【キツネの時間】   作:KUIR

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【1】 過去の時間

 正月。

 世間では新年あけましておめでとうなり、おじいちゃんお年玉ちょーだいなり、このお年玉はお母さん銀行に預けておきますからねなり、いくつかのお決まりの台詞が飛び交う一年の始めだ。

 

 十二月は奉仕部にとって慌ただしい月だった。

 生徒会選挙から続くすれ違い、全く進まない海浜総合高校との会議、一色が葉山に告白したディスティニーランド。

 そしてどうにかこうにかすれ違いを正して達成したクリスマスイベント。

 

 まさしく師走とも呼ぶべき一年の最後の月を超え、年を越えて二日目。

 小町、雪ノ下、由比ヶ浜と初詣を終えた翌日のことだった。

 

 由比ヶ浜と共に雪ノ下の誕生日プレゼントを選びにセンシティそごう千葉店に来ると、カフェで陽乃さんと葉山に遭遇した。

 陽乃さんは雪ノ下を呼び出し、彼女は俺がそこにいるとわかるとしぶしぶやってくる。

 雪ノ下、陽乃さん、葉山の三人は、彼女たち三人だけが知る過去について語らう。

 その間、俺と由比ヶ浜は見ているだけだった。

 

 やがて登場した雪ノ下の母親に彼女が連れられていくところで、俺たちは彼女に誕生日プレゼントを手渡し、別れを告げたのだった。

 

 

 由比ヶ浜と二人、下りのエレベーターに乗りながら雪ノ下の過去について考えていたのはほんの少しの間だった。

 扉が開き、センシティそごう千葉店の一階の景色が視界に飛び込んできた。

 

「あ、悪い由比ヶ浜、ちょっとトイレ」

 

 先ほどのカフェで飲んでいたコーヒーのせいか、考え事が止められた瞬間に思い出したように行きたくなった。思い出したと言えばあのコーヒーの苦さだがやはりコーヒーはMAXコーヒーに限る。口直しにマッカンを飲みたい。トイレ行きたいとか言ってる人間の台詞じゃねえな。

 

「わかったー。入り口のあたりで待ってるね」

「先に帰ってくれても構わんぞ」

 

 大丈夫だよ、待ってるから! との言葉を背中に受け、トイレへと早歩きで向かった。ぼっちは歩くのが速い、これ豆な。別に待たせるのが悪いから早く歩いているわけじゃないんだからねっ!

 

 

 時間とは。

 

 用を済ませ、手を洗っているときに先ほどの思考に立ち戻った。雪ノ下雪乃と葉山隼人。彼らは幼馴染であり、俺や由比ヶ浜の知らない過去、彼らの過ごしてきた時間を持つ。

 過去には高さがある、と例えた。それは積み上げてきた峰であり、しかし断絶もまた生まれる。溝の深さは峰の高さと同じだ。暑さと寒さのように両極端で、ある種同じもの。

 

 トイレから出て建物の出口に向かって歩き始める。

 

 例えば俺と小町。小町が生まれてから約十五年間、ずっと一緒にいる。十五年間もお兄ちゃんとかわいい小町は過去を積み上げてきたわけだ。なにそれ幸せすぎてもう死んでも良い。

 例えば俺と……。あれ、家族以外を例に出そうと思ったけど誰もいねえな。さすがぼっち。思考行程の簡略化なんてそうそうできるものではありませんよ、お兄様!

 

 なんてことを考えながら出口に近付くと、暖房の効かない外の冷気ではっと我に返った。

 柱の向こうで茶色のお団子が揺れるのが見えた。見慣れたお団子を見間違うはずもないが、周囲には見慣れない人間が数人いる。これが男であれば由比ヶ浜を見捨てて尻尾を巻いて逃げだすが、むしろ逃げだすしかないまであるが、幸か不幸か彼女を囲んでいるのは年の近い女子たちだった。

 夏祭りの相模の一件を思い出し、柱を挟んで由比ヶ浜の逆側に寄りかかる。彼女たちの会話が終わるまで先ほどの思案でも続けていようか。

 例えば俺と……。

 

「結衣、中学の時は黒髪だったのにね!」

「みんなも染めてるじゃん! あ、あたし黒髪だったころの写真持ってるよ!」

 

 ……中学の同級生。

 由比ヶ浜と話しているのは彼女の中学時代の同級生のようだ。中学の同級生との過去とか黒歴史しかないな。どうでも良いけどリア充とか壁ドンとかネット用語が意味の相違はあるにせよ市民権を得ている今、それらと比べると黒歴史は微妙に得てない感あるよね。もっとおおっぴらに使えるようになると俺も誰かに中学時代を語るときに楽になると思うんだが。そもそも語る相手いないね、知ってた。

 

「結衣、彼氏できた?」

 

 ぴくりと耳がそばだつのを感じた。聞いてはいけないと感じ柱から背を離す。

 しかし、畳み掛けるように由比ヶ浜の同級生が口を開く。

 

「中学の時もコクられてたもんねー。黒田君覚えてる? 結衣だけじゃなくて他にも数人に言い寄ってたやつ!」

 

 背中が浮いたまま固まるのを感じた。そりゃそうだ、由比ヶ浜みたいな女の子に男子からの人気がないわけがない。まして数人に言い寄るようなチャラ男ならなおさらだ。今イメージ映像で戸部がでてきたけど悪気はないんだごめん君は一途だよ。

 

「あー、あれねー」

 

「あれ」。黒田君からの告白イベントのことを指しているのか黒田君自体を指しているのか、後者であれば由比ヶ浜らしくない物言いからよほど彼に良い思い出がないのであろう。いや由比ヶ浜は人をあれ呼ばわりすることは多分ないから前者なんだろうけど。

 おっといかん、つい盗み聞きのような真似をしてしまった。元の思案に戻らねば。そうそう俺と誰かの過去の話だったな。多分そんな誰かなんていないけど一応考えよう。例えば俺と……。

 

「ああいうのって迷惑だよねー! ちゃんと好きなわけでもないのに」

「あはは、そ、そうだねえ」

 

 ……「誰か」。同級生に返事をする由比ヶ浜の声に誘導されたように彼女の顔が思い出された。

 俺の過ごしてきた時間とは、いったいどんなものだっただろうか。

 


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