SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十三話 宮田司郎 宮田医院/第一病棟診察室 第二日/十六時〇三分〇七秒

 安野依子が目を覚ますと、簡素なベッドの上だった。どこだろう? 身体を起こし、周囲を見回すが、ぼんやりとしてよく見えない。いつも掛けている眼鏡が無いようだ。ベッドの周りを探る。右腕に引っ張られるような感覚があった。見ると、右腕にはチューブの付いた針が刺さり、テープで固定されていた。そして、そのチューブはベッドのそばのスタンドに吊り下げられたビニールのパックに繋がれている。パックの中には赤い液体が入っており、チューブと針を通して安野の体内に流入している。どうやら、輸血されているようだ。と、いうことは、ここは病院なのだろうか?

 

「――新しい目覚めはどんな感じだ?」

 

 不意に声を掛けられた。目を細め、声のした方を見る。眼鏡が無いのでよく見えないが、部屋の入口と思われる場所に、白衣を着た男の人が立っていた。

 

「えーっと。お医者さんでしょうか?」安野は訊いてみた。

 

「ああ、そうだ」

 

「と、いうことは――」安野はあごに人差し指を当てて考える。「ここは病院で、村にある病院はひとつだから、比良境の宮田医院ですね?」

 

「そうだ。見事な推理だな」

 

「ありがとうございます。そっか。あたし、銃で撃たれて、橋の下に転落したんでした」

 

 安野は撃たれた左胸のあたりを触ってみた。服に穴は開いているが、傷は塞がっている。

 

「あら。結構ヒドイ傷だったから、さすがにダメかと思ったんですけど、結局治ったんですね」安野は、腕に繋がれているチューブを見た。「この、輸血の効果でしょうか?」

 

「そうだ。君のそばに倒れていた少年の血だ」

 

「少年? そう言えば、意識を失う前、男の子がやって来た気がします」

 

「非常に珍しい血だったので、輸血しておいた」

 

「非常に珍しい血……RH+-ヌルα型とかでしょうか?」

 

「いや、Rh null型は世界で四十人以上確認されているが、彼の血は、彼以外には二人しかいないだろうな」

 

 実にマジメな答えが返って来てしまった。そこは「パタリロか!」とツッコんでほしかったのだが。まあ、このテのボケで望み通りのツッコミが返って来ることは皆無なので、安野も最初から期待はしてないのだが。

 

 医者は、白衣のポケットに手を入れ、壁にもたれかかった。「なんでこんなことをしようと思ったのか、私にも判らないんだ」

 

「はい」

 

「まあ、たまには流れに逆らってみるのも悪くない。なんだか、生まれ変わったような気分になる。実にすがすがしい」

 

 医者は、何かを見上げるように、視線を上に向けた。

 

 安野も上を見てみる。ぼんやりしてよく見えないが、古びた天井があるだけだ。

 

 安野は視線を医者に戻した。「えーっと、酔ってますか?」

 

「いや、酒は飲んでないが?」

 

「そうでなくて、自分に」

 

「…………」

 

「…………」

 

 隣のベッドで唸り声がした。カーテンで遮られているが、誰かいるようである。

 

 医者はポケットから手を出し、腕を組んだ。「君の救世主が目覚めたようだな」

 

「救世主……あの男の子ですね」安野は部屋の中を見回した。自分と、医者と、隣の少年、三人の気配しかない。「もう一人、あたしの連れがいたんですけど、知りませんか? あたしの大学の講師で、三十代前半の男性で、大学ではヅラ疑惑があるほどのふっさふさの髪で、実はキモいアイドルオタクなんですけど」

 

「森の中へ走って行くのを見かけたが、今どこにいるのかは判らないな。すまないが、君たちを助けることを優先した」

 

「そうですか。まあ、正しい判断だと思います。あと、もうひとつ、あたしのメガネ、知りませんか?」

 

「ああ、すまない。ここに来るまでに、ひと悶着あってね」

 

「ひと悶着?」

 

「私に付きまとっている屍人がいるんだよ。戦っている最中に、君のメガネを盗られてしまった。まあ、倒しはしたんだが、眼鏡を奪い返すことはできなかった」

 

「屍人さんは、死ぬと硬直しますからね。仕方ないです」

 

「そう言ってもらえると、助かる」

 

