女の子のことか。確かにぼっちからしたらわけがわからないので闇みたいなもんだ。

「そか、なら良いんだけど」と由比ヶ浜はおだんごをくしゃりと触る。それは照れているときや居心地の悪い時など、彼女の気持ちになにかしらの波が立ったことの証明だ。

 

「帰るぞ」

「あ、うん」

 

 先ほどの由比ヶ浜たちの会話を意識したくなかったので、柱から背を離して歩き出した。由比ヶ浜は隣についてくる。

 

「今ね、中学の友達と話してたんだ。やっぱりみんなちょっと変わってたねー」

「俺にその話しても俺からは何も話せないからな?」

 

 なぜならばぼっちだったから。黒歴史で良ければ永遠に話せるが。

 由比ヶ浜は「ヒッキーの中学時代とか、なんか想像できるかも」と笑っていた。

 

「でも、中学の時、誰とも話したりしなかったの? 全く仲の良い友達もいなかった?」

「お前いつの間に俺の心を抉るのがそんなに得意になったんだ……。

 いねえよ、いない。……勘違いして対して仲良くもない女子に告って撃沈したって言うエピソードならあるけどな」

「そ、そうなんだ。それってどんな子だったの?」

 

 いつもの軽口のつもりが、今日は自分に傷をつける。

 何気なく問う由比ヶ浜に口が重くなるのを感じた。

 

「別に、普通だよ、普通」

 

 重くなった口のせいにして、俺は拒否をした。

 正直、怖かったのだ。由比ヶ浜が先ほど「迷惑だ」と判断した行為を昔俺は行った。その相手に対して彼女が共感するのではないかと恐れたのだ。

 

 由比ヶ浜は少し眉根を下げておだんごを触ると、「そっか、普通かあ」とつぶいやいた。彼女の歩調が遅くなったのか俺が速くなったのか、いつの間にか由比ヶ浜との間の距離が開けていることに気付いた。当時は気付かなかったが、あの「誰か」との距離はきっと、これよりもずっと離れていたに違いない。

 暮れ始めた日が一層の寒さを運んできた気がして、俺はマフラーをぐいと上げた。

 

 

 わかった、俺が悪かった。

 自分でその名前に触れたくないがために「誰か」なんてぼかして悪かった。だがしかし神よ、この仕打ちはあんまりではないのか?

 

「なにその表情、ウケる」

 

 折本かおり。「誰か」である。

 例えばこんなことを言われても、相手が由比ヶ浜なら「神に対して文句言ってんだよ、邪魔すんな」くらいの返しをするものだが、相手が折本ともなると「お、おおう……でゅふ」くらいのことしか言えない。もう言葉になってるかどうかすら怪しいし神にも言える文句も折本には言えそうにない。まさか折本は神すら超えるというのか。超サイヤ人かよ。

 

 彼女とは由比ヶ浜と別れたあと、電車内で偶然出会った。

 つり革につかまって立っていると隣に立った人物から突然声をかけられ、顔をあげたら折本かおりがそこにいたのだ。

 電車内の会話もこちらとしてはやりにくいことこの上なかったのだが、俺の黒歴史を一つ作っただけあって折本との会話は途切れることはなかった。

 今は電車を降りて、お互いの家に向かうところだが、その家が離れていないのでやはりある程度までは一緒に歩くことになる。もうやだはちまんおうちかえる。あっいまかえってる。

 

「比企谷さあ、最近なんかあった?」

 

 唐突に折本が覗き込んでくる。やめろってそうやって覗き込むから誰かさんの黒歴史を作るんだろ。

 

「なんだよ急に」

「だって、クリスマスの時と違って様子が変なんだもん。よそよそしいというか」

 

 俺はあなたにもっとよそよそしくして欲しいですけどね。

 なんにせよ様子が変というのであれば今日の出来事が原因に違いない。過去の黒歴史を自分で掘り返していたたまれなくなっているところに黒歴史本人がやってきたのだ。神龍だってバラバラになるほどの威力はある。そしてミスターポポにのり付けで修理されるんですね。

 

「クリスマスの時は仕事だったからな。やらなきゃいけなかっただけだ」

「そうじゃなくて」

 

 あ。

 と思った時にはもう遅い。

 

「比企谷は超つまんないと思ってたけど、意外とそうでもないなって話、したじゃん。なのに今の比企谷はそうでもなくない気がする」

 

 話題をずらすことに失敗した。そういえば十二月に折本とは少しだけ話をしたのだった。そのことを加味したずらし方をするべきだった……いや待て今の俺は超つまんないって言われた気がするぞ。

 そう、この付近で折本に紅茶を奢ってもらったとき、中学の時とは違って多少の受け答えはできたのだ。ならば仕事があったからこそまともに会話が出来ていた、というような言い訳は通じない。

 

「別に、どうもしねえよ。俺はもともとこんな感じだ」

 

 顔を逸らす。冷たい風がはたくように横っ面を撫でていった。

 

「まあ、どちらにせよ比企谷と付き合うとかはないけどね! その時も言ったけど!」

 

 ちょっとおどけた風に折本が言う。いやそれ和ませようとしているんだろうけどこうかはばつぐんだからね。なんならきゅうしょにあたって威力四倍だから。

 

 その「急所」である今日の由比ヶ浜をふと思い出した。ちゃんと好きになっているわけでもない告白を迷惑だとした彼女。ちゃんと好きになることはきっと難しく、そのことは目の前の折本を見ていれば痛いほど理解できる。

 由比ヶ浜結衣は優しい女の子だ。その由比ヶ浜ですら迷惑と感じた告白。ならそれを、他の人間はどう感じるのか。

 

「あ、じゃあ比企谷、あたしこっちだから」

 

 分かれ道に差し掛かり左に曲がろうとした俺に折本が言う。手を振りかえすと彼女は踵を返した。

 

「……なあ、折本」

「ん、なに?」

 

 折本は顔だけ再びこちらに向ける。

 

「……。いいや、なんでもない」

 

 自嘲気味に口を閉じた。

「なにそれ、ウケるんだけど」と折本は歩き出す。

 

 訊けるわけないだろ、そんなこと。と、寒風に身を縮ませながら呟いた。

 彼女にとって、俺の関わった過去は、いったいどんな時間なのだろうか。

 


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