SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第四十八話 安野依子 蛇ノ首谷/眞魚川岸辺 第二日/十一時十二分〇八秒

「……先生の所に……行かなきゃ……」

 

 安野依子はもうろうとする意識の中、橋の上へと戻る階段へ向かっていた。銃で撃たれた胸の傷からは、まだ血が溢れ出している。止血に使っていた生理用のナプキンも、すでに使い果たしてしまった。傷が塞がる様子は無い。一歩足を踏み出すたびに、心臓が大きく鼓動し、血が溢れ出し、そして、意識が遠のく。

 

 それでも。

 

「……先生の所に……行かなきゃ……先生の……所に……」

 

 呪文のように繰り返し、まるでその言葉を気力に変えるかのように、安野は、一歩、また一歩、と、足を踏み出す。

 

 竹内が猟銃屍人との戦いに向かってから四十分以上経つ。途中、銃声が六回聞こえた。竹内が撃ったのか屍人が撃ったのか音だけでは判断がつかないが、どちらにしても、竹内が苦戦しているのは容易に想像できた。やはり、先生はあたしがいないとダメだ。先生を助けなきゃ――想いに反し、身体はどんどんいうことを聞かなくなる。踏み出した足ががくんと折れ、地面に倒れた。起き上がろうとしても、手にも、足にも、力が入らない。息をするのがやっとだ。さすがに、限界かもしれない。

 

 川辺の小石を踏む音が聞こえた。

 

 誰か来る……そう思った。わずかに動く首を傾け、音がする方を見る安野。

 

 まだ顔に幼さの残る少年が、おぼつかない足取りで歩いていた。恐らく高校生くらいだろう。上着のお腹の部分が血で染まっている。安野と同じく銃で撃たれたのだろうか? 普通ならば、到底動けるような状態ではなさそうだが。

 

「……美耶子の所に……行かなきゃ……美耶子の所に……」

 

 少年も、安野と同じように、何度も同じ言葉を繰り返し、一歩、また一歩と、足を踏み出していた。わずかな力を振り絞り、気力で意識を繋ぎ留め、なんとかここまで歩いてきたようだ。

 

 少年が安野のそばまで来た。安野には気付かなかったのか、あるいは気付いても何もできなかったのか、そのまま通り過ぎる。

 

 だが、ついに力尽きたのだろう。バタリと倒れる音が聞こえた。

 

 安野の息遣いと、少年の息遣いが、次第に小さくなっていく。

 

 そこに、もうひとつの気配がした。

 

 足音が近づいてくる。しっかりとした足取りだ。先生かもしれない。安野は気配のした方を振り向こうとしたが、もう、首を動かす力さえ残っていなかった。

 

「――先生?」

 

 最期の力で呼びかけたが、返事は無い。

 

 ただ、そばに立った時、医者のような白衣を着ていたのだけは、判った。

 

 少年の息遣いは、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 

 安野は、意識を失った。

 

 

 

 

 


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