SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第四十七話 竹内多聞 蛇ノ首谷/戻り橋 第二日/十時二十九分五十六秒

 合石岳・蛇ノ首谷の南に、田堀地区と比良境地区を繋ぐ県道がある。その途中、眞魚川を渡るコンクリート製の大きな橋は『戻り橋』と呼ばれていた。昔、旅の僧が、この川の橋の上で村人の葬列に出会い、祈りを捧げたところ、棺の蓋が開き、死者がよみがえった、という伝説が由来とされている。

 

 竹内多聞は戻り橋の欄干を眺め、懐かしい傷跡がまだ残っていることに驚き、そして、頬を緩めた。古びた石造りの欄干には、『たけうち たもん 7さい』と彫ってあった。

 

 安野依子がひょいっと顔を出し、欄干の落書きを見る。「先生、なんですか? それ?」。

 

「子供の頃、私が付けたものだ」

 

「え? それって、どういうことですか?」

 

「ここは、私が生まれた村なんだ。二十七年前の土砂災害で両親を失うまで、この村で育った」

 

「あら、そうだったんですか。まあ、なんとなく、そうだろうな、とは思ってたんですけどね。随分村について詳しいみたいでしたし」

 

「それにしても、懐かしいな……」

 

 竹内は、遠い記憶を探るように、欄干の傷痕をなでた。二十七年も前に付けたものだが、不思議なほどはっきりと読み取ることができた。

 

 竹内は、依子の顔を見た。「しかし、とんだ里帰りに、君を付き合わせてしまったな」

 

「まあ、あたしが勝手についてきただけですし」

 

「こんなことになって、すまないと思っているよ」竹内は、自分でも不思議なほどに、優しく微笑んで言うことができた。

 

 それが意外だったのか、安野は戸惑った表情になる。「どうしたんですか? 先生。そんな、急に優しくなって」

 

「なぜだろうな……今、とても心が穏やかなんだ」

 

 戸惑っていた安野の顔が、急に、汚いものを見る目になった。「……ひょっとして、さっき公衆電話の所で、なぽりんの限定テレカを拾ったからですか?」

 

「ぎく。な……なぜそれを知っている……さては貴様、幻視で覗き見していたな?」

 

「見てましたよ。先生はすっかり忘れてるようですけど、十五分に一回、お互いを視界ジャックする約束ですからね。まったく……あんな使い古しのテレカなんか拾って、どうするんですか?」

 

「バカモノ! あのテレカはな、十年以上前、『BANG』という雑誌の懸賞で、抽選で二名にプレゼントされた物だ。この世に二枚しかない超限定品なのだぞ!? 当時、ファンの間では何十万の値段がついた物なのだぞ! それがまさか、こんな寂れた田舎村に落ちていようとは! 私はツイている。村でなぽりんと感動の再開をするだけでなく、こんなお宝を手に入れることができるとは!!」

 

「でも、使用済みなんでしょ? テレカなんて、未使用か使用済みかで、ずいぶん価値が変わるんじゃないですか? まして、なぽりんが人気アイドルだったのはもう何十年も前のことなんでしょ? 今じゃ、何百円の価値も無いですよ、きっと」

 

「ふん、貴様は何も判っていないな。古かろうが使い切っていようが、そんなことは関係ないのだ。なぽりんのテレカが放置されている。ファンとして、どうしてそれを見過ごすことができようか」

 

「……また語り始めちゃったよ、この人」

 

 安野は、大げさにため息をついた。

 

 竹内はポケットから拾ったテレカを取り出し、愛おしそうに眺めた。「しかし、無知とは恐ろしいものだ。こんな貴重なテレカを使用し、あろうことか使い切って捨てて行くなど、ありえん。人として許されることではない。私など、このテレカを当てるために、雑誌を何十冊も購入して応募したというのに……」

 

「え? 同じ雑誌を何十冊も買ったんですか? テレカを当てるために? 先生、バカですか?」

 

「なんとでも言え。なぽりんのテレカを当てるためには、必要な投資だったのだ。当時は、私だけでなく、ファンのみんな、全員が買いまくったものだ。その結果、その号のBANGは過去最高の売り上げを叩き出した。この記録は、十年経った今でも破られていない……」

 

 竹内は言葉を切り、あごに手を当てて考え始めた。

 

 安野が顔を覗き込む。「どうしたんですか? 先生。急に考え事を始めて」

 

「最近、音楽CDの売り上げが劇的に落ちているだろう?」

 

