SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第六十話 竹内多聞 屍人ノ巣/第四層付近 第三日/三時〇三分二十七秒

 頭に手を突っ込まれて脳をかき回されるような頭痛と共に、竹内多聞は目を覚ました。狭い部屋に、ごみ同然の物が乱雑に放り込まれている。廃材、トタン、破れた襖、壊れたタンス、丸ポストやカーブミラーまである。重さで床が抜けたのか、部屋の中央は大きく沈み、赤い水が溜まっていた。そこに身体の半分が浸かる形で気を失っていたらしい。そばには、高校生くらいの少年と、眞魚教の求導師の法衣を来た男が、竹内と同じように半身を赤い水に浸らせていた。

 

「……あまりうれしくない目覚めだな」

 

 身体を起こし、つぶやく竹内。その声に気が付いたのか、少年も意識を取り戻し、身体を起こした。求導師は意識が戻っているのかいないのか、「八尾さんが……まさか……」と、うわ言のようにつぶやいている。

 

「えっと……安野さんの大学の先生ですよね?」少年が訊く。

 

「そうだ。安野と一緒にいたのか?」

 

「はい。少しの間だけですけど」

 

 竹内は部屋を見回した。安野の姿は無い。

 

 少年が続ける。「……化物に襲われた後、俺たちは比沙子さんに捕まったんです。安野さんは、一人で逃げたようですけど」

 

「アイツらしいな。まあ、正しい判断だ。全員で捕まるのは得策ではない」竹内は小さく笑った。「水から出よう。これに浸っていても、良いことはない」

 

 竹内は立ち上がり、水から出た。少年も出ようとするが、足をおさえてうずくまった。見ると、右のふくらはぎがぱっくりと切れ、血が流れ出していた。

 

「――大丈夫か?」竹内は訊いた。

 

「あ、はい。痛みますけど、すぐに治ると思います」

 

 少年の言う通り、傷は塞がりつつある。あれなら、すぐに歩けるようになるだろう。

 

 竹内も自分の身体を確認する。あちこち痛むが、どれもかすり傷程度で、少年ほど大きな傷は無い。ただ、拳銃やライトなどの持ち物は無かった。比沙子に取り上げられたのだろう。

 

 少年が求導師を水から引き上げた。意識は戻っているようだが、少年が立たせても、すぐにへたり込んでしまう。相変わらず「八尾さんが……まさか……八尾さんが……」と、独り言のように繰り返しつぶやいている。

 

 求導師の服を着ているということは、この男は眞魚教の最高責任者・牧野慶だ。訊きたいことは山ほどあるが、この様子では何を訊いても答えられそうにないし、恐らく、得られる情報も大したものではないだろう。求導師というのはただの飾りで、八尾比沙子に操られるだけの存在なのだ。

 

 竹内は少年を見た。「君、名前は?」

 

「須田……恭也です」

 

「村の出来事について、どのくらい知っている?」

 

「えっと……神に花嫁を捧げる儀式に失敗したことと、ここは現在と過去が入り混じる世界だってことと……それから……」

 

 ほう、と、感心する竹内。すでに多くのことを知っているようだ。どうやら、神の花嫁・神代美耶子と行動を共にしていたようで、竹内ですら知らないこともいくつか知っていた。これは、呆けてしまった求導士などよりもよほど頼りになりそうだ。

 

「よし、恭也君。すまないが、協力してくれないか。このままでは、取り返しがつかなくなる」

 

「……どうするんですか?」

 

「どうにかして、あの化物を倒すんだ。そのための方法を探そう」

 

 恭也は顔を伏せた。しばらく考えているようだったが、やがて「すみませんが……」と言って顔を上げ、続けた。

 

「化物も、歳を取らない女も、興味ありません。俺は、ただ美耶子と一緒にこの村から逃げ出したいだけです」

 

「しかし、神の花嫁は――」

 

 竹内は儀式の場での様子を思い出す。水鏡の上で炎に包まれていた少女。あれが、神代美耶子だろう。美耶子は神を呼び出すために生贄にされた。神の花嫁とは、そういうことである。

 

