SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第八話 神代美耶子 刈割/切通 初日/七時三十八分四十一秒

 眞魚教の教会が建つ小高い丘のふもとの小道で、神代(かじろ)美耶子(みやこ)は、地面に横たわる愛犬・ケルブの身体に顔をうずめ、泣いていた。ケルブの喉は鋭い刃物で斬り裂かれ、流れ出した血は、地面に大きく円を描いていた。すでに息はしていない。降り続く雨が、ケルブの体温を奪って行く。

 

 一〇分ほど前、美耶子はケルブと共にこの道を通り、北の田堀地区へと向かっていた。その途中、農作業をしていた屍人に見つかってしまい、襲われたのだ。ケルブは美耶子を護るべく戦い、喉元に咬みついて屍人を倒した、しかし、自らも相手の(くわ)で喉を斬られてしまったのである。

 

 美耶子は泣き続ける。物心ついた頃からずっと一緒にいたケルブ。十年以上、ケルブと共に生きてきた。美耶子にとってケルブは飼い犬ではなく、数少ない友達の一人、いや、唯一の家族と言っていい存在だった。

 

 砂利を踏む音が聞こえた。誰かが近づいてくる。屍人か、あるいは村人か。どちらにしても、美耶子は逃げなければいけない。だが、もう、その気力は残っていなかった。ケルブがいなければ、美耶子は逃げることができない。ケルブがいたからこそ、ここまで逃げることができたのだ。ケルブを失った今、美耶子は、屍人に襲われるか村人に連れ戻されるかのどちらかしかないのだ。

 

 だが――。

 

「……ねえ、君。大丈夫?」

 

 優しい声だった。村人でも、もちろん、屍人でもないようである。声には聞き覚えがあった。昨日の朝、眞魚岩のある広場で会った、余所者の少年だ。

 

 少年は、美耶子を気づかうような口調で話す。「なんかさ、この村、今ちょっと大変なことになってるみたいなんだよね。俺もよく判らないんだけど、さっき君を襲ったような危ないヤツらが、いっぱい、ウロウロしてるんだ。だから、ここにいると危険だから、行こう」

 

 美耶子はケルブの身体を抱いたまま泣き続ける。ここが危険だということは判っている。それでも、ケルブのそばを離れたくなかった。

 

「気持ちは判るけどさ……その……」少年は、言いにくいことを言う口調で続ける。「その犬、もう、死んでるみたいだし」

 

 美耶子は顔を上げる。もう、ケルブは死んでいる。判っていたことだったが、そのことを告げられ、現実なんだと思い知らされた気分になった。悲しみと怒りが込み上げてくる。それを拳に込め、少年の胸に打ち付けた。何度も、何度も、打ちつけた。

 

「ご……ごめん……ごめんね……」

 

 謝る少年。この少年は悪くない。それでも謝る。

 

 美耶子は、やり場のない怒りを、悲しみを、拳に込め、何度も少年に打ち付ける。そうすることしかできなかった。

 

 少年は、ただ、されるがままに、美耶子の悲しみを、受け止めていた。

 

 

 

 

 

 


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