神の元に駆け付けた八尾比沙子が見たものは、眞魚岩と、傷つき、地面にうなだれている神と、その神に向かって光り輝く焔薙を振り上げる須田恭也だった。
「や――やめ――」
比沙子が、声を上げるより前に。
恭也は、獣の咆哮と共に、刀を振り下ろした。
刃は、神の首を、堕とした。
「……いやああぁぁ!!」
比沙子は、悲鳴を上げた。
信じられない。
信じたくない。
神が。
ようやくよみがえった、もうひとりの私が。
いま、その小さな命を、失った。
比沙子は、目の前の現実が信じられなくて、それを否定したくて。
ただ、悲鳴を上げ続けた。
比沙子の、黒く美しかった髪が、急速に色を失い、燃え尽きた灰のような色になった。
その姿は、まるで老女のようだった。
比沙子は、叫び続けた
やがて――。
恭也が去った常世に、老女と化した比沙子は、一人、立っていた。
神はもういない。地面を覆っていた月下奇人の花は枯れ、空は、また闇に覆われている。
比沙子の足元には、恭也によって堕とされた神の首が転がっている。
それを拾い、胸に抱く。
比沙子は、歩いた。
どこへ向かっているのかは判らない。ただ。
――この首を……届けなければ。
そのような想いだけが、胸にあった。
地面が揺れている。冷たい風が吹き渡り、枯れ落ちた月下奇人の花びらが、葉が、舞い上がる。揺れはさらに大きくなる。大地が引き裂かれた。亀裂は地を這う無数の蛇のように広がっていく。大地だけでなく、空も、世界も、引き裂かれていく。
主を失った常世が、崩壊し始めた。
比沙子は、かつて赤い池があった場所に来た。すでに水は無い。池の底には、石の台座が敷かれていた。
その上に、比沙子は倒れ込んだ。
胸に、神の首を抱き。
――届けなければ。
胸に、強い意志を抱き。
大地は引き裂かれ。
比沙子は神の首と共に、地の底に落ちて行った。
常世の地の底は、眞魚教の経典では『奈落』と呼ばれていた。
――――。
奈落の底で。
――私は諦めない。
八尾比沙子の意志は、目覚めた。
神はまだ、よみがえる。
儀式は、まだ続けられる。
私の世界では、失敗したけれど。
まだ、望みはあるんだ。
そう――。
私が、この首を届ければ。
この首を必要としている、別の世界の私に届ければ。
儀式は、続けられる。
たとえ、またそこで失敗しようとも。
何度でも、首を届ければいい。
必要としている、全ての場所に。
――そうだ。
それが、私の使命。
儀式に失敗した私が、神のためにできる、最後のこと。
私は、首を届けよう。
必要としている、全ての世界に届けよう。
この命が尽きるまで、ずっと――。