 しかし、恭也は強いまなざしで竹内を見る。「美耶子は生きています。俺には、判るんです」

 

「……そうか」

 

 竹内は頷いた。少年の言葉を否定することはできない。竹内の考えが正しければ、神代の人間はみな、死なない――死ぬことができない。

 

 竹内は頷いた。「判った。君の思う通りにしたまえ」

 

「すみません」

 

「ただ、村から脱出したいというのは私も同じだ。その点で、我々の利害は一致している。これから定期的に連絡を取り合おう。何か判ったら教えてくれ。私も、新たに判ったことがあれば伝える」

 

「連絡って、どうするんですか?」

 

「十五分おきにお互いを幻視するんだ。そうすればすぐに情報を交換できるし、お互いの無事も確認できる」

 

「判りました。そうします」

 

 竹内は周囲を見回した。一見脱出できそうなところは無いが、所詮はガラクタを組み上げてできた部屋だ。どうにかなるだろう。少し調べてみると、トタンの一部がひび割れている場所を見つけた。何度か強く蹴ると、どうにか破ることができた。暗く細い通路が続いている。

 

 ――うん?

 

 部屋から外に出た竹内は、通路の隅に懐中電灯がふたつ置かれているのを見つけた。そばには『おねぼうさん×2へ』というメモが置かれていた。竹内と思われる男がいびきをかきながら寝ているイラストも描かれている。

 

「――なんですか?」後ろから恭也が覗き込む。

 

「優秀な教え子の置き土産だ。君も使いたまえ」

 

 竹内はメモをポケットにしまうと、懐中電灯をひとつ恭也に渡した。

 

 通路は少し進むと二手に分かれていた。右の道の先には洋品店があり、左の道の先には車の整備屋の看板が見える。整備屋には見覚えが無いが、洋品店は見覚えがあった。二十七年前の土砂災害で消えた大字粗戸の商店街にあった店だ。恐らく右の道は二十七年前の大字粗戸、左の道は現代の上粗戸の建物だろう。過去と現在が入り混じっているようである。どちらの道も、屍人たちが増築したせいで、街一体が屋根に覆われており、バリケード等で道がふさがれ、かなり入り組んだ迷路のような作りになっていた。

 

 屍人は、なぜこんなことをしているのだろう? ずっと疑問に思っていたことだった。屍人たちは、あらゆる場所で大工仕事をしていた。屋根を作り、窓を塞ぎ、壁を建てている。特に、この大字粗戸一帯はその傾向が顕著で、どこも屋根に覆われており、空を見ることができない。雨を避けているのだろうか? いや、屍人にとって赤い雨は命の水だ。避ける理由がない。ならば、陽の光だろうか? だが、屍人は日中も問題なく行動できる。ドラキュラのように陽の光を浴びて灰になったりはしない。

 

「――あの」と、恭也が声をかけてくる。「あの人、置いてきちゃいましたけど、大丈夫でしょうか?」

 

 閉じ込められていた部屋の方を見る恭也。求導師のことだろう。

 

「放っておけ。どうせ役には立たん。それに、ヘタに動くより、あそこにいた方が安全だ」

 

「そう……ですね」

 

「二手に分かれよう。どっちに行く?」竹内は二つの路地を指さした。

 

 恭也は、何かを探るように目を閉じた後、言った。「……左に行ってみます。美耶子がいるような気がするので」

 

「そうか。では、気を付けてな」

 

 恭也が整備屋の方へ行ったのを確認し、竹内は、洋品店の方へ進んだ。

 

 ドクン、と、心臓が大きく脈打った。

 

 同時に、大地が波うつかのようなめまいに襲われる。

 

 そして。

 

 ――汚れをはらえ。

 

 ――神の祝福を受けよ。

 

 ――赤い海に、身を沈めよ。

 

 胸に、そのような想いが浮かんでくる。

 

 が、それも一瞬だった。めまいも、そして、赤い水の誘惑も、すぐに治まった。

 

