SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十七話 八尾比沙子 屍人ノ巣/水鏡 第三日/〇時〇〇分〇八秒

 八月五日、深夜〇時。

 

 

 

 村に、サイレンが鳴り響く――。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 大字粗戸一帯は、屍人たちの手により木の板や柱・トタンなどが組み上げられ、ひとつの巨大な『巣』と化していた。

 

 巣の中枢、羽生蛇村のちょうど真ん中に位置する場所には水鏡がある。神がこの地に舞い降りた時の衝撃で表面が削られ、鏡のように、見る者の姿を写す神秘的な岩だ。岩の表面からは赤い水がとめどなく流れ出している。その上に、神の花嫁・神代美耶子が横たえられていた。装飾がほどこされた燭台が周囲を囲み、蝋燭の炎が揺れている。美耶子を見下ろすような巨大なマナ字架も掲げられていた。

 

 美耶子は身動きひとつせず眠っていた。呼吸の動作さえしていない。それでも美耶子は生きていた。これから、その身を神へ捧げる。

 

 眞魚教の求導女・八尾比沙子は、水鏡のそばでパイプオルガンを弾いていた。そばには、神代の次期当主である淳と、許婚の亜矢子が並び、儀式の様子を見守っている。

 

 比沙子が奏でる曲はレクイエムだった。死者の魂を鎮めるための曲。それはつまり、死者の魂を神の元へと送るための曲ということでもある。レクイエムにより、人々は神の住まう世界――楽園へと旅立つのだ。

 

 最後まで曲を弾き終えた比沙子は、静かに席を立ち、そして、水鏡の前に立った。

 

 時は来た。

 

 比沙子は、大きく両手を広げた。

 

「――さあ、楽園の門が開かれる」

 

 歌うような声で、そして、踊るような仕草で、比沙子は、神へ呼びかけた。

 

 その瞬間。

 

 水鏡に横たわる美耶子の身体から、炎が燃え上がった。

 

 炎は瞬く間に美耶子を飲み込み、火柱となってさらに燃え上がる。美耶子の衣服を、髪を、そして、身体を焼く。白い肌は赤く焼けただれ、やがて、黒い炭の色へと変わっていく。それでも、美耶子は動かない。眠っている。

 

 炎は美耶子を焼く。その華奢な身体を、神の元へ届けるために。

 

 その、燃え上がる炎の中に。

 

 黒い、小さな球体が生じた。

 

 燃え盛る炎の中に生じたその球体は、初めは小さかったが、少しずつ膨らみ、大きくなっていく。

 

 やがて色が薄れていく。闇の中に光を照らしたかのように、中に潜んでいたものが姿を現した。

 

 ――神が、舞い降りた。

 

 比沙子は、そう思った。

 

 長い――本当に長い時だった。この時が来るのを、どれだけ待ち望んだことだろう。

 

 これで、罪は洗い流され。

 

 あたしは、楽園へと旅立つことができる。

 

 比沙子は、うっとりとした目で、舞い降りた神の姿を見つめていた。

 

 周囲に何者かの気配をいくつも感じた。誰か、この神聖な儀式の場に現れたようである。

 

 だが、神を前にした比沙子には、もう関係なかった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 八尾比沙子の姿を求め、村をさまよっていた牧野慶は、屍人の巣の中枢へとたどり着いていた。

 

 四十八時間前、牧野は神迎えの儀式を行ったが、村は異界へと飲み込まれた。原因はいまだに判らない。牧野は八尾比沙子の言う通り儀式を行った。失敗はしていないはずだ。

 

 何がいけなかったのか?

 

 これからどうすればいいのか?

 

 やはり、自分は儀式に失敗したのか?

 

 儀式に失敗した自分は、父のように罪に苦しみ、そして、みじめな最期を迎えるのか?

 

 不安だった。恐ろしかった。そんな自分を、八尾比沙子は優しく抱きしめ、「大丈夫よ――」と、微笑んでくれると思っていた。そうして欲しかった。だから、屍人が徘徊する危険な村を一人さ迷い、ようやくここまで来たのだ。自分を導いてほしかった。慰めて欲しかった。

 

 だが、八尾比沙子は。

 

 現れた自分には目もくれず、広場の中央にある赤い石の祭壇に向かって両手を広げ、歌うように、祈りを捧げていた。

 

 石の祭壇には、少女が寝かされている。

 

 ――あれはまさか、美耶子様?

