SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

56 / 78
第五十六話 須田恭也 大字粗戸/眞魚川岸辺 第二日/二〇時三十一分三十三秒

 稲光が空と地上の闇を斬り裂き、地の底まで届くかのような轟音が響き渡った。赤い雨は激しさを増し、雷と共に村に降りそそぐ。空が光る都度、一瞬だけ、闇夜に包まれた羽生蛇村が、その姿を現す。

 

 須田恭也は眞魚川の河川敷を下り、大字粗戸の商店街の前まで来ていた。昨日、求導女の八尾比沙子に出会い、幻視や屍人、赤い水について教わった場所だ。恭也は我が目を疑った。街の様子が、昨日とは全く異なっているのだ。

 

 それは、前に来た時もそうだった。恭也が初めてこの場所を訪れたのは怪異が起こる前の日で、その時は、まだ新しい建物が並ぶ近代的な商店街だった。それが、昨日訪れると、今にも崩れ落ちそうな木造の家屋が立ち並ぶ古い商店街と化していた。二十七年前の土砂災害で消滅した大字粗戸の商店街だ、と、八尾比沙子は言っていた。その時見た商店街は、平屋か二階建ての家屋だけだった。

 

 それなのに、今は、三階、四階、それ以上の高い階層がある建物もある。別の場所に迷い込んでしまったわけではない。大字粗戸の商店街の面影は残っている。河川敷から堤防を上がった正面にある食堂、その近くのタバコ屋や理髪店は、ちゃんとあるのだ。その、元からあった家屋の上に、柱を立て、木の板やトタンなどを打ち付け、無理矢理、二階三階部分を増築しているのだ。街が膨れ上がっている、そんな印象を抱いた。村のいたるところで、屍人たちはハンマーで釘を打っていたが、これが目的だったのだろうか。

 

 建物からは、まだ、ハンマーで釘を打つ音が聞こえる。屍人たちが、さらに増築しようとしているのだろう。街が、さらに膨れ上がろうとしている。それは、まるで生き物のようだった。街全体が、生きている。あらゆるものを飲み込み、肥大化している。そう思えた。

 

「……メガネが無いからよく見えないんだけど、高層タワー型レジデンスを建ててるってわけじゃないよね」

 

 恭也のそばに安野依子が立ち、感想を漏らした。「ぜったい耐震基準満たしてないでしょ。ものすごい違法建築だね」

 

 安野依子とは比良境の宮田医院から共に行動している。恭也と同じく、蛇ノ首谷で銃に撃たれ、死にそうになっていたところを、通りすがりの医者に助けられたらしい。眼鏡を無くしてしまったそうで、同行者がいないと行動できないのだそうだ。

 

 安野が恭也を見た。「どうするの、恭也君? 震度五クラスの地震が来たら、すぐに倒壊しちゃいそうだけど」

 

 恭也は空を見上げた。闇か黒雲か判らない漆黒が広がっている。

 

 しばらく空を見つめた後、恭也は肥大化した街に視線を移した。「……美耶子が……呼んでる気がする」

 

「はい?」

 

「この奥に、美耶子がいる」

 

 安野は、呆れたような目で恭也を見た。「……あんたも酔ってる?」

 

 恭也は応えず、黙って歩き始めた。

 

「……やれやれ、しょうがないわね。ま、あたしも先生が呼んでる気がするし、付き合ってあげますか」

 

 安野も後ろから続いた。

 

 商店街の大通りは北から南へと続いている。昨日、比沙子とここに来た時は、大通りに包丁を持った屍人がいたため、迂回して裏通りを進んだ。今は武器があるから、包丁屍人程度なら問題なく倒せるだろう。

 

 だが、大通りを進むことはできなかった。堤防を上がってすぐ手前に、昨日までは無かった大きな木製のバリケードが建てられ、行く手を阻んでいたのだ。恭也の背丈の三倍近くある。完全に封鎖され、進むことはできそうにない。昨日と同じく、裏通りを通るしかないだろう。

 

 しかし、それにも問題があった。裏通りへ入るための食堂脇の小道の前に、猟銃を持った屍人が立っているのだ。裏通りを進むには倒すしかないが、それは極めて難しいと言わざるを得なかった。相手は用心深く周囲を警戒している。恭也は拳銃を持っているが、うまく扱う自信は無いし、見通しのいい大通りでは猟銃の方が圧倒的に有利だろう。拳銃の射程に入る前に狙撃されてしまう。裏通りは諦めて、他の道を探すしかないのだろうか……。

 

「――恭也君」と、安野が声を掛け、そばの家屋を指さした。「あれを通って、向こう側に行けるんじゃない?」

 

 恭也は安野が指さした先を見た。堤防のすぐそばに二階建ての家があり、その、二階のベランダ部分から、屍人が増築したであろう渡り廊下のようなものが伸びていた。渡り廊下は大通りを越えて向こう正面にある食堂の増築された二階部分へと繋がっている。確かに、行けそうだった。

 

