SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第六話 須田恭也 刈割/不入谷教会 初日/七時十三分二十九秒

 羽生蛇村の南西に位置する地域、刈割(かるわり)。棚田が広がる小高い丘の上に、羽生蛇村に住むほとんどの人が信仰する宗教・眞魚教の不入谷(いらずだに)教会がある。

 

 その礼拝堂の一角で、須田恭也は、眞魚教の求導女・八尾比沙子から、村で起こっていることについての話を聞いていた。赤い水、幻視、屍人、昨日の昼間とは違う街並み……知りたいことは無数にある。

 

「あたしたち眞魚教の聖典・天地救之伝(てんちすくいのつたえ)の中に、末世過乱ノ事(まつせからんのこと)という記述があるの」比沙子は、信者に教えを説くように話す。「『末世において人の心の乱れ長きにわたり、地鳴りと豪雨と共に、今も昔もひとつとなる。神王の血より水赤く染まりて、得し者、生死を超えた神王の大いなる力を宿し、魂を元の肉体へ還すなり』と。つまり、世界が終わりを迎えると、人の心は乱れて、地震と大雨と共に、現在と過去が入り乱れた世界になる。赤い水は、神の身体から流れ出した血で、その血を体内に取り入れた者は、生者も死者も大きな力を得る。そして、魂を神の王に捧げる、というものね」

 

 話を聞いても、恭也はとても信じることができなかった。当然だろう。要するに比沙子は、赤い水とは眞魚教の神が流した血であり、幻視とは神の血を体内に取り込んだ者が得る特殊能力であり、屍人とは死者が赤い血を得てよみがえった姿であり、昨日の昼間とは違う街並みは、二十七年前の土砂災害で消えた羽生蛇村だと言うのだ。オカルト好きの恭也ですら思わず笑ってしまいそうな話だが、しかし、他に合理的な説明をすることもできない。

 

「ごめんなさい。とても信じられないわよね、こんな話」恭也の困惑を察してか、比沙子は申し訳なさそうに言う。「あたしも、本当に聖典通りのことが起こっているのかは判らない。求導女のあたしがこんなことを言うのも変だけど、今までずっと、信者を戒めるための教えのひとつだと思っていたから」

 

 終末思想を唱える宗教は多い。一部の過激な宗教団体によって危険思想と思われがちだが、ほぼすべての宗教で取り入れられていると言っていいだろう。救いを求め、祈りをささげる――それは、宗教が信者を獲得するために使う常套手段であり、決して珍しいものではないのだ。

 

 また、宗教と関係があるかどうかは判らないが、恭也がよく利用するインターネットのオカルト系掲示板では、定期的に、何年何月何日に世界が滅びるという予言めいたことを書きこむ者が現れる。大部分はかすりもしないが、まれに、大地震や台風などの自然災害、または、テロや大量殺人などの事件と重なることもある。しかし恭也は、これらの予言を全く信じていなかった。毎日誰かが終末の日を言っており、毎日どこかで災害や事件は起こっている。それが、たまたま一致したに過ぎない。

 

 終末思想を信じるつもりはない。しかし、今、周りで起こっていることを説明する術を、恭也は持ち合わせていない。赤い水、幻視、屍人、見覚えのない街並み……全てが、比沙子の話と一致する。

 

「どうして、こんなことになったんですか? その……」訊いてはいけないことを聞くように、恭也は恐る恐る口にする。「昨日の夜、あの、大きな岩がある広場でやっていた儀式と、何か、関係があるんですか?」

 

「関係ない、とは、言えないわね」恭也の予想に反し、比沙子はあっさりと答える。「信者のみんなは、あの儀式が失敗したと思っている。でも、求導師様は、全て手順通りに行ったと言ってる。あたしも、儀式に不手際があったようには見えなかった。でも、こうなってしまったからには、何か、見落としがあったのかも……」

 

 それを聞いて、恭也は不意に思い出す。

 

 昨日の朝、恭也は巨石があったあの広場で、長い黒髪の少女と白い犬を見かけた。少女はあの時、持っている石を、繰り返し何かにぶつけていた。何をしていたのかは判らなかったが、何かを壊していたように思う。いったい何を壊していたのか。もしそれが、儀式が失敗した原因だったとしたら……。

 

「あの、俺、昨日……」

 

 見たんです、と言いかけて、恭也は言葉を飲み込んだ。

 

 いま村に起こっている事態が、儀式が失敗したことが原因ならば、少女のあの行動が、何か関係している可能性は十分にある。そのことは、比沙子に伝えるべきだろう。

 

 だが、そもそも儀式とはなんだ?

 

 儀式が失敗したことでこのような事態になったのならば、儀式は、それを避けるために行ったと考えるべきだろう。

 

 あの少女が何をしていたのかは判らないが、仮に、儀式の邪魔をするために何かを壊していたのならば、その結果、村がこうなることを、彼女は予見していたのだろうか?

 

 石を振るう少女の姿を思い出す。狂ったように、何度も何度も、石を振り下ろす少女。冗談やイタズラで儀式の邪魔をしようという雰囲気ではなかった。

 

 そして、少女はその夜、あの儀式の場にいた。それも、恐らくは主要な人物としてだ。集まった村人たちに歌いながら迎えられる少女の姿は、例えるならば、そう、結婚式の花嫁のようだった。

 

 少女はあの広場で、儀式を邪魔するために何かを壊した。その結果、儀式が失敗し、村に異変が起こると判っていても、やらざるを得ない理由があったのだろうか。その理由とは、一体……。

 

 そこまで考えて、恭也は大きく首を振る。あまり考えすぎるのは良くない。考えを巡らせるには、確実な情報が少なすぎる。不確実な情報から導き出される答えは、単なる思い込みだ。

 