「はい? 何ですか、急に。まあ、確かに、十年くらい前はシングルCDが二百万枚三百万枚売れたりしましたけど、最近は、百万枚超えるのも、あんまりないですね」

 

「そこでだ。アイドルのCDに、握手会に参加できるチケットを付けて売り出してみたらどうだ?」

 

「……そんなもの付けて、どうするんですか?」

 

「チケット一枚に付き握手時間を三秒とか十秒とかに決めておくんだ。ファンは少しでも長く握手をしたいと思うから、それだけたくさんCDを買う。あっという間にミリオン達成だ」

 

「……そんな、同じCDを何枚も買う人なんて、先生くらいのものですよ。うまく行きっこありません」

 

「そうか? いいアイデアだと思うのだが」

 

「さあ、アホなこと言ってないで、早く調査しましょう。まずは、どこから調べ――」

 

 銃声が鳴り響き。

 

 左胸に銃弾を受けた安野が、大きくよろめいた。

 

「安野――!?」

 

 体勢を崩した安野の身体は、欄干を越え、谷底へと落ちていく。竹内が手を伸ばす暇もなかった。

 

 拳銃を取り出す竹内。銃声が聞こえた方を見た。橋の東側。電話ボックスの近くに、猟銃を構えた屍人の姿が確認できた。銃口を竹内に向けている。竹内も拳銃を向けるが、かなり距離があり、撃ち合っても勝てる見込みは薄い。撃たれる――そう覚悟したのだが。

 

 屍人は、なぜか銃口を下げ、電話ボックスの陰に隠れた。

 

 弾が切れたのか? そう思い、幻視で屍人の様子を探るが、弾を込め直している様子は無い。銃の中に弾も残っているようだ。

 

 なぜ撃って来ないのか判らなかったが、今は、川に転落した安野を助けるのが先決だろう。傷口から体内に赤い水が入れば、安野は屍人と化してしまう。竹内は橋の西側へ走った。屍人は撃ってこない。竹内は橋のそばの階段を駆け下りた。赤く染まった川の岸辺に、安野が倒れていた。竹内は安野を引き上げると、橋の下まで運び、橋脚にもたれかけさせた。

 

「……あれ……先生……あたし……撃たれたの……?」

 

 安野がうつろな目を向けた。胸の傷からはとめどなく血が溢れ出ている。急所は外れたようだが、血管が損傷しているのだろう。まずは止血をしなければいけない。だが、ハンカチなどでは間に合いそうにない。

 

「安野」

 

「はい」

 

「生理用のナプキンを持っているか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……先生。こんな時に、変態的冗談を言うのはやめてください。いくらあたしでも、ツッコむ気力がありません」

 

「冗談ではない。止血の応急処置として生理用品は非常に役に立つ。戦場で兵士が銃創にタンポンを詰めるのは有名な話だ。現在では軍用医療機器として正式に開発・採用されていて――」

 

「判りました判りました。こんな時に先生のムダに長い解説は勘弁してください。ポーチの中に入ってますから」

 

 竹内は安野のポーチを開け、中からナプキンを取り出し、傷口に強く押し当てた。期待通り、ナプキンは血をどんどん吸収していく。

 

 だが、それで大丈夫とは言えない。赤い水の影響で傷が治るのが早いとはいえ、その前に出血多量で死んでしまっては意味がない。傷が治るのが早いか、出血が致死量に達するのが早いかは判らない。赤い水を体内に取り入れれば傷の治りは早くなるが、同時に、屍人と化すのも早くなる。すでに丸一日以上赤い雨に打たれ続けている。これ以上赤い水を体内に取り込むのは危険だ。ならば、極めてありきたりな方法だが、医者に診せるのが一番だろう。この村にある病院は東にある比良境の宮田医院だけだ。そこまで運ぶしかない。そのためには、さっきの屍人を排除しなければ。

 

「……安野」

 

「はい」

 

「私はこれから、お前を撃った屍人を倒しに行く」

 

「はい」

 

「屍人を倒したら、お前を病院に運ぶ。すぐに戻るから、ここでじっとしていろ。いいな?」

 

「判りました」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……安野、一応言っておくが――」

 

「心配しなくても今度こそ本当にじっとしてます。と言うか、さすがに動けません」

 

「ならいい」

 

「先生の方こそ、あたしがいなくて大丈夫ですか? 相手は猟銃、先生は拳銃で、腕前もヘタクソだし、まともに戦ったって、勝ち目はありませんよ?」

 