 まずいな、と、竹内は思った。もう、丸二日、赤い雨に打たれている。なるべく赤い水を体内に取り込まないようにしていたとはいえ、それも限界がある。腕時計を見た。四時少し前だ。後二時間ほどで、またサイレンが鳴る。そうなれば、赤い水の誘惑はさらに強くなるだろう。いつまで耐えられるだろうか。もう、あまり時間は無いかもしれない。急がなければ。

 

 路地を進み、洋品店まで来た。中を覗く。何か武器になるような物でもないかと思ったのだが、店内には旧式の黒電話があるだけだった。

 

 洋品店を出てさらに路地を進む。その先には、『松川屋』という立ち飲みの居酒屋があるのだが、その店の前に、拳銃を持った屍人が立っており、周囲を警戒していた。松川屋の入口は開いており、屍人は時折中を覗きこむ。中の明かりは点いており、店の奥にピンク色の古い公衆電話が見えた。屍人は中に入らず、そのまま路地で警戒を続ける。

 

 こちらに武器は無い。戦闘は避けたいところだ。店の中に入ってくれればそのスキに路地を通り抜けられるのだが、屍人は店を覗き込むだけで、中に入ろうとはしない。どうしたものかと思案する竹内。店の明かりは点いている。と、いうことは、電気が来ているということだ。

 

 竹内は洋品店へ戻った。黒電話の受話器を取り、耳に当てると、ツー、という通信音が聞こえた。恐らく、電話の基地局がこの一帯にあるのだろう。ならば、この一帯の電話は通じるはずである。竹内は黒電話の近くを探り、電話帳を見つけると、松川屋の電話番号を調べた。ダイヤルを回し、呼び出し音が鳴ったのを確認して、拳銃屍人を幻視した。松川屋の電話が鳴っている。音に反応した屍人は、店に入り、しばらくじっと電話を見つめた後、受話器を取った。その隙に、竹内は松川屋の前を通り抜けた。

 

 少し進むと路地はバリケードに阻まれていた。その向こうからはハンマーで釘を打つ音も聞こえる。この先の道は田堀という地区へ続いており、屍人の巣からは遠ざかることになる。あえて行く必要は無い。竹内は周囲を見回した。バリケードの左側は民家の塀だ。バリケードよりは低く、手を伸ばせば届く高さだ。小さな子供には無理だろうが、自分ならば乗り越えられるだろう。竹内は塀を乗り越え、民家の庭に入った。

 

 民家は壁や屋根などいたるところが崩れ落ち、廃屋同然だった。包丁を持った屍人が一体徘徊していたが、隙をついて庭を走り抜け、門から外に出た。

 

 ここまでうまく屍人を回避してきたが、それも、そう長くは続かないかもしれない。何か武器になるものを探さなければ。さらに路地を進む竹内。路地は複雑に入り組んでいるが、どうやら南へ向かっているようである。竹内の古い記憶によれば、このまま進めば小さな町工場があったはずだ。

 

 途中、廃材が置かれた小さな空地があった。工場から出たゴミを一時的に保管しておく場所だろう。竹内は廃材の中から鉄パイプを一本見つけ、持っていくことにした。武器としては頼りないが、何も持たないよりはマシだ。

 

 さらに南へと進むと、路地に拳銃屍人が立ち塞がっていた。背後から静かに忍び寄って殴れば鉄パイプでも倒せないことはないだろうが、屍人は注意深く周囲を警戒しており、隙がない。戦うのは無謀だろう。何か方法は無いだろうか? 周囲を探る。左はブロック塀だ。高さは三メートルほどで、とても手が届かない。壁の足元に小さな穴が開いていたが、子供ならともかく、竹内の身体では通り抜けられそうになかった。反対側は木の板を組んだ壁で、穴は開いていないが、高さは二メートルほどなので、乗り越えられそうだった。向こうは民家だ。竹内は壁を乗り越えた。

 

