SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十一話 八尾比沙子 蛇ノ首谷/吊り橋 第二日/十時〇七分二十三秒

「恭也あぁ――!!」

 

 吊り橋から身をのり出し、少年の名を叫ぶ美耶子の姿見て、神代淳は満足げに微笑んだ。吊り橋の下は、川の流れさえ見えない。この高さから落ちれば、いかに赤い水の影響で治癒能力が上がっていようとも、もう助からないだろう。

 

「さあ、美耶子。来るんだ。儀式を続けるぞ」

 

 淳は、美耶子の腕を取る。

 

「放せ! 恭也を助けるんだ!」

 

 淳の手を振りほどこうと身をよじる美耶子。所詮は十四歳の少女だから大した力ではないが、暴れられるのは面倒だ。

 

「大人しくしろ!」

 

 暴れる美耶子を、淳は、なんとかおさえようとする。しかし、殴ったり、力ずくで抑えつけたりはできない。ヘタに傷つけると、神の花嫁としての価値を失う可能性がある――神代家の当主より、そう聞いていた。暴れる美耶子に手を焼いていると。

 

「――どうして、逃げようとするの?」

 

 いつの間にか、二人のそばに、求導女の八尾比沙子が立っていた。

 

「……八尾さん……いつからそこに……?」

 

 困惑する淳。美耶子に気を取られていたとはいえ、吊り橋を渡って近づいてくる者に気が付かないものだろうか?

 

 比沙子は淳の問いには応えず、ただ笑っている。慈愛に満ちた求導女の笑顔――ではなかった。笑ってはいるが、そこには、優しさなど欠片も無かった。何かを企んでいるような、あるいは、蔑むような、冷たい、氷のような笑顔。

 

 比沙子は、美耶子に手を差し出した。「さあ、行きましょう。素晴らしい方が、待っているわ」

 

 美耶子は、見えないはずの目で比沙子を睨みつける。「お前……どうして……自由にしてくれるんじゃなかったのか……?」

 

「ごめんなさいね。あれ、あたしじゃないのよ」比沙子は冷たい笑顔のまま言った。

 

 そして、美耶子の腕を取る。

 

「放せ! お前らの言いなりにはならない!!」暴れる美耶子。

 

「……聞き分けのない娘ね」

 

 比沙子は、右手を美耶子の顔の前にかざした。

 

 すると、暴れていた美耶子が、急におとなしくなった。まるで糸の切れた操り人形のように、全身から力が抜ける。倒れそうになるのを、淳は慌てて支えた。美耶子は意識を失っていた。

 

「八尾さん……今、何を……?」比沙子を見る淳。

 

 比沙子は含みのある笑みを浮かべた。「うるさいから、ちょっと眠らせただけよ」

 

 眠らせた……それは間違いないだろう。しかし比沙子は、当て身や薬を打つといった意識を失わせる行為をしていない。ただ手をかざしただけで、美耶子は意識を失ったのだ。

 

 比沙子はあごを上げた。「さあ、儀式を再開するわよ。早く祭壇まで運んでちょうだい」

 

 命令するようなその態度が、淳の癇に障った。俺は、神代家の長女・亜矢子の許婚である。つまりは神代家の次期当主なのだ。今回の儀式では、病床にある現当主に代わって全てを任されている。この村では神代こそ絶対であり、教会は、神代の命に従って儀式を遂行するだけだ。恐らく比沙子は、神代の遠縁にあたる俺のことを見くびっているのだろう。ここは、お互いの立場をはっきりさせておく必要がある。ここで見くびられたままにしておくと、今後の神代と教会の力関係にも影響しかねない。

 

「八尾さん。勘違いしないでほしいのだが、儀式を取り仕切っているのは神代家だ。教会は、神代の指示に従って儀式を遂行するだけ。私は、病弱な当主に代わって儀式の全てを任されている。命令するのはあなたではなく、私の方――」

 

 比沙子の右手が、淳の口を覆うように掴んだ。

 

「ごちゃごちゃとうるさいわね。二度と喋れないようにしてあげましょうか?」

 

 比沙子の顔から冷たい笑みが消え、鋭い殺意が浮かんだ。顔を掴んだ手に力が込められる。あごの骨が軋む。小柄な女のものとは思えない力だった。力だけではない。右手からは、焼け付くような強い熱が伝わってくる。まるで、炎にさらされているかのようだ。

 

「あなたこそ勘違いしないでほしいわね」比沙子の手に、さらに力が込められていく。「儀式に必要なのは神代の娘という『実』のみ。あなたは、ただ種をまくだけ存在。当主などお飾りに過ぎないの。あなたの代わりなんて、いくらでもいるのよ?」

 

 淳は喋ることができない。手を振りほどこうと暴れることもできない。ただ、脅えた目を向けるだけだ。

 

 その姿に満足したのか、比沙子の顔から殺意が消え、また、冷たい笑顔が戻った。

 

 同時に、右手の力が緩む。比沙子の手から解放された淳は、腰の力が抜け、へたり込むようにその場に倒れた。

 

 比沙子が、蔑んだ目を向けた。「判ったなら、花嫁を運んでちょうだい」

 

 そう言って、淳に背を向ける。

 

 淳の手には猟銃がある。神代家の宝刀・焔薙もある。背を向けた求導女一人、たやすく殺せるはずだ。

 

 だが、淳はふらりと立ち上がると、意識を失っている美耶子を抱き、比沙子の後に続いた。そうするしか、なかった。

 

 

 

 

 


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