「それこそ心配無用だ」

 

「ならいいですけど」

 

「では行ってくる。くれぐれも、動くんじゃないぞ?」

 

 竹内が安野にポーチを返そうとしたとき、中から古びた写真が落ちた。竹内は写真を拾い、ポーチに戻そうとしたが。

 

「これは……」

 

 二組の家族が写った古い写真だった。かなり色あせているが、そこに写っている人の顔だけは、はっきりとしている。

 

 その写真が、竹内の古い記憶が重なった。

 

 そこには、幼い自分が写っていた。そばには、二十七年前の土砂災害で亡くなった両親が、優しい笑顔を向けている。そして、その隣にいる家族は、かつて竹内家と家族ぐるみで付き合いのあった、志村という家の人たちだ。父の親友の志村晃と、その妻、そして、息子の晃一と、晃の従兄弟の貴文だ。

 

 竹内は安野を見た。「安野、この写真、どこで手に入れた?」

 

「えっと……下粗戸の廃村です。先生と最初に調査した、井戸のある所……」

 

 下粗戸……二十七年まえの大字波羅宿だ。二十七年前竹内が住んでいた大字粗戸のすぐ北で、志村の家族が住んでいた地域だ。

 

 安野は、かすれるような声で続ける。「そこに写ってるのって、ひょっとして先生ですか?」

 

「ああ。二十七年前の私だ」

 

「やっぱり……なんか、似てると思ったんですよ。子供の頃の先生、カワイイかったんですね。お父さんなんて、今の先生そっくりです」

 

「そうか?」

 

「――先生」

 

「なんだ」

 

「あたし、先生が住んでいた所に行ってみたいです。この調査が終わったら、連れて行ってください」

 

「……判った」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……先生」

 

「……なんだ」

 

「やっぱりやめておきます。今のは、死亡フラグでした」

 

「そうだな」

 

 竹内は写真をポーチに戻し、安野に返した。「では行ってくる。くれぐれも、動くんじゃないぞ?」

 

「判ってますよ、しつこいですね。早く行ってください」

 

 ひらひらと手を振る安野。やはりイマイチ信用できないが、仕方がない。竹内は安野を残し、階段を上がって県道へ戻った。

 

 安野を撃った屍人は、電話ボックスのそばから移動し、森の中に入ったようだ。今なら安野を病院へ運べるかもしれない。一瞬そう思ったが、それは危険だと考え直す。背後から撃たれる可能性もあるし、ヤツの他にも屍人はいるだろう。

 

 そう言えば……。

 

 さきほど銃を構えた時のことを思い出す竹内。あの時、猟銃屍人は竹内を攻撃せずに逃げた。もしかしたら、ヤツは頭脳屍人なのかもしれない。ならば、ヤツを倒せば周辺の多くの屍人が活動を停止するはずである。安野を病院へ運ぶにはそれが最も安全な方法だろう。ならば、最優先で倒すべきだが、頭脳屍人は逃げ足が速い。逃げる者を確実に撃つ技量は、今の自分には無い。

 

 ――なら、あらかじめ逃げられることを想定し、逃げ道を塞いでおくか。

 

 さらに考える。この戻り橋から北に少し行けば、吊り橋があったはずだ。そこを何らかの方法で渡れないようにしておき、追い込むことができれば、倒せるかもしれない。

 

 竹内は県道を逸れ、川沿いの砂利道を北へ向かう。しばらく走ると木製の古い建物があった。東の三隅鉱山から運ばれてきた錫を選鉱するための場所だ。その正面に、竹内の記憶通り、吊り橋があった。かなり古いものだが、元は鉱石を積んだトロッコを運搬するために作られた物で、かなり頑丈にできている。どうやって通行できないようにしたものか……竹内は考えながら周囲を見回した。と、選鉱所の玄関のそばに、赤いマジックペンのような細長い棒が落ちていた。拾ってみると、それは、車などで緊急時に危険を知らせるための発煙筒だった。最近誰かが落としていったものようで、まだ新しく、使用できそうだった。うまく使えば、これで吊り橋を燃やせるかもしれない。だが、そのためには何か燃える物が必要だ。選鉱所にガソリンか灯油でもないだろうか? 中に入ってみる。中の明かりは点いており、どこからか車のエンジン音のような低い音が聞こえて来る。発電機があるのかもしれない。音を頼りに裏口の方へ回ってみると、思った通り、大きな発電機があった。そのそばにはガソリンの入った金属缶も置いてある。竹内は缶を持って外に出ると、吊り橋にガソリンを撒いた。そして、発煙筒のキャップを外す。花火のような火花と、赤い煙が勢いよく噴き出した。それを吊り橋に向かって投げる。発煙筒の火花がガソリンに引火し、爆発するように炎が一気に燃え広がった。これで吊り橋を渡ることはできないだろう。