 

 牧野がよく確認しようとした時。

 

 少女の身体が炎に包まれた。

 

 信じられなかった。少女の身体が自然に燃え上がったのも信じがたいが、それ以上に、眞魚教の求導師である自分がいないのに、比沙子が儀式を行ったことが信じられなかった。

 

 そう。これは、神迎えの儀式に他ならない。

 

 神迎えの儀式を行えるのは求導師であるあなたしかいない――幼いころから比沙子に繰り返し言われてきた言葉だった。それは、牧野にとって大きな重圧であったが、同時に、比沙子が自分に期待を寄せていることの表れだとも思っていた。比沙子は、自分を必要としてくれている。これまで求導師の責務と重圧に耐えられたのも、比沙子に必要とされていると思っていたからだ。

 

 なのに。

 

 比沙子は一人で儀式を行い、神を迎えようとしている。自分の存在を否定されたような気がした。それが信じられなかった。

 

 信じられないことはまだある。

 

 美耶子から燃え上がった炎の中に、何者かの気配が生じた。初めはただの黒い球体に見えたそれは、徐々に大きくなり、中に潜む者の姿があらわになった。

 

 その姿を見た瞬間、牧野の胸に浮かんだのは、『異形の者』という言葉だった。

 

 それは、深海に潜む生物を思わせる姿だった。人の背丈の三倍はあろうかという大きさだが、頭部は極端に小さい。顔と思われる部分の大半は眼球が占拠しており、目の下には小さな口がついていた。

 

 首の下には長く太い胴が付いている。一見蛇の胴体のようではあるが、胴の上部には腕が、そして、下部には足が生えていた。恐ろしいのは、頭部を除く肉体の全てが透明で、胴の中の内臓、両手足の骨格など、身体の内部が透けて見えていることだった。

 

 背中には、枯れた柳の枝のような触手が何本も垂れ下がっていた。背に羽は無い。仮に羽が生えていたとしても、その巨体では羽ばたくことなど不可能だろう。しかし、その生物は、宙に留まっている。まるで水の中にいるかのように浮いている。あるいは、空中を泳いでいるのかもしれない。

 

『異形の者』そう表現するしかない。およそ、地球上に存在する生物とは思えなかった。悪魔が舞い降りた――そうとしか思えなかった。

 

 だが、八尾比沙子は、まるで待ちわびた恋人を迎えるような優しい目で、その異形の者を見つめていた。

 

 あれが、神だというのか?

 

 一三〇〇年前この地に降臨し、村の人々に称えられてきた我らの神が、このような恐ろしい姿をしているというのか?

 

 信じられない。

 

 信じられないことが、もうひとつ起こった。

 

 神を迎えた八尾比沙子が、そばにいた神代亜矢子の方を見た。

 

 その顔は、牧野が母のように慕い、そして、村人全てから愛された聖女のものではなく。

 

 鋭い殺意が浮かぶ、恐ろしい悪魔のような顔だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 神代亜矢子は、水鏡の上で燃え上がる美耶子の姿を見、その恐ろしさに身を震わせていた。神代家の次女として産まれた妹の美耶子は、時が来たら神の花嫁としてその身を捧げることになる――幼いころからそう聞かされていた。神の花嫁というのがどういうものなのかは亜矢子には判らなかったが、なんとなく、美耶子とは永遠に会えなくなるのだろうと思っていた。かわいそうだとは思わなかった。それが美耶子の宿命であり、神代の掟なのだ。それに、美耶子は産まれてからずっと特別扱いされていた。父の愛情はすべて美耶子に注がれ、亜矢子のことなど気にも留めていないようだった。母は美耶子を産んで間もなく亡くなったが、息を引き取る間際まで美耶子のことを気にしていたと聞いている。神代に仕える者も皆、美耶子のことを可愛がった。亜矢子の許婚の淳でさえ、最近は美耶子ことばかり気にかけていた。美耶子、美耶子、美耶子……みんな、美耶子のことばかりだ。亜矢子は、自分が神代家には必要のない人間ではないかと思えて仕方なかった。

 

 だが、それも、神迎えの儀式までの辛抱だと思っていた。

 

 儀式が終われば美耶子はいなくなる。父も、神代に仕える者も、そして何より淳も、自分のことを見てくれる。そう思っていた。

 

 だから、儀式が行われるのが待ち遠しかった。美耶子など、早くいなくなってしまえばいいと思っていた。

 

 だが。

 

 目の前で燃え上がった美耶子を見て、亜矢子は震えを止めることができなかった。生きたまま燃やされている。これが、神の花嫁になるということなのか。

 