 民家は木製の古い建物で、恐らく二十七年前の物と思われた。中を調べる竹内。何か音を出すものでもあれば屍人の注意を引きつけられるだろう。居間でテレビとラジオを見つけたが、どちらも壊れていて鳴らない。奥の部屋に進む。扉を開けてはっとなった。四畳半の狭い部屋、壁や天井など、いたるところに、女性アイドルのポスターが貼られていた。二十七年前のアイドルだが、竹内も知っている。七十年代を代表する伝説のアイドル・東エリだ。一九七六年、『私の彼の左手に肉球』でデビューすると、それまでのアイドル像を覆すぽっちゃりした体系が話題となり、すぐに人気が爆発。その年の音楽新人賞を総なめにした。しかし、同年末。レコード大賞授賞式から紅白歌合戦のスタジオに向かう途中、トラックにはねられ、二十一歳というあまりに短い人生を終えた。その数奇な運命は今なおアイドルファンの間で語り草となっている。

 

 部屋には昔懐かしいレコードプレイヤーがあった。横にある棚には何十枚というレコードがビッシリと並んでいる。そのすべてが東エリだ。東エリはデビュー一年足らずで亡くなったので、レコードは四枚しかリリースしていない。死後、追悼のレコードやCDが何度となく発売されてはいるが、この民家は七十六年の八月には異界に飲み込まれているから、レコードは三種類しかないはずだ。つまり、この部屋の主は同じレコードを何枚も買っているのだ。観賞用、保存用、そして、布教用である。いつの時代もオタクという生き物は変わらないな。竹内は、部屋の主に親近感を覚えた。

 

 しかし、このレコードは使えるな。

 

 竹内は棚を探り、『私の彼の左手に肉球』というレコードを取り出した。東エリのデビュー曲である。観賞用は開封済みだが、保存用と布教用は当然のごとく未開封である。しかも初版であり、それが十枚以上。これは、美浜奈保子の限定テレカにも匹敵するお宝だ。いや、もちろん竹内はなぽりん一筋であり、他のアイドルに興味は無い。だが、東エリのレコードには現在プレミアが付いており、ネットオークションサイトでは数万円という高値で取引されている。特に、このデビュー曲の初版は出荷枚数が極めて少なく、未開封ともなれば数十万はイケるだろう。これは思わぬ臨時収入だ。どうせ持ち主は屍人になっている。ならば、生きている私が有効に使わせてもらおう。

 

 …………。

 

 竹内は、レコードを元の場所に戻した。危うく人の道を踏み外すところだった。いかに屍人とはいえ、ドルヲタには変わりない。ドルヲタは、別のドルヲタと時に対立し争うこともあるが、基本は同じ理念を持つ仲間であり同士なのだ。表向きは争っていても、心の中ではお互いをリスペクトする気持ちがある。この部屋の主が東エリを想う気持ちと、竹内がなぽりんを想う気持ちは同じなのだ。屍人の持ち物とは言え、勝手に持ち出して売りさばくなど、ドルヲタとして許されることではない。それは、なぽりんを裏切ることと同じなのだ。

 

 ……そんなことをしている場合ではないというに。

 

 竹内は心の中で持ち主に詫び、鑑賞用のレコードを取り出すと、プレイヤーにセットした。針を乗せる。ブツッっという独特のノイズ音がして、音楽が流れ始めた。竹内はボリュームを最大まで上げると、部屋を出て、居間に身を潜めた。幻視で外の屍人の様子を探る。音楽に気が付いたようだ。玄関から家の中に入って来て、奥の部屋へと向かう。うまく行きそうだ。部屋に入った屍人はレコードプレイヤーをじっと見た後、今度は壁のポスターをじっと見始めた。その隙に、竹内は外に出て、路地をさらに南へ進んだ。

 

 五分ほどで工場が見えてきた。位置的には大字粗戸の西部に当たる。裏口から工場に入り、中を抜けて正面から出れば大通りに出られる。そのまま南へ向かえば、あの神迎えの儀式が行われた場所へ行くことができる。神や八尾比沙子がまだ同じ場所にいるとは限らないが、行ってみる価値はある。

 

 工場の明かりは点いていた。中に屍人がいるかもしれない。裏口から工場の敷地内に入った竹内は、窓からそっと様子を窺った。

 

「――――!?」

 

