SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第七十一話 須田恭也 屍人ノ巣/水鏡 第三日/二十時五十七分五十五秒

 須田恭也は再び屍人の巣の中枢へ来ていた。神を迎えるという儀式が行われ、そして、神と対峙した場所。広場を覆う瓦礫は、数時間前に襲った濁流に流されている。薄雲に覆われた空からは、わずかに月明りが降り注いでいる。広場の中央には赤い水が湧き出す宝石のような岩がある。美耶子が炎に包まれていた岩だ。

 

 恭也が岩に近づくと。

 

 聞く者を不快にする笑い声が、高らかに響いた。

 

 同時に銃声が鳴り、足元の地面が弾けた。屍人か? 銃を構え、笑い声の方を見た。美耶子の義理の兄、神代淳だった。目から血の涙を流している。屍人化してしまったようだ。

 

 淳は下卑た笑い声を上げ、銃を乱射しながら走って来る。狙いは滅茶苦茶だが、撃たれるとまずい。恭也は周囲を見回した。身を隠せそうな巨大な岩が三つある。恭也は最も近い岩に向かって走り、陰に隠れた。身を隠しながら、幻視で様子を窺う。淳は銃を乱射している。猟銃の装填数は多くない。すぐに弾切れになった。恭也は岩の陰から飛び出して銃を構えると、淳に照準を合わせ、引き金を引いた。一発、二発と、淳の身体に命中する。淳は数歩後退りしたが、倒れない。恭也に背を向けると、走って岩の陰に隠れた。恭也も一度身を隠し、銃に弾を込め直す。

 

 再び幻視で様子を窺うと、相手も銃に弾を込めたところだった。また笑い声を上げ、乱射しながら突進してくる。恭也は慌てずに身を隠し続け、相手が弾を打ち尽くしたところを見計らって身を乗り出し、狙いを定めた。さらに二発銃弾を撃ち込むと、淳の笑い声が悲鳴に変わった。フラフラと数歩足を出すと、地面に膝をついた。

 

 ――やったか?

 

 だが、淳は倒れなかった。再び立ち上がると、猟銃を投げ捨て、腰に差していた鞘から刀を抜いた。刀身がぎらりと光った気がした。刀の鍔の部分には、マナ字架の紋様が施されてある。

 

 ――恭也。あの刀に気を付けろ。

 

 昨日、美耶子に言われたことを思い出す。神代家に伝わる宝刀・焔薙(ほむらなぎ)。銃に撃たれた傷は治っても、あの刀に斬られた傷は、決して治らない。

 

 淳は焔薙を構えると、恭也に向かって突進してくる。恭也は慌てない。あの刀がどんなに強力な武器であっても、近づかれなければ銃の方に分があるだろう。恭也は銃を構え、引き金を引いた。さらに三発の銃弾を命中させたが、淳は倒れなかった。怯みもしない。銃弾の痛みも勢いも感じていないかのように、足を止めることなく走って来る。恭也はさらに引き金を引いたが、カチッっと、不発の音がした。この銃の弾の装填数は五発。弾切れだ。淳が向かって来る。逃げられない。刀を振り上げた。完全に相手の間合いに入ってしまった。振り下ろされる刀を、銃で受け止めようとした。だが、刀の勢いは止まらない。銃が、真っ二つに斬り裂かれた。刃が恭也に襲い掛かる。とっさに身を引いた。刀は、地面に突き刺さった。それでも、完全にかわせたわけではなかった。恭也の左肩から右胸の下にかけて、大きく斬り裂かれていた。どろりと血が溢れ出す。幸い、深い傷ではない。恭也は銃を投げ捨て、走った。淳は地面から刀を抜くと、高らかに笑いはじめた。勝利を確信し、恭也をあざけっているのだろうか。そのまま笑い続ける。その間に、恭也は間合いを取り、別の岩陰に身を隠した。傷の様子を確認する。致命傷ではなかったが、美耶子の言葉が本当なら、この傷はもう治らない。やっかいなことになった。どうするべきだろう……。

 

 ――あれ?

 

 恭也は、傷の左肩の部分を指で触ってみた。血が付かない。傷が治っているようだ。しばらく見ていると、左肩から右胸の下まで、まるで縫い合わせるかのように、少しずつ傷が塞がっていく。今まで負った傷と変わらない。どうやら、昨日美耶子が言っていたことは、ちょっと大げさだったようだ。

 

 だが、傷が治るとはいえ、事態は好転したわけではない。唯一の武器だった銃を失ってしまった。どうやって、アイツを倒せばいい。何か、他に武器は無いか。

 

 淳が笑うのをやめる。刀を構え、こちらに向かって来る。

 

 恭也は淳から逃れるため走った。このまま逃げるしかないのだろうか?

 

 ――うん?

 

 恭也は、ズボンのポケットが熱いことに気が付いた。なんだ? 中の物を取り出す。求導師から貰った土人形だ。薄青い炎のような光を放っていた。どこか、温もりを感じる光。

 

 ――不死なる者を無に返すことができる神の武器・宇理炎。

 

 求導師の言葉を思い出す。

 

 恭也は立ち止まり、淳の方を振り返った。

 

 焔薙を構え、襲い掛かろうとしている淳。

 

 恭也は、宇理炎を高く掲げた。

 

 宇理炎が、まぶしい光を放つ。

 

 大地が小さく揺れた。淳が立ち止まり、足元を見た。

 

 その、淳の足元から、青く、そして白い炎が噴き出した。

 

 炎は天へと向かう一本の柱となり、淳の身体を飲み込んで、さらに燃え上がる。

 

 淳の悲鳴が上がる。銃で撃たれた時の悲鳴とは明らかに違う、まさに、命を燃やし尽くす悲鳴。

 

 炎は、わずかな時間で淳の身体を、命を、焼きつくした。

 

 炎が消えた時、そこには、地面に刺さった焔薙だけが残っていた。

 

 恭也は宇理炎を見た。青白い光は消えている。だが、かすかな温もりは消えていない。まだ使える。

 

 恭也は自分の身体も確認した。刀に斬られた傷は、もうほとんど治っている。他に傷らしきものは無い。求導師は、宇理炎を使うと大きな副作用があると言っていたが、特に異常はないように思えた。

 

 宇理炎をポケットにしまった。そして、淳が燃え尽きた場所に刺さっている刀を引き抜いた。

 

 神代家の宝刀・焔薙。

 

 斬られた傷は決して治らないという美耶子の話は少し大げさだったようだが、銃を失ってしまった今、これを持っていくしかない。

 

 恭也は、宇理炎と、焔薙を携え、赤い水が溢れる岩のそばに立った。

 

 岩の表面は、まるで鏡のように恭也の姿を写し返す。

 

 その、恭也の背後に、探し求めていた少女の姿が。

 

「美耶子……ここにいたんだ……」

 

 優しく微笑むと。 

 

 ――あたしはずっと、恭也のそばにいるよ。

 

 美耶子も優しく微笑み返してくれる。

 

「そうか……そうだったね」

 

 ――ねえ、恭也。こっちに来て。

 

 鏡に写る美耶子が、恭也に向かって手を伸ばした。

 

「え?」

 

 ――全部消してって、約束したよね。

 

 甘えるようなその声に、恭也は、「あ、うん……」と、曖昧な返事を返すしかできなかった。

 

 美耶子は、鏡の向こうから手を差し出す。

 

 ――さあ、早く……全部、終わらせて。

 

 恭也は――。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 美耶子の手を掴もうと、手を伸ばした。

 

 手が、鏡に触れた瞬間。

 

 恭也は、鏡の中に沈んで行った。

 

 

 

 

 

 


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