 

 竹内は砂利道を下ると、戻り橋を渡った。電話ボックスの先に、自動車が一台停められてあるのを見つける。事故でも起こして炎上したのだろうか、車は黒く焼け焦げていた。

 

 車のそばには山を登る砂利道がある。そこを登ると、さっき燃やした吊り橋の対岸だ。幻視で様子を探る。道の途中には小さな祠があり、猟銃屍人はその前にいた。用心深く周囲を警戒している。逃げ道は塞いだが、逃がさないように倒せるのならばそれに越したことはない。竹内は銃を構え、慎重に進んだ。しばらくして、猟銃屍人の姿が見えてくる。竹内は木の陰に身を隠し、幻視でタイミングを計る。そして、背を向けた瞬間に飛び出し、立て続けに二度、引き金を引いた。だが、距離がありすぎた。弾は屍人の足元と、そばの木の幹をかすめた。外した。銃声に気付いた屍人が振り返り、猟銃を構えた。

 

 しかし、やはり屍人は銃を撃たず、竹内に背を向け、逃げ出した。

 

 竹内は慌てず後を追う。作戦通り、屍人は炎上する吊り橋を前にして立ち尽くしていた。今度こそ外さない。竹内は慎重に狙いを定めると、残りの銃弾四発を全て撃った。運よく、そのすべてが命中する。猟銃屍人は、ゆっくりと倒れた。

 

 ふう、と、大きく息を吐き出し、倒れた屍人を見る竹内。これで、周辺の犬屍人や羽根屍人の動きも止まるだろう。安野を安全に病院まで運ぶことができる。竹内は安野の元へ戻ろうとした。

 

「……たけ……うち……か……」

 

 屍人に名を呼ばれ、驚いて振り向く。

 

 屍人は頭を上げ、血の涙を流す目でこちらを見ていた。その顔は、肌の色こそ土気色だが、まだ人の頃の面影が残っていた。頭脳屍人は、個体差はあるが、顔は大きなこぶや触手のようなものに埋もれ、醜い姿をしているはずだ。頭脳屍人ではないのか? それに、なぜ、自分のことを知っているのだろう? ほとんどの屍人には生前の記憶が残っているようだが、竹内がこの村を離れたのは二十七年も前だ。その間、里帰りなど一度もしていない。村にもまだ自分のことを知っている人はいるだろうが、ひと目見て、それが二十七年前に村に住んでいた子供だと気付くものだろうか?

 

 ――お父さんなんて、今の先生そっくりです。

 

 ふいに、安野の言葉が頭をよぎった。

 

 そして、目の前の屍人の顔が、あの古い写真の顔と重なる。

 

「まさか……志村さんなのか!?」

 

 竹内の声に、屍人は、小さく笑ったように見えた。

 

 そうだ、間違いない。志村晃は人嫌いで、近所づきあいなどほとんどしなかったが、竹内の家の者だけには、今のようなわずかなほほ笑みを見せていた。

 

「たけ……うち……」

 

 志村は、何かを求めるように右手を上げた。竹内を見つめる瞳には、まだ人の頃の生気が宿っているように思えた。志村さんは、まだ屍人になりきっていない――そう感じた。もちろん、生きているわけでもない。屍人と人の間――死と生のギリギリの狭間に踏みとどまっている。

 

 竹内は志村のそばに屈み、その手を握った。

 

 志村が、ゆっくりと口を開く。「……この村は……呪われている……」

 

 その言葉は、竹内のことを父と思っているのか、あるいは、成長した息子の多聞だと気付いているのかは判らない。

 

「……あの女は……化物だ……」

 

 差し出した手から力が抜け、志村は、眠りについた。

 

 ――あの女? 誰のことだ。

 

 思い当たる節は無い。

 

 ただ、志村の従兄弟の貴文が同じことを言っていたのを、そして、そのことで狂人とされ、宮田医院に強制入院させられたのを、竹内は思い出した。

 

 

 

 

 


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