SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第七十三話 須田恭也 いんふぇるの 第三日/二十三時〇三分十八秒

 大地を覆い隠すかのように咲いていた月下奇人の花は、すべて枯れていた。深紅の花弁はその色を失い、燃え尽きた炭のように地面に向かって垂れている。空は、闇夜のように暗い。

 

 そこは、八尾比沙子が知る『常世』ではなかった。

 

 比沙子のそばには『神』が倒れていた。まるで、全身を炎で焼かれたかのように、酷く焼けただれている。神は、陽の光に焼かれ、この常世へ逃げ帰って来たのだ。

 

 神はかろうじて生きていた。まだ、口と思われる部分がわずかに動き、胸と思われる部分が弱々しく上下している。神は、死ぬことはない。だが、比沙子にも理由は判らないが、不完全な状態で復活してしまった。それはつまり、不完全な死を迎える身体であるとも言える。心は滅びなくても、身体は滅びるかもしれない。

 

 比沙子には何もできなかった。神の身体を癒す方法はあるだろうか? もう、捧げる実は無い。できることがあるとすれば、それは、無事を祈ることだけ。

 

 背後に、気配を感じた。

 

 振り返る。少し離れたところに、小さな赤い池がある。その水の向こう側は、現世の水鏡に通じている。水鏡は、常世と現世を繋ぐ扉なのだ。

 

 その、水面の上に。

 

 誰かが現れた。

 

 手に、刀と、そして、土人形を持っている。焔薙と、宇理炎。

 

 須田恭也だった。

 

 比沙子は驚愕と共に恭也を見つめる。どうやってここに来たのだ? あの水鏡を通ることができるのは、神と、神の身体を共有しているあたしと、あたしの血を引く娘だけ。

 

 ――――。

 

 比沙子は、ようやく、全てを悟った。

 

 なぜ、神は不完全な形でよみがえったのか。

 

 なぜ、恭也は水鏡を通ることができたのか。

 

 すべては、この少年が原因だったのだ。

 

 須田恭也は、神代美耶子の血を体内に取り入れたのだ!

 

 美耶子の血を体内に取り入れた恭也は、美耶子と身体を共有したことになる。あたしと神と、同じように。

 

 だが――。

 

 そのせいで、美耶子は、完全な『実』ではなくなった。

 

 不完全な実を、神に捧げてしまった。その結果、神は、不完全な状態でよみがえってしまったのだ。

 

「……そうか……そうだったのね……」

 

 比沙子は立ち上がり、恭也を睨んだ。

 

「あなたが……実を盗んだのね!!」

 

 怒りに任せて、右手から炎を放った。焼き殺してやるつもりだった。

 

 比沙子の炎は恭也を包み込む。

 

 だが。

 

 焔薙から白い光が発せられ、比沙子が放った炎を飲み込んだ。

 

 光が消えた時、比沙子の炎も消えていた。恭也の身体には、火傷ひとつ、かすり傷ひとつ無かった。

 

 比沙子は思い出した。数百年前、眞魚教が弾圧され、村に火を放たれた時、焔薙が、村を襲う炎を消しさったことを。

 

 自分ごときの炎では、もう、恭也を焼き殺すことはできない。

 

 怯え、一歩後退りする比沙子。

 

 それを追うかのように、恭也が一歩前に出た。

 

「……悪いけど……全部終わらせるって、美耶子と約束したから」

 

 鋭い目が、神を睨んでいる。

 

 今の神には、恭也にあらがう力は残っていないだろう。そして、あたしにも。

 

 ……なんということだ。

 

 比沙子は膝を付き、そして、地面に伏した。

 

 すべて、終わるはずだったのに……。

 

 神代美耶子を捧げれば、全て、終わるはずだったのに。

 

 今日、全てが、終わるはずだったのに。

 

 あたしは、この日が来るのを、ずっと待っていたのに。

 

 一三〇〇年もの長い間、ずっと待っていたというのに!!

 

 神代美耶子ほど強い御印を持つ娘はこれまでいなかった。一三〇〇年の間待ち続けていた、完全なる実であったのに!!

 

 それが、こんな、ほんの十数年しか生きていない小者に、邪魔されるなんて!!

 

 もう、実は実らない。次の実を産むはずだった神代亜矢子は、もう消してしまった。

 

 これで、終わりだ。

 

 一三〇〇年の間待ち続けてきた時が、終わった。

 

 一三〇〇年の間続いた呪いは、もう、解くことができない。

 

 一三〇〇年の間続いた苦しみは、この先も永遠に続くのだ!!