 思わず息を飲む。工場の中には、犬屍人、蜘蛛屍人、拳銃屍人、猟銃屍人など、ざっと数えても十体以上の屍人が徘徊していた。突破は無理か。何か策をほどこそうにも、これほどの人数の屍人……いったい、どうすればいい……。

 

 絶望的だが、諦めるわけにはいかない。竹内は周囲を探り始めた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 竹内と別れ、左の路地を選んだ須田恭也は、強い決意と共に進んでいた。

 

 ――美耶子と約束したんだ。一緒に、村から逃げ出すって。

 

 美耶子は生きている。俺に助けを求めている。

 

 必ず、見つけ出す。

 

 何度も、胸の内で繰り返した。

 

 路地を進む恭也。道は屍人の増築によりかなり入り組んでいるが、どうやら東へと向かっているようである。何度か木の板を組み上げたバリケードに行く手を阻まれたが、いずれも二メートルほどの高さで、なんとか乗り越えることができた。

 

 さらに東へ進み、車の整備店の前を通り過ぎたところで、路地に大型のバンが停車されていた。左右の壁はバンに密着するほどで、横を通り抜けることはできそうにない。恐らく、路地に車を停めたのではなく、車が停めてあったところにバリケードを作ったのだろう。車の下にはわずかな隙間があるが、タイヤがパンクしているため車高が低く、恭也の身体では通り抜けられそうになかった。戻って他の道を行くか。あるいは、何か車を持ち上げるものでもあれば、通り抜けられるかもしれない。そう言えば、さっき車の整備店があった。何か使える物があるだろ。恭也は道を戻り、整備店の中を探ってみる。すぐに油圧式のフロアジャッキを見つけた。恭也はまたバンの所に戻ると、フロアジャッキを車の下に入れ、レバーを操作する。ジャッキを使ってもかなり重かったが、なんとか通り抜けられる高さまで持ち上げることができた。恭也は這って車の下を潜り抜けた。

 

 バンの下を潜ってさらに東へ進むと、車が二台並べるほどのやや広い通りに出た。通りは東に続いており、コンクリート製の橋が架かっている。恐らく眞魚川だろう。橋の上には犬屍人がいた。一体だけだから大した脅威ではないが、何も武器を持っていない状態で戦うのはさすがに無謀だ。川沿いを南へ進む道もあるが、少し進んだところがバリケードで塞がれており、進めそうにない。なんとかして、犬屍人の隙を突くしかないだろう。しばらく様子を探ってみよう。恭也は周囲を見回し、身を隠せそうな場所を探した。すぐ側に、鉄製の階段を見つけた。どうやら小さな水門があるようだ。西には棚田が広がる刈割があるので、眞魚川本流から棚田へ水を引くための用水路だろう。階段を上って奥まで行けば、橋からは死角になりそうだ。恭也は階段を上り、水門を開け閉めするためのハンドルのそばに身を隠した。

 

 屍人の様子を探ろうとした恭也だったが、ふと、腕時計を見る。先ほど竹内と別れてから十五分経っている。十五分おきにお互いを幻視し、情報を交換するという約束だ。恭也は視界ジャックで竹内を探した。すぐにそれらしき人物の視点を見つける。恭也のいる場所から西、どこか建物中だ、黒電話の受話器を取り、ダイヤルを回している。何度か呼びかけてみたが、こちらを幻視している様子はなく、返事は無い。恐らく屍人を陽動しようとしているのだろう。いま伝えなければいけないような情報は特に無い。恭也は竹内を幻視するのをやめ、犬屍人の様子を探ることにした。

 

 犬屍人はしばらく橋の上で周囲を警戒していたが、やがて川沿いの道を南へ走り始めた。バリケードの前で立ち止まる。バリケードの下には子供が通れそうな小さな穴が開いていて、そこを警戒しているようだ。今なら橋を通れるだろう。恭也は幻視をやめ、階段を下りようとしたが。

 

 ――水門を……。

 

 誰かの声が聞こえた――気がした。

 

 直接耳に聞こえたのではなく、心に響いた。そんな感じの声だった。驚きはしなかった。少し前にも、同じ声を聞いた。大字粗戸で、マンホールの下に降り、下水道の扉を壊した時だ。