「しかし、困りましたね。うちの先生はともかく、メガネが無いと不便です。村にメガネ屋さんはありますか?」

 

「上粗戸の商店街には無いが、今は上粗戸ではなく大字粗戸だから、私も詳しくは判らない。ひょっとしたらあるかもしれん」

 

「判りました。行ってみます」

 

 医者は、また、何かを見上げるように、視線を上に向けた。

 

 安野もまた上を見てみる。やはり、古びた天井があるだけだ。

 

 視線を医者に戻す安野。「さっきから、何を見てるんですか?」

 

「いや? 別に、何も」医者は視線を落とした。「ただ、あれをやれ、これをやれと、うるさく言うヤツがいるんだよ」

 

「はあ」

 

「本来は、私じゃなく別の者がやるべきことなんだがね」

 

「そうですか。判りました」全然判らなかったが、とりあえずそう言っておいた。

 

 医者は、壁にもたれかかるのをやめた。「さて。私は大事な用事があるので、そろそろ行くとするよ」

 

「そうですか。いろいろと、ありがとうございました」安野は、ぺこりと頭を下げた。

 

 部屋から出て行こうとした医者だったが、ふと足を止め、振り返った。「そうだ。ひとつ、訊きたいことがあったのだ」

 

「はい、何でしょう?」頭を傾ける安野。

 

「戻り橋のそばに停めてあった私の車が燃やされていたのだが、何か知らないかね?」

 

「車? さあ、知りませんけど」

 

「君の連れの先生とやらは、屍人と戦うとき、吊り橋に火を点けたようだが?」

 

「え? そうなんですか? まあ、あの先生ならやりかねませんね」

 

「そうか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「車を燃やしたのも、先生だと思ってますか?」

 

「いや、そう断定するには証拠が不十分だな」

 

「そうですか。それは良かった」

 

「ただ、状況から考えて、君の先生が犯人の可能性は高いと思っている」

 

「あらら」

 

「君はどう思う? 犯人は、先生だと思うかね?」

 

「状況から考えて、その可能性は高いと思います」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……怒ってますか?」

 

「いや、怒ってはいない。この状況だ。車を燃やすにも、何らかの事情があったのだろう」

 

「そう言ってもらえると、助かります」

 

「だが、どういう事情があれ、私の車を燃やしたからには、しかるべき報いを、いや、相応の誠意を見せてもらわないとな」

 

「そうですか。困りましたね」安野は腕を組んで考える。「じゃあ、こうしましょう。先生が村まで乗って来た車があります。停めている場所を教えますので、遠慮なく燃やしてください」

 

 医者は、安野の言葉を吟味するようにあごに手を当てた。「……ふむ。悪くない取引だが、君の先生とやらは、カーマニアかね?」

 

「はい? いえ、違うと思います。あたしは車のことはよく判りませんけど、先生の車は、ごく普通のものではないかと」

 

「それでは話にならんな。大学講師風情が乗っている普通の車と、私の車では、到底釣り合わん」

 

「それは、そちらの車はかなりお高いということでしょうか?」

 

「いや、大したものではない」

 

「そうですか。それは良かった」

 

「ただ、普通の車より少しだけ高いのは確かだ。一般的な大学講師の年収の、ほんの二・三倍くらいだろう」

 

「そうですか。確かにそれは、少しだけ高いですね」安野は、再び腕を組んで考える。「では、こうしましょう。先生の住んでるマンションの住所を教えます。たぶん、アイドルグッズが山ほどありますので、好きなだけ燃やしてください」

 

「それは、どれくらいの価値があるものだ?」

 

「あたしには何の価値も無いものですが、先生にとっては、命よりも大事な物のはずです」

 

「そうか。まあ、そのくらいで手を打っておくか」

 

「ありがとうございます。ですが、それはあくまでも、先生が犯人だという確実な証拠が見つかってからです。今の段階ではまだ先生が犯人だとは言えませんので、住所を教えることはできません」

 

「ふむ。道理だな。判った。では、君は先生を探して、車を燃やしたかどうかを問いただしてくれ。私も、時間があれば、他に容疑者がいないか調べてみる」

 

「判りました」

 

「では、何か判ったらすぐに知らせてくれ」

 

 医者は、部屋を出て行った。

 

 隣のベッドは静かだった。少年が目を覚ましたと思ったのだが、また、眠ったのだろうか?

 

 

 

 

 


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