 こうなることを望んでいたはずだった。なのに、恐ろしさに震えが止まらない。美耶子は特別扱いされていたとはいえ、まだ十四歳だ。しかも、その短い人生のほとんどを、神代家の離れに閉じ込められて過ごした。その存在は極秘とされ、戸籍にさえ載っていない。美耶子のことを知る者は、神代家と教会、宮田医院など、村の一部の有力者に限られている。最近は何者かの手引きによって家の外に出ていたような様子もあるが、それも、ほんの数日にすぎないだろう。外の世界との接触を断たれ、その存在すら外部に知らされることなく、わずか十四年の生涯を終えた妹。その恐ろしさに、亜矢子は今さらながら気が付いた。生まれる順番が違えば、自分がああなっていたかもしれないのだ。しかも、その結果現れた神というのは、想像とはまるで違う、化物としか思えない異形の生物だ。あんな化物を呼び出すために、美耶子は今まで生かされていたのか。震えが止まらない。

 

 ――大丈夫……あたしは関係ない……あたしは神の花嫁じゃない。美耶子がああなったのは運命。仕方なかったのよ。あたしが悪いわけじゃない。あたしは生きている。これからも生きていける。そう、生きていけるんだ。淳と一緒に。大丈夫……大丈夫……。

 

 亜矢子は震えを止めようと自らの肩を抱き、心の中で何度も言い聞かせた。

 

 と――。

 

 現れた神の姿を愛おしそうに見つめていた八尾比沙子の目が、ふいに、亜矢子に向けられた。

 

 顔に、笑みを浮かべる。

 

 慈愛に満ちた聖女のような笑顔ではない。冷たく、恐ろしい笑み。

 

 比沙子が近づいてくる。

 

「……な……何……?」後退りする亜矢子。少しでも比沙子から遠ざかりたかった。

 

 比沙子は笑みを浮かべたまま、何も答えない。

 

 手のひらを、亜矢子に向けた。

 

 その瞬間。

 

 亜矢子の身体が、炎に包まれた。

 

 訳が判らなかった。自分は神の花嫁ではない。自分は関係ない。ただ、神代の長女として、儀式を見届けに来ただけだ。なのに、なぜ、あたしまで……。

 

 炎は勢いを増す。皮膚を焼き、肉を焼き、骨まで達しようとしている。炎を消そうと地面を転がる。だが、消えない。炎はさらに勢いを増す。悲鳴を上げることもできない。息ができない。苦しい。こんな苦痛を味わうくらいなら、死んだ方がましだ。そう思える。早く死にたい。早く殺して! やがて意識が無くなり、痛みを感じなくなる……そう思った。だが、意識は消えない。痛みも感じる。気が狂いそうだった。狂ってしまいたかった。だが、それも許されない。炎は消えない。身体を焼く。もう、指一本動かすこともできない。それでも意識は消えない。痛みは消えない。

 

 亜矢子は、ふいに。

 

 

 

 ――肉体は滅びても、精神は滅びない。そういう運命なんだよ。あたしも、お前も。

 

 

 

 昨日、美耶子が言っていた言葉を思い出した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……や……八尾さん……どうして、亜矢子まで……」

 

 神代淳はひとつひとつ言葉を選びながら、八尾比沙子に問いかけた。地面には、許婚の神代亜矢子が炎に包まれ、苦しみ悶えている。亜矢子は神代家の長女であり、神の花嫁ではない。自分と結婚し、神代の子供を産むはずだった。それなのに、なぜ……?

 

 比沙子は、炎に包まれた亜矢子を満足げな表情で見つめたまま、独り言のように言う。「もう、実はそろったのよ。次の実は、必要ない」

 

 実はそろった? 次の実? 意味が判らなかった。答えになっていないが、それ以上問いただすことはできなかった。うかつなことを言って比沙子の気分を害せば、次は、自分が亜矢子のようになるかもしれないのだ。逆らうことはできなかった。今は、自分の身を護るのが先決だ。

 

 やがて亜矢子は動かなくなった。それで興味を失ったのか、比沙子はつまらなさそうに小さく息をつき、そして、水鏡を振り返った。水鏡の上では美耶子が燃えており、その炎の中に異形の者が姿を現している。比沙子は、その異形の者を愛おしそうな目で見つめた。比沙子はあれを『神』と呼んだ。あれが、眞魚教の神だとでも言うのか? とてもそうは見えなかった。我々は、あんな化物を信仰していたのか? あんな化物が、我々を楽園へと導いてくれるというのか? 信じられない。

 

 淳は、自分が今どうすべきかを考えた。比沙子の言葉を信じ、あの化物を神と(あが)めるか。それとも、化物から身を護るため、この場から逃げるか。どちらが正しい行動だろう。判らない。