「恭也君?」何か言いかけて急に黙り込んだ恭也を見て、比沙子は首をかしげる。

 

「あ、えっと……」少女のことは胸の内にしまうことにした。代わりに、思いついた適当なことを言う。「あいつら……屍人は、なぜ、俺たちを襲ってくるんですか?」

 

 恭也と比沙子が大字荒戸の商店街を通り抜け、この不入谷教会へ来るまでに、多くの屍人を見かけた。幻視の能力を使い、できるだけ回避してきたが、何人かには見つかってしまった。恭也たちを見つけた屍人は、例外なく武器を持って襲ってきた。屍人は死人がよみがえったようなもの。映画やゲームなどに登場するゾンビのような存在だが、ゾンビと違い、生きている人間を食べるために襲ってくる、というわけではなさそうだった。

 

「そうね……」比沙子は、しばらく考えた後、言った。「想像だけど、彼らはあたしたちと同じで、生活をしているのよ」

 

「生活、ですか?」目を丸くする恭也。適当に訊いたことだったが、比沙子の答えには興味を引かれた。刈割で見かけた屍人のほとんどは、田んぼや畑で農作業をしており、中にはお弁当を食べたりトラクターを運転している者までいた。比沙子の言う通り、それは、村で生活をしている人間と同じだった。

 

「彼らは自分たちの生活を護るために、あたしたちを排除しようとしている……いえ、違うわね」比沙子はあごに手を当てた。そのまましばらく考えた後、ゆっくりとした口調で続けた。「……彼らはたぶん、あたしたちを救おうとしているんだわ」

 

「俺たちを救う? どういうことですか?」

 

「例えば、恭也君が街で普通に暮らしていて、そこに、ゾンビが現れて襲って来た場合、なんとかして排除するか、もしくは、治療してゾンビから元の人間に戻せるようなら、治療するでしょ?」

 

「まあ、そうですね」

 

「きっと、屍人も同じなんだわ。屍人にとって、あたしたち生きている人間は、生活を脅かす存在なの。でも、生きている人間は、死ぬことによって屍人になる。つまり、自分たちの仲間になるの。だから、殺そうとするんじゃないかしら」

 

 恭也は黙って視線を落とした。比沙子の話はなんとなく判るが、だからと言って、ヤツらの仲間入りはしたくない。

 

 しばらく沈黙した後、恭也は、つぶやくように言った。「これから、どうするんですか?」

 

「あたしは、ここで求導師様が戻られるのを待つわ。求導師様なら、きっと、あたしたちを導いてくれるはず」

 

 比沙子は、祈りをささげるように、胸の前で両手を組んだ。

 

 求導士。求導女がキリスト教で言う修道女のような存在ならば、求導士は、さしずめ神父や牧師と言ったところだろう。儀式の時、黒い法服に身を包んだ男を見たが、彼のことだろう。この村で眞魚教の影響力は大きいようだし、比沙子の口ぶりからも、頼もしい人物に違いない。

 

 自分はどうすべきだろう? 恭也は昨日の昼間の村人の様子を思い出した。自転車のタイヤがパンクして困っていた恭也に、村人は冷たかった。かなり排他的な住民たちだ。余所者が教会に上がり込んで、怒ったりしないだろうか。

 

「あの、俺、このままここにいても大丈夫ですか? 余所者ですけど」比沙子に訊いてみる。

 

「もちろん、大丈夫よ。困っている人を救うのが、教会の役目だもの」比沙子は、笑顔でそう言ってくれた。

 

 その言葉と笑顔に安心する恭也。まあ、村人たちには歓迎されないかもしれないが、求導女である彼女がこう言っているのだ。追い出されたりはしないだろう。

 

 恭也は礼拝堂の椅子に座り、大きく息を吐いた。教会は安全、比沙子はそう言っていた。これから避難してくる村人は多いだろう。

 

 ――あの娘は、どうしてるだろう?

 

 恭也は目を閉じ、なんとなく少女のことを考えた。

 

 その瞬間、閉じた恭也の目に、別の映像が映る。幻視だ。

 

 商店街からこの教会に来るまでに、すでに何度も幻視を行っていたので、もう驚かなかった。恭也は、そのまま映像を見る。棚田のそばの細い砂利道を歩いている。見覚えがある道だ。教会に来る前に、恭也も同じ道を通ったのだ。

 

 映像と同時に聞こえたのは、獣のような息づかい。一瞬、屍人かと思ったが、人にしては視点が低い。大きく前に突き出した動物の鼻が見える。どうやら本当の動物、恐らくは犬の視点のようだ。幻視の能力は、動物にも使えるらしい。

 

 視点の主の少し前には、ゆっくりとした歩調で歩く人の姿が見えた。黒のノースリーブワンピースを着た、長い黒髪の少女。恭也はすぐに気付く。あの、儀式の広場にいた少女だ。と、すれば、この視点はあの少女のそばにいた、白い犬だろう。あの娘が、教会の近くにいる。彼女も避難して来たのだろうか?

 

 と、白い犬が、何かの気配に気づいたように突然左を向いた。道の左側は細い川が流れてあり、その向こうは小高い丘で、斜面一面に棚田が広がっている。犬は川の向こう側を見つめ、何かを威嚇するかのように、低い唸り声を上げる。まさか? イヤな予感がした。少女が小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。犬が警告を発するかのように吠えはじめる。恭也の予感は的中した。棚田の中に、こちらに向かって来る人影が見えた。農作業用の(くわ)を持ち、棚田を飛び下りながら向かって来る。屍人だ。このままでは、少女が襲われてしまう。

 

 恭也は目を開け、立ち上がった。少女を助けなければ。驚いたような表情の比沙子に、「すぐに戻ります」とだけ告げて、恭也は教会を飛び出した。

 

 

 

 

 


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