SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第四十二話 前田知子 刈割/棚田 第二日/六時〇六分〇一秒

 村に、サイレンが鳴り響く――。

 

 

 

 

 

 

 刈割の丘の上へと続くあぜ道を、前田知子は、一人、力の無い足取りで歩いていた。九時間ほど前、眞魚教の求導女・八尾比沙子に保護されたのだが、いつの間にか、また一人になってしまったのだ。

 

 ――みんな、いなくなっちゃう。

 

 胸の奥で呟く。求導師様もいなくなり、求導女様もいなくなった。思えば、二日前に家出をし、この怪異に巻き込まれてから、ほとんどずっと、一人で行動している。もう、誰もあたしを助けてくれないのではないか。このままずっと一人なのではないか。そう思えて仕方がない。

 

 雨は降り続いている。昨日の深夜からずっと、この赤い雨に打たれ続けている。髪も、服も、靴の中までずぶ濡れだ。もう、骨の中まで雨がしみこんでいるように思う。

 

 ふいに。

 

 空が、明るくなった。

 

 顔を上げる知子。山に囲まれた羽生蛇村では、夏でも日の出の時間は遅い。まだ日が昇る時間ではないし、雨が降り続いているから空は厚い雲に覆われているはずだが、まるで昼間のように明るかった。それだけではない。空には、一面、赤や黄色や紫など、様々な色がグラデーションをなした光の帯が、風にそよぐカーテンのように揺れていた。まるでオーロラのような光景だった。

 

 さらには、どこから現れたのか、知子の周囲を、光る小動物が無数に飛び回り始めた。体長は十センチほどで、卵のような楕円形をしており、小さな羽をはばたかせている。そのたびに光の粉が舞い、地面に降りそそいでいた。

 

 ……天使様?

 

 そう思った。丘の上にある眞魚教の教会に、これによく似たものを描いた絵画があるのを、知子は思い出した。『天使降臨』という聖画で、天から舞い降りた天使を人々があがめる姿が描かれている。来訪神の復活を地上の民に告知するために降臨した、と、求導師様から教わったことがある。

 

 光のカーテンに天使――聖画に伝わる話が本当ならば、もうすぐ眞魚教の神様が復活することになる。

 

 しかし、まだ十四歳の知子には、あまり難しいことは判らない。ただ、その光景があまりにも美しくて、心を奪われた。よみがえった死者が次々と襲ってくる悪夢のような村が、急に、あらゆる苦しみから解放された楽園になったような気がした。暗い気持ちもどこかへ吹き飛んでしまった。知子は空に向かって両手を広げ、光を全身に浴びるかのように、その場でくるくると回った。

 

 びくん、と身体が震え、両手を広げて空を見上げる自分の姿が見えた。屍人に見つかった合図だ。しまった。幻想的な景色に浮かれ、油断した。

 

 道の先に、若い女性の屍人が立っていた。右手に鎌を持っているが、農家の人ではないだろう。カールがかかった長い髪を頭の上で束ね、胸元と二の腕を強調するような花柄のキャミソールに、身体のラインが強調されるジーンズ姿。村ではあまり見ない派手な格好をした女だった。村の人ではないのかもしれない。

 

 女は鎌を振り上げ、こちらに向かって走り出した。かなり足が速い。決して運動が得意ではない知子には逃げられそうにない。道は一本道で隠れるような場所もない。やられる――そう思ったのだが。

 

「……スクープ……スクープ撮らなきゃあああぁぁぁ!!」

 

 女の屍人は知子のそばを通り過ぎ、奇声を上げながら、そのまま走り去っていった。

 

 遠ざかる屍人の背中を見つめ、肩の力を抜く知子。何だったのだろう? ここまで多くの屍人と遭遇してきたが、見つかったのに襲ってこない屍人は初めてだ。村の人ではないようだし、もしかしたら、屍人の中には普通とは違う奇行に走る者もいるのかもしれない。何にしても助かった。でも、危ない所だった。気を抜いてはいけない。教会はもうすぐだ。お父さんとお母さんが待っている。こんなところで殺されるわけにはいかない。生きて、お父さんとお母さんに会うんだ。萎えかけていた気持ちがよみがえる。よし。小さく気合を入れ、知子は丘の上を目指す。

 

 教会へと続く道の途中には用水路がある。普段は小さな木製の橋が架かっているのだが、崩れ落ち、道を分断していた。だが、用水路に古いライトバンが転落しており、その上を通って向こう側へ行くことができるようだ。事故を起こしたのか、あるいは誰かが橋の代わりに落としたのかもしれない。用水路を渡り、廃倉庫のそばを通ってさらに丘を登る知子。やがて、鉄柵の扉が見えてきた。そこから先は教会の敷地だ。普段、夜は閉ざされているが、もう六時を過ぎているので、鍵はかけられていなかった。知子は扉を開け、中に入ろうとしたが。

 

 また、身体が大きく震え、棚田の上から自分を見下ろす視点が、一瞬見えた。

 

 また見つかった。周囲を見回す知子、少し離れた棚田の上に、農作業着を着た屍人が立っていた。年配の女性のようだが、顔はよく判らない。と、いうのも、その屍人の顔は、無数の巨大なニキビのようなものに埋もれていたからだ。それは、海岸の岩場に群生するフジツボを思わせた。武器は持っていない。代わりに、四つん這いの犬のような姿をした屍人がそばにいた。

 

 今度こそ襲われる――そう思ったのだが。

 

 屍人は、しばらくこちらをじっと見ていたが、やがて眼を逸らし、遠くの方を眺めはじめた。そばにいる犬型の屍人も同じだ。知子には全く興味を示さず、周囲を見回している。

 

 どういうことだろう? 明らかに見つかったのに、屍人は襲ってこない。仲間を呼んだりする様子もない。まるで誰もいないかのように、知子のことを全く気にしていない。

 

 ――もしかしたら。

 

 周囲を見回す知子。天使のような光る小動物は、相変わらず光の粉を撒きながら飛び回っている。

 

 もしかしたら、天使様が、あたしのことを護ってくれているのかもしれない――そう思った。この光の粉に包まれた人は、屍人から姿が見えなくなるのかも。きっとそうだ。

 

 ――ありがとう、天使様。

 

 知子は胸の前で手を組み、天使様に祈りを捧げた。

 

 知子は鉄柵の門をくぐり、さらに丘を登る。数分で、教会の玄関が見えてきた。知子は玄関の扉を開けようとしたが、鍵がかけられてあり、開かなかった。だが、中に誰かがいる気配がする。玄関のそばの窓からは明かりが漏れている。そっと中を覗くと、礼拝堂の椅子に、寄り添って眠る父と母の姿があった。

 

 知子は、いつの間にか自分が泣いていることに気が付いた。涙が止まらない。無理もなかった。二日前、些細なことでケンカをし、家を飛び出した知子。まさか、村がこんなことになるなんて思いもしなかった。何度も危険な目に遭った。お父さんとお母さんも、同じように危険な目に遭ったに違いない。一歩間違えば、もう二度と会えないかもしれなかった。でも会えた。もう、あたしは一人じゃない。もう二度と、離れ離れになることはないだろう。

 

「お父さん! お母さん! 開けて!」

 

 知子は涙を流しながら、窓を叩き、中の両親に呼びかけた。

 

 

 

 

 

 


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