 幸い家に鍵はかけられていなかった。恭也と安野は中に入ると、階段を上がって二階へ向かい、ベランダに出て、渡り廊下を進んだ。そのまますんなり向こう側へ行けると思ったが、渡り廊下の途中に鉄格子製の扉があり、南京錠で閉ざされてあった。向こう側へ行くには扉を開けるしかないが、鍵がどこにあるのか、見当もつかない。

 

「あ、でも、この鍵、棒とかで叩けば壊せそうだね」南京錠を調べていた安野が言った。

 

 安野の言う通り、南京錠は錆びてボロボロで、火掻き棒で何度か叩けば壊れそうだった。だが、この渡り廊下の下に、あの猟銃屍人がいるのが問題だ。猟銃屍人は頭上を警戒していないが、南京錠を叩く音を聞いたら、すぐに反応するだろう。そうなると危険だ。しかし、他にいい方法も思いつかない。一か八か、やってみるしかないか……。

 

 稲光が走り、やや間をおいて、雷鳴が轟いた。

 

 ぽんっ、と、安野が手のひらを拳で打った。「この、雷の音に合わせて叩いたら、気付かれないかも」

 

 名案だった。さっそく試してみることにした。扉の前で火掻き棒を構え、雷が鳴るのを待つ。空が光った。しばらく間を置き、南京錠を叩く。タイミングバッチリで、雷鳴が轟き、叩く音を隠してくれた。猟銃屍人は気付かない。うまく行きそうだ。恭也は同じ要領で二回、三回、と、南京錠を叩く。やがて、南京錠は壊れた。だが、予想外のことが起こった。勢い良く叩きすぎたせいか、南京錠だけでなく、扉を止めている金具まで壊れてしまったのだ。金具から外れた扉は、派手な音をたてて倒れた。当然、タイミング良く雷が鳴る訳もなく、猟銃屍人が頭上を見上げた。見つかった。

 

「行こう」

 

 恭也と安野は走った。銃声が鳴る。幸い銃弾は渡り廊下の手すりを弾き飛ばしただけだった。二人は渡り廊下を走り、物陰に身を隠した。幻視で様子を探ると、二人の姿を見失った屍人は、しばらく渡り廊下を見上げていたが、やがて、元の場所に戻った。

 

 猟銃屍人に見つかりはしたが、なんとか切り抜けることができた恭也たち。渡り廊下は食堂の増築された二階部分の側面まで続いており、はしごで下に降りるようになっていた。ちょうど、商店街の裏通りへ続く道だ。ここを進めば、バス停の前まで行くことができる。

 

 だが、下に降りてみると、裏通りも新たに作られたバリケードによって塞がれ、進むことができないようになっていた。このまま大通りに戻るしかないが、猟銃屍人が待ち構えている上に、大通りもバリケードで塞がれている。どうすればいい? きのう比沙子と来た時の記憶を探る恭也。食堂には、裏口があったように思う。と、いうことは、表通りに出て正面入り口から食堂の中に入り、裏口から出ることができるだろう。問題は食堂の玄関前にいる猟銃屍人だが、警戒しているのは眞魚川のある方向だけなので、いま恭也がいる場所には背を向ける格好だ。背後から襲い掛かればなんとかなるかもしれない。恭也は火掻き棒を握りしめ、表通りへ向かった。猟銃屍人は背を向けている。静かに、足音を立てず、忍び寄る。屍人の背後に立った恭也は、火掻き棒を振り上げ、渾身の力を込め、屍人の頭に振り下ろした。がつん、と、確かな手応え。屍人は、一撃で倒れた。

 

 食堂の正面玄関に鍵はかけられていなかった。中には包丁を持った屍人が一体いたが、火掻き棒で容赦なく撃退する。厨房へ回ると裏口の扉があり、そこから外に出ることができた。さっきの裏通りを塞ぐバリケードの反対側に回った形になる。これで、奥へ進むことができる。この先には畑があり、その先に火のみ櫓、そして、バス停があったはずだ。

 

 だが、裏通りを少し進むと、火のみ櫓があった手前辺りにもうひとつバリケードが建てられてあり、道を塞いでいた。幸い周囲を探ると、畑の脇の道を通ることで、表通りに戻ることができた。位置的に、食堂前のバリケードの反対側だ。

 

「これは……まるで巨大迷路だね」安野がため息とともに言う。

 

 その通りだな、と、恭也も思った。この、粗戸方面一帯が、巨大な迷路構造と化し、侵入者を拒んでいるように思えた。

 

 恭也は、さらに奥へと進んで行く。火のみ櫓の近くまでやって来た。昨日はこの上に猟銃屍人がいて、危うく狙撃されるところだった。幻視で様子を探ると、同じく猟銃屍人がいた。櫓の上から周囲を警戒している。火のみ櫓は商店街一帯が見渡せるように建っているはずだ。しかし、屍人たちが建物を大きく増築したことが仇となり、かなり見通しが悪くなっていた。死角になりそうな場所がたくさんある。うまく身を隠しながら進めば、見つからずに行けるだろう。恭也と安野は幻視で猟銃屍人の様子を探りつつ、見つからないように進んだ。