 

 恭也は水門のハンドルを見つめる。水門は開けられており、水が西へ向かって大量に流れている。これを閉じろということだろうか? 門を閉じれば水が流れなくなる。恭也は以前、刈割で水門を閉じ、水が無くなった用水路を通って屍人を回避したことがある。同じ方法で、この先誰かが助かるのかもしれない。恭也はハンドルを回し、水門を閉じた。閉じるときに少し大きな音がして、犬屍人に気付かれたが、犬屍人は音がした水門の周囲を調べただけで、すぐにバリケードの方へ戻って行った。どうやらハンドルを回す人にまでは頭が回らなかったようだ。恭也は犬屍人に気付かれないよう足音を忍ばせて階段を下り、橋を渡った。

 

 このまま道を東に進めば宮田医院のある比良境へ着くようだ。しかし、それでは屍人の巣から遠ざかってしまう。確証はないが、美耶子は屍人の巣のどこかにいるはずだ。恭也は道路から逸れ、川沿いの細い道を南へ進んだ。

 

 しばらく進むと、川沿いの小高い土手の上に、マナ字架がふたつ立てられてあるのを見つけた。それ自体はこの村ではいたるところに立てられており、特別珍しいものではないのだが、そのマナ字架はひとつが大きく、もうひとつはかなり小さかった。土手を登ってみると、マナ字架の立っている地面が少し盛り上がっていた。どうやらお墓のようである。お供え物なのか、大きな墓には猟銃が、小さな墓には子供が遊ぶボードゲームが置かれてあった。猟師の親子の墓なのかもしれない。

 

 恭也は猟銃を取った。弾も沢山お供えされてある。使い方さえ判れば、すぐに撃てそうだった。恭也は猟銃を調べ、なんとか中に弾を込めると、安全レバーを外し、構えてみた。スコープを覗き込む。川の向こう側に、さっきの犬屍人がいる。バリケードの穴を調べ終え、橋に戻る所だ。恭也は、照準を犬屍人に合わせ、引き金を引いた。鼓膜を突き刺すような大きな音と同時に、後ろへ突き飛ばされるような強い衝撃がして、恭也は尻餅をついて倒れた。どうなった? 再び銃を構え、スコープを覗き込む。犬屍人は周囲を見回している。弾が命中した様子は無い。外れたようだ。もちろん、そんなに簡単に命中するものだとは思っていない。もう一度照準を合わせる恭也。屍人はこちらを狙っている存在に気が付いてはいるが、方向までは判らないようだった。その場で周囲を見回すだけだ。恭也はしっかりと狙いを定めると、今度は弾き飛ばされないようにしっかりと腰を落とし、引き金を引いた。銃声が鳴り響き、犬屍人から少し離れた場所の地面が弾け飛んだ。もう一度狙いを定め、撃つ。また外れたが、今度は屍人のすぐ足元の地面を弾いた。さらにもう一発。屍人の頬をかすめた。もう一発――装填した最後の弾だ。鳴り響く銃声とともに、犬屍人の頭が小さく爆発した。バタリと地面に倒れると、動かなくなった。

 

 銃を下ろす恭也。五発で命中なら、初めてにしては上出来だろう。これなら、俺でも使える。恭也は猟銃に弾を込め、ポケットにも詰められるだけ詰めると、墓に手を合わせ、土手を下りた。

 

 腕時計を見る恭也。竹内と別れてから三十分ほど経っていた。お互いを幻視し合う時間だ。恭也は竹内を探す。恭也のいる場所から西、民家の中にそれらしき姿があった。レコードが並んだ棚を調べている。やはり、こちらを幻視している様子は無い。ひょっとして、自分から提案しておいて忘れているのだろうか? いや、まさかな。恐らく屍人に追われているか何かで、そんな余裕がないのだろう。今回も特に伝えるべき情報は無い。恭也は幻視をやめ、川沿いの道をさらに南へ進んだ。

 

