村に、サイレンが鳴り響く――。
再び屍人の巣の内部に潜入してから十五時間以上経ったが、須田恭也はまだ神代美耶子を見つけられないでいた。本当に美耶子は生きているのだろうか? 相変わらず、存在は感じる。時折声らしきものも聞こえる。だが、それも、ただの思い違いのような気がしてならない。もう、美耶子が生きているという確証は持てない。
人が二人すれ違うのもやっとというような細い通路を歩く。いや、通路というよりは、山のように積みあがったゴミの隙間といった感じだ。粗戸地域の巣は、壁や足場などしっかりしており、頑丈で崩れたりすることはなかったが、この辺りはかなりいいかげんな作りになっている。いつ崩れてもおかしくはないように見えた。入り組んだ迷路のような構造になっている点は変わりない。今いる場所も、何処か判らない。初めて来た場所のようにも思えるし、つい一時間ほど前に通ったような気もするし、昨日の夜に通ったような気もする。
通路の奥に人の気配を感じた。暗闇で見えないが、屍人ではない。屍人なら、問答無用で襲ってくるだろう。だが、生きた人間でもないように思えた。近づいてくる。舞台の幕が上がるかのように、足元から、ゆっくりと姿があらわになっていく。膝が見え、腰が見え、身体が見えた。赤い修道服を着ていた。女性のようだ。最後に、顔がはっきりと見えた。
「……恭也君? どうして、ここにいるの?」
求導女の八尾比沙子は優しく微笑んだ。いや、一見優しく見えるが、その笑顔は、出会った時のような美しさ、愛の深さは感じられない。闇の奥から這い出た魔性の者が浮かべる笑みだ。
「あそこから抜け出したのね。ダメよ、勝手に出ちゃ」まるで子供に言い聞かせるような言葉。
大学講師の竹内の話によれば、この村の怪異は、すべてこの女から始まったらしい。信じがたいことだが、比沙子は、何十年、何百年もの昔から生きていて、村が呪われる全ての原因を作ったそうだ。その原因というのが何なのかは判らない。恭也にとってはどうでもいいことだった。重要なのは、この女が原因で、美耶子が神の生贄に捧げられることになったことだ。村の呪われた儀式は、この女が原因で生まれたのだ。憎しみが湧きあがる。
比沙子は恭也の憎しみを感じたのか、小さく笑った。「そんな怖い顔しても、ダメよ。さあ、戻りましょう」
手を差し出し、恭也へ近づいて来る。
恭也の右手には猟銃がある。すぐに撃つことができるが、それでもなお、比沙子は笑っている。そんなもので何ができる――胸の内で嘲笑されているのが判った。恭也自身も、こんな銃では何もできないことを、本能的に感じ取っていた。
比沙子が近づいて来る。その手に囚われると、もう二度と、自由にはなれない。そんな気がする。
だが。
「……何を持っているの?」
比沙子の足が止まった。
その視線は、猟銃を持つ右手ではなく、左手に注がれていた。
それは、求導師から貰った土人形だった。神から授かったという、武器。
比沙子の表情が変わった。冷たい笑みが消え、怒りと、そして、わずかな怯えが入り混じったような顔になる。
「それを渡しなさい、早く!」
声を荒らげる。感情が乱れていた。初めて見る姿だった。
恭也は人形を隠すように身を引いた。なんだか判らないが、比沙子に対して優位に立てる物のようだ。
「大人しく渡しなさい。さもないと――」
右手を掲げる比沙子。その掌から炎が噴き出した。美耶子の身体を焼いた炎だろうか。まるで魔術師のように、自在に炎を操る。
だが、恭也の方に近づこうとはしない。炎で攻撃してくる様子もない。比沙子は、明らかに警戒していた。怯えているようにも見える。この人形は、それほどまでに恐ろしい武器なのか。
求導師はこの人形を、「不死なる者を無に返すことができる武器」と言っていた。使ってみるか……いや、代わりに大きな副作用もあると言っていた。安易に使うのは危険かもしれない。それに、そもそもどうやって使うのかが判らない。
睨み合う恭也と比沙子。どちらも手が出せない。こう着した状態が続く。
――と。
カタカタと、床が揺れていることに、恭也は気付いた。
最初は小さな揺れだったが、徐々に大きくなってくる。立っていられない。地震か?
次の瞬間。
ゴミを積み上げた壁を突き破り、大量の赤い水が流れ込んできた。
――津波か!?
そう思った時には、赤い水は、恭也と、比沙子と、そして、屍人の巣を飲み込み、さらに勢いを増して、全てを流し去った。