 

 神が――淳はまだあの化物を神と認めていないが――深い眠りから覚めたかのように大きく身体を伸ばし、そして、サイレンの音にも似た甲高い鳴き声を上げた。

 

 比沙子が、神へ向かって両手を広げる。「さあ、神よ! 我らを楽園へと導きたまえ!!」

 

 だが――。

 

 神の様子がおかしい。

 

 神の鳴き声は、復活を喜ぶものではないように聞こえた。苦しみに悶えるような、誰かに助けを求めるような、そんな、悲鳴にも似た鳴き声。全身が小刻みに痙攣している。動かない身体を無理矢理動かそうとしているのか。いや、逆に、意思に反して勝手に動き出しそうな身体を押さえつけているのかもしれない。

 

 神の異変に、比沙子も気が付いた。陶酔していた目が曇っていく。

 

 神は、ひときわ甲高い悲鳴を上げると、痛みと苦しみにのた打ち回るかのように、凄まじい早さで空中を暴れ飛んだ。

 

「神よ! どうされたのです!? 落ち着いてください!」

 

 比沙子が叫ぶが、そんな声など届かない。

 

 ――やはり、あれは神ではない。ただの化物だ。

 

 そう判断した淳は、この場から逃げようとした。

 

 だが、遅かった。

 

 神――いや、化物に背を向けた瞬間、背中に強い衝撃があり、身体が宙を舞った。

 

 暴れ飛ぶ化物に体当たりされ、弾き飛ばされたと判った瞬間、淳は、頭から地面に叩きつけられていた。

 

 頭蓋が割れる音と首の骨が折れる音を、淳は聞いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 壁の弱い部分を蹴破り、屍人の巣の中枢へたどり着いた竹内多聞が見たものは、異形の生物が悶え苦しみ、悲鳴を上げる姿だった。それが、眞魚教の神が降臨した姿だと瞬時に悟る竹内。遅かったか。

 

「神よ! どうされたのです!? 落ち着いてください!」

 

 叫ぶような女の声が周囲に響く。赤い修道服を着た女が、苦しむ神の身を案じている。赤い修道服は眞魚教の求導女のみが着ることを許されており、すなわち、あの女は八尾比沙子だ。その顔は、竹内の記憶にある彼女と何も変わらない。昨日の夕方、宮田医院の入院患者の部屋で見つけた古い写真とも一致する。二十七年以上も前から変わらず、若く美しい姿。

 

 ――やはり、志村さんの言っていたことは正しかった。

 

 そう確信した。八尾比沙子は、何十年、何百年も、歳を取らずに生き続けている。

 

 だが、今は比沙子よりも、降臨した神の方が問題だ。

 

 悶え苦しんでいた神が、暴れるように宙を舞う。比沙子のそばにいた若い男が逃げようとしたが、その巨体に弾き飛ばされた。五メートルほどの高さまで飛ばされた男は、頭から地面に激突し、動かなくなった。

 

 拳銃を取り出す竹内。屍人さえ完全に倒すことできないこんな拳銃が神に通用するとは思えないが、武器はこれしかない。暴れ飛ぶ神に、銃口を向ける。狙いを定め、トリガーに指を掛けた時――。

 

「――あ、先生! やっと見つけた!! 探しましたよ! どこほっつき歩いてたんですか? まさか、またなぽりんの追っかけしてたんじゃないでしょうね?」

 

 聞きなれた声と場違いな台詞に、竹内は膝から崩れ落ちそうになった。どこから現れたのか、教え子の安野がこちらへ走って来る。まったく、緊張感のないヤツだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「――あ、先生! やっと見つけた!! 探しましたよ! どこほっつき歩いてたんですか? まさか、またなぽりんの追っかけしてたんじゃないでしょうね?」

 

 須田恭也と共に屍人の巣の中枢へたどり着いた安野依子は、銃を構える竹内多聞の姿を見つけ、走り出した。眼鏡が無いという極限の状況の中、恭也や屍人たちの視界をジャックし、ようやく迷子になっていた先生を見つけることができた。文句のひとつでも言ってやらなければ気が済まない。

 

 安野に気が付いた竹内は、冷めた目を向けた。

 

「……安野」

 

「……はい」

 

「何度も言うようだが、空気を読め」

 

「何度も言うようですが、あたしほど空気が読める人もいないと思います」

 

「そうだな。悪かった。じゃあ、言葉を変えよう。もう少し、状況を考えろ」

 

「状況と言いますと――」

 