 しばらく進むと、この道もバリケードで閉ざされていた。周囲を探ると、すぐ側の民家の二階部分が増築され、屋根の上から連絡通路のような木製の橋が、川を越えて向こう側へ伸びている。かなり急ごしらえのもので今にも崩れ落ちそうだが、道はそれしかない。恭也は民家に入って二階へ上がり、連絡通路を進んで川を越えた。

 

 通路はかなり複雑に入り組んでいた。階段を下りて右に曲がり、梯子を上がって左に曲がり、二メートルほどの高さを飛び下りてUターンする、などを繰り返している。もう、自分がどの方向へ向かっているのかも判らない状況だ。通路にはところどころ屍人がいる。猟銃は強力な武器だが、細い通路では思う通り撃てないことも考えられた。恭也は幻視を繰り返し、急に屍人に出会わないよう、慎重に進んだ。

 

 一〇分ほど入り組んだ細い通路を進み、なんとか開けた場所に出た。小さな町工場のようである。建物の明かりは点いており、中に屍人がいるようだ。窓があったのでそっと覗いてみた。

 

「――――!?」

 

 思わず息を飲む。工場の中には、犬屍人、蜘蛛屍人、猟銃屍人など、数十体の屍人が徘徊していた。中に入るのはあまりにも危険だった。敷地から外に出れば大きな交差点がある。工場へ侵入するのは避け、大通りを進んだ方が無難だろうか? だが、これほどの屍人が集まっているからには、中に何かあるのかもしれない。

 

 時計を見る。竹内と連絡を取り合う時間だ。幻視を行うと。

 

《恭也君……恭也君……聞こえるか……》

 

 竹内は、恭也に向かって呼びかけていた。うまく幻視しあえたようだ。

 

「はい、恭也です」

 

《良かった。繋がった。今、どこにいる》

 

「えっと……どこか、町工場のような所にいます。大通り側」

 

《おお、ちょうど良かった。私は、工場の裏口付近、ちょうど、君の反対側辺りにいる。工場の中は見たか?》

 

「はい。屍人が大勢集まっています。何かあるんでしょうか?」

 

《かもしれん。調べてみる価値はあるだろう。君、武器は持っているか?》

 

「はい。猟銃を拾いました」

 

《そうか。ちょうどいい。私は今、工場の配電盤の前にいる。これを壊せば、恐らく工場の明かりを落とすことができるだろう。その隙に、屍人たちを倒せないだろうか?》

 

「あまり自信は無いですが、やってみます」

 

《頼む。では、行くぞ》

 

 幻視をやめる恭也。工場の入口へ回った。しばらくして、バチンという音と同時に、工場内の電気が消えた。周囲が闇に包まれる。しまった、と、恭也は思った。今は赤い水の影響で暗闇でもわずかに見える能力があるが、明かりに目が慣れていたため、何も見えない。しばらくすれば闇に目が慣れて見えるようになるだろうが、それは屍人も同じだろう。ライトを点けるか? いや、それでは逆にこちらの居場所を相手に教えるようなものだ。一か八か、見えない状態で突っ込んでいくしかないのか……。

 

 ――恭也。

 

 また、胸の中に例の声が響いた。名を呼んでいる。やはり、この声は……。

 

「美耶子、なのか?」声を出して呼びかけた。「いま、どこにいるんだ?」

 

 ――あたしは、ずっと、恭也のそばにいるよ

 

「俺のそば?」

 

 ――約束したよね。一緒に、逃げるって。

 

「ああ。もちろんだよ」

 

 ――あたしの目を使って。

 

「目? 何のこと?」

 

 ――さあ、行こう。

 

 突然。

 

 闇の中に、青白い炎が、いくつも燃え上がった。

 

 判る……これは、屍人だ。

 

 そして、その、屍人たちの奥に、強い光も見えた。これは屍人ではない。ここに来て――美耶子が、そう言っている気がした。

 

 恭也は猟銃を構えた。青い炎に狙いを定め、引き金を引く。炎が消えた。二発、三発と、次々と狙いを定めては、引き金を引く。炎が消えていく。弾が切れても、問題なく再装填できる。これが、美耶子の目……。

 

 屍人の炎を全て消した恭也は、奥に残った強い光に向かって走った。

 

 

 

 

 

 


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