 

 比沙子は泣いた。地面に伏し、泣き続けた。

 

 ああ……神よ……お許しください……。

 

 あなたに完全な実を捧げることはできなかった。

 

 あなたをよみがえらせることは、できなかった。

 

 あたしの罪は、許されることはなかった。

 

 永遠に――。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 比沙子の胸に。

 

 

 

 ――儀式を続けなさい。

 

 

 

 自分と同じ、眞魚教の赤い法服を着た老女の言葉が浮かんだ。

 

 昨日、赤い海の上に、理尾や丹とともに現れ、比沙子に神の首を授けた老女。

 

 儀式を……続ける……?

 

 もう、儀式は続けられない。実は、無い。

 

 ――儀式を続けなさい。

 

 それでも、老女の言葉は胸に浮かぶ。

 

 儀式を続ける……実が無いのに、どうやって……。

 

 ――――。

 

 ――いや。

 

 実は、あるじゃないか。

 

 比沙子は、気が付いた。

 

 今までの、どんな実よりも完全な――神代美耶子よりも濃い――実が。

 

 その時。

 

 比沙子の中に、また、別の誰かが目覚めた。

 

 そうだ。

 

 どうして忘れていたのだろう。

 

 なぜ、気が付かなかったのだろう。

 

 あるいはこれも、私にかけられた呪いなのか。

 

 比沙子は顔を上げ、立ち上がった。

 

 恭也が足を止める。

 

 比沙子は恭也に背を向け、胸の前で両手を組み、祈った。

 

 神よ。

 

 新たな実を、捧げます。

 

 本当に、捧げなければいけなかった実を、いま、捧げます。

 

 一三〇〇年もの長い間、この実の存在を忘れていた愚かな私を、どうかお許しください。

 

 さあ、どうぞ、実を!!

 

 比沙子は祈った。神――ではなく、神のさらに上に存在する者に。

 

 比沙子の身体から、何かが消えた。

 

 同時に。

 

 大地が息を吹き返した。燃え尽きた炭のような黒い花弁を垂らしていた月下奇人が命を取り戻し、赤い、生命に溢れた色の花を咲かせる。天を覆っていた闇が晴れ、世界は、光に溢れていく。

 

 比沙子は、顔を上げた。

 

 神が――完全な姿を取り戻した神が――天から比沙子を見下ろしていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 恭也は天から見下ろす本当の神の姿を見た。

 

 姿かたちはそう変わらない。だが、半透明で、どこかひ弱な印象を受けた身体は、本来の色を取り戻したのか、まるで鎧のように頑丈な表皮に見える。

 

 だが、恭也は恐れはしなかった。こちらには、その神から授かったとされる武器がある。煉獄の炎の前には、神すらも無事では済まないだろう。

 

 恭也は宇理炎を掲げた。煉獄の炎を、神に向かって降らせるつもりだった。

 

 だが――神の姿が消えた。

 

 恭也は周囲を探すが、神の姿は無い。それでも、気配は感じる。

 

 神が鳴き声を上げた。

 

 その声に応じるかのように。天から何か降って来る。煉獄の炎ではない。鋭い槍のような稲妻。

 

 恭也は横に跳んだ。

 

 稲妻が、恭也の立っていた場所に突き刺さる。

 

 地の底まで響くような轟音と共に、地面に大きな穴が開いた。

 

 恭也は立ち上がり、周囲を見回すが、やはり、神の姿は見えない。

 

 また、神が鳴いた。天から稲妻が降ってくる。紙一重でかわす恭也。

 

 これでは戦えない。何か方法は無いか。神の姿を探す方法。

 

 そうだ。幻視。

 

 恭也は目を閉じ、神の気配を探した。

 

 すぐに見つけた。恭也の背後を飛んでいる。

 

 目を開け、振り返り、宇理炎を掲げた。

 

 大地から炎が吹き出し、燃え上がった。

 

 炎が、何も無い空間を焼く。いや、そこには、姿を消した神がいる。神が、苦しそうな悲鳴とともに姿を現した。神の身体が燃えている。やったか?