 安野は周囲を見回した。赤い水があふれる岩の上で人が燃えており、タツノオトシゴとクラゲとウマを掛け合わせたような化物が宙を舞い、みんな慌てふためいている。

 

 安野は首を傾けた。「えーっと、今北産業」

 

 竹内は、大げさにため息をついた。「……私にも正確なことは判らんが、おそらく、神迎えの儀式を行い神が降臨したが、どういう訳か暴れ出して困っている、といった所だろう」

 

「ナルホド。よく判りませんが、判りました。で、どうするんですか?」

 

「どうもこうも、なんとかして倒すしかあるまい」

 

「倒す? 神様を、ですか?」

 

「そうだ」

 

「拳銃で、ですか?」

 

「そうだ」

 

「先生の射撃のウデで、ですか?」

 

「そうだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……じゃあ、ガンバってください。あたしは、これで失礼します」

 

「そうはさせるか。ここに来たのが運のツキだ。貴様にも手伝ってもらう」

 

「えー? やめましょうよ。拳銃じゃ、屍人さんすら倒すこともできないんですよ? ムリですって」

 

「ごちゃごちゃ言うな。とにかく、やるぞ」

 

「イヤです。どうしてもあたしに手伝ってほしいなら、せめて、もっとまともな武器を用意してください」

 

「まともな武器? 例えば?」

 

「そうですねぇ……」安野は、あごに人差し指を当てて考えた。「例えば、無限に撃てるロケットランチャーとか、無限に撃てるハイパーブラスターとかです」

 

「……そんなクリア後の特典のような武器は、現実の世界には存在しない」

 

「なら、やっぱりお断りします。先生一人でガンバってください。さようなら」

 

 安野は手のひらをおでこに当て、そのまま帰ろうとした。

 

「ふん、そんなこと言っていいのか?」不敵に笑う竹内。スーツの胸ポケットに手を入れ、何かを取り出した。二枚のレンズと、折りたたまれた黒いフレーム。

 

「そ……それは……!?」はっと息を飲む安野。「どうしてそれを……!?」

 

「病院の地下室で、ナースの屍人が持っていたのだ」

 

 竹内は、折りたたまれていたフレームを広げた。間違いない。あれは、屍人に奪われたという安野のメガネである。

 

 竹内は勝ち誇った顔をした。「村にメガネ屋は無い。これが欲しかろう? 私に協力すればくれてやる。だが、もし協力しないのなら、それまでだ」

 

「くっ……メガネを人質にとるなんて……卑劣な……」

 

「なんとでも言え。さあ、どうする? 私に協力するか、それとも、このままメガネなしで異界をさまよい続けるか」

 

 血が出そうなほど奥歯をギリギリと噛みしめる安野。脅迫には屈しない、それが安野の信条(ポリシー)だが、メガネひとつの命は地球よりも重い、それもまた、真実である。

 

 安野は、屈辱に耐えながら言った。「……仕方ないですね。神様に勝てるとは思えませんが、メガネには代えられません。先生に協力します」

 

「ふん、最初からそう言えば良いのだ」

 

 竹内はメガネを差し出した。受け取る安野。さっそくかけてみると、視界が大きく広がった。ああ、世界はこんなに光に満ちていたのか。これで、一人でも自由に行動することができる。

 

「よし、やるぞ!」

 

 竹内と安野は神に向き直った。

 

 その瞬間、神がものすごいスピードで接近してくる。

 

 安野は、とっさに地面に伏せた。

 

 迎撃しようと銃を構えた竹内だったが、引き金を引く前に神に体当たりされ、勢いよく吹っ飛んで行った。

 

「……あーあ。だから、やめましょうって言ったのに」

 

 地面に激突する竹内。幸い足から落ちたので死にはしないだろう。むしろ、いい気味だ。安野は静かにその場を離れた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 屍人の巣の中枢へたどり着いた恭也は周囲を見回した。求導女の八尾比沙子や、美耶子の義理の兄である淳、そして、宙を舞う異形の化物の姿を確認したが、何よりも、広場の真ん中にあるものから目を離すことができなかった。赤い水が溢れ出す岩の上で炎が燃え上がっている。その中に、人と思わしき姿があった。直感的に悟る。あれは、美耶子だ、と。

 

 恭也は、他のものには目もくれず、美耶子の元に走った。

 

 だが、化物が恭也の行く手を阻んだ。それまで暴れていたのが嘘のように静かに宙に留まり、恭也を見下ろす。それは、高さにすれば五メートルにも満たないが、まるで天空の彼方から見下ろされているような威圧感がある。

 

 

 

 恭也は――。

 

 

 

『神』と対峙した。

 

 

 

 

 

 


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