 

 バス停の前までやって来た二人。その南へ続く大通りは、昨日来た時もすでにバリケードが建てられていた。バリケードはさらに増築され、昨日の二倍ほどの高さになっている。しかし、増築するために組み上げた足場が残っており、それを上れば向こう側へ行けそうだった。

 

 だが、恭也は足場には上らず、空を見上げた。相変わらず、強い雨と雷が降り注いでいる。

 

 安野が、恭也の視線の先を追う。「……病院の先生もそうだったけど、さっきから何見てんの?」

 

 恭也は応えず、しばらく空を見た後、視線を地面に落とした。少し離れたところにマンホールがあり、フタが外されている。

 

 安野もマンホールを見て、そして、ポンッと手を叩いた。「そっか。ゾンビモノで下水道を通るのはお約束だわね。まあ、大体下水道の中もゾンビで溢れてるけど、あれって、どういうことだと思う? なんでゾンビはわざわざ下水道の中に入るんだろ? それも、一体や二体じゃなく、大量によ? ゾンビって、下水道が好きなのかな?」

 

 恭也はマンホールの梯子を下りて行った。安野も後に続く。マンホールの下は、北から南へ汚水が流れていた。屍人の姿は無い。

 

「最初から、ここを通ればよかったね、臭いけど」鼻をつまむ安野。

 

 恭也と安野は南へ向かって進んだ。しばらくすると、鉄格子製の扉が見えてきた。鍵がかけられてあり、開かない。扉自体は錆びてボロボロだが、鉄柵を持ち、揺すってみても、ビクともしなかった。今回は火掻き棒で殴ったくらいでは壊れそうにない。どうにかして通れるようにできないだろうか……?

 

 安野は、あごに手を当てて考えていた。「うーん、キャロル・リード的なヤツで壊せるかも」

 

 よく判らない言葉と共に、安野はポーチから手ぬぐいを取り出した。それを、鉄柵の二本に巻き、輪っかを作って結ぶ。

 

 安野は恭也に手を伸ばした。「その棒、ちょっと貸してくれる?」

 

 恭也は火掻き棒を渡す。安野は、鉄柵を結んだ手ぬぐいの輪の中に火掻き棒を入れ、両端を持って手前に引くと、ぐるっと、大きく回し始めた。なるほど、と、感心する恭也。火掻き棒を回すたびに、手ぬぐいが引き絞られていく。やがて、がきん、という音と共に、片方の柵が外れた。

 

「よし、うまく行った」柵が一本外れ、できたスペースを満足気に見つめる安野。「でも、まだ小さいね。子供ならともかく、あたしたちが通り抜けるには、もう一、二本、壊さないといけないかも」

 

「いや、これで大丈夫」

 

 恭也は安野から火掻き棒を受け取ると、来た道を戻り始めた。

 

「え? ちょっと。せっかく壊したのに、向こうに行くんじゃないの?」

 

「うん。なんでそんなことをしようと思ったのか、俺にもよく判らないんだけど、そうしておけば、後で誰かが助かるような気がするんだ」

 

 安野は、あからさまに呆れた顔になった。「……あんた、ホントに病院の先生と同じようなこと言うのね」

 

 病院の先生。少し前に恭也と安野を助けた人だ。恭也は事情があって寝たフリをし、直接話をしていないが、ひょっとしたら今の自分と同じように、誰かの声を聞いていたのかもしれない。

 

 マンホールの梯子を上り、恭也はまた商店街の大通りへ戻ってきた。そして、バリケードの前の足場を上る。一番上まで上ると、さらに奥へと進めるようになっていた。そこも、屍人の手によって増築されている。奥の方まで行けば、もはや陽の光さえ届かないようになっているように思えた。

 

 恭也は確信している。この奥に、美耶子がいる。

 

 同時に、多くの屍人たちが待ち構えているだろう。

 

「なんか、スズメバチの駆除員になった気分だね」

 

 恭也の後を追って足場を上がって来た安野が、つぶやくように言った。

 

「え?」

 

「ほら。ハチの巣って、働きバチがどんどん巣を大きくしていって、それで、巣に近づく者を容赦なく攻撃するじゃない? なんか、似てるなって思って」

 

 安野にしてみれば何気なく行ったことかもしれないが、それは、妙にリアリティのある例えだった。

 

 屍人も、街を大きくし、そして、近づく者に容赦なく攻撃する――同じだ。

 

 そう。これは巣なのだ。屍人たちが造った、屍人の巣。

 

 屍人たちは、こんなものを作って、一体何をしようというのか。

 

 スズメバチは、巣の奥にいる女王を護るために、巣を造り、侵入者と戦う。

 

 ならば、屍人たちも……?

 

 いや。

 

 ヤツらが何をしようと関係ない。

 

 自分は、美耶子を救い、この村から逃げ出すだけだ。

 

 恭也は強く決意し、安野と共に巣の奥へと進んだ。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。