もしジュリウスに転生者の姉がいたら 作:ジョナサン・バースト
姉であるジュリアナ・ヴィスコンティは、まだ子供でありながらも聡明な人物だった。
わずか二歳で言葉を話せるようになり、三歳になるころには読み書きができるようになった。それからは家の書物――特にアラガミ、オラクル細胞関係を中心に読み漁り始めたのだ。
ものは試しと親がオラクル細胞に関するレポートを書かせてみると、一週間も経たないうちにレポートを書き上げ、完成させた。
その内容、構成いずれも大人顔負けの代物で、周囲の人間はこぞって彼女を『天才』と言って褒めそやした。
しかし、ジュリアナはそんな周囲のおだてに決して驕ることなく、あくまで更なる知識を求め、研鑽を積み重ね続ける。
だからと言って彼女が、『天才』という人種に見られる周囲になびかない孤高の存在であったかと問われれば、そんなことはない。
貴族の娘に相応しい社交性も兼ね備え、ヴィスコンティ家に生まれた誇りも持ち合わせている。容姿も将来有望な、可憐でありながらも凛々しいものを持っている。
とにかく完璧な存在だった。
そしてそんなジュリアナに、弟であるジュリウスが憧れを抱くことに時間はかからなかった。
「姉さん」
そう声をかけると彼女は穏やかな微笑を浮かべながら、目を落としていた本から顔を上げて、ゆったりとした口調でこう言ってくる。
「なぁに、ジュリウス」
そのわずかに琥珀がかった黒のまなざしが自分に向けられている。――それだけでジュリウスは自分の心が満たされていくのを感じた。
姉は本が好きだ。
暇さえあれば家の書物庫を漁って、時間が経つのも忘れていつまでも読み耽る。
そんな姉であるが、ジュリウスが呼びかけた時だけはすぐに反応してくれる。時たまに、父親や母親から呼びかけられても忘れるというのに。
なんだか、姉の中の一番の優先事項に自分が選ばれている気がして、嬉しくなる。
「ふふっ、仕方ないわね」
何も言わないでいるとジュリアナはそんなジュリウスの心の内を見透かしたかのようににこり、と微笑むと両手を広げて招くのだ。
「おいで」
招かれるがままにジュリウスはそんなジュリアナの膝の上に座る。
ジュリアナは膝上にジュリウスを抱きかかえ、おもむろに絵本を取り出す。
「昨日はどこまで読んだっけ?」
「えっと、ここから」
「あ、そうだった。むかーし、昔――」
姉の膝の上で絵本を読んでもらう。
ジュリウスが日常で一番、好きな時間だ。
姉のことを――声音を、感触を、鼓動を一番身近に感じられる時間だから。
「ねぇ、どうして桃から人が生まれるんだ?」
今、読んでもらっているのは極東地域に伝わるとある童話を絵本にしたものだ。
ふと思った疑問を姉に問いかけてみると、姉はうーん、とうなり声を上げる。
「そういえばなんでだろうね。もしやその桃は女性の子宮と同じ構造をしていて、その内部に女性の卵子と男性の精子を掛け合わせた受精卵を注入する。受精卵は桃の内部で、桃の栄養を吸収しながら成長していって――いや、でもわざわざそうする動機がわからないわね。うーん……」
まだようやく五歳になったばかりのジュリウスでは、ジュリアナの言っている言葉の意味はよくわからなかったが、それでも姉が自分の何気ないどうでもいいような質問に、真剣に考えて答えてくれているのはわかる。
自分が姉に愛されていることが実感できて、嬉しかった。
「……前世では思ってもみなかったけど、『桃太郎』って、意外と謎に満ちた侮れない作品ね……」
「ん、どうかしたのか? 姉さん」
ジュリアナが何やらぼそっと言ったが、聞き取ることができなかった。
何と言ったのか問いかけると、ジュリアナはじっとジュリウスを見つめた後、上品に笑って首を横に振った。
「ううん、なんでもないわ」
「……そうか」
たまにジュリアナはぼそりと独り言を呟くことがある。
その度にジュリウスは何と言ったのか問いかけるのだが、いつも上手い具合にはぐらかされてしまう。
自分には言えないことなのかと、そう思うとなんだか悲しい気持ちになる。
無茶なことはわかっているが、姉の全てを知りたいと思ってしまう。自分はいけない子だと、自分自身が嫌になる。
「……」
思わず黙り込んでしまうと、ふわりと甘い香りがジュリウスの鼻孔を擽り、同時に後ろからぎゅっと優しく抱きしめられる。
「前にも私、この話を読んだことがあるの。――その時はただ流し読みしただけで何も思わなかったんだけど、ジュリウスの質問で初めて私も疑問に思ってね。なんで桃から人が生まれるんだろうって」
――今の独り言はちょっと、衝撃を受けていただけなのよ。
耳元でそう囁いてくるジュリアナの吐息がくすぐったくも気持ちよく、ジュリウスは思わず目を細めてしまう。服越しに感じるジュリアナの温もりが、心地いい。
この言葉が自分を安心させるために言ってくれているのはジュリウスもわかっている。ジュリアナはいつも自分の心の機微を敏感に感じ取って、ジュリウスの心を満たしてくれる。
(ああ、これだからダメなんだ……)
甘えてしまっている。
いつかは姉を支えられる立派な男になりたいと思っているというのに。
いつかは姉に頼られる、強い男になりたいと思っているというのに。
その為には姉に甘えてしまってはダメなのに。
姉の優しさに、甘えずにはいられない――。
「じゃあ、続き読むわね」
そう言ってひとまず抱擁を解除し、絵本を再度手に取ろうとしたところでジュリウスは思わず口を開いていた。
「ね、姉さん」
「なぁに」
「もう少しだけぎゅっとしてくれないか」
そう言ってしまってから、かあっと顔が熱くなったジュリウスを見て、ジュリアナはおもしろおかしそうな――けれども聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべてこくりと頷く。
「ええ、いいわよ」
仲睦まじき姉弟の時間は、こうしてゆっくりと流れ去っていく――。
この二人、なんなの(笑)