 

 だが、炎が消えると同時に、神の姿も消える。まだだ。神は、まだ生きている。

 

 神が鳴いた。再び天から稲妻の槍が降ってくる。かわす恭也。再び幻視を行う。恭也の右に気配を感じた。目を開け、宇理炎を掲げよとしたが、その前に、神が鳴いた。槍が恭也を襲う。何とかかわした。もう一度幻視を行い、宇理炎を掲げようとしたが、その前に神が鳴き、稲妻が落ちてくる。うまく行かない。神も警戒しているようだ。稲妻の槍をかわし、幻視で神の場所を探り、そちらを向いて宇理炎を掲げるのでは間に合わない。もっと確実に神の場所をつかむ方法は無いだろうか? 周囲に身を隠すようなものは見当たらない。このまま幻視で気配を探るしかないのだろうか?

 

 ――うん?

 

 恭也は、神の視点に、恭也の目には映らないもう一人の存在がいることに気が付いた。

 

 恭也に寄り添うように立つ少女。

 

 ――美耶子。

 

 恭也は目を開け、そばを見るが、やはり、恭也の目には映らない。

 

 だが、神の目を通すと、確かにいる。

 

 ――あたしはずっと、恭也のそばにいるよ。

 

 美耶子の言葉が聞こえたような気がした。

 

 美耶子は、恭也のそばに立ち。

 

 神がいる反対の方向を指さしていた。

 

 ――そこに行け、と、いうことか。

 

 恭也は目を開け、美耶子が指さした方向に向かって走った。

 

 神が追いかけて来る気配がする。鳴き声が聞こえ、稲妻が落ちる音も聞こえた。恭也は足を止めない。止まると、稲妻の槍に貫かれてしまう。ただ、走って、走って、走り続けた。

 

 何か、見える。

 

 薄霧に覆われていたものが徐々に姿を現すように、最初はぼんやりとしていたそれは、近づくにつれ、はっきりと見えてくる。

 

 巨大な三角錐の岩だった。

 

 ――眞魚岩、か?

 

 恭也が初めて美耶子と出会った場所にあった巨石と、同じものだった。

 

 眞魚岩の表面は鏡のように磨かれ、恭也の姿を写している。彼に寄り添うように立つ、少女の姿も。

 

 そして。

 

 こちらへ向かって飛んでくる、神の姿もまた、写っている。

 

 恭也は、神の方を向き。

 

 宇理炎を掲げた。

 

 炎の柱が神を包み込む。神の身体を焼く。神が、悲鳴を上げる。

 

 それでも、神の身体は燃え尽きない。

 

 また、姿を消した。

 

 だが、もう見失わない。

 

 眞魚岩を見た。神の姿は、はっきりと写っている。

 

 神に向かって、宇理炎を掲げる。

 

 神の身体が燃える。三度目の炎。

 

 神は、これまでとは違う、苦しみに満ちた鳴き声を上げ、地面に落ちた。

 

 だが、まだ神は死なない。恭也を睨むように、首を上げた。

 

 近づき、宇理炎でとどめを刺そうとする恭也。

 

 そこに、神の、触手のような腕が伸びて来て、恭也の手の宇理炎を薙ぎ払った。

 

 宇理炎は遠くに飛ばされた。

 

 恭也は、拾いに行こうとしたが。

 

 神が鳴き、天から槍が降ってくる。何とかかわす恭也。宇理炎を探している余裕はなさそうだ。

 

 恭也は、最後に残った武器・焔薙を両手に持って構え、神に向かって振り下ろした。

 

 しかし。

 

 恭也の両手に、とてつもなく硬い物を叩いた手応え。

 

 焔薙は神の腕によって受け止められていた。その刃は、神の表皮に傷一つ付けることはできなかった。

 

 やはり、この刀では神を倒すことはできないのか。

 

 と、眞魚岩に写る美耶子が、何か言っていることに気付いた。

 

 恭也に向かってではない。美耶子は、天に向かって、何か叫んでいる。

 

 ――きるでん、来い!!

 

 恭也には、そう言っているように聞こえた。きるでん? きるでんとは、なんだ。

 

 その、美耶子の声に応じたかのように。

 

 天から、四つの光輝く球体が下りてきた。

 

 四つの光の球体は、まっすぐに、恭也の持つ焔薙に向かって来る。

 

 焔薙は、光の球に包まれ、まぶしい光を放った。

 

 美耶子が、何か言っていた。

 

 ――斬れ!!

 

 そう聞こえた。

 

 恭也は、大きく頷き。

 

 焔薙を振り上げた。

 

 神が、天に向かって鳴き声を上げる。

 

 だが、稲妻の槍が落ちる前に。

 

 恭也は、咆哮と共に、刃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 


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